ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝人生楽ありゃ苦もあるさ…〟

2020年04月30日 | 俳句

 とうとう4月もコロナで終わりましたね。いよいよ5月なんですが、政府は5月6日に期限を迎える新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を延長する方針を固めたようで、全国を対象にして1カ月程度延ばす案を軸に、1日に開く専門家会議の意見や感染状況を見極めたうえで最終判断をするとか。もしこれが決定すると、またいろいろなものがあと一ヶ月はこのままで閉鎖されたり中止されたりするということになるのでしょうね。

 山口県では知事が、県立学校の休校を5月24日まで延長すると発表しました。しかし、市町村には延長を要請せず、地域の実情に任せると。現在のところ山口市と下松市が延長を、岩国市は延長せず7日より再開と。宇部市はまだ何とも表明されていません。

 こういう状況下では子どもたちもなかなか落ち着いて勉強ができないのではと心配です。また、その親御さんたちの心痛も大変なことだろうと思いやられます。私には孫がいませんが、一日も早く平常に戻れることを心から願うばかりです。

 さて、メールを見ると、私のblogの〝1年前の記事〟が届きました。開いてみますと、次のようなことを書いています。

 確かテレビで平成の幕開けは雨だったとか、今日の幕引きも雨と。

 明日になれば〝令和〟です。ならば何をしても〝令和最初の…〟ということになるんでしょうね。いつも黄金週間は出かける予定がないときは庭の草取りをして過ごしていましたが、こんなに毎日雨が降りますとそれもできず、のらりくらりと過ごしています。すると日頃より余計ナマケモノになった気がして、ああ~イヤダ!やっぱり忙しい方が私にはむいているみたい!

 これをみると去年の連休は結構雨が降ったようですが、今年はなんと毎日お天気の良いこと!ニュースで見ると全国が晴れ一色でしたよ。まさか来年の今頃がこのような新型コロナウイルスで、日本どころか全世界が非常事態になっているなんて、誰も想像しなかったでしょうね。これからだって人生何が起こるか分かりませんので、今をただ精一杯生きるだけです。ほら歌にもあるでしょう!

 〝人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて

 父も母も大好きで、必ず夕方5時になるとこの音楽が流れてくるのを心待ちにしていました。そうです、長寿番組の有名な〝水戸黄門〟です。しかし、あの主題歌のタイトルは、〝あゝ人生に涙あり〟だったんですね。知らなかった!この3番(本当は4番)の歌詞が、またいいんですよ。

 〝人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ

 というわけで、今日も頑張りました…で何をしたかというと…主人はこのところもっぱら日曜ならぬ毎日大工です。ウッドデッキに据えていたテーブルの板や椅子の一部が腐りかけていましたので、先ずその修理から。それができあがると今度はウッドデッキにオイルステインを塗り、傷んだところの張り替えなど…。もともとこのウッドデッキは自分で設計して作ったもので、15年も経つとあちらこちらが傷んできますものね。

 じゃあ私はというと…もちろん片付けと草取りですよ。特にこのコロナのお陰で、今まで食品庫や冷凍庫などで眠っていたものを片付けるのにいい機会になりました。ものは考えようですね。

 それで奥から出てきたミニ冬瓜(とうがん)を、今日は〝冬瓜汁〟にして食べました。入れたのは冷蔵庫にあった残り物のゴボウとニンジン、豚肉、それに干しエビです。最後に刻みネギ。味は今回ちょっとけんちん汁風にごま油を使って作ってみました。いかがです、美味しそうでしょ? いや~、今時こんなものが食べられるなんて…それもたったの50円ですよ。でも、本当に美味しかったんです。

  冬瓜汁(とうがじる)子あればあるで憂ひ(うれい)けり     安住敦

 ところで、冬瓜は初秋の季語なんです。秋に収穫したものが冬でも食べられるので〝冬瓜〟というんですが、これは何時買っておいたものかしら。きっと秋の終わりかな?それがもう5月になろうかというのに、どこもどうにもなっていませんでした。ただなんとも皮の固いこと、包丁の刃が立たないぐらい。それでよかったのかも。

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〝Stay  Home (家にいよう)〟週間ですよ!

2020年04月29日 | 俳句

 今日は4月29日、祝日の「昭和の日」です。もともとは昭和天皇の誕生日でしたが、崩御にともなって平成元年改称され、〝自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心を育む〟「みどりの日」として、制定されました。ところが、平成19年より、「国民の休日」であった5月4日を〝山野の緑化をすすめる頃〟として、「みどりの日」に移行したため、この4月29日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」の趣旨のもと、「昭和の日」と改定されました。

  昭和史のおほかたを生きみどりの日      千手和子

という句を、以前紹介して書いたことがあります(2018・7・6「千手和子さんを悼み」)が、今ならこの句はさしずめ〈昭和史のおほかたを生き昭和の日〉と詠まねばなりません。だとすると、これはもうくどくなって季語が蛇足になってしまいますね。この句がよかったのは「みどりの日」だったからです。和子さんはもう亡くなられましたが、きっとあの世でびっくりなさっておられることでしょう。

 ちなみに、私の歳時記にはまだ「昭和の日」は載っていませんし、当然例句もありません。ならば、今からいい句を詠めば例句に採り上げてもらえるかも。みなさ~ん、がんばりましょう!

 さて、さて、この大型連休に突入して、山口県では県外移動自粛を知事が呼びかけています。全国的にもStay  Homeを呼びかけて、新型コロナウイルス拡大を止め、死亡者などを一人でも減らすこと、また一刻も早く事態を終息させて、経済活動・文化活動・日常生活を通常化することを目指すというプロジェクトがすすめられています。自分が感染しないだけでなく、周囲の人に感染させない行動をすること、そのためには不要不急の外出を控えて、〝家にいよう〟ということです。

 それで、私たちも5月2日に行われる義姉の四十九日法要には欠席することにしました。今まで近い身内の法要で行かなかったことは一度もないし、まさかこんなことが起こるなんて想像もできませんもの。もしこれが父や母のときだったらと思うと…。

 そうなんです。義姉には子どもが4人。そのうちの3人は大分ですので問題ないのですが、1人だけ大阪にいるんです。看護師をしていましたので、有休を使って母親の最後の看取りをした子なんです。だから何としても来たかったようですが、ぐっと我慢、我慢…こんな可哀想なことはないでしょう。しかし、亡くなったのが3月15日だったのですが、コロナでなかったのが不幸中の幸いでした。だって、大分でクラスターが発生して大騒ぎされた、その病院だったんですもの。もしコロナに罹って亡くなったとしたら、私たちも今こんなことなど言ってられない状況だったかも。本当に感染するもしないも紙一重なんですからね。

 また、義姉に可愛がられた内孫の双子ちゃんもいるのですが、2人とも今は福岡にいるため法要に出席できないことに。大分にいる私の兄や弟たちは出席しますが、それも簡単に、食事は折り詰めを貰って帰ることになったそうです。また、私の末弟には末っ子の結婚式が控えていたのですが、それも全て延期ということになりました。

 まあ、こういうふうに多くの人が大なり小なりの影響を受けながらも、今は感染防止のために我慢するしかないんですよね。もしこれで何らかの良い結果が出なかったらどうなるんでしょう。気の短い人などが持ちこたえられずに〝堪忍袋の緒が切れ〟て、出歩く人がまた増えて、第二次感染が広がったり…なんて、本当に先行きが心配です。でも、がんばるしかないっちゃ!

 さあ、また明日から何をしましょうか。することは山ほどあるんですけどね~

 写真は、〝ジャスミン〟、「茉莉花(まつりか)」「素馨(そけい)」とも。夏の季語です。インド原産のモクセイ科の常緑低木。強い芳香がありますので、香料やジャスミン茶などとして楽しまれます。 

 

 

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〝あなたは本当に大丈夫ですか?〟

2020年04月27日 | 俳句

 このところ寒くも暑くもないとてもいい季候です。今日も快晴…なのに、一日私は何をして過ごしたのかしら???というような日が続いています。

 朝起きてから…そう、一番まじめにやっていることと言えば、きちんと三食食べることぐらいかな。息子まで今は自宅待機で、三人が毎日一緒に食事をするなんて…社会人になってからは滅多に無かったことなんですものね。

 どこの家庭でもそうでしょうが、毎日毎日顔を付き合わせて、その上することが無かったら…お互いにイヤになってしまいますよね。外出が出来ないんですから仕方がないのですが…また、たとえ外出出来たとしても殆どが閉まって行くところがなくなってるんですもの。

 本当に仲の良い夫婦ならいいんですけど、もし少しでも険悪ムードが漂い始めたような仲だったら、そのうち爆発して離婚にまで発展するかも。また、結婚式なんかも延期されたりして、そのうち気が変わってするのがイヤになってしまうなんてことも。何だかみ~んなマイナス思考になりそう。

 社会的にも、事業が振るわなくなって倒産が増える…増えれば失業者も増え、そうなればますます貧富の差が大きくなり、思わぬ犯罪が増えるかも知れません。わあ、いやだ、いやだ…こんなこと考えてたら藷ずる式にどんどん絶望的な方向に行ってしまいそう。発想を変えなくっちゃ!

 じゃあ私たちにとって、このコロナがもたらしたものでいいことはないのかしら?あっそうだ、〝ワンチーム〟の精神…これは日本だけでなく、今は全世界が…、地球が〝ワンチーム〟で頑張らなくてはということ。それを気付かせてくれる神様からのプレゼントだと考えてみては!ほら〝神は乗り越えられる試練しか与えない〟とも言うでしょう。また、〝天は自ら助くる者を助く〟とも……なんて、宗教的になってしまいましたが、でも、人類はそうやって生き延びてきたのも事実ではないでしょうか。

 私は単細胞なので、難しいことはよく分かりません。最後はまあ〝なるようにしかならんちゃいね~〟といういいかげんなことで…でも、〝人事を尽くして天命を待つ〟というのもあるかな…。

 何だか今日はやっとblogの筆が滑ります。実は先日からの体調不良で、やらねばならぬことが山ほどあるのにどうしても先に進まず気が重かったのです。

 もしコロナだったらと思ったとき、今月末の原稿をまだ書いてない…俳句の添削も溜まっている…家の中はむちゃくちゃだ…、冷蔵庫の中に生ものを買ってきて入れてあるのにどうする?などなど……

 何がどこにしまってあるのか、私の通帳や保険証なども主人は全く知らないのだし… いや、このまま二人が入院するかも、いや、いや、三人だわ…だったらテン(猫)ちゃんはどうする?など、など……

 こんなことが一瞬に頭を過ぎって、本当にビビったんですよ。馬鹿みたいでしょ!日頃から何の準備もしていないもんですからね。でも笑えないですよ。本当にそうなる可能性はないとは言えないのですから。これから先だって。あの志村けんさんや岡江久美子さんのように、発症してから亡くなるまでが短かすぎます。それにすぐに意識が無くなられたとか…だったら何も伝えられないじゃないですか。誰だってまさか自分がと思ってるところがありませんか?

 でもそうやってやっと4日過ぎ、何もなさそうですので落ち着きました。それまではblogどころではなく必死に原稿などを仕上げていました。やっと発行所へ送りホッとして、今日はこれを書いているんですよ。何事も笑い話で済めばアリガタイことです。本当にご心配して下さった方々ありがとうございました。

 今日の写真は、我が家の〝八重山吹〟と〝白山吹〟です。どちらも春の季語。花言葉は花の黄金色に由来して「気品、高尚、崇高、金運」が付けられていますが、山吹は枝に葉が生え揃うのを待ってから花が咲きますので、もう一つ「待ちかねる」という花言葉もあります。白山吹の花言葉は「細心の注意」なんですって。

 みなさ~ん、コロナの終息を〝待ちかね〟て短気など起こさず、〝細心の注意〟を払って過ごしましょうね。エッヘン…


 

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昨日はまるで〝青天の霹靂〟でした!

2020年04月24日 | 俳句

 昨日はまるで〝青天の霹靂〟といっていいような1日で、なんと恐ろしかったこと!まあ、聞いて下さい。少々のことではびくともしない私ですが、本当にビビりました。

 先ずは午前中のうれしいことことから。3週間経ったので整形へ行きレントゲン撮影、写真を見ながら説明を聞きました。順調に骨が出来つつあるよ…これからは骨の生成を促進させる電気治療に変えようと先生。それで〝毎日通院できるかね?〟と聞かれましたので、もちろん〝はい〟です。ということで、ギブスが取れました。ヤッターです!でも、まだ半分しか骨がついていないので、絶対に捏ねたり転んだりしないようにという注意も上の空で聞き、ルンルン気分で明日からの治療予約をして家路へ。

 ちょうど昼時でしたので、いつもの魚屋さんに寄って、お弁当と魚を買って帰りました。本当に昨日はいい天気で、この青空のように久しぶりに私の心も明るかったんですよ。

 それが、夕方食事の支度前に一服と休んでいると…急にお腹の調子がヘンに。何これ…??? お臍の周りがシクシクと……痛い!イヤな予感がしました。そのうち今度はムカムカとしてきて…エエッ、どうしたの…もう我慢出来ない!と吐いてしまいました。ところが、これが1回、2回、3回…と、吐いても吐いても治まりません。もしかして、これもコロナのせい?と思ったりしていると、今度は悪寒が…

 急いで体温を計ると36.2分…でもこれはいつも熱が出るときの前兆だわ…本当にヤバい! すぐにネットで調べましたよ。コロナウイルスでも吐き気の症例があるのかと。そのうち主人や息子が帰ってきて、何事かと驚くばかり。私はその後も吐き気が治まらず、…もう吐くものもないのにむやみやたらと喉が渇いて、水を飲めば今度はその水を吐きに…ああ、まるで胃を洗浄しているようでした。今までにも腹痛や吐き気で苦しんだことは何度もありますが、今回のようなのは初めて。

 主人が病院には?と聞くので、かかりつけの病院は6時過ぎてたのでダメ、6時30分までの他の病院も連絡したけど、今度は誰も出なかったのよという。そのうち痛みは益々酷くなるし、案の定熱も上がってきて37.2分に…

 コロナのことがなければこんなには心配しなかったのですが、もしそうだったらみんなに移してしまう…これは何とかしなくっちゃという、そんな恐怖と不安が頭を過ぎったのです。

 思いあぐねて、大分の薬剤師の弟に相談すると、どこにでも夜間の当番医がいるからそこへ連絡して薬を処方してもらうといいという返事。それならと主人がいろいろ調べて救急病院へ電話してくれましたが、どこもダメでした。内科医がいないからとか、ここではなにも対応できないから他所へとか…、いろいろ言われた挙げ句、消防署に連絡して救急車を呼ぶようにとか…さんざん振り回されました。救急病院はどこもみな大きな総合病院なんですけどね~。

 ああ、これがたらい回しなんだなと実感。でも、このままでは耐えられそうにもないし…。コロナがなければこれは間違いなく何かの食あたりではないかと…でも、考えてみると主人や息子と昨夜から同じものしか食べていないのにというのが、余計私の不安を掻き立てたのです。しかし、救急車を呼んでまでというのはどうしても気が引けて、弟に相談の上で市販薬を飲むことに…。

 これ、まだ9時前の話ですよ。電話だったらみんな体よく断られるんですね。直接駆け込んだら渋々診てもらえるのかしら。それでも、科が違うからとかいって断られるのかしら…。もしこれが高齢者や子供だったりしたら…怖い!救急車でもたらい回しされて手遅れになったという話も聞いたことあるし、本当に最近の医療の現場にはいろいろと問題があるような気がします。が、確かに医者も人間ですから、夜中まで診療するのはイヤでしょうけどね。

 昔の〝赤ひげ〟先生のようなお医者様は、もうドラマの中だけなんでしょうか。以前は懇意にしていたお医者様がいて本当に助かりました。時間外でも連絡すれば指示を仰げましたもの。最近では家庭医を持つことを勧められますが、専門化した現代の医療状況ではそれも夢物語のような…

 ところで、その後どうなったのかと…心配して下さいました?アハッ、今こうやってブログ書いていますから分かるでしょ…

 今朝一番にかかりつけの病院に昨日の状況を連絡しました。すると、熱も痛みも今は薬で治まっているのかも知れないので、今日一日薬を飲まずに様子を見て、熱などがまた上がるようなら夕方来て下さいと。それで一日おとなしく様子をみて何とか治まりましたので、病院へは行きませんでした。ああ、よかった!でも、考えてみるとコロナだけが病気ではないんですからね。今まで通りの病気はいくらでも罹り得るでしょうし、緊急を要する病状もたくさんあるでしょうに。なんだかコロナのせいで後回しにされているような気がして、これも不安になりました。でも、こういう状況で日夜働いておられる医療従事者の方々のご苦労にも頭が下がりますし、心も痛みます。しかし、もしこんな状況の中で義母になにかあったらと思うとゾッとしました。

 昨日はギブスが取れてルンルン気分から夕方には奈落の底へ落とされて…こんな一日はもうごめんですね!

 写真は、〝月桂樹の花〟で、季語にはなっていません。雌雄異株で春に花が咲き、果実は暗紫色と…説明がありましたが、我が家のは実がなりませんから雄株なのでしょう。料理の香辛料に使います。月桂樹の花言葉は「栄光」「勝利」「栄誉」ですが、一日も早くコロナに勝ちたいものですね。がんばりましょう。

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今日は野鳥の話でも…

2020年04月22日 | 俳句

 納戸を整理していて、以前棚田のオーナーをしていたときのくず米が出てきました。恐らく鳥の餌にでもと思って、貰って帰ったものでしょう。そのまま忘れていたようで…

 それをこの何日間か庭に撒いていると、だんだん鳥が来るようになりました。でもちょっと時期が遅かったのかな。まあ、雀でもいいわと思ってのことですから…何でも来てくれさえすればいいんですよ。

 今のところ、カラス、スズメ、キジバト、ヒヨドリ、シロハラ、シジュウカラ、ヤマガラ…ああ、今日はツグミも来てました。ウグイスはいつも声ばかりですが…。

 よく餌台に餌を撒くと、それを待ちかねたように小鳥たちがやって来るという話を聞いたり、ブログなどで拝見したりするのですが、そうなるまでにはかなり根気がいるんでしょうね。

 以前野鳥の会に入っていたときには、巣箱やフィーダーを作って取り付けたりしたことはありますが、長続きせず、また、猫がいるからダメなんだわと、猫のせいにしたりして諦めたことがあります。昔は猫が2匹いて外に出していました。だから、いつも庭のどこかでひなたぼっこをしたりしていましたからね。今は1匹になって外に出さなくなりましたが、その代わり野良ちゃんが悠々と横切って行ったり、木の下などに居座っていたりしますもの。

 まあ、せっかくお米がありますので、それが無くなるまでは続けてみようと思っていますが、どうなることやら。それにしても小鳥たちの姿は見ているだけで心が癒やされます。特に今回のようなコロナ騒ぎで出かけられずにストレスが溜まったりしたときは…。

 かつてはいつも主人とあちらこちらの探鳥会へ参加しては、いろいろな珍しい鳥との出会いを愉しんでいました。写真を撮るのが趣味の方もたくさんいらっしゃいましたので、私はもっぱら見せていただくのが専門。退会してからは殆ど双眼鏡を持って出かけることもしなくなり…、主人も一緒で、フィールドスコープなんか今は埃を被っていますもの。まあ、お互いに似たもの夫婦なんで…ダメなんですよね。

 ということで、このところはもっぱら鳥のブロガーさんの写真を拝見しては、うわ~、スゴい!と感心したり、ヘエッなるほどと、勉強させて貰ったりして楽しんでいます。ありがとうございます。そのお礼といっては何ですが…エエッ、ちょっとおこがましいって、ハイ、ゴメンナサイ!

 でも、よろしければ私が以前「馬酔木」に寄稿した随筆がありますので、読んでいただけるとごっぽ~幸せます。(山口弁だよ~ん!)

 鳥の攻撃

 柿の若葉が日に輝いてきらきらと美しい、そんなある日の朝のことである。食卓に坐って、新聞を読んでいると、窓をコツ、コツと叩く音がする。きっとまた主人が庭に出て、何かを持って来てくれと云ってるのだろうと思いながらも、横着を決め込んですぐには新聞から目を離さずにいた。するとしつこく、それもだんだんと叩く音が大きくなって…

 仕方なく読むのを中断して、「何なの?」と、振り返って見ると、誰もいない。何だ、たいしたことじゃなかったんだと、また読み差しの新聞に目をやった。その途端にまたもやコツン、コツンと…

 「何?用があるんだったらちゃんと分かるように云ってよ…」と、庭に出ようと立ち上がった瞬間、目の前の窓ガラスに何かがぶっつかってきた。

 えーっ!じゃ先ほどからの音は主人じゃなく、これだったのかしらとよく見ると、それはなんとコゲラだった。まるで窓に見える私を目がけて突進して来るように何度も何度も来るのだ。びっくりしてしばらく見ていたが、はっと気がついて、「わー、カメラ、カメラ…」と、書斎に取りに行った。すると、主人はそこにいたので、「早く、早く、鳥よ…」と私が騒ぎたてると、ちょっとあきれた顔をしながらも、覗きに来た。

 コゲラは私達二人が室内から見ていることなど知ってか知らずか、ただひたすら窓に向かって突進してくる。それもだいたい同じような位置、そのうち嘴が折れるのではと思う程の強さである。

 よーし、今度窓にぶっつかった瞬間を撮ってやろうと、必死でシャッターをきったのだが、残念ながらどれにも全く鳥の姿はなかった。折角の貴重な証拠写真だったのにと思うと、悔しい。

 でも、なぜ?と不思議だった。その謎が解けたのは、間もなくのことである。

 ある日洗濯物を干し終わり、しばらくコゲラが来ていた柿の木を眺めていた。そして、攻撃していた窓の方を振り返って見て、ハッと気がついたのだ。最近の窓ガラスは二重になっているからか、それとも何らかの加工がしてあるからか、天気の良い日などは中が全く見えずに、反射して鏡の様になっているのである。だからその窓に見えていたのは私達ではなくて、真正面にあった大きな柿の木、そして、その幹に止まって餌を捕ろうとしている小鳥の姿…

 そうなんだ!コゲラは自分の姿を、我がテリトリーを荒らしに来た敵だと思って、必死に攻撃していたのだ。そう云えば、小鳥がバックミラーに写った自分の姿に求愛行動?をしていたという話も聞いたことがあるし…と納得した。だとすれば、これがもし我が子を守るためだったとすれば、その攻撃はこんなものではすまなかっただろうと容易に想像出来た。また、こんな小さな鳥でさえそうなのだから、カラスなどの大きな鳥に襲われて血を流したという話も頷けるというもの。鳥の最大の武器は飛ぶことにあるのだが、でも逃げきれない時や巣を守らねばならない時などは嘴が武器となるのだ。そして、その時はあらん限りの力を振り絞って反撃し、命がけで己が家族を守ろうとするのであろう。あの小さな可愛らしい嘴で…。そういえば、ヒッチコックの“鳥”という映画を見て、とても怖かったのを覚えている。でもあれはカラスの集団だったよな…

 しかし、鳥にはいつも教えられることが多い。今回もそうだ。何度も何度も諦めずにぶっつかってくる鳥の一途さを見て、こんな小さな鳥でさえこれ程必死になるのだから、私達もどんなことであろうともっと全力でぶっつからねばと思った。今日はこのコゲラのお陰で、いろいろなことを想像したり、考えさせられたりして、楽しい有意義なひと時が過ごせてよかった。

 しばらく経ったある日、またもや窓をコツ、コツと叩く音…わあ、今度こそはと、傍のカメラに手をやって振り向いた。するとそこにいたのは…主人だった。

 写真は、ウィキペディアよりお借りしました。コゲラは、キツツキ目キツツキ科に分類される鳥類の一種。全長15㎝で、スズメと同じくらいの大きさ。日本に生息するキツツキとしては最も小さく、雄より雌がやや大きいです。

 俳句では、「小啄木鳥」と書いて、赤啄木鳥(あかげら)・青啄木鳥(あおげら)・熊啄木鳥(くまげら)などとひっくるめて、「啄木鳥」(読みは〝きつつき〟でも〝けら〟でもいい)として、秋の季語になっています。

 〝きつつき〟といえば、水原秋櫻子先生の〈啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々〉という名句があります。

「コゲラ」の画像検索結果

 ここまで読んで下さった方、有難うございました。こんなに小さな鳥たちでも〝生きる〟ためには本当に必死なんですね。私たちも今はコロナウイルスに負けないように命がけで闘いましょう…ちょっと大げさでしたかしら? でもそのくらいの覚悟を持たないといけないような気がします。お互いにがんばりましょう。

 

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まだ〝八十八夜〟ではないけれど…、

2020年04月20日 | 俳句

 昔小学唱歌で「茶摘」という歌を、みなさんきっと一度や二度は歌ったことがあるでしょう。

 〝夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘ぢゃないか あかねだすきに菅の笠〟と。

 俳句で〝八十八夜〟は春の季語になっています。立春から数えて八十八日目のことで、今年は閏年(うるうどし)でしたので、5月1日が八十八夜になります。昔から「八十八夜の別れ霜」といって晩霜を恐れたようですが、これを過ぎると気候も安定するため、農家にとっては種まきや茶摘みなどの農事の目安となる大切な日だったのです。まさに夏を迎える前の、生命力に満ちた明るい季語なんです。しかし、その字面から夜の情景に詠まれることの方が多いようですが、立春から八十八日目という意なら昼間の景でもかまわないんですよ。

 先ほど歳時記をめくっていると、次の句を見つけました。

  八十八夜茶うまし今を生きてこそ     

 これは、「馬酔木」同人で大先輩の木村風師(かざし)氏の句ですが、私は氏の名前だけで実際にお会いしたことがありません。そこで、略歴を簡単にご紹介します。

 木村風師は、大正9年1月1日福岡市生れ。昭和23年「馬醉木」入会。昭和47年「鯱(しゃち)」同人。昭和48年俳人協会会員。昭和59年「馬醉木」同人。昭和61年「曙」同人、発行所・発行人。平成9年第一句集『素描』、平成18年第二句集『瑞光』出版。馬醉木賞受賞。福岡市文学賞受賞。福岡俳人協会賞受賞。平成24年1月逝去。享年92。

 私が覚えていることといえば、目が悪くて、確か全く見えなくなられても毎月欠かさずに投句されていたということと、風師という俳号が北九州市にある「風師山(かざしやま)」から付けられたということぐらいなんです。

 ちなみに、風師山は北九州市門司区、関門海峡に突き出た企救(きく)半島の先端にあります。風師岩頭(かざしがしら)、風師山、風師南峰の3つの峰があり、山頂からは、眼下の関門海峡に巌流島や関門橋、さらには周防灘や玄界灘の絶景を見ることができ、北九州市民に親しまれて、全山が公園になっています。

 さて、氏の第二句集出版が平成18年ということなら、私が同人になった後ですから、もしかしたら句集の贈呈に与っているかもと思って本棚を捜してみると…あっ、ありました!礼状を書くのに絶対一度は読んでいるはずなのに…殆ど記憶にございません。トホホ…でも〝あとがき〟はかすかに覚えていました。

 その本には、「謹呈 失明後の十年間の作品をまとめ、…」と、ありました。句集『瑞光』は、平成9年から18年までの388句を8章に分けて所収されていて、最後の平成17年から18年の章「今生」に、上掲の句は掉尾から3句目に収められていました。〈今を生きてこそ〉に実感が籠もっていますね。このとき氏は86歳、目が見えなくなって10年…今こうやって生きているからこそ八十八夜の新茶を美味しいと思って飲めるのだという喜びが、特に〈こそ〉に溢れています。もし今お元気でしたら99歳…。このコロナ騒ぎを知らずに逝かれたのはよかったかも。ああ、平成28年に亡くなった母や春郎先生も…み~んなこのコロナの恐ろしさを味合わずにすんだのは幸せだったと思いましょう。だって、このところ益々死者が増えていますし、コロナに罹った人の話を聞くととても苦しかったとかいうんですもの…

 句集については、長くなりそうですので次に紹介したいと思います。では、なぜテーマに〝八十八夜〟を選んだのかといいいますと…今日はそれをお話ししますね。

 実は我が家の恒例の〝茶摘〟を、本日やったからなんです。2本しかないお茶の木ですが、もうこんなに芽が伸びて、八十八夜を待ってたら伸びすぎになり固くなってしまいます。ということで、今日は一番茶を摘み、5月1日の八十八夜には二番茶を摘もうということに…。このところ毎年5月を待って摘んでいたのですが、まるで番茶のように茎が固く大きくなっていてダメだったんですよ。これも地球温暖化のせいかな。

 写真で見ても分かるように、もうこれ以上伸びるといけません。一番柔らかい上3枚の葉を摘むんです。二番茶はこの後にわき芽が出ますので、それを摘みます。茶摘みをした後、私がちょっとのつもりで草などを取ってから家に戻ったとき、もう主人がお茶に仕上げていました。なんと手際の早いこと、びっくりです。そのやり方は、まず摘んだ茶葉を洗って蒸します。それを時間があれば天日干し、早くしたかったらレンジである程度乾燥させます。それを最後はフライパンで焦がさないようにから煎りすれば、できあがり。量が多いとなかなか乾かないので大変なんですが、ちょっとの場合はこれで十分に飲めるようになります。

 

 それでは、まず一番茶を…そう、できたての新茶を淹れて飲んでみることにしました。お茶請けは石垣島名産の〝しょうが糖〟。見栄えは悪いですが、ほうじ茶ですから香りがよくて…ほら、美味しそうにみえませんか? ハイ…ごちそうさまでした!

 ちょうどコロナばっかりの毎日ですので、これで退屈しのぎになりました。よかった、よかった!

 

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コロナにはもう飽きましたので、今日の話は???

2020年04月18日 | 俳句

 今朝は昨日の雨も上がって、しっとりと…でも昨晩は結構風が強かったのかしら、柿の小枝があちらこちらに折れて散らばっていました。

 コロナは予想通りとうとうクルーズ船抜きで1万人を超えましたし、死者も200人を超えて今日は236人とか。(これはクルーズ船を含む) これにどうやったら歯止めをかけられるんでしょうか。

 ところで、昨日の〝都忘れ〟にちなんで、倉田紘文(こうぶん)氏のことを書きましたが、十分言い尽くせませんでしたので、もう少し書かせて下さいね。

 私は今でも氏の顔がすぐに浮かびます。74歳というのは今ではまだ若いですよね。主宰された俳誌「蕗」は、2014年6月に氏が亡くなられると、その後10月には句会を発足させ、翌年の1月から「蕗の里」が継承誌として発行されました。実は「蕗」の最終号の発送を見届けてから、紘文氏は安堵されたかのように永眠されたんだそうな。それを知って私は胸が痛くなりました。

 その「蕗」の最終号(平成26年3・4月号)に載った俳句…辞世の句といってもいいのでしょうか、その句と巻頭言をご紹介します。最後まで紘文氏らしい優しさのにじみ出た句で、まるでこれは〝仏様〟の境地のような気がしてなりません。季語は「明易し」で、短い夏の夜をいいますが、まるで夜明けとともに昇天していくような感じがしませんか。  

  てのひらをやさしく合せ明易し  紘文

 「自然を大切にする」「写生を重んずる」「一人一人が皆平等」を標榜し、主宰・倉田紘文並びに誌友の皆様で、師・高野素十先生の提唱してこられた“写生俳句”の継承に精進してまいりましたが、今月号をもちまして廃刊の運びとなりました。43年間、誌友を始め多くの方々に支えていただき厚く御礼申し上げます。

 ちなみに、「蕗の里」では、昨年の2019年6月に大分市で氏を偲ぶ俳句大会が催され、「ゆけむり忌」「紘文忌」を季語として詠み、みなが献句したのだそうです。また、今年の1月には創刊5周年の記念俳句大会も催されたのだと。よかったですね。 合掌

 もう一つ、紘文氏のことで心に残っている事があります。それは、初心者に俳句の話をするとき、私はよく氏の句を例に上げて説明していたということ。その句は〈秋の灯にひらがなばかり母の文〉で、第一句集『慈父慈母』に所収の句です。この句にはもう一つ、〈秋の灯にひらがなばかり母へ文〉という同時作があって、この助詞の「の」と「へ」の違いによって、詠まれた場面ががらりと変わるということなんです。

 これらは「芹」雑詠で初めて巻頭になった句で、病後、母からの短い手紙と母への返事を、〈母の文〉と〈母へ文〉と替えて詠んだもの。その時の主宰・素十の評の言葉には、「平仮名で書く母の文、それは全く悲母という言葉にふさわしいのである。あるものは只母と子との愛とその姿とだけである。この句々はそんな美しい感銘がある」と。

 師素十の亡き後、その精神を引き継いだ「蕗」には、俳誌「芹」の会員たちも参加し、二千人という大所帯になっても、会員の一人一人皆平等という精神を貫いて、同人制はとっていなかったといいます。

 また、氏の人柄を偲ばせるのによい、こんな話も伝わっています。

 かつて会員への挨拶で呼びかけたことば、「さあ、自然を詠おう」が何だか気になり、「さあ、また自然に学ぼう」と、「を」を「に」とつぶやいたとき少し安堵の感を覚えた、ということを言われたんだそうです。

 みなさん、この助詞の違い、お分かりになりますか。是非考えてみて下さい。

 また、「蕗」最終号に載った氏の挨拶文と編集後記の一部を、参考のためにご紹介しますので、読んでみて下さいね。

 小俳誌「蕗」終刊の御挨拶

   蕗の葉の大きくなりて重なりし

 いよいよ俳誌「蕗」誌も508号で終わりとなりました。
 長い間、共に歩いていただきました誌友の皆様方、又、工藤隆子様(初代編集部)始め、編集にたずさわっていただきました皆様、只々感謝とお礼の気持ちでいっぱいです。有り難うございました。心より重ねてお礼申し上げます。
 分刑印刷様並びに興栄社様、佐伯印刷様の長きに亘る毎月の印刷業務に心より厚く感謝致しますと共にお礼申し上げます。
 貴社の今後の益々の御発展を心よりお祈りしています。
 全国の誌友の皆様、これよりの日々をくれぐれもご健康で御健吟下さいますようお祈りします。さようなら   

   平成二十六年 皐月           「蕗」主宰 倉田紘文

 《後記》

編集企画部
○万緑滴る美しい季節の中、「蕗」誌がとうとう終刊を迎えました。
 この度も紘文主宰は、体調の思わしくない中、誠心誠意、選句の努めを果たされました。四月号分は全員二句を選ばれ、正に〝一人一人が皆平等〟の精神で終わりました。
○これから紘文主宰は、ご家族と共に、ゆっくり静養に専念されます。必ず快方に向かわれることを信じて、皆様と共にお祈りしたいと思います。(以下略)
 ちなみに、氏の履歴を調べていると、びっくりすることがあったんですよ。私が初めて勤務した高校に氏も勤務されていたと…エエッ、とその時期を見ると、ちょうど入れ違いでした。私は1年で辞めましたので、もしそのままいたとしたらお会いして、一緒に働いていたんだと…。でも、その時はまだ私は俳句の〝は〟の字も知らない頃でしたからね~。〝縁〟なんてどこに転がっているのか分からないものですね。

 写真は、先日の八重山諸島のお土産、島の特産品です。①は、沖縄西洋菓子〝ミルクくんぺん〟…波照間島産の黒糖と沖縄県産の牛乳を使い、琉球伝統菓子〝くんぺん〟をしっとりやわらかに焼き上げたもの。②は、西表島のおばあのおすすめ、〝あんだんすー〟…これは、沖縄の昔からの保存食。各家庭の、まさに〝おばあちゃんの味〟の味噌加工食品なんですよ。

 

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〝都忘れ〟を根分けして植えました!

2020年04月17日 | 俳句

 益々コロナの感染が全国的に勢いを増して酷くなってきているようです。東京は今までの最高、200人を超えましたし、全国では9000人を超えて、クルーズ船を入れればもうすぐ1万人を超えるでしょう。死者も150人を超えていますし…。一体どこまで伸びていくのでしょうか。考えると怖くなります。

 宇部でも、先日の高校の教職員との濃厚接触者として、今日もまた1人出て、計30人になりました。こんなに毎日コロナの話ばかりでは気が滅入りますよね。

 そこで今日は、昨日買ってきたトマトやサンチュ、それにマリーゴールドを植えた話など。ああ、そうそう、その時に、もう花が終わりに近い〝都忘れ〟が2鉢、74円に値下げして残っていましたので、それも買いました。以前から欲しかったので、これはお買い得でしょ!うれしい。

 お天気は予報通りの曇りで夕方からは雨になりましたので、ちょうど良い具合。トマト苗は2つ。マリーゴールドをトマトやキュウリなどの苗と一緒に植えると虫がつかないということで、6苗ほど買いました。サンチュは2つ。それぞれプランターに植えました。

 ここでちょっと俳句のお勉強でもしましょうか。〝苗〟だけでは季語になりませんが、「苗市」や「苗売」「苗札」などは、野菜や草花の苗のことで、それを売るということなので、春の季語になります。ところが、「朝顔の苗」とか「胡瓜苗」、「茄子苗」などになると、これはもう夏の季語になるのですよ。しかし、実際には既にたくさんの胡瓜苗や茄子苗が店に並んで売られていたんですけどね。また、「苗配り」や「苗取り」、「苗運び」なども夏の季語としてありますが、これは稲の苗のことですので、勘違いしないように気をつけて使いましょう。

 さて、さて、〝都忘れ〟ですが、やはり鉢いっぱいに根を張っていて、根分けするのに大変でした。でもうまくいけば、来年はたくさんの花を咲かせてくれるでしょうから、楽しみ!

 ああ、〝都忘れ〟はキク科の多年草で、ミヤマヨメナの栽培種。春の季語です。〝都忘れ〟という名そのものにも詩情を感じますが、また、その色が〝江戸紫〟とは、ナントも心惹かれる花で、一句詠みたくなりますね。

  とほく灯のともりし都忘れかな   倉田紘文

 これは、倉田紘文の第5句集『都忘れ』の中の一句です。この句集は、1ページ1句だての贅沢なもので、そのあとがきに、次の言葉があったとか。
 〝「都忘れ」・・それは祈りのようなひそかなつぶやきです。〟と…

 〈(つぼみ)はや人恋ふ都忘れかな〉の句も収められています。 

 倉田紘文(こうぶん)氏には、山口県の俳句大会の講師として2度ほどお招きしたことがありますので、よく知っていますし、出身が大分県という事もあって以前から親しみを覚えていた俳人です。

 簡単に彼の略歴をウィキペディアより引用しますと…

 本名・ひろふみ。彼の父は俳人でしたので、幼少期から俳句に親しみ、1959年、19歳の時に耶馬溪で行われた「芹」九州俳句大会にて高野素十に出会い、「芹」に入会して師事しました。1972年、素十の勧めにより32歳で「蕗」を創刊、主宰。最後まで素十の教えを貫き、平明でありつつ詩情のある写生句を作りました。1940年生まれ。2014年6月に別府市の自宅にて74歳で死去。      以上

 

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山口県のコロナの現況は…

2020年04月16日 | 俳句

 今日も晴れて気持ちのよい一日でしたが、明日からまた下り坂になるとか…

 不要不急の用事でもないのに外出して…などと顰蹙を買いそうですが、先日のスマホの料金見直しで今回は予約して出かけました。でもこれは出かけて正解!見直しで今までの料金より2500円ほど安くなり、更に3月で機種代金も終わりましたので、来月からは合計4000円ぐらい安くなるんですよ。今までなんといらぬお金を使っていたのかと…完全にdocomoさんへ2年も寄付していたようなものだわ~。クヤシイ! 

 せっかく出たついでにと、苗土とミニトマトやマリーゴールドなどを買って帰りました。そのホームセンターで、ばったり句仲間のMさんに会い、〝句会がないので、もう困ってます…〟と。みんな一緒ですよね。ガンバロウ!

 家に戻ってから、さあ、昨日の続きを…と思ったのですが、二人とも何となく疲れて、今日は水だけやり明日植えることにしました。だって明日の夕方からは雨になるというのでちょうどいいかなと…

 ところで、昨日宇部から感染者が出たという話を書きましたが……これが大変なことになっています。聞くところによると、9日に発熱の症状を訴え、14日に呼吸困難となって自宅から救急車で救命救急センターへ搬送されたと。そこで濃厚接触した疑いのある教職員を15日に検査すると、3名の陽性者が出たんです。

 また、8日の入学式から出勤していて、その男性は学級の副担任なので9日に生徒約40人と集合写真を撮ったといいますし、運動部の顧問もしていると。このため県では15日に全校生徒約720人を自宅待機させて検温と体調不良がないかを確認させることに。発熱は9日の夕方からなので、10日からは校長の指示で自宅待機していたということだそうですが…。

 そのため山口県教委は16日から28日まで防府、宇部両市の県立高8校と特別支援学校2校を休校にして、防府市教委も15日午後から28日まで市立の28小中学校を休校とする措置をとりました。宇部市も同様でした。が、日々刻々とその対応が変わって、今日は県知事が5月6日まで県内の全ての学校を休校にするとか…私などはもう現役ではないので、次々と変わる様子にはようついていきません。

 しかし、いつも思うことなんですが、感染者は発熱したその日に罹ったのではなく、それ以前に罹っていたのでしょうから、それまでは知らずにいろんなところへ行っていた可能性があるでしょう…もちろん日頃よりは出かけなかったでしょうが、東京のような所ならいざ知らず、まさかと思って、誰に会ってどこでどう過ごしたかなどをしっかり記憶はしていないのではないのでしょうか。

 いつも陽性になってからその周辺を調べるのですから全てが後手後手です。今日も、後から出た3名の教職員の家族で、東京から戻っていた20代の男性の感染が増えましたので、現在山口県は29人になりました。これからもどんどん増えていきそうな気がします。せめて生徒たちだけには感染者が出ないことを、心から願わずにはいられません…が、私はただ祈ることしかできません。

 写真は、八重山のお土産…といっても、暑かったので由布島で主人が買ってすぐに着た〝かりゆし〟のシャツです。

 〝かりゆし〟とは、漢字で「嘉例吉」と書きますが、沖縄の方言で「めでたい」という意味。最初は1970年に沖縄県観光連盟が「おきなわシャツ」として発売し、その後、2000年デザインの限定を緩和することで、名称を「かりゆしウェア」に統一し、同年の沖縄サミットを契機として広く着られるようになったものだそうです。ハワイのアロハシャツと似ていますが、〝かりゆし〟は、八重山ミンサーや琉球絣・紅型などの、沖縄伝統工芸の織物を模した柄やゴーヤーやシーサーなどの沖縄独特の風物をモチーフとした柄で、ハワイのパイナップルやヤシなどのトロピカルなモチーフのものを華やかでカラフルな色彩で染めたアロハシャツより、おとなしい印象のシャツなんですよね。どうですか?いい色合いと柄でしょう。

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今日は〝菊植う〟日和でした!

2020年04月15日 | 俳句

 昨日、今日は最高気温20度前後…この前と比べると9度の差ですよ。もう、体がめちゃくちゃです。でも、昨日は結構強い風が吹いてそれほど暑くは感じなかったのですが、今日は風がなかったからちょっと蒸し暑いぐらいだったかな…

 ところで、昨日とうとうコロナが宇部にもやってきました!…なんて書くと、何か余程楽しい事がやって来たようで…〝ふざけんじゃないよ!〟とチコちゃんに叱られそう…

 このところの先の見えない逼迫した状態ではこんな冗談でも言わせてもらわなくっちゃやれきれません。でも、感染した方の身になって考えたら、全く冗談どころではないですよね。今回は県立高校の40代の先生なんですが、勤務先は防府市、住居が宇部市だと言うんです。宇部市といっても広いですからどこに住んでおられるのかは分かりませんが、でも学校の先生なら知ろうと思えばすぐに分かります。私もかつて調べたことがあって、勤務校さえ分かれば、教職員住所録というものがありますからね。感染経路ははっきりしないのですが、3月下旬に県外(熊本県)へでかけていたのでもしかしたらそこからかと…。

 また、こういうことはすぐに噂で広がりますので…そのうち自然に分かるかも。かといって〝それがどうした〟ですよ。……ですけどね、できればおばあちゃんちの近くでなかったらいいなあと思ってしまうんです。いけませんね。はい、ゴメンナサイ!

 ああ、もう1ヶ月半も全く句会を開いていませんので、頭が俳句モードから遠ざかってしまって何も浮かびません。だからブログのネタも…。これではタイトルが泣きますよね。さて、さて、何を書きましょうか。

 そうそう、今日はいい天気なのでやっとこさ腰を上げて菊の植え替えや鉢植えの整理をしました。先日植え替えをしようと土や肥料などは買ってきてもらっていたのですが、主人は買ってくるだけ。私がやらないとそのままなんです。でも、外で土いじりをするのは本当に気持ちのいいいもの。やっぱり家の中ばかりに閉じこもっていないで、外の新鮮な空気を吸わなくっちゃ!植物も人間も一緒ですよね。古い土では息苦しいでしょうし、栄養もなくなっているんですから、美しい花を咲かせようなんてどだい無理でしょう。

 さて、その〝菊植う〟というのは、春の季語なんですよ。

  菊植ゑて孫に書かする木札かな       一茶

 菊は、春になると枯れた古株から新芽を出しますので、それを根分けして植え直します。だから〝根分〟だけでも春の季語になるのですが、これは菊だけではなく、萩、菖蒲、桜草、都忘れなどの多年草やシンビジウムなどの蘭の株分けにも使います。それで菊の場合は〝菊根分〟もしくは〝菊植う〟で詠んだ方がいいでしょうね。ただし、〝菊挿す〟となると、夏の季語になりますので気をつけましょう。これは、大輪の菊などを咲かせようとするとき、5~6月頃に挿し芽をしますが、そのことなんですよ。

 上掲の一茶の句は平明でよく分かりますね。菊にもいろいろあるでしょうし、同じ菊でも色の違いがあります。それを葉だけで区別するのは難しいので、「黄菊」とか「白菊」とか、その種類を木札に書かせているんでしょう。ここでの問題は書かせているのが〈孫〉ということです。だって一茶は子供を幼くして亡くしているので、孫などいるはずはないのですから。だとするとこれは一茶の〝夢〟?でなければどこかで見かけた風景ということになるのでしょうか。

 まあそんなことは考えずに鑑賞すれば、おじいちゃんと孫との幸せな一時の、ほのぼのとした場面が浮かびませんか。我が家の菊はみんな小菊なんですが、今新芽が青々と一番力が漲っています。いい花を咲かせようと根分けして菊を植える姿、それに重ねて子供の成長も予想され…景のしっかりした一茶らしい温かいいい句ですね。

 今日の写真は、先日の八重山諸島での土産、〝ミンサー織〟のポーチです。主人に誕生日のプレゼントに買ってもらいました。骨折して面倒かけたのに厚かましかったかしら…。

 「八重山ミンサー」は素材が木綿、組織が平織り、生産地が石垣市と竹富町とする織物です。最大の特徴は、五つと四つの絣に「いつ(五つ)の世(四つ)までも、末永く・・・。」という想いが込められていることです。元々は、藍一色の「ミンサーフ(ウ)」という帯であり、これを愛する男性に贈ったものでした。近年まで竹富島にこの帯としてあったものが今日の「八重山ミンサー」の原型だそうです。
 これを製作しているみね屋工房は、ミンサー帯のいつよ織とヒジリウチクイ柄(×の模様は蜘蛛の手、◇はムチリ模様)を組模様に新柄創作し、今は途絶えた花織(浮織)で織り、〝八重山花織〟と命名。昔先人が伝えた熱い思いと人の幸せを祈る手織りの心を原点として1989年より織り続けているのだそうです。

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今日は〝啄木忌〟なんですよ!

2020年04月13日 | 俳句

 今日も小雨が昼過ぎまで降っていましたが、やっと止んで明日は晴れそうです。でも気温が低くって最高でもやっと11度だと。朝食卓に座ると背中からいやに温い風が…と思ってみると、なんと主人が暖房を入れてるじゃありませんか。イヤだあ~。だってもう4月も半ばでしょう!すぐに消しましたが…夜になるとちょっと寒いかな…。

 昼前に電話がかかり、先日あげた筍と蕨で〝山菜おこわ〟を蒸したから取りにおいでとおばあちゃんから…。すぐに主人が貰いに行って、早速お昼に食べました。ああ、おいしかった!でも、食い気の方が先で、また写真撮るのを忘れてしまいました。ゴメンナサイ。せっかくのおばあちゃんの手作りなのに…残念。それにしても99歳、なんと元気なことでしょう。スゴいでしょ!

 ところで、この4月13日は石川啄木の忌日、「啄木忌」で春の季語なんです。

 名前ぐらいは皆さんもよくご存じでしょうが、簡単に説明しますね。啄木は本名を一(はじめ)といい、明治19年(1886)岩手県南岩手郡日戸村のお寺の子として生まれました。与謝野鉄幹・晶子夫婦に師事し、若くして「明星」浪漫派の新進歌人として注目を浴びますが、生活は困窮しました。また、詩人や小説家も目指し、代用教員、新聞記者などをしながら北海道などを転々とし、その後上京して明治42年に校正係として東京朝日新聞社に入社します。翌年、口語体の三行書きの歌集『一握の砂』を出版。しかし、明治45年に26歳で亡くなりました。

 では啄木忌にちなんで、下の三つの短歌と俳句をそれぞれ見比べて鑑賞してみましょうか。歌は啄木のよく知られたもの、俳句は、きっとその歌を思いながら詠んだのではと思われるものを抜き出してみました。  

  不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心

  城の堀いまもにほへり啄木忌    山口青邨

  ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場(ていしゃば)の人ごみの中にそを聴きにゆく

  靴裏に都会は固し啄木忌      秋元不死男

  はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る

  啄木忌いくたび職を替へてもや   安住敦

 〈不来方のお城〉とは盛岡城のことで、15歳の頃の啄木は盛岡中学校を抜け出しては城跡を散策したり、文学書や哲学書を読み漁ったりしていたんだそうです。青邨も盛岡が出身ですから、この城跡へ来ては啄木のいた頃と今も同じだなあとしみじみと偲んでいるのです。

 不死男は横浜の出身ですから啄木のように〈ふるさとの訛なつかし〉ということはなかったかも知れません。が、父親が早くに亡くなって母子家庭となり弟妹もいたので、高等小学校を卒業するとすぐに働きに出ます。その都会での苦労や辛さが啄木の心情と通じ合ったのでしょう。

 最後の敦の句も、やはり父親の事業の失敗で上級学校へ進学できず、早くから働きに出ますので転職も何度かしたようです。職を何度替えようとも生活は少しも楽にならない…。あの手をじっと見る啄木の気持ちがいやというほど身にしみての感慨を詠んだものなんですね。

 以前忌日の句を詠むのは難しいと書いたことがありますが、このように世間によく知れ渡っている人の忌日ならば読む人も素直に納得できるでしょう。また、この啄木忌のようにその人の生き方や境涯が重なってより深く句を鑑賞してもらえるという良さもあります。そういうことをよく理解した上なら、忌日の句に大いに挑戦してみて下さい。頑張って!

 山口県のコロナは、ちょっと目を離したすきにあっという間に24人になっていました。新たにというのではなく前に感染した人と接触した人から出たようです。でも、もうどこから移ってくるかは分かりませんので私も気をつけます。みなさんも気をつけてくださいね。

 写真は、〝シャクナゲ〟。「石楠花」と書いて、夏の季語ですが…もうこんなにきれいに咲いていました。

  

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たまには仙人掌(さぼてん)でも見て…

2020年04月12日 | 俳句

 今日は一日中予報通りの雨…、植え替えた苗木にちょうどいい具合の雨で助かりました。

 このところどこへも出かけないので、毎日三食の準備が…そう、作るのも食べるのもイヤになりますね。それでというわけでもないのですが、昨日は久しぶりにショッピングセンターへ出かけました。

 骨折してからこういうところへは来ていませんので、一ヶ月半ぶりかしら。今回は私の携帯の料金が高いと主人がいうので、そのプランの見直しでドコモショップへ行ったのですが、残念ながらコロナのための短縮営業で閉鎖していました。じゃあ仕方が無いのでと、百均のダイソーへ行き、主人は木工用の板を、私は目当てのものが見つからなかったので、気分転換にと、かわいいサボテンを二つ買ってきました。他に靴や衣料品や食料品などいろいろな店があるのですが、こういう時期でぶらぶらする気もなれずすぐに帰りました。土曜日だからか、結構人は来ていましたが、でも、みんなせかせかした足取りで、用が済んだらそそくさと…という感じ。やっぱりコロナのせいでしょうね。帰りに急にケンタッキーのフライドチキンが食べたくなって、テイクアウト。もちろんおばあちゃんちにも届けましたよ。

 今日の昼食後、PCを開くとインターネットがつながらない!…どうして? 主人に聞くと自分のもそうだと。今まで何事もなく…特に私のは使っていたPCが調子が悪くって、最近買い換えたばっかりなんですから…。こうなると私は全くのお手上げです。主人があれこれとやっていましたが…いつまでたってもダメ。

 直ったのはやっと8時過ぎ…とうとう半日も費やしたと、主人がぼやいていましたが、私にはできないこと。ただひたすら待つだけ…。今まではせいぜい1時間かそこらで回復していたので、今回のように長時間ははじめて。その間は何も手につかずただボーッと過ごして。何これ!…ああ、ナントこんなにも私の生活はPCに毒されていたんだとつくづく思い知らされました。

 台風などで停電して電気が使えない暮らし…特にテレビが見られない暮らしなんて到底出来ないわなんて思ったことが何度かありましたが、今ではテレビがなくってもPCさえあれば大丈夫!何でも見れますし、情報も入ってくるので一安心ですものね。私がPCを今のように年がら年中使い出したのはブログ書き始めてから。だからまだ3年ちょっとなんですよ。恐ろしいような変わり方でしょう。自分でもびっくりですもの。

 以前、退職したらパソコンでも習うといいよなんていわれて習い始め、最初はさっぱり分かりませんでした。やっぱり使い慣れたワープロの方が…といって、主人からなんと言われようとも頑固に使っていましたっけ。そのワープロが故障してもう部品がないとか、挙げ句の果ては製品そのものが製造中止とか…とうとう仕方なく切り替えたのが3年前頃から。その練習もかねてのブログ開始だったんです。それがとうとう本命になって…〝ミイラ取りがミイラになった〟なんてヘンな喩えかな?

 でもワープロには大変お世話になりました。本当にありがた~い優れものです。考えてみるとそれ以前は全て手書きだったんですから…考えただけでもゾーッとしますでしょ。なかったらきっと…ああ、それで文章書くのがイヤだったのかしら? いやあ、それは別の問題でしょうけど。とにかく電子機器の発達の速いこと、速いこと。到底そのスピードにはついて行けませんが、できる限りは頑張ろう…と思っています。

 今日は、コロナがクルーズ船を含めるととうとう8000人を超えて、死者も150人近くになったと。いまだにとどまるところを知りません。果たして7都府県の緊急事態宣言からの2週間後に期待できるのでしょうか。ただ祈るのみですね。

 今日の写真は、買ってきたサボテン。実はサボテンも漢字では〝覇王樹〟とか〝仙人掌〟と書いて、夏の季語なんですよ。でも、それは花が咲いてからのことですが…

 

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〝自己治癒力〟

2020年04月11日 | 俳句

 〝まいにち まいにち ぼくらはてっぱんの うえで やかれて いやんなっちゃうよ~〟という歌が一時流行りましたよね。子門真人さんの歌った童謡〝およげ!たいやききくん〟です。なんだかこの唄が今の気分にピッタリ。例えば〝……ぼくらはコロナの ウイルスに せめられて……〟と、替えて歌ったりするとね。でも、この後たいやきくんは海へ逃げ出すのですが…私たちはどこも逃げ出すところがありません。だって、じっとして動かずどこへも出かけないのが一番いいんですから。

〝たいやきくん〟は、結局自分はたいやきだからということで最後は食べられてしまうんですけど、なんだかいい結末ではないでしょう。これ子供たちに分かったのかしら?この童謡は本当はサラリーマンの悲哀を詠った唄なんですってね。その時は私も深く考えずに面白いので覚えて歌っていたような気がします。アハッ…

 昨日こちらのニュースで、コロナがここまで蔓延してきたら、最後は自分で自分を守ることしかないと、あるお医者様が言っておられましたが、その通りですね。じゃあどうやって自分を守るのかというと、それは自分の〝免疫力〟を高めるということですって。そう、体力を付けてストレスに負けない強い精神力を持つことです。

 今朝主人と話したこと…〝あなたスペイン風邪って知ってる?〟〝知るわけないじゃろ!まだ、生まれとらんわ…〟当然二人とも言葉だけでしか知りませんでした。そこで、〝世界の人口の4分の1に相当する5億人が感染して、死者は5000万人ともいわれる人類史上最悪の感染症の一つなんですってよ〟と言うと、〝ふ~うん。じゃあ日本はどうじゃったんかいの…〟と。〝日本も当時(スペイン風邪が流行したのは1918年~1920年)の人口5500万人、その43%に当たる2380万人以上が感染し、40万人近くの人が亡くなってるんですって〟(これウィキペディアからの受け売りですが)……二人ともしばらく無言です。〝よう生き残ったいね~、お母さんたち〟〝そうじゃのう〟

 考えてみれば、私たちの両親が生まれたばかりかまだ1,2歳頃に流行ったんです。もし誰かがこれに罹って亡くなっていれば、私たちも当然生まれてこなかったということです。〝スゴイ!お母さんやお父さんたちみんな強かったんよね。じゃあ、私たちも頑張らなくっちゃ!〟と、二人で納得しました。

 どうです?みなさん。元気でましたか。私たちが今あるのはこの先祖たちの…いや遠い昔のことではなく、家にまだ写真が残っている祖父母や両親たちのおかげなんですよ。そう考えたら、私たちも今回のコロナを何とかして乗り越え、次の世代へ繋いでいかなくっちゃ申し訳ないでしょう。さあ、みなさん、一緒に頑張りましょうよ。

 この〝免疫力〟ということを考えていたとき、以前私が中国新聞のコラムを頼まれて書いた文章をふっと思い出しました。全てのものには生きる力があるということ。特に過酷であればあるほどそれをはじき返そうとする〝自然治癒力〟、そう〝自己治癒力〟が生まれるということなんです。よろしかったら読んでみて下さい。

  中国新聞コラム    自己治癒力                                               
 わが家には高さ六㍍ほどの泰山木(たいさんぼく)があった。しかし、周囲に大きな栗の木と梧桐(あおぎり)があり、思うように枝が張れずに上へばかり伸びていたが、それでも季節には大輪の真っ白な花を付け、私たちを楽しませてくれていた。
 夏のある日、そんな泰山木のためにと、主人が梧桐を根元からばっさり切り倒した。すると、その木は青空の下では何ともアンバランスで、いじけた枝ぶりをしていた。それで、今度は泰山木も四㍍くらいに切り詰め、おまけに枝の全くない下側の幹にハンマーで傷を付け始めたのである。たまらずに私は、大切な木になぜそんなむごいことをするのか、と詰問した。 すると、これが芽吹きを促し、枝を張らせる手っ取り早いやり方だ、と植木職のSさんから教わったという。すなわち傷を付けられた木はびっくりして、その傷を修復するためにそこから芽を出すことがあるのだと。その時は半信半疑だったが、一ヶ月後、本当にその傷口辺りからしっかりと小さな芽がのぞいていた。
 「傷められる」というのは木にとっては大変つらいことかもしれないが、この「傷む」ということがかえって自己治癒力を高め、成長をも促すのであると。だとすれば、生物にとってもこの行為は生きるために必要な過程に違いあるまい。人とて同じだろう。つまりは厳しい環境にもまれ、さまざまな「痛み」を体験してこそ、はじめて自力で生き抜くたくましさが備わるというものである。だから昔から言うではないか、かわいい子には旅をさせよと。

 上の文章を書いてからもう10年以上なるかしら。今この泰山木はいい枝っぷりになって、毎年香りの良い大きな白い花を咲かせてくれています。今度咲いたら写真載せますね。読んで下さったみなさまありがとうございました。

 今日の写真も〝さくら〟です。この2、3日、宇部ではちょっと寒い日が続いて、風もないのでさくらがまだ満開でした。少し散り始めたのもあったかな…。後半のは2枚が大島桜で最後のが山桜です。山ではもう葉がずいぶん出ていましたよ。

  

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おばあちゃんと〝花見〟へ!

2020年04月09日 | 俳句

 このところの余りの天気の良さが却って恨めしいこと!

 たまには風に吹かれて春の野を思う存分走ってみたい…いや、いや、もう年だから走るのは無理なので、せめて歩くだけでもいいのに。コロナ騒ぎと骨折で毎日が鬱陶しいことです。

 でも、考えてみると私たちでさえこんなに暗~い気分なんですから、99歳の義母はどんな気分なんでしょう。つい自分のことばかりを考えていました…ゴメンナサイ。

 というわけで、先日不要不急ではない…そう、必要なことなんですよ。義母と一緒に花見へ行ってきました。万が一来年の桜が見られないかも…とは思っていませんけど、でも何時何があってもおかしくない歳なんですものね。それに3月からはふれあいセンターの月2回の編み物教室もシルバーセンターでの体操も中止になって、せっかくの楽しみが全部なくなってしまったんです。それで暇だから草取りなんぞをしてるなんて言うものですから、無理しないでよ~とこっちの方が心配になります。

 だからといってどうしてあげようもないし…息抜きはたまの買い物とおしゃべりぐらい。でも、本当に感心します。決して私のように弱音を吐かないんですもの。私が本当の娘なら弱音も吐いてくれるのかも知れませんが、〝おばあちゃん、大丈夫?〟と聞いても、いつも〝大丈夫だよ。心配ないけんね〟という返事。昔の人は本当に芯が強いです。

 先日投句してくれた中に、〈ペースメーカーと共に百歳山笑ふ〉という句があって、もうびっくり。まさにこれはおばあちゃんの句やね~と言って大笑いでした。

 この句の季語は〝山笑ふ〟。木の芽や木の花に包まれる春の山を、朗らかに笑う人の姿になぞらえた春の季語なんです。人生の辛苦をなめ尽くしてきた…でもそんなこと微塵も感じさせない穏やかな笑顔のおばあちゃんです。人生のお手本にしたいのですが、到底私は足下にも及びません。そんな義母に今一番恐れていることがコロナの感染。とにかくいつまでも元気で愉しく生きて欲しい!…そう願うだけです。

 さて、そういうわけで気晴らしに花見へ…といっても、車の中から見るだけなんですが、ちょうどどこでも今を盛りの桜がしっかり目を楽しませてくれました。

 まずは人気の無いところからと二俣瀬の桜土手公園へ、次は山口の維新公園の桜、更に有名な一ノ坂川の桜と…。こんな時期ですから人がいないのかと思えば、やはり結構な人が見に来ていましたし、花の下でお弁当を広げている人もいましたよ。

 桜の魅力の方がコロナに勝ったんですね。コロナはいつまで続くのか分からないけど、今年の桜はもう今しかないでしょう。やっぱり一度は見ておきたいのが日本人というもの。

 最後は、豆子郎のさくら庵へ行って、しだれ桜を…でもどうしたのかしら。今年は花のつきが悪くてちらほらとしか…でも庭園の方はまあまあ咲いていましたし、ここには誰もいませんでしたので、車から降りて観賞しました。その後庭を見ながらさくら庵でお抹茶と桜餅をいただき…あっ、写真撮るのを忘れました。でも、これで何となく花見をした気分になって家へ帰れましたので、満足、満足!

 おばあちゃんお疲れ様でした!少しは気分転換できたかしら。また、頑張りましょうね。

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山口県にもとうとう〝集団感染〟が…

2020年04月08日 | 俳句

 今日も一日中の晴れマーク。気温もまあまあ、でも朝起きると…うん?あれ、あちらこちらが痛い…?ああ、そうか、久しぶりにこの前歩いたり、蕨を採ったりしたのがまだ響いているからなんだと、つくづく弱くなったものだと思いました。この年になって体力を維持するのはやはり大変なことなんです。骨折したり、コロナ騒ぎのために全くといっていいほど出かけませんし、運動らしいものも全くしません。リハビリはもちろん止められていますし…。だから全身の機能が低下するのも当たり前のことでしょう。じゃあこれを以前の体力にまで戻すのにはどのくらいの時間がかかるのかしら。…なんて言っている間に、年を取っていけばまた体力は落ちるのですからね~。イヤになっちゃう!

 いやはやついに昨日は緊急事態宣言が7都府県で発令されましたが、今日のニュースでもコロナウイルスの進撃は止まりそうにありません。クルーズ船を入れると感染者は5000人を超えましたし、死者も100人に近づいていますもの。

 山口県でもよそ事ではなくなりました。先日東京、大阪へ出張した会社員とその同僚の感染が発生し、合計12人になったかと思うや、昨日はその関係者で感染の可能性があるものを検査した結果、更に4人が加わり、あっという間に16人になってしまいました。先ほどのニュースではまた一人増えたと…。それぞれ重症ではないとのことですが、人々の不安をかき立てるだけですので、周南市にある会社名も公表されています。もし、接触した可能性のある人は検査して欲しいというコメントを付けて、社長さんのお詫びの言葉も載っていましたが、考えてみれば誰が悪いということではないんですよね。出張した社員が悪いわけではないし、その会社の社長さんのせいでもないんです。

 とにかく今は〝移らない〟ことより〝移さない〟ことを考えての対策を立てないといけない時期にきているのでしょう。感染の可能性があれば少しでも早く調べて、それに対応する方が広まらないし、みんなのためにもなりますからね。

 宇部市にはまだ感染者が一人も出ていませんので、小中学校は今日から再開しました。現在感染者が出ている下関や周南、下松、光市では公立高校が19日まで延長して休校だとか。小中学校でもきっと何らかの措置がとられるのではと思います。

 この7都府県の緊急事態宣言が一日でも早く効果を発揮してくれることを願っています。だって、どうしても出かけないといけないという会社もあるでしょうし、要するに死活問題になるんですからね。もし会社が倒産すれば、今度は従業員が失業してしまうという…悪循環になってしまいますでしょう。

 山口県の昨日のニュ-スでも、萩の大きなホテルがとうとう閉店を発表しました。今後も次々にそういうニュースが出るのではと思うと…これは山口県のことだけではないでしょう。このコロナのせいで日本中が、いや、世界中がこれからどう変わっていくのかと思うと全く予想がつきません。考えるだけでホント怖いです。

 こんなことばかりでこのところ何もかもやる気が起こらなくなって、我ながら困ったもんです。ブログも書きかけては途中でやめてしまいます。どんなときでも欠かさずに書いていらっしゃる方々を心から尊敬します。何が起ころうと〝平常心〟でいられるというのは、人間の出来が違うんでしょうね。そう思うと私はまだまだ修行が足りないようで…ハイ。また、気を入れ替えてがんばりますんで、よろしく!

 今日は、八重山諸島の花でも観賞して、気分を変えてみますね。

①サンタンカ ②? ③ムラサキヤハズカズラ ④⑤⑥モンパノキ ⑦キダチベンケイ ⑧⑨ターネル・ウルミフォリア ⑩⑪ハナチョージ ⑫? ⑬? ⑭リュウキュウアサガオ ⑮⑯ミッキーマウスツリー

 

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