ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝吉部〟は?

2019年11月08日 | 俳句

 今日の昼間は晴天…午後からのフラダンスで踊っていると、今日が〝立冬〟だというのにちょっと暑いくらいでした。要するに〝小春日和〟だったんですね。

 でも、宇部の最高気温は18度、最低気温11度ですから、ブログ見ると去年より寒いんですよ。今年の冬はどうなるんでしょうか。

 ところで、先日から〝吉部〟の秋祭やら村芝居やら書いていましたが、吉部の読みを、〝よしべ?〟〝きちべ?〟と聞かれて…ああ、ゴメンナサ~イ!全く気が付きませんでした。自分で分っているからつい気付かずに…〝きべ〟と読みます。

 現在は平成の大合併で宇部市になっていますが、その前は、船木(ふなき)地区・万倉(まぐら)地区・吉部地区で山口県厚狭郡楠町として人口7600人余りの本当に田舎でした。といっても、宇部市もほんとに田舎ですが、一応山口県では3番目の都市かな…。でも、船木などはかっては山陽道の宿場町として栄え、代官所や宰判所もあったんですから、その近くの吉部も昔はきっと宇部より賑やかだったのかも。その頃の宇部はまだ〝宇部村〟というしけた漁村だったと聞いたことがあります。ただ宇部は、石炭によって村から市へと昇格し、一躍全国的に有名になったということなんです。

 だから歴史的な意味では、宇部よりこの船木や吉部・万倉の方がいろいろとあるんですよ。この辺りは神功皇后にゆかりがある所といって、町名もその伝説に由来していると。

 また、厚狭郡の説話『厚狭の寝太郎(三年寝太郎)』の舞台にもなっていて、寝太郎がワラジに使ったワラは、おいしい米がたくさんできるところでもある吉部のワラを使い、“船をつくるための木”として使われたのは、万倉地区が日光を遮られて“まっくら”になるほどの大きな“クスノキ”の大木だと言われています。一方では、万倉の意味は、この辺り一帯の土地が肥えていて米などがたくさんとれ、隣接する船木が宿場町で栄えていたことから“蔵がたくさん(蔵が万の数)”あって豊かだということからも由来しているんですって。そして、有帆(ありほ・山陽小野田市にある地名)で“船の帆”をつくって、有帆から佐渡へ向けて出航したという話なんですよ。

 では〝宇部〟は? その地名の由来については、海辺が転訛したとも、ムベ(トキワアケビ)が繁茂していたからとも、宇治部という古代部民集団の居住にちなむともいわれていますが…。(角川日本地名大辞典より)

 まあ、こんなこと考えてたらきりがありませんね。明日は大変なんですよ。午前中に文化祭の展示に行って、午後と夜の部のダブル句会の日なんですから。だから、これでオシマイです!

 写真は、宇部の地名の由来かも知れない〝ムベ〟、俳句では秋の季語で「郁子」と書きます。

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〝うべの里アートフェスタ〟

2019年11月07日 | 俳句

 一昨日からの冷え込み…特に夜の冷え込みがヒドくって、最低気温がやれ10度だ5度だと…ホントかしらと思っていると本当でした。だから起きていると足の冷えが一段と…、それで何もやる気がしなくなり、とうとう昔のアンカを引っ張りだし布団に入れて早々に寝ました。

 今夜も11度ですって…することがありましたので、ついに今年初めての暖房を入れて頑張っています。

 そういえば、11月はあちらこちらの地域で文化祭がありますね。こちらでも地域のふれあいセンターで実施されるんですが、それがみな第2日曜日と第3日曜日に集中して重なり…。それで私の俳句教室もあちらにもこちらにもと出品して展示しないといけませんので、その準備や片付けなどで忙しいんです!おまけに、第4日曜日は宇部市芸術祭〝俳句の集い〟が開催されますので、その選句も。というわけでいつもの俳句教室に加え余分な仕事が増えて、さあ、目いっぱい頑張らないと!

  閉山の町にもありし文化祭        樋口幸男

 本来11月3日は文化の日、毎年こちらではこの日が〝宇部まつり〟なんです。今年は第1日曜日と重なったんですが、子供が小さいときは見に行ってました。でももう随分行ったことがありません。その代わりに先日の吉部の秋祭へ…。また、これは〝うべの里アートフェスタ〟の開催年で、その兼ね合いでやっていました。

 この〝うべの里アートフェスタ〟というのは、北部中山間地域の活性化や交流人口の増加、移住・定住の促進を目的に、2年に一度、「UBEビエンナーレ」の開催に合わせて、北部の地域資源等を活用し、アート作品の展示やUBEビエンナーレ関連作品の展示、各種パフォーマンス、ワークショップ、音楽イベント、地元の食材を使用した食の提供などを行うアートイベントです。 3回目となる本年は、地元にスポットをあて、北部で活躍するアーティストの紹介や作品展示、伝統文化である箏、赤間硯の展示や岩戸神楽舞を上演するとともに、来場者が日本文化を体験できるワークショップやツアーも実施しています。

 その一つがこの吉部で行われていて、先日の村芝居のついでに覗いてきました。この近くに山口県で唯一の琴製作所がありますので、その演奏や展示及び演奏体験などのワークショップを開催していました。昔…といっても大学時代の先輩に誘われ箏曲部に入ってちょっとだけ齧っていましたので、懐かしくなって弾かせて貰いました。アアッ、音が出る…当り前なんですけどね~、いい体験をしました。

 次に〝文化財装飾復元模写の世界〟と題しての馬場良治展。馬場良治氏は、以前ブログで紹介しましたが、日本画家で文化財修復の第一人者。平等院や三千院などの修復過程等のパネル展示および映像や資料などを展示。この3日には「馬場良治ギャラリートーク」があり、聞きたかったんですが、村芝居の時間と重なって聞けませんでした。残念!

 更にここには、第25回UBEビエンナーレ(2013年)で島根県立石見美術鑑賞・緑と花と彫刻の博物鑑賞(市民賞)受賞の〝じいちゃんの鼻の穴に宇宙があった〟という、佐藤圭一さんの作品が常設展示してあります。

 作家のコンセプトは、「昼寝をしているじいちゃんの鼻の穴を覗いたら宇宙が見えた、という作品です。そして、星に見える光は実は後頭部のつむじに沿って空けられた無数の小さな穴から射し込む外光で、それが宇宙に見えるという単純な仕掛です。 身近な人の中に広大な宇宙のイメージを、壮大と庶民的が、深遠と薄っぺらが、高尚と下世話が、先鋭と平凡が、ファンタジーと日常が、同次元で感じられればとの想いが込められています。」と。彫刻の傍に〝鼻の穴を覗いてみてね〟と書いてありますので、みんなが覗きます。もちろん私も…。他にもいろいろなものがありましたが、もう見切れませんでしたので、これでオシマイで~す。

 最後の写真3枚は、このあたりを描いた絵画、ちょっと変った現代的な二宮金次郎、犬蓼の花の〝赤のまま〟ですよ。

 

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吉部八幡宮の秋祭〝村芝居〟

2019年11月05日 | 俳句

 今日は久し振りの句会かな? そういえば2週間も遠ざかるのは珍しいかも。馬醉木の鍛錬会へ行くために変更して貰ったのでそういうことになったんですが…。

 句会の話もしたいんだけど、その前に昨日のつづきをすませましょう。

 ところで、吉部八幡宮の「芋煮えの神事」の祭が今年で第757回になるんですって。ビックリしません?だって弘長元年(1261)の創建なんですよ。この祭は1年に1回、11月3日に毎年行われているので、創建した次の年から計算するとちょうど2019年になるんです。ネッ、オドロキでしょ!一度も欠けたことがないという祭…鎌倉時代から南北朝、室町、戦国、安土桃山、江戸時代と延々と続いてきて、近代に入り戦争中でも絶えなかったということになるわけ…これホントなんでしょうか?今回初めて気が付きました。今度宮司さんに聞いてみましょうか。

 ちなみにここの宮司・野村清風さん、以前から境内に野村清風と書かれた立派な銅像が建っていたのは知っていたのですが、それが神職身分の筆頭「特級」に昇進されたときの記念のもので、県内現職3人目なんだそうです。そんなご立派な宮司さんとはつゆ知らず…話しかけても気さくに答えて下さる方だったような…。失礼しました!

 さて、さて、3年に1回奉納される村芝居についてちょっと。歳時記にも次のような例句が…

  地芝居のお軽に用や楽屋口        富安風生

  地芝居の松にはいつも月懸り       茂惠一郎

  哭く木偶に婆のつれ泣き村芝居      岡部六弥太

 ここの村芝居は、かつて(戦前戦後)吉部地区の吉部歌舞伎一座が、農村娯楽のために演じてきたらしいのですが、後継者難で活動中止となり、その後吉部村芝居として引き継がれたのが1970年頃まで。その後1988年に結成された吉部文化推進会により地域活性化を目的に復活され、今の形になったのは92年から。演目は「一本刀土俵入り」「親を裁く奉行」「百姓仁義 任侠石地蔵」などの時代物。芝居の指導は、萩市のプロ劇団「鹿島寿(かしまことぶき)」から受け、衣装・化粧・演技・舞台美術など、全て一級品なんですって。

 だから、今回も萩の劇団「鹿島寿」からお祝いの舞を前座にと始まったんですが、最初はフウ~ンと見ていたのです。そのうち次々と扇が出て来て…とうとう最後は〝松〟の木になりました。初めは演じている人のお腹の辺りは着物の模様かと思って見ていたのが、ナント、ナント…扇が30本近くも差してあったんですよ。こういう芸能もあるんですね。初めて見ました。後の方の席でしたのでズームをかけたらボケてしまいました。ゴメンナサイ!

 その後、いよいよ村芝居です。今回の出し物は、時雨の源太〝寝返り地蔵〟。やくざの親分のところに草鞋を脱いでいる源太が、親分に頼まれて親分と恋仲のおこんさんの盲目の亭主と赤子を殺すという筋書き。でも、二人を殺すことが出来ずに貰った金を目の手術のためにと亭主にやって助けます。反対に親分とおこんさんを懲らしめに行くという時代劇、まあ人情ものでした。台詞にはアドリブで吉部の店や人の名前が出て来たりして、大喝采です。

 もちろん最後は、親分や子分をやっつけた源太が亭主の頼みを聞いておこんさんを許し、仲良く親子3人が目を治しに去って行く…それに手を振って見送る源太…チョン、チョン、チョン…と、3幕の劇でした。

 出演者はみんな子供たちから花束を貰って…とても幸せそう!メデタシ、メデタシ。

 外に出ると、記念撮影をしていましたので、私もパチリ!源太さんなんかはポーズをとってくれて…

 私は以前にも来て見たことがあったんですが、主人は初めてなので、〝たいしたもんじゃ。これは相当年季が入っとるの~〟と、感心していました。90分楽しませて貰って本当に有り難うございました。もちろんタダなんですよ。おまけにこの後は餅まきもあったんですが、時間がなく待たずに帰りました。オシマイ!

 

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吉部八幡宮の「芋煮えまつり」

2019年11月04日 | 俳句

 昨日今日は天気予報では曇りと、…今朝はとてもいい天気で、これで〝曇り?〟と思ってしまいました。でも、確かに昨日の朝は晴れていたのに昼過ぎから曇り、やがてパラパラと…ほんの少しでしたが、時雨もあって、何となく冬への心構えをさせられてしまいました。

 実は昨日、宇部市の地域を盛り上げるべく開催されている「うべの里アートフェスタ」と兼ね合わせて、吉部八幡宮の「芋煮えまつり」がありましたので、出かけました。

 この祭は「芋煮えまつり」と言われるように、「芋煮えの神事」の後、参拝者に煮た里芋と御神酒を振る舞うという、長年守り継がれている吉部地区の〝秋祭〟なんです。

 〝秋祭〟も当然秋の季語で、〝村祭〟〝里祭〟〝在祭〟とも、また漁村とかでは〝浦祭〟と。春祭が農事の始まりに豊作を祈るのに対し、秋祭は稲の収穫後に、新穀を供えて神に感謝する祭です。

  老人と子供と多し秋祭      高浜虚子

 昔も今も変りませんね。どこにいっても若い人の姿が少ない!俳句やってる私たちもだけど…。でも、ここでは「うべの里アートフェスタ」も開催していたから、ちらほら若い人の姿も他所よりは見かけたかな…  

 吉部八幡宮に伝わる芋煮えの接待は、弘長元年(鎌倉時代)、当神社鎮座当時の神徳に起源されます。鎮座祭に領主を迎えた時、賄い役を申し付けられた主人が、もてなしの時間が早まり献立の中に芋の煮物があったが慌ててだし、あとになって残りの品を吟味すると芋の煮え加減は半煮えでした。このような品を領主様にお出ししては、一族は命にかかわる一大事。この日の鎮座された産土神(うぶすながみ)に一心に祈願したところ、領主より「今日の芋の煮物はことのほか美味であった」とお褒めの言葉をいただいた、という逸話より現在まで神事が引き継がれているのです。

 この吉部八幡宮は、弘長元年(1261)、領主厚東武朝の弟武村の命により、宇佐八幡宮より分霊を勧請して創建された神社。参道はキレイな石畳で、トイレもキレイです。確か一億円のふるさと創生事業でこの吉部八幡宮に一億円がつぎ込まれてキレイになったのだと、聞いたことがありますが…。その参道には樹齢500年以上と推定される杉の巨木が…それよりもビックリしたのが、参道の真ん中に何だか紐のような…〝ウワア!これ蛇の死骸…ぺっちゃんこになってる~〟と言いながら写真を。蛇嫌いの私にしては勇気ある行動なんですよ。要するに〝野次馬根性〟です。後で誰かが〝まむしだぞ!〟と言っていたけど…オオ、コワッ!

 遅く来たので芋煮え神事は全て終っていましたが、早速本殿へ参拝した後、芋煮と御神酒を頂きました。ほっこりと煮えた里芋、味付けは傍に置いてある塩をつけて。御神酒は枡に、それもなみなみと…運転しないといけないので、ちょっとだけと言っても…主人はたっぷり飲んで、これは空きっ腹に酔いそうだなあなんて。お接待の人に、〝今年の出来は?〟と聞くと、〝バッチリ!大豊作だよ〟と、ウレシイコト!

 もう残り物でしたが、地元野菜を少し買い、うどんとおでんで腹ごしらえをして、今年のメインの「村芝居」を見に行きました。これは3年に一度の行事で、今年がその年。それが目当ての方々も…当然私たち俳句の仲間もですよ。だってめったに見る機会がないんだし、この「村芝居」は、秋の季語にもなっていますもの。見逃す手はないでしょ!本当にひなびた素人芝居…でもここの村芝居は伝統があって、地元住人の役者顔負けの演技なんですよ。これはまた明日にでも報告して、今回は吉部八幡宮の「芋煮えまつり」の方をどうぞ。

 

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ちょっとティータイム!

2019年11月02日 | 俳句

 今日も穏やかな秋日和…夜になるとグッと冷え込むのですが、昼間はまだまだ爽やかで一番いい時候です。

 ラグビーのワールドカップが南アフリカの優勝で終りました。やっぱり4年前に日本が勝ったのは奇跡的だったんですね。もしかしたらあの敗北が南アフリカに火を付けたのかも。だから今回日本が負けても仕方がなかったんです。でも、日本での初開催がこのように日本をベスト8にまで強くしたんでしょうが、これは4年前にその手応えを掴んだからかも知れません。やればできるという自信がどんなに能力を伸ばし、それを発揮させることになるかというお手本みたいなものかも。これでまた日本も更に次を目指して磨きがかかることでしょう。来年はオリンピックです。そう、〝ガンバレ日本!〟ですよ。

 末の弟から孫の誕生祝のお返しが送られてきました。先日お宮参りが済んだとかで…。男の子でしたので生後31日目に行ったのでしょう。女の子なら生後32日目なんですが、なぜこんな差をつけていたのかしら?もしかすると昔の男尊女卑の考えからきたの?例えば男女の双子だったりしたら別々になんて、きっと困ったでしょうし…今ではそれほど厳密ではなく、1ヶ月を目処にそれぞれの家で都合のよい日に行われるようですが。

 まあ、赤ちゃんが無事に大きく成長してくれるように神様にお願いするんですから、天候や赤ちゃんの体調が悪かったりすれば、日を変えたとしてもバチは当たらないでしょう。

 ところで、この子が産まれたときに義妹が写メを送ってくれたんですが、それを見てビックリしました。生まれて2日目とは思えないしっかりした男の子で、もう目を開けているし、指も開いているなんて…昔私がお産をした頃の赤ちゃんは、目を開けなかったし拳もしっかり握っていて産湯でもなかなかてのひらを洗わせてくれなかった記憶がありますが…聞くと、3476gもあったとか。赤ちゃんも時代とともにドンドン進化しているのかしら?(笑)そういえば、歯が生えるのも歩き出すのもみな昔より早いとか。我が家には孫がいませんのでよくは分からないのですが…何はともあれメデタイこと!

 これは先日の句会で、頂いたものです。見たことはありましたが、〝食べるハイビスカス〟と聞いて、ヘエッ、これがハイビスカスティーのもとなの?以前一度だけ喫茶店でこのハーブティーを名前にひかれて注文し、飲んだことがありました。それはそれはキレイな色で、てっきりあの赤いハイビスカスの花びらから取ったものだと思い込んでいました。

 ハイビスカスティーの原料となるのは〝ローゼル〟といって、西アフリカ原産のアオイ科フヨウ属で、インパクトのある真っ赤な見た目のガク(萼)やホウ(苞)を食用にする、ちょっと変わった植物です。ローゼルの名前の由来は、花の形がバラに似ているからですが、どちらかというとオクラの花に似ています。秋に咲く白い花が大きくて見応えがあり、遠くからでも目を惹きますが、その花が終わった後には、真っ赤なホウに覆われた実を付けるのが特徴なんです。10月下旬~12月くらいが収穫の適期で、萼の付け根から切り落とした果実は、カットして中から実を取り除きます。そのガクとホウの部分を刻んで熱湯を掛けてしばらくおくとハイビスカスティーの出来上り。ちょっと酸味がありますので、砂糖やハチミツを入れて飲みました。もっとたくさん入れて長くおくともっと濃い色になるのかも。

 ローゼルの真っ赤な萼は、ビタミンCやクエン酸、リンゴ酸など体によい成分をたくさん含んでいます。特にビタミンCとクエン酸の効果が著しく、普段の生活に利用すると、美しい肌へと導いてくれるだけでなく、むくみの改善や疲労の回復などに効果が期待できるそうです。また、女性にうれしいダイエット効果も。

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〝明日香の風〟その5

2019年11月01日 | 俳句

 このところ夜の寒さが身に応えます。足は冷えるし、背中はゾクゾクするし、もう炬燵がほしいような…でも、ガマン、ガマンです。

 今日は何もない日なので、午後からリハビリへ。やっぱり疲れが溜まっていたのでしょうか。筋トレやストレッチをして、最後にマッサージチェアに掛かっていると、気持ちがいいのでついウトウトとしてしまいました。歳を取ると疲れは何日か遅れてやって来るということなので、当り前かも。

 それでは、〝明日香の風〟もいよいよ最後です。

 最終日の19日(土)の朝食後、8時30分に解散でした。その後はそれぞれで、すぐ家に帰る人や何処かへ廻って帰る人など、など…。なんせ南は熊本、福岡から、北は東京、横浜、千葉、茨木と、全国とまではいきませんが、広範囲に亘って集まっていますからね。一年に一回顔を合わせるのを楽しみに続いてきたOB会ですもの。また、来年お会いしましょうねと言って別れるのです。同じテントで同じ釜の飯を食った仲間というのは本当にいいものです。

  私は先輩たちと「キトラ古墳」と「高松塚古墳」を見て帰ることにしました。ところが、今まで何とか持ちこたえていた天気がとうとう崩れて雨になってしまいました。でも、まあ仕方がありません。ワンデリングの時に降らなかったんですから感謝しなくっちゃ。

 国宝キトラ古墳壁画の第13回一般公開が9月21日(土)~10月20日(日)までだったんです。これは事前の申し込みが必要だったのですが、まとめて申込んでおられた先輩に便乗させて貰って観ることができました。感謝です。 

 今回の公開は西壁(白虎)と天井(天文図)でした。テレビや新聞などでさんざん報道されましたので、四神の映像は目に焼き付いていますが、本物を観るのは初めて。エエッ、こんなに小さいの!というのが第一印象。何故か分からないのですが、私は結構大きなものを想像していたんですね。石室も一人の柩がやっと収められるぐらいのスペースしかないんですから、当然壁画も小さいものなんですよ。とにかくそれが一番意外でした。やっぱり〝百聞は一見にしかず〟ですね。その保存のための修復作業の様子などをビデオや写真で見ると大変な作業だということがよく分かりました。しかし、ここまで微細に描かれているのを目の当たりに見ると、古代人の能力に測り知れないものを感じて信じられないような気がしました。だって、今時のような機械的なものや情報などが何にもない時代なんですよ。オソロシイ!

 写真は四神を撮ったつもりなのに、なぜか青龍だけ写っていませんでした。ゴメンナサイ!

 外へ出ると雨脚が強くなっていましたので、タクシーで次の高松塚古墳へ。ここには以前来たことがありましたので余りビックリはしませんでした。特に女子群像の鮮やかな衣装が今でも目に焼き付いています。きっといろいろなものがないような時代だと思うのに、なぜか私たちより豊かな暮しをしていたような…

 

 さあ、本当に最後です。一番近い飛鳥駅から電車に乗って新大阪まで行き、北九州の先輩と広島の後輩との3人で、新幹線に乗って帰りました。夕方まだ明るいうちに宇部へ帰り着き、雨もすっかり上がっていて、無事終了…読んで下さった方もお疲れ様でした。オシマイ!

 

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