ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

柘榴(ざくろ)の実

2017年10月29日 | 俳句

 今日も朝の内はシトシト…でもすぐに上がり、そのうちお日様まで差してきました。風は少しありましたが…。やっぱり台風は逸れて、強風波浪注意報なんてどこにも見当たりません。まあ、海にまで行ってないのではっきりは分りませんが。

 今日は柿を捥ぎました。ついでに一つ残っていた石榴も捥ぎました。以前ブログに載せた大きな石榴は、割れたところに毎日雨が降り込んで、残念ですが腐ってしまいました。もう一つ小さいのがあって、口を開いていましたので採り、食べたことがないという娘に食べさせました。この実離れの感じと甘酸っぱい味、写真で見ただけでは分りませんよね。やっぱり〝百聞は一見にしかず〟です。この感じもう忘れないでしょ!と娘に言うと、納得していました。俳句はやはり外に出て、実物を〝見て、触れて、嗅いで、味わってみて…〟知るということが、大切なんです。だから吟行に行くべし…ですよ。 

 ところで、この「石榴」(ざくろ)は実のことで、秋の季語。花の場合は「石榴の花」「花柘榴」といい、夏の季語です。原産はペルシア地方で、日本には平安時代に薬用目的として、シルクロードを伝って入ってきたもの。

   実柘榴の涙の粒に似しを食む      馬場移公子

 この句は『馬酔木季語集』に収録。馬場移公子(ばばいくこ)さんも馬酔木の大先輩です。次に彼女の紹介をWikipediaより抜粋しましょう。

 明治32年(1899)~平成6年(1994)。享年95歳。本名新井マサ子、秩父生まれ。実家は蚕種屋。旧制秩父高等女学校(現秩父高等学校)卒。1940年結婚。1944年、夫の戦死により実家に戻り、養蚕をして暮らした。1946年、金子兜太の父、金子伊昔紅の指導を受け「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。馬醉木賞を受賞。「馬酔木」を代表する女性俳人として活躍した。代表句「いなびかり生涯峡を出ず住むか」など。秩父のひそやかな暮らしのなかで独特の孤独感のある句を作った。1985年『峡の雲』により第25回俳人協会賞受賞。

 私は、この石榴の実を収穫して、何度か石榴酒を作りました。この実を一粒一粒剥がすとき、まるでルビーのように美しくて、とても楽しい作業でした。移公子さんは実柘榴を「涙の粒」と詠まれていますが、確かにあの甘酸っぱさは失恋の味かも…。

 しかし、秋櫻子先生の全句集中には「石榴の花」はありましたが、実は一句もないんですよ。どうしてなんでしょう。もしかしてあの鬼子母神伝説から「人間の肉の味」がするという俗説を知り、それが嫌だったのでしょうか。また、昔私が読んだ本、『華岡青洲の妻』だったと思うのですが、(映画にもなりました)その中に乳がんを手術するところで、胸を切り開いて「ザクロのような」という表現が確かあったような気がします。(?) それ以後、私もザクロを見ると、患部の肉のような…という場面が浮んでしまうんです。だから、秋櫻子先生も産婦人科の医師だったのですから、そういう手術の場面には何度も出くわしていて、あのザクロを見るのも嫌だったのではと…思ってしまいました。私の考えすぎかもね。読んだら忘れて下さい!

 

 

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台風22号

2017年10月28日 | 俳句

 今日はそんなにひどくはないのですが、朝から一日中雨でした。 台風22号は今奄美大島を北上中で…宮崎地方に集中的な雨を降らせているとか。こちら山口県は明日の早朝から強風波浪注意報が発令されています。もう10月も残すところ3日だというのに。本当に年々遅くまで台風が来るようになった気がします。

 水原春郎編著の『秋櫻子俳句365日』の中に「台風」の句を探してみますと、9月1日でした。この日は昔から台風の襲来することが多く、俳句でも秋の季語として、「二百十日(にひゃくとおか)」や「厄日」といわれています。

   台風の夜半ぞ医師(くすし)の用おこる    水原秋櫻子

 昭和13年作。句集『蘆刈』所収。この句についての、秋櫻子の自句自解を覗いてみましょう。

 分娩というのは、どうしてか夜半に起こる事が多い。そのための徹夜が産婦人科の医師には、付きものなのだが、こんな台風の夜、停電の中では、困る。廊下をわたって病院へ行く途中、屋根瓦が砕け落ち、花壇の垣が倒れているのが目に入った。風はますます激しくなり、病院へ駆け込んだ時は、手術衣がびっしょり濡れてしまうほどだった。

   裸火に九月一日の男の子生る

 誕生の瞬間は、いつでも感動的であるが、台風の荒れ狂う中、蝋燭の火の下で処置したこの出産は、実に厳粛で、沸き上がる感動に医師としての喜びも感じた。妊婦と新生児の安静を確かめてから、家へ帰った。夜が明けつつあり、風の勢いは少し弱まったようだ。頭が冴えて眠れそうにないので、印象の薄れぬうちにと、句をまとめた。

 私の中にある、台風は八月、九月のものという既成観念を、そろそろ変えないといけませんね。九月、十月のものと…。

 テンちゃんも雨や台風の時はおとなしく家に居ます。毛も大分伸びて…良くなっているでしょう。(抜糸後の寝ているテン)

 

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石蕗の花

2017年10月27日 | 俳句

 今日も晴れ。でも、また台風22号が、21号と同じコースでやって来ています。だから明日から傘マークが三日ほど続いていますが、今度は、あの予報円が逸れずに通過するんでしょうか。決して期待してるわけじゃあないんですよ。もちろん来ないにこしたことはないんだから…このところ関東方面に向けての被害が多いようなので、心配しているんですよ。

 今日やっとテンちゃんは抜糸でした。またまた何をされるんだろうと…診察台のテンちゃんの心臓がパクパクしているのがよく分りました。でも、おとなしくガマンして動かないんですよ。健気!終ったらそそくさと籠の中に逃げ込みましたけど。家に戻って、外に出してやると飛んで出て行きましたが、しばらくして戻ったのを見ると、また血が滲んでいるではありませんか。ビックリして消毒してやったんですが…どうも傷痕が痒いらしく自分の爪でひっかいて血が出たようです。人間と同じですね。かさぶたが出来て治りはなの時は痒いので、ついつい掻いてしまい血が出ることってありますよね。

 庭の石蕗があちらこちらで満開になりました。この「石蕗の花」(つわのはな)は、初冬の季語なんですが、最近の地球温暖化で年々早くに咲き始めるようです。蕗も石蕗もキク科とは知りませんでした。そう言えば黄色の花が菊のようですね。次の句、まるで今日の我家の庭のようです。

   けふの晴れ狭庭(さにわ)は既に石蕗のもの    及川 貞

 句集『榧の実』所収。作者の及川貞さんは、馬醉木の大先輩です。もちろん名前だけはしっかり知っていましたが、私が俳句を始める前に既に亡くなっておられましたので、お目に掛かることはありませんでした。

 明治32年(1899)~昭和61年(1993)、享年94歳。東京生れ。昭和8年(1933)、神田での句会に参加してより水原秋櫻子に終生師事し、「馬醉木」婦人句会を起して後進の指導にも努められました。それで、昭和46年(1971)には「馬醉木」の功労者として表彰されています。昭和42年(1967)、句集『夕焼』で俳人協会賞受賞。

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今日の俳画は「菊」

2017年10月26日 | 俳句

 今日も快晴、気持ちが良い!気分まで良くなりますね。今日の午後は俳画教室でした。画材は〝菊〟です。

 菊は、俳画で必ず練習して描く「四君子」の一つです。その四君子を辞書で引くと、「中国・日本の絵画の画材とする梅、菊、蘭、竹のことで、その高潔な美しさを君子にたとえていう」とありました。

 だから毎年描いているのですが、これが易しいようで意外と難しいんです。色は菊の花の色と墨だけ。今日のは黄菊でした。花はいいとして、茎から葉の部分…それに墨の濃淡がでないとダメなんですよ。今日は何枚描いても気に入るものが描けず、時間切れで納得のいかないまま見て貰いました。いつもの先生(私の俳句教室の生徒)は忙しくってお休み、その上の先生が見て下さいました。やっぱり私の思うところを指摘されて…分っちゃいるけど…ですよ。

 恥ずかしいけど次の絵を見て、どこがイマイチか当てて下さい。ワカルカナ? 

 俳画の賛(画に添え書かれた詩・歌・文・句など)は、〈秋茄子もぐ日もありて小さく住む  積穂 〉。いつもこの作者の句を添えることが多いですね。正式には藪本積穂で、「全日本積穂俳画協会総裁」だったのですが、平成14年(2002)、96歳で亡くなられました。簡単に略歴を紹介すると、明治40年和歌山県生れ、本名は新太郎。水越松風に南画の手ほどきを受け、戦後、赤松柳史に師事。昭和39年俳画「積柳会」を創立、主宰して俳画の普及指導に努めました。内閣総理大臣賞、文部大臣賞、文化庁長官表彰、勲四等瑞宝章受章など、著書多数。

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〝草の実飛ぶ〟日和

2017年10月25日 | 俳句

 今日は快晴!久し振りの雲一つない青空です。天気予報では曇ったりもありますが、しばらくは雨マークが出ていません。しかし、日中はそんなことはないのですが、朝夕はとにかく寒いですよ。最低気温9度ですから。

 ところで、「草の実飛ぶ」という秋の季語があるんですが、私はあまり深く考えないで今まで詠んでいました。雑草などが秋になると実をつけ、それが弾けて飛んだりするぐらいにしか。似た季語に「穂絮飛ぶ」というのもあります。芒や蒲、萱などが穂を出して花をつけ実を結ぶ。その穂絮が天気の良い日など風に吹かれてふわふわと飛んでいるのは、実際によく見かけます。しかし、草の実が飛んでいる様子を実際に目撃したことはないんです。

 それが今日初めて見ました。トイレの一輪挿しに活けていた〝ショウジョウソウ〟(以前ブログで紹介しました)の種があちらこちらに弾けて飛ぶんですよ。一番飛んだのは70~80センチほども。ああ~これだから植えもしないのにあちらこちらに芽を出して、どんどん増えていくんだなと思いました。もう一つの花(ハゼラン)…もう実になっていますが、これも勝手に増えていきますので、この丸い種を四方に飛ばしているんですね。

 この花は「ハゼラン」といって、午後の2,3時ごろにしか咲かないので、「三時草」と言ったり、その花や実が線香花火のようなので「花火草」とか言われています。(7月に撮ったもの)

   草の実のとんで晴天極まりぬ     高浜年尾

 まさに〝今日の一句〟のようですね。

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今日の兼題は〝朝寒〟

2017年10月24日 | 俳句

 今日はやっと朝から太陽の顔が拝めました。久し振りに大洗濯です。何となく半乾きのようで…すっきりとしない洗濯物を着るのも気分良くありませんでした。やはり日の匂いのするのが一番!明日からも晴れマークが付いていますので、しばらくはいいのでしょうか。

 カープ散々です!情けない…CSに入っていいとこなしですよ。去年は日本シリーズで無様な負け方をして…今年こそはその雪辱を果すと意気込んでいたのに、空振り三振ですね。シリーズ中もDeNAには弱かったから、もしかしたら…という私の悪い予想が当りました。まあ、勝敗には時の運もあるでしょうから…。また来年を期待しましょう。

 今日も句会、兼題は「朝寒(あささむ)」で、秋の季語です。曇り日よりも秋晴の朝に感じる寒さで、日中は暖かく、日暮から夜明けにかけて著しく気温が下がり、その差で肌寒さを感じるのです。『源氏物語』野分の巻には、「今朝の朝寒なる」の用例がありますが、古歌には「朝寒」の熟語は見当たらないんだそうです。「寒き朝」というのはありますが、それは冬の季語になります。古くから「夜寒(よさむ)」という季語がありましたので、それに対応して立てられたものらしい。「寒き夜」といえばもちろん冬ですよ。

   朝寒や生きたる骨を動かさず     夏目漱石

 この句には、修善寺病中吟「わが全身に満ち渡る骨の痛み」の前書があります。漱石はもともと胃腸が弱かったのですが、明治43年にとうとう胃潰瘍で入院し、更には修善寺に行って転地療養をします。その時「余は生まれてより以来、この時ほど吾が骨の硬さを自覚したことがない。その朝(9月23日)目が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった(略)」等と、大量吐血で危篤状態になった時の様子を書いています。このような状態でやせ衰えた身体には目覚めの朝寒は一段と厳しく感じたのでしょう。私でも雨が降ったり、急に寒くなったりすると、膝の調子が良くありませんものね。だから、全身の痛みで、「動かせず」ではなく「動かさず」と、自らの意思で動くことを拒否しているのです。ちょっとでも動くと耐えがたい痛みが走ったのでしょう。痛いときにはよく骨がミシミシ鳴るなどと言いますが、この時はただじっと動かずにいることがこの痛みに耐える最良の方法だったのでしょうか。しかし、このような場に及んでも、漱石は我が身を「生きたる骨」と表現するところに、子規から学んだ俳句の客観性が働いたのかも…。

 「秋明菊(しゅうめいぎく)」。名に菊とあるが、キク科ではなくキンポウゲ科の多年草。晩秋の季語。古く中国から渡来したもので、京都の貴船に多く見られるところから「貴船菊」とも。その白と紅が秋雨で少し倒れ、もう散りかかっていました。澄んだ秋空に似合う花なんですよ!悔しい!

   菊の香や垣の裾にも貴船菊    水原秋櫻子

 

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兼題は〝猪〟

2017年10月23日 | 俳句

 昨日は、雨の中を投票に行きました、「投票しなかったこと、一度もないよね~」と、旦那と話しながら。もちろんこれは国民としての義務ですものね。

 ところで超大型台風はどこへ行ったんでしょう?雨はシトシトと降りますが…まったく風がないんです。この前の台風と同じで、いつ通り過ぎたんだろうと不思議なほど静かでした。まるで、今回の選挙のよう…まったく選挙カーも通らず今回ほど連呼の声を聞かなかったのは初めてですよ。ここ山口県は保守王国で、全くの無風地帯なんです。イヤ、イヤ、私も旦那も山口県出身ではありませんからね、面白くない話です…。

 今日は朝からやっと雨も上がって、時々差してくる太陽の日射しが温かで気持ちよかったです。これで秋霖は終るんでしょうかね。まだまだ雲は多い空でしたが。今日の句会、兼題は「猪」(いのしし・しし)でした。秋の季語です。いろいろと面白い句が出て、話が弾みましたよ。

 〈高笑ひして猟友と猪談義〉〈夜の舗道駆けゆく猪の蹄音〉〈鼻息も荒く猪鍋作る人〉など

 単なる想像ではなかなかこうは詠めません。聞けば、「近所に猟をする人がいて、猪を仕留めたときの話で盛り上がったんです」と。同じ作者で〈竹皮に包み猪肉届けらる〉というのもありました。次の「蹄の音は本当?」と聞くと、「夜中の2時頃、家の前の道路を猪が駆けてゆく蹄の音を本当に聞いたんですよ。それも2度も…」と、「へ~っ!」とみんな。三句目、「いつも秋の収穫祭の時、猪鍋を作って皆で食べるんですが、その時作る人が…」と。そうなんです。この句は実は旦那の句で、去年まで棚田のオーナーをしていたときの〇〇さんのことなんだと、私にはすぐに分りました。しかし、「猪鍋」となるとこれは冬の季語になりますから、注意しましょう。兼題を出すときは、「ええっ!猪?」と、みんな渋っていましたが、ありきたりの季語よりかなんぼもましですよ。意外な季語ほど面白い句が出来ますね。

 この花の名は ? 銀行から旦那の誕生日に送られてきた花ですが、名前忘れました。

 

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「芒」と「薄」

2017年10月21日 | 俳句

  今日は小雨続きでした。毎月第三土曜日の午後は、〝馬醉木会〟という30年以上の歴史ある句会なんです。兼題はなし。一人五句投句の現在18人で、しめて90句、12句選で行っています。実際出席するのは10人ちょっとですが。

 句会が始まったときは小雨でしたが、選句が済んだ頃、突然もの凄い音がし出して、「何!これ?」と思わず中断してしまいました。ザーザー降りの大雨、そして、ここがコンテナハウスだからこんな大音響がするのだということを初めて知りました。「みんなこの雨の音に負けないように大きな声でね…」と。これももう台風の影響でしょうか?

 ところで、昨日の兼題の〝ススキ〟、「芒」か「薄」の漢字を用いますが、いつもどう違うんだろうとか、なぜこの字がススキなんだろうとか、ズーッと不思議に思いながら、どっちつかずに使っていました。私は「芒」の方が何となく好きでよく使います。それは「薄」の方には「うすい」という意味のイメージが付きまとってしまうから。

 そこで、漢和辞典の『新漢語林』で調べてみましたら…

 「芒」…①のぎ。穀物の先端の細毛。②毛。毛先。③はり。針先。④ほこ。ほこ先。⑤ひかり。光の先端。「光芒」⑥大きい。広い。はるか。⑦暗い。おろか。⑧ほろびる。=亡⑨わすれる。ぼんやりする。⑩あわただしい。⑪すすき。草の名。 (解字)形声。艸+亡。音符の亡(ぼう)は、萌(もう)に通じ、きざしの意味。稲・麦などの先端の細毛、のぎの意味を表す。

 「薄」…①うすい。「薄氷」少ない。あわい。やせている。恵まれない。「薄命」②うすくする。軽んじる。うすめる。③うすまる。うすれる。④せまる。近づく。「薄暮」「肉薄」⑤とどまる。⑥よる。集まる。⑦くさむら。⑧まぶし。(蚕に繭を作らせるための、すだれ状の物)⑨竹製の道具。かご・すだれ・やななど。⑩いささか。しばらく。国字…すすき。おばな。(解字)形声。艸+溥。音符の溥(はく)は、あまねく広がるの意味。草が広がる草原のさまから、うすいの意味を表す。

 どうです?私はビックリしましたよ。結局ススキはイネ科ですから、あの穂先から考えれば、「芒」の意味の方が近いです。「薄」の方は、漢字そのものにススキを表す意味はないのですが、日本でその意味に使うように定められたものだったんですね。秋櫻子先生の句をみても、「芒」の字が多いような気がしたんですよ…気になって調べてみましたら、ナント! 全句集中「ススキ」の句は23句で、その中4句が平仮名、後の残り19句は全部「芒」。「薄」を使った句は1句もありませんでした。改めて秋櫻子先生の潔癖さを垣間見た思いがしましたよ。ああ~これでスッキリしました!

 今日は「白粉花」、仲秋の季語です。オシロイバナ科オシロイバナ属の多年草。熱帯アメリカ原産。夕方から開くことから、和名では夕化粧、英語ではフォー・オクロック(四時)の呼び名があります。花の色は紅、白、黄など、近くにあるとお互いの色が混じったものもあります。そう言えば、子供の頃、花を採って密を吸ったり、この種が黒くなったら採ってきて、中の白粉質の粉を集め、塗ったりして遊んでいましたね。女の子には懐かしい花です。

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兼題は〝芒〟

2017年10月20日 | 俳句

 今日は久し振りに朝から日射しが…これで洗濯物も乾きそうです。

 テンプレートを替えました。まだこちらでは紅葉には早いのですが、先日広島に行ったとき、川岸の銀杏が黄色になっていましたし、桜紅葉もきれいに染まっていましたので、ブログもそろそろいいかなとね。

 今日は午後から句会でした。兼題は、月見や秋の七草でおなじみの〝芒〟(すすき)、説明はいらないでしょう。三秋の季語です。ただ気を付けることは〝芒〟は、芒という草全体を指すのに対して、その花穂をいう場合は〝尾花〟(おばな)とか、〝花薄〟(はなすすき)〝穂薄〟(ほすすき)など。それを使い分けると、その様子が鮮明に見えてきていいですよ。

   穂芒をわけわけて行き終に暮れぬ    水原秋櫻子

 昭和17年作、句集『磐梯』(昭和18年刊)所収。馬酔木の德田千鶴子主宰は、この句について、「秋櫻子には珍しい陰影の濃い主情句で、やがて訪れる暗い時代を暗示するかのようである。」と、書いています。昭和16年12月8日は、太平洋戦争の開戦日。とすれば、17年は当然戦局が一段と激しくなってゆく中ですから、いくら磐梯山に俳句を作りに行ったとしても、秋櫻子の心は闇の方へと向かって行ったのです。その言い知れぬいらだちや不安が心象風景として、「終に暮れぬ」と、吐き出されたのだと思います。そういう思いを表すときには、芒全体と言うよりも「穂芒」の、あの白くほおけた花穂さえもとうとう暮れて見えなくなったと…そのやり場のない絶望感を詠んだんでしょうから、ここはやはり芒の穂に焦点をあてるのがいいでしょうね。

   山越ゆるいつかひとりの芒原      水原秋櫻子

 昭和24年作、「Ο氏の老媼の病めるを見舞ふ 二句」のうちの一句。句集『霜林』(昭和50年刊)所収。この句の場合、確かに淋しさが漂っていますが、それは病人を見舞う…それも先行き短い老媼であるという心情的な暗さ。作者はむしろ芒原という広々とした野原を風に吹かれながらゆったりとした時間の中で、〝ひとり〟を楽しんで歩いている…そんなふうに私には感じられるんです。だからここは芒の穂に焦点を当てると、却って小さな景になって、情感が失せてしまいますよ。もう昭和も24年ですから、戦後の暮しもそろそろ落ち着いてきたんでしょう。ちなみにこの時秋櫻子57歳でしたから、旺盛な作句活動や指導を益々展開していた頃に違いありません。

 句会場に着いた時の空と、終って買物をし、スーパーから出た時の空。この夕焼も久し振りです。

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もう〝雪吊〟?

2017年10月19日 | 俳句

 今日も曇、時々小雨です。この長雨でどこもかしこもじめじめとして…洗濯物が乾きません。もうそろそろ青空をと思っていましたら、今度は台風ですよ。秋らしい〝爽やかさ〟を味わったのは、今年何日ぐらいあるでしょうか。なんだか暑いとか寒いとかの記憶しかありません。吟行も雨が多かったですし…これでは晴れ女の異名を返上しなくちゃいけませんね。

 今日やっと「馬醉木」11月号が届きました。口絵写真は、金沢兼六園の〝雪吊り作業〟です。俳句の世界ははやすっかり冬ですよ。だって次の次はもう新年号が届くんですものね。

 「雪吊」は晩冬の季語です。雪の重みを防ぐために、庭木の天辺や支柱から樹形に合せて縄を円錐状に張り、木を吊りあげておくことをいいます。松など貴重な木に施されることが多く、豪雪地帯では縄も太くて力強いのですが、雪の少ない地方では繊細な感じがします。特に金沢の兼六園の雪吊りが有名で、私も何度か行って見たことがあります。雪の来る前の、まるで〝さあ、いつでも来い!〟というように、青空の冷たい空気の中で、ぴーんと張り詰めた様子が好きです。また、雪の中でも独特の美しさがあっていいですよね。

   雪吊の百万石の城曇る      阿波野青畝

   雪吊つて百万石の構へかな    清水 基吉 

 二句とももちろん加賀百万石の城下町、石川県金沢市の金沢城や兼六園での雪吊を詠んだものでしょう。兼六園は、水戸偕楽園と岡山後楽園と、併せて日本三名園で、池や築山、御亭や茶屋を配置した回遊式庭園です。

  この写真は、昼と夜の兼六園の雪吊(金沢市の観光ホームページより)

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岩国寿司

2017年10月18日 | 日記

 朝はちょっと肌寒くて、でも雨は降っていませんでしたが、です。今日は主人の祖母の五十回忌法要で、朝8時前に広島へ出発しました。するとだんだん青空が見えてきて、お日様まで差してきたんですよ。義母が「今日はいい天気じゃあねえ~」と。このまま晴れるかも…と期待するほどでした。見ると前方の山の雲に日が当って、それがまるで葛飾北斎の描いた富士山の雲のようで…、あのだんだんに重なって波打つような…むら雲とでもいうんでしょうか、それはそれはきれいで、一人黙って車の中から見とれていました。すると、「あの雲、北斎の赤富士の雲のようだね…」と、旦那がつぶやく。エエッ!感じるのはみんな一緒なんだなあと思いました。写真撮れなかったのがザンネン!

 早めに着いたので先にお墓参りをして、本堂へ。11時から始まりました。今回はもう最後の法要なので、義母と孫に当る旦那や弟たち、計6人のこじんまりとしたものです。12時に終って、その後広島ANAホテルの〝雲海〟で会食をしました。見ると外の池に水輪が…アッ!降り出したよとつい叫んでしまいました。何でって?そりゃ分るでしょう、広島といえば。もちろんセ・リーグCSのDeNAとのファイナルステージですよ。今日18時からマツダスタジアムで第1戦ですもの。そりゃあ気になります。我が一族は全員熱烈なカープフアンですから。

 天気予報では夕方から雨と…でもあんなに良かったから、予報がはずれるかもとつい期待してしまいました。3時前お開きとなって弟夫婦は京都へ、私たち4人は山口へと。旦那がビールを飲んでしまったので、帰りは私が運転手です。するとお酒が入った勢いからか、マツダスタジアムの様子を見て帰ると言い出すじゃありませんか。仕方なく廻って行きましたが、いるわ!いるわ!赤ヘル軍団が…大人も子供も、並んで座り込んでいました。先程ポツリポツリとしましたが、今はもう降っていません。良かった、とにかくこれで気が済んだでしょと、帰途につきました。

 ところが、山陽自動車道に入るとまた降りだし、大竹を過ぎる頃はザアーザアー降りです。途中玖珂のサービスエリアに寄って、いつもの〝岩国寿司〟を買って帰りました。

  この岩国寿司とは、山口県岩国市の郷土料理で、一種の押し寿司です。岩国藩初代藩主吉川広家が合戦に備えて作らせた保存食が町民にも広がったという説があって、「殿様寿司」とも言われますが、地元では「角ずし」と呼ばれることが多いそうです。5時過ぎ家に着いたときは、やや小雨になっていましたが、広島の方はどうだったんでしょう。旦那はテレビ放映がないので、早速パソコンです。逐一私にも報告してくれます。アリガタイコト! ああ~勝ったんですって、ナント5回コールドで。雨でどうなるかと…やきもきして、でも2勝は大きいですよ。フレーフレーカープ!

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兼題は〝秋の浜〟

2017年10月17日 | 俳句

 今日は久しぶりに午後から太陽の顔が拝めたのですが、それも一瞬ですぐに厚い雲に覆われてしまいました。でも夕方家に帰ると、雲の間から青空が…今夜は星が見られそうです。でも天気予報では明日も曇のち雨、明後日は雨のち曇と…この秋の長雨は終りそうにありません。最高気温も20度前後とありました。これからどうなるんでしょうかね~。下の写真は青空が見えた今日の夕方の様子です。 

 先日のもう一つの句会、兼題は「秋の浜」でした。このような兼題は意外と難しいんですよね。例えば、「月」など、そのままで秋の季語ですが、「春の月」とか「夏の月」、「冬の月」とかもあります。このように季を付けさえすれば、どんなものでもその時期の季語として使えます。しかし、それらの違いをしっかり認識して作句しなければ、ただの駄句として終ってしまうんですよ。

 初心者の句にはそれがとても多いのです。「なぜ秋の〇〇なんですか?」と聞くと、「だって秋に見たんだから…」と。この「秋の浜」もそうなんです。浜辺に行ったのが秋だったからと詠むと、じゃあ冬に行ったらとか春に行ったらとか…いくらでも変えられますね。そうするとこの季語でなくてはいけないという必然性がなくなってしまいます。そういうのを俳句では季語が動くというのですが…。

 ではどのように用いればいいのかを考えてみましょう。さて、海と言えばやはり夏が一番相応しいですね。海水浴などで賑わう浜辺、そこには夏のギラギラとした太陽があって、日に焼けた若者や家族連れ、子供たちのバカンスを楽しむ姿など、またこの夏の間だけ開いているような店や海の家など…そんな一時期の賑わいを見せた浜辺が、秋になると急に人影も見かけなくなり、店などは閉め切られていて、風だけが吹きすぎていくような淋しい浜となっているのです。その何ともいえないしみじみとした寂寥感が感じられるような句が詠めるといいのです。でも、これが淋しすぎたり寒々としすぎたりすると、それはもう「秋の浜」でなく「冬の浜」になりますので気を付けて!そのあたりの兼ね合いがうまくいかないと、いい句にはならないですからね。

   ともどもに老いて歩める秋の浜   飯田龍太

 この句はいつ頃の作なのでしょうか。恐らく晩年の奥さんと二人で歩いた「秋の浜」なのでしょう。そもそも龍太の生れは山梨県笛吹市、育ったのもこの山国です。大学卒業後、三人の兄が病気や戦争で次々と亡くなり、飯田家の跡継ぎとして、また父蛇笏が遺した俳誌「雲母」の主宰として、生涯をこの山国の生家「山廬(さんろ)」で暮らした人なのです。だから海などを見るのも浜辺を歩くのも、お二人にとっては久し振りのことだったのでしょう。その浜辺に残る足跡を振り返って見ると、まるで今まで共に歩いてきた二人の人生の跡のようで、「ともどもに」の語に実感がこもっていますね。だからここはやっぱり、春でも夏でも冬でもない、「秋の浜」でなくてはならないと思うんです。龍太は平成19年2月25日に亡くなりました。享年86歳。奥さんは龍太より以前に亡くなったそうですが…とても夫婦仲が良く、奥さん思いの優しい人だったそうですと。合掌。

 

   

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兼題は〝爽やか〟

2017年10月16日 | 俳句

 今日も1日。やはり秋は青空がいいですけどね。さらに夕べは寒くって、「炬燵がほしい…」などと旦那も言い出す始末。ホントに着る服に迷ってしまいます。このまま冬に突っ込むんでしょうか?

 先日の土曜日はダブル句会の日。兼題は、秋の代表的な季語の一つ、「爽やか」でした。

 「すがすがしく快いさま。さっぱりとして気分のはればれしいさま。はっきりとしているさま。」という語意から、秋の大気の特色を表す季語として用いられます。この「爽」の字を漢和辞典で調べると、「会意。『大(人の姿)+両むねに×印』で、両がわにわかれた乳房または入れ墨を示す。二つにわかれる意を含む」とありましたが、あの××は入れ墨だったとはビックリです。「爽徳」や「爽約」という熟語の意味は「徳にそむいた行い」、「約束にそむいて実行しないこと」とあり、「爽」はそむくという意味も持っているんですね。さわやかなというイメージしか持っていませんでしたので意外でした。

   爽やかに生き冷まじく死なばよし    上田五千石

 句集『琥珀』(1992年刊)より。五千石という彼の名前はすぐに覚えて、何かある度に本などで目にしていましたが、どのような句を詠むのかということは殆ど知りませんでした。しかし、彼の死が報じられた時、エエッ!どうして…と思ったのを良く覚えています。解離性動脈瘤による急逝だと知ると、何だかこの句で予言していたかのような…

 昭和8年(1933)~平成9年(1997)、63才で死去。東京都出身、本名明男。幼い頃から父や兄に俳句を教わり、21才で「氷海」に入会し、秋元不死男に師事。「俳句は『いま』『ここ』『われ』の詩であり、時空の一期一会の交わりの一点において一句が成る」という「眼前直覚」論は、私もなるほどと共鳴しましたし、その俳句を少し読んでみても納得しました。さらに情と俳諧性を特色とした決断力のある句が多いと。そう言えば、昭和43年(1968)俳人協会賞受賞の句集『田園』に、〈萬緑や死は一弾を以て足る〉という句もありましたね。

 さて、句会ではまた新しいことを学びました。〈予報円それて青空爽やかに〉の句です。

 「予報円ってなに?」と聞くと、「台風の予報で…」と。するとあちらこちらで、「ウン、そうそうテレビで言ってるよねえ~」と。広辞苑で調べると、「台風の中心が一定時間後に到達すると予想される範囲を円で表したもの」とありました。ちなみにこれは第六版ですが、家にある第五版をみると載っていませんでした。もちろん内容はよく知っていましたが、あの台風情報のときの地図上の円を〝予報円〟ということを始めて知りました。エエッ!知らないのは私だけ…(笑)

 この俳句は、先日の台風19号を詠んだもので、私もブログに書きました。嘘みたいに静かで…通り過ぎたと。しかし、俳句的にはせっかくの季語「爽やかに」が生かされていませんね。上五中七で十分分りますので、季語を変えて、〈予報円逸れどこまでも秋の空〉としました。「それて」なら平仮名でもいいですが、添削句では間違いやすいので漢字に。

 先日庭を覗いていた黒猫です。野良だと思うのですが…これに我家のテンちゃんはやられたのかしら?カワイイ顔しているんですけどね。すぐに逃げていきました。

 

 

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秋雨

2017年10月15日 | 俳句

 今日も朝から一日中シトシトと…まさに、季語の「秋黴雨(あきついり)」とか「秋霖(しゅうりん)」が相応しい日でした。

 「秋の雨」というと秋季の雨の総称なので、秋のいつどんな雨であっても使える季語ですが、「秋雨(あきさめ)」や上記の二つなどは梅雨のように小雨が降り続くながあめに用いる季語です。だから同じように考えて、安易に使わないようにしましょう。

   三日降れば世を距(へだ)つなり秋の雨       水原秋櫻子

   秋雨の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸(マッチ)かな    中村 汀女

 秋櫻子句の季語は「秋の雨」、汀女句は「秋雨」です。

 秋櫻子は「秋雨」などという季語を使えば、「三日降れば」という措辞が不要になると考えたのでしょう。ましてや「秋黴雨」などは梅雨のようなじめじめした情感がつきまとい重苦しいですね。「秋霖」という語は同じ長雨でも透明感が感じられて明るいのですが、ここは気分的にはやや淋しさと物憂さを表現したかったのではと思います。だからその気持を「世を距つなり」と詠んでいるのです。また、俳句では不用意に数を用いるのは危険であると言われています。私も初学の頃よく言われました。「この句にこの数は必然性があるか?」と。しかし、この句の「三日」というのは、短すぎず、かといって長くもなく…ということです。そうすると、ここは「秋の雨」でないといけないということです。

  汀女は、ホトトギス派で昭和を代表する女流俳人四Tの一人。そのみずみずしい感性で、「台所俳句」に新たな領域を拓いた人です。初学の頃この句を見たとき〝目から鱗〟…でした。ああ~こんな句が詠めたらと、憧れましたね。

 私も結婚した当初は、あの丸いガスコンロに燐寸で火を付けていました。だからその頃は燐寸が必需品でしたね。懐かしいです。始めて使ったときはやはり怖くてなかなかうまくいきませんでした。ガスのコックを開くのと燐寸を擦るタイミングが合わなくて。そのうち自動点火になり、今では全く火を使わないIHですよ。ホントに便利になったもんです。

 ところでこの句は、やはり「秋雨」でないと生きませんね。それは「秋の雨」と入れ変えて読んでみれば分るでしょう。じめじめと毎日降り続く雨、燐寸も湿って火付きが悪そうですね。そういう時季だからこそ「瓦斯」が「燐寸」に飛びつくという瞬間がありありと見えてくるし、その時の「ボッ!」という音までも聞こえてきそうです。これがたまたま今日だけ降った「秋の雨」というのでは、その迫力が大きく違ってくるでしょう。

 この写真は先日我家のペパーミントに止まったシジミチョウ。蝶の種類はさっぱりです。「ヤマトシジミ」の雄かな?それとも「ルリシジミ」??? 調べても見分けが付きませんでした。 

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臭木の実

2017年10月13日 | 俳句

 今日の午前中は、3時過ぎ頃から時々雨がぱらついていました。それより4,5日前からまるで夏に戻ったかという暑さだったのに、急に冷え込んだりして上着を一枚足さないと…そんな1日でした。

 天気予報を見ると11月並みの気温だそうで、こちら西日本はこの一週間は雨か曇で、太陽のマークはありませんでした。ホントに気まぐれな…やっぱり〝お天気や〟さんですね。

 今日は久し振りに整形へリハビリに行きました。コンスタントにリハビリしないと、効果はありませんよと…先生から叱られそうです。最近は週三回が週一回ですもの、これじゃあ良くなるものも良くなりようがありませんね。毎朝ウォーキングをするのがいいらしいのですが…生来のズボラ、長続きしないんです。昨日書きましたが、朝4時起きは…今日はだめでした。でもいつもよりは早めに起きましたが。若いときから〝宵っ張りの朝寝坊〟で、勤めていたときは朝の出勤で一番苦労しました。それから何十年と夜型の生活ですよ、それが急に朝型に変えようなんて…どだい無理と…言っちゃあいけませんね。ハイ!

 以前載せました〝臭木の実〟です。ちょっと遅かったのでかなり落ちていましたが。この木はいろいろと役に立つ優れものなんです。確かに葉は〝臭い〟ですが、花はいい香りがします。が、名前が悪いのであまり珍重されないのが可哀想。この瑠璃色の実は、藍以外で天然物の青い染料が採れるという唯一の貴重なもの。他に新芽や若葉は食用として生でも佃煮にしても美味とか。また薬用としてただれや皮膚病に葉の汁を塗布、煎汁は家畜のしらみ駆除に。さらに、利尿、健胃に根皮を煎じて服用するなど、とても利用価値のある植物なんです。だから名前なんかに惑わされてはいけませんよ。今の政治家さんのように…見かけだけじゃなく〝臭木〟のように中身で…勝負しましょうよ。ナンチャッテ!

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