ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝初霜〟

2019年11月19日 | 俳句

 昨日の雨でぐっと冷え込み、今日の最高気温は15度、最低気温も7度と。やっと(?)冬らしくなりました~。アハッ…

 このところどこかへ出かけたりすることが多くて、ブログもその観光名所の報告のようになって…〝これ俳句のブログじゃないの?〟なんて言われたりして、〝まっこと〟そうですよね。ゴメンナサイ!

 では、今日は俳句の話に戻りましょうか。先週東北へ出かけて振り替えをしていたところの俳句教室を今日しました。兼題は〝初霜〟で、初冬の季語。

 この季語はけっこう難しかったみたい!なぜかというと〝初〟がくせ者なんですよ。〝初〟がなくて〝霜〟だけならば、三冬…即ち冬の間ならいつでもいいということなんです。〝初〟が付いたばっかりに、その冬の、初めて降りる霜なんですから、そうそう何度もあることではないんですよね。普通〝初〟を付けると新年の季語になりますが、このように「初霜」や「初花」「初秋刀魚」「初時雨」のように、そのものが初めての物という意味で使われる季語ですので、十分に考えて、それらしく詠まねばなりません。

 今回はみんなどうしたんでしょう。ちょっと考えただけでもヘンな句が多かったですね。例えば、〈初霜を蹴って…〉とか〈初霜の音を…〉とか。〝何か勘違いしてない?〟と聞くと、??? 〝大霜や強霜ならいざ知らず、蹴ったり、音がしたりなんて、あり得ないんじゃない?〟と。すると、やっぱり私の想像した通り〝霜柱〟の勘違いでした。他にも〈初霜を踏む足楽し…〉がありましたが、これもきっとそうでしょう。

 また、〈初霜や尻跡残るすべり台〉という句が出ていて、結構点が入っていました。そこで採った人に、〝これ時間はいつ頃だと思ったの?〟と聞くと、〝早朝です〟〝じゃあだれの尻跡?〟と言うと、〝小さい子供の…〟と。ほら、おかしくありませんか。何とも思いません?そんな早朝に小さい子供がすべり台で遊んでいるなんて…ましてや霜の降りている寒~い朝ですよ。母親なら、霜が溶けて暖かくなってから遊ばせるでしょうし、朝ご飯も食べさせないと…

 ほら、矛盾が見えてきたでしょう。だから作者に〝これ実景?〟と聞くと、〝社宅の公園のすべり台なんですが、想像して…〟と。そうなんです。これが頭で作るということなんですね。

 では、今目の前に〝初霜〟が降りていなければどうすればいいのでしょう。そうそう今見てるものだけを詠むというわけにはいかないでしょうからね。だからいつでも何でもしっかりと見ておくことが大切なんですよ。今すぐには必要なくてもどこで生きてくるか分からないのですから。

 そこでこの句は〈初霜や日の差し初むるすべり台〉として、〝今年初めて霜がうっすらと降りているすべり台に、朝日が差し始めてきらきらと輝きはじめる〟という写生の句に直しました。

 ところで、次の句が歳時記にありました。〝初霜〟というのはこんなものでしょうから、参考にして詠んで下さいね。

  初霜のあるかなきかを掃きにけり      鷹羽狩行

 明日は、今日以上に寒くなるそうなんですが、実は吟行に行くんですよ。しっかり着ていかなくっちゃ!では、また…

 写真は、常盤公園の椅子に子供の遊びが書いてありました。子供の頃よく歌ったりして遊んでいましたので、どれも懐かしい!


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2 コメント

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 (風の盆)
2019-11-20 19:02:27
霜というと霜柱を連想するが、違うか
なる程
しかし、霜柱は地面に出来るんだな
コンクリ-トに囲まれた生活では分かるかな

昔の冷蔵庫は霜が出来たが

>初霜のあるかなきかを掃きにけり  鷹羽狩行
そんなものか
すぐ消えてしまうか
消え去れば分からないか

おちゃらか
ちゃつみ
しまおしくら
なべなべ  か

この中で「なべなべ」は知らない
「しま」と言う言葉は子供で分かるかな
堅気の衆では使わない言葉だな

>昔は修学旅行が東京で、芦ノ湖遊覧でその度にあの海賊船に乗ったけ。
関東者には箱根の山を越えるとは、坊ちゃんの夏目漱石じゃないが、異国だったな

>俳句は短い分、多くの約束事が…というより暗黙の了解かも
そうなんだな
部外者には分からない世界があるな

>祭ももともとは、京都の葵祭を言っていましたから
宮廷は京都にあったからな

古典芸能では身体で覚えさせる
軍隊のように理屈じゃなく、身体と身体で叩き込むんだな
そして論理や理屈はあとからやってくる
意外と後から考えると、理屈に合うものが多い
中には屁理屈やこじつけもあるがの

しかし、祭りが葵とは、そこから発祥したと言われると成る程だな
やはり、理屈が合うと納得するな


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Unknown (ちわき)
2019-11-21 10:37:30
風の盆さん、お早うございま~す!
いつもいつも…アリガトウございます。
関東者…なんですか?
八尾の〝風の盆〟とは関係ないんですかね。それとも生れ故郷とか…
まあ、そんなことはどうでも…ゴメンナサイ!
先日の季語は〝旬〟ということで、大事なことを忘れていました。これはあくまでも自然にのっとっての〝旬〟ですから。現代の人工的な手の加わってものではありません。
しかし、いくら自然といってもこのところの地球温暖化で花も木も作物も…野鳥の生態でさえ狂ってきているような気がします。だからこの先季語の合わないものがドンドン増えてきそう…
また、外来のものが増えまくっていますが、これは昔なかったものですから、歳時記には当然入っていません。
でも、最近の人はそれが現実に目の前にあって、見たり食べたりしていますので、季語としていいと思って使うんです。
〝歳時記にないからダメ〟と、一辺倒に決めつけるのは余り好きではありません。ではどこまで許容できるかということは非常に難しい問題ですね。たとえ私が認めたとしても、ほかのだけにも分からなければ意味のないことですもの。
俳人協会にも季語検討委員会(?)のようなものがあって、年々見直しはされているようですが…。これも結社や個人差があるので、早々簡単に決まることではありませんし…
やはりある程度人々に浸透するまでの時間が必要になると思いますので…。
しかし、季節が少々ずれたとしても、本質的にはそのものが生(人も含めてすべて)を謳歌し、その生を全うすべく精一杯生きている姿は時代が変っても、何ら変わりは無いのですから、それを詠っていくぶんには問題はないと、私は思っています。
歳時記は、俳人の共通の羅針盤ではあっても、それに縛られることはないと…
門外漢?…いやいや、〝専門〇〇〟という言葉がありますが、それよりず~っといいですよ。むしろ却ってそういう人たちの言葉に〝ウ~ン!〟とか〝アレ?〟とか思わせられることがあって、とても参考になります。
ましてや博識家の風の盆さんのご意見は本当にアリガタイ!
どうぞこれからもよろしくお願いしますね。
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