ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

開聞岳

2017年05月31日 | 日記

 鹿児島の指宿から霧島への、2泊3日の旅から昨夜帰ってきました。

 今日は31日。やはり旅の疲れで朝もすっきり起きられず、のろのろとスローテンポな行動で、なかなか普通のリズムに戻れません。

 アッ!忘れていました。今日は〝チャレンジデー〟でした。

 私の通っている健康教室でも、その〝チャレンジデー〟に参加するということで、いつもより早く11時から始まるんでした。本来の教室の13持30分からも体操するので、その間仲間たちとどこかでランチしようと約束していたんだっけ…

 時計をみればもう10時過ぎ…これは大変と出掛けました。

 〝チャレンジディー〟とは、カナダで始まった、住民総参加型のスポーツイベントです。

 毎年5月の最終水曜日に開催されます。人口規模がほぼ同じ自治体間で、午前0時から午後9時までの間に15分間以上継続して、運動やスポーツを行った住民の数(参加率%)を競うのです。我が市は今年3回目の参加。第一回目は負けて、昨年は勝ったので、今年は更に気合いが入っているようです。Tシャツなども揃えたりして…。

 ラジオ体操などで呼びかけ、住民の健康増進を図ったり、地域の活性化のきっかけになったりと、健康志向の町づくりにはもってこいのイベントでしょうね。参加の自治体も年々増えているようで…、結構なことです。

 そもそも今回の旅は大学時代ワンゲル部の同期会。毎年実施していて、昨年は山口で〝萩往還を歩こう〟をやりました。今回の目的は〝開聞岳に登ろう〟です。勿論私も…と言いたいところですが、このところ膝の調子が悪くて登るのがシンドイんです。それで、登山しない仲間とでその周辺の観光。これはとっても気持ちよかったですよ。みんながフウーフウーいって登っているだろうなあ…と想像しながらのんびりと好きなところを見て回るのはまた格別です。

 開聞岳は924メートルで、美しい三角形の山なので〝薩摩富士〟と呼ばれています。登山道が一本しかないので迷うことがなく、初心者向きの山なのですが、登った人の話によると、標高120メートルぐらいからただひたすら登るだけですので結構疲れる山だと…。更に火山ですので、石がごろごろとあって、特に下りは注意が必要と。そんなに高い山ではないからと見くびってはいけませんよ。

 今回もいろいろと思い出に残るよい旅でしたので、またおいおいと書いていきますから、読んで下さいね。

 この写真は、長崎鼻パーキングガーデンに行って、そこから撮った〝開聞岳〟です。

 

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栗の花

2017年05月27日 | 俳句

 今日は朝から気分爽快で~す!

 どうしてって…聞きたいですか?

 まず、気に掛かっていた原稿、二つ書き上げて送りました。ホッ!

 それから、朝風呂に入って洗濯しましたよ。この朝風呂は退職してからいつもそうなんです。以前は勿論夜でしたが、息子が朝出掛ける前に、シャワーにかかり〝朝シャン〟などをしていましたので、いつもお湯が少なくなって困っていたんです。仕事していると朝の時間はとても貴重で、そんな余裕などなかったのですが、辞めてからは朝ゆっくりと入浴した方が気持ちがいいし、湯の効率も良く、さらに水道代・電気代も節約できるという一石三鳥だからなんです。

 今の季節は朝日に輝く若葉が窓いっぱいに見えますし、とても気持ちがいいんですよ。それにハーブの入浴剤などもいれて…気分よかったあ~(笑)

 我家の浴室の外には古い栗の木があるのですが、去年はそれをバッサリ切って明るくなりましたし、それで今年は花も付かないので、あの特有の匂いもないだろうし…と、けれどその代わり栗は食べられませんけどね。

 「栗」は実のことですから秋の季語ですが、「栗の花」は夏の季語。黄白色花穂を枝先につけて、それが八方に垂れ、青臭い独特の匂いを遠くまで漂わせますので、咲き出すとすぐにそれと分ります。

 歳時記を見ていましたら、次の二句が並んで載っていました。

   栗咲く香血を喀(は)く前もその後も           石田波郷

   栗の花齢(よわい)かなしく娶(めと)らなむ        杉山岳陽

 二人とも「馬酔木」の大先輩です。波郷さんは大正2年生れ、岳陽さんは大正3年生れの一つ違い。しかし、俳句では波郷の方が押しも押されもしない大先輩でしたので、岳陽は彼を非常に尊敬して兄事していたそうです。だから、波郷が昭和12年に主宰として「鶴」を創刊したときは、創刊同人として参加しています。岳陽はその後昭和24年に「馬酔木」の同人にもなりました。それで、私が「馬醉木」に投句し始めた平成2年頃は、主宰格として選句などにあたっておられましたが、結局一度もお会いすることなく、平成7年81歳で亡くなられました。

 第一句集は『晩婚』です。その句集名のとおり、37歳で結婚。今ではそれほど気にならない年齢なのですが、当時としてはかなりの晩婚だったと思われていたのですね。前出の結婚の句でも、「栗の花」が「齢かなしく」を一層引きたてて、本当は幸せであるはずなのに、なんだかとても辛そうに感じてしまいます。男の人だったらどう思われるのでしょう?

   妻を得て秋風をきく泪(なみだ)かな

 この泪は恐らくうれし涙だと思うのですが…でも季語「秋風」とともに何だか切ないですよね。

 その後長男も生れてだんだん幸せそうになり、次のような句も詠んでいます。

   秋風のけふよりわれに妻子あり

 この句も「秋風」でちょっと淋しいのですが、でも「けふより」で救われます。さらに、「長子秋郎」と題して、

   かたくなを汝(な)も享(う)け継ぐや燕(つばめ)の子

 このように妻子の句がたくさん残っていて、それらを読むとどんな方だったのだろうと…いろいろと想像して、お会いしたくなります。本当に残念です。合掌

 明日から3日間、同期生の集まりで鹿児島へ出掛けますので、ブログお休み。それでウキウキなんですよ。

 これは我家の玄関に置いてある〝ふくろう〟のポストです。フクロウは〝福〟をもたらす鳥ですから、それにあやかって。では又ね。

 

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もう一度〝柿の花〟

2017年05月25日 | 俳句

 今日は俳画に行って来ました。モチーフは〝ヤマモモ〟。

 わずか2時間ですが、書いている間は他のことはすべて忘れています。きっとそれがいいんですね。

 まず書く前に墨をする…これで心が落ち着きます。そして、お手本を見ながら練習するんです。

 完璧に書けたということは、殆どありません。どこかが気に入らない…そして、それの繰り返し、まるで俳句と同じです。ひどい時には第一筆目で失敗ということもあり、紙が勿体ないので黒くなるまで練習するのですが、なかなか上手くいきません。まあ、程々のところで妥協して見て貰うんですが、それが済むともう気が抜けて、何度書いても同じだから止めます。

 今日またびっくりすることがありました。俳画の道具を用意していると、「こんにちは」と挨拶されたんです。見ると先日、俳句教室に入会された方だったんですよ。だからどこかで見かけた人だと思ったんですね。

 「いつから?」と聞くと、去年からですって。ああ、この俳画で俳句も勉強してみたくなったんでしょう。アリガタイ!

 ところで、先日の〝二人静〟のブログで、蕪村の「柿の花」の句について、一句さんからコメントをいただきました。いつも読んで下さって本当に有り難いことです。それでもう一度柿の花について書きますね。蕪村の句はこれです。

    柿の花きのふ散りしは黄ばみ見ゆ  

 一句さんの仰るように、柿の花は本当に可愛いです。このところ毎日出掛けるときに見るのですが、全く散りませんね。この前の可愛い黄色の花びらが殆ど茶色になっていましたが、触っても落ちませんので、強引にひとつ捥いでみました。以前私が地面に散っていて、柿の花と思ったのは花ではなく、幼果だったのでしょう。それがたくさん落ちたときは実がとても少なかったですから。今日戻ったら一つだけ落ちていた花がありましたので写真を撮ってみました。

 次の写真は無理矢理捥いだ「柿の花」、下のは落ちていた「柿の花」です。比べてみて下さい。 

 

 ところで蕪村の句、私には「散る」というのが不思議だったのですが、これはどうやら雄花のようですね。私が今まで見たのは全部雌花で、それで変に思ったのですが、調べると、雄花はドウダンツツジに似た壺状の花で、かたまってたくさん咲き、やがてポロポロと落ちると書いてありました。毎日散るのでしょうから、蕪村が見て、昨日のものと今日のは色が違うと詠んだんですね。雄花も色はやはり黄色味がかった白い花でした。

  

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〝言わぬが花〟

2017年05月23日 | 俳句

 20日(土)、22日(月)、23日(火)と、句会の三連チャンでした。

 しかし、それぞれで兼題が違いますので、どこの句会に行っても目新しい句に出会えるという楽しみがあります。

 昨日も、今日も新人さんの句に驚かされてしまいました。

 ある程度俳句を続けてやっている人は、その基本は勿論、テクニックや言い回しなどがもうしっかり身についていて、ある意味常套的な表現やありきたりの発想が多くなりがちなのです。一応俳句としてはまとまっているし、句材も無難にこなしているので、意味はよく分りますが、似たような内容が多くて、感動や面白みが少ないのです。

 ところが、全くの初心者になるとそういう枠がまだ出来ていないので、一体何が飛び出すやら分らないという、意外性や驚きがあって楽しいのです。

 今回の兼題は「夏兆す」でした。

 夏真っ盛りという時期にはまだまだ遠いが、木々や生きもの、また人間の生活のあれこれにも夏らしい趣が増してきたと感じられる頃をいう季語で、夏の時候の季語「夏めく」の傍題です。

    うどん食ひおでこうつすら夏兆す

 原句は〈かけうどんうっすらおでこに夏兆す〉でした。やはり「かけうどん」から始まるこういう句にはまだ出会っていませんでしたので…エエツ!と驚いた句でした。その面白さに皆も惹かれたんでしょう、結構な高点句になりました。

 「うどんがおでこに付いたのかしら?」「それは無いでしょう、食べて汗かいたんでは?」などなど…

 確かにこのままでは中七の字余りも気になりますし、まるでおでこにうどんが…という感じも否めませんので損をしますね。作者は「かけうどん」とわざわざ言ったのは、熱いうどんを食べて暑かったので、ああ~もう夏だなあ!と感じて詠んだのでしょうが。

 言葉の配列や助詞の使い方でも感じが変ります。すなわち「かけうどん」で切って考えると、「おでこに夏兆す」とつながってしまいますし、「おでこに」で切ると上に述べたようなイメージが生まれるのです。

 だからここは「かけうどん」まで言わなくても、その2音を「食ひ」にまわすと、季語の「夏兆す」があるので読者は汗ばんだおでこを想像してくれるでしょう。昔先生からよく言われましたよ。「季語を信用しなさい」と。

 さらに順序を入れ替えて、「おでこうつすら」と切ると、字余りも解消されますし、おでこがうっすら…となって汗のことも言わずに見えてくるでしょう。「冷しうどん」とか「汗」とかは夏の季語ですので、もし使ってしまうと季重ねになってしまいますから注意してね。

 「言わずに見せる・言わずに語る」、そういう俳句を詠みたいものです。俳句ではまさに〝言わぬが花〟ですよね。

 青鷺で、これも夏の季語です。この鳥は一夫一婦制でいつも同じ巣で繁殖するらしいのでこれも夫婦でしょうか?

 先日は鷺に間違われて、営巣中のコウノトリが猟銃で撃たれて死んだというニュース、とてもショックでした。それも雌と。三月末に行って見てきた高岡市での放鳥のコウノトリとか…余計哀れで悲しくなりました。

    夕風や水青鷺の脛(すね)をうつ     蕪村

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二人静

2017年05月21日 | 俳句

 先日より時間があれば、庭の手入れです。草刈機で刈った草の始末や刈れないところの草取り、剪定した枝などの始末etc….することは山のようにあるのです。今まで放っておいたツケなのですが、…。

 周りのお宅に迷惑が掛からない限りは、草が生えても一向に気にしない似たもの夫婦…なんです。

 ところが、やり始めると、今度は歯止めが利かない、要するに〝ズボラ〟、でも根は〝マジメ〟と言うことでしょうか。

 それで、一旦草刈機を使い出すと、わが亭主殿は〝無我〟の境地におなりになって、困ったことに何にも見えなくなるのです。

 それで何度大事な草花や苗木をなくしたことか。特に私が買ってきて植えたり、株分けして貰ったものなど…まだ小さいし、花も付けていないので、草と一緒に刈ってしまうのです。それを恐れて、植えるときはいつも一緒にするんですが…ね。

 「ブーン、ブゥーン…」と音が聞こえ出すと、飛んで外へ出るのですが、つい他のことをしていて、気付くのが遅かったり、出掛けていなかったりすると、もう後の祭りです。

 昨日も家に帰って、ハッとしました。「あそこに植えていた半夏生刈らなかった?」「そんなもん知らんが~」と。

 私が3ヶ所に分けて植えていたのですが、ナイ!ナイ!ナイ!

 確かにあれは葉が白くならなければ気が付きにくいので、草と思うのも無理からぬことですが…。

 がっかりして立ち去ろうかと…でももう一度よぉ~く探してみると…あったんですよ!1本残っていました。

 この花は結構繁殖力が強いので、1本でもあれば大丈夫ですが、傍にもう一つ小さな葉が出ていました。よかったあ~

 そうそうもう一つ、「二人静」です。知らない人は草と間違うんですが、…これはちゃんと残っていました。

 「二人静、これ分ったの?」「そりゃあれは、〇〇先生からもろうたんじゃろが~」

 そうなんです。2年半ほど前お亡くなりになって…一緒に俳句をしていましたので、知らない植物や見たことのないものなど、教えてもらおうとすると、我家にあるからと言って、すぐに届けて下さいました。この「二人静」もそうなんです。「一人静」も貰ったのですが、それは残念ながらうまく育てることができませんでした。だからこれは形見の〝二人静〟。

 

 晩春の季語です。我家の二人静は日陰の所に植えていましたので、まだ花序が残っており、それで旦那も気が付いたのでしょう。

      二人静木洩れ日と囁きあふは

 これは、馬酔木の我が敬愛する大先輩、渡邊千枝子先生の句です。一時は御指導を仰いで、色々とご助言を戴いた方です。

 この句、先生には珍しく、「5/5/7」の破調のリズムになっています。私などなかなか破調には詠むことが出来ないので、きっと〈木洩れ日と囁きあふは二人静〉としてしまうかも。でも、そうすると下5が字余りで重たくなり、この何かしらはかなげでロマンチックな抒情は出なくなるでしょう。やはり上5に据えて、おもむろに詠いだし、ここでしっかり切る。そして、一気に12音を朗するというのが狙いなのかも。ここでは助詞の「は」をどうとるかが問題です。私は、終助詞の「は」だと、現代語でいえば「わ」と同じ、「余情・詠嘆の意を表す」ものだと思います。更にこの句の眼目は「木洩れ日と」の「と」。これがもし「に」だったらと考えてみて下さい。そうすると、「囁きあふ」のは二人静同士ということになりますね。それじゃ面白くない!そこのところをよ~く考えてみましょう。

 先日柿の花の写真を載せましたが、あれはまだ固い蕾で緑色でしたね。今黄色を帯びた白色の壺状の花弁がよく見えるようになりました。2枚目の写真のように花弁の色が茶色っぽくなると落花します。

 

 柿は同株に雌花と雄花が付きますが、富有柿などの品種には雌花しか付きません。それで私はまだ雄花を見たことがないんですよ。

     柿の花きのふ散りしは黄ばみ見ゆ

 これは与謝蕪村の句です。「黄ばみ」は同感ですが、「散りしは」には納得できませんね。散るという表現は、日々それを見ている者からすると、全く相応しくない表現だと思います。

     柿の花土塀の上にこぼれけり

 この句は正岡子規、「こぼれけり」に実感がありますね。「落ちにけり」でもいいとは思うのですが、やはり「こぼれる」というと、そのものの形状やその動作の連続性が加わって、花と言うよりは小さな実のようなものが…というイメージが出てくるでしょう。

 蕪村の時代は言葉の使い方が大雑把だったのでしょうか?

 ちょっとした表現であってもイメージが変ってしまいますので、やはり俳句を詠む人は、どんな場合でもそれに相応しい表現を見つける努力を心がけたいものですね。

 

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「鯉幟」の句会

2017年05月19日 | 俳句

 今日は午前中、市の芸術祭俳句部門の運営委員会の会議でした。午後からは句会ですが、なぜか久し振りのような…そんな気がしました。

 どうしてそんな感じがするのかしら? もしかしたら、このブログに句会のことを書くのが久し振りだったからかも。

 今日の兼題は「鯉幟」でした。

 最近はこちらでもめったに鯉幟を見かけなくなりました。これはもちろん少子化の影響もあるでしょうが、鯉幟を立てるだけのスペースがないということや揚げ降ろしの手間が大変なことなど、他にもいろいろな条件が重なって、昔のように揚げなくなったのでしょう。私たち夫婦は孫ができたらお雛様や鯉幟を買ってあげようと、手ぐすねひいて待っているんですがね。こればっかしはどうにもなりません。

 ところで、句会のみなさんの話。鯉幟を探してあちらこちらを回ったけど、やはりあまり見かけなくて…と。結局イベントなどでたくさんの鯉幟を川に流している様子など、同じような景を詠んでいる人が何人もいました。あとは昔を思い出しての句など。私も探してみましたが、かなり田舎の空き地があるところでもホント見つけるのに苦労しましたものね。

 今回の高点句は、〈カタコトの男の子仰ぐや鯉幟〉でした。ここの句会は今日が2回目、もちろん入門教室ですので、初心者が殆どです。だから丁寧に一からの指導をしています。

 内容はよく分りますね。「カタコト」とあるから幼児でしょう。その子が鯉幟を見上げている様子を詠んだと。「本当は指さして喜んだんですが、字余りになって…」と作者。「じゃそう詠みましょうよ。この句で削れるところは?」

 そうです、季語が鯉幟なら「男の子(おのこ)」と言わなくても「子」だけで分りますね。ついでに言うなら、「カタコト」は外来語ではありませんので、「片言」を使った方がいいでしょう。

 と言うことで、次のようになりました。

   片言の子の指さすや鯉幟

 ここで、傑作句を!〈鯉寂し一匹窓からぶら下がり

 作者曰く、「これ苦心したんですよ。やっと見つけたら窓に一匹だけぶら下がっていて…」と。そこでちょっとイジワルを。

 「ケンジさん、どこへ釣りに行ったの?」「ええ、あちらこちら探しました。」「釣堀?それとも池?」……

 まだ気付かない!本人とその句を採った人は一生懸命弁明を…ほかの人たちはゲラゲラと…。

 やっと私の言うことに気付いて、「エエッ!鯉じゃあ~いけんのですか?ぶら下がりがあるからいいかと…」 努力は認めますが、でもやっぱりこれはダメでしょうね。

 初心者を指導していると、何がとびだすか全く分りません。〝何でもあり〟なんです。笑い事ではないんですよ、ホントに。みなそれなりに、一生懸命考えてきた末の句なんですから。

 それで、作者の一番言いたかったことはと考えて、次のように。

   寂しげや窓に一つの鯉のぼり

 もう一つ独創的な句。〈着信の電波飲み干す鯉幟〉さあ、この句はどう解釈しましょうか?

 作者に尋ねますと、「電話が掛かってきてその電波を鯉幟が飲み干したようで、…」

 ということは、「電話が突然切れたの?」「イヤ、つながって話したんです」と。

 「それなら飲み干したんじゃなく、はき出したのかも?」みんな???です。作者まで?

 そこで、よく聞いてみると、NHKのテレビ局から携帯に電話がかかり、(この作者はNHK俳壇に応募中)「ヤッタ!入選したんだぁ~」と思って、喜んで話してみたら…添削句の例に出してもいいかという電話だったそうな。「それが今度テレビで放映されます」と。

 それでどうしてこんな句になったの~と、結局の所さっぱり分りませんでした。

 今日の句会でもまたたくさんの笑いを貰いました。感謝です!

 我家のヒメシャラが咲き始めました。沙羅の花は、椿の花に似ていますので夏椿とも言います。一日花なので、そのはかなさが清楚な白とよく合います。ヒメシャラは同じ種類ですが、花がやや小振りで、ちょっと紅が掛かっているところがまるで少女のようでとても好きな花です。

 

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ドクダミとオオキンケイギク

2017年05月18日 | 日記

 一昨日から今日まで、第3週目で結構時間的には余裕があり、ある意味のんびりと過ごしました。

 でもブログは書き始めては途中で止め…また同じ事を…、なぜって?というと、どうしても気が進まなかったんです。

 その理由は分っているのですが、どうにも出来なくて、読んで下さっている方にはゴメンナサイ。

 これが体のことならどうにでも折り合いをつけて、先に進むことも出来るのですが、心というものは自分の意のままになりません。本当に厄介なものですね。

 しばらく〝ことばの暴力〟ということを考えていました。

 最近でも中学生や高校生の、いじめによる自殺が相変わらず後を絶ちませんが、その気持ちよく分ります。

 悪意のない言葉でも人を傷つけますが、まして、悪意を持って言ったり、書いたりするのは、本当に言葉の暴力ですよ。

 そして、もしそれが自分には思い当たることがない…そう、いわれのない中傷だとすればなおさらのことでしょう。

 転んだりした怪我なら、傷が治れば忘れられますが、他人から受けた心の傷は、まるで澱のように心の奥深くに残って、何時までも消えません。何かをしようとする度に、それが頭を持ち上げてきて、心が萎縮してしまうんです。だから、登校拒否になったり、引きこもりになったりと…挙げ句の果てには死を選ぶことも。

 私は結構打たれ強いのですが、今回だけはさすがにダメージが大きかったです。〝何がそんなに…〟〝何でそこまで言われないといけないの…〟と、納得のいかないことばかり、ここには書きたくなかったのですが、でも書いたら気が晴れました。

 いつも気が滅入っているときは、体を動かしていると紛れますので、この2,3日は草取りばかりしてました。

 旦那が草刈り機、私はもっぱら手ですが…ほどほどに。お陰で〝雑草園〟も、少しは見られるようになりましたよ。

 昨日のこと、また草取りをして一段落したので部屋に戻り、さあ、pCを開いて見ようと…アラ眼鏡がありません。

 「私の眼鏡知らない?」「知らんが~、それよりおまえ受話器は?」エエッ!

 そう言えば、草を取っていると「電話だよ」と受話器を渡され、話し終えた子機をそのままどこかに置いたままだったわと…、外を見に行ったらありました。でも眼鏡はありません。あちらこちら置きそうな所を外はもちろん家の中も探したんですが、見つかりませんでした。

 今日もまた残っている草を取って、それを集めたところに持って行くと、ナントその草の中に眼鏡が落ちていました。きっと取った草と一緒に捨てたんでしょうね。全くドジですが、私これをよくやるんですよ。

 あの憎らしいドクダミが花を付けていました。抜いても抜いてもきりがありませんので、草刈り機で始末しましたが、でも可哀想なので少しだけ遺して、一輪挿しに活けてトイレに飾りました。結構カワイイ花です。

 もう一つ、オオキンケイギクが咲いていましたので、これも花瓶に挿しました。これは勝手に種が飛んできて生えたものですが、ネットで名前を確かめようと調べていたら、びっくりですよ!

 この花は、「特定外来生物」で平成18年より栽培が禁止されているんですって!知りませんでした。

 そう言えば、以前はあちらでもこちらでも至る所で目にしていたのですが…最近少なくなったとは思っていました。

 茨城県神栖市公式サイトを見ると、市の環境課からこの「オオキンケイギク」の駆除のお触れが出ていましたよ。

 開花してない時は、刈り取って袋に詰め、口を縛ってゴミへ。開花し、種が飛ぶ前のものは、抜いてゴミ袋に詰め、口を縛り、必ず枯死させてからゴミへと書いてありました。外来生物法により生きたままのオオキンケイギクを運ぶことは禁止されているそうです。ナンカ恐ろしいもののような…でも、とても綺麗な花なんですよ。これも可哀想な花ですね。昔、〝セイタカアワダチソウ〟で騒いでいた頃がありましたよね。今ではこれも秋の季語になっていますが…。

 これで少し気が晴れましたので、また明日から頑張ります。そう、明日からはまた句会の連続ですから…ね。

 

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世界を旅する植物館

2017年05月15日 | 日記

 3日ぶりのブログです。

 本当は何かあったときに書くつもりでしたが、結構みなさんに読んでいただいて、〝楽しみにしています〟などと言われると、ついつい本気になって…(笑)  

 13日の土曜日は、文化講座の初日でしたので、ちょっと緊張しました。

 14日(日)は、朝から俳人協会の吟行会で、山口市の「維新百年記念公園」へ出掛けました。

 夕方家に戻ってからは、〝母の日〟ということで、家族で外食へ。

 久し振りに寿司が食べたいというので、回転寿司屋さんへ行ったのはいいのですが、ナント店の中も外も待っている人であふれかえっていました。ホントにびっくり! 

 「どうする?」と聞くと、「今日はどこも一緒だろうから…」と、待つことに…。

 待ち番号は570番、スゴイですね。7時過ぎて行ったので、一番多いときは避けられたと思ったんですがねぇ~。

 それでも相当待って、やっと〝569番〟が来たので、外にいる旦那や子供たちを呼んだんです。

 ところが、〝次580番でお待ちの方…〟と。

 「エエッ!抜かされたの?」と、訝しがりつつも待っていると、〝次586番〟〝590番〟…と、どんどん抜かされる。

 「どうなってるン?」と文句を言ってると、娘曰く「そりゃ、二人だから早いのよ。うちは7人だから、ファミリーボックスが空かないと座れないの!」と、たしなめられる。

 すると、おばあちゃんなどは待ちくたびれて、「それならバラバラでもいいから~」と言い出す始末。

 折角みんなで来たのに…ね。滅多に来ないので、全くそういうことには思い至りませんでした。ゴメンナサ~イ!

 そりゃそう、7人のテーブルなんてないでしょう。結局2ヶ所が空くのを待って、4人と3人に分かれて食べました。そういうことなら最初から分けて、番号を貰っとくんだったなあ~。

 何でも体験してみなくては分りませんね。

 句会のことや吟行会のこと、書くことはたくさんあるのですが、今ちょっと精神的に参ることがありましたので、そのうちまた参考になることなどがあれば、おいおい思い出して書きましょう。

 今日は最近ちょっと思ったこと。

 先日の連休で、平成29年4月29日に「世界を旅する植物館」として、リニューアルオープンした「ときわミュージアム」へ行ってきました。

 この植物館は、3年ほど前から市民と一体になって作る植物園を目指し、何度もワークショップを開催して、やっと実現したものです。テレビなどでも人気のプラントハンター、「西畠清順」さんが、「世界を旅し、感動する植物館」をコンセプトにプロデュースしたもの。ですから、オープン当日は彼のサイン会なども開かれたりして、結構話題を呼んだんですよ。

 私が行ったのは、1週間後でしたが、連休中でしたので、これもかなりの人出でした。

 館内は、「熱帯アジアゾーン」「熱帯アメリカゾーン」「アフリカゾーン」「南アメリカゾーン」「北中アメリカゾーン」「オセアニアゾーン」「ヨーロッパゾーン」「中国・アジアゾーン」の8つのゾーンに分かれ、各ゾーンを代表するシンボルツリーが植栽されていて、それをメインに世界を旅するような珍しい花や果実に出会えるように作られていました。

 中に入って先ず2番目の「熱帯アメリカゾーン」のシンボルツリー、〝パラボラッチョ〟に目を奪われました。まるであのお酒を入れる巨大なとっくりです。この木の実から綿を取るので、〝トックリキワタ〟とも呼ばれていると。

 「これ100年ですよ」といわれ〝びっくりポン〟です。それではこの木の大きなお腹の中は何?と聞くと、答えは水。

 熱帯地域ですから長生きするために当然そうなったのですって!その証拠に「あの木を見て下さい」と、指さされたのを見ると、細くて背の高い木がありました。これ同じ木なんですが…でもあれは10年ぐらい…。

 ということは、このとっくりのようなのも本当はものすごく高い木なんですね。

 「もちろん運ぶのに切り落としてあるんですよ」と。ついでにあの木肌を比べて見て下さいと言われ、よぉ~く見ると、若い木にはタラの木のようなトゲトゲがぎっしりと付いているのです。館員の方曰く、「この木も歳を取るとだんだん丸くなってトゲがなくなるんですよ」と。

 一緒に行ったみんなが、異口同音に〝まるで人間みたい!〟と。本当にそうです、人間は見倣わないといけませんね。

 西畠清順さんのキャッチフレーズは、〝人の心に植物を植える〟ということ。その通りに心が慰められました。

 他に、「アフリカゾーン」の〝バオバブ〟。テレビでしか見れないものが目の前に…「ワア~」という感じです。

 これも100年もの。最長で1600年のものがあるそうですから、この木大きくてもまだまだ若いんですね。手足をもぎ取られてアフリカから運ばれてきたのに、もう小さな芽を出していましたよ。すごい生命力ですね。

 最大級の見物は、1000年のオリーブの木。なんとも大きく古い幹なのに青々と茂って…これもスゴイです。

 他に、ゴッホの糸杉やハンカチの木など、挙げればきりがありません。(下の写真はハンカチの木)

 機会があれば是非一度どうぞ…と思いますが、近くないとダメですね。でも、東京からは宇部空港まで1時間半ですよ。

 とにかく身も心も少しだけ豊かになって、優しい気持ちになれた一日でした。オシマイ!

         

            

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蕺菜(ドクダミ)

2017年05月12日 | 日記

 今日はまた雨でしたね。

 我家の庭は…これでますます草が勢いづいて手が付けられなくなります。毎年のことなので…もう諦めていますが、気が付いた時にはちょこちょこと草を抜いてきたのに、ああ~もうダメです。これがはびこり出すと…そう!ドクダミです。

 最初ここに引っ越して来た時は、一生懸命抜いていました。挙げ句の果てに腱鞘炎になって、そりゃもう痛いのなんのと。それも両手の親指でしたから。整形外科に行っても整骨院に行っても治らない。包丁は握れないし、布巾も絞れない…とそりゃあ大変でした。4,5ヶ月は泣いて過ごしたかなあ~。 それで懲りて、もう馬鹿みたいに草取りをしなくなったんです。

 今では〝我家の雑草園〟なんて居直ってます。要するに怠け者の言い分ですが。でも、あの根を見たら誰でも諦めますよ。地下の奥深くまで入り込んで、まるで蜘蛛の巣のように縦横に根を張って…だから〝ドクダミ〟と。憎らしいこと!

 漢字で〝蕺菜〟と書きますが、見るからに嫌な字でしょう? これが、「十薬」と書くと、途端にあの清楚な白い花が…まして、十もの薬になるなんて聞かされると、全くイメージが変わるでしょう。

 「ドクダミ科の多年草で、夏の季語。葉はハート形、梅雨の頃、花軸のまわりに淡黄色の小花を穂状につけ、その下に白い花弁のような4枚の苞片が十字形にある。全草に臭気があり、これを煎じて、利尿や駆虫薬としたり、生葉を化膿、創傷にはるなど広く民間薬として用いられる、それで〝十薬〟」と。

 歳時記に次のような句がありました。

    どくだみや真昼の闇に白十字     川端 茅舎

    毒だみや十文字白き夕まぐれ     石橋 秀野

 それぞれ「白十字」「十文字白き」と詠まれていて、花の特徴がよく表れていますね。でも俳句では、先人が使った有名な表現は手垢が付いていると言って嫌われますので、この表現はもう使えません。要するに早い者勝ちなんです。だから、誰もまだ使ったことがないような、そんな表現を見つけないといけない…、それが至難の業なんですね~。 何も知らずに作っていた初心の頃は、何でも詠めたんですが、やればやるほど難しい…万の石ころの中から一つの珠を見つけるようなものですが、でもやらなくっちゃ~。

 夕方家に帰ってみると、テンが走って出てきて、勝手口で待っていました。

 どこか濡れないところに隠れていたんでしょう。車の音で出てきて、顔を見ては鳴くんです。そんな時は一層甘えたような、哀れな声で…。

 もしかしたら、それが狙いで、テンも計算しているのかしら。猫は雨が嫌いだから、普通は外に出たがらないんですがね。今日は閉め出されて…戸を開けてやると、あっという間に私より先に家に入りました。カワユ~イ!                          

            

            

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俳画の先生と俳句の先生

2017年05月11日 | 日記

 今日は洗濯日和になりましたね。うれしい~! 

 5月からフォーユー文化講座がそれぞれ始まっていますが、私の「俳句入門」は第2土曜日なのでもうすぐです。

 実はここの文化講座には、10年以上前から私も生徒として通っていたんですよ。「健康体操」と「俳画」に。だから昨日は健康体操、今日は俳画と、午後から出掛けました。ところが、今年から俳画で面白いことになっているんですよ。

 他の俳句教室ですが、私が指導している生徒さんがこの俳画の講師になったんです。

 俳画は彼女が私の先生、俳句は私が彼女の先生…。

 でも、私の方が古いので、ここでも彼女は私を「先生」と呼びます。

 だから、何も知らない人たちは不思議な顔をするんですよ。そりゃそうでしょう。

 以前一緒に俳画を習っていたので、俳句をしませんかと勧めてみたんです。

 とても若いんだから…今からすると先が楽しみよ…と。

 それからもう6年ぐらいになりますが、今彼女は書道も勉強中で、先日のことです。

 「先生!私これから、書も俳画もできるカリスマ俳人になるつもり…」と、

 本気(?)で言うじゃありませんか。(笑) どう、面白いでしょう。

 若いというのは…本当に羨ましい!10年後には夢じゃなくなりそう。

 でも、今日初めての教室があったのですが、やっぱりやりにくそう…

 練習した作品を持って行くと、「結構です。何も言うことありません」ですって!

 ダメですよ、遠慮なくビシビシ言わなくっちゃ。でなきゃカリスマは遠~い~よ!

 俳句頑張って!私も俳画ガンバルから。

 今日の俳画のテーマは〝竹〟でした。色があると少しはごまかしが利くのですが、墨だけだと濃淡と掠れが命ですからとても難しいです。彼女の先生も来られていて、その先生が〝俳画は竹に始まり竹に終わる〟とも言いますからね、と仰っていました。

 何事も基本が一番ということでしょう。全てに通じること!

 やっと我家の箱根空木(はこねうつぎ)が咲き出しました。夏の季語です。

 この花は、箱根という名が付いていますが、北海道南部から九州沿岸に分布する、スイカズラ科の落葉低木。色が初めは白で、のちに紅に変わるため、全体で見ると、白と紅が混じって咲くように見えます。私の大好きな花の一つです。ヨロシク!

 

            

            

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柿若葉

2017年05月10日 | 俳句

 昨日の句会の話、ちょっと書き足らなかったことを…このブログを読んで下さっている方は、きっと俳句に関心があるか、もしくは俳句をなさっている方が多いですよね。

 だとすれば、俳句というものはとにかく省略を効かせることが大切だと、いちいち言われなくても分りますね。ムダを省くこと! 

 ところが、これがやっかいなもので、〝言うは易く行うは難し〟なんです。

 そこで、昨日の中からもう一句、例を挙げてみましょう。

    鶏小屋の卵生みたて柿若葉

 季語は「柿若葉」です。ただの若葉よりは、具体的に木を指定した方が場面がはっきりしてきて、周辺の景色もよく見えてきます。ましてや「鶏小屋」があるのですから、この句は農村などの田舎の景でしょう。

 この句もそれなりに出来ていますが、何か今一つ物足りない… 

 きっと上五中七の、何となく放り出したような表現がそう感じさせるのでしょう。だからせっかくの良い句材を生かしきっていない、勿体ないですね。

 それでは考えてみましょう。この句で省略してもよいものは?お分かりですか?それは「鶏小屋」なんです。だって「卵生みたて」と言っているんですから。鶏が卵を生む場所は、誰にでも容易に想像できるでしょう!これを削れば5音の空きが出来ますね。そこに何か考えて入れるのです。例えば、

    生みたての卵両手に柿若葉

 とでもしましょうか。そうすると作者が鶏小屋に卵を取りに行って、まだ温かい生みたての卵を手に…ここでも考えましたよ。

 〈生みたての卵手にして…〉でもいいかなと。でもここは「両手に」とする方が卵がたくさんあるようだし、生みたての温かさもよく伝わってきそう…。

 さらに、これは朝の場面でしょうから、柿若葉の眩しいほどのもえぎ色と卵の白さが清々しく自然に見えてくるでしょう。いかがですか?是非その違いを比べて読んでみてください。

 昨日ほどではないけど、今日も小雨。 我家の柿若葉がもうこんなになりました。アラ!こんな所に柿の花が…まだ蕾で葉と色が同じ、ちょっと分りにくいですね。

 

           

           

            

 

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若葉の句会

2017年05月09日 | 俳句

 連休の間はとてもよい天気で、暑いくらいでしたが、今日は朝から雨で少し肌寒いほど。

 5月の第1火曜日を今日の第2と合同ですることにしていましたので、朝から大忙しです。

 開始も30分早めてあるのですが、それでも時間は足りません。

 なんせ日頃の倍の人数ですから…でも欠席者が2名と、計17名。

 今日の兼題は「若葉」です。

 この季題は一見作りやすそうですが、意外と難しいんですよ。

 今一番若葉が美しい時ですし、誰もが目にとめているものですから、それを美しいとか、ありきたりに詠んでしまっては面白くありませんしね。

 大体〝若葉〟と子供を取り合わせる景が多いのです。そりゃ年寄りより子供の方がカワイイに決まっていますもの。そうすると、まあまあの句は出来ますよ。

 そこからがスタートなんですが、その定番を崩していくのは本当に至難の業。

 そこで、若葉の持つイメージを考えてみましょうか。

 「若い」「みずみずしい」「新鮮」「色鮮やか」など、など…。

 これで作ってしまったら、もう普通の句しか詠めません。それも「風」と組み合わせると。

 ホラ…今日の句会でも、3分の1が「若葉風」で詠んでいましたよ。

    声揃へ児らの本読み若葉風 

 今日の最高点句です。やっぱりでしょう。子供と若葉風…もちろん気持ちの良い句に仕上がっていて、なんら文句はないのですが…、でもちょっとひと言。「これは校外の景ですか?それとも教室?」

 また、「作者はどこにいるんですか?」と。

 私だったら〈本読みの児らの声洩れ若葉風〉ぐらいにしますね。そうすれば作者は教室の外にいて児らの声を聞いているという様子がよく分りますが…

 「その通りです。教室の窓から声が洩れて聞こえてきたんです」と作者。

 ここは「児の本読み」ではなく「児らの本読み」とあるところがポイント!

 一人で読んでいるのでなく、みんなでと言うことになれば、当然バラバラの声ではなさそうでしょう。だとすれば、「揃へ」と言わなくても…。そこを削って作者の位置をはっきりさせた方がいいでしょう。

 作者が教師なら別の言い方があるし、保護者としての参観ならまた考えなくちゃ…ね。そこで、

    若葉風児らの音読洩れ来たり

としました、作者が何かの用事で学校へ来て、通りすがりに聞いた児らの勉強の様子、その元気のよい大きな声は…まだ入学したばかりの1年生かな?と、いろいろ想像しながら歩いている…気持ちのよい若葉風の中を…、ということになるのです。

 もう一句…

    泥んこで遊ぶ子らにも若葉風

 これも子供たちと若葉風。とても可愛らしい風景です。

 これは泥んこ遊びだから幼稚園ぐらいの子かな?

 でもこの句にはちょっと問題があるのです。それは助詞の「にも」というところ。

 とにかくこの助詞というのがくせ者なんですよ。そこで、ちょっとイジワルして、「泥んこで遊ぶ子らは若葉風に吹かれたらいけないの?」と聞くと、「エエッ?」と作者。

 そうなんです。これが「も」の働きなんです。ちょっと難しいですかね~。

 例えば「教えてあげてもいいよ」と言うのと「教えてあげていいよ」というのの違い。

 分ります?この「も」が入ると、なんか恩着せがましい感じがするでしょう。

 もう一句ありましたよ。

    連休も塾に向かふ子若葉風

 この句も子と若葉風、それに「も」もあります。

 だからこの句にも「この子可哀想やね。みんなが出掛けたりして遊ぶ時に…」と。

 すると、作者曰く「イヤイヤ、ちっとも可哀想じゃないんですよ。喜んで行ってます」と。

 やっぱり「連休も」というと、遊びたいだろうのに…という逆接の気持ちが入ってくるんです。だから、次の句と読み比べてみて下さい。

    泥んこで遊ぶ子どもら若葉風

    連休の塾に向かふ子若葉風

 どうですか?どちらも嫌みがなくなり、若葉風の中で元気に遊ぶ子供たちや塾に通う子が素直に見えてくるでしょう。やっぱり素直が一番ですよ。

 このように助詞というのは一音で内容を変える力を持っています。

 上手く使えばいいのですが…〝諸刃の剣〟なので、くれぐれも気を付けましょうね。

 今日は若葉の写真を載せるつもりでしたが、雨なので連休に撮った〝なんじゃもんじゃ〟の花をアップしましょう。

 これも初夏の季語で、「ひとつばたご」という植物です。

           

            

 モクセイ科の雌雄異株の落葉高木。関東地方で、その地方には見られない種類の大木を指していう称と。でも、この意味ではひとつばたごに限ったことではないようですが…

 しかし、俳句では「ひとつばたご」だけを「なんじゃもんじゃ」と言います。

    玄海の仮幻にひとつばたごの花     石原 八束

    風やんでなんじやもんじやの落花急   小枝秀穂女

 

            

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藤の花と蕨(わらび)

2017年05月08日 | 日記

 昨日は娘が蕨(わらび)採りに行きたいというので、旦那と3人で出かけました。

 以前から是非行ってみたいと思っていた所があります。そこを目指して、その途中でありそうなところを探そう、と言うと、娘と旦那が「どこか知ってんの?」と。

 もちろん知りませんよ。行ったことないんですから。まあ、何とかなるでしょう。

 目的地は、山口市仁保の〝一貫野の藤〟です。

 毎年新聞などにその美しさが写真付で報道されていて、一度見てみたいと思っていたのです。

 藤の花の時期はとても短いですよね。だからちょっと油断しているともう見頃は終わっている… 我家の近くに見事な藤棚を作っていらっしゃる家があり、「ああ、もうすぐ満開だなあ~」と思って、次の時通るともう散っていたりと…見頃はホントに一瞬です。

 だから、その時期に巡り合わせないと何のことはありませんので、結局見逃すことが多いのです。

 桜よりも出会いが難しいかも。その藤がこの週末見頃になるかもという記事が出ていました。

 やっと実現しそうです。この藤は仁保一貫野地区の人たちが〝里の宝〟として、長年大切に手入れしてきたもの。いわゆる手作りの観光スポットなんです。

 自然の山藤が木に巻き付いて咲き、それが満開の時はまるで大きな滝のようになるというのです。

 地図でこの辺りだと…あ!見えましたよ、車の行列が…確か駐車場はあるが十台ぐらいというので、狭い道路に一列に停めたりしているのです。私たちも手前に駐車して歩いて行きました。

 どうも私が写真で見たのより花が少ないような…イヤ、まだちょっと早くて満開じゃないのかも。

 よく見ればまだ藤房の8割ぐらいまでしか開いてなくて、2割は蕾ですね、やっぱり。

 この川と周辺の手入れを地区民の人は欠かさず、こうやって見に来る人に提供して下さっていると。

 本当にアリガタイことです。たくさんのカメラマンが来ていましたが、私はやっぱり写真下手ですね。折角の良さを伝えられなくて、ゴメンなさ~い。 

                    

 それから通ったことのない道なので、ここを通ろうと出発。

 さあ本命の蕨に出会えるでしょうか? 

 途中蕎麦山登山口という標識がありましたので、そこに行ってみると駐車場がありました。

 説明板があり、山頂まで40~50分のファミリーコースとして人気があると。

 それで登山口を少し入ったのですが、どうも蕨の生えそうな所がない。

 他を探そうと娘と二人引き返しました。どうもなさそう…と諦めて駐車場に戻ってみたけれど、旦那の姿はない。携帯を掛けると、私たちが引き返した所から少し行ったら一杯あったと。悔しい!

 じゃ今からそちらに行こうかと言うと、もう殆ど採り尽くしてないよとさ。イ~だ。

 蕨に限らず何か採りに行くと、娘も私もおばあちゃんも…時間を忘れて帰ろうとしないので、〝狩猟民族の血が騒ぐ〟んだと、旦那が笑う。エッ、じゃ男は違うの!と言いたい!

 とにかく娘は不機嫌…まあそのうちあるわよ…と慰める私。旦那は…

 少し車で走っていると、アッ!蕨(親)が見えた、ここあるかもねと、車を停めてもらう。

 ウーン、土手の方に蕨の親は見えた…アッ1本2本…と私が採ると、娘は面白くなさそう。

 土手を上ってみた。ア~あるよ!あるよ!と娘を呼ぶと、途端に〝わあ、ここ蕨野みたいじゃあねえ~〟とすこぶる機嫌がいい。

 まあ、これぐらい採ればと車に戻り、疲れたので何か冷たいものが欲しいねと、車を走らせた。

 娘に「どう?満足した?」と聞くと、「ウ~ン」とまだ物足りなげ。

 今日は暑かったし、少し歩いたので、私も旦那も「もういい」と思ったんだけどなあ。

 やっぱり若いからなんですね、もっと採りたかったと‼ オシマイ!             

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俳句と書のコラボ

2017年05月07日 | 俳句

 今日は大型連休の最終日。きっとお出かけの人や故郷に帰った人も…イヤ、今の私たちには子どもたちが孫を連れて帰ってくるというのが定番ですかね。昔は私も必ず子供たちと親元に帰っていましたもの…当然子供らもそれを見倣うでしょうね。

 でも私の場合は、今では親も子供も家の近くに引っ越して来たので、泊まるということがないです。せいぜい一緒に食事に行ったり、日帰りで近場へ出掛けたりする、それで連休は終りです。孫の世話で大変だとか、お金がかかるとか、連休が終わるとみなホッとしたという話ばかり、気の毒!

 さて私はというと、昨日はいいことがあったんですよ。

 以前玄游会の書道展の案内が来ていましたので、仲間を誘って出掛けました。実は、私の俳句を書いてくださり、その作品が展示されているというのです。

 果たしてどのように書かれているのかしら、見るまではなんとも興味津々です。

 今回初めて、市芸術祭短歌俳句部門の作品とのコラボ展が行われ、13点が紹介されていると。

 この会の書道展はとても独創的な作品が多く、ある意味〝書の絵画〟とでも言えるようなもので、大作の並ぶ会場は、そのモノクロの世界の迫力で圧倒されますよ。

 たまたま丁寧に解説して下さる方がいて、この作品はここが…と見所などを教えて貰って鑑賞すると、また一段とよく見えて、やはり違いますね。色々話してみると、結局は書道も俳句も〝余白〟が大切、それで作品の生死か決まると…。その通り!

 いい話が出来てよかったです、と言って別れました。すると、来年もまたと言われてしまいましたが。

 それでは私の句を紹介しましょうか。

    一山の秋気集へり千木の空 (いちざんの しゅうきつどえり ちぎのそら)

 季語は「秋気」で秋。「千木」というのは、社殿の屋上、破風(はふ)の先端が延びて交叉した木。あの神社の棟上に取り付けられている×の形の木ですよ。だから、この句は山中にある神社の上空に秋の清々しい空気が集まって来て、心が洗われるような澄んだ景色を詠んだものです。この荘厳な神域に立つと誰でも身も心も引き締まるでしょう。ましてや秋ですもの。さらにこれが深山、霊山だと想像すると…、そうです、これは九州の英彦山での作なんです。

 さて、この句を書いて下さったのは、落合鵠希(おちあいこうき)さんという、私より若い方です。ブログに写真を載せてもいいですかと聞くと、快諾してくれました。本当に有り難うございます。

 いかがですか?素敵でしょう。この墨の色と滲み具合、それから字の配分など…それに書き方も工夫して。もっとよく見えるようにアップしましょうか。(写真撮るのが私下手なんです。ごめんなさ~い)

 

 ほら、わたしの句が一段とよく見えますよね。アリガタイことです。合掌。

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立夏

2017年05月05日 | 俳句

今日は「子供の日」ですが、もうみ~んな大きくなって、孫もいないし…

だから私にとっては、今日が「立夏」ということの方が大切なんですよ。

この季語の傍題には、「夏立つ」「夏来る」「夏に入る」「今朝の夏」があります。

要するに、今日から暦の上では夏になるということなのですが、最近の地球温暖化による

気温の変動で、立夏前なのに早々と真夏日などいって騒がれたりして、

「立春」や「立秋」と比べると、本当に実感のない季語になってしまいました。

   毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

これは中村草田男の句です。ちなみに、今では当り前のように使われている「万緑」という夏の季語も、

草田男が〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉と詠んでから定着したものですよ。

草田男という人は本当に夏が好きだったのでしょうね。実際彼には夏の句が多いようですが。

また、草田男に限ったことではなく、夏という季節そのものが創作意欲を湧かせるエネルギーを

持っているのかも。だって、歳時記は夏の巻が一番分厚いんですもの。

夏になると滾々と水が湧くように草田男には句が生まれたのでしょう。何とも羨ましい限りです。

こちらは夏になる前にもう詩嚢は空っぽ、いつも青息吐息というのに…。

イヤ、イヤ、名人と比べてはいけませんね。最初から空っぽだったのかも。(笑)

ところで、「毒消し」ご存じですか?子供の頃「毒消しゃいらんかねぇ~」という歌を聞いたような…。

夏になると食中毒や暑気あたりなどの薬を越後地方から売りに来ていたという「毒消し売り」。

これも夏の季語になっていて、富山の薬売りとは違い、歳時記の説明では「紺絣の筒袖に

紺の手甲脚絆、黒木綿の大風呂敷を背負った二人連れの娘の行商」だったそうな。

そうなると、この「毒消し」の句は「夏来る」との季重ねになりますね。

しかし、ここは「夏来る」がメインの季語で、「毒消し」は副。

それにこの薬は当時常備薬のようなもので、お腹の調子が悪い時にはすぐに飲んでいたのでは?

ならば季語にならない薬でもよかったのでしょうが、やはりここはこの毒消しという語が面白いのですよ。

いわゆる体の中に溜まった毒(精神的に悪いもの、今で言えばストレス?)を消し去って、

「さあ!思いっきり俳句を詠むぞぉ~」と、気合いを入れている感じが「夏来る」に

よく出ていると思いませんか。これが「夏に入る」や「今朝の夏」ではダメでしょう。

口に出して読み比べてみて下さい。「ナツキタル」というこの音の張りが効いているのです。

さて、さて、今日は子供ならぬ母を誘って〝エビネ展〟に行って来ました。

朝友人からの電話で、「昨日行って来て、くじが当りエビネを1鉢貰ったんよ」ですって。

そりゃ行かなくちゃ、母はエビネ蘭を育てて、毎年綺麗に咲かせているんですもの。

もちろんどれも綺麗でした。が、私にはその違いが分りません。最優秀賞の花より新花優秀賞の方が

綺麗だと思ったし、好きでしたので、それを撮ってきました。他にも好きなものを…。

でも、一番好きなのは私が籤で当ったこの花。(母は残念ながら当らなかったんです。)

今日が最後の日でしたので、花の咲いている鉢はもうこれしか残っていなかったのですが。

でもいい色でしょう。来年はきっと母がもっと綺麗に咲かせてくれるでしょう。楽しみ!

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