ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日のハイライト

2017年03月28日 | 俳句

 今日もまた、俳句教室でした。今回のハイライトは、次の句、  

     受験子と握手してわが運渡す

 原句は〈受験子に渡すお守り我の運〉でした。

 季語は「受験子」、「じゅけんし」と読みます。基本季語は「入学試験」で、その傍題に「受験」「受験生」「受験子」などがあります。

 「合格」もその一つですが、ここで気を付けないといけないのは「落第」という季語。

 合格は、入学試験でのことで、落第は卒業試験や進級試験などで不合格になること、だから同じ春の季語であっても、意味は違ってきます。

 さて、原句の作者の気持ちはとてもよく分りますね。お孫さんに合格祈願のお守りを授かってきて、さあ渡そうとしたとき、自分の運気も一緒にあげようと思ったのだと…。

 ちょっと欲張りすぎかな。やはりここでは、「お守り」か「我の運」かのどちらかにした方がいいでしょうね。

 「受験」に「お守り」はもう定番ですから面白くないです。ここは「我の運」を生かしましょう。

 作者曰く、「渡す時がんばってねと、私の運を注入してあげるためギュウッとハグしたんですよ。」と。(笑)

 中学3年生?高校かも…もし男の子だったら当惑するでしょうね。でも女の子でした。

 「確かにあなたは誰もが認める強運の持ち主だから…でも、もし悪運だったらどうするの?」

 それで「結果は?」と聞くと、すかさず「見事に落ちました!」と。

 一同エエッ‼と開いた口がふさがらない…

 すると、「大丈夫ですよ」、「これが却って福となるかもよ」と、ちゃんと励ましておきましたから…。(爆笑)

 あ~なんと愉しいこと!…これが句会の面白さです。

 でもやっぱりハグは俳句的でないかと思い、握手ぐらいにしておきましたが。

 ところで、先日の稀勢の里の優勝、日本中の人が感動したでしょうね…勿論私もですが。

 日馬富士戦で負傷したあの様子を観て、ああこれで折角の連続優勝のチャンスを逃したなあ…惜しいなあと。

 でもまだ次もあるのだから欠場もやむをえない、早く怪我を治して…と思いきや、次の鶴竜戦に出て…、痛々しかったですね。もちろんあっけなく負けましたが、でも最後の照ノ富士戦で勝ち、優勝決定戦へ…すべてはあの稀勢の里の涙が語ってくれました。 やっぱり相撲は男の競技ですね。

 早速月曜日にあった句会には、次の句が出ていました。

    右腕がもぎ取る春の賜杯かな

 もちろん私は特選に採りましたよ。だって、これは今でなくては詠めない句。

 恐らく稀勢の里のことを知らない人や時間が過ぎて読む人には、「なぜ右腕なの?」という疑問と、春でなくてもいいのでは…などと問題にされる句でしょう。

 でも、私はこういう今でしか味わえない実感を詠んだ句も残していきたいと思っています。

 ちなみにこの句、蓋を開けてみれば、わが旦那様の作でした。おそまつ!

            

      

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のお題は〝花冷え〟

2017年03月27日 | 俳句

 「暑さ寒さも彼岸まで」と、さあこれで寒さからは解放されるものと思いきや…

 このところ寒い日が続いています。関東地方では昨日雪が降ったとか。こちらでは昨夜から〝春雷〟です。

 今朝も春雷が鳴っていましたが、テレビ  では登山講習会に参加していた栃木県の高校生が雪崩に巻き込まれ、6人の心肺停止と4人の行方不明を報じていました。他にも多くの負傷者がいると…(夜はもっと増えたみたい)

 折角の楽しい春休みの行事だったでしょうに、事故に遭われた方々が可哀想で仕方がない。

 でも今日も午後から句会で忙しいので、ゆっくりテレビなど眺めている暇はないのです。ゴメンナサイ!

 今日の兼題は「花冷え」でした。

 この題を決めたのは1ヶ月前、今年は櫻が早そうだからまあいいのでは…と決めたのですが、このところ思わぬ寒さがぶり返して、こちらではまだ一輪も開いていません。このままいくと…いつ?

 とにかく俳句は先取りが好まれるので、櫻が咲いているつもりで、さあ詠みましょう。

    招客にたぎる茶の湯や花の冷

 今日の最高点句です。角川俳句大歳時記には「花冷え」の傍題として「花の冷え」がありますので、これが季語。

 以前わが馬醉木では、「花の冷え」と言うべきではなく、どうしても下五に使いたいときは「櫻冷え」というべきだと教わったことがありますが、…さてどうでしょう?

 私見的には、例句もたくさんあるし使ってもいいのではとも思うのですが…

 季語のことは別にして、この句なかなかのものですね。まず口に出して読んでみると分りますが、リズムがいい。

 ここまで詠めるようになったKさんの成長がとても嬉しいです。

 でも、これで満足していたら先へは進めませんよ。常に向上心……あるのみです。

 そこで私が、「招客は正客がいいのでは…」というと、「これは友達を招いて、3時のお茶  をしたのを詠んだんです」と言う。

 「エエッ!じゃあ、茶室か何かで抹茶を点てているところではないの?」と…

 ここはやはり気楽なおしゃべりの場より正式な「茶の湯」の場面が、この季語には相応しいでしょうね。

 それに「たぎる茶の湯」も少しおかしい。「茶の湯」といえば、茶会や茶道のことで、たぎるのは湯でしょうし、また湯とは沸いたものを言うのだから…そのへんをすっきりと整理してみましょうか。

 そこで最終的には次のようになりました。

    正客にたぎる茶釜や櫻冷え

 こうすると、茶室の静けさや緊張感も感じられて、すっと伸びた背筋に「花冷え」がとてもよく似合いますね。

 ああ!そうだ、今日はもっといいことがあったんですよ。それを書かなくちゃ~

 最近はどこにでもあるのですが、学童保育といって、低学年の小学生を預かって面倒をみてくれるという制度。

 普通は授業が終った後だけですが、もう春休みなので、一日中このふれあいセンターで、先生と一緒に勉強したり遊んだりして過ごしています。それで、先生より、今日は子供らが作法を習ってお茶を点てますので、是非飲んでやってくださいと。

 勿論ありがた~く頂きました。 そりゃあ美味しかったですよ。

 そこで即吟で、お礼に次のように書いてさしあげました。

    子ら点つる抹茶に句座も春うらら    ちわき 

           

       

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大変失礼しました

2017年03月26日 | 日記

  

 実は大変なミスをしてしまいました。ごめんなさい!

 3月20日付の「お彼岸」の記事で、高濱虚子の句碑を紹介しましたよね。

 それについてのご指摘を戴きました。

    石船に灯る春のみなとかな

 この句は、「石船に」ではなく「百船に」ではないでしょうかと…

 すぐに調べてみましたよ。ア~その通りでした。ご指摘心から感謝致します。有り難うございました。

 載せる前一応ネットでも確認したのですが…(そりゃあ石船で検索したって出るわけないでしょ

 図書館まで行って調べる余裕もないし…それで見切り発車……これはやっぱりですよね

 句碑の字を石船と読んで、その時は誰も疑問を持ちませんでした。

 「石船」というのは石を運ぶ船です。義母や旦那は根っからの広島人だから、おかしければ気付くはずなのに。

 「昔は石を運ぶ船が広島のみなとにいたんじゃのお~」「明治じゃもんね…」

 まあ、こんな会話をして写真を撮ってきた次第。

 ブログは誰が読むか分らないのだから、こわいんよと娘からも言われていましたのに。

 勿論活字になるものにはいつも細心の注意を払って書いておりますが。

 いいも悪いもある意味自分をさらけ出しているのですからね。それでは正しい句をご披露しましょう。

    百船に灯る春のみなと哉

 「百船」とは、「ももふね」と読み、たくさんの船のことで、ここでは釣船のこと。

 春暁の静かな瀬戸内海に、たくさんの釣船の灯が浮んでいるさまを詠んだものなんですって。

 どうかこの正しい句の方を覚えてくださいね。お願いします。

 ところで、今日は俳人協会の役員会で防府に出掛けました。

 ここでも役員改選が一番の議題でした。高齢化の波が押し寄せて、困ってるのはどこも同じ。

 〝若い人どこかにいませんかア~〟と、触れ歩きたいです。

 まあどうにか決着がついて、みんなで食事をし、お開きとなりました。

 家の近くまで戻ってきたところで、何と道路を雉が歩いているではありませんか。

 車を近づけても逃げません。そろそろ雉も恋の季節にはいったのでしょう。

         

              

 

        

        

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島へ行って来ました

2017年03月25日 | 日記

 今日は、俳誌「早苗」の、平成28年度運営委員会で、新幹線に乗って広島へ行って来ました。

 「早苗」とは、俳誌「馬醉木」の僚誌で、分りやすく言えば大会社の傘下にある子会社といったところ…

 少しこの本について紹介してみましょう。

 嘗て山口県豊浦郡(現下関市)で、昭和21年から発行されていた「紙魚」という雑誌を前身にして、昭和25年、水原秋櫻子の命名により「早苗」と改題され、今日まで続いている息の長~い月刊俳句雑誌です。

 発行所を広島市に置き、会員は広島県内は勿論山口県、福岡県、愛媛県へと広くにわる、いわば馬醉木の中国版。

 平成27年8月号が800号となり、その記念の祝賀会を28年1月の新年句会で開催しました。

 今日の議題は、①28年度の事業報告と会計報告②29年度の事業計画と会計予算案③その他と、例年通りにスムーズに終る予定でした。ところが、突然…でもないのですが、役員交替の提議があり(実は私が出したのですが)

 少々渋滞。それは同人会長と会計の交替だったからです。

 平成13年から私が同人会長を引き受けて、早くも15年以上…もうそろそろ変えていただきたいと、昨年から申し出ていたのですが、そのまま引き延ばされて、やっと今日その念願が叶い、肩の荷が下りました。

 結局、会計の方は最終決定に至らず、保留のままに終ってしまいましたが…。

 ところで、昨日嬉しいことがあったんですよ。

 ひょんな事から、「お国自慢ふるさとコンクール」の第11回俳句作品募集が目に留まり、ふるさとを詠んだものなら既発表作品でもよいという条件につられて応募してみました。

 先日発表があったのを忘れていたのですが、有り難くも審査員奨励賞というのを戴き、その賞状と副賞が送られてきたのです。

 エッ!と喜んだのも束の間、よく見ると名前が違っていました。もちろん誤植ですがね。折角の喜びが半減です。

 まあ、なんにしろ人から何か貰うというのは嬉しいもの。その句は、

    ザビエルの布教の井より天道虫

 この句、山口のザビエル記念聖堂での吟行会にて詠んだものです。

 聖堂を正面にして遠くを眺めるような眼差しで、ザビエルは手を井戸に置き布教しています。

 彼は、ヨーロッパから日本に渡来した江戸時代最初の伝道師で、山口にも来てキリスト教を広めたのですよ。

 町の人がよく集まる井戸のまわりで布教活動をしていたらしい。その井戸と像が造られているのです。

 季語は「天道虫」で夏。

 星をもった可愛らしい天道虫がザビエルの見つめる遠い彼方へ、あたかも天への使者かのように飛び去ってゆく…

 ほら、想像してみて下さい。いいでしょう!私の自信作です。(ウソですよ~

 パンフレットからの写真ですのであまりよくありませんが、大体の様子は分るでしょう。

 今度また行ったときにきれいに撮ってきますからね。待っていて下さい。

 

       

       

             

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日のつづきで~す

2017年03月24日 | 日記

 昨日ブログ書いて投稿したら、主人が「こんなんも咲いてたで~」と、写真を撮ってきてくれました。

 昨日載せた写真は、私がスマートフォンで映したもの…

 ところで、いつもこの画像を載せようとすると、スマホで撮ったものはどれもひっくり返ってしまうので、本当に困っています。どうしたもんでしょうか。

 次のは主人のデジカメですし、ブログ用にとサイズも考えてくれましたので、そのまま使えそうです。

       

                雪柳                   ぼけの花(名の通りボケてますね!)

 

           

                        藪椿                                白花タンポポ

           

                        白木蓮                                    土佐水木

 昨日の蕗の薹を採りました。こんなにありましたので、今日は天ぷらにでもして食べようと思います。

                           

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は終い彼岸

2017年03月23日 | 日記

    月日過ぎただ何となく彼岸過ぎ

 富安風生の句です。まさにこんな感じの昨日今日です。

 風生は、「ホトトギス」派の俳人で、34歳という遅い出発ながら、俳誌「若葉」を主宰し、温和な作風で多くの佳品を遺しています。また、水原秋櫻子が、昭和3年、「破魔弓」を改題して「馬醉木」という俳誌にしたとき、同人の一人として名を連ねていますので、全く私たちと縁のない方ではありません。         

 今日3月23日は、彼岸の終り、即ち季語では「彼岸の入」に対して「終い彼岸(しまいひがん)」と言います。

 私の1ヶ月の中で、ポカンと空白になる一週間がありますが、それが第3週目。 今月は、19日~26日なのですが、年度末と言うこともあって、25日は広島市へ、26日は防府市へと、役員会の会議で出掛ける予定です。普通は、句会や教室などが第1,2,4週目に設定してありますので、第3週に変更がない限りは空くのです。要するに私が息抜きのためにそのようにしたのですが、今のところこれで結構上手くいっているンですよ。 それで、20日は墓参りにつぶれましたが、この2,3日は本当にこの風生さんの句のように過ごしています。彼の句集『喜寿以後』に掲載されている句ですが、こんなゆったりとした…余生(?)もいいかな……と。

 お天気もよく、久し振りにのんびりと庭の草を取っていると、いろんな花々に気がつきました。 いつの間にかわが家にはこんなに花があったのかと……ゆっくり見てあげる暇がなくてゴメンナサイね。

 お詫びにここに紹介してあげますね。

      

            肥後椿                               黄水仙

                馬醉木                豊後梅(もう終りですが…)

                                  ヒマラヤ雪の下               蕗の薹  

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テンプレートを変えてみました

2017年03月22日 | 日記

 このところ逢う人ごとに〝ブログ始めたから見てね!〟と宣伝しているのですが、…

 どうも今ひとつ反応が弱いまた、文字が多いから読みにくいなどの感想で、 ???と考えてテンプレートを変えてみました。

 いかがでしょう? 目に優しい緑を基調に春らしい菜の花と蝶のデザイン…ウーン、自分なりには読みやすくなったと思うし、いいんじゃないかと思うのですが…。しばらくこれでいってみます。

 先日朝のテレビで、あなたは〝猫派〟か〝犬派〟かというのをちょっと見ていたら、最後には猫派が勝ちましたね。もちろん私も猫派です。前にも書きましたが、今は雄猫〝テン〟一匹ですが、一年半前はもう一匹、雌猫〝チャーミー〟がいました。老衰で死にましたが、最後の最後までよく食べて…それが救いでした。

 この猫は、友人から貰ったスコテッシュ・フォールドで耳が垂れていました。

 それであるとき、セールスに来た人がチャーミーを見て、この猫耳がないと驚いていましたが…懐かしい話です。

 それでは〝テン〟をお目に掛けますね!

                  仔猫のときの〝テン〟

                  今の苦みばしったいいテン 

 いかがですか? 鑑賞にたえる猫でしょう! でも、飼っていれば、我が子が一番かわいいのと同じで、自分ちの猫が一番ですよね。

  主人なんて昔猫を飼うとき、「犬じゃないとダメ!」と言っていたのに、今ではテンがいないと夜も日も明けないという暮しなんですから… まあ、何でもやってみなくちゃ分らないと言うことですよ。

  俳句もしかり、「まだ早い」とか「年寄り臭い」などと言って、いくら勧めても敬遠していた人が、さあやり始めると、 「もっと早くからやればよかった!」「もう十年早かったら…」などと言うのと同じです。 でも、「思い立ったが吉日」とも言いますから、まだ遅くはありませんよ。この際何でもやりたいことはやってみましょう。 先はもう短いのですから…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸

2017年03月20日 | 日記

 今日はお彼岸でした。正確に言うと「彼岸の中日」、春分の日です。なので母たちと四人で、広島まで行き、彼岸法要をして来ました。もちろんしっかりとお墓参りもしてきましたよ。

 彼岸とは、春分と秋分とをそれぞれ中日として、その前後三日間ずつ、計七日間をを言い、昔からよく「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、この時期を境にして本格的な春や秋を迎えるようですね。俳句の季語としては、ただの「彼岸」は春を、秋の場合は「秋彼岸」「後の彼岸」と、使い分けますが、この時期になると、私はすぐに次の句が浮ぶんですよ。

   毎年よ彼岸の入に寒いのは

 正岡子規の句です。この句に出会ったとき、なんと平易で分りやすく、それでいて心が引きつけられる句なのだろうと思いました。前書きに「母の詞、自から句となりて」とありますので、子規の問いかけに答えたお母さんのつぶやきを、ただそのまま子規は五七五にしただけなのです。こんなただ事でもこんな素敵な俳句になるのだと知って、本当にびっくり!

 初学の頃は、俳句を特別なものだと難しく考えて、ない知恵を一生懸命ひねって詠もうとしていたのですが、…まさに目からうろこでした。でも、俳句をやっていらっしゃる方はよ~くご存じですよね。このだだ事がだだごとでないということが…。

 こういう風に詠めることなんてめったにありませんから、もしそんな場に出くわして出来た句は、私たちは〝賜った句〟と言っています。やはりこういうことは日頃の心がけがよくないと……ね。

 ところで、この寺に以前から句碑があるのは気がついていましたが、今回せっかくだから、ブログで紹介しようと写真を撮ってきました。ホトトギスの大御所、高濱虚子の句碑です。

   石船に灯る春のみなとかな

 この句、調べてみても分りませんでしたが、「灯る」は、きっと「ひともる」と読むのでしょう。この寺は、昭和三年十月虚子曽遊の折句会が催され、広島ホトトギス会が結成されたところなので、第12回アジア競技大会広島記念俳句大会開催の記念として、平成六年に建立されたものだそうです。ちなみに掲句は、明治二十九年広島に始めて来た虚子が詠んだものらしい。

 ※この句は、正しくは〈百船に灯る春のみなと哉〉で、3月26日のブログ「失礼しました」を読んで下さい。

    

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は馬醉木句会でした。

2017年03月19日 | 俳句

 昨日、13時から定例の馬醉木句会でした。4月から次の年の3月までを一区切りとして、毎年3月には総会と会計報告をします。

 この会は、昭和46年6月に開設されて以来、45年以上一度も休会することなく、今月が第548回目の句会でした。そのような伝統ある句会をどうにか引き継いで、〝楽しくも有意義に〟をモットーにここまで来ましたが、これから先のことは  不安だらけです。まあ、私が元気なうちは頑張るつもりですが…。 

 昨年は、3月の句会の日にちょうど佐賀県・福岡県の世界遺産をめぐるツアーがあって、それにみんなで参加しましたが、今年は、3月ではなく4月の句会の日に、運良く〝花のまわりみちと宮島自由散策〟というツアーがあって、それに行くことにしました。広島造幣局の桜の通り抜けが一週間許可されるのです。大阪造幣局の桜の通り抜けは有名なので、テレビなどで見たことはありますが、広島も小振りながら結構いいよと聞いていましたので、一度は行ってみたいと思って決めました。そのレポートは今度また…。もちろんこれは句会の行事ですから、宮島での自由散策を吟行として句会もやりますよ!お楽しみに。

 今月の投句数95、出席者は12名。高点句は、以下です。

  啓蟄の風の匂ひや雨上り   (季語「啓蟄」、雨上りの心地よい風に虫たちがぞろぞろと顔を出しそう…)

  龍となり山焼の炎の天目指す (季語「山焼」、秋吉台の山焼…その火の勢いが龍と天でよく見えてくる)

  蔵に沿ふ水の豊かに雛めぐり (「豊かに雛めぐり」と続く感じがするので、ここは「豊かや」と切りたい)

  島の子の不意の挨拶葱坊主  (季語「葱坊主」が面白い。やんちゃな島の男の子らしさが感じられる)

  いぬふぐりいつもの道で逢う子かな  (季語「いぬふぐり」の可愛らしさと明るさが子に重なって気持の良い句)

 ところで、体調が悪いと先々月から欠席のYさんの投句に、こんなのがありました。

  病室のカーテン越しに春日かな

 それでびっくりして、句会の後電話してみると、今日退院したところだと…。意外と元気そうな声が戻ってきましたので、ホッとしました。 見ず知らずの人が詠んだ句でも、作者の置かれた状態や心の様子などは何となく感じられるものですよね。ましてや仲間ともなれば、当然いろいろなことが分ってしまいます。このように俳句というものは、作者の姿が投影されるものなのです。もちろんこれは、俳句に限ったことではありませんが…。

 私が初心の頃からいつも教えられてきたことがあります。それは、〝俳句は姿勢だ〟ということです。この言葉は、かつて「馬醉木」の編集長だった福永耕二さんの言葉ですが、若くして亡くなり、その死を人々に惜しまれた方です。いろんな話を聞かされる度、私も一度でいいからお会いしたかったなあ…と。それで、少し紹介しますね。

  福永耕二

 1938年~1980年、42歳で没。鹿児島県出身。高校生時代より作句して、「馬醉木」に投句。鹿児島大学に入学すると、俳誌「ざぼん」の編集に加わる。卒業後は高校教師として働き、27歳で上京、32歳の若さで「馬醉木」の編集長となる。句集『鳥語』『踏歌』『散木』。『踏歌』で俳人協会新人賞受賞。戦後の「馬醉木」の俊英として嘱望され、青春性・抒情性を湛えた馬醉木調の句風である。

 「俳句は姿勢だ、と僕は考える。俳句はそれを生きて行ずる人の姿勢である。俳句という表現形式を愛し、それを人生と等価のものにして生きようとする努力が俳句の歴史を貫いてきたと思っている。」(耕二の言葉)

 最後に私の好きな作品の一部を

  浜木綿やひとり沖さす丸木舟

  雲青嶺母あるかぎりわが故郷

  新宿ははるかなる墓碑鳥渡る

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一病と二人三脚

2017年03月16日 | 俳句

      一病と二人三脚年新た

 これは、平成10年の私の作です。この頃はまだ一病でした。今ではもう三病か四病ですがね。
 今、俳句の仲間たちや教室の生徒さん、み~んな口を揃えて「先生、いつもお元気でいいですね!」と言ってくれます。有り難いです。 それを聞く度に、ああ、私は元気なんだと、ホントにそう思えるのも不思議です。
 言葉というものは〝ことだま〟と言って、「ダメだ、ダメだ!」とか「出来なかったらどうしょう?」とか、マイナスの言葉ばかりを口に出していたら、本当にそういう風になるのですよと、聞いたことがあります。私は昔から泣き言を言うのが大嫌いでしたから、みなさんにはいつも元気そうに映ったのかも知れませんね。でも、私の句集を読んでいただけたら、健康とはとても言えないということが分ります。
 先日長門で講演された小川軽舟さんの著書、俳句日記『掌をかざす』(ふらんす堂)という本の中に、共感した言葉がありましたから、書きますね。

 〝俳句はそこに何があったかを思い出させてくれる言葉だ〟です。まさにその通りだと思います。俳句はたったの17文字ですが、その中に凝縮されている時間や空間は無限なのです。自分の詠んだ1句を手にすれば、たちまちその当時にタイムスリップして、一緒にいた人たちや景色、その時の状況など、すぐに髣髴として蘇ってくるんですよ。

   入院を明日に爪切る夜の秋       (季語「夜の秋」夏)
   声かけて病者寄り合ふ今日の月   (季語「今日の月」秋)
   髪脱けてゆくも治癒かと月祀る   (季語「月祀る」秋) 
   食思なき歯に松茸の音はよき      (季語「松茸」秋)
   長き夜や死神様も神のうち       (季語「長き夜」秋)
   病み呆けし我に鈴虫昼を鳴く      (季語「鈴虫」秋)
   復職の出会ふものみな冬やさし   (季語「冬」冬)

 これらの句は、平成5年、C型肝炎で入院し、インターフェロンの治療を初めて受けた時のものです。まだ治験中の薬で、医者も手探りの状態でした。その副作用で苦しみましたが、どうにか6ヶ月間の治療を乗り切りました。その時のことが何も言わなくてもすぐに思い出されます。
 その後もインターフェロン治療を2回受けました。若いときから数えると、出産を除き8回の入院、2回の手術と…その病歴を話し出せば、一冊の本が出来ます。どうですか、驚いたでしょう? 本当に人というものは外見だけでは分らないものなのですよ。

 今日は半年ごとのその検診のため医大へ。いつもは何事もなく、ではまた半年後と、予約して帰るのですが、今回は違っていました。エコーに気になる影が有ると言われ、3ヶ月後にMR検査を受けることになったのです。でももう少々のことでは驚かなくなっていますので、みなさまどうぞ心配しないで下さいね。私は安心するための検査だと思っていますから。まだまだ頑張りますよ!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のお題は〝皹〟

2017年03月15日 | 俳句

 このブログを始めて1ヶ月、何とか手助けをして貰いながらここまできました。
 写真を入れるのにも、大きかったり、逆さまになっていたりと苦労しましたが、どうにか見られるようになったでしょう?
 ブログランキングにも参加して、皆さんのご協力で徐々に上昇中…嬉しいです。これからも是非御支援をお願いします。
 コメントや読者登録など、初めて頂き有り難うございます。コメントへの返信をしたいのですが、やり方がわからずごめんなさいね。
 先日のこと、書き上げた原稿を私の手違いで見失ってしまい、慌ててバックアップを探したのですが、結局ダメでした。涙ですよ。
 一度書いたものをもう一度書き直すのは、精神的にも疲れますしね。そういうわけで、分らないときはパスするのが賢明と気がつきましたので悪しからず。
 昨日は岬の俳句教室でした。今8人のこじんまりとした和気藹々の教室で、楽しいです。
 早速日曜日の「金子みすゞ俳句大会」の話をし、その様子はブログで見てねと、宣伝をしておきました。
 それではまず先月の添削句よりいきましょう。

    いつも言ひし皹を母勲章と

 原句は〈あかぎれは勲章なりと母の声〉でした。今時珍しい「あかぎれ」という季語、すぐに飛びつきましたよ。だってあかぎれが勲章とは…いい言葉です! それも「母の声」とあるから、これは作者のお母さんの言葉でしょう。でも、まだお元気なんでしょうか?それとももう亡くなられているの? そこのところが分ると、もっとしっかりした鑑賞ができますね。
 「皹(あかぎれ)」は冬の季語。他に「霜焼」「胼(ひび)」などもありますが、これらは私が子供の頃に経験したことで、今のような暖房器具が発達した時代には、もう殆ど無縁のものになっていると思っていました。冬山登山などをされる方にはまだあるかもしれませんが…。それでこの句は、亡くなられたお母さんの口癖だったのに違いない…それを冷たい台所仕事をしながら思い出して詠んだのだろうと。ところがとんだ間違いでした。実はこのあかぎれは母ではなく、作者自身のものだったのです。エッ!ホントと、びっくりしてしまいました。
 すると、これ、これと、手をひらひらさせて証明してくれましたが、見るからに痛そうで、それも両手の至る所にできていて。聞くところによると、この一、二年次々とお孫さんが生まれ、そのおむつなどの世話をしていて、そうなったのだそうです。手袋を使ってもダメ、病院に行ってもよくならないと聞くと、気の毒で本当に可哀想でした。これは過去の話ではなく、現実だったのですね。
 だから、この句の母はまだ健在のお姑さんのことで、あかぎれの出来た作者を「それは母の勲章だからね。」と言って、慰めてくれたんですって。これもいい話ですね。
 昔の〝はは〟は、勿論私の母もそうでしたが、子供のため、家族のためなら…エンヤコラと、我身を削って働いてくれたんですよ。こんなこと書いていたら、昨年11月に亡くなった母のことが思い出されて、涙が出そうです。ホントに働き者の母でしたから。いくら頑張っても、私は到底母の足元にも及びません。自分のことは何でも後回しにし、母は形振り構わず9人の子を慈しんで育ててくれました。本当に〝お母さんありがとう〟。感謝、感謝です。母のことを話し出したらきりがありませんので、また何かの折にでも書きましょうね。
 本題に戻りましょう。作者の話を聞いて、この句は次のように直しました。

    皹は母になりたる勲章と

 次の句は一茶です。これも涙が出ますね。

    皹をかくして母の夜伽かな

 「夜伽」とは、警護や看護などのため夜寝ずに付き添うことです。でもこの母は一体誰でしょう?
 一茶の生母は3歳で亡くなっていますし、継母とはとても仲が悪かったし…それとも自分の子の母、即ち妻かしら…。一茶が旅で寝た遊女のことを母と…なんて解説もあってびっくりです。でも、この句は遺句集の中にあるのですから、きっと詠んだのは晩年でしょう。だとするとやはり妻かも。
 一茶は、50歳までは定住せずに、やっと52歳で初めての結婚をし、三男一女に恵まれて喜んだのも束の間、その子たちを次々と亡くし、挙げ句の果てに奥さんまで失ってしまう。2回目はすぐに離婚、更に3回目の結婚をして、やっとまた我が子に恵まれるものの、その顔を見ることなく64歳で死にます。なんと知れば知るほど哀れな人生ですよね。だから、あんなに優しい俳句が詠めたのかも。
 そんな一茶に合掌、母にも合掌。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会

2017年03月13日 | 俳句


 昨日、長門市で開催の「第16回長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会」に出席してきました。
 9時30分受付の、席題発表ということなので、それに間に合うように仲間9人で。
 会場は、長門市湯本温泉の「湯本観光ホテル 西京」です。私達が到着したときにはもうかなりの人が来ておられました。
 この大会は、普通の俳句大会と違って、前日から美祢線に乗車しての吟行や仙崎周辺の吟行、そして、それらの吟行句会、夜は前夜祭としての懇親会など、多彩な計画がなされています。
 参加しようと思えばいつでも出来たのですが、何となく今まで縁がなくて今回が初めての参加。
 なぜ今回はというと、記念講演が「鷹」の主宰小川軽舟さんだったからです。ひとりで行くのは勿体ないと、私の教室の人たちを誘ったら9人になりました。賑やかな人ばかりなので、まるでミニ旅行のよう…
 まずは、兼題(「湯」の詠み込み)の投句締切が11時でしたので、それを済ませこのあたりを散策、その後食事をしようという予定でした。
 ところが、会場には12時からしか入れず、結局席を確保するために先ず食事をすることにして、散策は諦めました。
 この大会の選者には、茨木和生(「運河」主宰・奈良県)・宇多喜代子(「草樹」代表・池田市)・木割大雄(「カバトまんだら通信」編集人・尼崎市)・鈴木厚子(「雉」同人・広島市)・寺井谷子(「自鳴鐘」主宰・北九州市)・小川軽舟(「鷹」主宰・横浜市)と、錚々たる方々の名前が記載されていましたが、まさか皆さんが本当に出席されるとは思ってもいませんでしたので、びっくり!寺井谷子さんだけは今回欠席でしたが。
 13時開始の前に、茨木和生さんの詩歌文学館賞と宇多喜代子さんの日本芸術院賞の、それぞれの受賞に花束の贈呈が行われました。
 その後開会挨拶、続いて大会応募作品の表彰と各選者による特選句の選評。
 今大会の金子みすゞ大賞は、周南市の阿部友子さん、きれいな和服姿で出席されていました。以下がその受賞句です。

   〈みすゞ忌の少女のようなおばあさん〉

 いよいよ待ちに待った講演です。小川軽舟さんは何度か本などで拝見したことがありましたが、まさにその写真の通りの方でした。
 第一印象は、…端正な方だなあと、また、話し方も一語一語咀嚼しながらゆっくりと丁寧にという感じで、とても聞きやすかったですね。
 演題は、「鳥と俳句」。まず早朝の散歩で出会った〝頬白〟の話から始められました。
 「ここ長門市には始めて来ましたが、〝頬白〟が、まるで私を歓迎するかのようにちらっと顔を見て、一声鳴いて飛び去ったんですよ。」と、俳句さながらこの土地への挨拶も忘れずに、快調な滑り出し。
 中でも「馬醉木」水原秋櫻子とその野鳥の先生であった中西悟堂との、「葦五位」の話にはつい笑ってしまいましたよ。淡々と話しながらも、所々隠し味を効かせての話で、あっという間の1時間でした。そう、そう、最後の締めもさすがでしたね。この会のメインである「みすゞ」の詩をちゃんと持ち出して…、「鳥の俳句も…みんな違って、みんないい!」と。会場は勿論拍手大喝采でした。
 特に私達馬醉木人にとって嬉しかったのは、水原秋櫻子だけでなく、大先輩の山谷春潮や石田波郷まで加えての話、ホントに有り難かったです。
 最後に、当日句の表彰があって、わがグループからも3人が入選、大喜び! 
 ところで、またまたびっくりしたのが、当日句の句稿の中に、小川軽舟の名を見つけたとき。その俳句への心構えには頭が下がりました。
 ちなみに、その句は、〈春暁の外湯灯れる岸辺かな〉。さすが人柄そのままの端正な句。
 そのいい気分のところで、この近くにある大寧寺を少し吟行して帰ることにしました。
 この大寧寺は大内義隆が陶晴賢に破れて自刃した歴史的に有名な所です。その兜掛けの岩や姿見の池もあります。勿論主従の墓も…。
 また、秋には紅葉の名所として沢山の人で賑わう所ですが、春の桜の時期もいいんですよ。あと2週間もすれば満開かな…。
 そろそろ5時近くなったので、帰ろうと車に戻り、ちょっと小腹が空いたので、賞品のチーズかまぼこをみんなで分けて食べましたが、勿論格別な味‼。そして、出発しかかったとき、鹿が2匹いるのに気がつきました。「わあ!かわいい…」と、また、また、車から降りて、みんなでしばらく眺めていました。俳句をする人は、本当に時間がいくらあっても退屈しませんね。余りにも嬉しそうに見るおばさんたちに、鹿も悪い気がしなかったのか、「また来てね」というように私達をしばらく眺めて、やがて山の方へ去って行きました。これホントなんですよ。ああ、証拠写真を撮ってくるんだったと後で気付きましたが…本当に残念です。
 まだまだブログを始めて間がなく慣れていませんので、なかなか写真までは手が回らず、いつもいろんなことで四苦八苦しています。そういうわけですので、もうしばらくはご勘弁を!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吟行会へさあ出発!

2017年03月11日 | 俳句

 今日は、フォーユー午後の部と夜間の部との合同吟行会です。9時集合の16名は4台の車に分乗、あとの5名は現地集合で、総勢21名の団体です。行き先は山陽小野田市の江汐公園。10時には全員が集合出来たので、いよいよ開始です。
 何と今日も最高の吟行会日和、私の〝晴れ女〟の名声(?)をまたまた高めてしまいました。このところ連戦連勝で、自分でも怖くなりますよ。そのうち罰が当りそう…。この前の秋吉台の山焼きの時も、前々日に雨、済んだ次の日も雨、それも大降りでしたよ。この山焼きは予定通りに行われないので有名なのですが、これも最高の山焼き日和でした。ところが、今まで一度もなかったのに、今回は1名の方が亡くなられたということを、家に戻ってニュースで知り、本当にびっくりしました。他人事ながら気の毒でなりませんでした。

 さて、スタートしてすぐに出くわしたのが、なんと大鍋であさり汁を作っているところ、聞けばイベントの参加者に振る舞うために用意しているのだと。「美味しそう!」と、今にもよだれを垂らしそうな様子に、「さあさあ、あさり貝も春の季語だから、みんなは食べたつもりで句を詠みましょうね。」と追い立てる。
 この公園の湖に鴛鴦がきているという情報を得て、早速その方へ移動しました。「冒険の橋」という浮橋と「冒険の森」の近くです。双眼鏡で探してみたのですが、どこにも見当たりません。もう帰ってしまったのかと諦めて、軽鴨や大鷭、大きな鯉などを眺めました。
 土曜日でお天気もいいので、親子連れの姿が多く、鯉に餌をやったり、冒険の森の遊具などで遊ぶ姿をしばらく眺めていました。「このぶらんこも春の季語ですよ」「鴨や鷭は冬の季語だから、春の鴨とか言わないとね…」などと説明しながら歩くのも、気持のいい時間です。三々五々と歩きながら散策をし、各自お気に入りの場所を見つけては、みんな一生懸命に句をひねっているようです。さあ、今回はどんな句にお目にかかれるでしょうか。今から楽しみですね。

 12時に隣接のホテルで昼食。メニューは下見に来て決めていますので、きっと皆さんに気に入ってもらえると思っています。好きなだけ食べていいサラダ・飲み物付きの木箱御膳、おまけにデザートも付いているんですよ。美味しそうでしょう?これで締めて消費税込みの1,814円、いいでしょう.

 人数が多かったので、結構時間がかかってしまい、次の句会は13時30分から、2句投句で始めました。16時まで会場を借りていましたので、最後の方は多少時間切れとなり、駆け足でしたが、一応全句講評をしましたよ。全ての予定をどうにかこなして、ほっとしました。
 始めて吟行というものに参加した人も、口々に「楽しかった!」「面白かった!」と言って下さり、有り難いことです。特に「冥途のよき土産になった。」という感想が一番受けて、みんなで大爆笑。こんな時本当に疲れも吹き飛び、やってよかったなと思います。

 最後に今日の吟行会の高点句を紹介しますね。
   〈浮橋の揺るれば山の笑ひけり〉  〈飛び立てる飛沫輝く春の鴨〉

   〈ふらここや姉妹競ひて空を蹴り〉 〈日射し受け水尾重ねけり春の鴨〉

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のお題は〝目刺〟

2017年03月08日 | 俳句

 昨日は第1火曜日、俳句教室の日でした。
 地域のふれあいセンターで行っていますが、俳句というものは、普通の習い事のように毎週とか、隔週とかはしません。普通どこででも月一回の句会を開くというやり方だと思うのですが、時には吟行と言って、郊外などに出掛け、各自自由に散策しながら句を作り、どこかの会場を借りて句会をするのです。
 同じ場所で同じ景色などを見ているので、よく分かる句が多く、「あ、これ詠みたかったのに出来なくて…」とか、「こんなとこあった?」などと、それぞれの観察力や作句力を磨く勉強になります。
 俳句教室では、毎月5句提出。4句は当季雑詠(句会の行われる季節のものなら何でも良し)ですが、1句は兼題と言って、あらかじめ 決めておいた題で詠んでくるものです。言うなら宿題みたいなものですね。
 今月の兼題は、「目刺」でした。真鰯か片口鰯の目の所を藁や竹串で通し、五匹前後をひとまとめにして干したもの。鰓を通したものは「頬刺」と言います。生干しと固干しがあり、最近は柔らかい生干しが好まれているようです。昔から庶民の食べ物として一般的なものでしたが、最近では鰯が不漁のためか、意外と高くつくし、メインのおかずにはなれないので、食卓に上る機会が少なくなったようです。子供の頃は七輪でさっと炙って良く食べていたのになあと、時々懐かしくなり買ってきたりしますが。
 さあ、今日はどんな句に出会えるのかと思うと、いつも楽しみになります。
 
  目刺焼くここ東京のド真中 

 これは私の尊敬する鈴木真砂女さんの句です。俳句を嗜んでいらっしゃる方は殆どご存じでしょうが、生涯現役を通された昭和期の女流俳人です。2度の結婚・離婚、その間には年下の妻帯者との不倫で家出など、まさに恋多き情熱の女性でした。離婚後50才のとき、独力で東京の銀座に小料理屋「卯波」を開き、96才の亡くなるまで、その女将と俳句人生とをやり通しました。この句もそんな暮しの中から生まれたものでしょうがさすがですね。彼女を知ってからは、いつもこんな句を詠みたいと憧れていました。

  戒名は真砂女でよろし紫木蓮

 これも真砂女さんの潔さを感じさせる、私の好きな1句です。季語は「紫木蓮」、「しもくれん」と読み、字の通り紫色の木蓮の花のことです。今知ったのですが、真砂女さんは〝丙午〟(ひのえうま)生れとか…なるほどと納得しました。昔からこの丙午生れの女は気性が激しくて、夫を殺すという迷信があって、確かにその丙午の年が廻ってきたときは出産率ががた落ちになったという記憶があります。迷信ながらも、やはり我が子には不幸な人生は歩ませたくないという親心でしょう…昔も今も変わらないですね。
 ところで、わが教室の〝目刺〟の句ですが、今回一番の迷作(?)だったのは…〈人生の功成し遂げし目刺好き〉でした。みんな???私も?
 普通俳句は一人称の文学ですから、句の主体は作者になります。とすると、「功成し遂げし」は作者。俳句では自分を褒めそやすのはタブー、だとすればこれは一体誰のこと?となったのです。作者曰く、「元経団連会長の土光さんです」と。
 そこで、みんなに「分かる?」と聞くと、12人中10人が分からないという。恥ずかしながら、政治経済には全く疎い私も当然分かりませんでした。
 何となく聞いたことのある名前だとは思ったのですが、その人が目刺好きとは全くの初耳でした。
 家に帰ってすぐに調べてみましたよ。ありました!ありました!「メザシの土光さん」と親しまれた「第4代経団連会長・土光敏夫」と。
 明治29年生れ~昭和63年没。「ミスター合理化」として臨調で辣腕を振るいながら、私生活では質素・倹約を貫き通した人。食生活ではメザシのみならずキャベツの芯や大根の葉まで余さず食し、散髪は自宅で、農作業には拾ってきた帽子をかぶり、作業ズボンのベルトは要らなくなったネクタイ…更に通勤はバス・電車と、およそ大会社の社長とは思えない「つましさ」で、まさに本物の「倹約家」であったと。
 そんな話や写真などを見ていたら、やはり明治生れの父が重なってきて、「ああ、父もそうだったなあ…」と懐かしく思い出してしまいました。きっと明治や大正生れの人は、みなそうだったのでしょう。
 私たち世代にはよき戒めの話として受け止めることが出来ますが、果たして今の飽食時代の子どもたちには、どう映るのでしょうか。もし、何も感じないということになれば…心配ですが。
 今回も良い勉強をさせて貰い、本当に感謝です。まだ知らないことは山ほどあるでしょうから、これからも学びの日々を過ごしたいものです。みなさん頑張りましょうね。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化講座の発表会

2017年03月05日 | 日記

 3月4日(土)・5日(日)にかけて、男女共同参画センターの定期文化講座の発表会がありました。
 60以上の講座が、それぞれの作品展示・実技発表・茶席・バザーなどによる小物作品・料理・菓子・パンなどの販売と、一年間の成果発表の場として内容も充実していて多彩です。それでこの2日間は狭い会館の中が人でごったがえし、毎年大盛況に終ります。
 私の「俳句入門」講座も、それぞれ自分の作品を2句選んで、色紙や短冊に自筆して展示します。今年で4回目になりますが、最初のときは何もかもが手探りで戸惑ったものですが、一つのパターンが出来て慣れてくるとそれにのっとってやればいいので、案外楽に出来るようになりました。これが10年もすると、マンネリ化してきてやはり物足らなくなるのでしょうが…一応出来上がってしまうと、次にはそれを壊して目新しくするということはとても大変なことだというのは、何にしても同じことが言えますよね。
 俳句もしかり。何十年も生きてきて見たり聞いたりしてきた既成概念がべったりと頭にこびりついて、新しい発想をしょうとしてもなかなか浮んできません。みんな自分では〝知っている〟と思っているからなんでしょうが、でもそれは〝知っているつもり〟になっているだけで、本当は何も知らないということが山ほどあるんです。私も俳句を始めたころは、「今まで自分は生徒に何を教えてきたんだろう」と、恥ずかしくなることばかりでした。
 俳句教室に来られる方は、やはり言葉や自然に興味を持っていらっしゃる多才な方が多いので、知識もたくさん持っていらっしゃいます。それでも、季語の話などをすると、「始めて知りました」という感想を聞くことがたびたびなのです。
 また、最近は字を書くことも殆どない生活になっていますので、筆を使うなどということはとんでもないと言って、展示をとても嫌がられ固辞される方がいます。そんな方でも、いざ作品が出来上がって展示してみると、自分の作品が素晴らしく思えて、愛着も湧き、「出品して良かった」「よい記念になった」と、殆どの皆さんが喜ばれるんですよ。だから2年目3年目になると、もう嫌がる人はなく、楽しみにさえ思っている方もいます。やはり何事も慣れですね。でもこの慣れが本当はくせものですが…。
 この定期文化講座は、5月開講で2月までの10ヶ月単位です。来年度の募集は2月1日から始まり、3月15日が締切ですので、もうかなりの人が申込みをされているようです。「俳句入門」講座は15名の定員で、このところ毎年増えて倍ぐらいの応募があり、とても有り難いのですが、その代わり抽選になるので、せっかく申し込まれても落選される方には本当に申し訳ない気持になります。さて今年の応募はどうでしょうか。
 ところで、この発表会をもって今年度の講座を終了するのですが、私の講座ではいつも3月にお別れ会を兼ねて、吟行会をしています。今年は11日の土曜日、山陽小野田市の江汐公園で行います。またその時の様子を書きますので、楽しみにしていて下さいね。
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする