ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

7月の吟行会はどこだったでしょう?

2024年07月11日 | 俳句

 昨日は夜中に3回も緊急避難メールが入って、主人は眠れなかったと…

 へエーッ、そうなの?と、半信半疑でスマホを見ると確かに夜中の1時頃から3時過ぎまでに3回。朝のニュースでは宇部線をはじめ山口線、山陽線、山陰線など軒並み不通になっていました。下関では土砂災害や床上浸水なども…夜中に相当降ったようですね。調べて見ると、この時間帯には山口県下どこでもよく降ったようですが、特に1時過ぎの下関では瞬間降水量100㎜だとか1時間雨量が史上最大の85㎜以上だったとか、宇部でも69㎜と記録されていましたから本当にスゴかったんですね。

 でも、私が起きた時はしっとりと濡れてはいたものの小雨で…これは夜中に線状降水帯が通過したということなんでしょうけど。でも私はそんなこととは露知らずぐっすり寝ていて…暢気なものですね。これじゃあもし土砂崩れでも起こったとしたら逃げ遅れて真っ先に死んでしまいますよね。オオ、コワッ!

 今日の日中は小康状態でしたが、ニュースでは今夜から明日の朝にかけてまた降るかもと…。とにかく川岸や地盤の危険なところへは近づかないことですかね。でも、我家の近くにはそんなところはありませんから大丈夫だとは思いますけど…。

 さて、それでは先日5日の金曜日に行った月例吟行会の報告でも忘れないうちにしておきましょうか。

 今回のまず一番目の吟行地は、宇部市の小野茶産地の「藤河内」。その茶畑を一望に見渡せるという展望台へ。この日も晴れて最高気温は33度と暑い日でしたが、さすが展望台では遮る物が何一つ無くて、宇部市が360度見渡せましたし、涼しい風が吹き渡ってとても気持ちよかったですよ。

 写真は、茶畑ですが、まだ茶摘機で刈っていました。手前の濃い緑のところが刈った後で奥の黄緑が今から刈るところ。はて、これは何番茶になるのでしょうか。山牛蒡の花と捩花が咲いていました。どちらも夏の季語です。

 次は、この藤河内の近くにあるという宇部市指定の天然記念物「樅(もみ)の木」へ。この木は樹齢約200年と推定され、市内の巨樹の中でも最大級のもの。回りには廃屋と藪があって近くへ寄れませんでした。その横近くには藤河内八幡宮がありました。

 樅の木は、1枚目の写真では余り大きく見えないでしょうが、2枚目でその大きさが分かるのでは。樹高20.6メートル、根回り7.2メートル、目の高さの幹周囲は3.95メートル、枝張りは7~10メートルだそうです。八幡宮には〝鎮座400年祭記念碑〟があって建立時期は平成12年と。ナント参道に〝ままこのしりぬぐい〟がもう咲いていました。これは秋の季語なんですよ。

 最後は、廃校となった小野中学校の後を利用している、竹資源利活用の拠点となる総合施設「竹LABO(ラボ)」の見学でした。予約していた時間通りに行くと施設の方が待っていてすぐに案内してくださいました。

 「竹資源を生かして地域を元気にする総合施設」をコンセプトに2020年2月29日に開設。が、新型コロナの影響で一般公開を延期して、2021年11月21日より開始されました。見学は事前予約制で、常駐のスタッフが施設を案内してくれます。なんせ元学校なので冷房設備が殆どありません。約1時間の見学時間で汗だくだくになりました。しかし、とてもよい勉強になりました。

 この施設の立ち上げは、「竹の情報や有効活用方法をこの場所から発信して、地域の荒れている竹林を整備し、竹林やふるさとをよみがえらせ、元気な里山を目指したい」という目的、即ち国産竹に新しい付加価値をつけ「竹害」から「竹財」へ持続可能な新しい竹産業を構築していきたいということです。

 1階には竹製品を扱うエシカルバンブーの研究所や竹製品を作る作業場と地域の農産物の加工場を、2階には炭の紹介など行う「炭LABOルーム」と竹資源での起業を目指す人のコワーキングスペースを、3階には同施設内で製造された竹楽器など竹関連の品を多数設置した「竹のミュージアム」や県内外の竹職人・竹作家の作品の「特別展示室」など、それぞれ設けられていました。

 たくさん有りすぎて圧倒されたのと酷い暑さでかしら、撮った写真が殆どボケていて…まあ、見られるのがこれぐらいで…ゴメンナサイ!

 下の写真は、竹で作った〝灯籠〟、中に灯りを入れて点すととても幻想的になってキレイですよ。

 こうやっていろいろな展示物を見たり説明を聞いていると、私たちが昔からどれだけ竹のお世話になって生活し、生きてきたかということがよく分ります。なのにこの大自然の恵みを今では忘れてしまって、ただひたすら科学的な便利なものを追いかけそれに頼るばかり。その挙げ句にそれを産み出す産業廃棄物や家庭から出る山のようなゴミの処理に困るという現実を、改めて思い知らされます。そういう認識を大いに強め、これからの生き方を改めていかないといけないなあと、つくづく思わされたことでした。

 そう、そう、案内して下さった方も仰っていましたが、竹冠の漢字のものは全て竹で出来たものか関係があるものだと言っていいですよと。熊手や箒、笊や籠などの容れ物などはみなそうですよね。それ以外でも竹の繊維のタオルやシャツ、竹の洗剤、竹の消臭剤、竹の楽器、竹炭の風鈴やお菓子なども展示されていました。ああ、東南アジアの竹でできた自転車もありましたよ。もう、ビックリです。とっても暑かったけど、これだけ広範囲に竹が利用できるということは、日本はまさにふんだんにある竹を〝宝の持ち腐れ〟にしているということですよね。それだけでなく放置された竹が蔓延って、あちらこちらの土地をダメにしているのですよ。まさに「竹LABO」さんの言う通り、「竹害」を「竹財」にしないといけませんよ。

 あっと言う間に12時になりましたので、お礼に…竹とんぼや竹せんべいや竹消臭剤などを買って、そこを失礼しました。昼食は〝明石焼〟がメインのお店…初めてでとっても美味しかったです。その後はいつもの会場へ行って、5句投句の8人で40句の句会をしました。無事に5時前には終わって解散。お疲れ様でした。それにしても、勉強にはなりましたが、竹の展示などを詠むのは、美術館や博物館などと同じで難しい!四句八句ならぬ、本当の四苦八苦をしました。では、オヤスミナサイ!

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これは?…未知との遭遇!

2024年07月04日 | 俳句

 今日はあっと言う間の7月4日です。でも前のブログで書きましたが、〝七月〟は〝文月〟ではありませんからね。その7月に入るとすぐに時候の季語「半夏生(はんげしょう)」というのがあるんですよ。

 これは七十二候の一つで、夏至から11日目に当る日。陽暦でいうと7月1日か2日頃になります。この日に雨が降ると「半夏雨(はんげあめ)」と言って、昔から大雨が続き、土砂崩れや洪水で被害が出ることも多いのだとか。実際この辺りで雨が降り、確か熊本や熱海などの土砂災害がそうだったと記憶に新しいですもの、コワイですよ。今年は大きな被害は出ませんでしたが、やはりこの2日間はこちらでも朝から洪水警報と警戒レベル3とか4とかの避難指示が出たりして、スマホが鳴りっぱなしでしたものね。

  磐梯をしんそこ濡らし半夏生   阿部みどり女

 この句は、いつ頃の作品かは分かりませんが、福島県の磐梯山を詠んだものでしょう。みどり女は、1932年、東京杉並で俳誌「駒草」を創刊・主宰しましたが、1944年、太平洋戦争の激化に伴い「駒草」を休刊しました。その後「河北新報」の重役であった娘婿の勧めで仙台へ移転し、1945年「駒草」を復刊。以後三十余年に渡って同地の俳句界で活躍しましたから、会津の磐梯山にも慣れ親しんでいたことでしょう。この句の〈しんそこ濡らし〉が半夏雨の降り続く様子を実感させて、とてもいい句ですね。

 この「半夏生」の頃に咲くので、「半夏生」という草があります。別名「片白草」とも。最初の写真は、まだ花が小さな蕾なので葉が白くなっていません。10日後に花がしっかりしてきたので葉が白くなりました。最後のはもう花が開いています。

  半夏生咲かせ半信半疑かな    山田みづえ

 ところで梅雨明けはまだですから、昨日からの久し振りの青空はまさに〝梅雨晴間〟というところでしょうか。〈梅雨晴間二階傾くほどに干す  今井千鶴子〉ほどじゃありませんけど、やっぱり大洗濯しました。ところが今度はなんとも暑い。久し振りにラジオ体操へも行きましたが、いつも通るちょっとした坂がエライこと、エライこと!これは蒸し暑さのせいだけじゃなく、雨で4、5日体操をしていなかったからかもと。たったこれぐらいのことでこんなにも体力って落ちるもんですかね。これじゃ骨折とかで動けなくなったら二度と歩けなくなりそう、先のことが思いやられますよ。

 さて、今日の話は…実はわたし先日ものすごい体験をしたんです、人生初めてで最後…というよりもう二度と体験したくないということを。それは、いつものようにラジオ体操へ行く途中でのこと。ご近所のおじさんが畑に出て仕事をされていたので、ご挨拶しょうと声を掛けたんです。その時の畦道…幅1.5mぐらいなんですが、いつもの道だから下を見ずにおじさんの方ばかり見て、何も気にせず歩いていたんです。すると、何かグニャッとしたゴムホースのような大きさの長いものを踏んでしまって…。エッ?と思って下を見ると…ギャッ!!と悲鳴を上げて飛び上がり、一瞬心臓が止りそう!でした。

 もうお分かりでしょう?道を渡ろうとしていたんでしょうか。道幅いっぱいに横たわった大きな〝蛇〟だったんです。私は、見るのはもちろん、見えてなくても蛇と言われただけで飛んで逃げるほどの蛇嫌いなんですよ。余りにも大きな声で叫んだ私を心配して来てくれたおじさんが見て、〝こりゃあ、青大将じゃ〟と。私に踏まれて蛇も驚いたのか、しばらくは丸くなって動かなかったから、もしかしたら死んだのかもと思いきや…おじさんが近づいて鎌を振りかざそうとすると、鎌首をグッともたげて睨んだんですよ。おお、コワイ、コワイ!私はもう一時も見たくありませんでしたから、その場をすぐに離れてラジオ体操へ。しかし、その行く道々であの蛇を踏んだ感触が生々しく甦ってきて…その日は一日中何をしても気分が悪かったです。本当は蛇の方がえらい迷惑を蒙ったんでしょうがね。でも友人に話すと足に巻き付かれなくて良かったわよと…もしそんなことにでもなっていたら、私は卒倒してしまったかも。高浜虚子は〈蛇逃げて我を見し眼の草に残る〉と詠んでいますが、私はさしずめ〈蛇踏んで我を見し眼の足に残る〉と詠まなくっちゃ…でも、これぐらいではとても言い足りませんけどね。

 だから、帰りはもうその道は通らずに、遠回りして帰宅しました。次の日に蛇はどうなったかをおじさんに聞くと、あの後は溝の方へスルスルと逃げていったんですって。いやあ、二度と無い貴重な体験をしました。(笑) その話を体操の仲間に話すと、〝そりゃあ、すぐに宝くじを買いなさいよ!絶対当るから…〟ですって!う~ん、買ってみようかななんて、ちょっと食指が動きましたが、いやいや、もう蛇のことを思い出したくもないのでやめときました。

 もう一つ未知との遭遇体験が…昨日今日と、暑い日が続いていますが、午後から出かけようと車に乗ると…アッチッチ!ハンドルが熱くて持てません。エンジンを掛けて温度を見てみると…なんと〝40度〟を超えています。これも今までに体験したことのない領域です。いくらエアコンをガンガン掛けても、なかなか冷えず、いつまでたっても31度ぐらいまで。いやあ、これからはこんな日が…いやもっともっと気温の高い日が続くようになるのかも。そのうちに〝今日は30度だから涼しいわあ!〟などと言うようになるのでしょうか。とにかく今年の夏は特に熱中症にはお互いに気をつけましょうね。では、これで…オヤスミナサイ!

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今日は〝六月尽〟です…が、いつも思うことは…?

2024年06月30日 | 俳句

 今日で6月が終り、明日から7月…ということは、半年が過ぎるということなんですよね。でも、どなたかのブログを読んだら、今年は閏年だったから366日。だからその半分は183日で…その日は7月1日なんですって。まあ、そういう細かいことはいいとして、とにかく今年も半分は終わったということ。

 歳時記に〝水無月尽(みなづきじん)〟という季語がありますが、それについては〝陰暦六月の尽きること。すなわち暦の上で夏が終わること。一年の半分が経過する節目であり、この日に身の穢れを祓う習慣が水無月祓(はらえ)あるいは夏越(なごし)の祓である〟と、小川軽舟氏が解説しています。

 私も以前この日に近くの神社へ行くと〝夏越の祓〟が行われていて、参詣者はみんな茅萱で作った〝茅の輪(ちのわ)〟を潜って穢れを祓い、無病息災を願っていましたものね。一年の半分を無事に過ごせたという感謝と、またこれからの半年も無事に過ごせて新しい年が迎えられますように…と神様に祈る気持ちには大いに納得です。しかし私は、これで〝夏が終わる〟という感覚にはどうしてもなれないんですよ。それはきっと陰暦の行事を陽暦の日にちで行うからなのでしょうがね。

 〝一年の半分が経過する節目〟というのはその通りで実感しますが、しかしそれはあくまで〝六月(ろくがつ)〟の終わりとしてですもの。〝水無月〟と言えば陰暦ですから、大体陽暦8月7日か8日ごろの立秋までの1ヶ月です。だから軽舟氏も、〝水無月の終わりといえばそうした信仰行事と結びついた季節感があったはずだが、現代においては実感しにくい〟と、解説の最後に書いておられます。

  草の戸や畳替へたる夏祓へ     炭太祇

 この句はやはり、陰暦の水無月尽での〝夏祓〟でしょう。ジメジメした梅雨の時期から暑苦しい真夏をやりすごして、明日からは空気の澄んだ秋の気候へと変わっていく…ならこの粗末な家もせめて畳ぐらいは替えてすっきりとして夏祓えを…という句意でしょうか。だとすれば今の六月の終わりではこのような感慨は絶対に生まれてこないでしょうからね。

 しかし、〈また雨の降つて来さうな茅の輪かな  星野麥丘人〉のような句になると、今の梅雨最中のどんよりした曇り空の下での茅の輪を想像してもいいでしょう。ということは、〝夏越〟や〝茅の輪〟という季語は、一応晩夏だからその季節感を厳密に守って伝えねばということよりも、内容の〝邪神を祓いなごめる〟ための行事という本意を理解して詠む方がいいのだと思います。

 下の写真は、以前〝夏越大祓〟に行って貰ったお守りと、中津瀬神社の〝茅の輪〟です。

 調べてみると、この行事を行っている神社では、陽暦の6月30日とか、または月遅れの7月31日などと様々なんですが、人というものはいつの世も健やかに元気で生きること、すなわち長寿を願うものだということ。これは古今東西普遍的なことでしょうからね。そういう民俗信仰に由来するような季語においては、特にその本意をしっかり理解して詠むことが最も大切なのではないでしょうか。

 ちなみに、〝水無月〟という意味は、一般的には炎暑のため水の無くなる月の意です。だから〝常夏月〟とか〝風待月〟などとも言いますから、陽暦の六月を指すのはおかしい。やはり梅雨が明けてからの小暑大暑のころが相応しいでしょう。だから次のような句も生まれるのですよ。

  水無月や風に吹かれに古里へ    上島鬼貫

 ついでに言えば、明日から7月ですが、それを〝文月(ふみづき)〟とは言ってほしくないです。歳時記にも〝文月〟とは〝語源は諸説あるが、「文披月(ふみひらきづき)」の転じたものとされてきた。短冊などを手向ける七夕の行事にちなむものである〟と。だから〝文月とは七夕の月と理解しておけば本意を外すことはない〟とも、軽舟氏が解説しています。ということは、〝文月〟も〝七夕〟も初秋の季語ということ。決してまだ梅雨も明けていないような陽暦の〝七月(しちがつ)〟には使ってほしくないのです。

  文月や六日も常の夜には似ず    松尾芭蕉

 有名な芭蕉の句ですが、これは〝やはり七夕月だなあ。前日の六日でさえ常日頃の夜空とは違って、こんなにも澄んでいるのだ〟と、夜空や星の美しさを讃えて詠んでいるんです。絶対に陽暦の七月ではありえませんからね。

 このことについては確か以前にも何度か書いています。陰暦の月の呼称を簡単に陽暦に当てはめてほしくないと…言葉を知っているからではなく、意味を理解して使ってほしい。言葉というものには必ずそう表現されるべき何らかの語源があるのですから。どうか皆様よろしくお願い致しますね。  

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〝きらら俳句教室〟の第3回目で~す!でも、その前にちょっと…

2024年06月24日 | 俳句

 一昨日の21日は〝夏至〟でしたね。全国的に〝梅雨入〟も宣言され、こちらでは毎日雨が降って鬱陶しい日が続いています。ところで、歳時記の〝夏至〟の例句を見てると、

  夏至の日の手足明るく目覚めけり    岡本 眸

という句がありました。でも私はなぜか、この日は今までにないぐらい気怠い朝で、この句とは真反対。手足が重くて暗~い目覚め…何にもしたくないという感じだったんですよ。それで〝特別何もしてないのに、どうしてこんなダラしいのかしら?〟と主人に言うと、そういうのを〝フレイル症状〟というんだよと。何それ?…と聞いたら、特別な原因もなく、何となくダルイとか、何もする気がしないとか、気分が乗らず重苦しいなどの状態をいうんだそうな。じゃあ昔よく言っていた〝不定愁訴〟とかいうものなの?と言うと、まあ、似ているかも知れんが、今では〝フレイル〟と言うんだそうだと。

 ヘエッ!と思って、ちょっと調べてみました。すると、〝フレイルとは英語のFrailty(虚弱・老衰)という言葉に由来し、一言で表すと「加齢に伴い心身が虚弱している状態」のことです。人は年齢を重ねると筋肉が衰え、外出や人との交流も少なくなり、心も体も弱ってくる傾向があります。フレイルは、明らかな認知症や病気などを発症しているわけではないものの、確実に衰えを感じるような状態です。つまり、健康な状態と介護を必要とする状態の間の段階がフレイルだといえるでしょう〟ですって!

 更には、〝フレイルを放置しておくと、そのまま介護が必要な状態にまで発展してしまいますが、早期に適切な対処をすれば症状が改善することもあります。フレイルを予防するとともに、フレイルの症状が見られる場合は、改善に向けて動くことが大切です〟とも。

 じゃあ、その〝フレイル〟かどうかを調べるにはどうしたらいいのかしら?と思って見ると、その診断基準がJ-CHS基準と呼ばれるもので、以下の5つの項目のうち、3つ以上が該当するようであれば、フレイルだと診断されますって。じゃあその5つの項目とは?「体重減少」「筋力低下」「疲労感」「歩行速度」「身体活動」だそうです。もし1~2項目に該当する場合は、プレフレイルと呼ばれるフレイルの前段階だとも…ですってよ。こりゃあ、大変!…筋力低下と疲労感、歩行速度は該当する…じゃあ私は〝フレイル〟になっているんでしょうかね。イヤダ~!放置すると認知症になるかもですって…それは困りますよ。なら気を入れて予防にガンバラナクッチャ…ねッ!

 それでは今日は頑張って、15日にありました〝きらら俳句教室〟第3回目の報告をしておきます。

 いつもの通り、9時半から開始。この日は事前に吟行の意義を説明しました。せっかく実物を目の前にしているのですから、その時の実感を詠むことが一番大切ですよと。上田五千石氏の〝眼前直覚〟の論を例に解説しました。

 さあ、では10時から吟行です。今日は先ず〝干潟ふれあいゾーン〟へ行き、童心に返って蟹の穴を探しました。ある、ある…ちょうどいい具合に潮が干いていましたので、〝蟹の砂団子〟が無数に…すると蟹もチョコチョコ逃げて岩場に隠れようとします。

 俳句ではただ「蟹(かに)」といえば、沢蟹、川蟹、磯蟹などの小蟹のことで、夏の季語なんですよ。トビハゼもいましたが、これは鯊(はぜ)の一種ですから秋の季語になるんですね。

 「蟹の穴」でも「蟹の砂団子」でも季語になりますよ。

 今度はいつもの道をしばらく歩いて行くと、見たことのない変な虫(※1)が…あら、ちょっと変わった蜘蛛(※2)も…レンジャーのHさんにそれぞれの名を教えて貰いながら…でも、その時だけでセンターに帰るとすっかり忘れています。この歳になると新しいものって何度聞いてもなかなか覚えられませんね。特に花の名などは最近の洋花は全くダメ。一つ覚えたら前に覚えたのを忘れて…まるで記憶の抽斗が一つしか入らないようになってるみたい!皆さんはいかがですか?

※1 ヨコヅナサシガメ(横綱刺亀、学名Agriosphodrus dohrni)は、カメムシ目(半翅目)サシガメ科に分類されるカメムシの一種。オオトビサシガメと並び、日本サシガメ科中最大級の種である。

※2 キマダラコガネグモ で、北アメリカではこのA. aurantia がもっとも普通なクモの一つで、 black and yellow garden spider、corn spider、writing spider と呼ばれてよく知られている。

 最後はビオトープまで来ました。すると、いろんな種類の蜻蛉(とんぼ)があちらこちらに飛び回っています。「川蜻蛉」や「糸蜻蛉」などは夏の季語ですが、「塩辛蜻蛉」や「赤蜻蛉」「鬼やんま」などは秋の季語。それで「蜻蛉生る」と言えば夏の季語なのよと言うと、早速〈生まんとて蜻蛉(とんぼう)水を打ちつづく〉という句が出ていました。作者に聞いてみると産卵しているところを見たんですって。これぞまさに現場に出なかったら詠めませんものね。さすが皆さん〝有言実行〟です!

 蜻蛉の写真はなかなか撮れませんでしたので、代わりに〝睡蓮〟を。これも夏の季語ですからね。でも最後の写真…こんなの撮った覚えがないんだけど、なかなかいいじゃない!なんて思って見ていましたら、ああ、思い出しました。〝たぬき藻〟の花を撮ったんでした。真ん中の黄色の花…見えますか?やっぱり何でもすぐにしなくっちゃ忘れてしまいます。いけませんね。これからは気をつけよう!

 さて、いつもの如く12時過ぎには終って急いで帰り、13時半からの宇部馬酔木句会へ行きました。ああ、疲れました。こんな様子なら私〝フレイル〟とは言えないんじゃないかしら?ねッ!はい、オシマイ! 

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〝きらら俳句教室〟の…第2回目は?

2024年06月20日 | 俳句

 先日の土曜15日は、第3回目の「きらら俳句教室」でした。さて、その報告を書いておかなくてはと考えていたら…あら、先月5月18日の第2回目を書いていなかったような…と気が付きました。このように段々忘れっぽくなるんですよね。そう言えば、4月の「桜紀行」も〝その5〟で止まったままでした。その続きがまだあるというのに…。時期の遅れた記事を読むというのは、まさに気が抜けたビールを飲むようなもの。面白くもなんともないでしょうね。

 俳句を誉めるとき使う言葉に「臨場感」というのがあるんですが、その意味は現場に臨んでいるような感じ、即ち真に迫った実感の俳句ということです。ならば、当然時期を逸れた気の抜けたような話題はイマイチでしょう。分っているんですがそれが出来ない性分で…ガマンして読んで下さいね。

 さて、先ず第2回目の〝きらら俳句教室〟から書きましょう…と、記事一覧を見ていたら、ナントあるじゃありませんか。5月23日に書いた下書きが…。写真がまだだったのでそのままにしていて、忘れていたんですね。情けないこと!では、ちょっと手直しして今度こそUpしますので読んで下さい。

 今日は、桜紀行をちょっとお休みにして、先日の18日土曜日にあった〝きらら俳句教室〟第2回目の報告をしますね。

 いつもの如く9時30分より開始。今日は〝茅花ながし〟や〝卯の花腐し〟の話でもしてみようと思っていましたのに…いつの間にか朝ドラ〝虎に翼〟の話からだんだんと漫談調になってしまって…。まあ、こんな日もあっていいわよねとみんなで大笑い。

 さあ、10時から吟行…今回は感動したことが三つもあったんですよ。

 まず最初は、蜘蛛の子…夏の季語なんですが、〝蜘蛛の子を散らす〟という喩えがあるように、袋が破れると中から一斉に子蜘蛛が出てきて四方に散ってゆくものとばかり、私は思っていたんです。

 だから、レンジャーのHさんからこれが蜘蛛の子ですよと言われてビックリ!まさか下の写真のように小さな蜘蛛がこんなに固まっているとは…

 すると今度は〝ではこれに触ってみて下さい〟と、Hさんが言うので、木の枝でちょっと触ってみました。すると…エエッ、なんとなんと…この芥子粒のようなつぶつぶがパーッと網の目に広がるではありませんか。見ていたみんなも驚くばかり。

 では、これをちょっと拡大してみましょうか。全部蜘蛛の子でしょう。でもこのようなものが嫌な方はスルーして下さいませね。

 そうなんです。蜘蛛の子が生れたばかりで、まだ独り立ちする前だったんですね。だからその近くには母蜘蛛が見張っていて、周りをウロウロと心配するように動き回っていました。それを撮ったつもりでしたが、残念ながら写っていませんでした。ゴメンナサイ!

 感動した二つ目は、大葭切(おおよしきり)…ギョウギョウシと言われるように、葦原を巡っていると、盛んに鳴いていました。雄の葭切が鳴くときは喉の紅さがよく見えると聞いていますが、私は、姿を見てもその紅い喉はまだ一度も観察したことがないんですよ。それが、今回はHさんがフィールドスコープでしっかりと見せてくれました。やっと念願が叶いました。写真が撮れませんでしたので、これはお借りしました。ゴメンナサイ!

オオヨシキリ

 そういえば時鳥(ほととぎす)も、結核に冒されて喀血する正岡子規が、〝鳴いて血を吐くホトトギス〟と自分を重ねて、俳号をホトトギスの異称〝子規〟と名付けたんでしたよね。

 しかし、ホトトギスの喉は実際にはなかなか観察出来ませんのでまだ見たことはありません。というより、ホトトギスは観察会に行っても声ばかりで、その姿を確認することがなかなかできませんから。たとえ見れたとしても飛んでいくところをちらりとですもの。口の中までは…。ああ、そうそう、鴉の子(雛)は口の中が赤いんですよ。これは野鳥の会の先輩に教えてもらって、実際に観察もしましたから分ります。

 他にこの日は、5月の花として…順にイタチハギ(鼬萩)、シャリンバイ(車輪梅)、ニワセキショウ(庭石菖)、ツバナ(茅花)、ボケていますが絶滅危惧種のニラバラン(韮葉蘭)、自生のシラン(紫蘭)、スイカズラ(忍冬)、トベラ(海桐)などでした。

 観察小屋から覗くと、クロツラヘラサギの保護・リハビリケージ保護センターの傍には、この日はクロツラヘラサギが2羽飛んで来ていました。右側のケージの上にいるのはダイサギで、中にいるのは保護して飼育されているクロツラヘラサギ。遠くなので写りが悪くてスミマセン!

 最後に、もう一つ感動したこと!4月23日に実施した〝子どもレンジャークラブ〟の俳句教室〟、そこでの感想文をHさんに見せて貰ったのですが、それには〝俳句を作って楽しかった!〟とみんなが書いてくれていました。中でも感心したのが、「最後に言いたいことを…ひと言で」という質問に対して、殆どが〝またやりたい〟と書いていたのに、中に〝鳴かぬなら私が鳴こうほととぎす〟と書いてくれている女の子がいたんです。

 もう、ビックリ!です。まだ5年か6年生ですよ。あの信長・秀吉・家康の句(※参照)を知っていて、それをもじって詠んでいるんですよね。こんな子どもたちがこれからドンドン成長してくれたら、俳句の未来は明るいでしょう。嬉しくなりました。こりゃ、大人もおちおちしてはいられませんよ。みんなガンバラナクッチャ…ねえ!では、これで第2回目はオシマイ!

 ※『故事・俗信 ことわざ大辞典』(尚学図書編集 小学館 1982年)に、「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」を織田信長、「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」を豊臣秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」を徳川家康の句とし、それぞれの武将の特徴である短気、工夫、忍耐を時鳥への対応をもって表現したもの」とある。

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サプライズ!…と月例吟行会の報告です!

2024年06月16日 | 俳句

 先日のM俳句教室でのことです。13時半の定刻に句会場へ行くと…何だかいつもと違う雰囲気。いつもだったら私が到着するとすぐに開始の礼をして…

 あれ?教室のお世話をしてくれている幹事さんが何だかゴソゴソと…何処かに隠していたのでしょうか、立派な花束を持って前の方へ…〝先生、この度は受賞おめでとうございます〟と。エエッ、とビックリ。思いがけないサプライズでした。見て、見て…キレイでしょう!

 また、昨日(土曜日)の宇部馬酔木句会でも皆様からお祝いをいただきました。本当にありがとうございます。感謝、感激…あめあられで、涙が出そう。心からお礼申し上げます。

 それでは、今日は先日7日に実施しました月例吟行会の報告…、忘れないうちに書いておきましょうか。

 行先は、山口市の小鯖(おさば)地区方面。山口宇部空港の駐車場に9時集合して、さあ、出発です。天気は上々…もう暑いぐらい!最初に先ず目指したのは、小鯖地域交流センター。午後からこのセンターの部屋を借りて句会なんですが、その前にここで地域の案内パンフレットを貰うためです。

 この小鯖という地域は、平安時代の頃に山口の佐波・矢田などから移住してきた人々が住むようになって、小鯖村ができたんだとか。名前の由来は「佐波」からだそうですが、なぜ魚の鯖の字になったんでしょう。ここには〝佐波川〟という一級河川がありますが、鯖が捕れていたのかしら…?

 さて、この地の見所は四季それぞれにあって、〝おさば歳時記〟によれば、春は三世代交流大運動会、夏は小鯖体育大会・小鯖夏まつり、秋は小鯖八幡宮秋祭り・小鯖ふるさとまつり、冬になると小鯖消防団出初式・小鯖小学校竹馬大会などと。なかでも小鯖八幡宮での〝代神楽舞〟は、江戸時代から始まったもので、毎年10月最終日曜日に行い、県の無形文化財(無形民俗)になっているものです。また、この神社は桜や鬼百合、彼岸花などの花の頃もよい吟行地みたいですから、今度は花のある頃に来てみようかと思っています。

 では、今回どこを観て回ったかといいますと、先ずこの交流センターのすぐ裏手にある「正田山」。ここは標高111mで小鯖地域のほぼ中心位置にあり、頂上から棯畑(うつぎばた)以外の全域が見渡せます。山頂には野外活動広場があり、全長約46mのローラー滑り台が設置されていますし、春には桜が満開となって花見には絶好の場所です。

 ところで、私たちみんな童心に返って、このローラー滑り台を滑ってみたんですが、さて、これを俳句に詠込むとなると非常に難しい!なんせ〝滑り台〟だけでは理解して貰えませんので、17音中の9音を使ってしまうと…後がみんな似たり寄ったりになってしまうんですよね。

 次は、正田山からは見えなかった棯畑の「野花菖蒲」自生地へ行きました。標高380mの湿地帯に自生している〝ノハナショウブ〟は、県の有形文化財(天然記念物)で、花色が変化に富み、今がちょうど見ごろ。ラッキーでした。

 最後の吟行地は、「鳴滝」です。高さ10mの滝で、棯畑から流れ出る鳴滝川の渓谷にあり、滝は3段になっています。古来山口市の名勝として文人墨客が多く訪れている所です。中でも山口出身の有名な詩人・中原中也がここを詠んだという詩の碑が三の滝の傍に建っています。

 その詩は、この鳴滝を詠んだものとして、詩集『山羊の歌』に収められている〝悲しき朝〟です。

悲しき朝

河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

 中原中也は明治40年4月29日、山口市湯田に生まれ、昭和12年10月22日、30歳の若さで没しましたが、昭和の代表的叙情詩人として全国的に知られています。昭和9年に詩集『山羊の歌』を出版、その中にこの詩「悲しき朝」が収められています。

 他に滝に真向かうように建つ滝不動…出入り口には紅白のお地蔵様も。周りには蛍袋が沢山咲いていました。

 お昼になりましたので、この鳴滝の傍にある〝山口地ビールサン・レミ・ド・プロヴァンス〟で、ビュッフェ式のランチを頂きました。その後、小鯖地域交流センターへ戻って、4時半まで句会。それから山口宇部空港まで戻り、5時半には解散しました。皆様どうもお疲れ様でした。オシマイ!

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笑われた〝江戸城〟へ…その〝東御苑〟を見学!

2024年06月12日 | 俳句

 それでは授賞式の翌日に行きました〝新宿御苑〟の続きで~す。あの東京の人たちから笑われた〝江戸城〟へ。

 実は、その日の朝、千葉に居る友人に久し振りに連絡すると、午後からなら付き合うよと言われて、東京駅で12時30分に落ち合うことに。ところが、丸の内中央出口と言われていたのにそれが分らずにウロウロして、南口へ出てしまいました。困って連絡すると、もうそこをじっと動かないで待っててと…。結局分らぬ人間が動くより知ってる方が動いた方が早いということ。

 それで、今から行けば皇居参観の当日整理券配布に間に合って、券が貰えるかもと、急いでタクシーに乗り桔梗門へ行くと、ナントもすごい行列。当日並んだ300人に入場整理券が渡されるんだそうで、とんでもないことでした。でも、まだドンドン来てるからいいのかもと思い並ぼうとすると、その人達はすでに整理券を手に入れている人たちだったんですよ。もうあっと言う間に整理券は無くなったそうで、殆どが外国の人ばかり…。

 というわけで、残念ながら皇居の参観は諦めて、何時でも公開されている〝東御苑〟へ入園することに。そうなればもう急ぐこともありませんので、先ずは近くで腹ごしらえを。いい具合に冷麺専門店が見つかってそこで昼食。今度は並んで待つ必要もありませんので、大手門から入ってゆっくりと観て回りました。では、順番にどうぞ…

① 大手門 ② 同心番所 ③ 百人番所

 回りは高層ビルばかりなのに…ここはまるでタイムスリップしたような不思議な空間です。

 城壁一つ一つの石の大きさ…これ、見て下さい。スゴいですよね。これは友人がとっても背が高いんですよ。

 広すぎて全部は到底見られませんので、二の丸と天守台だけにしました。

 ウツギとリョウブの花。その下は菖蒲園。丁度見ごろで、よかった!

 アカザとコウホネの花。鯉は〝ヒレナガニシキゴイ〟。

 天守台には何もありませんでした。また、あの〝忠臣蔵〟で有名な〝松の大廊下〟も松の木が一本あるだけで何も…。まあ、とにかく広い、広い!こんなに広いところを昔の人はよくもまあ…将軍様達は移動するだけでも大変だったでしょうね。今はどこもかしこも緑いっぱいで、観光地として、また人々の憩いの場にもなっているようでした。

 最後はこれ以上はもう一歩も歩けないほどに疲れて…でも、宇部までは帰らなくっちゃと、友人と別れて地下鉄で無事に羽田へ。若い娘でさえ疲れてもう歩きたくないと言うぐらいなんですから、私はこの老体に鞭打って…本当によく頑張りましたよ。そんな自分を〝褒めてあげたい!〟。

 

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授賞式の翌日のこと…〝新宿御苑〟と〝東御苑〟です!

2024年06月01日 | 俳句

 とうとう6月に突入しました。何もかも中途半端にしたままで…ほとほと私はダメになったもんだと、自己嫌悪ですよ。だって、夜になるともう疲れ果てて眠くって眠くって、根が続きません。このままこの調子でどんどん弱っていくのでしょうか。先を考えると…コワい!だから考えないことにしています。 

 さて、5月24日の文學の森賞受賞式の翌日のことです。せっかく東京へ来たのだからと、娘と相談して「新宿御苑」と「東御苑」へ行くことに。

 朝10時ホテルを出て、娘は行ったことがないという「新宿御苑」へ。既に昨日は1万歩以上は歩いたから今朝は足がパンパン…なのにまたここから歩いたら30分は掛かると言う。ムリムリと言うと、じゃあ地下鉄で一駅だけでも乗っていこうと…実はそれが大きな誤算でした。

 だって駅を探すのにウロウロ、分ったら今度は階段を地下へドンドン。電車を降りたら今度は階段を昇って…目の前が新宿御苑じゃないから更にまた歩いて…。結局そのまま平地を真っ直ぐ行っても距離は同じくらい…と言うことなら上り下りのない方がラクでしたよ。だってエレベーターを探すのでもウロウロしなくちゃいけないし、小さな駅では階段しかないんですもの。たまたまエスカレーターがあったとしても、上りのみ…都会の人は膝の悪い人の下りがどれだけ大変かと言うことが分ってないんでしょうか。娘も若いから同じでドンドンと先に行くし…付いて行くのに必死でした。

 この日はまた気温が29度と暑い日だったから、フウフウ言ってやっと着いた新宿御苑の入口…。ではそこで撮った写真がありますので、それを見て下さいね。

 ホテルを出ると都庁がデ~ンと…。

 新宿御苑へは何度か来ていますが、とにかく広い。娘が観て回りたいという所だけを歩きました。

 上の写真は何だと思いますか?大木の下で撮ったら芝生に…これ木洩れ日なんですよ。ビックリでしょ!今時は花が少なくて、まさに〝みどり〟の新宿御苑でした。土曜日でしたので外人さんが多くて…それもベビーカーを押したり、芝生にシートを広げて赤ちゃんと一緒に寛いでいたり…と。東京のど真ん中にあって、ここは広いし静かでもってこいの憩いの場ですね。珍しい〝一葉松〟…五葉松は知ってるけど、これは初めて。あと〝金糸梅〟と〝青鷺〟…どちらも夏の季語なんですよ。

 次に向かったのが、皇居。前日〝明日はどこかへ行くの?〟と聞かれて、私が〝江戸城を見たことがないからそこへ行こうと…〟と言うと大笑いされました。友人なんかは一瞬〝江戸城って?ああ、皇居のことじゃないの!〟と何だかバカにされた感じ…。どうして東京の人は江戸城と言うと笑うんでしょうね。昨年馬醉木1000号記念式で東京へ来た時、行く予定だった〝江戸城〟が月曜日で見学できなかったんですよ。それで今度は…と思ったのですが、〝あんなところへ行っても今はもう何もないわよ〟と、けんもほろろです。田舎者からすると皇居なんてテレビで観るだけだし…と憧れますよね。だってお城のある所へ行ったら必ずお城は見学場所なんだもの。なのに娘から今度は江戸城へ行ってみたいと言われて、今まで何度も東京へ来ているのに、私も眼中になかったんですよね。でも、江戸城と言うのは本当のこと…なのになんであんなに受けるの?と、娘と不思議がりました。

 まあ、こちらで〝どこへ行く?〟と聞いたら〝ときわ公園〟と言うようなものかしらね。ヘンなの!

 では、その江戸城の〝東御苑〟へ行ったことを書きましょうか。でも、長くなりましたので次に…。

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「文學の森」の各賞の贈賞式と懇親会へ行って来ました!

2024年05月27日 | 俳句

 5月24日の金曜日に、山口宇部空港7時40分発の始発便で羽田へ。この日は天気もよくて、飛行機からは富士山がよく見えました。霞が掛かったようすが却って幻想的で…まるで浮世絵のよう!とてもステキでした。

 実はこの金曜日の12時から15時まで、東京新宿・京王プラザホテル本館42階「富士」にて、(株)文學の森の「第25回山本健吉評論賞」・「第14回北斗賞」・「第16回文學の森賞」の、それぞれの各賞贈賞式および懇親会が開催されたんですよ。

 身に余る光栄なことで、その「文學の森賞」に拙著『目からウロコ』が入賞しました。大賞は黛まどか氏、準大賞に坂口昌弘氏。入賞には清水道子・江川貞代・三井量光・岡村千惠子・須田眞里子・影島智子・江見悦子・山田一男・櫻井波穂・安藤喜久女・奥山ゆい・江副史湖・祢宜田潤市の各氏と私。特別賞として黒川悦子氏。北斗賞は若林哲哉氏で、山本健吉評論賞(奨励賞)をやまだようこ氏が受賞されました。

 現在俳壇でご活躍中の錚錚たるメンバーに、各賞の審査委員の先生方や来賓などなど…約80人ほどの人が集まったんです。11時半受付の会場へ行くと、もう正装された方々で一杯でした。私は今までこんな晴れがましいところには全く縁がありませんでしたので、オタオタとして本当に恥ずかしいこと…誠に畏れ多いことでした。

 でも、付き添い1名の招待がありましたので娘に同行して貰いましたし、文學の森の知人や俳誌「いには」主宰の友人も出席してくれていましたので安心。それで何とか無事に終わって、ホッとホッとです。

 懇親会では現俳人協会理事長の能村研三氏を始め、星野高士氏や稲畑廣太郎氏など、また私の本を推薦して下さったかしまゆう氏などにご挨拶ができて本望。受賞は殆どが句集ばかりですので、そんな中にあって何となく場違いな感じでしたが、でもとても面白くて読みやすい本だったと言っていただけて有り難かったです。推薦理由も「俳句と季語の基本を平易な話し言葉で綴り、楽しみながら俳句の魅力を感じることのできるエッセイ集」ということでしたから。選考委員の先生方、本当にありがとうございました。

 畏れ多くも文學の森大賞を受賞されました黛まどかさんと…記念撮影を!ありがとうございました。

 とにかく私は東京へ来る度にどっと疲れます。もう歩くところが多くて多くて…すぐに一万歩は超えてしまいますものね。地下鉄に乗るにしても今度は階段ばかり…まさに足が棒のようになって、痛くてたまりませんでした。でも歩くしかないんですよね、東京は。閉会後友人達とちょっとお茶をして、解散。この日泊る新宿ワシントンホテルへ歩いて行くのに…すぐ側が都庁なんですね。始めてしげしげと眺めました。ホテルの部屋が21階でしたので窓からもよく見えましたよ。そこで一服して新宿の末廣亭へ…ちょうど中入り後から入ると割引もあるというのでそれを待って入場。

 東京には馬醉木の大会や新年会で何度も来ているのに、こういう寄席とか落語を直に聞いたり見たことがなくて、今回が初めてでした。とにかく雰囲気だけでもと…良い体験をしましたよ。それにしてもこの新宿駅周辺の人の多さにはまたまたビックリです。宇部ではお祭の時でもこんなに人出はありませんもの。歩くにも人とぶっつかりそうで…何だか都会はコワイ!いろんな事件などをニュースで見たりしているからでしょうか。

 それにしても若い人たちの多いこと!これが花の金曜日だからなの?でも、次の土曜日の朝でもこんな人出でしたからこの新宿辺りでは当り前なのかも。

 末廣亭を出て、文學の森の友人と娘の3人で食事をしようと…これもどこへ行ってももう満席と断られて、やっと3軒目で席が取れました。金曜日の夜の飛び込みはどこも入れてくれないんですね。末廣亭が8時半まででしたので結局食事にありつけたのは9時半頃かな…でも、とても美味しくてリーズナブルなお店が見つかったのでラッキー!でした。ホテルへ戻ったのが11時半…本当に疲れましたけど、ホテルの窓からの夜景は…とってもキレイ!お陰でグッスリ眠れました。

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防府市の〝こいながし〟へ吟行してきました!

2024年05月04日 | 俳句

 あれだけ愚図ついていたお天気が、今日も快晴です。昨日は5月3日、はい、そうです…国民の祝日の一つ、「憲法記念日」。今人気の朝ドラ〝虎に翼〟の舞台は昭和10年過ぎの…即ち「大日本帝国憲法」がまだ幅を効かせていた頃ですよね。敗戦後、現行の「日本国憲法」が昭和22年のこの日に施行されて、それを記念して設けられた祝日なんですよ。

  憲法記念日何はあれけふうららなり   林 翔

 昨日はまさにこんな一日でした。このゴールデンウィークはどこもお天気がいいようですから、行楽地などは人出の多いことでしょう。例に漏れず我が恒例の吟行会も昨日出かけました。行先は先ず防府市の佐波川上流の〝こいながし〟です。

 山口県下有数の河川「佐波川」の広い川幅を利用し、鯉のぼりを水中で泳がすアイデアから生まれた「こいながし」。防府市小野小学校地区では、毎年ゴールデンウィーク中に約120匹のこいのぼりが川の中を泳ぎます。水中を色鮮やかに悠々と泳ぐたくさんの鯉のぼりと周辺に連なる山々の緑が相まった美しい風景を見に、今年も市内外から多くの見物客が訪れていました。

 この日が初日でしたので、まだ全部が完成していなくて、その〝こいながし〟を作っているところを見ることが出来ました。ラッキー!

 実は、私や主人は昨年のゴールデンウイークにもお婆ちゃんを連れて、この〝こいながし〟を見に来ていたんですよ。去年は4日でしたので、同じく佐波川の下流では鯉のぼりを空に掛け渡して泳がせる〝こいわたし〟もやっていました。お婆ちゃんはまだまだ元気で、昼食の海老フライが美味しいと食べていましたからね…歳のことを考えれば欲張りな事かも知れませんが、でも何だかはかないです。

 この写真は去年のものです。〝こいわたし〟はお借りしました。スミマセン!

 さて、吟行ですが、この〝こいながし〟を見た後は〝岸見の石風呂〟へ。最後は近くにある〝久兼の棚田〟を見学して、防府駅の方へ戻り、その傍のルルサスで食事と句会です。

久兼上地区の棚田の画像

 久兼の棚田の中ほどには埴山神社があって、境内の石燈篭に安政5年と彫られています。神社周辺は一面の棚田で、神社では今も春・夏・秋と3回祭礼が行われているそうです。棚田の写真はお借りしました。スミマセン!

 久し振りの吟行日和、ちょっと暑いぐらいでしたが見るべきものもたくさん有り、句材にも事欠かない楽しい吟行でした。でも、家に戻ると…どっと疲れがでて、やっぱり歳ですかね!

 ところで、今年になって奥様の具合が悪くこの吟行会をずっと欠席されていたN先生が久し振りに出てこられて、さすがはといういい話も聞けたんです。句会に出た句に対して、私が〝この言葉がないとこの句もいいのに…〟という句評をすると、先生が突然…〝お昼に出たデザート、アイスクリームに小豆が乗っていたもの。あれに更に黄粉が掛かっていましたが、皆さんどう思われましたか?〟と。みんなが口々に〝あれは余分よね〟とか〝全く必要ないし、却って邪魔…ない方がすっきりして美味しいのに!〟と言う。その中で一人だけそう思わない人がいて、〝ぼくは美味しかった!〟と。

 アイスクリームだけでも美味しいのに、お店の人のサービス精神で小豆をトッピングするところまでは許すけど…と。そう、これは俳句に通じるという話だったんです。そして、その句を詠んだのが、黄粉が邪魔だと思わないと言ったSさんで、もう拍手喝采ですよ。それからは〝これも黄粉よ…〟という句評が頻りに使われ、笑いの絶えない句会になりました。更に〈鯉ながし観る人垣や股間にブル〉という句も出ていて、〝この鯉ながしはまだ季語にはならないからこの句は無季ですよ。どなたの句?〟と言うと、なんとN先生でした。〝じゃこの股間にブルとは何ですか?〟と聞くと、〝鯉ながしを橋の上から眺めている人が、股間にブルドッグをはさんでて…〟と。すると〝橋から見下ろしていて…高所恐怖症でブルブル震えたというのかと…〟と言う人もいたりして…ナントも愉快な句会でしたよ。

 N先生は結社は違うのですが私よりも句歴は大先輩、宇部市の俳句大会で共に選者をしています。ご一緒に吟行するようになっていろいろと教えていただき、有り難いことです。ちなみに、なぜこんな句を出したんですかと聞くと〝鯉ながしを季語として認めて貰おうと…〟ですって。だったらもっと感動する句を詠まなくちゃ、これでは到底ムリですよ!と言うと、真顔で〝ダメかな…〟ですって。何歳になってもそのチャレンジ精神は見習いたいものですね。ウラヤマシイ!

 今日も桜紀行の続きが書けませんでした。時期がズレてしまうと…やはり気が抜けますね。俳句と同じかな。要するに〝当季雑詠〟ということかも。では、それはまた…ねッ!

  

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〝第29回中原中也賞〟の贈呈式へ行って来ました!

2024年05月01日 | 俳句

 一昨日の29日は、嘗ては昭和天皇の〝天皇誕生日〟でしたが、天皇崩御後は〝みどりの日〟となり、それが平成19年から〝昭和の日〟と改められた国民の祝日でしたね。この日は天気予報通りの雨…それも予想以上の大雨でした。

  昭和遠く平成鬱とみどりの日    山崎聰(句集『荒星』より)

 この句は「みどりの日」が季語ですが、今だったら「昭和の日」。しかし、この「昭和の日」の方は季語として用いられるようになってからまだ15年余ですから、歳時記などには例句など殆どありませんでした。

 調べているときに、「響焔」の名誉主宰・山崎聰氏の上掲句がありました。これはやはり「みどりの日」でないと通用しない句ですよね。もしこれが「昭和の日」だったら様にならないでしょう。同じ日だからといっても大違いなんです。俳句にはこういう一面があるのですよ。

 歳時記を見ると傍題がいくつかある主季語があります。それを見て、初心者でどれを用いても同じだと勘違いされる方がおられます。例えばこの表現の方が面白そうだったからとか、音数がこれでしか入らなかったからなどという簡単な理由で選択して…。

 やはり俳句は韻文なんです。意味だけ分かればいいのではなく、口に出してみてその音の響きを味わうことも鑑賞の一つだと思います。また、それぞれの語でその言葉の持つイメージというのもありますからね。

 先日投句された句に、「いたち草」を使ったものがありました。この季語を知らない方はどんな草を想像されるでしょうか。恐らく「いたち」という動物のイメージから茶系だとか、動的なイメージとか…。または〝鼬の最後っ屁〟という慣用句もありますからあまりいいイメージではないかも。ところで余談ですが、同じイタチ科でも〝ミンク〟とか〝オコジョ〟と言えば全くイメージが違ってくるでしょう。

 そのように言葉にはそれぞれの持つ伝達力があります。同じ内容のものだからと言って均一には使えないのです。特に俳句のような短詩型文学では言葉数が少ない分、よくよく吟味して使わないといけません。ましてや俳句の命でもある季語に関しては言わずもがなですよ。

 実はこの「いたち草」というのは連翹(れんぎょう)のことなんです。なぜかは分かりませんが、この呼び名は昔からあって…。皆さんはあの花を見て〝イタチ〟を想像できますか。実際の句をここには掲げられませんが、こういうことも考えて、季語だけでなく言葉を選んで下さいね。

 さて、この日は、桜紀行の続きを書こうと思ったんですが、実は知人に誘われて、湯田温泉のユウベルホテル松政で行われた「第29回中原中也賞」の贈呈式へ出かけたんです。忘れないうちにそちらの方から先に書くことにしましたので、よろしく。

 ホテルの写真はお借りしました。スミマセン!他の写真は、遠くからのスマホで、ボケていますが、悪しからず。

■JR湯田温泉駅より徒歩13分。湯田温泉バス停より徒歩0分。

 中原中也がここ湯田温泉の出身で、有名な詩人であることは皆様ご存じですよね。優れた現代詩集を対象とした、新人の登竜門とも言われている「中原中也賞」。その今年の受賞者が、若手俳人としても有名な佐藤文香さんだったんです。彼女の初めての詩集『渡す手』(思潮社)がそれでした。

 佐藤文香さんの受賞のことばの中に、彼女が詩を作る過程が述べられていて、興味深く読みましたので紹介しますね。これは俳句を作る時も同じかも…

 〝暇なので歩きます。生き物の名前や街角のムードを書き取って、電車や家でつなげていきます。あるいは、おでこあたりに湧く音を写すように指を動かすと、愉快な文字が現れます。言葉たちを捕まえたら、元気なうちに整列させ、グループをつくっていきます。ヤツらは隊列を組んで走ってくることもあります。そういうときはもう、ずっと指の運動です。胸が息を忘れます。〟と。

 
 
 また、文香さんは会見で、俳句で使う季語を詩集に盛り込んだ点に触れ「言葉が持つきらめきを効果的に生かすことを考えてきた成果を現代詩集で表すことができた」とも語ったそうです。
 受賞作は24篇構成で、日常生活の目に見えるものや内面を写生したという。更に先程の受賞のことばの締めくくりとして、〝日本語の見せる景色、聞かせる音のさまざまなパターンを、これからも念じて製造していきたいと思います〟と書いておられます。もちろんこれは詩に限ったことではなく、〝日本語〟の係わるあらゆる文学的分野でのことでしょうから、頼もしい限りですね。本当におめでとうございました。  
 
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きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟

2024年04月21日 | 俳句

 本当は今日は、桜紀行の続きを…と思っていたのですが、ちょっと先に書いておきたいことがありますので、それはまた次にします。よろしくね。 

 実は、令和6年度〝きらら俳句教室〟の第1回目が昨日あったんです。昨年度より2名増えての13名でのスタート。それにお世話して下さるレンジャーさんも交替して今年度はHさん。彼女は以前この教室が始まった令和2年に入会して2年ほど一緒に俳句を作りましたので、とても心強いです。

 考えてみればこの〝きらら俳句教室〟も今年で4年目に。何だかあっと言う間でした。毎年公園の同じような所を吟行しているのですが、季節季節で、またその時々で全く同じということがありませんし、だから同じような句にも出会ったことがないです。それだからいいのかも知れませんけどね。

 さて、その俳句教室のことは今回は置いといて、今日は「きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟」のことを書きます。それはレンジャーのHさんが担当している5・6年生の〝子どもレンジャークラブ〟の今日のイベントに俳句教室をやってほしいと頼まれたからなんです。

 今日の活動目標は、「季節のうつりかわりなど小さな変化に気付く」ということで、公園を見て回って気付いたことを俳句に詠もうというものでした。

 参加者は宇部や山口からの子どもたち23名です…〝俳句作ったことある?〟と聞くと殆どが〝ハ~イ!〟と。〝じゃあどうやって作るのかしら〟と言うと、〝五七五で…〟〝季語がいる…〟と答えてくれます。以前子ども夢教室での3、4年生はたくさんやりましたが、やっぱり5、6年生は違いますね。

 黒板に〝斑〟と書いて読める人と言うと〝まだら〟と。じゃあ〝斑猫〟と書いたらなんと…みんな首を傾げています。私がまだ俳句を始めたばかりの頃、この読み方や意味が分からずに〝まだらねこ〟と読んでヘンなの?と思った話をして、その読みを〝はんみょう〟…と言った途端、何人かの男の子たちが〝知ってる!〟と手を上げてくれました。〝とってもキレイな虫で、近づくと前の方へ飛んで…〟と説明する必要が無いくらい。さすがは〝子どもレンジャー〟だとビックリしました。幼い頃から自然に親しみいろんな生き物への洞察の眼を持った子どもたちがどんどん増えていけば、そしてこのような子らが成長して大人になったらきっと自然を大切にしてくれるのではと思うと、未来も明るくなって平和な日本になりそうで…と頼もしくなりました。

 10時から外へ出ていろんな物を見ながら…昨日も同じコースを歩きましたが、子どもたちが関心を持って見るのと大人たちとは全然違いますね。草や花よりも虫などの生き物が好きで、中にはカニを見つけて捕まえる子も居ました。

 私が出る前に…秋に実がなる〝グミの花〟と秋に花が咲いてもう〝グミの実〟になっているものが、今日は両方見られるのよと話したので、子どもたちはそれを一生懸命探していました。そして、やっと見つけると…みんなで取り合いこです。食べる子もいて…まだ酸っぱいんですけどね。

 11時前教室へ戻ってきて、早速俳句作り…できたらそれを短冊に書いて黒板に貼ります。それをみんなでいいと思う句を2句選びました。

 その結果、次の〈ダイサギのくちばし青し夏が来た〉〈ぐみの実はグミの味からほどとおい〉〈タンポポは太陽みたいにあざやかだ〉〈ウグイスのきれいな声はあそこから〉の4句が最高点になりました。

 どの句も今日のテーマの〝季節のうつりかわりに気付いて〟素直に感じたことを詠んでくれていますよね。他の句もそれぞれのいいところを鑑賞して、最後に私が〝みんな才能アリ!〟と言ったら大喜び!拍手で無事12時に終了しました。帰るときに子どもたちから〝楽しかった!〟とか〝ありがとうございます!〟と言ってもらい…とても気持ちよかったです。こちらこそありがとうございました。

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今日はいづこも〝花の雨〟ですかね!

2024年04月03日 | 俳句

 今朝起きると天気予報通り…小雨ではなく結構降っていました。それに、ゴミ出しに行くと、今度は傘が吹き飛ばされるくらいの強風ですよ。

 一昨日、昨日と俳句教室へ行きましたが、やっと開き始めた桜を見ながら、この調子ならもう2、3日もしたら満開になるかも…などとウキウキしてたんですが。

 こちらではまだ2、3分ぐらいですからまだいいのですが、これが満開の所だとするといっぺんにダメになるかも知れませんね。桜の一番の見ごろをいい天気で目にするのはなかなか難しいこと!

 テレビではあちらこちら満開の桜が映し出されています。が、今日は西日本から東日本にかけて全国的に雨のようですもの。これぞ〝花の雨〟でしょうか。

  手を引いてやる母は亡し花の雨   大木あまり

 確かに去年は義母の手を引いて花見をしましたのに…身に沁みますね。〝花の雨〟だからこそ余計に。あのふっくらとした手の温かさがまだ残っています。

 ところで、一昨日の兼題が〝四月馬鹿〟でしたが、面白い句が出ていました。〈腑に落ちぬことも飲み込み四月馬鹿〉という句。採った人は〝世の中には納得できないことがたくさんあるが、それを飲み込んでガマンするしかない…四月馬鹿ならいいが…〟という気持がよく解ると。〝これは作者のこと?なら何か手がかりになる具象が欲しいわね〟と言うと、作者が〝実はこれは大谷翔平のことを詠みました〟ですって!それは想像できなかったわと、みんなで大笑い。おまけに同じ作者のもう一句は〈とぼけても褒められてをり万愚節〉。〝今度は翔平の奥さんの真美子さんのこと…〟と。ホントにあの事件は青天の霹靂だったでしょうから、これがまさに〝四月馬鹿〟のニュースだったとしたらよかったのにね。

 今年になってからは余りいい話題がなくて…この一年が思いやられます。政治にしても経済にしても、このどんよりとした重い空気を吹き飛ばすような明るいニュースはないのでしょうか。そういえばパリ・オリンピックの開催までもう4ヶ月を切りましたよ。以前のように心がちっとも躍らないのはなぜでしょう?そりゃあ前回は東京での自国開催でしたから当然でしょうが、それ以外の時でも胸をワクワクさせて楽しみに待っていたんですけどね。皆さんはいかがですか?

 話が変わりますが、ネットを見ていたら次のような言葉が目に留まりました。〝自分が買ったワンピースの値段で、子どもが売られていた現実。(その値段はナント一万円ですって!)日本の大学生が設立した「かものはしプロジェクト」とは?〟

 このようなことが後進国で起っているということは今まで知らなかった訳ではありません。この「かものはしプロジェクト」という名もどこかで見かけたことがあるような気がします。今回詳しく読んでみて…次のような思いで応援をしてみようかと。その時のメッセージですので、読んでみて下さい。

「だまされて売られる子どもを守りたい。」かものはしプロジェクトの応援をはじめました。

私の大学時代の友人が生涯を掛けて、カンボジアの小学校設立のプロジェクトに携わり支援していましたが、昨年末亡くなりました。
私もカンボジアには観光で行きましたが、貧富の差が目に付きました。また、子どもたちの物売りが観光客に商いする姿を見ては、戦後の日本を見る思いでした。ましてや女の子が性商売の奴隷にされて売られるというのも、嘗ての封建時代の日本です。常に貧しいが故に…そういう環境に生れてきたが故に理不尽な生き方を強制的に…いや暴力的にさせられるという…そんな社会が許せません。しかし、それをしているのも同じ人間であると言うことにも腹が立ちます。弱い人たちを虐げて甘い汁を吸っている人間たちにも腹が立ちます。でも何も出来ない自分が悔しくもあります。そういう現実に立ち向かって闘っている若い人たちを少しでも応援したいという気持です。
子どもが売られる問題については、こちらから知ることができるので、よければ読んでみてください!
http://bit.ly/2wpnIwe

 関心のある方は是非読んであげて下さい。以前もユニセフや赤十字、東南アジアの子どもたちの学業を支援するという寄付をしてきましたが、ホントに本当に微々たるものです。でも、何かせずにはおられないという…そんな気持です。でも、またそんな善意の人々を騙す人もいるという…コワい世の中でもありますから、気をつけましょう。いや、気をつけますね。

 写真は、「かものはしプロジェクト」からです。

      

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『早苗のあゆみⅡ』が出来ました!エエッ、〝四月馬鹿〟?

2024年04月01日 | 俳句

 昨日は3月31日…〝三月尽〟でした。以前にも書きましたが、これは陽暦の三月の最後の日ということで、陰暦の三月最後は〝弥生尽〟。三月と書いても〝やよい〟と詠めば陰暦の三月のこと。

 結局どちらかをはっきりして詠まないと、詩情が違いますので混乱しますからね。だって、〝やよいじん〟ということなら、これは春という季節が終わるということですから〝惜春〟の情が中心になります。しかし、〝さんがつじん〟といえば、これは年度の終わり。学校では新学期がすぐで、進級やクラス替え、先生の異動なども、今から春たけなにという雰囲気でガラリと変わりますもの。役所や会社などでも退職者と新入社員などと、人事異動もありますから。その辺のところをよく見極めて季語を選んで欲しいですね。

 以前この季語で詠んだ人に聞いてみると、字数がちょうど良かったからとか〝やよい〟と言った方がかっこいいからという。内容がそぐわないものだったら却って違和感が生じて、その句をダメにしてしまいます。俳句を始められる方が、古語が魅力的だと思われるのは嬉しいことですが…。

 確かに俳句は短詩型文学ですので文語(古語)が似合います…が、使い慣れない分十分に意味を吟味して使ってほしいものです。生半可な耳学問でよく聞くからなどと安易に使用しないこと。後で〝これ、歳時記で調べましたか?〟と聞くと、殆どいいえということが多いんです。

 特に初心者の方は、古語であろうと歳時記であろうと、言うなら今無意識に使っている言葉であっても確かめてみること。これが上達するための先ず一歩でしょうか。

 今時の季語に〝百千鳥〟と言うのがありますが、それを以前〝たくさんの千鳥〟と思って使われた方がいてビックリしました。こんなことは初心者教室ではざらにあって笑い話で済むんですが、ある程度やっておられる人には恥になりますからね。

 ところで、昨日昨年のブログが送られて来ていましたが、それを見ると…懐かしいことが…。私がフォローしています〝徒然さやか日記〟のさやかさんに初めてお目に掛かった日でした。その時(2023・3・31)の「〝ブロ縁〟と言っていいのでしょうか?」の記事を見て頂くと分かりますが、家族みんなで蟹料理を食べに行った…それもこの日をもって店仕舞いをされるという叔父様の店へ。そこでさやかさんともお会いできたんです。

 でも、その時はまだ義母が元気で…おいしいね!と言ってモリモリ食べていました。まさかその7ヶ月後に亡くなるなんて…思えばもう随分昔のことのように思えて、〝去る者日々に疎し〟なんでしょうが、淋しいですね。でもいい想い出です。また、その時に書いていましたが、「早苗」の終刊に向けての運営委員会でその日広島へも行っていたんです。

 昨日もそう、「早苗」のために広島へ行って来ました。でも違うのは、今回が最後ということ。その「早苗」のお別れ会で、やっと出来上った『早苗のあゆみⅡ』を皆さんにお披露目することができたんです。

 以前の『早苗のあゆみ』は、創刊号から700号までの約60年近くを纏めたものですから、その膨大な資料の量でそれはそれは大変でした。その時のことを思えば、今回は701号から900号までの17年足らずですから…。でも以前は若かったし、やる気満々だったからでしょうか。それ程苦にはならなくて、忙しくも却って充実した日々の中で出来上るのが楽しみな程でした。今回は年を取ったから何するのものろくて時間が掛かってしまいますし、お婆ちゃんの介護とも重なっていて、とてもしんどかったんです。おまけに今度は終刊に因んでの座談会を行い、それを編集して載せましたので、益々大変でした。なんせ一日がかりの座談会でしたからテープ起しをしてくれた人も大変だったでしょうが、そのボリュームを、30頁に纏めるという気の遠くなる作業で…でもまあ、皆さんに読んでもらって面白いと言っていただけましたから本望です。やった甲斐もあるというもの。

 私が40年近く「早苗」でお世話になり、今日まで育てていただいた、そのご恩へのお返しが少しでもできればと思ってしたことですもの。思い残すことはありません。

 ところで、今日は4月1日。俳句では〝四月馬鹿〟とか〝万愚節〟などと詠みますが、実は今日の午後からの教室の兼題がまさにこれ。他の教室でも確かこれが兼題になっていたような。さて、さて、どんな面白い句にお目にかかれるか、楽しみです。それはまた書きますね。できれば今月はUp回数を増やしたいと思っていますので、よろしく。さあ、ガンバロウ!

 

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彼岸の〝お中日〟なのに…大荒れでした!

2024年03月20日 | 俳句
 今日は彼岸の〝お中日〟で、〝春分の日〟でした。昔から〝暑さ寒さも彼岸まで〟と言われているのに、ナント、ナント寒くって大荒れの天候でした。
 義母が亡くなってもうすぐ5ヶ月。元気なときはお婆ちゃんはこの日は必ず広島・本照寺の彼岸会に出かけて、お墓参りを欠かしませんでしたから、今年は代わりに主人と私がお参りに行きました。
 しかし今日は、気象庁の天気予報では西日本から東日本で明日にかけての大気の状態が非常に不安定になるとして、20日は、落雷や竜巻などの激しい突風、急な強い雨、ひょうに注意を呼びかけていましたし、西日本の日本海側と東日本の山沿いでは大雪の恐れもあるとか言っていました。
 それでちょっと不安でしたが、11時からの法要に間に合うよう8時に宇部を出発。その時の宇部はナント日が差していて、これは予報が外れたのでは?と思ったほどだったんですよ。ところが、高速に入って佐波川SAに着いた頃には小雨が降り出し、それがやがて雪混じりになり、気温も6度前後と…寒いったらありゃしない!でも、向こうの方を見ると山には日が差しているところもあったりして…何という天気でしょう。何だか私たちが頭上に雪雲をどっかり乗せて、それを引き連れて走ってるみたいでした。
 普通「彼岸」というとやっと穏やかな春めいた気候になったと思って、それを句にすることが多いようですが、悪天候の方が却って類句にならずに詠みやすいのかもしれませんね。例えば次の句のように…
  あしたより降り驚かす彼岸雪    森澄雄
  彼岸中日は昨日となりしを雪が降る 細見綾子 
  彼岸荒れ帽子がとんできたりけり   百合山羽公
 とにかく寒い!広島に着くと雨は土砂降りに…そうかと思うと、法要の途中からは窓に日差しが見えたりしたのでホッとしていると、またすぐに雨が降りだし…それも何だか霙のような…
 今回はコロナでしばらく無かったお斎(とき)が出ましたので、それを頂いて外に出ると、またもや雨でした。風も強くって帽子が吹きとばされそう!まるで次から次に天気が変わって…日替わりメニューのようでした。
 実は今回は他にも用があって広島へ来たんですよ。それは、この24日から一泊で、大学の同窓会を開くための下見を兼ねて来ていたんです。
 私があれこれスケジュールを考えたものの、それほど広島に詳しくはないし、体が不自由な人もいるので、時間的に無理があるのでは…と心配になり、お彼岸で広島へ行く序でに下見をしておこうと考えたのでした。
 やっぱり下見に来て良かったです。だって広島駅は今大きく変わろうとして周りは工事中ばかり。かって知っていた広島駅はもうどこにもありませんもの。久し振りに来る人たちもきっと何が何やら分からないでしょうし、おまけに皆後期高齢者ですものね。とにかく、12時集合で14時には船で宮島へ行かなくちゃいけませんし…ねッ。
 無理のないスケジュールを立てたつもりですが、思い通りに行くかどうか心配。その上お天気が…予報では雨のち曇だと、心配だらけです。ここでは私の〝晴女〟も通用しないかもと…。まあ、下見ができたので少しは安心しましたが…それはまた次にご報告しますね。
 広島の写真は暴風雨で撮るどころではありませんでしたので、先日誕生祝に行きたいと息子が言っていた防府の「ウミコヤ38」の写真です。防府市にある道の駅「潮彩市場防府」の傍にある「牡蠣好きが集まるカキ小屋」で、全国各地から、その時期最高の牡蠣が年中集まるのだとか。11-5月までは牡蠣小屋として、6-10月までは丼屋に変身 するんだそうです。
 主人と息子は牡蠣をバリバリと、私は牡蠣に弱いので、他のものを…エビやウインナー、じゃがバターなどが美味しかったです。ゴチソウサマ!
 
 
 
 
コメント (4)
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