ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

馬醉木鍛錬会・多治見修道院

2019年11月12日 | 俳句

 いよいよ最後の吟行地、〝多治見修道院〟です。前の虎渓山〝永保寺〟からバスで15分足らずのところにありました。着いた途端あまりにも美しいその外観に見惚れましたよ。

 この多治見市にある神言修道院は、1930年(昭和5年)カトリック神言修道会(神言会)の、ドイツ人宣教師モール神父によって、日本人司祭と修道士の育成を目的に設立されました。当時は、外国からの宣教師が大勢ここに来て、日本語の勉強をしながら修道生活を送り、また、キリスト教を宣教するためにも派遣されました。

 中世ヨーロッパを思わせる外観の本館は、建坪1,000坪で地上3階。地下1階のバロック様式の木造建築です。設立後30年間は日本における神言修道会の本部として機能しましたが、神言会の宣教の拠点が名古屋市に移されてからは、併設の修練院を中心に神言会の神学生の修練の場所となっています。建物は白い壁と2つの勾配を組み合わせた赤いマンサード屋根、そしてドーマー窓が見事なバランスで配置されています。

 中に入ると、正面中央に祭壇があり、半円形ドームの天井に鳩と、周囲の副祭壇の壁にキリストの生涯を描いた10枚の壁画(フレスコ画)があります。天井に近いステンドグラスからは軟らかい光が差しこんで、しばらく祭壇の前の椅子に座っていると、とても神聖な気持ちにさせられました。

 

 また、3千坪もの広大な畑で育てられている葡萄は、醸造された後に「修道院ワイン」となります。設立当時からミサで使うために葡萄栽培をしていて、多治見産のワインとして広く親しまれているそうです。ここに着いた時、確か入口でワインを販売していましたが、あとで聞くとすぐに売切れたんですって。葡萄畑ももう殆ど収穫された後でしたが、アアッ、摘み残しの小さな葡萄を見~つけた~…??? その葡萄畑を抜けて奥の方へ行くと、修道院の墓地があり、全てが寝墓で、外国人に混じり日本人の洗礼名もかなり。この墓地には、宣教師としての使命を全うされた神言会司祭や修道士の方々が永遠の眠りについておられます。もう夕方も近くなって、写真を撮っている私の影がこんなに〝足長おばさん〟になってるでしょ。アハハ… 葡萄畑の写真は撮り忘れたので、お借りしました。ゴメンナサイ! ちなみに、寝墓というのは、辞書には載っていないのですが、クリスチャンなどの西洋の墓で、俳句ではよく使うんですよ。他に十字墓と言ったりもしますが…。  

カトリック多治見修道院

 

 更に修道院の裏庭には、世界中から巡礼者が訪れるという南フランスの聖地「ルルドの洞窟」の一部を再現したものがあります。言い伝えでは、1858年に聖母マリアが18回にわたりルルドの洞窟に出現され、そこから奇跡の水が湧き出たといわれていますよね。

 

 

 これで馬醉木鍛錬会のことは終りです。今からまた14日まで出かけますのでお休みします。どこへ行くのかって?それはナイショ!帰ってからのお楽しみで~す。では、また… 


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2 コメント

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女の園 (風の盆)
2019-11-13 16:47:59
高野山などは昔は女人禁制だったとか
山伏の世界も、あるいは仏教の修道場も男の世界だな
水上勉が幼少の頃、京都の寺に預けられていた、男の世界だな
あるいは武田泰淳も坊主だったな
異形の者だったかな、男の世界だったかな

修道院とは女の園だな
その昔は女の園だったな
しかし、今では婆さんばかりかな

修道院はよく知らないが、キリスト教もよく知らないがプロテスタントも修道院とはあるのかな

昔の修道院は外の者は、中に入れなかったとか
刑務所のように金網ごしに会話をしたと
しかし、今でも修道院は祭壇には男を入れない場所があるとか
空気のような塀が存在すると
たとえ神父でも、一線を超えられないと

神父、カソリックでは妻帯を許さないと
葷酒山門に入るを許さずだな
だから、身の回りには近場の者が神父の世話をすると

>ルルドの洞窟
よく聞くな
奇跡と言うか霊感を持った者はいるんだな
宗教の創始者には、その類の話を聞く

>石田あゆみ〟のファンですか
ファンでも贔屓筋ではないが、印象に残るんだな
ファンとは有難いものだろうな

男はつらいよの石田あゆみは題材が良かったな
寅が狸寝入りをしたのは初めてではないかな

倉本聡が「北の国から」を描いた
NHKを干されて、北に行って描いた
石田あゆみが富良野に子を見に行くんだな

俳優の業は 一瞬を飾ると言われるが
石田あゆみは、その事を認識していたな
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Unknown (ちわき)
2019-11-16 09:36:10
この多治見修道院はどうも女の園ではなさそうでした。だって墓地の刻まれている名前が洗礼名は分かりませんが、カッコで日本名が書いてあり、それを見るとみんな男性でした。
そういえば、北海道へ行ったときの修道院は女性ばかりのようでしたが…
ここ多治見では司祭や修道士の育成…ということは男性ばかりなんでしょう。女性なら修道女といいますもの。
私はキリスト教(?)には全くの門外漢なので、友人にいつも〝違います!〟といって諭されるのですが、…よく分かりません。神父と牧師は違うとか…着ている服も違うし…とか。
私にはみんなキリストを信仰している人たち…十字を切ってお祈りする…アーメンという人たち…み~んな同じにみえてしまいますから。友人から言わせると、要するにちゃんぽんになっているらしいのですが…
〝みんなちがってみんないい〟じゃん、同じ仲間なんでしょ!と、思ってしまいますが、意外と排他的なんですね。
まあ、宗教は難しい!戒律もいろいろ…要するにその道に入ってみないと、本当のところは理解できないのだろうし、またちょとやそっとの期間では無理なんだろうし…
何にでも言えることですよね。
今からまた、文化祭の展示に行って来ますので…また。
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