ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

吉部八幡宮の秋祭〝村芝居〟

2019年11月05日 | 俳句

 今日は久し振りの句会かな? そういえば2週間も遠ざかるのは珍しいかも。馬醉木の鍛錬会へ行くために変更して貰ったのでそういうことになったんですが…。

 句会の話もしたいんだけど、その前に昨日のつづきをすませましょう。

 ところで、吉部八幡宮の「芋煮えの神事」の祭が今年で第757回になるんですって。ビックリしません?だって弘長元年(1261)の創建なんですよ。この祭は1年に1回、11月3日に毎年行われているので、創建した次の年から計算するとちょうど2019年になるんです。ネッ、オドロキでしょ!一度も欠けたことがないという祭…鎌倉時代から南北朝、室町、戦国、安土桃山、江戸時代と延々と続いてきて、近代に入り戦争中でも絶えなかったということになるわけ…これホントなんでしょうか?今回初めて気が付きました。今度宮司さんに聞いてみましょうか。

 ちなみにここの宮司・野村清風さん、以前から境内に野村清風と書かれた立派な銅像が建っていたのは知っていたのですが、それが神職身分の筆頭「特級」に昇進されたときの記念のもので、県内現職3人目なんだそうです。そんなご立派な宮司さんとはつゆ知らず…話しかけても気さくに答えて下さる方だったような…。失礼しました!

 さて、さて、3年に1回奉納される村芝居についてちょっと。歳時記にも次のような例句が…

  地芝居のお軽に用や楽屋口        富安風生

  地芝居の松にはいつも月懸り       茂惠一郎

  哭く木偶に婆のつれ泣き村芝居      岡部六弥太

 ここの村芝居は、かつて(戦前戦後)吉部地区の吉部歌舞伎一座が、農村娯楽のために演じてきたらしいのですが、後継者難で活動中止となり、その後吉部村芝居として引き継がれたのが1970年頃まで。その後1988年に結成された吉部文化推進会により地域活性化を目的に復活され、今の形になったのは92年から。演目は「一本刀土俵入り」「親を裁く奉行」「百姓仁義 任侠石地蔵」などの時代物。芝居の指導は、萩市のプロ劇団「鹿島寿(かしまことぶき)」から受け、衣装・化粧・演技・舞台美術など、全て一級品なんですって。

 だから、今回も萩の劇団「鹿島寿」からお祝いの舞を前座にと始まったんですが、最初はフウ~ンと見ていたのです。そのうち次々と扇が出て来て…とうとう最後は〝松〟の木になりました。初めは演じている人のお腹の辺りは着物の模様かと思って見ていたのが、ナント、ナント…扇が30本近くも差してあったんですよ。こういう芸能もあるんですね。初めて見ました。後の方の席でしたのでズームをかけたらボケてしまいました。ゴメンナサイ!

 その後、いよいよ村芝居です。今回の出し物は、時雨の源太〝寝返り地蔵〟。やくざの親分のところに草鞋を脱いでいる源太が、親分に頼まれて親分と恋仲のおこんさんの盲目の亭主と赤子を殺すという筋書き。でも、二人を殺すことが出来ずに貰った金を目の手術のためにと亭主にやって助けます。反対に親分とおこんさんを懲らしめに行くという時代劇、まあ人情ものでした。台詞にはアドリブで吉部の店や人の名前が出て来たりして、大喝采です。

 もちろん最後は、親分や子分をやっつけた源太が亭主の頼みを聞いておこんさんを許し、仲良く親子3人が目を治しに去って行く…それに手を振って見送る源太…チョン、チョン、チョン…と、3幕の劇でした。

 出演者はみんな子供たちから花束を貰って…とても幸せそう!メデタシ、メデタシ。

 外に出ると、記念撮影をしていましたので、私もパチリ!源太さんなんかはポーズをとってくれて…

 私は以前にも来て見たことがあったんですが、主人は初めてなので、〝たいしたもんじゃ。これは相当年季が入っとるの~〟と、感心していました。90分楽しませて貰って本当に有り難うございました。もちろんタダなんですよ。おまけにこの後は餅まきもあったんですが、時間がなく待たずに帰りました。オシマイ!

 

コメント (2)
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