ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝小晦日お猪口二盃で…〟

2019年12月30日 | 俳句

 とうとう残すは泣いても笑ってもあと一日…なのに昨日、今日と天気はイマイチ、気温も最高気温は10度以下。更に今日は一日中小雨ときていますから…それでも何とか大掃除を済ませました。外を掃けば腰が痛くなり、とにかく何をするのにも時間が掛かります。

 しかし、今年はいつも気になっていた玄関や外回りの蜘蛛の巣などの煤払いも出来ましたし、風呂場のブラインドの汚れもキレイにしましたから、まあまあかしら。明日は早くから出かけますので、今日中に注連飾りもお供え餅も玄関のお花なども準備万端整いホッと一息。

 娘のところにもお花やちょっとしたおせちを届けてきて家に戻り、主人と一杯やろうか~と意気投合。お酒はあるのか?と聞かれ、探すとありました。このところ二人で日本酒党になって…ビールはお腹がすぐにいっぱいになるので困りますが、日本酒はちびりちびりと、これがいい…

 今までは二人とも殆ど日本酒は飲まなかったんですが、先日〝獺祭〟(だっさい)を貰う機会が何度かあって、それも二人で飲むのにちょうどいい小瓶…これはいいわね~と、嵌ってしまいました。でももうそれはないし…でも探したら出て来たんです。とっておきのが…

 まだ封を切っていない賀茂鶴〝大吟峰〟…〝最高の酒造好適米とされる山田錦だけを使用し丹念に磨き、寒中に慈しみ手作りで醸した純米大吟醸酒です。〟と。広島県の酒どころ、東広島市西条のお酒です。恐らくここに住んでおられる先輩から句集のお祝いにと頂いたものでしょう。勿体なくて…ホント?…まあとにかくその封を切って飲むことに決定。では、いただきま~す!

 よく働いたしお腹もすいていたので…回りが早い!二人ともお猪口(おちょこ)ニ盃ですぐにいい気分!すると、つい口から…〈お猪口二盃で酔つ払ひ〉と…

 〝アッ、俳句が出来たわよ!これに季語を付ければ…ええっと…、そうか今日は30日、だったら「小晦日(こつごもり)」だから…、〟〈小晦日お猪口二盃で酔つ払ひ〉と。いかがです? カワイイもんでしょ!

 こんな調子で気分が良くなり、今日はもうブログ書かないつもりがつい書いてしまいました。他にウレシイこともあったんで…

 ちなみに、このお猪口主人が焼いたのかも…いや貰ったのかな…どっちか忘れましたが、結構入るんですよ。だから二盃でも酔うんです。

 では、今年はこれで本当に最後にします。訪問して下さった方、一年間ありがとうございました。来年もまたよろしく…

 

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ビックリポンの〝竹灯籠〟

2019年12月28日 | 俳句

  今日はまた曇り空で見るからに寒そう…今にもパラパラッと時雨が来そうでしたが、午後からは少し日が差してきました。でも、最高気温は9度、今夜も3度ですからね。今の時間はまるでエアコンが入ってないくらいにゾクゾクとしてきましたもの。

 さあ、残すところ3日になってしまいましたが、気分的にはホッとしています。きっと年賀状が片付いたからかしら…

 年末年始は留守にしますので、ブログもお休みします。それで…ウ~ン、書き残したことは???ああ、ありました。これは今年中に是非皆さんにご披露しなくっちゃ!今日でさえもう時期遅れだけど、来年になったら気が抜けちゃう~。(笑)

 もう一週間前になりますが、〝第3回 KOTOたちくま 竹灯籠ナイトクリスマス〟のチラシを貰って、どんなものか観に行って来たんです。〝ヘエッ、こんなのがあったなんて、知ってた?行って見ない?〟と、主人を誘って出かけたのが、21日(土)17時半ごろ…

 家から車で30分足らずのJR厚東駅へ。そこから会場まで、駐車場がないのでシャトルバスが運行されているんですって。こんなところで本当にあるのかしらと半信半疑で出かけたのですが、な~んにもない駅の周りは真っ暗…アッ、交通整理の人がこっち、こっちと棒を振っています。見ればもうかなりの車が停まっていますし、バス乗り場には人も集まっていて、ホッとしました。

 会場はここから1キロほど離れたところとか、バスに乗っても5分かそこらですよ。どうも先日の神楽を観に行ったときに通った道のようです。こんなところには何もなかったよね~と、いいながら着いたら…なんとビックリポンの〝竹灯籠〟でした。

 今まで竹灯籠のイベントには何度も行って見ていますので、きっと今までと大差ないだろうと高をくくっていましたが、ホントに驚きの一語ですよ。竹に穴を開けた春夏秋冬の桜や朝顔、紅葉や雪などのモチーフを、中に灯をともして見せるものです。

 直径20センチもあろうかという大竹で作ったクリスマスツリー…それに細工を施した竹の数々…それはそれは見事なものでした。これを仕上げるのにどれほどの手間が掛かったことでしょうか。わずか40戸足らずの〝たちくま〟自治会の方々が協力してのお祭りだとか。このパワーはスゴイ!

 21日(土)22日(日)の2日間だけなんですが、日曜日は竹灯籠の点灯のみ。土曜日に地元産の材料で作ったケーキや餅やうどん、焼き鳥、焼芋などの販売に、弦楽器・ヴィオリラの生演奏まであったんですよ。寒い日でしたが、火をあちらこちらで焚いていましたし、2000本の竹灯籠と人の賑やかさで寒さを忘れるほどでした。句会の後すぐに行きましたので、何も食べてなくて…まずは焼きたてホッカホカの〝焼芋〟を…とっても甘くて美味しかったですよ。みんな地域の人たちの手作りなんですから当然ですが…。

 では、その〝竹灯籠〟をじっくりと御覧下さい。ほら~、並みの竹灯籠じゃないでしょ!あ~あ写真がもっと上手だったら…どれもピンボケでゴメンナサイ!

 ところで、このイベント会場になっている〝たちくま夢広場〟(宇部市吉見)は、2017年に立熊自治会の有志が造成し、そのオープニングイベントとしてこの竹灯籠ナイトイベントが開催されたとか。それが好評で、昨年は初年より500個多い2000個の竹灯籠を手作りし、2夜限りで里山を明るく盛り上げたんだそうです。だから今年が第3回目、主催は、地域住民による実行委員会。

 この竹灯籠は全て地域住民の手作りで、その製作には、竹の切り出しから行い2カ月もかかったんだと。当日は、穴を開けて模様を作った竹灯籠、内側に色を塗った竹灯籠、厚東小学校児童が障子紙に描いた絵を活用した竹灯籠など、高さもさまざまな竹灯籠が並び、中央には高さ4メートルの「竹灯籠ツリー」がそびえていました。

 立熊自治会の自治会長さんは「小さな集落だが、『住んでよかった』『ここに帰ってきたい』と思える場所になるように住民が主体となって地域づくりに取り組んでいる。竹灯籠をともした景色は感動の一言。幸せな夜をみんなで楽しめれば」と仰っていました。ああ、本当にみなさまお疲れ様でした。なんてったってこの竹灯籠の笑顔がいいでしょ!オヤスミナサイ!

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〝数へ日〟

2019年12月27日 | 俳句

 今日は久し振りに朝から日が差して、これは洗濯しなくっちゃと…しかし、いざ外に干しに出ると結構風が吹いていて、そのナント冷たいこと!部屋の中から見てる限りはポカポカ陽気に見えたんですけどね~

 ああ、もう4日しかありまッせ~ん!そうです、これぞ季語の〝数え日〟なんですよ。今年もあと何日、と数えたくなるような、年末の数日を俳句ではそうよぶのです。

  数へ日の数へるほどもなくなりぬ        鷹羽狩行

 まさにこの通り。31日は〝大晦日(おおみそか)〟、30日は〝小晦日(こつごもり)〟という別の言い方の季語がありますから、今数えるとすればもう28日と29日の2日間だけですものね。

  数へ日やひとつ残れる座談会

 昭和47年作・句集『餘生』(よせい)所収の秋櫻子先生の句です。この句を採り上げて水原春郎先生は『秋櫻子俳句365日』に、〝数え日という季語を使った句に、〈かぞへ日や退院前の湯浴みして〉というのがある。後者は四十八年作。従って発病入院の前と後の句ということになる。数え日という季語は近年認められたものらしい。歳時記にのっていないものが多い。しかし、「もういくつ寝るとお正月」というわらべ唄にもあるように、思いのこもった季題である。具体的で切迫感もある。日々の予定は手帳に細かく記入しておく。秘書でもいれば別だが、手帳がなければ電話の応対も満足に出来ない。原稿を書きあげ、やれやれこれで今年の仕事も終わったと、安堵して手帳をもみるとどうだろう。座談会と書いてあるのが目に入った。座談会というものは、司会者、参加者、題名によって、する前から成功、不成功がわかってしまう。軽く流して詠んでいるから、楽しい会なのであろう。〟と、書かれていました。

 ちなみに、秋櫻子先生は昭和48年9月に狭心症の発作をおこされ、東京女子医大病院に入院、12月に退院されています。

 写真は、わが家の庭の〝千両〟と〝万両〟。どちらも冬の季語です。

  万両や癒えむためより生きむため          石田波郷

  千両の実をこぼしたる青畳             今井つる女

 万両は、ヤブコウジ科の、常緑の草本性小低木。千両は、センリョウ科の、常緑の草本性小低木です。どちらも花の少ない、冬の庭において紅熟した実が珍重されるが、その違いは葉の上に実があらわれるのが千両で、万両の実は垂れ下がっています。最近では白や黄色の万両やオレンジ色の千両などもよく見かけるようになりましたね。

 

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〝門松立つ〟

2019年12月26日 | 俳句

 今日はもう26日、今年も残すところ5日となってしまいましたが、このところの天気は悪く今日も一日中雨でした。大掃除も片付けも…今年はもう諦めるしかなさそう。年の瀬は大寒波がやって来るとか…困るゥ~!

 だって、年末年始限定の〝初日の出を拝んで1年の願掛け!標高600mで見る初日の出と癒しのステイ!〟を予約してあるんですもの。ところが、天気予報を見ると、そのホテルのあるあたりの31日の最低気温が零下6度と…元旦も最高気温は2度との予想…

 これはヤバイです。天気は曇りのち晴れでしたが、前日は傘マークが…ということは雪があるかも知れませんし、標高600mですから道路は当然凍結しているでしょう。しかし、こちらでは殆ど雪が降りませんので、冬用タイヤは用意していません。買わなくっちゃ…ウ~ンン、頭がイタイ!もうキャンセルするにしてもお金掛かるし…本当に困ります。でも、こればかりは文句のいいようがないですものね。弱った、弱った!

 京都から弟夫婦も来ますので、義母が楽しみにしているんです。それなのに…どうしよう、今から心配です。

 ところで、ブログが4日も空いてしまいました。まあ、とにかく忙しくって句会と教室が立て続きに4回も、おまけに日曜日は着付教室のクリスマス会。更には吟句会の事後投句の添削指導と馬醉木の投句〆切が今月は早くなっているのでその指導も重なって…その上俳誌への原稿〆切も12月は早くなっているんです。だから自分の投句どころではなく、何もかも一緒くたという感じでパニックでしたが、ああ~、やっと何とか落ち着きました。

 ブログもこんなに間が空いてしまうと、さあ何を書いていいやら…まるで風船の空気が抜けたみたいで何も思いつきませんが、ウォーミングアップのつもりで軽く…。

 昨日は恒例のクリスマスパーティーを義母の家でやりました。広島から宇部に引越して来てからは、毎年懐かしくて牡蠣(かき)を送って貰うんです。だってこの辺りで売っているのは美味しくないですからね。牡蠣打ち業者に採れたばかりの牡蠣を送って貰うと、それはそれは美味しいんですよ。まあ、当り前ですが…そんなのを食べ付けているので他のが食べられないんです。ホント!

 でも、以前私は牡蠣にあたってヒドイ目に合いましたから…牡蠣フライを少しだけ。でも美味しかった!食堂とかで食べるのとは味が全然違いますよ。ケーキも食べたし…帰る時も雨がまだザーザーと降っていましたが…。

 写真は、俳句教室のあるふれあいセンターのそれぞれの〝門松〟。門松そのものは新年の季語ですが、〝門松立つ〟は仲冬の季語になります。大体がセンターに所属する老人会などが立てているようですが、そこそこで雰囲気が少しづつ違っています。

  門松の立ち初めしより夜の雨       小林一茶

 確かに今年はこんな感じでしたね。

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長府吟行 その2

2019年12月21日 | 俳句

 今日の天気もイマイチで、晴れたり曇ったり、時にはパラパラと降ったりと、…でもこれが普通の冬でしょうね。今日は投句の〆切や午後の句会、さらには夜のイベントなどへ出かけたりして、青息吐息の一日でした。

 さて、長府吟行のつづきです。

 ④「長府毛利邸」……明治36年(1903)、長府毛利家14代当主・元敏によって建てられた邸宅。明治天皇の行在所としても使われたところで、一部の部屋は当時のまま残されています。武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた池泉回遊式の日本庭園が往時をしのばせくれ、紅葉の季節になると一段とその風情が増しますが、今回は時間がありませんでしたので、入口だけで中はパス。

 ⑤「古江(ふるえ)小路」……ここは嘗て入り江になっていたところで、城下町として知られる長府のなかでは、その面影をもっとも残す通り。散策していると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気に浸ることができますよ。やはり城下町として合戦に備えた配慮がされており、武家屋敷の土塀は防壁として築かれているほか、路地はT字になった部分が多く迷路のように作られています。ここには代々長府藩に仕えた菅家の「菅家長屋門」という、堂々とした風格のある門が残っていますが、写真は…ザンネン!

  

 ⑥「横枕(よこまくら)小路」……武家屋敷が建つ古江小路と並んで、歴史を感じさせる通りが横枕小路です。「乃木神社」の横を東西に抜ける細道で、樹葉に覆われた土塀の空間は、そのままタイムトンネルといった味わいがあります。

 ⑦「乃木神社」……明治天皇の崩御の際に殉死した軍人・乃木希典を、文武両道の神として祀っています。1859年に長府に転居した後、西郷隆盛による西南の役で官軍として参戦するなど、多くの武功をあげました。境内には乃木将軍が育った家が復元されているほか、夫婦の銅像も建てられています。また、ゆかりの品々や遺墨などが展示された宝物館もあります。私には分かりませんが、「水師営の会見」の歌碑や二百三高地の記念の松など…分かる人にはとても懐かしく思われる所のようです。

 また、乃木家の「梅井」の水は御神水として今でも飲むことが出来ます。もちろん学問の神様にあやかって私も飲みましたよ!

 ⑧「忌宮(いみのみや)神社」……長門国二の宮で、仲哀天皇・神功皇后が九州の豪族を平定する際に、ここに豊浦宮(とよらのみや)を建て、7年間滞在したといわれています。境内の一角には、仲哀天皇に渡来人が蚕を献上したという伝説にちなんで「蚕種渡来の地の碑」が建てられていて、宝物館には国の重要文化財など100点が収蔵されています。更に毎年8月7日から1週間続く「数方庭祭(すほうていさい)」は、1800年の歴史を持つ〝天下の奇祭〟として有名ですが、私はまだ見たことがありませんので、是非今度見に来たいと思っています。

 長府には今までに何度も来ていますが、ここに来る度に放し飼いの鶏がいて…ああ、やっぱりいましたね。白いのは烏骨鶏です。

 ここには他にも長府の松下村塾といわれた長府藩士・福田扇馬の私塾の遺構、「集童場場長室」が移築されています。乃木将軍もここで学んだ一人なんですよ。 

 以上で「長府吟行」は終り。落ち着いたとてもいい町ですので、どうぞ〝長府へおいでませ〟で~す!

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長府吟行 その1

2019年12月20日 | 俳句

 今日は朝からゾクゾクすると思ったら、暖房が入っていませんでした。いつも朝の早い主人が暖房をつけてテレビや新聞を見ていますので、私が起きるときはいつもホッカホカ…。

 今朝はゴルフが1週間前倒しになったとかで、早めに出かけるから入れていなかったのでしょう。最高気温も12度と、昨日とは随分違います。確かに昨日は寒くはなかったのですが、天気はいま一つの曇り。年末までに片付けねばならぬことが山積みしていますので、一つづつやっておかないとと思ったんですが、でもこの天気では今一つ調子がでませんでした。相変わらずまたバタバタしそう。

 さて、先日の長府吟行のコースです。まず①「壇具(だんぐ)川と長府藩侍屋敷長屋」からスタート。その川に沿って行くと、途中に②「御影(みかげ)の井戸」があります。そこに寄って、更にせせらぎを聞きながら上がっていくと③「功山寺(こうざんじ)」に着きます。ここは見るものがたくさんありますので、結構時間を使いました。その後、④「長府毛利邸」、ここは中に入らず外から見るだけで過ぎ、⑤「古江(ふるえ)小路」⑥「横枕(よこまくら)小路」を通って⑦「乃木神社」へ。ここではしばらく散策して、最後の⑧「忌宮(いみのみや)神社」の境内を通って出発点の長府観光会館へ戻りました。所要時間2時間余り、約5000歩ぐらいだと言ってたかしら…。日が差したり時雨が来たり、日照り雨もあったりと…なかなかいい吟行でしたよ。

 ①「壇具川と長府藩侍屋敷長屋」……小さいですが長府の歴史とともに流れている川で、初夏にはホタルが舞う静かなところです。侍屋敷は、約100m南にあった建物を保存のために移築したもので、仲間部屋の格子窓の造りなど、当時の上級藩士の屋敷の趣をよく留めている建物。この日は鍵が掛かっていて、残念ながら中を見ることができませんでした。写真は撮っていなかったのでお借りしました。壇具川には、いつも鴨がいますが、これは渡って来る野生の鴨ではないようです。

 ②「御影の井戸」……菅原道真公が都から太宰府に流される途中、忌宮(いみのみや)神社の大宮司家に立寄り、泊まったときのことで、明日は出発という日、勧学院に入り院内の庭にある井戸に自分の姿を映してご覧になると、ひどく淋しい気持ちになってきて、水にうつった自分の顔に向かい、「都を離れてすでに百日以上になる、ずいぶんやつれた顔になったな、しかし、も う二度とこの土地にくることはなし、この井戸で私の顔をみることもあるまい」と 筆と紙をとり出し、自画像を描いたそうです。 その後、道真公は太宰府で亡くなりますが、長府ではこの井戸を「御 影の井戸」と呼んで大切に伝えているのだと。しかし、この井戸をのぞいたものは、目がつぶれるという言い伝えも残っているとか。ああ、覗いてしまいました…どうしよう、オソロシイ! 

 マンホールの蓋も下関名物の「河豚」でしたよ。壇具川の畔は雨の降った後らしく、楓の落葉が散り敷いてとても風情があり、ゆっくり歩くと気持ちまでしっとりさせられて、まるでタイムスリップしたよう…。

 ③「功山寺」……二重門の山門やわが国最古の禅宗様建築の国宝の仏殿が、嘉暦2年(1327)創建の由緒を語ってくれます。桜と紅葉の名所で、長府毛利家の菩提寺でもあります。また、弘治3年(1557)、毛利軍に敗れ、この地で自決した大内義長(よしなが)の墓があるほか、幕末の三条実美らの五卿潜居(ごきょうせんきょ)や高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には馬上姿の「高杉晋作回天義挙銅像」が置かれています。大内義長の墓へ行ってみましたが、人目に付かない奥まったところで、まるで誰の墓とも知れずにひっそりと建っていました。その横には「豊永家」と、それはそれは立派な墓がありました。これはもしかしたら、長府藩士「印藤聿(いんどうはじめ)」生家跡というのがありましたから、その子孫では?だって 「印藤聿(いんどうはじめ)」という人は、「坂本竜馬」を政治的に 支援した長府藩士で、維新後は「豊永長吉」と名を改め、 関門地域の殖産興業に尽力したというんですから。それに比べると、名門大内家の最後の人物の墓としては何とも哀れ!

 この功山寺の紅葉は、周りを木々に囲まれているため意外と遅くまで残っているので有名ですが、この日もまだ少しあって、観光客が喜んでいました。

 また、山門の傍に田上菊舎(1753~1826)の句碑がありました。句は、〈鐘氷る夜や父母の思はるる〉で、奥羽行脚の道すがら日光に詣でて、寒い冬の夜に故郷の父母へ思いを寄せて詠んだもの。季語は「氷る」です。

 菊舎は江戸後期、加賀の千代女と並び称された女流俳人。旅を愛し、江戸、京都、北陸、九州を巡り、俳句三昧の人生を生きました。晩年は長府に住み、この地で没しました。

 長くなりましたので、今日はここまで。でも、今日も明日も、また来週もずっと俳句漬ですので、UPが遅れるかも…ご了承を!

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〝宇部弁知っちょる?〟の解答ですよ!

2019年12月18日 | 俳句

 今日は月例の吟行会でした。天気予報では一日中曇りとのこと…まあ降らなきゃそれでいいわと思って出かけましたが、だんだん日が差してきて青空まで見えてきましたので、〝やっぱり先生は晴れ女ですね〟などと言われながら、吟行地へ。

 今月の吟行地は下関市長府…城下町です。この長府の説明をパンフレットより…

 長府の歴史は、西暦193年仲哀天皇が、現在の忌宮(いみのみや)神社付近に仮の皇居「豊浦宮」を置かれた事から、「長門の国・国府」、すなわち長府と呼ばれるようになりました。また、古代貨幣「和同開珎」鋳銭所が覚苑寺付近に置かれ、平家が滅亡する壇ノ浦合戦では源氏は長府沖に本陣を置きます。1600年関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍に加担して敗れ防長2ヶ国に厳封。本藩は萩に置かれ、長府は支藩として近世城下町としての歴史が始まります。

 1864年には高杉晋作が功山寺にて挙兵し、これがやがて幕府を倒して、明治維新発祥の地となっています。小さな城下町ですが、1800年の歴史あふれる城下町長府です。

 宇部を8時30分出発、9時30分には長府観光会館へ到着。そこに車を置いて、12時過ぎまで、歩いて城下町長府の散策です。

 ここでの写真がありますが、まだ整理していませんので、昨日の宇部弁の宿題の解答をしましょう。

  1位 えらい……疲れてくるしい……(使用例) 真夏の仕事はえらいでね

  2位 しろしい…忙しい……しろしゅうてゆうに(ゆっくり)飯もくえん 

  3位 はぶてる…拗ねる……すぐはぶてる癖をやめいやあ(やめなさい)

  4位 やねこい…しつこい……あいつは、やねこいけえのう

  5位 びったれ…不精もの……あの婆さんは、びったれじゃのう

 以上、みなさん分かりましたか? 私は5位の「びったれ」は泣き虫のことかと思っていましたが、それは「びいたれ」と言うんですって。他にも私の知らない宇部弁がたくさんあってビックリです。ここに住んでもう50年にもなるんですがねえ…例えば、 

  あいつはおとんぼじゃけえか、こまいころからぶちじらくりじゃったのう

 これは、〝あいつは末っ子だからか、小さい頃からとてもわがままだったよ〟という意味です。また、曼珠沙華のことを〝じごくもめら〟、目やにのことを〝まくじ〟、沼地を〝だぶ〟、すり鉢を〝かがち〟、すり粉木を〝れんげ〟とか、さっぱり分かりません。こうやって書いてみると何となく汚い言葉のように感じますが、実際に使っている場では、キレイな標準語よりも人間くさくて、心から馴染める…いわば同類だなあと感じるんですよね。ことわざにも言うでしょう、〝郷に入っては郷に従え〟です。その土地に行ったら方言は大事なコミュニケーションの潤滑油かも知れませんよ。

 駅などに行くとあちらこちらに、〝おいでませ 山口へ〟という、山口県のキャッチフレーズが貼ってありますが、もし機会があればみなさまどうぞいらっしゃて下さいませね。来て下さると〝ごっぽうシアワセます〟なんて! アハッ…

 写真は、長府の案内板です。

 

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〝宇部弁知っちょる?〟

2019年12月17日 | 俳句

 今日は朝からショボショボと降ったり止んだりの天気…でも、最高気温は17度とまあ暖かい日でした。

 久し振りに何もない日でしたから健康体操の仲間6人とランチで忘年会をしました。以前からよく行く〇〇ホテルはいつも火曜日が30%offですからそこでとすぐに決定。11時30分開店ですので11時には行ったんですが、もうしっかりと行列が出来ていました。少し待たされましたが、何とか定刻には席を確保。

 お得な週替わりランチ…今週は中華風チキンカレー煮込みとタコのフリット、バジルおろしソースがメインで、あとはサラダ、スープ、パン、ご飯、コーヒー、ジュースなどがバイキング形式。最後はデザートです。以上で、普通は1,540円(税込)。それが火曜日ですから1,078円なんですよ。どうです、安いでしょ! 写真撮るのを忘れました。

 もちろん、スープも3種類ありますし、ご飯はひじきご飯や五穀米など、パンも2種類、後コーヒー、紅茶、ジュースも3種類と…もう十分ですよ。お腹いっぱいになっておしゃべりをして、これで忘年会なんて…主婦なんてカワイイもんでしょう。

 いろんな話で盛り上がり、日頃の憂さ晴らしも出来て…これぞ家庭円満の秘訣です。みんな今回に味をしめて、来年は新年会をしょうとか、毎月でもいいわとか…そうそう、メンバーのそれぞれの誕生日でやりましょうよとか…、とても盛り上がって話が尽きなかったんですが、席が空くのを待っている方もまだいるようでしたので、13持に解散。締めて2時間のささやかな忘年会でした。

 昨年は忘年会が重なって疲れましたが、今回は一度もなかったので、とても楽しかったです。

 その時の面白い話を…Mさんが、先日〝ししらさむい〟と言ったら、それは宇部の年寄が使う宇部弁じゃがね~…と言われたけど、みんな分かる?と聞く。殆どの人はうんと。私ともう一人は宇部出身ではないので、何となく寒いという意味かしらと言うと、〝肌寒い〟という意味なんですって。ヘエッ…

 じゃあ、〝げってん〟て分かる?〟と私が聞くと、ウン???と、みんな…。〝かたくなな変わり者〟という意味の宇部弁なんだってよ、と言うと、〝な~んだ。知ってるけど、アクセントが違うから…ワカランかったわ〟と言われてしまいました。私が〝げっ〟を低くして〝てん〟を上げて言ったためのようで、アクセントが反対だったんです。

 実は先日お土産に〝げってん〟というお菓子を貰って、開けてみるとカステラでした。宇部に来たときから〝げってん〟とはお菓子の名前と思っていましたので、今回初めてこの宇部弁の意味を知ったんですよ。そのカステラについていたお品書には…

 宇部 こだわりのかすてら  げってん           

宇部市の新鮮な卵を活用。げってんとは宇部の方言で、「頑固でこだわりを持った人」という意味。げってん職人が、原材料に徹底的にこだわり、最新の技術に頼らず、難易度の高い半熟風に仕上げたカステラ。他のカステラとの違いを味わって。

とありました。他にも、宇部の和菓子屋吹上堂の〝げってん〟という、甘味をひかえめに、ほんのり塩味を効かせまろやかな風味を大切にした一口羊かん、抹茶と小倉の二種類の菓子もあります。この菓子は私も知っていましたし、食べたこともあります。

 まあどこに行っても方言はありますし、そこに住み慣れているものからすれば、方言というのはとても愛着のある言葉ですよね。さて、以前宇部まつりであるグループが街行く人に「よく知っている宇部近郊の方言は」というアンケート調査をしたことがありました。以下がその結果のベスト5だそうです。さあみなさん、この方言の意味分かります? 私はもう長く宇部に住んでいますので大体は分かりますが…

  1位 えらい  2位 しろしい  3位 はぶてる  4位 やねこい  5位 びったれ

 ではこの答えは、次のブログでお教えしますね。お楽しみに!

 写真は、ユリオプスデージーです。この花は一年の半分以上も花を咲かせるスグレものです。植えてからもう10年以上になるかしら。ほったらかしでも毎年咲いてくれます。花のないときはアリガタイですよ。またボケてますね。ゴメンナサイ!

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芭蕉の〝夏座敷〟の句

2019年12月16日 | 俳句

  今日は天気予報通り夕方から雨になって、どんよりした一日でした。午後からはリハビリへ。行ける時に行っておかないとまた何やかやで行けなくなってしまいそうなので。リハビリは週3日を続けるのが一番いいとは先生に言われているのですがなかなか…

 リハビリの始めと終りにはいつも血圧を測ります。このところ高くなっているのが気になっていたのですが、今日は正常値で何となく気分がいい!以前高くなったのでお医者さんから毎日自分で測りなさいと言われて、血圧計を買い測っていたのですが、異常があまりでなくなるとだんだん面倒臭くなってそのまま…。他の方のブログで毎日几帳面に書いていらっしゃるのを見ると…フウ~ンと参考になります。でも日々違いますよね。ワタクシ、若いときは低血圧で朝がとっても辛かったです。高い方が100を切っていましたから…

 母は低血圧、でも父は高血圧で薬を飲んでいましたし、脳梗塞にもなりましたから、どちらの遺伝子も持っているのでしょうか?このところ時々150台~90台が出たりするのでビックリ!怖くなってまた測ったりすると140~80に下がっていてホッとしたり。今日は127~76で、これぐらいが今の私のベストなんです。お医者様に相談しても問題なしといつも言われ…ホント?

 血圧の薬は飲み始めたら止められなくなると聞いたことがありますが、これは本当でしょうか?ちょっと不安。

 ところで、昨日の芭蕉の〈山も庭に動き入るるや夏座敷〉という句、これは角川大歳時記からなんですが、〈山も庭も動き入るるや夏座敷〉というのがネットで目に入りビックリしました。私が書き間違えたのかと思って…

 ちょっと説明すると、この句は『奥の細道』の旅で那須の黒羽に門人の秋鴉(しゅうあ)を訪ねたとき詠んだ挨拶句です。秋鴉は黒羽の館代浄法寺図書高勝で俳号は桃雪。

 奥の細道へ随行した曾良の『俳諧書留』には〈山も庭にうごきいるゝや夏ざしき〉とあり、「秋鴉主人の佳景に対す」と書いて、 更に「浄法寺図書何がしは、那須の郡黒羽のみたち(御館)をものし預り侍りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。地は山の頂にさゝへて、亭は東南のむかひて立り。奇峰乱山かたちをあらそひ、一髪寸碧(いっぱつすんぺき)絵にかきたるやうになん。水の音鳥の声、松杉のみどりもこまやかに、美景たくみを尽す。造化の功のおほひなる事、またたのしからずや」とあります。しかし、『雪まろげ』に載せてある句は〈山も庭も動き入るや夏座敷〉と。

 これは、単純には「に」と「も」の一字の違いですが、「山も庭に」だと庭は動いていませんね。しかし「山も庭も」とすると庭も動いているのです。前句でも「山も」とは言っていますから山以外のものも入っているのでしょうが、庭は入れなかったんですね。そうすると〝山などを庭に〟入れたようになって、夏座敷が少し離れてしまいます。ここは夏座敷が主役ですから〝山も庭も〟他にもと見える景色は全て座敷の夏らしさを引き立てているのだと。ここの自然全てが夏座敷のものでその素晴らしさを褒めて詠んだんですね。暑苦しいものは全て取り払って涼しく設えられた夏座敷だったからこそ言えることなんです。これが俳句の一翼を担う〝挨拶句〟というものなんです。

 このように、一字一句も疎かにせず、また出来たからといってそれで満足しないで、いつもよりよいものを追究して推敲に励む。あの俳聖の芭蕉にしてもですから、私たち凡人はガンバルしかないですよね。エエッ、凡人じゃないですって!恐れ入りました。

 写真は、我が家の〝金柑〟、これも晩秋の季語なんです。数は少ないけど大きな実が生りますので、金柑ジャムにして毎年食べます。

 

 

 

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兼題は〝冬座敷〟

2019年12月15日 | 俳句

 今日は穏やかな一日でした。最高気温も14度と平年並みかしら…のんびりと、といっても午前中は俳句の投句〆切でウンウンと頭をひねっていました。夕方までには投函しないと…本当は15日が〆切なんですが、今日は日曜日ですので、まあ明日まではいいということなんです。でも、宇部はアリガタイですよ。

 だって空港がありますので、その最終便に間に合えば今日中には東京に着いて明日の配達になるのですから。田舎の方では早くて3日、どうかすると4日も掛かるとかいうのに、私は〆切の前日18時までに投函すればすむなんて、横着になっていけません。

 そういう余裕のないことをいつもしていますので、何かトラブったりすると、もうお手上げ!そのときは反省するのですが、すぐに元の木阿弥…懲りない性分なんですね。困ったもんです。今日も何とか夕方までに間に合って、その後お歳暮の買物に行きました。

 さて、さて、昨日は今年最後のダブル句会。午後の部の兼題は「冬座敷」、夜の部は先日観に行きました「夜神楽」です。どちらも難しかったようです。特に「冬座敷」は、最近の家には座敷がなかったり、あったとしても客間としてではなく居間的なもの。

 ところで、この「冬座敷」という季語に対しては「夏座敷」という季語があります。でも、「春座敷」や「秋座敷」という季語はありません。今までは気にもとめずに詠んでいましたが、考えてみるとなぜなんだろうと思いますね。

 そもそも季語という語が使われるようになったのは近代以降なんですが、季節という認識は万葉集の時代からあったようで、それぞれの歌を四季の別に配列している巻もあるということです。

 芭蕉や蕪村などの俳諧の時代には、2600の季語が集められていました。当然「冬座敷」も「夏座敷」も江戸時代から詠まれていた季語なんです。ですが、春や秋はありません。

 〈何なりと薄鍋かけん冬座敷〉というのがありますが、蕪村の弟子で江戸中期の俳人・黒柳召波の句です。また、芭蕉には〈山も庭に動き入るるや夏座敷〉という句があります。召波の句は、〝何でもいいから薄手の鍋をかけてこの寒い座敷を暖かくしよう〟という意味、芭蕉の句は、〝山も動いて庭から入ってきそうですよ。この涼しげな夏座敷へ…〟と、夏座敷を褒めた句です。

 このように、昔は冬の寒さや夏の暑さを少しでも快適に過ごすための工夫があれこれとされていたのです。冬は襖や障子、屏風などを立てたり火鉢や炬燵などで暖かくするし、夏は襖や障子を外して、葭戸や簾を吊ったりして風通しをよくするとか、風鈴などを提げたりと、みるからにその季節らしさが感じられるものだったのです。

 しかし、春や秋は気候的には暑くも寒くもないという一番快適な季節ですので、座敷そのものへの感慨は湧かなかったから詠まれなかったということでしょうか。だとすれば、冷暖房の完備した現代、昔の風情が全くなくなった座敷を詠むというのはとても難しいということがお分かりでしょう。

 この「冬座敷」という言葉から受けるのは、やはり客間のイメージ。日頃は余り使われないためにどこか整然として冷たい空気が張り詰めたような部屋、そんな感じを生かして詠む必要があるでしょうね。

 今回の最高点句は〈日にあてし座布団三つ冬座敷〉でした。そこで採った人の評を聞いてみると、面白いことがありました。一方は〝お客さんが来るので日に当てた座布団で待っている〟と、片方は〝お客さんが帰った後使った座布団を干している〟のだと。

 さて、みなさんならどちらだと思いますか?作者の答えは〝待っているところです〟と。そうですね。ここは〈日にあてし〉の「し」がポイント。これは過去の助動詞ですから、もう既に日に当たってフカフカになった座布団が見えますよね。次に〝どうして三つなの?〟と聞くと、〝だって3人でしたから〟と。〝じゃあ2人だったら…4人だったら…〟というと…ウウッ

 そうなんです。数を使うときはよくよく考えて使いましょう。たまたまそうだったからということでは、説得力がありません。ここはいくつであってもいいはず。この句のメインは、日を当てた座布団で待っているという作者の思いやりの心なんですから。そこで〈日に当てし座布団並べ冬座敷〉として、待っているのがしっかりと読者に伝わるようにしました。

 写真は、先頃伐った榎(エノキ)の切株。大きな木でしょう。カワイソウ!もう一つは家の裏にある楠(クスノキ)、これは枯れないように一枝残してもらったんですけど…、大丈夫かしら。最後の写真は10年も前に伐ったクロガネモチの切株です。もうこんなになって…

 

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〝Nくんのこと、どうしても書きたい!〟つづき(2)で~す。

2019年12月13日 | 俳句

 今日も晴れ時々曇り。でも気温は低そう…最高気温は11度ですって。今朝外を見ると霜が降りていましたから、昨夜はきっと0度以下だったのかも。でも霜が降りた日は天気がいいともいいますから、午後からのフラダンスとリハビリにはアリガタイです。

  霜晴の山々空を拡げけり        茨木和生

 それでは、〝Nくんのこと、どうしても書きたい!〟の最後のページです。どうぞ…

 「あとがき」

 私の中学校の国語の教師は教科書に詩歌が出て来ると必ずクラス全員に暗記させた。そして授業中に一人ひとり立たせて暗誦させた。できないとよく通る声で叱責した。俳句や和歌なら比較的覚えやすいが、次の二つには閉口したものだ。

  「小諸なる古城のほとり」      (島崎藤村)

 小諸なる古城のほとり/ 雲白く遊子悲しむ/ 緑なすはこべは萌えず/ 若草もしくによしなし/ しろがねの衾の岡辺/ 日に溶けて淡雪流る

 これが3段落あるので、6行×3段落=18行 実に18行!

 もう一つ、

  「落葉松」      (北原白秋)

 からまつの林を過ぎて/ からまつをしみじみ見き/ からまつはさびしかりけり/ たびゆくはさびしかりけり

 これが8段落あるので、4行×8段落=32行 もう無理!

 なんというバカバカしいことをさせるのだ、クソ坊主め!と生徒達は陰で罵った。この教師は近村の住職でもあったから

 「本当の教育者とは?」という朝日新聞の著名人へのアンケートが昔あった。

 三原脩は「教育の成果が10年後にあらわれるものを与えてくれる人物だ」と、

 「海軍兵学校の生徒教育の本当の効果は20年後にあらわれる。いいか、20年後だぞ、井上君」と、

 海軍兵学校の校長に就任する井上成美に鈴木貫太郎はこう説いたと。

   ※筆者注(三原脩は野球監督、井上成美と鈴木貫太郎は海軍大将。鈴木は内閣総理大臣にも)

 私の学んだ〇〇中学校の田舎教師は、上記の2者の神髄を与えてくれたのだ。ある貴人が、「読書は、あるときはわたしに根っこを与え、あるときはわたしに翼をくれました」と述べている。私はこの教師のおかげで本の中の詩歌が、「より大きな翼」を与えてくれたように思う。 

 このように締めくくられた「あとがき」を読み終わったときの私の気持ち…私が高校で生徒達にやってきたことは決してムダではなかったんだ!ということでした。私にも彼のような生徒がきっとどこかに一人はいるかも…そう思うととても嬉しくなったんです。

 私も漢文の授業の時は、孟浩然の「春暁」や杜甫の「春望」などは必ず、詩だったら高村光太郎の「道程」は絶対、古文では『徒然草』や『枕草子』、『方丈記』、『奥の細道』などの有名な冒頭の文章を暗記させました。

 高校生ですから当然その当時のカリキュラムにはこういう教材が組み込まれていましたし、また、この頃に覚えたことはきっと年数が経っても忘れないだろうと。すぐに役立つことではないけど、日本語の美しさに気付いてほしい…というより古文のリズムの快さを味わってほしくって、と言った方がいいかもしれません。

 私には、あのかつての武士の子供達が幼い頃から意味も分らないままに〝子曰はく(しのたまわく)…〟と、論語などを学んでいたこと、決してムダではないと思えましたから。彼の場合はまだ中学生のときです。古文調の言い回しや意味が難しかったのかもと思いますが、こうやって何十年後の実りを実証してくれたんですから、きっとその先生は本望だと思っていらっしゃるに違いありません。

 そうそう、冬休みの宿題として「百人一首」を、二年に分けて50首づつ覚えさせ、暗誦テストをしていましたね。喜んで覚える生徒もいましたが、苦手な子はきっと苦痛だったでしょう。陰で「クソばばあ!」と言われていたかも…。でもまだ若かったんですけどね~(笑)

 懐かしいと同時に…それでよかったのかなあと時々思うこともあります。でも卒業生に出会ったとき、必ず〝あれは忘れられんけ~〟と言って、笑い合えますから、私の指導の痕跡を何か一つは残せたのかなとも、これも自己満足でしょうか?

 彼のこの文章を読んで、これはナントしてでも書かなくては!と思ったんですが、とうとう今日になってしまったのです。ゴメンナサイ!

 彼は余り感情を人に見せません。いつも隅の方にひっそりと、静かに笑っています。一年によくて2回、OB会に参加しないときは一度も逢うことはありません。でも、こうして見えない1本の糸が…〝詩歌〟の糸が繋がっていると思えば、本当にアリガタイです。

 〝長崎は今日も雨だった〟でヒットした前川清さん、大好きなんですけど、あの真面目な顔からジョークが…本人はいたって真面目なのかもしれませんが、なぜか大爆笑になりますよね。彼にもそういう面があるんですよ。マジメに(?)言ってるのに人の笑いを誘う…これ、特技かも。あの前川清もイイ男ですけど、彼の方がハンサムかな…。

 ああ、ついでにおまけ…以下の文を読めば、彼の人柄が何となく分かると思います。とにかくイイ男です!

 子供のとき思い込んでしまった解釈…〝赤いくつ はいてた女の子 異人さんにつれられて 行っちゃった〟(野口雨情)

 (歌うときは、異人さんをいーじーさんと伸ばして歌う)…つれられていっちゃたけれど、人さらいのわるいじいさんではなく、きっといいじいさんだったにちがいないよ。

 と、ずうっと解釈していました。私はこのようなしょうもない馬鹿馬鹿しい話が大好きで、それが昂じて「笑いについて」の雑文を書いたことがある。

 写真は、我が家の〝水仙花〟。晩冬の季語なのに、これはもう早々と咲き始めました。きっと日当りのいいところだからでしょうね。

 

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〝Nくんのこと、どうしても書きたい!〟つづき(1)で~す。

2019年12月12日 | 俳句

 今日は朝から日が燦々と、真っ青な空で…という言い方(ナント陳腐!)しか知らないほどの快晴でした。

 午後からは俳画でしたので、その前に入浴…これは息子が朝入浴して行くので、その後もったいな~いと私も…。すると、浴室の窓から見える栗の木の黄葉が日にキラキラと、それはそれはキレイでした。まっことこういうのを〝至福〟というんでしょうね。

 俳画は、新年の季語の〝宝船〟でした。色は朱と紅梅と群青、黄土、あとは墨です。帆掛け船ですので帆のバランスを考えて書かないと、船が転覆しそう…結構難しかったのは海の波でした。

 それでは、昨日の〝Nくん〟の話のつづきを…

 さて、本人言うところの〝雑文〟とは? 2019・5・12と記された「詩歌について」という随想?いや論文かな…。でも読み終わった後の感想は、彼の読書量がいかに膨大かという一語に尽きました。

 そういえば、いつか話したことを思い出しました。〝山に行かないときはたっぷり時間があるでしょ。だから俳句詠みなさいよね〟と言うと、〝はい!努力しています〟〝ヘエッ、どうやって?〟と聞いたら…

 確か1週間に3回だったかしら?図書館巡りをしていると。彼の住まいは横浜、交通の便はいいから、今日は〇〇図書館、次は△△図書館…と、そのつど違う図書館へ朝から出かけて、一日本を読んで過ごして帰るのだと。うわあ~スゴイ!じゃあガンバッテね、俳句もすぐにマスターできるわよと応援したことがあります。

 でも、俳句の本を読めば知識は豊富になるでしょうが、それで俳句がすぐにうまく詠めるようになるわけはありません。だから彼が〝さっぱりワカラン!ますます難しくなる…〟と言っていましたが、その通りでしょう。やはり俳句は実際に自分で作ってみて、それを指導して貰うのが一番の近道だと思います。そりゃあ独学でもやれるでしょうが、それはとても時間がかかります。

 それでは彼の〝雑文〟を見てみましょうか。まず、冒頭の文章から…

 日本文化の特徴の一つに、古の万葉より連綿と続く和歌を筆頭に俳句、川柳、詩などの短詩(short poem)の世界がある。

 日本の言葉はフランス語と並び世界で最も美しい言語だといわれているが、そのような言葉を洗練し、凝縮し、美学にまで昇華していく。そして、背景には山、川、海の豊かな自然があり、画然とした四季の移ろいがある。

 詩歌は現代の日本人の生活の中にしっかり溶け込んでいるように思う。新聞には週1回の短歌、俳句、川柳の蘭があり、テレビでは俳句などのカルチャー番組、芸人たちが競う俳句の番組「プレバト」などが人気のようだし、皇室の歌会はじめ、サラリーマン川柳などもある。

 以前読んだ本の中に、「詩歌の森へ」(芳賀徹著)という感銘をうけた本があった。この題名をまねし少し気取って「詩歌の雑木林へ」と称した雑文を書いてみた。これは私にとっての「自分史」の一つでもある。

 どうです?この前書きを読んだだけで、彼の知識の豊富さと文才は推して知られるでしょう。今までなのか、この最近なのかは分かりませんが、彼が読んだ本から感銘をうけた詩歌や言葉を纏めたのだと思いますが、そのテーマをここに列記してみましょうか。

 「辞世の句」「戦争と詩歌」「小説の中の詩歌」「最愛の人への挽歌」「三人の女性歌人」「武将と漢詩」「学問と詩人」「詩歌のたのしい解釈」「山と詩歌」「旅・漂泊と詩歌」と…

 これを見るだけで、確かに彼の言う「詩歌の雑木林」へ迷い込んだようです。しかし、その木々を繋いでいる1本の糸…芯と言っていいかも。それは彼の死生観のようです。特に「辞世の句」や「戦争と詩歌」には、生と死が隣り合わせの状況で詠む詩歌というものが取上げられ、その〝こころ〟に胸を打たれます。しかし、彼が一番心を込めて書いたのは「山と詩歌」だという。

 ならば、それを少し抜粋してみましょう。

 古来、日本人は自然の中に生き、自然と共に生き、自然への憧憬や自然への畏怖があった。人間は自然の中のひとつであった。日本の面積の7割は山である。山があってはじめて川ができ、そしてその先に海がある。「ふるさと」は山と川に象徴される。

 この自然を形づくる背景には、一年を4つに均等配分する豊かな四季があった。

  春百花あり 夏涼風あり 秋月あり 冬雪あり

 私にとっての山は、単なる山岳というより自然のまとまりを現したもの、即ち全自然を代表するものとしての存在である。山は私の生涯の心の拠り所であり、とりわけこの雑文の中で最も力が入る。…(中略)…

 日本の山岳宗教では、人は死んでその霊魂は山に登りやがて山の神になる。さらに仏教の伝来で、一木一草にも命があり、山川草木悉有仏性の意識が生まれる。このような認識から山には多くの神、仏の名前が付けられた。

 神道  459山  例 明神岳・愛宕山・天神山など

 仏教  558山    阿弥陀岳・薬師岳・観音岳など

 修験  473山    権現岳・御岳・大峰山など

 他にも山を詠んでいる漢詩や俳句、短歌、詩など、共鳴した作品を取上げて鑑賞する。そこに浮かび上がる彼の心は、まさに私自身が学びもし、教えもしたいと思っている〝俳句のこころ〟と同じものなんです。

 彼は〝不肖の弟子〟と口ではいいながら、その俳句の神髄はしっかりと受止めていたんです。いや、これは彼の天性の〝うたごころ〟なのかも知れませんが…。

 更に、もっとこころを打たれたことがあるんです。それは「あとがき」の文章。でも、また、また長くなりましたので、それは明日にでも…

 写真は、我が家の今日現在の黄葉と紅葉。まだこんなに残っていて…、でもこれほど遅くなって紅葉するのははじめてかも。三枚目はお隣さんちの紅葉で~す。

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Nくんのこと、どうしても書きたい!

2019年12月11日 | 俳句

 この2,3日、午前中はやや曇っているものの午後からは気持ちのよいほど日が燦々と照って、とっても暖かい!

 午後からは健康体操へ。今日も会場には暖房が入っていましたが、途中からは暖房など要らないほど窓から日が…太陽の有り難みを背に感じながらの体操でした。 

 ところで、以前よりずうっと気に掛かっていることが…なのに、次から次と書くことが出来て、ついそれを後回しにしていました。本当に申し分けないと思ってます。

 こんなこと書いたって何のことやら…当然みなさんには分かりませんよね。でも、どうしても書きたいと思っていたことなんです。だってもうすぐ二ヶ月になろうかと…、

 実は10月のワンゲルOB会で奈良の飛鳥へ行った時の、同級生Nくんのことなんです。

 彼は、私を唯一〝宗匠〟(笑)と呼んでくれるとても貴重な弟子なんです。自分で〝不肖の…〟と言っていますけど、本当に不肖なんですよ。(笑)

 あれは3年前になるかしら。私の母が亡くなったとき、母の句集を手作りして『白寿』として出したんですが、それを同期会の時にみんなに上げたんです。そうしたらそれに感動して、自分も俳句を詠んでみたいと言われ…もちろんすぐにOKですよ。そして、作ったからといって見せてくれた初めての俳句…全くの素人ですからそれはそれなりの句でしたが(笑)…でもそれは誰だって同じこと、何も恥ずかしがることではないですからね。

 しかし、その句を見た瞬間、その句から伝わってくる彼の思い…、突然妻に先立たれてしまった男の哀しみとでもいいましょうか、それに耐えている…そんな姿が浮かんで私の心を捉えたのです。

 俳句はやはり〝こころ〟です。難しく高尚な表現でなくても、まごごろがあれば伝わります。だから、冗談じゃなく〝才能ありよ〟と、彼を応援しました。どんどん句を詠んで、メールで送ってねと言って別れたのですが…

 彼は根っからの〝山男〟で、寡黙、いや口が無いくらい!(笑) だって学生時代には一度も口を利いた記憶がないんですもの(笑) 卒業して…それもいい年になってOB会に参加するようになってからやっとですよ。それでもまだ…とてもシャイなんです。

 ところが、根性はあります。OB会と同期会のある時には必ず2,3句作って持ってくるんですから。俳句の上達は〝多作多捨〟よと教えたこともしっかり理解していて、それでも多くは作って持って来ないんです。だからといって、やめてしまうこともない。そうやってわずかな1本の糸だけでやっと繋がっている師弟なんです。(笑)

 今回の飛鳥でも、私が〝ねえ、Nくん俳句作って来たの?〟と聞くと、〝はい、宗匠!持って来ています。後で渡します〟と。そして、解散前に渡された大きな封筒…。〝ウウン? 今回はたくさん詠んだのかしら…〟と、その封筒の重みを手に感じながら、彼も後から見てくれと言っていたし、いろいろと忙しくって、そのまま家へ持って帰りました。

 旅の疲れやなにやかやで、その封筒の中身を見たのは1週間後ぐらいでした。ナント入っていたのは、1句のみ!ウッ、こりゃあなに???

 〈句つくりて秋のお寺でほめられる〉という句、それにコメントが…〝これまでの俳句つくりの努力が実り、いつも厳しい俳句の師匠より「よくできました。花まるです」とほめられた状況を述べた句です〟と。ウ~ン、これは1本とられたか!(笑)

 そんなことより、もう一つクリップで綴じたものが入っていました。それには付箋が付いていて、「私は俳句は詠めませんが、詩歌なら少しだけ読めますので、雑文を書きました。読んでみて下さい」と、A4の11頁に亘る文章。ビックリどころかもう圧倒されてしまいました。それを読んではじめて、彼の文学への興味や文才はここから来ていたのかと心から納得させられました。

 でも、随分長くなりましたので、この話のつづきはまた明日にでも…

 写真は、今日の空模様…そして、スーパーの屋上からの夕日です。明日はまた気温が下がって寒くなりそう…でも天気はいいそうですから、満月がよく見えるかも…。

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〝冬菊のまとふは…〟

2019年12月10日 | 俳句

 予報通り朝から日が差して、いい天気になりました。午後からは俳句教室ですので、その準備をしながらのんびりとテレビを見るともなく見ていて…

 〝ねえ、あの人俳優の〇〇さんの子どもだって…〟〝ふう~ん、そりゃあきっと親の七光りでテレビ出してもろうとるんじゃろ〟〝そうかもね。いいわね~。私も一つでいいから親の光がほしかったなあ…〟

 〝さしずめ、二人とも何もないから自分だけの光でガンバルしかないのよ。そうそう、〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉なのよね。これ分かる?〟〝うう~ん、まあまあじゃの~。でも親の七光りのことはワカランでよ〟と主人。〝ねえ~、もしかしてこれ私の句だと思ったの?〟〝そりゃそうじゃろ…〟〝ウア~ッ、マイッタ!あなたモグリやね~〟と、ちょっと陽気がいいもんだからこんなバカげた会話をしている二人…

 〝もう恥をかくから他所では喋らんといてね!〟と言いながら、これは水原秋櫻子の代表的な名句なのだと説明してあげました。

 見ると我が家の庭にも今赤い菊が終わった後、黄色の菊だけが咲き残っています。秋櫻子先生のこの句の菊もやはり白や黄の小菊だそうで…。

 この句についての秋櫻子先生の自句自解がありましたので、よかったらご参考までにどうぞ…

 菊は、立冬をすぎても咲きつづけた。中菊はすでに終わって小菊だけである。しかし残りすくなくなるほど大切にしたので、来る日も来る日も、白や黄の花が眼をたのしませてくれた。

 つい十日ほど前までは、まだ鶏頭なども残っていたし、柿の木の梢には渋柿も眺められた。そういうものがお互いに光を持ち、その光をかわし合って、晩秋の趣を成していたのに、いまではすべてが無くなって、残っているのはこの冬菊だけである。白には白の光、黄には黄の光があるけれど、それはただ自分のまとう光だけで、まことにさびしい感じである。しかしさびしい中にも、どこか凜としたところがあって、澄みとおっている。私はときどき庭に下りては、その一輪を剪りとり、「鶴の首」といわれる白磁の瓶に活けて床の間に置いた。やがて朝毎に霜が下り、ついには霜柱さえ立つようになったが、それでも小菊は咲きつづけていた。八王子時代のよい思い出のひとつである。(昭和23年作・『霜林』所載) 

 さて、今日の句会の兼題は〝焚火〟。冬の季語です。「焚火」は、あの巽聖歌作詞・渡辺茂作曲の歌によって戦後全国に流行し、小学唱歌にもなりましたよね。

 〈かきねの かきねの まがりかど  たきびだ たきびだ おちばたき 「あたろうか」「あたろうよ」 きたかぜぴいぷう ふいている〉と歌うように、昔は寒い冬にはどこででも見かけられる風景でしたが、近年は防火的な意味で殆ど見かけられなくなってしまいました。ザンネン!だから住宅地で何か煙でも上がろうものならすぐに警察などが飛んで来ますもの。もちろん火遊びはよくはありませんけどね…

 今回の最高点句は、〈大工らの朝一番の焚火かな〉でした。やはり外で働く人たちのこういう場面というのは誰でもすぐに納得させられますね。他にも「現場監督」や漁夫の「浜焚火」なども…

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〝岩戸神楽舞〟へどうぞ!

2019年12月09日 | 俳句

 天気予報では明日からしばらく寒さが緩むとか、でも今日も暖かでした。気温はそんなに高くはなかったのですが、風がなく日が燦々と照って…その中で洗濯物を畳むのはとても気持ちがよくシアワセ!…という感じ。

 午後はリハビリへ…でも日が翳ってくるとどんどん気温が下がって、夜は5度にまでなるとか…

 今日は先日観に行った「岩戸神楽舞」について、少し書きましょうか。

 この岩戸神楽舞は、宇部の奥万倉二ッ祖(おくまぐらふたつさや)地区に約260年前から伝わる伝統芸能で、地元住民により口伝えで継承されてきたものです。1958(昭和33)年には山口県指定無形民俗文化財になりましたが、少子高齢化に伴って担い手が不足し、2008(平成20)年を最後に継承が途絶えていました。

 それを地元有志が岩戸神楽舞復興委員会を2018(平成30)年に設立し、県の補助制度を活用して舞の復興の3ヶ年計画を策定しました。現在2020年12月5日の完全復活に向けて活動し、2年目の成果を見せる「仮上演」という形で、今回は披露されたものでした。

 二ッ祖とは、二つの道祖神が鎮座することに由来する自治会名。この地は神話伝説に富み、敬神の念が厚く、殊に自治会の一隅にそびえる海抜300mの御伊勢山に奉祀する皇太神宮(天文14年奉祀)に対する尊崇は古来極めて厚く、その発露が奉納行事としての岩戸神楽舞の創始となったものだと。およそ200年前、長谷川庄兵衛なるものが当時の河本宮司家(河本現宮司の先祖)から伊勢式岩戸神楽舞の伝授をうけ、これを基本として同じ伊勢式別流の長所も取り入れ、奉納舞として創始したのがこの五調子岩戸神楽舞だといいます。当初は長谷川家をはじめ、大谷、古川、荒川、矢原、木村等(何れも現自治会同姓者)で連中をつくり、舞楽を分担し、一家相伝の特技として奉納していたんだそうです。

 明治末期頃から自治会行事となり、一般若連中により毎年の奉納が行われ、満州事変後一時中絶しましたが、昭和31年幸いにして中絶当時の舞楽担当者が健在であったので、衣装用具等の一部を補充し、五調子岩戸神楽舞を完全に復興し、昭和33年4月に山口県無形民俗文化財に指定されたと。

 岩戸神楽舞は神話天岩戸の場面を象徴表現するもので、御伊勢山に奉納するわけは、神威をおろがみ謝すると共に、上御武運長久、家運繁栄、五穀成就、馬安全を祈り、その旨を祝詞奏上するため。

 この神楽舞は、十種十二座に天蓋操作が加わり、楽に合わせて演出されます。楽は太鼓、笛、摺り鉦の五調子で、この舞を正式に舞い納めるためにはおよそ4時間を要するのですが、今回は2時間の上演でした。そういえば、昔10年以上前にこの神楽舞を観に来たことがありましたが、確か眠たくなるまであったような…

 岩戸神楽舞としては、扮装が非常に素朴で採物舞の多いことが特徴。だから一番、二番、三番…とだんだん眠くなったところに独特の天蓋(てんがい)操作がはいりますので、それで目が覚めます。終盤の三座はこの神楽が岩戸神楽舞といわれる由縁のもので、岩戸の舞(岩戸さぐり)、姫の舞(天宇受売命)、鬼の舞(手力男)という天岩戸の神話を仕組んだ見所のある舞。最後に弓の舞で、四方八方への特殊な祓い納めの呪術を帯びる弓の所作が行われて静かに舞い納められます。

 見せ場の「天蓋操作」や「鬼の舞」などでは歓声や拍手が上がり、上演後には「前回の仮上演よりもパワーアップしている」といった感想の声も聞こえたと。しかし、岩戸神楽舞復興委員会の矢原久登会長は「まだまだ所作や呼吸などレベルは7割程度だが、活動も2年目となり地域外の方々にも多くのご縁をいただいた。その感謝と恩返しの意味も込めて今回は披露させていただいた」と話されていました。

 地域の特産品である赤間インクで染めた田中杏侑氏の旗や、中村敦臣氏による切絵など、奉納された作品が飾られた会場には180席の椅子が用意されていましたが、超満員で周りに立っている人も大勢。私たちは早めに行って席を確保して、食事に行きましたので、前から3列目で観られました。でも、なかなか写真は…難しいです。みなピンボケですが、ないよりはマシかな?…と思って…許して下さいね。

 

 

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