昨日はなんとも美しい月が皓々と出ていましたね。これはもう「冬の月」です。確か11月の満月はビーバームーンといって、一昨日の27日だったと。ところがこちらは雨で見られませんでしたので、つい気に留めていなかったのですが、昨日の美しい月でお婆ちゃんの亡くなった夜を思い出しました。そうです、今日の29日が月命日になります。あれから1ヶ月…早いというよりまだ1ヶ月というのが実感。
この日のお月さまの写真です。雲がどんどんなくなって、とってもキレイでした。でも、どうしてこんな色が…スマホを新しいのに変えたからかしら?
忙しい日々の暮らしに追われながらも…昨日おにぎりを作っていると〝炊きたての御飯でおにぎりが食べたい!〟とベッドから言ってたお婆ちゃんの声が聞こえてきました。この月の光を浴びる度にお婆ちゃんは蘇ってきて、私たちの中に生き続けています。
このごろ〝引き際〟という言葉が気になっています。引き際というのは〝現在の地位や立場などから身を退く時に、その時宜や退き方をいう〟のだと。〝引き際が悪い〟とか〝引き際が肝心〟などとよく使われますが、人の引き際というのはその人を後々までズウッと印象づけるもののようですね。
そう考えるとお婆ちゃんの人生の引き際は本当に見事でした。あれはお婆ちゃん自身がお膳立てしたのではと思うくらい。「後の月」と「月下美人」の咲く時になんて…こんな好条件はそうそうとは訪れないでしょう。お月さまが少しでも陰ったら…花の咲くのが1日でもずれていたら…そう考えたら、この偶然の一致は必然だったのではと思えてしまいます。
これが義母の亡くなった夜に咲いた月下美人です。
お婆ちゃんは、耳の悪い私が羨むほど良く聞こえてました。普通102歳といえば…体のあらゆるところが悪くて当り前。それなのにお婆ちゃんはどこといって困るようなところはなく、特に耳は特別いい。ある日お婆ちゃんのベッドの傍で看護師さんと内緒話をしていて、てっきり聞こえないものと思って話す看護師さんに、〝お婆ちゃんが聞いてるわよ〟と言うと〝嘘っ!〟と。だから、お婆ちゃんに今の話聞いてた?と確かめると〝うん〟ですって。だから何がほしい?と聞かれたら、私はいつも〝お婆ちゃんの耳〟と答えていましたものね。
義弟たちが京都に帰る前の27日の夜、4人で来月の予定を話し合っていたのです。なぜかというと、11月は各地域の文化祭が毎週末に目白押しでその展示に、おまけに主人は陶芸展までが重なって、その準備やら後片付けやらで2人ともが出ずっぱりになるから。それでどうしても京都から毎週来て貰わないといけなくなるわねと…そういう話をしていたのを、お婆ちゃんはもしかしたら…いや耳のいいお婆ちゃんならきっと聞いていたのでは?…と私は思ったんです。だってその挙げ句の2日後なんですからね。亡くなったのは。
これ以上みんなに迷惑を掛けたらいけん…介護疲れでみんながクタクタになったらいけん…ほどほどのところで…そう考えて自分が一番キレイに覚えておいて貰えるこの日を選んだのではと…。
おまけに、この日の看護師さんはお婆ちゃんが大好きなお気に入りのNさんで、リハビリもして貰って、〝また明日もね〟と言って分かれたんですよ。もうお婆ちゃんには思い残す事が無かったのかも。私たちにも〝もう少し介護したかったのに…〟というぐらいの惜しまれ方で身を退くなんて…見事としか言い様がありませんよ。
皓々とした月の光を浴びる度に〝お婆ちゃん、元気!そちらは寒くない?こっちはもう寒くって…あんなに暑かったのが嘘みたいよ!〟なんて、ついつい話しかけてしまいます。これからもきっと、いつまでも…
私も、そろそろ自分の〝引き際〟を…人生とは言わないまでも、今の俳句生活の引き際を本気で考えないといけないかなあなんて…月を見ながらお婆ちゃんに話しかけてます。〝あんたももう年なんだからそろそろ辞めてのんびりしたら…〟といつも言われてましたからね。