ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝寝釈迦〟という季語の話

2019年05月31日 | 俳句

 早いもので五月も今日で終りです。六月の声を聞くと、なんだかもう一年の半分が終るような気がしてきて、何かに追い立てられるようでつい気が滅入ってしまいます。

 でも、今日はちょっと涼しい…というよりちょどいい気温で、さっぱりしていました。こういう日が続いてくれると嬉しいんですけどね。

 ところで先日、添削して欲しいという句稿の中に次のような句がありました。

  幽かなる阿蘇の寝釈迦へ手を合はす

 この句は、九州中央部、熊本県にある有名な阿蘇山を詠んだものだとすぐに分かりますね。阿蘇山は、活火山で外輪山と数個の中央火口丘から成り、外輪山は南北25km、東西18kmに及び(屈斜路湖に次いで日本では第2位)面積380km2の広大なカルデラ地形(鍋型)を形成する日本百名山の一つです。

 阿蘇山のカルデラ内部には、根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳の五峰があり、それを阿蘇五岳(あそごがく)と呼んでいます。その五岳を北側の方から見ると、釈迦が寝ている姿(涅槃像)に似ていると言われていて、特に名物の雲海から五岳が浮かんでいる姿が好まれています。

 それはさておき、作者にもしかしたらと思って〝この句の季語は?〟と聞きますと、〝寝釈迦ですよ!〟と。〝やっぱり、そうなのね。それはダメですよ〟というと、〝どうしてですか?ちゃんと歳時記にありますよ〟と、納得できない様子。これは決して初心者の話ではないんですよ。

 ある程度俳句をやっている人でもこういうことが時々あります。歳時記に載っていれば何でも季語になるというふうに思い込んでいることが。季語とはそういうものではありません。言葉だけで表わすものでなく、実際にそのものが見えてこないと…。即ち一句の中で季語としての本当の働きをしていなければ季語にならないと、私は思うのです。

 例えば、「紫陽花(あじさい)色のショール」などと言えば、「紫陽花色」はそのような色であって花そのものが咲いているわけではありませんので、季語にはなりませんよね。「ショール」が季語で冬なんです。また、最近よく、絵手紙の〇〇…というような句を見かけます。その絵の内容が茄子(なす)であったりトマトや南瓜(かぼちゃ)など、また、いろいろな花などもあります。確かにそれらを見て描いたとすれば、季節が感じられて季語性はあると思いますが、やはり季語として認めるには弱いでしょう。例えば〈〇〇を絵手紙に描き…〉というように、そのものが目前にあるようにはっきりと詠めば季語として使えるでしょうが、そうするとどうしても説明臭くなってしまいますものね。

 このように、季語の本意を満たしていないものは季語にはならないということ。ならば、先程の句の「寝釈迦」とは、涅槃(ねはん)像のことで、釈迦入滅の姿を絵画や彫刻として造ったものです。釈尊入滅の日といわれる旧暦二月十五日(新暦の三月十五日前後に行う所も)に行う法要の「涅槃会」(ねはんえ)の時に、各寺院ではこの涅槃図や寝釈迦を掲げてその遺徳を偲ぶので、傍題として春の季語になっているのです。

 だから、前出の句には遺徳を偲ぶ涅槃像、即ち寝釈迦はどこにもなくて、ただ寝釈迦のような格好をした阿蘇山を見て詠んだということ。もちろん気持ちの何処かには仏様を拝む気持ちはあると思いますが、それは一年中そのように見えるものですからね。もし涅槃の時に行って阿蘇山へ手を合わしたという内容だったら、言わなくても必然的に寝釈迦は山に見えてくるはずです。だから俳句を詠む時は、皆さんよ~く考えて季語を選びましょう。

 写真は、〝都草(みやこぐさ)〟で、初夏の季語。マメ科の多年草で、道端などに普通に見られる野草です。

  

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〝チャレンジデー2019〟今年も勝利!

2019年05月30日 | 俳句

  昨日は、午後からの健康体操の当番でしたので、いつもより30分早くに出かけました。私としては少し早過ぎたかなと思ったんですが、なんと相棒のTさんはもっと早くに来ていて、掃除をしたんですって!〝エエッ、掃除をするの?何時からそうなったの~〟と、〝じゃあ帰りの掃除は私がするわ〟と言うと、帰りはしなくていいんですって。今まで全く知りませんでした。ということは、いつも私の分は仲間の誰かがしてくれていたんですね。ゴメンナサイ!同時にアリガトウ!

 ホールは広いのですが、まだエアコンは使わなくってもいいぐらいで、窓を開ければ風が吹き抜け、とても快適に運動ができました。実はこの日はチャレンジデーで、今年は山形県の米沢市との対戦でした。

 米沢市は人口約85,000人、米沢牛が有名な町で、昨年は茨城県取手市に勝利して、ゴールドメダルを獲得した強豪市です。マスコットキャラクターも戦国武将直江兼続の〝かねたん〟と、兜を被っていて強そう!

 今年は山口県内からは宇部市のみの参加で、5年連続となる市はホームページなどで参加を呼び掛けていましたが、果たして結果はどうなったでしょうか?私たち健康体操も参加していますので、当日の出席者65人が加わりますが、夜9時までの集計でしたので、さて、さて…。

 今朝その結果がネットで報告されていました。それによると…

 最終結果報告

 「チャレンジデー2019」におきまして、参加人数114,694人、参加率69.3%という成績で、見事2年連続3回目の勝利を収めることができました。

 昨年の参加者を23,174人も上回る114,694人の皆様のご参加をいただき、お蔭様を持ちまして、目標として掲げた「参加者10万人」を大きく超えて達成することができました。

  ご参加いただきました市民の皆様をはじめ多くの方々に心から感謝を申し上げますとともに、ご多用の中、ご協力いただきました事業所、団体、学校、地域の皆様方に厚くお礼を申し上げます。

  これからも引き続き、宇部市スポーツコミッション、宇部市体育協会、宇部市スポーツ推進委員協議会と連携し、運動やスポーツの習慣化につながる取組を通じ、市民の健康に対する意識を高め、元気な人づくり、健康長寿のまちづくりを進めていきます。

    チャレンジデーは、それぞれの体力に合わせた運動を15分以上継続し、参加自治体に報告してもらい、人口規模が近い二つの自治体が参加率を競う内容です。宇部市はこれまで岩手県奥州市、山形県鶴岡市、神奈川県秦野市、同じく座間市などと対戦し、2勝2敗の成績となっています。

 今年も勝利して、去年に続きこれで2連勝の3勝2敗の勝越しです。今までの勝敗の結果と参加率を見ると、1回目×31.7%(54,080人)2回目〇46.2%(78,202人)3回目×45.6%(76,605人)4回目〇54.9%(91,520人)、そして、今年の〝参加者10万人〟の目標を見事達成!バンザ~イ!です。

 この情況から見ると、宇部人というのは意外と素直で勤勉な市民なんだと思いませんか?ちなみに、主催者の「笹川スポーツ財団」から実施自治体の健闘を称え、参加率に応じた金・銀・銅のメダル認定証が授与されます。 メダル授与の基準は、人口規模と参加率によって決定されますが、宇部市は去年初めて金で、もちろん今年も金メダルです。よかったね、オメデトウ!

 今日は、ちょっと曇っていますが、雨の気配はありませんし、最高気温も25度と、涼しい一日のようです。写真は、〝苜蓿(うまごやし)〟、晩春の季語で〝クローバー〟とも〝しろつめくさ〟ともいいます。〈うまごやし炭坑の娼婦帯を結はず〉という山口誓子の句がありますが、宇部市もかつては炭坑の町で、花街も盛んだったとか。私の全く知らない時代の宇部の写真展で見たことがありましたが…。

 

 

 

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兼題は〝卯の花〟

2019年05月28日 | 俳句

 今日も午後からの俳句教室でその準備に忙しくしていると、主人が大変なことが起こっているようだという。〝何事?〟とチラッとテレビを観ると…これはまた大変なこと!川崎市で朝のスクールバスを待っていた小学生ら19人が次々と包丁を持った男に襲われて、そのうち2人が亡くなったと。また、また、子供たちが犠牲になるなんて…、もうこんなこと絶対に起こって欲しくないのに!どうしたらいいんでしょうか?被害者の方への慰めの言葉も見つかりません。

 今はそんなことも考える余裕なく、やっとできた資料を、さあプリントアウトしてコピーしなくっちゃ!と急いでいたら、今度はプリンターがおかしくなってしまいました。悪い事は重なるものです。何とかクリアして、これでどうにか間に合うかしらと、急いで行ったのですが、今度は駐車カードがどこを捜しても見つかりません。とうとう困って事務所に頼んで何とかして貰いましたが、結局10分ほど遅れてしまいました。ゴメンナサ~イです。

 ところで、いつも〝あなたの一年前の記事〟と言ってメールが来るのを見ると、なんと昨年の今日は〝梅雨入り〟ですって!さらに兼題も同じと(違う教室ですけどね)…ちょっと見て下さい。

 気象庁が本日、山口県を含む九州北部地方と四国地方が梅雨入りしたと発表しました。いずれも平年より8日、昨年より23日早い梅雨入りだそうです。確かにもうパラパラと雨が降ったり止んだり…。

 今日の午後は俳句教室、兼題は初夏の季語「卯の花」。ユキノシタ科の落葉低木。「夏は来ぬ」の唱歌で親しまれている花です。…

 なんとも進歩がないですね~。おまけに書いていることにも…兼題の〝卯の花〟を知らない人がたくさんいて、それで捜してまわったと。今日の教室でも同じことが起こっていました。4月から入会のMさんの句は〈道端に卯の花捜す散歩道〉でした。〝いつも歩いていた道に、初めて卯の花を見つけました。今までも見ていた花なんですけど…〟と、ご夫婦で発言。まあ、そういうもんですね。日頃から見ていても、関心がなければ見えてないんですよ。俳句をやり始めて初めて認識するということはよくあります。これが俳句のいいところ!ちなみにこの句を採ったKさんも同じことをしたのでよく分かるからですって。そうやってみんな成長していくんです。私も同じでしたもの。

 写真は、〝蝸牛(かたつむり)〟、もちろん夏の季語です。出掛ける時玄関のタイルにくっついていました。とても立派な殻で、4㎝はあろうかと…久し振りにこんなに大きくてきれいな蝸牛に出会いました。

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今年も〝ゴデチア〟が…

2019年05月27日 | 俳句

 午後からの俳句教室へ出掛ける時、天気予報通りにポツリポツリと雨が降り出しました。でも、大したことなく…このままかなと思っていると、夕方にはザーザー降りになりました。

 〝こんな調子で何日かしばらく降ったり止んだりしてくれると、走り梅雨らしくなるわね~〟と言いながら戻る途中、去年初めて見に行きました〝ゴデチアと花菖蒲〟の看板が今年も出ていましたので、寄ってみることにしました。もう夕方ですし、雨も降っていますので誰一人いませんでしたが、一面色鮮やかで目の覚めるように咲いていました。個人の方の丹精込めた努力の成果ですが、毎年ながら頭が下がります。花菖蒲の方はまだちらほらしか咲いていませんでしたからこれからでしょう。この雨は、最近暑くてしばらく降っていませんでしたので、花たちにとってはいいお湿りになったようですね。

 今回の兼題〝走り梅雨〟は難しかったようで、あまり佳い句はありませんでした。雨がよく降るから洗濯物が外に干せないとか、やっと天気になったから洗濯物がどっさりとか、そういう感じで詠んでいる句がやはり多い。それならば〝梅雨〟とは変らないし、せっかくの〝走り〟の意味がなくなってしまうでしょうと言うと、皆さん納得です。そうなんです。その微妙な付けあいが難しい季語でしたね。

 中に兼題ではないのですが、おもしろい句が出ていました。〈もこもこともこもこもこと山若葉〉という句です。〝これ、最近の山が黄色に盛り上がっているのを詠んだの?〟と聞くと、〝そうなんです。どこ行っても山がもこもこしていて…〟と作者。先日高速道を走ったとき沿道の山の写真を載せましたが、まさにそれを詠んだものでした。〝ところで、あれは若葉ではなくて花なんですよ〟というと、〝エエッ、そうなんですか?なら、どうしたらいいんでしょう〟と言うので、〈山どこももこもこもこと椎の花〉と添削しました。原句もおもしろいのですが、殆どがオノマトペでできていますので、少し削って必要な要素を入れられるスペースを作りました。まあ、若葉の頃の山も多少もこもこしているかも知れませんが、やはりその頃の山は色の濃淡からくる印象がメインでしょうからね。

 写真は、〝ゴデチア〟の花畑ですが、この花は季語になっていません。別名〝色待宵草〟と言って、あの「月見草」即ち〝待宵草〟と同種のアカバナ科ですので、夏としてもいいでしょうが、余りにも華やか過ぎて、叙情的な俳句の世界には向かないと思います。やはり花菖蒲の方が少しだけでしたが…いいですね。雨がかなり降っていましたのでボケました。ゴメンナサイ!

 

 

 

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〝走り梅雨〟はある?

2019年05月26日 | 俳句

 今日も暑かったですね。あちらこちらで真夏日を通り越して〝猛暑日〟とか…山口も最高気温は33度。でも、宇部はそこまではないです。28度ぐらいかしら。家の中ではTシャツ一枚でちょうどいいくらいでした。月末ですので、このところ作句と原稿書きで忙しいんですよ!

 でも、今ちょっと気分転換にブログを書いています。明日は句会です。兼題は〝走り梅雨〟。主人と二人で、こんな天候じゃ実感の湧かない季語よね~と、ぼやきながら作句してます。

 歳時記では「五月の下旬から末頃にかけて、梅雨めいた天候になることがあり、その頃の称」と。そもそも「走り」というのは「季節に先がけて出る野菜や果物、魚鳥など。はつもの」という意味から「同種のものの中で、最初となるもの」。それで、ある意味人々に待たれている喜ばしいものに使うんですが、「梅雨」はそんなに歓迎されるものではないのに、なぜなんでしょう?やっぱり農耕民族にとっては梅雨の時期がないと困るからかしら…。

  書架の書の一つ逆しまはしり梅雨      

 馬醉木同人・林翔先生の句です。先生は「沖」の元主宰であった能村登四郞氏と同じ千葉県市川市の高校の国語教師として、長く教職にあった方で、私も馬醉木に入会してご指導を受けた先生でした。では『ウィキペディア(Wikipedia)』にある人物紹介をどうぞ。

 林 翔(はやし しょう、1914年1月24日ー2009年11月9日)は、日本の俳人。長野県長野市生。

 生後10ヶ月で母と死別し、5歳まで祖母に養われる。國學院大學を卒業。大学在学中に能村登四郞と知り合い、登四郎とともに短歌雑誌「装填」の同人となるが、同誌の廃刊後ともに俳句に転じた。1940年、水原秋櫻子の「馬醉木」に入門、1950年、登四郎とともに「馬酔木」同人となる。1970年、登四郎が「沖」を創刊し、その編集長を務め、1983年より副主宰。2001年に登四郎が息子の能村研三に主宰を譲ってのちは同誌の最高顧問となった。句集に『和紙』『寸前』『石笛』『幻化』『春菩薩』『あるがまま』『光年』など。1971年『和紙』で第10回俳人協会賞、2005年『光年』で第20回詩歌文学館賞受賞。俳人協会顧問も務めた。2009年11月9日、膵臓癌により死去。95歳。
 
 今私が受け継いで選評などを書いています「あしかび抄」は、林先生が若手育成のために始められた「馬醉木」のコーナーなんです。その後選者が替わって、私で五代目かしら(?)…いつもその責任の重さにフーフー喘いでいますが、実は今もそれを書いているんです。
 さて、上掲の句、きっと勤勉な先生でしたから、蔵書もたくさんあったことでしょう。見るとその中の一冊が逆しまになっている…う~ん、これはいけんとすぐに直される、そんな先生の姿が浮かびます。何事も不実が嫌い、人の道に反することが嫌い、そんな実直な人柄でしたから、一冊でも逆しまなものがあると許せなかったのでは?今はまだ走り梅雨なんだからいいが、でも〝だらけていてはいけんぞ!〟と、これから迎える本格的な梅雨に対する気構えのようなものを感じませんか? もし違っていたら、先生ゴメンナサイ!
 
 写真は、我が家の〝十薬〟、夏の季語です。もう草取りも暑くなって大変ですので、思いっきり咲かせてから一気に草刈機で…。でも、キレイな花ですよね~。大好きなんですが…
 
 
 
  
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〝蟻殺すわれ…〟

2019年05月25日 | 俳句

 昨夜、パソコンのキーボードの間を黒い物がチョロチョロと…ウン?何?蟻でした。思わず走り出てきたところをひねり潰してしまいました。そのあっけない死に、ちょっと…考えてしまいました。〝なんで~こんなところに迷い込んで来たのよ~〟と、自分を弁護しながらもちょっぴり心が痛みました。

 そのとき、ふと先日読んだ『加藤楸邨の一〇〇句を読む』(石寒太著・飯塚書店)の1句が浮かんできました。

  蟻殺すわれを三人の子に見られぬ

 昭和12年の作(句集『寒雷』所収)、楸邨32歳だそうです。楸邨の長男・穂高氏の著書『楸邨俳句365日』に、この時の様子を書いたエッセイがあり、それを寒太氏が紹介していますので、ここに転載しますね。

 楸邨にして蟻殺すとは夏の真昼の殺戮(さつりく)であり異様である。いつも三人一と絡げで動いている子らの目は無心。見られたと感じたのは作者の人間性。父親であり了すには気の衰えや混沌の露わを固く禁ぜねばならぬのだ。足下を奔る蟻の秩序を蹂躙(じゅうりん)でもするしかない学問・生活・句作上の壁、出口のないこの頃の父の鬱積の真相を私が知ったのは、執着強い父の生き方に反撥した中学時代、反抗期のさ中のことだった。

 と、この句は「父の鬱積の真相」であったととらえているのです。

 私が考えるにこの時は、どうも楸邨を取り巻く個人的情況だけでなく全ての世の中の情況が〝負〟に向かっている時代だったような気がします。昭和12年は西暦1937年、当時の楸邨はまだ32歳。次の略歴を見るとよく分かるでしょう。

 加藤楸邨(1905~1993)は、(中略)1929年に結婚し、旧制埼玉県立粕壁中学校に教員として奉職。1931年、粕壁中学の同僚たちに強引に誘われ、それまで興味のなかった俳句をはじめる。さらに粕壁の病院に応援診療に来ていた水原秋櫻子と出会い、これを契機として秋桜子に師事、「馬醉木」に投句を開始。すぐに頭角を現して、1933年に第2回馬酔木賞を受賞。1935年、「馬酔木」同人に推される。1937年、秋桜子の慫慂(しょうよう)を受けて決意し、教員を辞して東京文理科大学(現筑波大学)国文科に入学。妻と三人の子を連れて上京し、石田波郷とともに「馬酔木」発行所で編集および発行事務を務めながら大学に通う。(Wikipedia参考)

 このように、初めての馴れぬ都会生活とどうしようもない年齢差での大学生活の中で、収入と言えば、放課後から手伝う「馬醉木」編集手当と夜の家庭教師料だけだったという…これが一人ならまだしも、妻と三人の子を養わなければならなかったという情況を考えればどんな心境だったかと言うことは容易く想像できるでしょう。そこまでしての学業への執念が、次第に軍国色の濃くなりつつある世の中で危ぶまれるという…そういう中で必死に歯を食いしばって耐えている楸邨の姿…。

 次の年に詠んだ〈鰯雲人に告ぐべきことならず〉という楸邨の代表句があります。〝鰯雲〟が出ると私はすぐに思い浮べる句なんですが、先程の本で寒太氏は、「時代は一日ごとに軍国主義に傾き、国民の思想統制は厳しくなっていった。思うことも自由に話せない。打ちあけようにも、話す相手もいない。そんな鬱々とした気分がつづいている。空には鰯雲がびっしりと浮かんでいる。」と鑑賞されています。

 ネットで他の楸邨の蟻の句を捜してみると、〈我意の目を落し膝もて蟻を殺す〉もありました。この句がいつ頃の作か、どの句集に所収されているのか、分からなかったのですが、この句の場合は殺す気で、すなわち本気で殺したような気がしますが、いかがでしょう?

 蟻は三夏の季語ですが、いろんな意味でよく詠まれています。私の第一句集にも〈蟻の列わが病影を過りゆく〉がありました。

 写真は、我が家の(?)〝蟻〟です。蟻にもいろいろあるんでしょうが、庭にいるのはちょっと大きめ…山蟻ほどではありません。この蟻の巣は小さいから〝蟻塚〟とは違うんでしょうね。以前カンボジアで見た蟻塚の大きかったこと、ビックリしました。

 なかなかすばしこくって、写真を撮らせてくれなかったのですが、この蟻さんカメラが分かって意識したのか、ちょっと止まってくれたんですよ。へエッ、これも発見ですかね~。

 

 

 余計なことですが、今巨人とカーブの試合をテレビで観ながらこれ書いています。8回表7-1なので、このままいけば11連勝かしら。ヤッターです!最初の頃のあの弱さは何だったんでしょうかね~笑いが止まりません…などと言っていたらホームランを打たれました。まだ安心してはいけませんよ。ほら、もう7ー5になって…さあ、残るは9回裏です!フレーフレーカープ!

 

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〝薔薇(ばら)〟と〝茨(いばら)〟は?

2019年05月23日 | 俳句

 今日も暑い一日となりました。午後からは俳画教室…出掛ける時の車内の温度は34度になっていて、エアコンが唸りっぱなしでした。ここしばらくは暑くなるようで…今日もニュースではどこかが34度を記録したとか、関東の方でしょうか、真夏日になり子供たちが水遊びをしている映像が流されていました。まだ5月だというのに…オソロシイ!

 今回の俳画の題は〝薔薇(ばら)〟でした。これは初夏の季語ですが、この〝薔薇〟を俳句に詠むとき、初心者は殆どといっていいほど〝バラ〟と書きますね。俳句では…いや、我が結社だけかも知れませんが、片仮名を使うのは外来語のみなんですよ。〝ばら〟は外来語ではないから、きちんと漢字で書くか平仮名を用いるべきだと最初に教えられました。確かに近ごろはカタカナ語や略字が氾濫していますからつい初心者は使ってしまうのですが、それらを俳句に用いるのはとても嫌われます。もちろん例外的なものはあるでしょうが、現状で使いこなすのはなかなか難しいものがあって、それでも使うというのは勇気のいることなんです。しかし、学術的な動植物の表記は片仮名を使うようになっていますから、いいと思うんでしょうね。そうそう、以前新聞の原稿を頼まれましたとき、漢字で書いた季語などは全部訂正が入りました。つい私たち俳句をしている者は、癖になっていて漢字を使ってしまうので、今思えば、きっとこのブログでも読み方に困られたのでは?と思いますが…どうですか?もしそうでしたら本当にゴメンナサイ!

 ここでは俳句の話ですので、やはり〝薔薇〟、または〝そうび〟〝しょうび〟と言ってもいいです。英語なら〝ローズ〟ですからね。普通薔薇といえば豊麗で香り高い西洋薔薇を指しますが、江戸時代の園芸書に「ろうざ(rosa)」の名が出ていますので、当時すでに渡来していたもののようです。『古今集』『源氏物語』には「さうび」と出ていて、それは中国伝来の庚申薔薇なんですって。知らなかった~。

  薔薇の坂にきくは浦上の鐘ならずや      水原秋櫻子

  わが病わが診て重し梅雨の薔薇        相馬遷子

 ところで、この〝ばら〟という言葉は、〝いばら〟〝うばら〟〝むばら〟から転訛したもので、もともとは刺のある草木の総称でしたが、それに「薔薇」の漢字を当てたんだそうです。

 古来日本全土の山野に生えるバラ科の白い小花は、「茨(いばら)」とか「野薔薇」とか言って、西洋薔薇とは区別していて、これも初夏の季語なんです。

  花いばら古郷の路に似たるかな        与謝蕪村

  花いばらどこの巷も夕茜            石橋秀野

 写真は、我が家の〝オオキンケイギク〟で、季語にはなっていません。以前は至る所で見かけましたが、在来種に悪影響を与える恐れが指摘され、2006年に外来生物法に基づき特定外来生物として栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止され、その指定を受けてからは駆除が行われているところもあるらしくて、最近ではめっきり見かけなくなりました。我が家でも種がどこから飛んで来たのか、いつの間にか生えて、可哀想だから少しだけ残して…。

 

 

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日本で初めての改元は?

2019年05月22日 | 俳句

 今日の午後、健康体操へ出かけようとして車に乗ると、ハンドルが熱くて握れないほど…車内は30度以上もありました。ビックリです。

 はや改元から二十日余りが過ぎましたが、やっと「令和」という文字にも馴れてきました。書類や資料プリントなどについ「平成」と書いてしまうことも少なくなりました。こうやって一日一日と平成が遠ざかっていくのでしょうね。

 その改元が日本で初めて行われたのが、この山口県の長門市…その史跡があるという新聞記事を見ました。今まで全く知りませんでした。

 最初の元号「大化」の次の「白雉(はくち)」が、長門市内で白いキジが見つかったことに由来すると刻んだ石碑が現在残っているんですって。それは、長門市南部の真木地区、その集落の外れに鎮座する大歳神社の境内の生い茂る草の中にひっそりと立っていて、菊の紋章とキジを描いたレリーフがはめ込まれ、「霊鳥白雉之碑」の文字が大きく刻まれているんだそうです。これは1965年、安倍首相の父、晋太郎氏や田中龍夫氏など地元の有力政治家らが協力し合って建てたものとか。

 伝説では、孝徳天皇の時代の650年(大化6年)穴戸国(長門国)の麻山(おのやま)に白いキジが現れ、国司が朝廷に献上。朝廷はめでたい兆しとして初の改元を行い、元号を「白雉」と改めた。またその功績に国司の税を3年間免除したとも。そして、この麻山が真木の山だという。これは「日本書紀」にも載っていることなので、地元ではこの改元を機に歴史ファンから注目を浴びているのが喜ばしいことだということです。この白雉伝説は長く言い伝えられてきて、さらに江戸時代の1788年には、萩市椿の山でも白いキジが捕えられて、その絵馬が今でも飾られているのだそうですよ。いつか機会があれば見に行ってみようと思います。

 へ~エッ、身近にこんな話があったなんて…。新元号「令和」の引用典拠となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる“発祥の地”福岡県太宰府市にも、またその「梅花の宴」が開かれた大伴旅人邸跡とも言われる坂本八幡神社にも、この連休にフィーバーした人々が押し寄せ、行列ができたというニュースが何度も流されましたものね。この長門も少しはフィーバーするかしら…するといいけど。でも、なんてったって〝熱しやすく冷めやすい〟のが日本人!ですもの…ね。

 写真は、我家の「二人静」。晩春の季語ですが、やっと咲きました。どうなっているんでしょ?

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〝俳句の種まき〟?

2019年05月21日 | 俳句

 今日の夜はちょっと寒い!新聞を見るとやはり最低気温16度と…ナルホドと納得。足が冷たいのでまた炬燵を入れて、このブログ書いています。我が家の炬燵は掘炬燵になっていますので、使おうと思えばいつでも使えるんです。便利なようで…困ったものです。〝炬燵離れ〟がいつまでもできなくって…。

 先日、「若き経営者の会」から俳句についての講義を頼まれて行ってきました。最初の要望では、最近の〝プレバト〟を見て俳句に興味が湧き、伝統的文化である俳句の教養を身につけるため何でもいいから話をしてほしいということでした。

 「若き経営者の会」とは、山口県宇部市及び近郊の企業経営者有志によって、昭和48年創立された会です。その会の概要を見てみますと、「本会は会員相互の親睦を図り、経営者としての知識を深め各自の事業の発展と共に地域社会に貢献することを目的とします。また次代を担う若き経営者達の、勉強や交流の場として重要な役割を果たしています。」と。更に「会員の資格は経営者・後継者もしくは経営者を志す者とし、原則として1業種1社とし、入会希望者は45歳以下とします。」とあり、〝これは引受けない手はない!〟と即答です。 なんてったって〝45歳以下〟に惹かれましたよ。(笑)

 これはこの会の文化部での一年に一回の研修会とか。担当のTさんから今年初めに打診があり、その後何度か打合せをしての開催でした。5月14日、夜7時から9時まで、その後懇親会。

 当日の参加者23名ほど、みな若い男性ばかり…久し振りに緊張しました。男子生徒40名の教室で喋ったことはあっても…それはもう昔のことですもの。やはりビビりますよ。

 どういう形で行えばいいのかとあれこれ相談した結果、やはり俳句は〝詠んでなんぼのもの〟ですから、題を出して実際に詠んで貰うことに。ただその場で詠み込むのは当然無理でしょうから、事前に兼題を出して詠んできて貰いました。その兼題は「若葉」と「母の日」。初め2句は無理かなと思ったのですが…ナント全員投句しているらしい。おまけに当日欠席者も…と、しめて50句以上はありました。

 最近この会の出席率が低下気味で…というTさんが、〝今日は最近になく出席率がいい〟と。うれしいことです。これもやはり〝プレバト〟効果なんですね。開始後すぐにこの〝プレバト〟をみたことがある人と聞いてみますと、3分の1の人が手を挙げていましたものね。

 さて、さて、どんな句が出たのかって?それはスクリーンに映し出された句稿を見てやりましたので…はっきり覚えていません。ゴメンナサイ!ただ、俳句を全く知らない人の考えていることがよく分かりました。私が今まで俳句の話をしていたのは、少しは俳句を齧った人が殆どだったということ。要するに、最初に俳句の基本を教えておいて、その後作ってきて貰うといういうことなんです。

 今回は、その基本なしで詠んで貰っていますので、「無季」「季重ね」などはまだいい方で、定型無視の句がゴロゴロ。だから選評ではプレバト流にやって欲しいということでしたので、「才能ナシ」が次々に、たまに「凡人」です。さて、「才能アリ」はあったかしら?という感じで終りました。例えば、若葉の句で〝この句の意味分かりませんね〟というと〝若葉マーク〟だと聞いてビックリです。みなさんからは〝この句はすぐ分かりましたよ〟と責められ、私が既に〝俳句の目〟でしか見れなくなっているということを痛感し、反省しきりでした。でも、その時のお一人、Iさんがブログに次のように書いて下さっていたのがウレシイ!以下そのブログをちょっと拝借しました。ゴメンナサイ!

【若経】5月例会で楽しく俳句を学びました。

【若経】5月例会で楽しく俳句を学びました。

講師に〇〇ちわき氏をお招きして、楽しく俳句を学びました。

 本日の学び

 ・俳句こそ若い人がすべき ・プレバト俳句で俳句ブームが来ている ・ 俳句は省略の文芸 ・ 最低限の情報でデータ発信する ・ 無駄を切り捨てる ・ まさに経営者にとって必要な文化 ・ 人の心をチクチク動かすのが俳句  ・「生きた証」を読む

経営者としてこのような教養も知っておくことは必要だと感じました。

 私の言いたいことは全て伝わっていたということで安心しました。これで一人でも関心を持って〝やってみよう〟という人が出るともっとウレシイのですが…。あの夏井いつきさん言うところの、〝俳句の種まき〟は成功したかしらん…

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〝雨〟は?

2019年05月20日 | 俳句

 今日は大雨とまではいきませんでしたが、一日中しっかりと降りました。しかし、屋久島の方では大雨による土砂崩れのため登山者ら300人以上が孤立していたとか。でも全員救助の報でホッとしましたが、まだ梅雨前だというのに…今年の水害などが思いやられますね。

 じゃあ雨とは、〝困りもの〟、いや〝有り難いもの〟、さてどちらでしょうか。なければ、これ全ての生き物の生死にかかわってくるし、あればあったで多すぎると、これまた生命を脅かす、本当に厄介なもの。科学がどんなに発達しようとも、人間の力の及ばないところにあるもの、即ち〝神の領域〟にあるものだからなんです。それで大昔から人はただ祈ることしかできずにそのための様々な神事が今に至っても残されているのです。これがもし人間の手でどうにかなるということになりでもしたら…、それはまたそれで、考えただけでオソロシイ!

 今では人さえも、〝子供は天からの授かりもの〟とか〝コウノトリが運んでくる〟などというような神秘性は失われて、人工的に作り出すことの出来るものになってしまったんですもの…ついこの前までは誰も思わなかったことでしょうからね。

 ところで、〝畏怖〟ということばがありますが、その「畏」という字は「鬼+卜」からなり、「鬼」は、普通と違った形のものの象形で、「卜」は、むちの象形なんです。怪しいものがむちを持つさまから、「おそれる」の意味を表わすのですが、他に「うやまう」や「かしこまる」という意味の、人知の及ばない崇高で偉大なるものに対する感情を表わす言葉でもあります。昔からそういう目に見えない、人の力ではどうすることもできないものに対する〝畏れ〟の心情が信仰へと進み、〝敬う〟という心をも植えつけていったのではないでしょうか。だからこの〝畏れ〟の心情を失ったとき、人は尊大に成り横暴になっていくような気がします。人生には〝怖いもの知らず〟よりも〝怖いもの〟のある方が〝驕慢〟にならずにいいような気がします。要するに〝驕れるもの久しからず…〟なんですよ。何でも…ね。

 今携帯を見ると、〝宇部市にも、豪雨予報、強い雨20mm/h〟というメールが15時頃に入っていました。その頃はリハビリに行って運動をしていましたので、気がつきませんでした。これは気を付けなくっちゃ…。先程もニュースで全国あちらこちらで強い雨が降るので警戒を!と伝えていましたよ。お互いに気を付けましょうね。

 写真は、今日の午前中宇部市芸術祭運営委員会の会議で文化会館へ行きました。その時渡辺翁記念会館前の駐車場の新緑のメタセコイアがキレイでしたので撮ってきました。4枚目はメタセコイアの実なんですよ。2㎝ほどのカワイイ松ぼっくりでしょ! 5枚目は4月12日に撮ったもの。まだ芽が出かかったばかりですが、裸木の時のメタセコイアもスッキリとしていて好きですよ。

 

 

 

 

 

 

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俳句は10年からが勝負です!

2019年05月19日 | 俳句

 今朝は日が照っていましたが、午後には曇ってどんよりと…。夜から雨という予報でしたが、宇部ではもう降り始めています。明日もよくなさそう…。

 昨日の句会には私も5句投句するんですが、いつも他人の句ばかり添削していますので、いざ自分の句となるとさっぱり。他人の句には発想の転換をなどと言いながら…これが一番難しい!いつも四苦八苦しています。

 俳句は10年もするとどうしてもマンネリ化してきますよね。基礎ができていれば一応の句にはなるのですが、句材は似たり寄ったり、把握も平凡でありきたりとなれば、当然面白くない!分かっていても、それでも作らないと益々退化してダメになってしまいます。

 だからそういう意味で、この10年目というのが一つの踏ん張りどころかも知れません。昔先生に言われたことがあります。〝私には才能がないから…〟などと泣き言を言うと、〝2、3年で一体なにが分かるか。先ずは10年やってみてから言いなさい!〟と。それがもう30年はとうに過ぎてしまいましたが、まだ同じことの繰り返しをしています。

 私が俳句の指導を初めて10年を越す教室があちらこちらに出て来ました。〝ちっとも上手くなりません〟とか〝初め頃より下手になったみたい〟などという声も聞かれます。こういう時なんと答えてあげたらいいのでしょう。私自身が悩みつつ歩んできた道ですので…よ~く分かります。

 でも、ちょっと考えてみて下さい。〝俳句のある暮らし〟と〝俳句のない暮らし〟を。そうなんです。俳句を知らなかったときの自分と今の自分を比べてみると、ほら、とっても人生が豊かになっているでしょう!自然や生き物への関心も強くなったでしょうし、知らなかった花の名前や風の呼び方なども分かるようになったし、また、考えもしなかった日本語の奥深さや美しさにも気づくようになったはず。そう思えば、自分自身が豊かになったということは疑いようがないはずです。

 更に、俳句のお陰でいろいろな人と出会えて喜びを共有することもできましたし、もちろん苦しみもみんな同じだから分り合えますものね。そう考えれば、俳句をしてよかったなあと思えるのではありませんか。

 また先生から〝結果は後から付いてくるものだ〟ともよく言われました。だから結果は気にせず、俳句を詠むことだけを楽しいと思えるようになれるといいですね。〝苦しいけれど楽しい〟それが俳句なんですよ。

 先日の教室で新会員の87歳のSさん、〝女学校に行っても戦争中で、何にも勉強ができませんでした。今俳句でこんなに丁寧に古文の勉強ができて、もう楽しくって…〟と。いいですね。また〝もう90に近いので、感性が鈍っていますが…〟とも。ほら、教室の皆さん、見習わなくっちゃ!負けていますよ。要は、気持ちの持ちようです。さあ、みんなでガンバリましょう!

 写真は、先日(5月5日)中国自動車道を走ったときのもの。例年に比べて山々の色が余りにも黄色になっていてビックリ!これはシイ(スダジイやツブラジイ)の木の花ですが、これが鹿野を過ぎると途端になくなるんです。(3枚目の写真)どうして?と思ったのですが…。もしかしたら気温が低いからまだ咲いていないのかもとは主人。果たしてどうなんでしょうか?

 

 

 

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若葉の句

2019年05月18日 | 俳句

 今日は天気予報通り朝から小雨、現在は止んでどんよりと…まだ梅雨には入っていませんが、そろそろ雨のほしい頃でしたので、草木にはちょうどいいかも。

 昨日は定例の俳句教室へ行って来ました。兼題は「若葉」で、初夏の季語として定番のものです。若葉と言えば次の句が…

  若葉して御目の雫拭はばや

 〈あらたふと青葉若葉の日の光〉と並んで芭蕉の有名な句です。上掲句には、「唐招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎ給ひ、御目のうち潮風吹き入りて、終に御目盲ひさせ給ふ尊像を拝して」との前詞がありますので、情景は容易く思い浮かべることができるでしょう。「若葉」のみずみずしさとやさしさが、何も言わなくても鑑真和尚に対する芭蕉の心を伝えてくれるのですが、つい〈ぬぐはばや〉(拭ってあげたいという意味)と胸中を吐露してしまった…。それほど強い思いが募って言わずにはおれなかった芭蕉のこころなんです。若葉の木洩れ日が固く閉じられた瞼に反映して雫のように、即ち涙のように見えたのでしょうか。もしかしたら、雨後の雫が本当に宿っていたのかも…。どちらにしても、すでに唐で名声のとどろいていた鑑真和尚が12年という歳月を掛けて来朝し、仏教を伝道した偉業を知れば…もうなにも言う言葉はありませんね。芭蕉ならずとも。

 〈あらたふと〉の句は、「奥の細道」の旅で芭蕉が日光にて詠んだもの。この句の眼目は初夏の木々の葉を「青葉若葉」と表現したところ。夏が来て若葉が野山を蔽い、一面緑一色の季節となります。やがてその若葉も、もう既に青葉となっているものもこれから益々茂って(栄えて)いくでしょう。即ち〈日の光〉に掛けて「日光」を、東照宮権現を讃える芭蕉の挨拶句でしょう。ちなみに〈あらたふと〉は「ああ、なんと尊く感じられることよ」という意味ですよ。

 今日も今から句会ですので、昨日の教室や句会での話はまた後で。

 写真は、前に載せた「英彦山姫沙羅」。あの後蕾が一斉に開きました。今度は少しはマシでしょうか?

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〝ことばの力〟

2019年05月16日 | 俳句

 今日も快晴…まだ五月の半ばだというのに、九州の熊本や大分では最高気温が30度を超すという。このままいけば真夏にはどこまで気温が上がるのでしょうか。でも宇部は山口県の中でもいつも気温が低く、今日も23度止まりなんですよ。いいのかな~。

 ブログ2日ほど休んでしまいました。今日は一日何も予定がないので…ゆっくりして…先程まで友人と久し振りのおしゃべりをしていました。

 さて、14日はMでの定例俳句教室。先月から人が増えて11人、ちょうどいい人数です。兼題は〝葉桜〟で、初夏の季語。葉桜といえばすぐに篠原梵の〈葉桜の中の無数の空さわぐ〉が思い出されるのですが、以前にも書いたような気がしますので…やめておきます。

 その時に出た句で、高点句ではありませんでしたが〈葉桜や地下足袋脱ぎて休む人〉というのがありました。よく分かる句ですね。作者も、〝道路の草刈などの作業をしていた人が葉桜の下で休憩をしようと、地下足袋を脱いでいたので…〟と。一応型どおりの詠み方で季語もほどほどに効いて、まあまあの句だと思いました。特にこの句のいいところは、〈地下足袋〉に目を付けたところ。葉桜の下で休んでいるというだけならどんな人かは分かりませんね。でも、この語によってそれが作業員などの肉体労働者であることが見えてきます。

 しかし、惜しい!折角〈地下足袋〉を使ったんならもう〈人〉は言わなくていいでしょう。かえってくどくなりますもの。そこで、単純に〈休みをり〉にしたらどうと言うと、〝それだったら自分のようになるので、考えた末なんですよ〟と作者。どうでしょう?みなさんもそう思いますか?〝もし自分が地下足袋を脱いで休んでいるとするなら〈休みたる〉とか〈休みける〉とすれば作者になります〟と答えると、うう~ん!と。

 ちょっとした動詞や助詞などの使い方で主体は変ります。俳句にとって句の〝主体〟は概ね作者と決まっています。だって俳句は一人称の文芸と言われていますからね。しかし、そこに描かれる場面は自分の姿や思いだけとは限りません。「見たもの・感じたもの」などを描写するとき、いちいち「私は(自分は)」とは言いません。しかし、そこは「作者の目を、耳を」通して実感したものなんですからつねに作者が存在するのです。「他人」が見たり聞いたりした感動を伝えるものではないということ。

 句を詠むときは余り考えすぎないようにしましょう!要するに、もう少し〝ことばの力〟を信じることです。もちろんそのためには、本当の〝ことばの意味〟に習熟することが必要でしょうが…。

 この日は午後の教室が夕方終って、夜7時からの〝若き経営者の会〟の講義と懇親会に出ましたので、疲れて帰りました。その話はまた長くなりますので、今度また…。

 写真は、我が家の〝英彦山姫沙羅〟です。エエッと思うでしょ!「沙羅の花」は「夏椿」ともいい、挽夏の季語で、七月頃、白色大形の花が開きますと、歳時記にもあります。「姫沙羅」もただ花が小振りというだけで同じ種類。ただし、我が家にある「英彦山姫沙羅」は、大分県の英彦山に見られる姫沙羅で、普通の姫沙羅は全部真っ白なのですが、これは蕾も紅を帯びています。花が開いても花弁の一つに薄く紅色が付いているところが特徴なんです。とてもカワイイ花で、今年はたくさん蕾を付けました。ズームにしたからでしょうか、またボケていますね。スミマセン!まだ咲き始めですから、今度また挑戦してみます。

 

 

  

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昨日は〝母の日〟

2019年05月13日 | 俳句

  昨日は「母の日」でしたね。いつもだったら主人の母が健在ですので、家族揃って食事にでも行くところなんですが…。今回は主人、私、娘ともに夏井いつきさんの〝句会ライブ〟へ行きましたので、残念ながら…おばあちゃんゴメンナサイ!

 義母には男の子が3人、それで女の子を産まなかったのが悔やまれるといつも残念がります。でも、こればかりは昔も今も難しいことなんでしょう、これだけ医学が進歩していても。昔酸性とアルカリ性の食事で男と女を産み分けられるような話を聞いたことがありましたが、あれは本当だったんでしょうかね~。

 昔の家長制度(家制度?)が布かれていた頃は、どうしても跡継ぎがいるということで、子供の産めない嫁は離縁させられたり、また、産んだとしても女ばかりだと冷遇されて…肩身の狭い思いをしたそうですが…。しかし、その制度は昭和22年廃止され、この「母の日」は日本に導入されたのは大正2年ですが、定着したのは戦後だということです。だから歳時記には当然古くに詠まれた例句はありませんでした。

  母の日や大きな星がやや下位に

 これは中村草田男の句で、昭和31年(1956年)出版の句集『母郷行』に所収。草田男は明治34年生れですから、当然家長制度(家制度?)の中で長男として大事に育てられたんでしょうが、本人は〈蟾蜍(ひきがえる)長子家去る由もなし〉と詠んでいますから、その重圧の中でもがいていたのかも知れませんね。

 この句を詠んだのも、封建時代の男尊女卑という意識がまだ強く残っている頃ですから、やはり母の座は下位だったんです。しかし、草田男にとってはいくら低くっても〈大きな星〉だったんですね。だから、母を讃え、感謝する気持ちをこの言葉に込めて詠んだのでしょう。古今東西〝母〟というものは、子にとっては偉大なる存在なんですから。

 写真は、我が家の〝ハコネウツギ〟。夏の季語です。立夏が過ぎたらアッという間に咲き出しました。

 

 

 

 

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初めての〝句会ライブ〟

2019年05月12日 | 俳句

 今日も晴天で暑い日でしたが、私は、あのプレバトで有名な夏井いつきさんの〝句会ライブ〟なるものへ初めて行って来ました。

 周南市文化会館で、13持30分開場の14時開始。以前ある句会で行ってみたいという話が出て、それで希望した6人で参加しました。

 宇部を10時30分出発。ちょっと早いかなとは思ったのですが、時間的に向こうで昼食をとった方がいいだろうということでそうなりました。でも、結果的にはそれが正解! 12時前に到着し、すぐ車を駐車場に置いて、近くのレストランへ。ところが、どこも昼時で時間待ち、結局20、30分ほどは待たされました。食後に戻ってきたら駐車場はもう満車。ヨカッタ! 席は指定席でしたから心配はなし…と、トイレに行くと今度はそこも長蛇の列。久し振りに並ぶという…都会並みの経験をしました。

 さあ、始まりです。大きな舞台にたった一人で…おしゃべりは彼女の独壇場!マイク1本で聴衆を笑いの渦に引き込んでいくのもさすがお手の物です。テレビで観ている通りの〝切れのいいトーク〟で、約1500人を相手にポンポンと言いたい放題!(笑)それが面白くってみなさん観に来ているのでしょうからね。いつきさんが〝俳句している人〟と聞くので、並んだ6人が手を挙げたら、すかさず〝あそこは句会でまとまって来たんだね〟と、ズバリ言われてしまいました。この広い会場でですよ。

 前半は殆どいつきさん一人のトークで終り。後半はいよいよ句会です。

 実は出がけに主人が、電子辞書を貸してくれと言うので、〝なんで?〟と見ると、句帳なども持っていこうとしているんですよ。〝エエッ、俳句作るの?〟と聞くと、〝知らんけど、句会じゃろ~。だったら…〟と。参りました!私なんかよりズーッと俳人たる心構えができていてビックリです。そこで、ちょっとネットで調べてみると、やはりその場で一句は詠むらしい。

 兼題ならぬテーマが二つ出されて、そのどちらかを五分間で詠んで投句するんです。今回のテーマは〝なんと!〟と〝なんで?〟でした。この言葉を詠み込めということではなく、そのテーマにそった内容ならOKということ。

 驚くのはその後ですよ。殆どの人が投句していましたから、1000句以上はあったんでしょうが、その句を休憩の10分間で選句されたんです。まあマネージャーで俳人でもあるというご主人が手伝ってということですが…。それでも大したもんです!

 後半の開始は、それらの句の中からいつきさんが選んだ句の紹介。まあ概して〝おもしろい句〟や〝目新しい句〟でしたね。そりゃあ、可もなく不可もない句なんておもしろくもなんともありませんものね。また、〝デキた句〟もつまらないし…。こういう大舞台では目立つ話題性のあるものがいい。だから、俳句的な目でみてはいけないんですよ。〝ことばの遊び〟と思わなくては…。

 もちろん投句する前に、「俳句を作ろう!虎の巻」のパンフの解説があって、句の作り方の手ほどきもありました。それは〝「五音の季語」+「季語とは関係のない十二音のフレーズ(俳句のタネ)」〟という「取り合せの型」のコツでした。

 さて、どんな句が取上げられたかは笑って覚えていませんが、最後に特選の7句はステージのスクリーンに写し出されましたので、よく分かりました。また、その7句から1位を選ぶのは会場の拍手でと。拍手の一番多かった、次の句が1位に輝きました。しかし、まだ作者は名乗らずに、いろいろな意見を…そう、選評するのです。

 1位の句は最初ちょっと?と思いましたが、その後の選評を聞いて、私もナルホドと1位に推した句です。

  夏を待つくるくるポコポコする吾子を

 どうです?この句は良いも悪いも〈くるくるポコポコ〉というオノマトペにありますね。それをどう受け取るかと言うこと。〝胎児がお腹の中でくるくるしたりポコポコしたりする…もうすぐ生まれてくるわが子を待っている母〟の、その喜びと期待が込められていると。いつきさんも〝選評がいいですね~。1位になったらこの選評のお陰かも…〟と。ホントにそうですね。意味が分らなければ取りようがないんですもの。

 最後の見せ場…これが最高でした。講評が終ると作者が立って紹介されるのですが、この句の作者、まさに妊婦でした。ご主人と二人で舞台に上がり賞品の授与。いつきさんも彼女の大きなお腹に触らせてもらって…お祝いを!事前に用意されたものではないだけに、感動です!

 これが俳句ですね。たった5分でも〝生きている実感〟が詠めるということ。要するに〝たかが俳句〟〝されど俳句〟、素晴らしいです!

 もう一つ序でに、いつきさんも言っておられましたよ。俳句をすれば脳の血流が増えて、認知症の予防になると。それも自分のようなプロの俳人が詠んだ時でもど素人が全く〝才能なし〟の句を詠んだ時でも、血流は同じに増えるんですって。だから上手いとか下手とかは関係ないと。さあ、皆さん恐れずに俳句を詠みましょう!認知症予防にね。

 写真は、ライブが終って周南市文化会館を出る時。ああ、会場内をまた撮り忘れました。ゴメンナサイ!その会館の前に設置されていた彫刻。日本の代表的な彫刻家・佐藤忠良の〝緑〟です。この人の作品は宇部にもあるわよねと、みんなでしげしげと眺めていたら、通りかかった老婦人が〝このモデル私の姪なのよ〟と。〝山口の方ですか?おいくつぐらい…〟〝この子も彫刻家で、今はもう70ぐらいになるわ〟と。調べたらありました。笹戸千津子さん。日本の彫刻家で山口県出身。東京造形大学美術学科彫刻専攻卒業。同大学彫刻研究室修了。東京造形大学は彫刻家の佐藤忠良らが創設に尽力した大学であり、彼女はその一期生だった。その関係もあり、佐藤忠良のモデルを三十年あまり務めたんですって。

 

 

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