ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

女郎蜘蛛

2017年08月31日 | 俳句

 テンプレート変えました!と言ってももう二,三日経ってしまいましたが…。本当は9月になって変えるつもりが、あれこれ見ているうちにこれになってしまいました。秋ですからそれらしい物をと言うことで、やっぱり〝紅葉〟かなあ~と、でも本格的な紅葉にはまだ早いので〝初紅葉〟か〝薄紅葉〟ぐらいでと…どうでしょうか?

 〝初紅葉〟は、その秋の最初に見た楓などの紅葉のこと。高山地帯から低山地帯へ、また北方から南方へと錦色がゆっくりと降りてくる。その初めの紅葉はやはり印象深い。〝薄紅葉〟は、紅や黄がまだうっすらとした色合いの頃の紅葉をいう。錦繍の紅葉と違って、まだ緑を残しつつも染まり始めた頃の何とも言えない未完のやさしい風情は日本人の美意識にも通じるもの。

   振り返るこの世短し初紅葉    水原春郎

   薄紅葉して静かなる大樹かな   高浜虚子

 馬酔木の前主宰・水原春郎先生が去年の9月に亡くなられて、早いものでもうすぐ一周忌(水原家は神道なので、一年忌というのかしら?)がきます。この句がいつ頃詠まれたものかは分りませんが、〝過ぎてしまえば何でも短く感じる〟とか〝考えてみるとあっという間だった〟とか言われるように、本当に「この世は短し」なんですね。私だって昔20代の頃は先はまだまだ遠~いと思っていましたもの。なのにあっという間でした。もう残りがどれほど…などということは考えないことにしています。でも自然の運行や、運命とかには逆らえない、木でも人間でも。だから「静かなる」なんでしょうね。

 この写真は〝女郎蜘蛛〟、夏の季語です。蜘蛛は昆虫の仲間ではなく、ダニ、サソリ、カニムシなどに近い動物。脚が四対、頭と胸が一つのかたまりになっている点で、脚が三対、頭胸腹の三つの体からなる昆虫とはすぐに区別がつく。日本にいるものだけでも1000種を超え、生態もさまざま。多くは糸を分泌して巣を作り、これにかかった昆虫を捕食する。1995年ごろから日本各地で発見された外来種の〝セアカゴケグモ〟という毒蜘蛛がニュースで騒がれていましたが、今はどうなっているんでしょう。もうどこででも見られるようなものになってしまったの?コワイですね!そういえば、最近は毒蟻の〝ヒアリ〟が騒がれているようですが…。

 〝女郎蜘蛛〟は最も目に付く大型の蜘蛛で、鮮やかな黄色に黒や赤の混じった装いで、女郎(遊女)の字を当てますが、高級女官の意味の上臈(じょうろう)を当てることもあります。要するにこの大きいのは雌ということですが、では雄はどこに?雌に比べて大きさも半分以下、色も地味だそうです。面白いことに交尾は雌の食餌中にするらしい…なぜって?それは取って食われないために…ですよ。

   蜘蛛夜々に肥えゆき月にまたがりぬ   加藤楸邨

   巣を張つて日の暈に入る女郎蜘蛛    廣瀬直人

 夜と昼の蜘蛛、楸邨の句も言ってないけど女郎蜘蛛だと思うんですが…どちらもすごいですね。私もこんな句が詠みた~い!

 

 

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〝金水引〟と〝水引〟

2017年08月30日 | 日記

 このところ朝夕は涼しくなって、エアコンを付けなくても寝られるようになりましたが、昼間はやっぱり暑いですね。昨日はやっと原稿も一段落して余裕ができたので、久し振りに整形へ行き、リハビリと運動をしてきました。

 今日も午後は健康体操でした。このところ机にばかり座って体を動かさなかったので、足腰が…特に悪い膝の調子がいっそう悪くなりました。この膝痛は〝変形性膝関節症〟と診断され、最初はヒアルロン酸の注射もしましたし、湿布薬や飲み薬なども処方されましたが、どれも良くはならないし、そのうち続けるのが嫌になりましたね。それで、リハビリしかないのですが、ここの病院は普通の電気治療とかではなく、ストレッチや筋肉トレーニングなどの運動をして、自分の筋肉を鍛え膝をホローするというやり方なんです。スポーツリハビリとか言って、それが認定されている病院。だから週3回は来るように指導されているのですが、忙しかったり少し調子が良かったりするとすぐにサボるんですよ。これではいけないとは分っているんですがね。

 この膝は父からの一種の遺伝かな?足の形が父にそっくりですから…父も晩年には歩けなくなって…でも出掛けるのが好きでしたから、兄や弟たちが代わる代わるにどこかへ連れて行ってましたね。勿論車椅子で。だから、私もそうなるかも…と恐れて早くから運動したりしてきたんですが、今度は運動をしすぎて却って悪くしたりと、最後はやっぱり歳には勝てませんでした。最初に痛めたのは、青森の八甲田山に行くためのトレーニングをしていて痛めてしまったんです。それが直前でしたので病院で痛み止めの注射をして貰って、無理に参加したのが悪くて、それから無理をするとすぐダメになるようになりました。一番ひどかったのはカンボジアのアンコールワットへ行った時。暑い最中登ったり下りたりの連続で、とうとう最後の日は痛くて足を引きずりながら帰国しました。それからまた整形のリハビリ通い。そんなことを繰り返して、今はもう山には登れなくなりました。だから参加はしても里歩きやケーブルカーで上がったりするような楽々コースなんです。それでも楽しいから出掛けるのですが…今年は、9月中旬に奥日光の白根山、ザンネンですが用があって参加できませんので、寂しいです!

 でも私は、まだまだ吟行などで歩くことが多いので、膝は大事に使わないと…もし歩けなくなったらと、それを考えると恐ろしいです。さあリハビリさぼらないでガンバロウ!

 写真は〝金水引〟と〝水引〟です。〝水引〟は秋の季語で、タデ科イヌタデ属の多年草。高さ60~90センチで、茎は細く硬く、葉は先の尖った楕円形。花軸は上から見ると赤く、下から見ると白く見える。白花の〝銀水引〟紅白の混じった〝御所水引〟などがあり、贈答品を結ぶ飾り紐の水引に似ているのでこの名がある。しかし、〝金水引〟は季語にはないんですよ。同じような水引の名が付いていますが、実はこの花はバラ科キンミズヒキ属の多年草。秋に茎頂の総状花序に、黄色の小花をつけ、果実は刺毛で他物に付着して運ばれる植物です。

   水引の花の人目を避くる紅   後藤比奈夫

 

 

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現の証拠

2017年08月28日 | 俳句

 昨日今日は、朝夕のちょっとひんやりした感じが気持ちいいですね。やっぱり秋だなあ~と思いきや、またまた高温注意報が出ています。案の定昼の暑いこと暑いこと…衰えてはいませんでした。

 今日は午後から句会でした。兼題は「稲妻」、勿論秋の季語です。しかし、同じ放電現象でも「雷」というと、夏の季語になってしまいます。雷の場合は「神鳴り」というように、音が中心で考えられたものですが、「稲妻」は光に注目した季語で、この現象が稲の出来に深い関わりがあると昔から農民たちは考えていました。それで「稲の夫」とか「稲の殿」「稲つるび」などとも言ったのです。

 先日恐ろしいほどの稲妻と雷鳴でビックリしました。テレビでもどこか外国の、もの凄い稲妻の映像をちらっと見たのですが、それはまあ、まるであの〝天網恢々疎にして漏らさず〟の言葉を連想するようなものでしたね。コワイ!

   稲妻のかきまぜて行く闇夜かな   向井去来

 去来の句、感じがよく出ていますね。教室でも〈稲妻や三つ数へて息をせる〉という面白い句が出ていました。結構点が入っていました。勿論私も頂きましたよ。はっきりとは分りませんが、何となく魅力的な句です。きっと何か子供の頃の言い伝えかおまじないのようなものがあるのでは…と思って、作者に聞いてみました。すると作者曰く「子供の頃から雷が鳴ると、三つ数えたら絶対大丈夫だよと言われていたんです」と。即ち1,2,3と数えてゴロゴロと鳴ったら雷とはそれだけ距離があるということだったんです。子供の時はそういうことは考えないので、ただ怖いのをとにかく三つ数えてやり過ごしていたんですね。昔から怖いものの順番に〝地震・雷・火事・親父〟と言われていましたもの。でも最初の三つは今でも同じだけれどねえ~最後の〝親父〟は…もう死語でしょうか???どう思います、お父さん!

 もう一句〈直会の夫待つ夜や稲光〉、今日の最高点句でした。直会とは、神事が終わって後、神酒・神饌をおろしていただく酒宴のことです。何と今日は稲光の激しいこと!そろそろ夫も帰ってくる頃だが、きっといつものように酔っ払っているだろう、とそんな夫の身を案じながら待っている妻(作者)なんですよね。と言うと、作者がすかさず、「主人はいつも大事なとき、例えば子供が生まれるときなど、どこかで酔っていていなかったんですよ、それも3人ともですよ!」「そりゃ恨めしいわよね」と慰めると、「その酒が好きなところが好きで結婚したんですけどね…」と。まあ~ごちそうさま!でも、ご主人は何年か前に亡くなられているんですけどね。そう言えば、以前介護をされていたとき、俳句が息抜きだと言って始められたんでしたっけ。 

 写真は、「現の証拠」で、夏の季語です。フウロソウ科の多年草で、山野に自生し、夏に梅の花に似た五弁の花をつけます。だからこれは咲き残りか、暑いのでまた狂い咲いたのか、どちらかでしょう。沢山はありませんでしたので。ただ、歳時記に西日本では紅紫色が、東日本では白が多いと書いてありましたが、西日本での白は珍しいのかな?我家では毎年両方が咲きますが、今日は紅紫色はどこを探しても見つかりませんでした。茎・葉は下痢止め、健胃に効きますと。

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許六の十団子

2017年08月26日 | 俳句

 今日8月26日は、「許六忌」。勿論陰暦ですが…。蕉門十哲の一人、森川許六(きょりく)の忌日です。許六は近江彦根藩士の家に1656年に生まれ、漢詩や絵画など種々の芸事や武芸にも才を発揮し、六芸に通じたので芭蕉から「許六」の号を授けられたという。俳諧は初め貞門・談林俳諧を学び、元禄5年(1692)出府の折、芭蕉に入門した。詩画に優れ、芭蕉の絵の師ともなった。技巧的、絵画的な色彩感覚の句を得意とし、芭蕉晩年の教えを俳文集『本朝文選』や俳論『歴代滑稽伝』などで伝え、1715年60歳で没。

   十団子を軒に吊して許六の忌   栗原あい子

 ところで、なぜ急に許六のことをここに書いたかというと、先日〈十団子も小粒になりぬ秋の風〉という許六の句が、どこかの新聞(読売新聞ではない)のコラム蘭に取り上げられたらしく、この句についての解説を頼まれましたので、一応私の分る範囲で少し書いてみようと思ったのです。

 まずこの句には、「宇津の山を過ぐ」という前書があります。「宇津の山」とは、駿河国(今の静岡県の中央部)の岡部と丸子の宿の間にある宇津谷峠で、『伊勢物語』の東下りで知られる歌枕です。「十団子」はトオダゴまたはトオダンゴと読んで、麓の茶屋で売っていた団子ですが、室町時代からの名物で、初めは一杓子で10個ずつ掬って客に供する食べ物であったのが、近世に入ると、「大きさ赤小豆(あづき)ばかりにして、麻の緒」でつないだ数珠のようなものになり、食べ物ではなくなったそうです。調べてみると、今でもこの「十団子」は宇津谷名物(魔除けとして)として売られていて軒先に吊されているとか、また、和菓子としても箱入りの10個の団子があるそうですよ。

 句は、元禄5年7月江戸下りの折の吟で、同8月9日芭蕉に初見の時、5句を見せたところ、「うつの山の句大きに出来たり」と賞され、また、「この句しほりあり」とも評されたということが『去来抄』に記載されています。

 芭蕉のいう「しほり」とは、蕉風俳諧の根本理念の一つで、人間や自然を哀憐をもって眺める心から流露したものがおのずから句の姿に現れたものをいいます。ではこの句のどこが「しほり」かというと、「秋の風」と「十団子」という雅俗の取り合わせと、「小粒になりぬ」という凡庸な感想からくるしみじみとした感慨が、季節の移り変りと同時に世の移り変りをもしみじみと感じさせて、蕭条とした趣になることなんです。なんか難しげなことを書いてしまいましたが、要するに、秋風に吹かれてこの宇津谷峠まできたが、ここの名物十団子も何だか小さくなったように感じるなあ~と。

 そう言えば、世の中がだんだん不景気になって物価が上がりますよね…そんなある日店でスライスハムを買って帰り、それを食べるとき、エッこんなに薄かったかなあ~と、または、5枚入っていたものがいつの間にか4枚になっていたりと…、そんな経験、皆さんしたことありませんか?そういう時、秋風がいっそう身に沁みるでしょう?

 もう一つ、ついでにお教えしましょうか。今大河ドラマの舞台となっている井伊家菩提寺の「龍潭寺」には許六の描いたと言われる障壁画が多数あるとか…もし観光される時は心に留めておかれるといいかも。

 今日の夕方の空です。三日月が…そして、烏が次々とねぐらへ…秋風が…見えますか?(下方の白い点が三日月、上方の黒い点が烏)

 

 

 

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藪蘭(ヤブラン)

2017年08月25日 | 俳句

 8月23日は「処暑」でしたが、今年の残暑は衰えを知らないようですね。今日は少し曇でしたが、暑いのには変りありませんでした。やっぱり35度!

 今日は、25日締切の句稿、5句と5句を仕上げ、俳句大会の選句がもうリミットなのでそれも仕上げて送らないといけませんでした。だから今日の予定は全部キャンセル…5時過ぎやっと清書して郵便局へ急ぎました。6時までに出したら明日届くというので頑張りましたよ。でも、まだ書いて仕上げないといけない原稿が2ッ残っているんですよ…それでようブログ書いてるねえ~とよく言われます。自分でもアホかいなとは思うんですがね~(笑)まあ息抜きみたいなもんですから、読んで下さい。

 私の好きな花の一つに〝藪蘭(ヤブラン)〟があるのですが、歳時記にはどこにも見当たりません。とてもザンネンです。

 ヤブランは、林の下などに生える常緑の多年草。キジカクシ科ヤブラン属。別名「リリオペ」「サマームスカリ」、東アジアに分布。開花は夏から秋で、花は薄紫色の小さいもので穂状に咲き、葉は細長く先が垂れている。園芸品種には葉に斑入りのものがあり、花期以外でも鑑賞のため庭に植えられていることが多い。花の後には黒い実がなります。

 この〝ヤブラン〟でいい俳句でも詠めたら…、歳時記に季語として…なあ~て、夢のまた夢ですよ!モチロン

 これとよく似たのに〝ジャノヒゲ〟というのがありますが、これはしっかりと夏の季語になっていて、その実は〝竜の玉〟として冬の季語です。特にこの瑠璃色の実が〝竜の玉〟という名前のようにロマンがあって珍重され、俳句ではよく詠まれています。また、この実は硬くてよく弾むので、子供たちは〝弾み玉〟といって昔は遊んだりしたものです。我家にはジャノヒゲを植えていませんので、まだ見つけたことがありません。冬になってどこかで見つけたら写真を撮っておきますね。

   竜の玉深く蔵すといふことを   高浜虚子

 

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竜胆(りんどう)

2017年08月24日 | 俳句

 今日も〝高温注意報〟です。朝からちょっと洗濯物を干しに出ても汗がダラダラ…昨夜は暑くて目が覚め、とうとうクーラーを掛けてしまいました。今までにも残暑の厳しいときがありましたが、こんなに高い温度ではありませんでしたよ。32~3度だったかな?今年はいつまでたっても35~6度だもの。どうして山口がこんな最高温度圏に入ったのかしら???

 今日は俳画教室でした。画題は「竜胆(りんどう)」。秋の季語です。

 やや乾燥した草原に生えるリンドウ科の多年草。高さ20~100センチ。葉は対生し、披針形で葉柄がなく、9~10月頃、茎の頂や上部の葉の腋に筒状の鐘形の花を数個つける。青紫色で先が5裂する花は日が翳ると閉じてしまう。根を乾燥したものが漢方の竜胆(りゅうたん)で健胃剤。蝦夷竜胆(えぞりんどう)の改良種が切花用に栽培されていますが、濃い花色とつつましやかな姿は、もの思う秋の風情にふさわしく、古くから歌に詠まれてきました。

   竜胆や嶺にあつまる岩の尾根   水原秋櫻子

 この句には、「谷川岳天神峠眺望」の前書があります。秋櫻子先生の自句自解を覗いてみましょう。

 湯檜曽を過ぎると、道路が荒れてきた。湯檜曽川の磧には砂利が積まれている。清水トンネルの新しい開鑿が始まるためだそうだ。 

 土合駅を過ぎて、ケーブルカーに乗る。

 二十分で着く。リフトに乗り換え、天神峠の頂上へ向かう。風がまったくなく、空は澄みわたって、山の冷気が心地よい。下ってくるリフトのお爺さんが、声高らかに民謡を歌っていたり、四十格好の婦人が、筑前琵琶を吟じていたり。広々として気持ちまで大きくなるのかも知れない。

 峠に立つと、幾条もの岩稜が左右から集まってなる「苫の耳」と「沖の耳」が眼前に聳えていた。その険しさを、まのあたりに仰いで、さすが谷川岳と、圧倒された。林の中に、濃い藍青を湛えた竜胆が咲いていた。健気でいて強さもある花と知った。     (昭和39年作・句集『殉教』所収) 

 少しは雰囲気が出ていますか?まあまあ…アリガトウゴザイマス!

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涼新た

2017年08月22日 | 俳句

 昨日の夕立(?)はすごかったし、雷もすごかったんですが、落雷したとは知りませんでした。今日句会に行ってその話がさんざん出ました。全国版のニュースにも取り上げられていたとか…。そう言えば昔、中学校の授業中にものすごい雷鳴とバリバリッという轟音で外を見ると、校庭にあった大きな木(何の木か覚えていませんが)が火柱になっていたのが目に焼き付いています。もちろん後から見に行くと黒く焦げて裂けていましたね。昨日のも木が裂けて折れていたとか…コワイですよね。

 今日はまた〝高温注意報〟が出るぐらい暑かったです。実は朝母から電話が掛かり、「今朝から足が真っ赤に腫れて痛いんだけど…」と。「どうしたん?打ったか転んだかしたの?」「いいや、何もせんよ。」「じゃ虫にでも刺されたの?」とこんなやりとりをして、私は午後から句会だから、弟に病院へ連れて行って貰うように頼みました。すると、昼前電話が掛かってきて、入院したと。「エエッ!どうして?」「病名は蜂巣炎だって」「何、ホウソウエン?蜂にでも刺されたの?」こんな話知っている人が聞いたら笑うでしょうね。初めて聞く病名でした。すぐ調べてみましたら、広辞苑にありました。

 皮下組織・粘膜などの結合組織の瀰漫(びまん)性化膿性炎症。葡萄球菌または連鎖球菌が病因で、小さな傷などから侵入することによって起り、腫脹・発赤・圧痛・熱感を発し、化膿を伴うと。母の訴えと全く同じです。でも足の傷はもう1ヶ月にはなり、なかなか治らないので絆創膏を貼って風呂に入っていたのが、昨日はもういいかなと剥いで入浴したと。そしたら、すぐ次の朝からこの状態です。病院ではすぐに来たのがよかったと言われたそうで、今日から10日ほどの予定で入院します。句会の帰りに寄ってきましたが、痛みは和らいで楽になったけど、熱が37.8度ありました。でもまあまあ元気そうで安心しましたが…。ほんとに思わぬことがあるものです。なんぼ元気だと云っても95歳ですものね、どこかが傷むと連動してあちらこちらに影響がでますので、気を付けないといけません。でもこの程度でよかった!

 今日の句会の兼題は、「新涼」でした。立秋を過ぎて、夏とは違うしみじみした涼しさを感じること。夏の「涼し」は炎暑や蒸し暑さの中で感じるかりそめのものだが、「新涼」は、秋になっての引き返しのない涼しさ。肌をさらさらと吹きすぎる乾燥した風が心地よく喜ばしい中に、一抹の寂しさ、心細さも伴うものです。

   おのが突く杖音に涼新たなり   村越化石

 村越化石については以前紹介しましたから省きますが、この句もハンセン病の薬の副作用で全盲になってからの句だと思います。だから、自分の突く杖の音を聞いて、ああ~本当に秋になったんだなあ、この澄んだ感じは…と音を通じて新涼の外界を全身で想像して感じている句なんです。

 今日は珍しく全員の句に点が入りどれも似たり寄ったりでしたが、その中で唯一得点を集めたのは次の句でした。

   ネクタイを結び直して涼新た

 この句は、やはり「結び直して」がいいですねと云うと、作者曰く「サラリーマンのとき、ネクタイをしていると苦しいので休憩の時は緩め、また顧客に会うときにはネクタイを結び直して出掛けるのです。でも、少し涼しくなったのでネクタイを締めるのもそれほど苦にならなくなってという感じを詠みました…」と。これは4月に入った新人さんの句でした。さあ、みんなで拍手! もちろん花丸をあげましたよ。ついでに云うならこの句、私なら〈ネクタイを結び直しぬ涼新た〉としたいところ。

 家に帰ると、日の沈む前の空が何ともいえず、〝新涼〟の感じ!そこでスマホを取りに行き戻ってくるともう崩れて…ザンネン! でも少しは感じがあるかなと、下手な写真を撮りました。ゴメンナサイ! 

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夏休みの子供俳句教室

2017年08月21日 | 俳句

 今日は、夏休み宿題大作戦の行事で、子供の俳句教室でした。今年で3年目になりますが、先日の台風5号のため延期して今日になったので、参加者がぐっと減り、12名でした。最初の時は20名以上いましたので、ゆっくりと個人指導ができずに、バタバタしましたが、今回は少ない分じっくりと指導が出来、まあまあの成果がでたかなと思っています。

 9時から11時半まで、1年生から6年生までいます。嬉しいことは昨年も参加して今年も…という子たちが3,4人いたんですよ。やはりそういう子は呑み込みが早いですね。

 今年はちょっと趣向を変えて、〝しりとり〟遊びから始めました。子供たちにしりとり遊びをしたことある?と聞くと、みんな知らなあ~い!と。エエッ!これはビックリもんです。

 じゃあやってみようか…最初の子は「???」…なかなかでてきません。ホラ、どこに行った?何食べた?…という感じで、どうにかこうにか繋がっていったのですが、途中でとうとう低学年の子が「ま」になって、どうしても「わからん!」と。そこで、いつも一緒に手伝ってくれている私の仲間が2人来ていますので、〝オタスケマン〟よろしく助けて貰いました。すると、「マキ」と。みんなに知ってる?と聞くと一斉に〝知ら~ん〟と。そうですよね、今の子供たちは〝薪〟など使うことがないんですから思い浮かぶはずありませんよね。それで、今度は「マツ」というと、はじめは首をかしげていましたが、葉が針のようにとんがっている木と説明するとウン、ウンと分ったようでした。そうやって保護者の方も加わり一巡したところで、「さあ、今から俳句の話を…」と始めようとした途端、「もう一回やりたあ~い!」と声が。それで「おもしろかった?」と聞くと、みんな面白いと、とてもよろこんでいました。

 ちょっと意外でした。こんな簡単な遊びをして貰ったことがないという今の子供たち…、「今度から家族でどこかへ行くとき、時間があったら車の中でもできるからみんなでするといいよ」と云うと、みんな頷いていました。ホントに言葉に慣れていないんですね。今時のゲームなどにはすぐ反応できるのに、文字や言葉への反応が鈍いのはやはり馴れていないから。

 その〝しりとり〟に出た言葉が、今度は季節を表す言葉かどうかを確かめます。すると、プール、スイカ、ツバメ、トマト、トンボ…沢山の季語が見つかりました。

 次に、この夏休みで楽しかったこと、面白かったこと、悲しかったこと、嫌だったことなど.…思い出して、ノートに書かせ、それで一番云いたいことに印をつけさせます。ただ、「たのしかった」だけ書いている子には、「オタスケマン」たちが見て回って、「いつ?どこで?だれと?何をしたから?」など引き出させて書かせます。最後の仕上げは「どんな気持ちになったの?」と聞いてあげると子供たちはいろいろ説明してくれます。例えば泳いだら「お魚になった気分」という子がいたりして、これはシメタ!という感じです。最後はそれを5・7・5に…もちろん手助けしながらですが。中には自分でちゃんとまとめられる子もいますよ。

 全員がそうやって2句仕上げ、それを短冊に清書です。みんな子供たちの実感があるいい句が出来ましたよ。それをここにほんとは披露したいのですが…実は出来ないんです。なぜかって?だってできた句はみんな市の芸術祭の「俳句」に応募するんですもの。ザンネン!

 清書したらその短冊を持ち、各自前に出て発表します。その時はどの子の親御さんも来て見て貰っています。みんな拍手、拍手ですよ。全員の記念写真を撮り、感想を書いてホントにこれで終りです。

 済んだ後感想を見せて貰ったら、たのしかった、また来年も来たいなどと書いてあり、やった甲斐がありました。ウレシイ!

 終わって〝お疲れさん〟と、ランチを食べに行きました。それから帰るときザアザア降り出しましたが、家に着く頃には止みました。ちょうど一雨ほしいところでよかったです。ところで、以前6月28日に書いた「ゼフィランサス」、別名〝サフランモドキ〟や〝レインリリー〟がまた咲きました。こんなにきれいに…花数は少なくなりましたが。

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ジンジャーが咲きました。

2017年08月20日 | 俳句

 一昨日、昨日と句会でした。いつものことですが、終わった後は大抵俳句のことは考えません。しばらく間をおかないと…

 だからブログも書こうかなと云う気になったらと…その気になるのを待って書いています。どっちにしてもエネルギーのいることなんですよ。昔の私は何が一番苦手で嫌いだったかというと、〝作文〟!夏休みの宿題でも、絵日記(絵は好きでしたが)や読書鑑賞文などが嫌で嫌で、最後の最後まで粘ってやっと書き、いい加減なものを提出していました。絵日記は毎日書くことがないので一番困りましたね。だから小学生の頃に褒められたという記憶が一度もありません。その後も同じかな?…絵の方では入選したとかのちょっとした記憶はありますけどね。要するに何の取り柄もない地味な女の子だったんです。ホント!

 先日母の形見分けをしたとき、遺品を整理していて、懐かしい写真がたくさん出て来ました。父母の若かりし頃のとか、私たち兄妹の子供の頃とか…あの頃にしては結構いろいろなところへ遊びに連れて行って貰っていたんだなあ~なんて、でも殆ど行楽地というのでなく、山や野原などの自然があるところに弁当を持って…という様子でした。写真を見ていたら、もっともっとその頃の話を母に聞いておきたかったなあ~と、もう後の祭りですね。昔別府にいた頃の〝ジョン〟という犬の写真がありました。兄や私、すぐ下の弟まではよく覚えていて、懐かしがっていましたが、一番下の弟が〝オレ知らん〟というので、〝そりゃ当り前でしょう!あなたはまだ生れたばかりだったんだから~〟なんて、話が弾みましたよ。母がいたらきっと喜んで話題の中心になったでしょうに…。

 金曜日の兼題は「盆」でした。

 その時の句に、〈初盆や夫の声して振り返り〉がありました。季語の「初盆」とは、その人が死んでから初めて迎える盂蘭盆会のこと。「新盆」(にいぼん)とも言います。この句、何の解説もいらないですよね。とても素直に詠まれているので、作者の気持ちがスウッと心に入ってきます。ただそれは、作者のご主人が亡くなられたと云うことを知っているから。しかし、それを知らない人が読んだとしても、みんながそう感じるでしょうか。確かに「初盆」だから夫はいないのでは?と思う人が多いかも知れませんが、もし誰かの初盆に行って、そこで元気な夫から呼ばれたと考えても間違いではないでしょう。要するに「…して」という把握が甘いためにそうなるのです。俳句はその甘さが必要なときもありますが、読者にしっかりと伝えるためにはその甘さが邪魔なときもありますので、よくよく考えて詠むべきでしょう。そこでこの句は、以下のようにしました。

   初盆や夫の声かと振り返り

 こうすれば、この「…かと」という疑問が現実か非現実かと想像すれば、説明しなくとも容易に読者に分ってもらえると思います。ただ、このような句にはどうしても類想という問題が付いてきますね。私の場合だったら〈初盆や母の声かと振り返り〉という具合になるんです。そこを打破しようとするのは、そうそう簡単には出来ませんけれど。でも、こういう類想の句が出来たとしても、これが詠めるのは一回だけですし、作者にとっては亡き人への思い出になりますので、詠み残しておきたいものです。私はそれでいいと思っています。自分の実感ですから…。

 ジンジャーが咲きました。初秋の季語です。

 ショウガ科の多年草。原産地はインド、マレー地方。根茎から生じ、高さ1~2メートルとなり、葉は細長く先がとがり、裏面に柔らかい毛が生えます。茎の先に花茎が立ち、純白で芳香性のある花が密生して開き、本当に美しいし、よい香りです。

   ジンジャの香夢覚めて妻在らざりき   石田波郷  (この句の妻は今いないと云うことですよ、念のため…)

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夏水仙

2017年08月18日 | 俳句

 以前ブログに書いていた我家の〝夏水仙〟が咲きました。

 一応夏という語が付いているので、もう夏の季語と認定してよいと思うのですが…角川の大歳時記には出ていません。季寄せには、例句〈花かざし夏水仙の独り立ち  沢木欣一〉で載っています。

 ヒガンバナ科の多年草。中国原産で観賞用に栽培されたものが、だんだん野生化してあちらこちらでも見かけられるようになりました。葉は広線形で、8月頃枯れてしまい、そのあとに高さ60㎝ほどの花茎の先端に淡紅色のらっぱ状の花を数個つけます。調べてみるとやっと、〈夏水仙すつくと大地熱をもつ  山田みづえ〉がありましたが…やはり認定されていない季語で詠むというのは勇気のいることなんですね。結社などの場合、主宰がそれを使って詠んだ句を発表すると、たいていその結社ではOKになります。以前大久野島で一泊鍛錬会があり、そこで見られるという〝海蛍〟を観察しました。それでこの海蛍で俳句を詠み、季語に認められるようにしようとみんなで挑戦したのですが…。「早苗」ではOKでしたが、やはり「馬醉木」に投句するときは、結局夏の季語を入れて出しましたね。先生もそのほうがいいだろうと。次の句がそれ、「逝く夏」が季語で晩夏です。

   逝く夏の碧さをとどめ海蛍

 〝海蛍〟の説明はちょっとややこしいので、ウィキペディアを引用させてもらいます。

 海蛍は、顎脚綱(がくきゃくこう)貝虫亜綱 ミオドコパ上目  ウミホタル科ウミホタル属に属する甲殻類である。体長3-3.5mmでメスがやや大きい。夜行性で、青く発光する。日本の太平洋沿岸に幅広く生息。日本沿岸に生息する発光性介形虫としては最もメジャーな種である。全身を透明な2枚の背甲で楕円球状に覆っており、米粒のような姿をしている。昼間は海底の砂中で生活し、夜間に遊泳して捕食や交配を行う。沿岸生物のほとんどは潮汐サイクルに支配された生活リズムを持つが、ウミホタルは月齢による支配を受けている。遊泳時には背甲前端のスリットから付属肢を出して泳ぐ。遊泳活動が盛んなのは春から秋にかけて。水温が低下するとあまり活動しなくなるが、冬季でも完全に冬眠することはない。正確な寿命はわかっていないが、飼育環境下では成体が半年以上生存した記録がある。雑食性で何でも食べる。スカベンジャ的な食性を示すが、特に肉類を好む様で生きたゴカイやイソメ等を襲って食べることもある。名前の由来となっている青色発光の目的は外敵に対する威嚇で、刺激を受けると盛んに発光する。ウミホタルは負の走光性(光から逃げる性質)を持っているため、発光は仲間に危険を知らせるサインにもなっていると考えられている。また、雄は求愛ディスプレイとしても発光を用いる。

 昔先生から聞いたことがあります。せっかく俳句を志すなら、季語の一つでも残せ。そうしたら末代まで言い伝えられるんだから、頑張りなさい…と。エエッ!と驚いていると、先生曰く「夢は大きいほどいい…」。マイッタ!

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葛の花

2017年08月17日 | 俳句

 先日お墓参りに行ったとき、裏山に葛の花が咲いていました。葛や葛の葉だけでも秋の季語になりますが、葛の花は初秋の季語です。『万葉集』で山上憶良が秋の七草に「葛花」を挙げていますが、和歌や連俳では花よりも葉に注目されていました。近世俳諧から花も詠まれるようになって、近代短歌では釈迢空の〈葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり〉が有名。私も俳句を始める前にこの歌を知り、葛の花を見たい見たいと思っていました。

   葛の葉の吹きしづまりて葛の花   正岡子規

 この句のように、葛の花は茂った葉の中でちらちらと見え隠れしているので、ゆっくり近づいて見ないと、見過ごしてしまうことが多いですね。広い三小葉からなる葛の葉の裏には白い毛があって、翻ると裏の白が見えることから、「葛の葉の」は「裏見」が転じて「恨み」にかかる序詞になっています。

   葛咲くや濁流わたる熊野犬

 『秋櫻子俳句365日』の8月17日の句です。この句についての秋櫻子先生の解説を引用してみましょう。

 大和の五条から十津川行のバスに乗る。

 標高1千メートル、はるか下の谷は、左右とも刳れているが、道路はよく整備されて、不安はない。バスの前を赤蜻蛉がすいすい飛ぶ。二時間半かかって十津川村に着いた。

 先日の台風のため、水嵩を増した十津川は、常に濁っていて、澄むことは一年に数日しかないという。

 谷が深いためか、吊橋が多い。最長のものは三百メートル以上ありそうだ。面白い景色と思った。

 村には熊野犬を飼う家が多い。茶褐色で体は大きくないが、いかにも精悍そうで、いかにも川を渡りそうに思えて、この句を詠んだ。 

  ひぐらしや熊野へしづむ山幾重

 幾重にも重なった山々は、どれも鬱蒼と繁って、木材を満載したトラックが頻繁に走っている。わずかな余光の中、蜩が鳴き続けていた。(昭和35年・句集『旅愁』所収)

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精霊流し

2017年08月16日 | 俳句

 先日書いたように、今年は〝精霊流し〟に行けないので、昨日は遠くから母に別れを告げました。来年また戻ってきてねと…。そうしたら甥が、その時の写真を送ってくれました。勿論撮ったら送ってねと頼んでおいたんですが。

   豆殻のしきりに爆ぜて魂迎

 私の句です。季語は「魂迎」で秋。8月13日(旧暦7月13日)に我家ではいつも迎え火を焚きます。それが「魂迎」で、「門火」とも言います。そのとき、麻の皮をはいだ茎の苧殻(おがら)を焚くので、「苧殻火」ともいいますが、母は昔豆の殻で焚いていました。藁や麦の茎を使うところもあるようですよ。ところが、最近はスーパーなどでこれ用の小さな薪を売ってるとか聞いてびっくりしました。そう言えば、昔一番びっくりしたことに雑巾を買ってきたと言う話があります。いつも学期の始めには学校に提出していましたので、雑巾を縫って子供に持たせていましたがね~、ナントお金を出せば何でもありの時代になったんだなあ~とイヤになったことがありました。

 下の写真は〝送り火〟です。今度は盂蘭盆の終りに、この世に戻ってきていた祖先の精霊を彼岸へ送るために焚く火です。

   門火焚き終へたる闇にまだ立てる   星野立子

   送り火を焚きためらふは雨の音    篠田悌二郎

 昨日こちらは雨でしたが、大分の方は大丈夫だったんでしょうね。この写真のように精霊流しが出来たみたいだから…。今年は初盆だからですが、普通はこのように舟まで作ることはないんですよ…もっと簡単にします。

 ところで、よく考えてみたら盂蘭盆会は16日まで。すると本当は今日が送り火を焚いて精霊流しをするんですが、我家は随分昔から15日にしていました。どうしてか…母がいなくなったのでもう聞きようがありません。ザンネン!

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盂蘭盆会(うらぼんえ)

2017年08月15日 | 俳句

 「盂蘭盆会」とは、陰暦7月13日~16日まで行われる先祖の魂まつりのこと。正月行事に並ぶ大きな年中行事で、「盆」「お盆」で親しまれています。燈籠を吊り、精霊棚をしつらえ、祖先の霊を弔うため僧侶を招いて経を上げて貰います。今では、新暦で行ったり、月遅れの8月13日から行ったりと、一定していませんが、我家では月遅れの8月13日~16日で行っています。

   立ちかこむ杉真つ青に盂蘭盆会   水原秋櫻子

 下の句は私のですが、季語は「盆道」、秋です。墓までの道をきれいに除草して御霊の帰りを待つという風習で、精霊路ともいいます。

   刈り終へて盆道すぐに風のこゑ

 今年は、母の初盆(新盆)ですので、親族が一同に集まって供養をします。それで13日、私も旦那と娘と3人で実家に帰り、14日の棚経に参列して、お墓にもお参りしてきました。毎年お盆には帰省していましたが、大抵16日に棚経をするので、15日の送り火と〝精霊流し〟に間に合うように帰っていました。しかし、今回は13日に帰るので、迎え火が焚けるかなと思っていましたら、今年から迎燈籠を軒に吊すことにしたので焚かないとのこと。〝お母さん!この灯見えますか?我家の桔梗の紋ですよ。間違わずに帰ってきてね、待ってますよ〟

 祭壇も初盆らしくきれいに飾られていました。

 昨夜遅く帰ってきましたので、今日の〝精霊流し〟ができません。それで、その舟だけを見せて貰いました。父が長崎出身なので、そういうところは昔からきちんとしていて、子供の頃は、友だちの家などそんなことしないのに…と不思議に思っていましたが。この舟に盆棚に供えた供物や花を乗せて川に流すのです。このおもちゃは先に逝った姉のもので、母が大切にしていた物。淋しくないように一緒に流してあげるんだって…ウ~ン、泪が出そう!帰る前、形見分けもしていろいろと貰ってきましたよ。

   精霊舟草にかくるゝ舟路あり   米沢吾亦紅

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赤のまま

2017年08月11日 | 俳句

 今日も一日家で作業です。と言っても机での…ですが。明日はダブルでの句会で、しかも人数が多いときていますから、一番大変な日なんです。毎月の投句に加えて、今月は特別作品15句に、先日の吟行会の5句も作らないといけないし、ホントにホントに目が回る忙しさなんですよ。体力的にではなく、頭の方…すなわち神経的な疲れです。しかし、頑張らないと…

 13日の朝から、母の初盆で大分の実家に行かないといけませんので、やるべきことをしておかないと困るんです。こんなに忙しいからのんびりと感傷に浸っている暇が無い…それが却っていいのかも。だから、みんなから元気ですね~と云われるんでしょうか。

 初秋の季語で、その懐かしさでよく詠まれている「赤のまま」、それに「ペパーミントの花」です。外来のハーブ類は殆ど季語にはなっていません。「ブルーベリー」などは、花も実も随分普及していますので、もうそろそろ季語として認定してもいいのかも、と思うのですが、今のところ我が結社ではまだダメですね。「赤のまま」は、「犬蓼」(いぬたで)のことで、タデ科タデ属の一年草。草丈30センチほど、茎は赤みを帯び、細長い葉が互生している。1~5センチの花穂に紅色の花弁を持たない花をびっしりとつける。この粒々の花をしごき取って遊び、赤まんまと呼んで親しんできた。犬蓼という名は、蓼に似ながら用をなさないことに由来しているとか。

   

   赤のまま記憶の道もここらまで   下村ひろし

 下村ひろしも馬醉木の大先輩です。彼は、1904年~1986年、長崎市生れの医師で俳人。長崎大学医学部の在学中から俳句を始めて、1933年に「馬酔木」に入会し水原秋櫻子に死ぬまで師事。1947年「棕梠」(しゅろ)を創刊・主宰。終生長崎で活動して後進を育て、1977年『西陲集』(せいすいしゅう)で俳人協会賞を受賞。長崎の眼鏡橋の近くには、水原秋櫻子と下村ひろしの師弟句碑があるとか。

 

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2017年08月10日 | 俳句

 今日もまた、大失敗をしてしまいました。病院の検査をコロッと忘れていたんです。昨夜はしっかり覚えていて、旦那にももし忘れていたら云ってねと、頼んでいたんですけど…。気が付いたらもう時間が過ぎてしまって…おまけに朝食も食べてしまっていたのです。自分ながらあきれるやら嫌になるやら、もしかしたらホントにアルツハイマーか何かの兆候かも…なんて考えるとオソロシイ!自分でもどうしてこんなに忘れられるのかしらと思うほどです。直ぐ病院に電話しましたが、予約時間が過ぎてるからダメでした。それで次の予約を…と聞くと8月はもう一杯でダメ、9月も午前中は全部一杯だとのことで、9月の一番早く予約できる午後の日にしました。しかし、その日は診察の先生が居られないので、また別の日に行かねばならなくなりました。これも全て自分のせいですから仕方がありません…トホホ。(笑) まあ、忙しいからというだけでなく、それほど体調が悪くないから忘れるんだろうと、自分を慰めています。ホントにそれほど今忙しいんですよ。

 午後は俳画の教室でした。今日の絵は〝鮎〟です。これは夏の季語です。秋は「落鮎」とか「下り鮎」「錆鮎」などと云って区別します。鮎は、淡水魚で河川の上・中流の瀬や淵にすみ、縄張り内の付着藻類を食べて育ちます。姿が美しく、香気をもち、味がよいので古来食用として珍重され、川魚の王とか、川魚の女王とか呼ばれています。秋に川を下って、中・下流域に産卵するのですが、それが〝落鮎〟で、その産卵する前の〝子持ち鮎〟がまた美味しいんです。

 山口県の紅葉で有名な長門峡に、この子持ち鮎を句会の皆さんと一緒に食べに行きましたが、そりゃあ焼きたてで旨いのなんの…また今年も食べに行こうかしら…。

   化粧塩打つたる鰭や鮎見事

 水原秋櫻子先生の句です。ほら、ヨダレが出そうでしょう!先生は殆どお酒はダメだったらしく、ホントかどうか知りませんが、奈良漬けでも酔ったという話を聞いたことがあります。その代わり食道楽ではあったらしく、甘いものも好きだったそうです。昔の私に、〈秋櫻子ごのみや藷と栗の菓子〉と、詠んだ句がありますが、これは確か秋櫻子生誕100年の記念に、源吉兆庵から〝秋櫻子ごのみ〟として売り出された菓子を、その記念式典で頂いての作だったと思います。

 今日の絵は、まあまあ…かな?

コメント (2)
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