ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

「きらら俳句教室」を開講したよ!

2020年05月31日 | 俳句

 とうとう今日で5月が終ります。3月から5月の3ヶ月間はコロナウイルスで、殆ど自粛生活…でも初めのクルーズ船の頃は、まだ対岸の火事のように思って、のんびりと高みの見物をしていましたね。

 それがまあ、あれよあれよと日本全国に広がり、志村けんさんの死でその恐ろしさを思い知らされたような気がします。その余りにも急速な重症化と死に至るまでの期間の短さに恐れおののいたと言ってもいいでしょうか。初めは〝今までのインフルエンザに毛が生えたぐらいのものよ〟なんて言われて、のんびりと構えていたのが、岡江久美子さんまであっという間に亡くなって、こうはしておられない状況なんだということがやっと身にしみて分かりました。

 それが25日には日本全国にわたっての緊急事態宣言が解除されました。だというのに、また北九州市でクラスターの発生です。山口県でも…特に下関市などは北九州には行かないようにと市長が呼びかけているニュースが流れました。こんな調子では、まだまだ油断は出来ませんよね。

 ところで、昨日久し振りに山口宇部道路(昔は有料でした)を走って、阿知須の〝きらら浜自然観察公園〟まで行ってきました。何だか久し振りの外出という感じ。

 これは、4月から開講する予定で募集していた、「きらら俳句教室」の第1回目があったからなんです。本来は毎月第3土曜日の10時から12時までということで、4月開講を予定していましたが、それが新型コロナウイルスのために中止。更に5月も中止になるはずが、26日から公園のビジターセンターが開館されるというので、急遽30日の土曜日に開催したいとの申し出により、実施することになったのです。もちろんまだ3密を守ってということなんですが。

 ここ山口県立きらら浜自然観察公園は、野鳥などのたくさんの生きものと、その生息環境を守りながら、だれでも身近に自然を観察し、自然に親しむことができる公園として2001年の4月27日にオープンしました。 きらら浜と山口湾周辺一帯は、シベリアやカムチャツカから日本列島を縦断して東南アジアに向かう渡り鳥たちと、モンゴルや中国から朝鮮半島を経由し四国・九州へ横断する野鳥たちの交差点にあります。冬に訪れるカモ類、チュウヒやハイイロチュウヒなどのタカ類、春・秋に訪れるシギ・チドリ類も多く、日本では珍しい迷鳥もよく訪れます。

 以前にもここを吟行してブログに紹介したことがあると思いますし、かつて野鳥の会の会員だったときにはよく来ていましたので、とても懐かしい所。当時のお仲間のHさんが今館長さんをなさっていますので、その関係で今回の俳句教室の話が持ち上がったのです。

 さて、ここでは今までの俳句教室のようなわけにもいかず、どうしたものかと…時間も短いしと、考えた末に、前半1時間で園内を吟行して作句、後半1時間を選句と講評に使うことにしました。

 問題は参加人数です。大体句会といえば10人前後が一番やりやすいのですが、聞くところによると15人とか。ここの司会進行をしてくれるチーフレンジャーのSさんも加わって、総勢16名。

 当日は第1回目ということで、全員参加でした。1人を除いて知らない方ばかり。男性5人女性11人、若い方もいらっしゃるし、俳句歴のある方は5人ほど。後は全くの素人さんですから、今後どういうふうに展開してゆくのかが楽しみです。

 最初でしたので、まず館長の挨拶から、次に自己紹介、その後俳句の基本的なことを話して公園へ。今日は暑いくらいの良い天気。季語となる花や鳥のことなどを説明していたらすぐに時間が過ぎてしまいました。とにかく何でもいいから11時までに1句作って投句。それから選句と披講と選評を行いました。何とか駆け足でしたが時間内に終了できました。

 撮って下さった写真を見ると、なんと私、最後の講評するときはマスクを顎にやって喋っていたんですよ。気がつかなかった!とにかく1時間も喋っていると息苦しくて暑い。これ真夏になったらどうなるんでしょう。この日は窓全部開けて風が気持ちがよかったのですが、真夏日にはそうもいかないでしょう。考えるだけでコワイです。

 でも、とにかく無事に終り…ホッとしました。何事も〝始めよければ終りよし〟ですものね。後で参加された方の〝楽しかった〟という声が聞けてよかった!皆様お疲れ様でした。

 俳句の方はこれからボチボチと…解説していきますので、お楽しみに。写真で見えますかしら。時間が無くて急いで書きますので、ナント汚い字…スミマッセン!

 お昼でしたので帰りは、道の駅「きらら あじす」に寄って、買い物をして帰りました。週末ですのでそれなりに人はいましたが、まだまだ以前のような賑わいはないです。やっぱり田舎ですものね。でもみなさんみ~んなきちんとマスクしてましたよ。東京では解除された途端にもうマスクをしていない人が目に付くようになったとか…。第二波が来そうな気配だというのに、困ったもんですね。

  

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〝チシャ〟と〝サンチュ〟と〝レタス〟?

2020年05月29日 | 俳句

 昨日は木曜日で病院が午前中でしたので、リハビリは10時過ぎに出かけました。朝から少し暑いくらいで…。いいお天気がまた続いていますので、プランターの花や野菜に水をやらないとすぐにぐったりしてしまいますね。

 せっかく育ってきているのに、枯らしたら悔しいでしょう。でも、あのサンチュは正解でした。今までは殆どレタスかチシャを植えていたんですよ。

 …と、書いていて、あれ、「レタス」と「チシャ」、「サンチュ」の違いってあるの?と思ってしまいました。

 私の頭の中では、丸く玉になったものが「レタス」、玉でなく葉の塊になっていてちょっと茶色がかったものが「チシャ」。「サンチュ」は焼肉用の一枚一枚で手頃の大きさの葉…これがス-パーの野菜売り場に並んでいるものの私の見分け方でした。あ、そういえば私が「チシャ」と思っているのはスーパーでは「サニーレタス」として二種類、緑と茶系のものがありましたね。

 調べてみましたら、エエッ、知らなかった!…私の思い込みだったんですね。間違っていました。ゴメンナサイ!

 「サンチュ」は「レタス」の一種で、旬は初夏から秋なのに対してレタスは晩春から初夏なんです。「チシャ」は、数種類のレタス全般のことをいうので、私がレタスと言っていたのはタマヂシャのこと、チシャと言っていたのがカキチシャのこと、他に玉にならず葉の皺が少ないのがサラダ菜だと…フウン

 はあ、ややこしいですが、要するに「チシャ」は種類ではなく、レタスなどを含む蔬菜の総称なんですね。

 別名掻きレタスという「サンチュ」もチシャの一種ということになりますが、これは韓国名ですので調べても広辞苑などに載っていなかったのも道理。でも、サンチュの方が普通のレタスよりも栄養豊富で、カロテンは約30倍、ビタミンCは約3倍、ビタミンEは約5倍、カルシウムは約3倍、カリウムや約2倍、食物繊維は約4倍と、大違いなんですって。もう、ビックリ!

 サンチュはス-パーでは一枚一枚の葉にして売っていますが、それが我が家にあると、必要な時に必要な枚数だけ掻いてきて食べられますのでとっても便利、それにいつも新鮮なものなので美味しいですよ。これはお買い得でした!でも無農薬ですので、写真見たら分かるように、ほら虫食いも…アハッ

 ちなみに、「チシャ」は春の季語で、「萵苣」と書きます。傍題には、レタス、サラダ菜も。この萵苣は中国から渡来してきたもので古くから日本にありますが、レタスの方は明治の初めに渡来したもののようです。

  春もはや山吹白く苣(ちさ)苦し         山口素堂

  萵苣掻いて寒村いまも川深し           橋本鶏二

  すみずみに水行き渡るレタスかな        櫂未知子

 山口素堂は江戸中期の、橋本鶏二は昭和の、櫂未知子さんは現役の俳人です。

  

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1年前の今日は?

2020年05月28日 | 俳句

 gooblogより〝○○さんの1年前の記事〟というのが毎日メールで届きます。ある日のこと、アレ、ない!どうしてと思って捜したことがあるんですが、それは昨年のその日に私がブログを書いていなかったということ。今頃になってそれに気がつきました。毎日欠かさずに書いておられる方にはそんなことはないでしょうが。

 私の初めの頃はとびとびで、ホントにたまにしか書いていませんでしたので、そんなことには無頓着でしたが、段々書かない日の方が少なくなると、毎日〝1年前の記事〟が来るものと思い込んでしまったんですね。

 今日は1年前の記事が届きました。それを見ると、あの川崎市で起こった悲惨な事件…朝のスクールバスを待っていた小学生ら19人が次々と包丁を持った男に襲われて、そのうち2人が亡くなったという話と、本日より山口県を含む九州北部地方と四国地方が梅雨入りしたということ。ヘエッ、もう〝梅雨入り〟?と思ったのですが、平年より8日、昨年より23日早いのだということで納得でした。

 それで、その最後のところに写真を載せているのですが、それがこれ↓

 写真は、〝蝸牛(かたつむり)〟、もちろん夏の季語です。出掛ける時玄関先のタイルにくっついていました。とても立派な殻で、4㎝はあろうかと…久し振りにこんなに大きくてきれいな蝸牛に出会いました。

 これは、先日(5月17日)「何事も〝しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ〟だよ!」で載せた〝蝸牛〟と同じだと思うんですけど…みなさんはどう思われますか?この一年間は見なかったのに、先日また玄関先にいたので気がついて写真を撮ったんです。大きさも去年のと同じぐらいでした。その写真をもう一度ここに↓

 カタツムリの寿命を調べてみましたが、詳しいことはわかっていないそうです。大型のマイマイ類では数年、小型の殻の薄い種類では1年程度かそれ以下だとか。雨が降った後、ブロック塀やコンクリート壁にカタツムリが沢山現れるのは、コンクリートに含まれるカルシウムを摂食する為なんですって。だから雨の後我が家のアプローチに来てたのかしら。どちらの写真も同じ場所で撮ったんです。

 蝸牛は童謡にもあるように、子どもたちに親しまれる生きもので、夏の季語になっています。が、その言い方には、「かたつむり」「かたつぶり」「ででむし」「でんでんむし」「まいまい」などがあるんですよ。

 それでは、次の句の「蝸牛」はどう読むのでしょう。みなさんと一緒に考えてみましょうか。

  水あかり蝸牛巌を落ちにけり         飯田蛇笏

  一生の重き罪負ふ蝸牛            富安風生

  蝸牛や降りしらみては降り冥(くら)       阿波野青畝

 風生の句は下五ですから恐らく「かたつむり」、青畝の句は上五に「や」がありますので「ででむし」でしょう。わざわざ字余りにすることはないですから。また、「まいまい」と読んでもいいのですが、普通にこの字をそう読める人は少ないので、もしそう読んでもらいたいなら平仮名で書いた方がいいでしょうし。

 問題なのは蛇笏の句です。中七ですからここは出来れば字余りにはしたくない。とすれば、〈蝸牛〉と〈巌〉のそれぞれをどう読むかにかかってきます。「ででむしいわを」か「まいまいいわを」、または「かぎゅういわおを」とも読めます。どう読んでもみな間違いではないので、そういう時私たちも一番困ります。作者がご存命なら聞くこともできますが、または作者の自句自解でも残っておればいいのですが…。

 きっと作者なりの思いがあって詠まれた句でしょうから、こう読んでほしいというメッセージが籠められているはず。「巌」を「いわお」と読めば大きな岩を想像します。そうすると「かぎゅう」と読むことになりますが、耳で聞いたときあれ?何のことかしらと、すぐにはピンとこないでしょう。ここは視覚的に映像がすぐに見えてきた方が大小の取り合わせとして効果的ですし、一瞬の臨場感も出てきます。となれば、「ででむし」が一番景としては見えてきますね。「まいまい」は青畝の句で書きましたようにこの漢字を使うことは滅多にありませんから。また、「いわお」と読ませなくても「巌」の字だけで大きな岩だということは十分に伝わりますものね。ちなみに、蛇笏のふるさとにある、山梨県立文学館にはこの句を書いた額装があって、それには「でゝ虫巌を」となっているそうですよ。

 こういう風に読み方一つとっても、作者はいろいろと考えて作ります。作品というのは、できあがってしまえば後はどのように読まれても仕方のないものなんですが、しかし、読む側もそこまで作者の意図を考えて鑑賞すべきではないかと私は思うんですけど、いかがでしょうか?

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3ヶ月ぶりの俳句教室だよ~ん!

2020年05月27日 | 俳句

 今日はもう朝から晴れていい天気。午後からのリハビリへ行くのに車に乗ると車内温度は33度。エアコンがごうごうと回って冷やしてくれました。帰るときは27度になっていましたが。

 昨日はというと朝から雨模様、午後の俳句教室へ出かける頃はしっかり降り出して傘が必要でした。でも、植物にはちょうどいいぐらいのお湿りだったかも…

 さて、今回は2月下旬以来の教室ですから、本当に3ヶ月振り。やっと再開したという安堵感と〝お久しぶり〟という懐かしさで和やかにスタートしたのはいいのですがね~。

 今回は今まで使用していた部屋ではなく、広い講堂なんです。コロナ以前では体操やダンスなどが使っていたステージのある広いスペース。そこにロの字型に長机を並べて、普通だったら20人は十分座れるところを、12人で使いました。

 13時30分からの開始。前後15分ほどは準備や片付け、消毒などに使います。私の講義…まあ、添削教室のようなものですが、それが60分間。黒板を使っての立ちっぱなし、話しっぱなしですから、やはり疲れました。でも、今まで何処の教室でも休憩を挟んでの、2時間以上というはザラだったんですからどうってことはないはず…、なのに…。なぜ?と考えると、それはマスクのせいなんです。つけてるだけで息苦しいし、掛けた眼鏡は息で曇るし、声も今まで以上に大きく出さないといけないし…ということでかなり余分なエネルギーを使うんですね。久し振りというのもあったでしょうが、知らず知らずに相当疲れていたのでしょう。夜はもうブログを書く元気もなく早々に寝てしまいました。

 今月の兼題は「愛鳥週間」でしたが、教室では前月の兼題「目刺」の方をやりました。

 「目刺」とは、主に真鰯か片口鰯の5匹前後をひとまとめにし、目や鰓(えら)のところを藁や竹串に通して干したもの。生干しと固干しがあって、最近ではやわらかい生干しが好まれているようです。

 昔から安価で、頭や骨もたべられる栄養価の高い庶民の食べ物として、また、腹に独特の苦味があって、それが却って酒の肴として美味しいと喜ばれました。しかし、今頃は鰯も捕れなくなり、それにつれて目刺も結構高くつくし、メインのおかずにはなれないということで、我が家でも余り食べなくなりました。

  目刺より抜く一本のつよき藁        大牧 広

 上掲の句が歳時記にありましたが、教室でも、〈目刺焼くプラスチックの棒を抜き〉という句が出ていました。そういえば、今は藁や竹串などの自然のものは使わずに、代用品のプラスチックですよね。考えてみれば、食料品の捨てられる部分には殆ど人口の製品が使われていますから。ストかまぼこ(宇部ではストまきとも)だって昔は本物の麦わらで作られていたのに…、柏餅や粽だって今は本物の葉はありませんものね。

 以前、奈良へ行った時、有名な「柿の葉寿司」でも食べようかと店に入ると、〝この柿の葉っぱも食べられるのよ〟と言いながら食べておられた老夫婦を見かけました。〝これ、本物の柿の葉じゃないわよね〟と連れと話ながら、〝教えてあげようか〟〝いや食べたら気がつくわよ。要らぬお節介はしない方が…〟と、そのまま私たちは食べました。が、店を出るときみると、先ほどのご夫婦の食べたお皿には何も残されていませんでした。エエッ、やっぱり言ってあげれば良かったと後悔です。きっと昔の柿の葉寿司は葉も食べられていたんでしょう。今でもそういうのを作っているところがあるかも知れませんが、私がたまにお土産で買って帰るのは本当に精巧に出来た偽物です。それでちょっと見には分かりません。ましてや信じている人は、疑わずに食べてしまいますよ…ちょっとコワイですね。ゴミにしても、昔は自然に還元できるものが殆どでしたが、今のゴミは…これも社会の大きな問題でしょう。今回のコロナ騒動で厚労省が公表した「新しい生活様式」をこれからも考えて暮らそうというのに、このゴミの問題も一つの課題としてみんなで考えるといいと思いませんか。これからの地球の大きな問題ですよ!

 こうやって考えてみると、時代の流れや暮し方の変化など、俳句によっても分かることがあります。俳句的な善し悪しというだけでなく、こういう見方での俳句や季語など、日本に残しておきたいと思うものがたくさんあるような気がします。

 ところで、前回のブログ〝桔梗の紋所〟で実家の紋が桔梗紋だったということを書きましたが、早速弟に電話して写真を送って貰いました。

 これを見ると「丸に桔梗」の紋でした。まだ父が健在だった時に父に聞いて作ったんだと。また、父と何度か長崎へ行き、そこでいろいろな話を聞いたことがあるので、それらを話してくれましたが、でも、紋については何も聞いていないと。確かなことは長崎県諫早市飯盛町の大地主であったということぐらいでした。

 あのNHKの「ファミリーヒストリー」の番組のように、私のルーツも調べて貰えるといいなあ…なんて。ああ、それより自分で調べてみる方が面白かな!

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桔梗の紋所

2020年05月25日 | 俳句

 昨日は日曜日でリハビリもお休みでしたので、今日は午後から。その後に耳鼻科への通院です。耳鼻科はこれで手が切れるかと思ったのですが、また来週と。更に今度は歯科へ行かなければならなくなりました。トホホ…、以前詰めていたところが取れてしまって。ああ、これも気の重いこと。次から次と不調が現れるというのもコロナのストレスからかしら?イヤになっちゃう!

 今日からは閉鎖中だった公共施設が全面的に使用許可となり、学校なども再開されました。しかし、宇部市の学校は今週いっぱい午前中授業で給食なし、部活動もなしです。来週の6月1日からは平常通りになるそうですが、学生たちの登校姿が朝からあちらこちらで見られて、やっぱりホッとしますね。

 これで少しは今までの日常が戻って来たようで嬉しいのですが、でも、まだまだ3密の規制があって、施設の貸し出しは1時間までと。これでは俳句教室も句会も満足には出来ません。が、3ヶ月も空白があったので、1時間でもいいからという皆さんの要望に応えて、明日は早速俳句教室があります。さて、久し振りのことで思うようにやれるでしょうか。ちょっと心配!

 主人も今朝から今まで休止されていたラジオ体操へ参加。私はまだ骨折が治っていませんのでしばらく見合わせることに。来月の三週間後のレントゲン結果を見て決めようと思っています。何事も〝急いては事を仕損ずる〟ですものね。 

 ところで、昨夜はNHK大河ドラマ〝麒麟がくる〟の第19回目を観ましたが、前々回の「長良川の対決」で、道三に味方した十兵衛たちの敗戦が確実となった時、叔父の光安が十兵衛の父から託されたという明智家の旗印を渡して、〝逃げて逃げて、生き延びよ。そして、明智家の主として再び城を持つ身になってもらいたい…〟と言っていました。その明智家の旗印が桔梗の紋でしたよね。

 また、お駒さんが幼少の頃火事の中から助けてくれた命の恩人、それが〝桔梗〟の紋所だったということで明智家の誰だろうと捜していました。それが前回の「越後へ」で十兵衛の父であったということが分かりました。結局お駒さんと十兵衛とはその見えない糸で繋がっていたのですが、この二人の絡みが今後どういうふうに発展するのだろうと、興味深いところなんですが…

 そんなドラマの先のことは今は関係ないんです。今日ここに書きたかったのは、あの桔梗紋が、実は私の実家の紋だったということ。幼い頃からお盆になると提灯を仏間に立てるので、それに桔梗の紋が入っていました。でもなぜこれが我が家の紋なのかを、父にも母にも聞いたことがなかったのです。昔はこういうことには全く関心がなかったのでしょう。いろいろと聞いておくんだったなあ。ザンネン!

 考えてみれば、母のことはいろいろ母が話してくれていましたから知っていますが、父のことは、在所が長崎のどこかの村で庄屋をしていた農家だったということぐらい。本当に何も知らないんです。というより、父の子供の頃の話など聞いたこともなかったんです。今にして思えばつくづく残念に思います。これもホントに後の祭りですね。

 そもそも、桔梗紋は、美濃の土岐氏の代表紋で、それでその根拠地の美濃国に広まったと。いわば、美濃国は桔梗紋の天下であるといえるんだとか。それで桔梗紋を使う家の多くは土岐一族であるといわれています。だから明智家もそうだったんです。

 また、昔は桔梗の花を一輪、神や仏に捧げて吉凶を占ったので、桔梗は運命を案じする花ともいわれていて、明智光秀、大田道潅、加藤清正など、歴史上運命的な生涯を送った人物が「桔梗紋」を使っていたというのも暗示的だとか。

 ということで、実家の桔梗紋は、この武士の家紋とは全く違うものでしょう。江戸時代、名字帯刀は武士の特権として庶民に許されたのはごく限られた人だけだったのに対して、家紋の規制は非常に寛容だったようです。そのため庶民にも家紋が流行り、職人の印や商家の屋号などとして、また裕福な農家でも使用されるようになったのだと。明治維新とともに王政復古がなされると、封建制が解かれ、全ての庶民が名字を定めて名乗ることとなり、「家」に対する一体感がより一層強くなりました。初めて本格的な戸籍が編製されたのが明治5年のこと。まだ家紋を決めていなかった人も、名字とセットのように家紋を決め、礼装や墓石などに印すようになり、この頃にはほとんどの国民が自家の家紋を持つようになったのだそうです。

 それでということなら、なぜいろいろある紋の中からこの桔梗紋を選んだのでしょう…考えれば分からない事だらけです。私が結婚するときに作って貰った紋付きにはこの桔梗紋が入っていましたが、今は違います。以前作った着物には婚家の紋を入れて貰いましたもの。

 でも、娘は紋付きは要らないといいましたので、紋のことを知らないかも知れません。お墓にしても最近は家紋など付けないものも増えていますし、また、墓そのものも変わってきて樹木葬とかになったりしていますから。こうやって代々受け継がれてきた家紋も途絶えていくのかも知れませんね。最近のテレビで自分のルーツや名字のいわれなどを捜し出していく番組があって、私も時々観ることがありましたが、まだ家紋を調べるというのはないようです。

 これが明智光秀の家紋の〝桔梗紋〟です。この桔梗紋にもさまざまなものがありますので、さて実家のは?今度弟に聞いてみましょう。家紋を作って家に飾ってあるようでしたから…

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〝麦こがし〟って何?

2020年05月23日 | 俳句

 今日もいいお天気でした。3、4日ほど雨が降っていませんので、毎日が気持ちのいい季候といっていいのかしら、暑くもなく寒くもなくて…。これがいつまで続くのでしょう。

 このところ午後からはリハビリに行きますが、さて午前中は何をしたんでしょう。全く記憶にございません…ですね。日々同じことの繰り返しで何ということもなく過ぎていく、こんなのが日常なんですよね。だからblogにも何も書くことがありません。もし私、俳句をしてなかったら毎日こういう感じだったんでしょう。

 考えてみれば、俳句のお陰で随分いろいろな人やものと出会いました。いうならば、今はそれが大きな財産になっているような気がします。

 実は先日の通信句会で〝麦こがし〟という季語が出たのですが、娘はどんなものか知らないし、食べたこともないから採りようがないと、言っていました。

 その通りでしょう。私が子供の頃に食べていたもので、娘が子供の頃は売ってもいなかったし、だから食べさせることもなかったんです。捜せばあったのかも知れませんが、そんな暇もなくて…。

 この前の〝茅花(つばな)〟や〝酸模(すかんぽ)〟も知らないと言いますので、吟行へ行ったときに一緒に食べながら教えました。俳句をされる方々とは、木苺や草苺、冬苺など…通草も、何でも見つけたらみんなで味わって一句詠んでいますもの。秋の山へ行ったときは、どれが椎の実かと捜して食べてみたり…。本当に楽しいものです。

 自然はこんなにも豊かで、その恵みを惜しみなく私たちに与えてくれています。食べるもよし、見るもよし、聞いてもよしと、そういう自然の恵みの中で私たちは生きていることの素晴らしさ、愉しさを享受しているのです。有り難いことです。

 ところで、〝麦こがし〟のことですが、私も俳句を始めてから知りました。何だろうと思って調べてみると…なあんだ、はったいこのことなの!と。子供の頃によく食べていました。噎せて口からプハッと吹きだし汚してしまってはよく叱られたもので…。でもあの香ばしさと甘さ…アッ、これは砂糖が入っているからなんですが、あの頃はたまにしか食べさせてもらえなかったのですから、忘れられないのです。

 〝麦こがし〟は、大麦を炒ってこがし臼で碾いて粉にしたもので、夏の季語なんです。関西では「はったい」と呼んでいたらしいので、それに粉をつけて私たちは言っていたのでしょう。

 「はったいこ」の語源となったのは「叩く(はたく)」という語。これが穀物を搗き砕いて粉にすることを表す語ですので、それに「粉(こ)」をつけて「はたきの粉」ということからだとか。それを関東以北では 「麦こがし」や「炒り粉」「香煎」とか呼んでいたそうです。

 あの石田波郷のお母さんも石臼を引いて、はったい粉を作っておられたのでしょうね。それを思い出して詠んだ句…

  亡き母の石臼の音麦こがし          石田波郷

 しかし、たとえこの〝麦こがし〟の意味が分かったとしても、娘にはこういう想い出がないのですからある意味可哀想ですよね。他にも同じようなことがたくさんありますし、そう考えれば、昔の物の乏しかった時代の方が却って今の飽食の時代よりも心は豊かだったような気がしてくるのですが…ああ、これも年寄りの戯言でしょうか。でも、〝麦こがし〟食べたあ~い!

 写真は、〝箱根空木〟。スイカズラ科タニウツギ属の落葉低木。箱根に多く産したとの誤認による名ですが、箱根には自生していないと。各地の海沿いに分布して、広く栽培もされます。花ははじめ白く、のち次第に紅色に変化するため、枝に紅白の花が混じるので、私は卯の花よりこの花の方が好きです。ちなみに〝卯の花〟は〝空木の花〟のことで、夏の季語ですが、これはユキノシタ科なんですよ。

 

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〝茅花流し〟ってなに?

2020年05月20日 | 俳句

 今日の肌寒さは何でしょう。突然気温が下がって…そんなに天気が悪いわけではないのに、朝からゾクッとしてもう一枚羽織らないといけないほどでした。それでも昼間は20度はあったんですからね。25、26度から急に下がったのでそう感じたのでしょうか。テレビでは3月下旬頃の気温だとか…

 他にすることがないので、このところ真面目に毎日リハビリへ通っています。今日も午後から行きました。先日行った耳鼻科は、何時行っても待合室がいっぱいで1時間以上待たされるのは覚悟の上でしたのに、あの日は何とガラガラ。整形外科も同様で、以前はこんなに少ないことはなかったんですよ。これでは病院の経営が成り立たなくなるのも無理はありません。もしこれが長引くようならどうなることでしょう。他人事ではありません。行きつけの病院がなくなることも、また、大きな病院だって閉鎖されるかもしれませんもの。

 コロナが外出自粛の成果があがって何となく落ち着いてきたようですが、もし今度第二波が来るとすれば、また同じ状態が起こるでしょう。病院だけに限らず何度もダメージを受ければ、資金が底をついてしまうところもたくさん出てくるかも知れませんからね。

 ところで、今まで気がつかなかったのですが、病院へ行く途中に茅花の穂が風に靡いてとても美しいところがあったんです。それで先日から写真を撮ろう撮ろうと思いながら、なかなかできずにいたのを、今日はやっと写してきました。

 「茅花(つばな)」というのは春の季語で、イネ科の多年草、茅萱(ちがや)の花穂のことです。3、4月頃、野原や路傍に銀白色の柔らかい穂が揺れているのをよく見かけます。その若い穂を抜いて噛むと甘いんですよ。主人といるとすぐにその話になりますが、みなさんも子供の頃一度ぐらいは噛んでみたことがありませんか。

 昔はおやつといっても何もありませんでしたから、子どもたちは野に出ると、茅花やすかんぽなど、食べられるものなら何でも口にしていましたよね。

 次の虚子の句もその子供の頃の想い出でしょう。〝もうすぐ夕飯だから…〟と呼んでいる母の姿、夕日に照らされてキラキラと光っている茅花の穂、この子はもしかしたらお母さんにもあげようかと思って摘んでいるのかも。かつての田舎ならどこででもみられた日本の原風景ですか。

  母いでて我よぶ見ゆる茅花つむ   高浜虚子

 その花穂がやがてほうけて白い絮となり、それが一斉に風に吹かれて靡く光景はとても美しいです。その頃に吹く南風のことを「茅花流し」といって、これは初夏の季語になっています。そもそも「流し」というのは、梅雨の頃に吹く湿った南風のことですので、この「茅花流し」も梅雨の先触れともいわれています。これと同じようなのに筍の生える頃に吹き始める南風の「筍流し」というのもあります。

  茅花流し水満々と吉野川      松崎鉄之介

  遅れゆくひとりに茅花ながしかな  片山由美子

 前句の〈吉野川〉は、〝四国二郎〟と呼ばれる日本三大河の一つの吉野川でしょうか。それとも奈良県の〝紀ノ川〟かも。どちらにしろその川の水が〈満々と〉ですから、景が大きいですね。その川辺一帯の茅花の穂が風に吹かれて靡くさまはさぞや美しいことでしょう。

 後句は、〈遅れゆくひとり〉が絶妙です。何の会なのでしょうか、もしかしたら句会か何か、遅れてゆくという申し訳なさ、それもひとりだけ…なんとも気が重いこと。その気持ちに「茅花流し」のちょっと湿り気のある風が余計に気重にさせるというわけ。

 両句ともにそれぞれの景色がしっかりと見えてくるとても良い句ですね。私もこういう句を詠まなくっちゃ。さあガンバロウ!

 

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ミニトマトの実がもうこんなに…

2020年05月19日 | 俳句

 昨日はまた朝から一日中雨でした。ところが、今日はもう晴れて洗濯日和になっています。何だか日替わりメニューのよう。もちろん午前中は洗濯しましたが、取り入れる頃にはまた何となくあやしい風が…

 さて、山口県の緊急事態宣言が先日解除され、宇部市内では新たな感染者が発生していないということで、市内の多くの公共施設が昨日から再開されました。ソーシャルディスタンスの確保や消毒などの感染予防には徹底した対策がとられるというのは当然のことながら、それでも徐々に人の姿が町に戻ってくることは間違いないでしょう。それで一旦は一息付くのでしょうが、でも以前のような日常に戻るのはまだまだ時間が掛かりそうです。〝油断〟は禁物ですものね。

 昨日はあの土砂降りの中を、私は病院のはしごをしてきたんですよ。

 整形のリハビリが午後からでしたので、それが終ってから、帰りに耳鼻科へ。一昨夜急に耳の様子が変になって、これは間違いなく中耳炎の兆候だから早いほうがいい…ということで、久し振りに耳鼻科へ行きました。行ってびっくりです!ここの看護師さんたちはコロナへの完全な防護体勢の姿だったんです。マスクは当然のこと、ゴム手袋にビニール合羽(?)かな…。テレビなどでは見たことがありましたが、整形外科ではせいぜいマスクとソーシャルディスタンス、それも適当という感じでしたし、内科へも行きましたが、ここもそれほど違和感はなく…。

 耳鼻科というのは咽喉科もありますし、コロナの感染は先ず熱と咳や臭いなどの症状に出るというので、感染者の来る可能性が高くなるからなのでしょうか?それに他の科に比べるとどうしても密接しなければ診察できないんですものね。それなら、眼科や歯科もそうでしょうか。それとも先生の性格?一応私も耳だけではなく鼻から喉まで診られましたが、そりゃあ用心に超したことはないのですものね。結果は、耳の薬を処方されて、一週間後にまた診察ということになりました。とにかくその時の耳の洗浄の痛いこと、痛いこと…ヒ~ッともろに顔をしかめて…これは経験者じゃないと絶対に分からないですよ。

 私は治療で何が一番イヤかというと、歯と耳…ああ、鼻は悪くないので分からないですけど、きっとイヤじゃないかしら…。まあ、顔の中で診られていいようなものは何一つありません。そりゃあどこも悪くないのが一番、でも年取ればそういうわけにはいきませんしね。

 それで一番自慢できるものが診察券の数だなんて、何とも情けないこと!が、これも〝生きた証〟なんですよ。だから、人に感心されてよく言われるのが〝先生は病気のことホントによく知ってますね!〟ということ。そうなんです。いうならばこれは全部自分の体で学んできたことですから、年季も入っているし、実感も籠もっていますので、生半可じゃありませんよ。アッハッハハ

 ところで、見て下さ~い!もうミニトマトがこんな実になってるんですよ。小さな小さな…カワイイでしょ。何にしても小さいものは可愛い!大事に育ててあげないと…。

 写真は、最初のが5月13日。まだ下の方に花が付いているでしょう。それが、今日19日の写真には実になって、一週間でこのくらいの成長なんです。いつ頃になったら熟れ始めるのでしょう。楽しみ!

 これはまだ熟れていないから、〝青いトマト〟ですね。今日はこの「青」という字について考えてみましょうか。

 「青」の漢字は、色だけでなく未熟という意味も持っているんです。だから俳句では、例えば「青柿」とか「青葡萄(ぶどう)」「青胡桃(くるみ)」「青鬼灯(ほおずき)」などのように、まだ熟す前の青くて固かったり渋かったりして食べられないような時期のものに使っているのです。

 しかし、概ね「青」の字の付いた季語は、草木が青々と茂るのは夏ですから、夏の季語になっています。「青嶺」「青岬」「青柳」「青楓」「青苔」「青東風」「青時雨」と…もう挙げればきりがありません。これらの「青」はみな未熟という意味はなく成長した色そのもので使ってありますが、もちろん例外もあります。

 話は変わりますが、そもそも古代中国では四季の色が陰陽五行説から、春は青、夏は朱(あか)、秋は白、冬は玄(くろ)というように定められていました。成り立ちなど詳しいことは分かりませんが、その説が日本にも入ってきて、それで俳句も四季それぞれを、「青春」「朱夏(しゅか)」「白秋」「玄冬(げんとう)」というように、季語としても使っているのです。あれ、そうすると「青」は春??? ヘンですね。…まあそれは今は置いといて…

 また、私も観に行きましたが、あのキトラ古墳や高松塚古墳の壁画に描かれていた四神、北壁には玄武、西壁に白虎、東壁に青龍、南壁に朱雀というように、東西南北に青・白・朱・玄の色が使われて、この四季の色とは対応しているのですね。ちなみに、古代中国においてはこれに黄が入った五色が、全ての色の基本となる最も重要な色の正色(せいしょく)とみなされて、そのうち皇帝の象徴である特権的な黄色が除外され、あとの四色に四季と方角が当てはめられたんですって。エッ、これもちょっと関係なかったかしら。

 はあ~何だか話が違う方向へいってしまいましたが、とにかく「青」という字には〝若い〟とか〝未熟〟という意味があるんですよ。だから私のようにいくつになっても〝青臭い〟ことを言う〝青二才〟もいるわけですし、まだまだ〝尻が青い〟のもいて…アッ、失礼!鳥の世界では「黄」ですかね。だって〝嘴(くちばし)が黄色い〟というでしょう? アハッ

 あら、ワタクシ、今日はなんの話をするつもりだったんでしょう。最後は支離滅裂になってしまいました。ゴメンナサ~イ!

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何事も〝しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ〟だよ!

2020年05月17日 | 俳句

 今日は久し振りに良いお天気…だといっても私はちょっと溜まった俳句の添削で、一日が過ぎてしまいました。このところコロナでぐうたらを決め込んでいるので、根を詰めてはなかなかできず、ちょっとやっては休みという具合でなかなか捗らないのです。

 この2、3日外出が続いているので思ったのですが、私はコロナ騒ぎのせいで殆ど化粧らしきものをしていません。化粧をするとマスクが汚れますし、また、外出してもマスクははづす時がないのですから、せいぜい見える部分の目の辺りと眉墨ぐらい…

 服だって出かけないときは殆ど部屋着で過ごしますので、そこら辺のでいいし、靴だってサンダルがあれば間に合うし…と、こう考えていくと、今の私の消費生活といえば、殆どが食費ですものね。

 この3ヶ月ばかりは外食もせず、飲みにも行かず、レジャーランドへも旅行へも行かないし…とにかく一部の人を除いてはみんなが家で自粛しているのですから、これじゃあ世の中にお金が出回ることなどあるはずがありませんよ。だから経済が急激に冷え込んで、倒産や閉業、閉店、また、倒産しないまでも企業の縮小など、全国に目白押し…それに伴って当然失業者の増大も…思えばなに一つ明るい話題はありません 。先日の大手企業のレナウンが倒産したのにもびっくりしましたが、こちらでは大手ホテルの閉鎖が続いていますし、何とか持ちこたえているところでもこれから先はどうなるか分かりません。だからでしょう、今後の生き残りをかけてみんなが必死に知恵を出し合っているんです。

 私はしがない年金暮しですので贅沢は出来ませんが、今のところまあまあ食べることには困りません。でもこの先は分かりませんよね。何が起こるか…。だって今回のパンデミックは日本だけではなく、世界中の問題なんですから。そのうち世界恐慌でも起これば…しかし、私はそれがどんなものかを全く知りませんので、余計に怖いんです。

 こんな時だからでしょうか、ふっと高校時代の校訓を思い出してしまいました。確か〝しまれがんばれねばれおしきれ〟だったと。 

  ● しまれ - 事に臨んで本気を出すこと

  ● がんばれ - 常にプラス志向で元気を出すこと

  ● ねばれ - 試練に耐える根気をもつこと

  ● おしきれ - 一歩踏み出す勇気をもつこと

 その頃はただ指導の厳しさだけが印象に残って、当時の先生方の熱い思いが十分に分からぬままに卒業してしまったような気がします。でもこの○○魂をもってすればどんなことでも乗り越えられないものはないと、その時叩き込まれた魂が今でも私の心のどこかに消えずに残っていたのでしょう。

 それでは昔に戻って…さあ、これからも四つの「れ」でガンバリまっしょ!みなさんもどうぞご一緒に。

 写真は、雨が止んでも頑張っている〝カタツムリさん〟です。 最初は何かを引きずりながら這っていましたが、それを振り払って頑張って前進しています。ほら〝つの出せ やり出せ あたま出せ〟と…。応援してあげて下さいね。その写真を撮るのにしゃがんだら、向こうの木にしがみついている空蝉を発見。これまさか今年のじゃあないですよね。まだ鳴き声は聞きませんもの。去年のものなら、ここにもガンバッテルのがいますよ!

 

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〝お弁当プロジェクト〟だって!

2020年05月16日 | 俳句

 今日も朝から雨…というより昨日は大雨で、宇部では夕方4時過ぎに〝豪雨注意報〟が出され、今朝も出ていたんですが、午後からは小降りになっていました。

 西日本ではこの週末はみんな傘マークで、昨日の朝のニュースで台風1号が発生したとも言ってましたから、これもその台風1号の影響なのでしょうか。ちょっと早いですよね。コロナの次は台風?それとも集中豪雨?

 さて、さて、5月ももう半分終ってしまいましたが、コロナ騒ぎに加えて今年もまた異常気象で、これからどうなるでしょうか。私は昨日も今日もこの雨の中をリハビリに行ってきました。これからはこういう日が多くなるのかも知れませんね。

 広島地方気象台の発表をみると、中国地方の向こう3ヶ月の天気の見通しは、気温は平年並みかそれより高い。また、7月は、前線や湿った空気の影響を受けやすく、降水量は平年並か多い見込みだと。

 梅雨の時期などの豪雨で、河川が氾濫したりすることを、俳句では「出水」といって、夏の季語になっています。しかし、台風などによる大雨で、河川が氾濫するのは、「秋出水」という季語なんですよ。そもそも「台風」が秋の季語なんですからもっともなことですが。

 庭先に現(あ)れし出水の助け舟      安原 葉

 鏡板(かがみいた)に秋の出水のあとありぬ 高浜虚子

 しかし、このところの台風は今回のように5月からやって来て、夏の間はもちろんのこと、昨年は10月中に3回も大きな台風が襲っていますものね。

 私はいつも〝季語は旬よ〟と言っているのですが、もう最近の台風はいつが旬なのか、さっぱり分かりません。こんな時の季語の扱いが一番困ります。現実には夏の台風も秋の台風もあるのですからね。「出水」の季語のように、「台風」と「夏台風」というように詠むべきでしょうか。

 しかし、気象庁のデータを見ると、日本に上陸した台風では8、9月が一番多いようですから、だとすると〝旬〟はやっぱり秋でいいということになりますかね。

 ところで、この二日間は弁当でお昼が助かっています。実は昨日、主人が母の所へ行った帰り、ちょうど昼前でしたので、人が並んでいるのを見て弁当を買ってきたと。4種類あって300食の限定販売。それで、ハンバーグ弁当と天ぷら弁当を。ご飯もおかずもたっぷり入っていて、これがまあ、ナント300円也。スゴいでしょ!毎日食べると飽きるでしょうが、種類を入れ替えれば、4回は食べられそう。

 ではどうしてこんなに安いのかというと、ここは介護施設だからなんです。そこの食堂がコロナのための外出自粛に対応しての住民へのサービスらしい。この施設に通っていた一人暮しの方々にはホント助かるでしょうね。私たちはそのおこぼれで、ヤッターです。

 私はというと、昨日リハビリから帰る途中、やっぱりお弁当を買って帰ろうと思ったんです。そうしたら〝本日完売〟と。残念だったのですが、主人とダブらずに結果オーライでした。それで今日もリハビリへ行ったついでにもう一度トライして、今度は時間が少し早かったので、無事ゲットして帰りました。

 なぜ何度も行ったのかといいますと、宇部市では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴って経営状況の厳しい飲食業を応援するため、飲食業関係者、行政及び様々な事業者が自由に参画して協議し、総合的に支援することを目的に「うべ飲食店・応援プラットフォーム」を設置し、市民に様々な店舗のテイクアウト弁当が購入できるよう、「お弁当プロジェクト」を西部体育館で開催していたからなんです。これを応援がてらに一度は買おうと思っていたのですが、わざわざそのためだけに出かけるのは気が引けますので、ついでの時に…というわけなんです。

 まあ、場所が体育館で、それを全部使ってのことですから、何と言ったらいいのか…もうだだっ広くてヘ~ンな感じ!入口に見本があり、その中から選んで番号の所へ行くと、もう全部ビニール袋に入れて並べてあります。それを自分で取り、お金は手渡しでなく箱の中へ…要するに触れ合うことがないようにしてあるんですね。売切れが多くて、私はクリームコロッケ弁当1,000円と日替わり弁当600円を買って帰りました。うう~ん、ちょっと…いやかなり高い!お味はよかったのですが、やっぱり昨日の弁当の後ですもんね~。まあ、一回は応援の寄付だと思って、それもいいかなあと。ごちそうさまでした!

 アッ、写真撮るのをすっかり忘れていました。どうも私は食い気優先で…ゴメンナサ~イ!

お弁当プロジェクトのチラシ
(PDF:277KB)

 

 

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〝五戒〟とは!

2020年05月14日 | 俳句

 今日はちょっと暑いぐらいでした。午前中は整形へ3週間ぶりのレントゲンを撮りに行く日でしたので、出かけようと車に乗ると、もうハンドルが熱くなっていましたもの。

 本当なら3週間前、骨折のギブスが取れて、翌日から電気治療に入る予定でした。ところが、とんでもない事になって(実際は食あたりだったのですが…)コロナも考えられるからと、先生が当分来なくていいということに。それで何もしないまま過ごしましたので、今日の診断は?と、恐る恐るだったんですよ。でも、私が見た限りでも前回よりは確実に骨折の隙間が狭くなっていて骨がつきつつあるようでした。ウレシイ!

 最初は全治3ヶ月の診断でしたが、まだ2、3ヶ月はかかりそうだと。うわあ~やっぱり若くないから時間がかかるのね。あの八重山病院での1ヶ月という診断、あれ何だったの? やっぱり専門でないとダメなんだということが良く分かりました。

 というわけで、今日の診察後は、リハビリ室で右足に骨折治療器で20分、左膝に低周波と温熱治療で20分の治療を受けて帰りました。明日から出来れば毎日来るようにと。私も早く治りたいのでガンバロウ!だって、緊急事態宣言も今日から解除されたし、月末からは俳句教室も始まるし、6月からは全てが以前のようになるみたいですからね。

 それはそうと、昨日フォーユーの事務所から、定期文化講座がやっと6月から全面的に開講されるという連絡がありました。ところが、今までのようにはいかないらしいんです。要するに3密を避けるために、今まで使用してきた教室が人数によって使えないのだと。だから俳句入門教室は、だだっ広い部屋で、離ればなれに座って句会をすることに…。そうするとお互いの声も聞き取りにくいし、何とも寒々とした句会になるような気がして、考えただけでイヤになりそう!また、これから暑い夏になるというのに、いや、その前に蒸し暑い梅雨がやって来るというのに、エアコンをかけても密閉することが出来ないんですって。時々換気する程度ならいいのですが、窓を空けたままにして風を通さないといけないらしい。これからこういう状態が延々と続いて、そのうちそれが当たり前になっていくのでしょうか。〝昔はよかったわ〟なんて話にはなりたくないですよ。まあ、見直すところは見直して生活しないといけないでしょうが、人と交わるとき、お互いをまるでばい菌の持ち主のように扱わないといけないという関わり方はイヤですね。やっぱり間近で触れあったり手を握りあったりして、親交を深めたいと思いませんか。昔は肩を組み合って、校歌を歌ったり、胴上げをして喜び合ったり…みんな、みんな〝触れ合い〟の中で固い絆を結んだものでしょう。こんなことを考えていたら、なんだか悲しくなってしまいました。これでは〝一難去ってまた一難〟ということでしょうか。

 そういえば、我が家の壁に掛けているものがあります。もう随分前久住に登ったとき、泊まった宿で見つけて買って帰ったものですが、きっとどこか自分にあてはまるところがあったのでしょうね。今読み返してみてもやはり思い当ることがありますもの。ちなみに、「五戒」というのは本来は仏語で、在家の守るべき五種の禁戒のこと。〝不殺生(ふせっしょう)〟〝不偸盗(ふちゅうとう)〟〝不邪淫(ふじゃいん)〟〝不妄語(ふもうご)〟〝不飲酒(ふおんじゅ)〟の五つで、分かり易く言うと、生きものを殺さない・人のものを盗まない・みだらなことをしない・嘘をつかない・酒を飲まないということです。ふ~うん、これみなさんは守れますか?私はもうダメ…だってお酒飲んでるもん。あっ、小さいゴキブリがいたからそれも殺しちゃった!後は大丈夫…かな?

 だからこれは仏教での五戒ではなく、人生訓ぐらいの気持ちでどなたかが考えたものでしょう。もしかしたら泊まったお宿のご主人かしら?だって落款に「御宿泉水」とありますものね。

      五戒

辛いことが多いのは 感謝を知らないから

苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるから

悲しいことが多いのは 自分のことしか分からないから

心配ごとが多いのは 今を懸命に生きてないから

行きづまりが多いのは 自分が裸になれないから

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もう〝馬追〟が?

2020年05月13日 | 俳句

 夜になると何だかすうっと冷えてきて、この2、3日一枚羽織らずにはいられなくなります。今日の最低気温は13度。まだ炬燵がほしくなるのは、昼間が20度を超していたので、その温度差からなのでしょうか。

 昨日今日と、久し振りに俳句にかかりきっていましたが、なかなか頭が回りません。それでは少し外へでもと思って出てみると、エエッ、もうこんな〝虫〟が…とびっくりしました。これはバッタでしょうか?いや、いや、違うような…どうも〝馬追〟のような感じでしたが、普通は秋にいるものですよね。どうなっているんでしょうか。これも地球温暖化のせいかしら。

 そういえば、今アフリカの東部では、おびただしい数のバッタが農地の作物を食い尽くし、ここ数十年で最悪の被害が広がっているといいます。なぜここまでバッタが大量発生し、そして人間の食糧を食い尽くしているのでしょうか。そのメカニズムを説き明かすと、さらなる地球温暖化によって被害が加速度的に広がる未来が見えてくるとも言われています。そして、その大群が海を越えて中東、さらに中国やインドに迫っているのだとか。国連の食糧農業機関はその大発生の規模を「70年に一度」のものとも表現しているのだそうですよ。

 未だに世界中に猛威を奮っている新型コロナ、その未知のウイルスによって脅かされているアジア諸国に、もう一つの危機が迫っていると言っていいのかもしれません。旧約聖書には、神の怒りに触れた古代エジプトで、病気の蔓延やバッタの大発生といった災禍が相次いだという記述があり(出エジプト記)、これを踏まえて、欧米メディアのなかには「世界の終わり」だといったセンセーショナルな見出しを煽るものさえあったということです。

 何だかドラマの中のお話のようですが、まだ記憶に新しいオーストラリアの山火事といい、今回のコロナ騒ぎといい、また各地に頻繁に起こる地震や水害など…そういう天災を改めて考えてみますと、私たち人間がこのまま方向を変えずに益々地球温暖化と自然破壊を繰り返していけば、そういう災害が反比例して増えていくような気がしてなりません。これは単なる私の危惧でしょうか。まさに「世界の終わり」ならぬ「地球の滅亡」への道を徐々に辿りつつあるのでは???なんて、笑い話ですめばこんないいことはありませんけどね。

 変な話になってしまいました。ちなみに、アフリカ東部に被害をもたらしているバッタの種類は、サバクトビバッタといって、基本的には日本にはいない種類のようです。だからといって、今後絶対に安心だとは言えないかも。何が起こってももうおかしくないような、そんな時代になりつつありますものね。

 さて、コロナもそろそろここら辺りで、〝一件落着〟と…、遠山の金さんでも出てこないかしら。アハッ!

 ところで、本来俳句では、〝虫〟というのは、秋に鳴くキリギリス科とコオロぎ科の虫を総称していいます。当然馬追もその一つで、しみじみと秋の到来を感じさせるものとして、秋の季語になっているのです。

  ふるさとや馬追鳴ける風の中          水原秋櫻子

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久しぶりの会議へ

2020年05月11日 | 俳句

 今日は朝からすっきりと晴れ上がったので洗濯などしてと…ついうっかり時間を忘れていました。気がつくと10時前です。こりゃあ大変!と、大急ぎで出かけましたが、ちょっと遅刻。ゴメンナサイ!外出自粛で自宅にいるのが当たり前になっていて、時間的な感覚が麻痺してしまったようです。前日までは忘れないようにと気をつけていたんですけどね。

 今日は、2020年度の宇部市芸術祭・俳句部門の運営委員会が、10時からだったんです。いつもの事ながらですが、最近は特に箍が緩んでしまったみたい。やっぱり私には適度の刺激がないと、本当に惚けてしまいそう!

 会議は、もちろんこういう時期ですから3密を避けて…いつもは窓のない部屋でしたが、今回は窓があってそれを開放し、長机には一人ずつ。各自がマスクして、入口には手洗いの消毒液が用意されていました。渡辺翁記念館も文化会館もまだ24日まで閉鎖されていますので、人の出入りは全くないのですけどね。そういえば、来る途中制服を着た学生たちにたくさん会いました。学校もまだ休校中なのですが、臨時の分散登校日を設けているからだとか…。でも、生徒たちが元気よく登校する姿を見て、エエッとびっくりするのも異様ですよね。当たり前の風景なのに。当たり前が当たり前でなくなる世の中って…ある意味、怖いです。

 さて、会議の一番の問題はなんだったかというと、やっぱり新型コロナウイルス感染の状況次第での今年の〝俳句の集い〟をどうするかということ。一応実施日は11月29日(日)の午後からの予定になっていますが。

 結局は、例年通りに実施するという方向で募集等を進め、〝俳句の集い〟に関しては近づいた時の状況で中止か実施かを判断しようということになりました。しかし、このところ応募者が年々減少傾向にあるため、何とかしたいというのは委員のみんなの気持ちなのですが、このコロナ騒ぎでは何もかもが後退していくのは自明の理のような気がします。良くも悪くもあらゆるものが一つの転換期を迎えるのではないかということ。このままコロナによる〝新しい生活様式〟の暮らしがずうっと続くとすれば、こういう大会や〝集い〟などというもののあり方も考え直さなければなりませんものね。

 午前中で会議が終ったので、久しぶりに記念館前の公園を少し歩くと、もう新緑が眩しくって…まさに五月の〝みどり〟を実感しました。やっぱり外へ出かけないと、感性というものは磨かれませんね。    

  新緑の香に新緑の風を待つ        稲畑汀子

 その新緑に映えて、まだ咲き残っていた躑躅の色がとっても鮮やか。これもまた、初夏の陽光で眩しくって目が開けておられないほどでした。

  (まなじり)につつじの色のかたまれる       上野泰

 

 

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〝母の日〟のプレゼント

2020年05月10日 | 俳句

 今日は朝から一日中どんよりとして暗~い…気分まで暗くなりそうな〝母の日〟でした。(何となく悪い予感が…) 今日どうするかも決めないまま、午前中はそれぞれにすることがありましたので、それにかかりっきり。

 昼食後、〝どうするの?おばあちゃん何か待ってるかもしれんよ〟と、主人に言うけれど…

 〝ほら、食べに行かんのなら、この前の宅配頼んだら?あのチラシどうしたの?〟〝ゴミ箱に捨てたぞ〟〝エエッ、捨てんでもいいのに~〟といったら、ゴミ箱に探しに行きあったって。アハハッ…

 これはコロナのための外出自粛というこのご時勢で考え出されたものではと思うのですが、タクシー配達サービス〝Hakobuuu〟です。タクシー会社と飲食店(10店舗)が提携して、その店の料理を自宅で食べられるというサービス。料金は、食事代だけで配送料金は0円。ただし15時以降の配達で、2品以上かつ3,000円以上の注文に限るです。もちろん上記以外も配達してくれますが、その場合は配送料500円。配送範囲は店から半径5㎞圏内、注文してから調理するので30分~1時間半かかるんですって。料理の種類は和食、寿司、中華、イタリアン、お好み焼き、焼き肉などありましたが、チラシを見た限りでは、行って食べるよりちょっと高めになっていましたね。まあ、それは当然でしょうけれど。

 とにかく今日はこれで済まそうと、主人がおばあちゃんに電話。〝食べに行かれんから、家に配達して貰うんで、何が食べたい?〟〝ウナギと寿司がいい〟とおばあちゃん。そこで早速電話すると、〝今日はもう注文がいっぱいなので配送できません〟だって。エエッ、考えることはみんな同じなんやね~。こんなの頼む人がいるのかしらなんて言ってたけど…、二人ともびっくり! さて、どうしたものかと思案して、配送がダメならテークアウトにしてもらって取りに行ったらと、また電話。すると、それもいっぱいで手が回らないからとどこでも断られました。結局今日は諦めるしかないということで、おばあちゃんに母の日のご馳走は延期してもらうことに。期待させてごめんねと言うと、〝まあ、この前ウッドデッキで焼きリンゴなどをご馳走してもらったからいいよ〟と、反対に慰められました。

 これで、〝母の日〟も一件落着か…と思いきや、とんだ災難が、それも水難が、私にはプレゼントとして用意されていたんですよ。我ながら何、これ!と、叫んでしまいました。一つは、〝母の日〟なんだから私の大好きな小豆を煮てぜんざいでも食べましょうかと、圧力鍋で煮たんです。が、それが大爆発!火は中火にして気をつけていたんですが、ちょっと目を離したすきに噴き上げて、そこら中が小豆の汁だらけ…もう、イヤになりました。まるで台所の大掃除!そうして一段落した後、今度はコーヒーを飲もうと淹れたら、それをひっくり返してしまい、座布団から着ているものまで…ああ、イヤ、イヤ、イヤダ~

 こんな〝母の日〟は初めてですよ。ワタクシなにか悪いことでもしたかしら?考えるとなんだかクヤシイ!

 でも、一つ、いや二つかな、いいこともあったんです。一つはおばあちゃんからの手編みロングベストのプレゼント。私〝着る人〟と言って、いつもいろんなものを編んで貰ってます。全部集めると作品展が開けるぐらいなんですよ。おばあちゃんの手編み歴はもう30年以上にはなるのかしら。とにかく上手!もともと和裁を長くしていましたのでとても器用なんです。だからか、頭も目も耳も私よりいいし、歩くのもまだ杖だけで歩けるんです。まあ本当にスーパーおばあちゃんですよ。

 数え100歳から頂いた手編みのベスト…ほら、世界にたった一つしかない最高のプレゼントでしょう。ちょっと肌寒いときに羽織ると暖かくて最高!モデルがいまいちだけどガマンしてね。もう一つは息子からの可愛いカーネーション。まあ、くれるだけもいいか~なんて。コラ、コラ、そんなこと言うから罰が当たったんだよ。何にでも心から感謝しなくっちゃ、ネッ!

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明日は〝母の日〟

2020年05月09日 | 俳句

 今日は一日中80%の降水確率と天気予報では言っていましたが、こちらでは午前中曇りで午後から降り出しました。結構降っていましたが、夕方からは小降りになりましたから明日はどうでしょうか。

 ついコロナ騒ぎで落ち着かないまま、バタバタとして過ぎてしまいましたので、明日が〝母の日〟ということに全く気がつかず…。どなたかのブログを見て、ああ、そうか~と思ったんです。

 まだ主人の母が健在ですので、いつも〝母の日〟には一緒にどこかへ食事に出かけてました。今年はこんな調子ですので、さてどうしたものかと…。

 昨日はふれあいセンターなどから、24日まではまだ公共施設の利用はできませんのでという連絡がありました。そういうことでなのか、25日にある予定の俳句教室の幹事さんから早速〝先生、やってもいいでしょうか?〟と打診の電話。もう3ヶ月も休んでいますので皆さん待ちくたびれているようす。〝そりゃあいいですよ。もちろん!〟と。このまま6月へ持ち込めばどこの教室でも再開できるようになるのかしらと期待していますが、やっぱりホッとしますね。

 宇部市では、再開の前提条件として、国の「緊急事態宣言」対象地域から山口県が除外され、市内で新たな感染者が発生していない場合としています。だから、このままが続けばということで、もし24日までに感染者が一人でも出れば、これまた分からなくなります。そのため再開の準備として、施設管理者側は3密の回避、手指消毒できる環境、利用時間の制限等、また、利用者側は、体調不良の場合利用しないこと、原則マスク着用、咳エチケットの遵守等を盛り込んでいますが、これは当分の間続くことでしょう。更に、今回、国から示された「新しい生活様式」等についても、市民に伝わりやすいよう、市内のクリエーターやアーティストに依頼して、イラスト化することを決め、6月から市の封筒や文書等にイラストを掲載し、啓発していくんだそうです。本当に私たちも本気で今までの生活様式を大きく変えていかなければ、コロナに打ち克つ日はそうは簡単にやってこないのでしょうね。

 さて、さて、明日はどうしましょう。主人に〝明日は母の日よ〟と言っても、〝ほお、そうか…〟だけ。そういえば、私は〝母の日〟の句を詠んだのかしら?確かに毎年母の日が来るたびに一句ぐらい詠んだ記憶はありますが…。そこで、2冊の句集を捜してみましたら…ああ、ナイ!一句もありませんでした。〝父の日〟の句はありますし、句もよく覚えていますのに。自分のことになるとちょっと詠みにくいし、母のことを私が詠めば甘くなってしまって…やっぱり碌な句がなかったので先生から全部却下されたんでしょうね。じゃあこれからでもせめて一句ぐらいは残せるような句を詠んでおかないと。下の2句のようなよく分かる句を…ガンバろおっと!

  母の日も子の残したるもの食べて       福永鳴風

  母の日や母恋ふことに終りなし        山崎泰世

 前句のように昔の母は皆そうでしたね。いや、いや、今でもそうでしょう。それで私も…太りましたもの。(笑) 後句は、母にとって子は死ぬまで子なんですから、子にとっても同じ。母の日でなくてっも、死ぬまで恋しがるでしょうよ。

 ちなみに、福永鳴風氏は、1923年~2007年、富山県出身。1942年「ホトトギス」初投句初入選。1645年、帰郷して前田普羅に師事。1980年「辛夷」を継承主宰された方。山崎泰世氏は分かりませんでした。

 写真は、先日行ったお店の〝君子蘭〟。春の季語で、もう時期が少し遅れました。ゴメンナサイ!我が家の君子蘭は、枯らしてしまい…、大きく育っていたのですが、残念!

 

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