ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

宇部市〝俳句の集い〟の表彰式

2020年11月30日 | 俳句

 はあ!とうとう11月が終わります。いよいよ12月、〝師走〟に突入ですね。

 今日は先日書いたように、満月なんですよ。英語圏では満月に様々な呼び名がありますが、11月は「ビーバームーン」と。この時期は、ビーバーが冬を越すために巣作りを始めることや毛皮にするビーバーを捕獲するための罠を仕掛ける頃のため、このように呼ばれるようになったんですって。さらに今夜は「半影月食」が見られるんだとも。 半影月食とは、地球の影に月が半分隠される現象で、月が欠けて見えるのではなく、一部がグラデーションのように少し暗くなった状態で見られること。 今年は日本から半影月食が3回見られ、1月11日、6月6日に続く3回目が、今夜11月30日の夕方から宵にかけて起こり、食の始まりは16時32分頃、食の最大が18時43分頃、食の終わりが20時53分頃なんだそうです。

 それで、ちょうど最大の7時前外に出て写真を撮りましたが、ウ~ン、分かりますか?やっぱりスマホではダメですね。でも、まあ見て下さい。

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〝冬の月〟と〝寒月〟と〝寒の月〟

2020年11月28日 | 俳句

 今日はお天気は良かったのですが、意外と風が冷たくて、夕方日が暮れかかるとぐっと冷えてきました。それもそのはず、最高気温が14度で、最低気温は4度なんですもの。

 外に出てみたらナント月の美しいこと!名月にも十三夜にも決して引けを取りませんよ。しかし、やっぱりこれは秋の月ではなく「冬の月」ですね。歳時記には、〝さえざえと冷えきった大気のせいか、それとも寒さに震えるこちらの心持ちのせいか、冬の月は他の季節に比べて小さく引き締まって見える〟と書いてありましたが…

 写真は、今日28日の月です。30日が満月ですので13夜月になるでしょうか。明日も明後日も最高気温は13度と低いのですが、最低気温が7度ですから今夜よりはましかと。天気予報も晴のようす。きっとお月様が今夜以上に美しいことでしょう。これからもっともっと寒くなって、最低気温が零度近くになってくると、間違ってはいないのですが、〝冬の月〟では物足りなく感じると思いませんか。そこで「寒月」や「月冴ゆ」「月氷る」というような季語がちゃんとあるんですよ。

 「寒月」は「寒の月」とも詠みます。でも〝カンゲツ〟という音読みの方が一段と冷厳な感じの月に思われるでしょう。意味的には全く同じものなんですが、短詩型の俳句にとってはこの音の響きというのはとっても重要な働きをするんです。

  寒月を鏡にうつす狂女かな          高桑闌更

  荒海に人魚浮きけり寒の月          松岡青蘿

 ふたりとも江戸中期の俳人。高桑闌更(たかくわらんこう)は、加賀金沢の人で、中興期の芭蕉復帰運動に大きく貢献しました。松岡青蘿(まつおかせいら)は、播磨国姫路の人で、蕪村とも交流があったそうです。

 この二つの句を比べてみると、「寒月」には一点の隙も無いような厳しさ、片や冷たいけれどどこか包容力のある「寒の月」だと思いませんか。前句には〝鏡〟と〝狂女〟、後句には〝荒海〟と〝人魚〟と、それぞれ酷な取り合せになっています。しかし、童話的な人魚に比べると狂女の方が現実味があってすさまじい感じを受けるに違いありません。だとすれば、例えばこれを、〈寒月の荒海に浮く人魚かな〉とか〈狂ひ女の鏡にうつす寒の月〉などに変えてみた句を読んで、比較してみて下さい。いかがですか?

 このように意味は同じでも句のイメージが全く違ってくることがお分かりでは。これが、俳句の大事なところなんです。言葉というものは単なる「伝達のため記号」のようなものではなく、心と心を通い合わせるもの、即ち〝言霊〟なんですよ。だから発声の高低によってもその言葉の順番によっても、伝わる温度や強度などが違ってくる…そう言葉は生きているのです。そして、その力を借り、それを駆使して、自分の心を伝えようとするのが俳句なのです。ならば、一字も一音もおろそかには出来ないんですから、鑑賞する方も一字一音も見逃さずに読み取って下さいね。お願いします。

 写真の1枚目、2枚目は今日の6時頃、同じ時間なのにズームで撮ると暗くなりました。3枚間は昨夜…というよりこれも6時半ごろなんですが、雲が多かったからでしょうか。この程度ならまだまだ「冬の月」で良いような気がしますね。

  (しずか)なるかしの木はらや冬の月        与謝蕪村

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〝ほつこり〟が季語だったなんて、ビックリポンです!

2020年11月26日 | 俳句

 今日は一日中曇りの天気予報でしたので洗濯を諦めかけていたのですが、窓から日が差してきたり、青空が見えたりと、よさそうな天気…それで急いで洗濯をして干しました。が、夕方戻ってみるとカラッとまでは…

 午後からは俳画教室でした。宇部では今のところコロナが一息ついていますので、先月から教室が以前のところに戻っています。やっぱりかってが分かっているし、筆や硯を洗う流しも傍にあって便利です。この部屋はコロナの自粛中は12名までしか使用できなかったのが、今は24名まで。ということでぎりぎりセーフなんです。

 今日はいつものN先生がお休みで、大先生のM先生が代理で指導されました。画題は〝狸のお使い〟です。これは以前にも何度か描きましたが、やっぱり難しい!

 描き上げて先生に見ていただくと…〝ここがちょっと空きすぎたわね〟と。〝先生、この狸雌ですかね、それとも雄?〟〝私は雌のつもりで描きましたけど…〟と。〝そうですよね。だからここが物足りないんですか。アハッ…〟この会話、どういうことか分かります?ということで、もう一度描き直しましたよ。ハイ!(笑)

 それではもう一つの兼題の〝焼藷(芋)〟について書きましょうか…

 この句会の時、例のごとくSさんがみんなに焼藷を作って持ってきてくれました。その時にもう一つ銀ケースに入ったものを…〝何、これ?〟と聞くと、〝開けてビックリ…ですよ。見る前に当てて下さい〟と。彼女は毎年これを持って来てくれるので、〝干柿!〟と言うと、〝ブー〟…さて、何だったでしょうか?答えは〝椎の実〟でした。いつもアリガタイこと!そうしていると、遅れて来たHさんが…また、何かを…。今度は〝銀杏(ぎんなん)〟でした。一人一人ビニール袋に入れてきてくれて…。本当にお二人さんには、感謝、感謝です!

 そういえばHさんは俳画でも一緒なんですが、今日ここでは柿をひと箱持ってきて、みなさんに配っていました。また、また感謝ですよ。

 ところで、「椎の実」「銀杏」「柿」は秋の季語ですが、「焼藷」は冬の季語なんです。今の歳時記では、焼藷は殆ど「芋」の字が使ってありますが、〝いも〟という漢字には三つあって、焼いもは本来サツマイモですので「藷」の字が正解。概ね「芋」はサトイモ、「薯」はジャガイモをさしますので、俳句ではそれぞれ使い分けているのですが…。例句をみると古い句には「藷」を使っている句がほとんど。でも、だんだん「芋」という字が多くなって、まちまちでした。町中やスーパーなどで見かけるのもみんな「焼芋」になっていますものね。時の流れでしょうか。

  鉤吊りに焼藷菩薩壺を出づ       皆吉爽雨

 この句について書こうと思ったら、すでに2020年03月25日の「〝焼藷(やきいも)〟の話だよ!」に書いていましたので、それを再掲します。前後の記事は省きましたが、よろしかったらそれもどうぞ。

 ところで、他の方のブログを拝見すると、ある記事の一部だけ載せてそこをクリックする、もしくはURL(?)を載せてそれをクリックすると、その全体が出て読めるようになっているのですが、どうしたらそのようにできるのでしょうか。こういうことには全く無知で…どなたかこっそり教えて下さいませんか。

 …(前略)…ところで、〝焼藷〟は冬の季語。江戸に焼藷屋が現れたのは寛政5年(1793)といいます。栗に近い味の意で「八里半」という行灯(あんどん)を出して売り始めたのですが、その後、栗より(九里四里)うまいという意で「十三里」などの看板も現れました。屋台の石焼藷屋は、関東大震災で東京の焼藷屋の店舗が激減した後、盛んになったということですよ。

  鉤吊りに焼藷菩薩壺を出づ       皆吉爽雨 

    (かぎつりにやきいもぼさつつぼをいづ)

 今では殆どの焼藷屋さんは軽トラックなどに専用の釜を積み込んで、笛を鳴らしたり、「いーしやぁーきいもー」という独特の節回しで売り回るのが定番になっています。また、お祭りなどでお店を出していたりもしますので、何度か買って食べたことがあります。今はスーパーでも売っていますので、つられてつい買ってしまうことも。

 上掲の爽雨の句は、壺の中で藷を吊るして焼く〝壺焼藷〟のこと。私の子供の頃は駄菓子屋などでよく見かけましたが、壺型の器の中に鉤の手の針金で藷を吊し蒸し焼きにするものです。その鉤で吊り下げている藷を〝菩薩〟に見立てたものでしょう。しかし、庶民の食べる藷という超世俗的なものと俗世を超越した仏、それもお釈迦様が修行中の頃の姿であるという菩薩なんて。それを結びつけたところが、なんとも可笑しくってつい吹き出してしまいそう。さて、さて、お藷菩薩様はこんがりと色よく焼かれてどんなお顔で出てこられたのでしょう。想像するだけでも楽しくなりませんか。更にそれをアッツといいながら、菩薩の頭からパクりと…ああ、これぞ至福のひととき!……なんて、…いかがですか?…(後略)…

 さて、この句会での最高点句は〈焼芋や分けてほっこり暖を取る〉という、去年入会した新人さんの句でした。どうも〈ほっこり〉という表現に惹かれたのか、それとも他にいい句がなかったから?…アハッ、失礼!…

 すると、Kさんが、〝先生、ほっこりは焼芋の傍題にありますよ〟と。エエッ、これはビックリポンです。すぐに歳時記を確かめてみると、ありました!角川俳句大歳時記ですよ。例句はありませんでしたが…。まさかこれが季語になっているとは…トホホッ…知りませんでした。さすがは馬酔木同人のKさん!参りました!

 また一つ勉強させて貰いました。それではと、この句を〈焼芋をほくつと割りて夫(つま)と食ぶ〉と直すと、作者からイヤイヤをされてしまいました。(笑) 実はこの新人さんというのはご夫婦で入会されて、この句は奥さまの作だったんですよ。それでは〈焼芋をほくつと割りて子と食ひぬ〉にしましょうかというと、やっとOKが出ました。(大笑)

 ついでにインターネットで「ほつこり」という季語で詠んだ句があるのか探してみました。なかなかありませんでしたが、やっと一つ見つけましたよ。これです。

   ほつこりと食ぶるほがほが言ふ人と        茨木和生

 写真は、「数珠玉(じゅずだま)」です。先日の吟行地で見つけたのですが、これは秋の季語。葉はトウモロコシの葉に似てやや小さく、黒や灰白色の堅くつややかな丸い実をつけます。その実の芯を抜き、糸を通すと数珠になり、子どもたちはそれを首飾りにしたり、お手玉に入れて遊んだりします。

 私も子供の頃よくこの数珠玉を取りに行って、遊んでいましたので、とっても懐かしい!

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兼題は〝納豆〟

2020年11月25日 | 俳句

 一昨日は勤労感謝の日の祭日…でも句会でした。昨日もまた俳句教室。これで今月の俳句教室の予定は終りです。本当なら29日(日)が宇部市芸術祭「俳句の集い」の俳句大会だったのですが、新型コロナウイルス感染拡大の恐れにより、先日の会議で中止と決定しました。しかし、選句結果での受賞者は決まっていますので、当日はその授賞式のみ行うということでした。

 とても残念なことですがこれも仕方の無いこと。他の部門も殆ど中止のようでしたから、淋しい宇部市芸術祭になってしまいました。その芸術祭のフィナーレを飾り、12月20日(日)に「第九演奏会」が全席指定で予定されていますが、これはどうなるんでしょうか。まだ中止の報は出ていないようです。こんなことはきっと宇部市でも初めての経験でしょう。来年は宇部市が〝市制施行100周年〟を迎えての事業やイベントなどが早くから企画されて、気合いが入っていたようですが…。

 果たしてこのコロナが今後どうなることやら。宇部だけのことではありませんし、今のところ日本全国全く見通しがたちませんもの。

 実は、宇部市長だった久保田后子さんが体調不良と骨折のため、急遽3期目の途中でしたが、10月22日付で辞職されたのです。そのため1ヶ月後の22日に市長選挙が行われ、新宇部市長が24日付で39歳という若い篠崎圭二氏に変わったんですよ。

 昨日のニュースでは、篠﨑圭二新市長が宇部市役所の多くの職員に出迎えられて初登庁した様子が流れていました。「一つ一つの課題に正面から向き合い、職員の皆様と一緒になって、課題の克服に取り組み宇部市の未来がよりよいものになるように、一生懸命取り組んでいきたい」と述べられたようです。また、今早急に取り組むべき課題として新型コロナウイルス対策をあげて、大きな影響を受けている事業者などへの経済的な支援を行いたいとも。篠﨑市長の任期は2024年11月21日までの4年間。さて、さて、これからどんな宇部市になっていくのかしら?昨日は山口県のコロナ感染者も岩国市に1人だけだったようなので、これで少しは落ち着いてくれるといいのですが…ね。

 ところで、一昨日の句会の兼題は「納豆」で、昨日のは「焼芋(藷)」でした。どちらも冬の季語です。しかし、難しいといえば、「納豆」の方でしょう。俳句をしていなかったら、この納豆が季語だなんて思いもしなかったでしょうしね。だって、スーパーでは年中売られているんですから。

 なぜ冬の季語になったのかは、納豆を作る過程からきているようです。というのも納豆を作る工程で一度冷やさねばならないのですが、昔は人工的に低温環境を用意することが難しかったので、自然と冬に作るものとなり、冬の季語になったということでした。

 しかし、納豆にも二つ系統があって、一般的にはよく蒸した大豆を藁づとなどに入れ、適温で納豆菌を繁殖させて作った「糸引き納豆」を指し、これが冬の季語。もう一つは蒸し大豆に麦こがしと麹を加え発酵、塩水に漬けて熟成させ、乾し上げたもので、「大徳寺納豆」「塩辛納豆」などといわれているもの。後者は、古来もっぱら寺院において行われていたもので、夏に造ると最もいいものができるというので、「納豆造る」が夏の季語になっています。それで、できた「大徳寺納豆」や「塩辛納豆」なども夏の季語なんですよ。私は食べたことないけれど…。

  有明や納豆腹を都まで

  糟糠(そうこう)の妻が好みや納豆汁(なっとじる)

 前句は、小林一茶の句です。後句は…誰だと思いますか?なんとあの高浜虚子なんです。ビックリでしょ!こんな句を詠むということは虚子本人は納豆が嫌いだったのでは?考えてみれば、関西以西では納豆嫌いが多く、関東は好きな人が多いと。だとすれば、虚子は愛媛県の松山だから嫌いという確率が高いだろうし、妻は東京育ちならば当然納豆好きと考えられますものね。ちなみに、虚子の奥さんは、虚子の下宿していた家の娘さんだったということですから、当然東京の下宿屋の朝ご飯には納豆がよく出たんでしょう。好きな娘さんが出してくれる納豆ですから、虚子も渋々食べていて、そのうち好きになったかも。〈糟糠の妻〉というのは、貧乏なときから連れ添って苦労をともにしてきた妻のことをいいます。

 一茶の句は、〝早朝、空には淡くまだ有明の月が残っているよ。この朝餉の納豆汁を食べた腹で都まで行かねばならぬが…〟というような意味ではと思うのですが、どうでしょうか。一茶が48歳の時、文化7年(1810年)から書き始めた『七番日記』の、その年の作のようです。

 この頃の一茶は遺産相続問題で度々江戸から信濃へ帰郷していたようですから、都へ戻る旅立ちの朝、どこかの宿で食べた納豆汁だったのかも知れませんね。安くて栄養があり、体が温まる納豆汁は、当時の冬の常食だったのでは。しかし都までの長旅では直ぐに腹が減るだろうなあという不安もあったかも。一茶は貧しい暮しをしていたようですからね。詳しくは調べてみないと解りませんが、『七番日記』には〈百両の松をけなして納豆汁〉という句も同年に詠まれています。ついでにいうと、昔は「納豆汁」や「納豆売」が詠まれていて、「納豆」だけでは詠まていなかったようでしたが、いつ頃からこの納豆だけで季語になったのでしょう。

 私が子供の頃は殆ど納豆は食べなかった気がします。きっと九州人の両親が食べ付けていなかったので嫌いだったのかも。主人は子供の頃に納豆売の声を聞いていたと。それも藁づとに入った納豆だったって…。ヘエッ、広島なんですけどね…。

  このように「納豆」という季語一つにしても、いろいろと奥の深い話があります。まだまだ知らないことは山ほどあるでしょう。今からではもういくら勉強しても追いつきませんね。トホホッ…

 写真は、〝ランタナ〟で、季語ではありません。夏から晩秋まで咲くという息の長い花ですが、今年は早12月になろうかというのに、まだ綺麗に咲いています。ナント、ナント…ですね。

 

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〝きらら俳句教室〟第7回目で~す!

2020年11月22日 | 俳句

 ぼやぼやしてたら今年も今日を入れたらあと40日ですよ。どうしましょう? 何を? いや何かワカリマセンけれど…そんな気分なんです。

 だって先日からのコロナのニュースを見ていると、あれよあれよとうなぎ登り…。本日感染者の最多数が出た所は…と、全国地図に真っ赤に塗られた県が…。見ると、あれ!山口県が入っているじゃありませんか。あの時は18名だったかな…。びっくりしました。以前感染者数が0の県などを見たときは半分ぐらいあったのに、この時はたったの4県でしたよ。恐ろしいことになりそうで…コワイ!

 報道によれば、国内感染者が5日連続で2000人を超えるなど、第3波は大きくなる一方、無症状の感染者も多いものの、それよりも重症化リスクの高い中高年の感染が増えてきているのが心配ですって。だって、今日国内死者も2000人を超したんだとか。

 昨日21日、新たに確認された新型コロナウイルス感染者は全国で2586人で、4日連続で過去最多を更新しています。東京は539人、埼玉173人、千葉109人、大阪415人など各地で過去最多を更新。政府は、新型コロナウイルス感染症対策本部を首相官邸で開き、菅首相が「感染拡大地域を目的地とする新規予約を一時停止するなどの措置を導入する」と表明したようです。今日などは、大阪府が東京を抜いて過去最多…どころか全国最多の490人だったとか。この数字を見るともう止めようがなさそう!

 しかし、再び経済に大打撃を与える緊急事態宣言のような厳しい自粛に逆戻りするのはどうなんでしょうか。私にはよくはわかりませんが、せめてそうならないためには、家庭内感染や職場クラスター(感染者集団)から身を守る必要がありますね。専門家は「3密」(密集、密接、密閉)回避だけでは不十分だとして、具体的な自衛策を挙げているそうですが…。どんな自衛策があるのでしょうか。早速調べて見ないと…

 山口県でも20日、20~70代の男女23人が新型コロナウイルスに感染したと発表しました。1日当たりの感染発表は2日続けて過去最多を更新。そのうち岩国市は18人に上り、クラスター(感染者集団)が相次ぎ発生している繁華街などの飲食店関連で12人の陽性を確認。ということで同地域を巡る感染者は58人となっています。さらに県は22日、岩国市、宇部市、美祢市の20~60代の男女7人が新たに新型コロナウイルスに感染したと発表。その7人の内訳は岩国市5人、美祢市と宇部市各1人。県内での感染確認は再陽性の2人を含めて延べ351人となりました…ですって。

 宇部市に1人とは?…まだ市の広報には出ていませんでしたが、先ほど見ると50代の男性会社員で宮崎市患者の接触者だそうです。9月27日から1人も出ていないというので、少しは安心していましたのに…。またこれから増えるのではないかと心配です。やっぱり油断大敵ですよね。アブナイ、アブナイ!

 ところで、このところ特別に忙しかったので書くことが溜まってしまいました。さて、さて何から始めましょうか?

 では先ず一番近いところから…昨日の〝きらら俳句教室〟の第7回目からいきましょう。

 今日はもう朝から曇りで午後は雨がシトシト降り出し…なんですが、昨日は暑いぐらいの良い天気でしたよ。アラまた、また…アハハハ…

 いつものように9時30分より20分ほど講義をして、それから公園のいつものコースを吟行です。講義の時、紅葉の話を少し。季語に「紅葉かつ散る」というのがあって、これは晩秋の季語。「紅葉」だけでも季語なんですが、この季語の「かつ」というのがとても重要な働きをしています。漢字では「且つ」と書き、〝一方では〟とか〝同時に〟という、二つの動作・状態が並行して同時に存在することを表す語です。ということで、この季語の意味は、木々の葉が紅葉しながら同時に散るということ。

  紅葉且散るひとひらはまなかひに       杉本 零

 ところが、「紅葉散る」または「散紅葉」というと、これは初冬の季語になるのです。要するに「紅葉かつ散る」のは、紅葉した葉が木にまだたくさんあって、それが一つ二つと散り始めている景だということ。しかし、「紅葉散る」は〝散る〟方に重点があるので葉はかなり少なくなっているでしょうし、散る状態も次から次にハラハラという感じでなんです。また、「散紅葉」というと、これはもう地面いっぱいに散り敷いた葉のことなんですよ。このように雅ないにしえ人たちの目はいつも自然の微妙な移り変わりをとらえて歌や句に詠んでいたんですね。それだけ昔は自然と一体になれるようなゆったりとした世の中だったということなんでしょう。今は煩わしいものが余りにも多すぎて…ナント心にゆとりのないこと。

 こんな話をして吟行したものですから、どこへ行っても、〝ほら、これも紅葉且つ散るですよ!〟と、みんなとても賑やか。今回出た季語で一番多かったのは〝枯葦(かれあし)〟、他に〝小春日〟〝冬ぬくし〟〝鳰(かいつぶり)〟〝冬紅葉〟〝鴨(かも)〟〝冬すみれ〟などが出ました。

 今月の最高点句は〈小春日や池のさざ波煌めきて〉、次点句〈ここだよと香りて誘う冬すみれ〉でした。

 また一つ勉強して…賢くなったことが!「ハマヒサカキ」の花が今満開で、その枝には実もたくさん付いていて、色が綺麗だねえ~などと話していると、レンジャーのNさんが、〝これは去年の実なんですよ。〟と。花と実が共存しているが、この実は去年の花のものということなんですって。ヘエッ、そういう植物もあるんですね。植物は全て、花が咲いたら直ぐに実になるのかと思っていました。ハイ、為になりました。アリガトウございます。

 ちなみに調べて見ましたら、「ハマヒサカキ」は、浜姫榊、浜非榊と書いて、ツツジ目/サカキ科/ヒサカキ属です。海辺に生える常緑の低木で、雌雄異株。花期は、11月中旬~下旬、結実期は、10月中旬~11月上旬。ヒサカキの仲間ですが、葉が丸っこくて縁がカールする。祭具としては代用せず、砂防林や公園などの生垣としてたくさん植栽されているが、自生はないと。ハマヒサカキが満開の頃は”ガス漏れ臭”がすることがよく知られ、ガス漏れ事故と勘違いした通報がされたり、異臭騒ぎが起こったりしたことも。アッ、大抵何でも匂いを嗅いでみるのですが、今回は忘れました。ザンネン! この実は一年かけて黒っぽく熟すんですって。もう一つ、雄花と雌花があって大きさが雌花は雄花の5分の1もないくらいですが、それが実になるのが雌木なんですよ。雄木は花だけで実ができません…アハハハ…当り前ですかね!アハッ…

 では、写真の説明を…。やはり冬は花が殆どなくて、〝枯れ色〟の世界ですね。

①きらら浜公園の湖 ②レンジャーのNさん。会員の方が作ってくれたマガモの帽子だってよ! ③ハマヒサカキの花。ボケましたけど…。これは季語になっていませんが、ヒサカキの花は春の季語なんですよ。 ④⑤ハマヒサカキの実。真っ黒になるまでにオレンジから紫色まで…いろいろあります。 ⑥トベラの実が弾けたもの。 ⑦シャリンバイの熟した実。 ⑧サルトリイバラの実。 ⑨冬すみれ。 ⑩カクレミノの葉。塩害で一度枯れて若葉がでたもの。

 

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兼題は…今度こそ〝水鳥〟ですよ!

2020年11月18日 | 俳句

 このところ午前中は晴れて、午後より曇りの日が続いています。気温も20度と…最低でも14、5度ですよ。先日の寒さがウソのよう、こんな暖かいのはとても嬉しいことですけれど…、今度は異常気象への不安が高まります。

 月曜日に代車が来ましたが、今までのよりもちょっと大きい車…、こわごわの運転です。昨日も、リハビリへは行きましたが、余りあちこちへ出歩く気にはなりませんので、用のないときは家でおとなしくしています。

 しかし、今日もナント暖かかったこと、最高気温は22度でしたよ。またまた恒例の吟行会の日でしたから…アハハッ…。でも、その話は今度にして…

 では、やっと持ち越している兼題〝水鳥〟について書きましょうか。何だか気の抜けたビールのようですが…ゴメンナサイ!

 〝水鳥〟というのは、水に浮かぶ鳥をまとめていう冬の季語です。鴨(かも)、雁(かり)、鳰(にお)、鴛鴦(おしどり)、白鳥、百合鷗(ゆりかもめ)など、多くは秋に北から来て春に北へ帰る冬鳥のこと。また、水に浮いたまま眠る姿を浮寝、浮寝鳥といい、詩歌にとってはこちらの言葉の方が重要だったようです。平安の歌人たちはこの浮寝に「憂き寝」をかけて恋の独り寝の心もとなさを歌に詠んだんですよ。例えば、『古今集』の〈なみだ河枕ながるるうきねには夢もさだかに見えずぞありける〉(読み人しらず)の歌のように。この和歌は〝涙で枕が流れるほど泣き続けて、そんななみだの河の上で浮き寝(憂き寝)をしたんでは夢すらはっきりとは見えませんでしたよ〟というような意味です。

 さて、歳時記の例句として次の二句を…

  水鳥や夕日きえゆく風の中       久保田万太郎  

  浮寝鳥一羽さめゐてゆらぐ水      水原秋櫻子

 前句には向島と前書きがあるそうですから、隅田川に棲む水鳥でしょう。日が落ちて暮れていこうとする中、風に吹かれながらただ水に浮かんでいる…これはきっと鴨の群でしょうか。夕方は餌をあさるので忙しいはずなのに、それももう一段落したのか、ここでは全く動く様子は見えません。後句の方は、〈一羽さめゐて〉とありますから、殆どが眠っている中の目覚めている一羽…静の中の動です。しかし、それは水の揺らぎで分かる程度のものだとすればかすかな動きでしょうか。とするとどちらも静謐な写生句なんですね。

 今回の句会では、〈水鳥や水面狭しと草をさけ〉という面白い句がでました。〝水面狭しとは分かるけど、草をさけというのはどういうこと?〟と聞くと、〝鴨たちがいっぱいで、中から草の方へ逃げてきたのがいたんです…〟と、作者。〝それじゃ〈草へさけ〉といわないと…〟(笑)

 そうなんですね。この助詞一字の違いは大きいですよ。先日の句会でもたくさん目にしました。特に初心者は自分の思いを詰め込もうとして無理をしますから、そのため助詞の使い方を間違ってしまうことが多いのです。音数に限りがあるからこそ、助詞の一音に集中して詠むことが大切ですね。

 そこで、この句は〈水鳥も三密避けて草の上〉と直してみました。「三密」などという今時だけの流行語(?)を使ってもいいの?という思いはありましたが…でも、面白いと思いませんか。しかしこうなると、これは川柳といっていいかも。

 ところで、ここでの〝三密〟とは、もちろん今のコロナ時代の「密閉・密集・密接」を指すのですが、これを辞書で引いてみると、「密教で、仏の身・口(く)・意のはたらきをいう。人間の思議の及ばないところを密という」とありました。即ち仏の不思議な働きが三密なのです。もしこのままコロナウイルスが収らず延々と自粛生活が続けば、そのうち辞書にも現代の三密の意味が加わるかもしれませんね。今のこの状態を、〝第二のスペイン風邪〟のようなものとして、将来子供たちが学ぶ日が来るのかもしれませんよ。おお、コワッ!

 それはそうと、先日〝鳥インフルエンザ〟が今年もどこかで発生したというニュースが流れましたが、それを聞くと、私はすぐにあの悪夢のような日が蘇ってくるんです。

 それは、2011年2月のこと。常盤(ときわ)公園で強毒の高病原性鳥インフルエンザの感染により黒鳥が死亡していて、そのため常盤湖で放鳥飼育する白鳥類358羽及び鴨類41羽が捕えられ、一羽残らず殺処分が行われたということ。

 それまで白鳥は宇部市のまちのシンボルでしたし、また、常盤公園の最大の売りの一つでもありました。友人や親戚の人が来た時は必ずこの白鳥を見にここへ案内しましたし、本当に自慢の公園だったんですよ。それがあっという間に一羽もいなくなって、まるで湖そのものが死んだようでした。後で知ったのですが、その時のことを題材に、2013年11月、児童文学者の中山聖子氏が児童書『ふわふわ 白鳥たちの消えた冬』を出版されているとか。今度是非読んでみたいと思っています。

 今の常盤公園では、冬の間は鳥インフルエンザ防疫対策のため、湖で飼育されている白鳥たち(今はまだコブハクチョウ4羽とコクチョウ1羽しかいませんが…)は屋内施設へと収容されていて安全なんだそうです。でも、あのかつての常盤公園の〝白鳥湖〟の雄姿をもう一度拝めるような日が…私には来るのかしら?

 写真は、我が家の〝茶の花〟、初冬の季語です。この木も台風の塩害で葉がチリチリになっていたのが、茶摘が出来るくらいの若葉が出てきて、花も咲かせたんですよ。生物はみな逞しいですね!

 

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兼題は〝水鳥〟…本当に書くつもりあるの?

2020年11月15日 | 俳句

 今日はもう11月15日、今年も残すところ1ヶ月半になってしまいました。というのに…このところのコロナはどうでしょう。全く収る気配が見られません。

 東京都によると、15日に確認した新型コロナウイルスの感染者は255人で、昨日まで4日続けて300人を超えていたのが、5日ぶりに300人を下回ったそうです。

 しかし、北海道では15日、札幌市が148人、旭川市が11人、函館市が5人、小樽市が1人の感染を確認していて、道内の新規感染者数は209人と、4日続けて200人を超えていましたよ。

 山口県内でも、新型コロナウイルスの感染者の大幅な増加はしばらく見られなかったのに、再びクラスター(感染者集団)が岩国市周辺で発生。13日に14人が確認され、14日には、新たに10人の感染が確認されたと発表されました。そのうちの20人は岩国市の接待を伴う飲食店の従業員と客。更に今日15日にも、岩国市で新たに8人が感染したと発表し、それもクラスターが確認された同市の接待を伴う飲食店の客やその家族たちということですので、山口県は同店を舞台にクラスターが発生したとして警戒を強めています。県でのクラスターは4件目だとか。

 その結果山口県の今日現在の累計感染者数は、266人となりました。幸いなことに宇部市では、9月27日に1人出てから以後は全く感染者が出ていません。しかし、何事も〝油断大敵〟ですから、いつでも気をつけて生活しないとと思っています。考えて見れば、本当にノーメイクにマスク、それに手洗いと消毒・検温はもう日常的なことになってしまって、忘れたりすると〝ああ、大変、大変!〟と…。それで、マスクは車の中にもバックの中にもいつも予備を入れていて、どこに行っても困らないようにしています。人ってすぐに馴らされるんですよね…アハハッ…

 ところで、10日の句会の兼題〝水鳥〟をブログに書くと言いながら、延び延びになって…。忘れてはいないんですよ。だから、6日の夜から7日に掛けて書きましたが、途中のままでしたのでUpせず…。そのままにして、この7日の午後と夜間の句会の準備をしてしまいました。まあ、夜帰って仕上げてからUpすれば…と、そのままで13時前に家を出ました。

 ところが、ところが、ところが…大変なことになってしまったのです。家から出て直ぐの交差点…といっても狭い路地の交差点なんですが、そこで大(?)事故!もう…説明もしたくありませんが、とにかくレッカー車が必要なほど我が車がぶっつけられて大破したんです。警察の人も真っ先に〝怪我は?〟と…。ところが、相手の方も私も無傷で…。不幸中の幸いだと言われましたが、車を見る限りはね~相手の車は大したことなくて…、商用車でした。

 でもその時は、そんなことより私の頭の中は1時30分からの教室に生徒さんが待ってるのに、どうしよう…ということで一杯。とにかくすぐに主人に来てもらいましたが、私の困っている様子を見て、警察の人も同情。レッカー車が来るまでみていてあげるから、送って貰いなさいと言ってくれましたので、何とかクリアー!ホッとです!バカみたいでしょ…笑って下さい!

 30分ほど遅れて着くと、みんなが〝先生、怪我は?〟と心配してくれていました。ご迷惑をお掛けしました。本当にゴメンナサイ!

 というわけで、昨夜はリンガーハットで食べて帰ったのが10時前。気分が悪いのですぐに寝てしまいました。今朝も今一つ気分がワルイ…。でも、いろいろと事故処理のこともありますので、仕方がありません。

 ブログも書く気にはならなかったのですが…でも、せっかく書きかけたものがあるのだからそれだけでも…と、開いてみると、今度は〝投稿する〟をクリックしていなかったので、消えてなくなっていました。トホッ…

 先日も書き上げたものが消えてなくなり悔しい思いをしたばかりなのに…また、やってしまいました!これぞまさしく〝泣きっ面に蜂〟でしょ!だから、兼題の〝水鳥〟は…またね。

 写真の花は、先日リハビリへ行ったときに生けてあったもの。初めて見る花なので名前を聞いたのですが、みんな知らないと…。調べてみましたが、分かりませんでした。もしご存じの方がいらっしゃれば教えて下さい。まるで今の私の気持ちみたい!きっと私の心の中にはこんな花が咲いているはず、きっと…ね。

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兼題は…またまた飛んで〝小春日〟へ!

2020年11月12日 | 俳句

 今日も昨日と同じ、昼間は日が燦々と照って温かそうです。このところまさに〝小春日和〟が続いていますね!

  半眼の大鹿坐る小六月         井上康明

 歳時記〝小春〟の例句を見ていて、この句がすぐに目に留まりました。なぜかって? 実は昨日ポストに郵便物を取りに行くと…一枚の葉書、そう、喪中葉書です。差出人の名前を見ると…井上?知らない女性の名前でした。

 ウ~ン、誰?もしかしてと…読んでみると、〝夫 憲正が…〟と、それも〝今年十月三十日に永眠致しました〟ですって。かつて机を並べて何十年も一緒に働いた同僚。同じ団地に住んでいましたので、何かと親しくしていた人でした。退職してからは、私が転居したこともあって滅多に逢うことがなくなりましたが、何かの折に逢ったら、体調は余り良くはない…とはいいながらも、声にまだ張りがあってお元気そうでしたのに。77歳ではちょっと早すぎませんか?

 それで、この井上という名字がすぐ目に留まったのでした。

 この句の作者、井上康明氏は、1952年生まれ。20代から俳句を始められ、飯田龍太に師事。「雲母」会員となり、それが平成4年(1992年)8月、蛇笏の没後30周年を期に900号で廃刊になると、平成5年3月廣瀬直人主宰「白露(平成24年終刊)」創刊に参加。平成25年1月には「郭公」を創刊、主宰となり現在に至る。
 句集に『四方』、『峽谷』。著書に『山梨の文学』(共著)など。山梨日日新聞社山日文芸俳句欄、毎日俳句大賞等の選考委員などと。

 経歴を見ていると、山梨県の県立高校国語科教諭を経て…とありましたので、県は違いますが、同職のよしみで何となく親しみのわいた方でした。

 この句を読んだとき、私は直ぐに広島の宮島を思い出したのですが、もしかしたら奈良公園かも知れませんね。〝半眼の…〟とくると、何となく仏像を想像してしまいますけれど、ここは「大鹿」。あの何ものにも動じないようにデンと坐っている大鹿…恐らく角の立派な老鹿ではないでしょうか。俳句では「鹿」だけで秋の季語なんですが、この句では「小六月(ころくがつ)」が主で、初冬の句。「小六月」は、陰暦10月の異称で、春を思わせるようなうららかな日和のある「小春」と同じこと。

 鹿は昔から人との繋がりが深くて、あちらこちらの地名などにもその痕跡が見られますが、また、〝神使(つかわしめ)〟とされて、奈良の春日大社や宮島の厳島神社などで神聖視されてきたものです。小春日和の中、目を半ば開けてじっと坐っている…まるで鹿の世を長老として見守っている威厳を備えた姿には、何かしら〝神々しさ〟さえ感じられたのではないのでしょうか?

 この句に描かれているのは、今の混乱したコロナの世とは全く無縁の平和な世界ですよね。ところが、昨日のニュースを見ると、国内では、新たに1547人の新型コロナウイルス感染が確認されたんだそうですよ。この1500人を上回ったのは8月8日以来で、昨日が過去最多の1605人に迫る水準だと。

 東京都では8月20日以来の300人超えとなる317人、大阪府では最多だった8月7日を上回る256人が陽性となり、埼玉県(116人)、兵庫県(70人)、茨城県(20人)、新潟県(16人)、岩手県(8人)でも最多を更新したんだそうです。北海道は過去2番目の197人とも。

 まあ、確かに最近は増加の傾向にはありましたが、でもいつの間にこんな…という感じです。やはりこのコロナもインフルエンザと同じように〝冬の寒さ〟に関係して増殖するウイルスなんでしょうか。冬は寒さで人の免疫力も低下しますし、更に空気が乾燥しますので、ウイルスの伝播力が高まるのだとか…。それで寒い地域ほど早く増えてくるのでしょうか。

 私も炬燵を入れてから喉や鼻の様子が変になった感じがしますので、よく手洗いやうがいをして、風邪を引かないように早め早めの対策を講じています。皆さまもどうぞ気をつけてお過ごし下さいませ。

 またまた、話が飛んで…、なかなか本題の〝水鳥〟へ進みません。ゴメンナサイ!次は必ず…ね!

 写真は、先日主人の誕生日に貰った菊の寄せ植え。三色の小菊が丸くしつらえられて…でも、一遍に咲き出すのでとても綺麗なんですが、あっと言う間に咲き終りました。これからどうすれば…?

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兼題は…?いつの間にか〝フェイジョア〟に!

2020年11月10日 | 俳句

 今日も概ねいい天気でした。最高気温17度、最低気温は7度と…これがこの頃の平均的な気温でしょうか。やはり夜は10度以下になると冷えますから、昨日とうとう炬燵を入れました。エアコンはもうすでに使っていましたが、夜起きてPCを打っていると、足が冷えて…。毛糸の靴下を履いて我慢していたものの、もう無理!

 今足がポカポカして気持ちがいい!しかし、こうなると今度はゴロリと横になって…そうなんです。眠たくなって来てダメなんですよ。でも、もう少し頑張らなくっちゃ…ね!

 今日は午後から俳句教室でした。午後1時30分に教室に着くと、〝これ、先生の分。みんなにも上げましたので…〟と、Hさんが緑色のものが入ったビニール袋をくれました。〝何、これ?見たことないけど…〟するとみんなが口々に、〝これ果物なんですって…〟〝フェイジョアというんですよ!〟と。

 ヘエッ、人生で初めてお目にかかるもの、まだあったんですね~。このフェイジョアはHさんのところで出来たもので、今年は豊作だったのでみんなに持って来て下さったんだそうです。アリガタイコト!

 すると、すぐにMさんが調べて花の写真を見せてくれました。見ると…あら、この花見たことがあるわ!確か写真も撮ってブログに載せた記憶が…。ああ、そうそう、歯医者さんに行ったとき玄関前に咲いていたから、調べたんだったっけ。その後、パン屋さんの所でも見つけて。最近結構見かけるようになった花だけど、実の生っているところには出くわさなかったので分かりませんでした。

 ではちょっとフェイジョアについて、インターネットで調べたことを…。

 ニュージーランドではメジャーなフルーツなんだそうですが、何年か前ニュージーランドに行ったときには食べなかったっけ。その時季じゃあなかったということかしら。高さ1.5~3mくらいのコンパクトな低木なので、庭木としても育てやすく、見た目の美しさに加えて、グリーンの卵のような実や鮮やかな赤と白のコントラストがきれいな花も、またその両方ともがそのままでおいしく食べられるというとても貴重な植物なんですよ。

 丸い葉は表面が緑、裏側が白で、離れて見ると木全体がやや銀色っぽく見え、冬でも葉が落ちず、一年中庭に緑のうるおいを与えてくれます。花は5~7月頃に咲き、実は10月下旬〜11月上旬ごろに収穫できるんですって。

 フェイジョアの実は皮が黄緑〜緑色で、果肉はクリーム色。卵のような大きさと形で、熟すにつれ鈍い色になり、やがて木から離れて地面に落果します。味は、パイナップルとリンゴを混ぜたような味だと表現されることが多く、品種や熟し具合によっては爽やかな酸味も感じると。完熟すると柔らかくなり、南国フルーツのような甘い香りがして、舌触りは梨のようにざらっとしているのが特徴だそうです。

 食べ方は、皮をむいて食べやすい大きさにカットするか、包丁で半分に切り、果肉の部分をスプーンですくって食べます。触ったときに柔らかさを感じ、果肉が黄色っぽくなっているものが食べごろで、ジャムやコンポートにしたり、焼き菓子の具材としてもおすすめだと。( AGRIPICK参照)

 さて、さて、今袋を開けて覗いてみると、プーンと少し良い香りが…。Hさんが熟れすぎると美味しくないと言っていましたけど…でも、まだちょっと固いようなので、もう1,2日置いて食べてみることにしましょうか。その時にはまたご報告しますね。お楽しみに…。

 ところで、過去のブロブを調べてみますと、ありましたよ!2019年6月18日、タイトル「〝8020〟目指して!」で、説明を書いてこの花の写真を載せていました。では、それをどうぞ… 

 …(中略)…ところで、この「8020(ハチマルニイマル)運動」というのは、1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。20本以上の  歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われています。そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動  が始まりました。楽しく充実した食生活を送り続けるためには、妊産婦を含めて生まれてから亡くなるまでの全てのライフステージで健康な歯を保つことが大切です。ぜひ「8020」を目指してください、というものです。

 この第三週目は教室や句会がありませんので、のんびりして本を読んだり、昼寝をしたり…だらけています。だから書くことが無くって困ります。今日も大したことがなく…写真はその歯科医院にあった、ちょっとオリーブに似た木に咲いていた花です。最近よく見かけるようになりました。先日の空港にもありましたね。

 花の名は「フェイジョア」。これはフトモモ科の常緑果樹で、グアバなどのバンジロウ類の近縁種です。原産地はパラグアイ、ブラジル南部、ウルグアイ、アルゼンチンで、山野に自生しています。国内では1970年代に需要が高まり、一時は栽培面積150ha、生産量400tを数えたこともあるそうですが、一時期だけで衰退し、このところ珍しい庭木としてまた復活しているようです。

 

 あらら…今日は俳句教室の兼題〝水鳥〟について書くつもりだったのに…。ついつい珍しい〝フェイジョア〟にお株を奪われて、忘れられたみたい。ゴメンナサイ!では、それはまた明日にでも…ね。オヤスミナサイ!

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昨日は〝立冬〟でしたよ!

2020年11月08日 | 俳句

 昨日7日は「立冬」でしたね。〝冬立つ〟〝冬に入る〟〝冬来る〟〝今朝の冬〟ともいって、全て初冬の季語になります。

  菊の香や月夜ながらに冬に入る       正岡子規        

 歳時記に載っている結構知られた句ですが、この句には「菊」「月」「冬に入る」と、三つも季語があります。普通はこんなに季重ねのある句は採り上げられないのですが…、なぜだかいやに説得力のある句なんですよね。これが子規の句だからというのではなくて…。もちろん季語と知った上での作でしょうが、江戸時代やこの子規の時代ではあまり季重ねのことは気にしていなかったような気がします。

 ここに描かれているのはきっと実景なんでしょう。まさに秋の終りの景。ただ、暦の上だけでは間違いなく「冬」が来たということ。先ず子規を突き動かしたのは〈菊の香〉、即ち嗅覚…その香りにはまだしっかりと〝秋〟が感じられたのです。更に見上げれば今日は綺麗な月夜…と、今度は視覚を加えての完全なる〝秋〟を思わせる様子。しかし、そういえば今日は立冬だったのだなあと、子規の思いがやっと冬に至ったという構図が見えてきます。それが〈ながらに〉という語の働きなんですが…。

 私はここでちょっと考えて見ました。上五を敢て〈菊の香〉にしなくても、季語以外のものでもよかったのではと。例えば、「美しき」や「澄み渡る」などのような月夜の描写などで。しかし、そうなると〈…月夜ながらに冬に入る〉となって、散文的で理屈っぽくなる。ここでは〈冬に入る〉という季節の移り変わりへの驚きが重要なのだ。とすれば、〝秋〟を印象づけるもの、月だけでは弱い。もっと強烈な決定的なものが必要となったのではないか。この句では香と言っていますが、当然菊の花の映像もしっかり見えてくるでしょう。それも切字「や」で印象づけるのですから秋真っ盛りの菊を連想したとしても不思議ではありません。

 読者に秋を代表する花、「菊」を焼き付けて、さらに「月」で引き延ばしておいて、最後に「冬に入る」という決定打を打つ。しかし、その作為を感じさせないところに説得力があって、読者は納得させられるのです。ちなみに、この句は「冬に入る」が主で、「菊」と「月」は副ですから、冬の句になります。なぜなら月は年中ありますし、菊も秋だけでなく夏から冬まであります。しかし、立冬は1日だけのことで、季語としては動かないから強いのですよ。

 こう考えてきますと、この句の季重ねがイヤミには感じられず、却って季節の移ろいというものが前の季節を色濃く残しながらもいつの間にか次の季節へと変わっていくものだと…。昔、といっても子規の頃ですから明治時代ですが、実際の風物と暦の上での季節というものに多少の隔たりがあったということかも。

 それが今日のような地球温暖化の中では暦と現実との季節感のズレはいよいよ大きくなってきています。今年の〝立秋〟などはまさに然り!そうなると、これからその傾向は益々強くなるのでしょうから、多くの季語の見直しが必要になってくるのでは…と思うのですが、皆さんはいかが思われますか?

 写真は、我が家の菊です。皆小菊ですが、今ちょうど真っ盛りで…これ、もう「冬菊」と詠まないといけないのかしら?

 ところで、昨日は前日の鰯雲のせい?で、こちらでは一日中よく降りましたが、今日はまた快晴になりました。本日8日の午前には、「立皇嗣宣明の儀」が皇居・宮殿「松の間」で厳かに行われたというおめでたいニュースが流れていたというのに、他方では相変わらずの新型コロナのニュースが…。

 昨日の新型コロナウイルスの感染者は、全国で新たに1332人が確認され、3日連続で1日当たりの新規感染者が1000人を超えたんだとか。また、新規感染者が1300人を超えるのは8月14日以来で、クルーズ船の乗客乗員らを合わせた感染者は計10万8163人、死者は4人増えて1829人となったようです。

 東京都では294人で、3日連続で200人を超え、北海道は187人、神奈川県は137人でいずれも1日あたりの過去最多を更新。大阪府も191人だったんですって。

 それが今日は、東京は189人と200人を切っていますが、北海道などでは今日も152人と、収まる気配どころか増え続けているようすで…。

 先ほどNHKスペシャルで「新型コロナ 全論文解読~AIで迫る いま知りたいこと~」を、少しだけ見たのですが、なんだか恐ろしいような…罹患した人の後遺症などが大変な様子でした。今度オンデマンドでもう一度ゆっくり見てみたいと思っています。

 それでは、皆さまも充分に気をつけられて…オヤスミナサイ!

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〝釣瓶落し〟とは?

2020年11月06日 | 俳句

 昨日も今日も晴れ渡った真っ青な空…ウッドデッキにあるベンチに座っていると、気持ちがよくてウトウト…。こうして惜しみなく降り注ぐ光に包まれているとうっとりとしてきて、まるで羽でも生えてきそう。〝羽化〟するってこんな気分かしら??? ということは、今私は〝蛹〟なの? アハハッ…

 洗濯物が気持よく乾いて気分爽快!でも、私は膝が悪いので、洗濯物を坐って畳めないんです。それで、立ったままウッドデッキのテーブルの上で畳むんですが、それは私にとってのささやかな至福の時。

 でも、最近は午後の3時を過ぎると急に気温が下がってきて、雲でも出てきて日が翳ったりすると途端に背筋がゾクゾクッとしてくる。やがて太陽がストンと…まさに秋の〝釣瓶(つるべ)落し〟ですね。

 この〝釣瓶落し〟は、秋の季語なんですよ。昔からよく「秋の日は釣瓶落し」と言われていましたが、それは秋の落日を、まっすぐに井戸に落ちていく釣瓶に喩えたもの。この喩えから、「釣瓶落し」だけでも秋の季題として充分通じるだろうとした山本健吉の説に、俳人が賛同して、新しく定着した季語なのです。だから、例句も昔の人のはなし!

  釣瓶落しといへど光芒しづかなり  水原秋櫻子

 新しいもの好きな秋櫻子先生のこと、「ナイター」という季語を初めて使ったのも秋櫻子先生だといいますから、きっとこの新しい季題にもすぐ飛びついたのではと思いました。そうしたら…やっぱりその通りでした。『秋櫻子俳句365日』(水原春郎編著・梅里書房)を調べてみましたら、10月29日の頁に載っていましたので、ご紹介しますね。

釣瓶を井戸に落とすように、まっすぐに早く落ちること、転じて、秋の日の暮れやすいこと、これが、釣瓶落としの意味であるが、この言葉を「季語として成り立つだろう」と、山本健吉が季語集に加えた。しかし、例句が載っていない。

 そこで、「よし!」と挑戦して詠んだ。

  稲架のひま釣瓶落しの日ぞとどまる

  釣瓶落しひとたび波にふれにけり

 以上の三句(※上掲の句を含む)を詠んだが、「といへど」が効果的なこの句がよい。

 昔から自然現象が、新しい季語として定着したのは稀で、山本健吉ならではの仕事である。新しい季語の中には、夏の「ナイター」もあるが、これは野球好きの秋櫻子には、使わずにはいられない言葉で、後には、「日本シリーズ」まで詠みこんでいる。(昭和46年作・句集『餘生』所収)

 さて、昨日は定期的な通院での病院の帰り、今日はリハビリでの病院の帰り、どちらも空一面の〝鰯雲〟でした。お昼過ぎまでは全くの青空でしたのに…。

 この〝鰯雲〟が出ると翌日は天気が崩れるというのですが、今日はまったくそんな気配はありませんでしたよ。明日も天気予報では一日中曇りのようでしたが…。

 この〝鰯雲〟にも秋櫻子先生が詠まれた有名な句があります。ではそれについて書こうかなと思って調べてみますと、過去のブログに、タイトル〝鰯雲〟で既に書いていましたので、それを下に再掲します。よろしかったらどうぞ。

 写真は、昨日の鰯雲(上2枚)と今日の鰯雲(下2枚)。時間的にはどちらも午後4時過ぎの空なんですが…。

〝鰯雲〟(2017年10月5日)

…(中略)…家に帰ると、鰯雲が広がっていました。もちろん鰯雲は秋の季語です。でもこの雲は前線付近に発生しやすく、降雨の前兆とされています。やっぱり当っていますね。

   鰯雲こころの波の末消えて

 昭和20年発行の、水原秋櫻子先生の句集『残鐘』の巻頭句です。この句集は先生にとって一つの節目になる大切なもので、発行元の竹頭社は石田波郷が創始した出版社で、紙質の選定、割付、校正等すべて波郷が手がけたんですって。随筆『残鐘雑記』には、本が出来るまでの経過と、出来上がりを手放しで喜ぶ姿が描かれています。秋櫻子先生はこの句を詠んだときの心境を次のように述べられています。

 「この句は、八王子の家から浅川の堤をぐるりとまわる散歩道で詠んだ。堤に立って、空を見上げると、高尾山から陣馬山にかけて、鰯雲が広がっていた。鱗のちらばりが次第に大きくなり、薄れゆき、やがて雲ひとつない青空に移っていく、そんな空を何日か眺めているうちに、人の離合集散で胸を波立たせることはないという心境に至った。」

 「叙法に気をつけて、柔らかく、平らかに詠んだ。」とも。(『自選自解』) 

 

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兼題は〝身に入む〟

2020年11月04日 | 俳句

 昨日は11月最初の俳句教室でした。兼題は〝身に入む〟で、秋の季語。

 「みにしむ」と読み、秋冷の気が体に深くしみ入るように感じることで、感覚的な響きの強い季語です。もともとは平安朝の和歌に愛用され、秋風について「秋風身にしみて」と表現された後、「もののあわれ」をにおわせる語となって、季語となったもののようです。

  野ざらしを心に風のしむ身かな

 松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』の有名な巻頭句です。句意は、〝旅の途中、山野で行き倒れて野ざらしになるかもしれない。そうなってもままよ、と覚悟して旅に出立するとき、秋風がひとしお身にしみることだよ〟ということ。〝野ざらし〟というのは、風雨にさらされて白骨になった頭蓋骨、すなわち〝されこうべ〟のことです。

 〝身に入む〟の例句として、もう一つ有名な与謝蕪村の〈身にしむや亡き妻の櫛(くし)を閨(ねや)に踏む〉もありましたが、この句などはまさに〝身にしむ〟という思いが痛切に感じられるでしょう。

 ところがですね~、この句には面白い話があるんですよ。

 蕪村は45歳頃結婚し、この句を詠んだのは62歳の時といいます。句意は〝秋の夜、暗い寝間の片隅でふと踏んだのは亡妻の櫛であった。なぜ今ごろこんな所にあったのだろう。今さらながら秋の夜の独り寝の寒さと無常の思いが身に沁みることよ〟となっているのですが…

 実はこの句は、「小説的虚構の句」(『蕪村全集一 発句(一八〇八)』)なのだとあるのです。蕪村が結婚した妻は、蕪村の死後30年後ぐらいに亡くなっているようですので、この句の「亡き妻」はこの妻ではないのです。そうすると単なる空想上の妻かもしれませんが、もしかしたら思い人(愛人)だったのかも。蕪村は文人としての付き合いもあったでしょうし、芝居好きで茶屋遊びなども好んでいたそうです。当時江戸時代からすれば女遊びや愛人を持つなどというのも、出世した男の〝甲斐性〟などといわれていた時代なんでしょうからね。事実愛人がいたという記録もあるようですし…。ただ、この句を詠んだときに、愛人がいてそれが亡くなっていたかどうかということは…分りませんでした。

 考えて見れば、俳句だって文学の一つなんですから、創作の部分が多分にあってもいい、即ち〝虚構〟でもいいんですよ。だから以前から私もよく言っているでしょう。俳句では、〝あり得るウソはついてもいい〟ということ。もし自分の周りの事実だけで俳句を詠んでいるとすれば、すぐに限界がきますものね。

 以前初心の人からよく聞きました。〝最初の頃はいくらでも俳句が出来ていたのに…この頃全く詠めなくなりました〟と。そうなんです。初めての時というのは何もかもが目新しく、何を詠んでも新鮮だったのです。それが、1年…2年と過ぎていくと、これも詠んだ、あれも詠んだ…と、詠むものがなくなってくるのです。

 俳句はそこからが勝負だといわれています。自分の体験だけだと発想に限りがありますので、知らない世界を開拓するのも必要…ただ、俳句層は高齢の方が多いので、現実的に新分野への挑戦というのは難しい面があります。が、イメージの中だけならいくらでも膨らませることが出来ます。だから、自分の持っている感覚を刺激して、イメージを膨らませるためにも、いろいろなものを見たり味わったりと、外の世界へ出掛けることが必要になってくるのです。吟行もその一つ。美術館や博物館などへ行くことも…映画や演劇、音楽などを鑑賞するのもそのため。そうやって自分のイメージを広げることが、ひいては俳句の世界を広く深くすることにつながり、いい句も詠めるということになるのです。だから、何にでも興味を持って、頑張りましょう。

 さあ、鮮やかな紅葉の秋も終りになりますが…。でも、その後に来る冬の〝枯れ〟の世界も捨てがたいものです。〝枯れた字〟〝枯れた味〟〝枯れた色合い〟〝枯れた人〟〝枯れ木〟だって…み~んな好きです。アッ、〝枯れた花〟はダメかな?…じゃあ、お肌を枯らさないように手入れをしなくっちゃ!でも、今はマスク暮しがジャマをする~、コロナが怨めしい!打倒、コロナだ!でも、コロナは……

 写真は、また若返った〝ジンジャーの花〟。我が家にはこのみずみずしい花が再び咲き始め…蕾もまだいっぱいついています。もう冬だというのにどうなっているのでしょうね。これは〝返り花〟とはいわず、改めて一から出直している感じですよ。あの〝花の命は短くて〟…なんていうの、ウソよね。私もあやかりた~い!

 

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〝月見〟と〝月見る〟の話

2020年11月01日 | 俳句

  とうとう10月も終りましたが、昨日は満月でしたね。先日の「十三夜」がイマイチでしたので、きっとこの満月は美しいのではと…。見事なお月様でした。

 ブルームーンの満月とハロウィーンと土曜日が重なって…ああ、私には関係ないか?…何だかどこかではお祭気分なのではと思うのですがね…

 でも、全く関係ないと思っていましたら、リハビリに行くとハロウィーンだからと…籤なの?と聞くと、箱の中にお菓子が入っているのでそれを箸で抓んで出す…1分以内だったかしら? それが意外と難しかったんですよ。だって中のお菓子の方が取り出す口より大きいんですもの。欲を出すと取れない!でも、大人でも大きい方がいいんです…必死で頑張って。私も必死で…そうしたら割り箸が折れて。(笑) 再度挑戦させてもらって小さいのを一つゲット!まあ、ちょっとしたものですけど…やっぱりタダでもらえるというのはウレシイ!外国の風習なのでよくは分かりませんが、日本でいえば御大師様のお接待みたいなものかしら…子どもたちが喜びますものね。

 昨日のニュースでは、新型コロナウイルス禍の中、東京・渋谷には異例の光景が広がったんですって。例年は仮装した若者でごった返し、逮捕者も多く出るというのに、今年は区が中心となり来訪自粛を促し、昨年までと同様、DJポリスが配置され、警察官による交通整備は行われましたが、身動きが取れずに3密状態になる例年とは違って、歩行者が自分の希望する方向に進めるような状態だったとか。また、多くの人であふれはしたけれど、仮装した人も少なくトラブルもほとんど見受けられなかったようですと。よかったですね。

 ところで、一昨日は〝後の十四夜月(小望月)〟でしたが、出先から帰るとき、宇部市の厚東大橋から見た月が何も邪魔するものがないので、とってもキレイでした。ああ、今写真を…と思ったのですが、なんせ運転中。そこを過ぎると、今度は家や山に隠れて見えなくなったり…見えたと思っても電柱や信号があって場所が悪かったりと…とうとう家に着いてしまいました。あの刻々と変化していくブルーの空を撮りたかったんですけどね。残念!でも、写真見て下さい。終りの方でフラッシュをたいたからでしょうか?こんなキラキラした写真が何枚も撮れていてビックリです。最後は家に着いて車から降りて撮りました。

 昨日は第5土曜日でしので、どこにも出掛ける予定もなく、1日中家事ばかりしてました。夕方外へ出てみましたら、やっぱりとても美しい満月。でも、皆さんのブログでキレイな月の写真がたくさん披露されていましたので、私の写真はパス…。

 歳時記では〝月見〟という季語は、陰暦8月15日の中秋の名月を賞することなんですよ。じゃあこの後の月を見て賞するのはどういえばいいのかしら?調べてみますと、〝後の月見〟とありました。しかし、これはこの前の〝十三夜〟の月を見てのことなんですからね。

 その〝後の月見〟の例句を、歳時記に探してみましたが、殆ど中秋の名月の〝月見〟ばかりで、次の一句しかありませんでした。

  淋しさを老いての後の月見かな    蝶夢  

 蝶夢(ちょうむ、享保17年(1732年)-寛政7年(1796年))とは、江戸時代中期の時宗の僧・俳人。名は九蔵。号を洛東・五升庵・泊庵と称した。京都の出身。(Wikipediaより)

 ところが、ネットで調べていましたら、次の句が月見の例句に出ていました。

  旅重ね稲城(いなぎ)に後の月見るも  星野立子 

 この句の作者は、俳句を嗜んでいらっしゃる方なら皆さんご存じの方でしょうが、簡単に(Wikipedia)をお借りしてご紹介しましょうか。

 星野立子(ほしの たつこ)は、1903年(明治36年) -1984年(昭和59年)、昭和期の俳人。高浜虚子の次女。虚子に師事し、初の女性主宰誌「玉藻」を創刊・主宰しました。虚子一族で特に評価の高い人物。女性俳人では同時期に活躍した中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女とともに四Tと称されました。

 しかし、この句をみると、これはおかしいと思うんですよね。旅の途中に田圃の傍を通りかかり、稲城(刈り取った稲の束を乾燥させるためのもの)の上に出た月を眺めたのでしょうから、確かに後の月は見ていますが、「月見」はしいていないと思うのです。

 そもそも「月見」の季語は、ただ単に月を見るというのではなく、月を眺めて観賞すること。そのときに芒(すすき)や団子、里芋、豆、栗などを供え、酒宴を催したり、時には歌会・句会なども開いたりするのです。傍題にも、「観月」「月祀(まつ)る」「月の宴」「月見酒」「月見舟」などというのがあって、〝生活〟に分類される季語、春の「花見」と同じなんです。だから基本的には、「月見」という単語(名詞)で存在する季語なんですね。

 故に、立子の句は問題ありです。この句には、「稲城」と「後の月」と、二つの秋の季語がありますが、メインは「後の月」なので、それは問題ないでしょう。しかしこの句を「月見」の例句として掲げるのがおかしいということ。

 他にも「月見」の例句として、次のような句がありました。〈入込みに白き月見し十二月  臼田亜浪〉〈日見て来よ月見て来よと羽子をつく  相生垣瓜人〉など。

 これらの句に「月見」の語はあっても、それは季語の「月見」ではありません。そもそも、俳句では「月」だけで、〝天文〟に分類される秋の季語になっています。しかし、なぜ一年中見られる月を秋の季語としたのかといいますと、その美しさやさやけさに於て秋が一番極まるからなのです。そのため、秋以外の月には、「春の月」「夏の月」「冬の月」というように、その季節が分かるような何らかの表現を付けて使わないといけないんです。

 また、秋の月は全てが季語になります。「三日月」でも「五日月」「夕月」「有明月」「昼の月」などでも、月さえあれば何でもいいわけです。

 ところが、「月見」の季語となったら、概ね「名月」と「後の月」を観賞するということになります。しかし「月見る」で詠めば、秋のどんな月でもいいということになるんですよ。

 お解りになりましたでしょうか?ちなみに、臼田亜浪のは「十二月」が季語で、冬の句、相生垣瓜人のは「羽子つき」が季語なので、新年の句になります。

 ああ、最後にとってもいい「後の月見」の句を見つけたんですよ。ウレシカッタ!

  後の月祀るや多摩の薄(すすき)もて  水原春郎

 今回の話は、ちょっとごちゃごちゃして分りにくかったかしら。だったらゴメンナサイ!

コメント (2)
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