ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

六月尽?

2017年06月30日 | 俳句

 今日は六月最後の日ですね。季語に「〇〇尽」というのがありますが、それからすると「六月尽」ということになります。が、時々混乱することがあるんです。このような季語をみると、果たして陰暦か陽暦かということ。以前からこのことを疑問に思っていましたのでちょっと調べてみました。参考にしたのは、『角川俳句大歳時記』と角川書店の『新版 季寄せ』です。『角川俳句大歳時記』は解説執筆者がそれぞれ違っていますので、扱い方も違っていましたが、以下の通り。

  •  「二月尽」(にがつじん)…二月の尽きること。ようやく寒気もゆるみ、春の訪れを肌で感じ始める頃。(初春の季語)
  •  「三月尽」(さんがつじん)…陰暦三月(弥生)が尽き果てること。「弥生尽」(やよいじん)ともいう。陰暦では一月、二月、三月が春だった。三月は春の最後の月。そこで、行く春を惜しむ気持ちを込めてこの季語が生まれた。(晩春の季語)
  •  「四月尽」(しがつじん)…これは「三月尽」の季語の傍題として掲載、春。(季寄せには単独の季語)
  •  「五月尽」(ごがつじん)…「五月」の季語の傍題として掲載、夏。(季寄せのみ)
  •  「六月尽」(ろくがつじん)…「六月」の季語の傍題として掲載、夏。(季寄せのみ)
  •  「水無月尽」(みなづきじん)…陰暦六月の尽きること。すなわち暦の上で夏が終わること。(晩夏の季語)
  •  「七月尽」(しちがつじん)…これは「水無月尽」の季語の傍題として掲載、晩夏。(季寄せにはなし)
  •  「八月尽」(はちがつじん)…八月の終わることで、秋。(季寄せのみ)
  •  「九月尽」(くがつじん)…陰暦九月末日をいう。明日から冬に入る九月晦日の、秋を惜しむ思いが強くこもり、春を惜しむ「三月尽」と並ぶ。(晩秋の季語)

 ※「十月」「十一月」「十二月」「一月」には「尽」の付く季語はない。

 まとめると、「三月尽」(「弥生尽」)、「水無月尽」、「九月尽」にははっきりと陰暦と書いてありましたが、後は曖昧なのが多かったですね。でも大体が陽暦でいっているようでした。陰暦の呼称を用いれば当然間違いは起らないと思うのですが、「三月尽」と「九月尽」はそれぞれ陽暦の言い方ですので、内容は陰暦でも知らない人は間違って使う人もいるでしょう。あの「五月晴」という季語のように、読み方を「さつきばれ」と「ごがつばれ」と二通りに読んでしまうので、陽暦の5月の晴れの日だという勘違いが起きるのも仕方がありませんよ。この問題は新年の季語などにも多々見られますので、初心者を指導するときにはとても困るんです。みなさんはどう思われますか。

 以前山吹のことを書いた時、「白山吹」の写真を載せましたが、もうこんな実を付けています。秋までこのままで、もっと漆黒になります。花びらが4枚なのでそれぞれに実が付いて4個とか。花言葉は「細心の注意」「気品」「薄情」。

  

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喜雨亭の話

2017年06月29日 | 俳句

 「あしかび会」は、新進気鋭を育てるための年一回の俳句勉強会です。

 私が始めた頃の若手と言われた人たちは、みな同人になっていて、今では本当に若手が少なくなってしまいました。なぜなんでしょうか。最近また少しずつ増えてきたのかなあ~、あの〝プレバト〟を見て入門という若い人もいるから。動機は何であれ、入ってくれたらこちらのもの…特に若い人は逃がしませんけどね。(笑)

 さて、勉強会での何か面白い(?)話でもしましょうか。

 初日、雨の中を句材探しに歩いたのですが、果たして皆さんどんな句材を拾ったんでしょうか?楽しみ!

 夕食後、7時研修室に全員集合。最初はまずその場で発表の兼題と読み込み、それぞれ1句を15分間で。と言うと、みんなの口からエエッ~短い!と、更にどんな題が出されるのか…みんな戦々恐々としています。「梅雨」と「聖」ですと発表すると、途端に顔が緩びましたね。提出後その句稿が出来上がるまで、事前提出の自作1句についての問題点や疑問点の討議です。いろんな疑問や質問が集まりました。簡単に箇条書きしてみます。

 1 季語の問題…このような場面ではどのような季語の斡旋がいいか。

 2 俳句の評で、「報告」とか「説明」とかよく言われるが、それが分らない。

 3 表記の問題…漢字・平仮名・片仮名で書いたときの効果の違い。

 4 「心」(思い)を詠むのに、どんな見える景(映像)で、どのように表現したらよいか。

 5 口語と文語の違いやその効果は?

 6 常套的な表現から脱する方法は?

 7 固有名詞や「〇〇忌」のような季語はどう扱えばよいか。

 8 切字を使ったとき、文末の文法的な注意点。

 9 戦争体験のない者がそういう場所(沖縄など)などに行って詠む時、その心構えや注意点。

 細かく書けばもっともっとありましたが、纏めれば大体このようなことでした。簡単に説明できるものもありましたが、4番目などは私自身が日夜四苦八苦している問題ですから、そう簡単には…ね。

 討論会ですので結構時間がかかり、兼題と読み込みの2句は互選だけにして選評は明日へ。10時で今日の研修終りです。ただし、あと3句を12時までに提出ですから、寛いで寝るなんて…まだまだ甘いよ。投句が済んでから自由時間でぇ~す。だって幹事の私たちはそれからがまた一仕事なんですからね。

 朝は7時30分から食事、9時からはまず昨夜提出した3句の選句、その後昨日の2句と合せての合評です。12時に終了、昼食後少しミーティングして、迎えのバスで新山口駅まで。15時ぴったりの解散でした。メデタシ!メデタシ!

 あら、俳句の面白い話が何もなかったですね。期待させたのに…ゴメンナサイ!

 では一つ、投句に「喜雨」という季語を使ったのがありました。「昨日の状態は『喜雨』じゃあないですよね。」「この季語は日照りが長く続いて、農家などが待ちに待った雨ですよ」「だからみんなが、特に農家の人たちが喜ぶ雨、恵みの雨のこと…」「でも、秋櫻子先生は確か喜雨亭と仰ってましたよね。だから忌日も喜雨亭忌と…」「ウン、あれはね~自分のための喜雨なのよね。みんなのための雨じゃないの。」私と主宰の会話です。このこと私は知っていましたが、みんなは初めて聞く話…。実を言うと、千鶴子主宰は秋櫻子先生のお孫さんで、若い頃は秋櫻子先生に付いてあちらこちら一緒に行かれていたとか…でもその時は俳句を詠んでいらっしゃらなかったので、今はそれをとても残念がっていらっしゃいます。

   喜雨亭翁を侮る鵯の柿に居り(きうていおうをあなどるひよのかきにおり)

 これは勿論秋櫻子先生の句ですが、以前紹介した『秋櫻子俳句365日』に、千鶴子主宰がこの句について次のように書いておられますので、載せましょうね。

 中国宋代の文人蘇軾に「喜雨亭の記」がある。秋櫻子は『文章軌範』に載っていたこの文章を、朧げに記憶していたが、この文の喜雨亭は、五穀豊穣のために雨を喜ぶの意味で、秋櫻子の雨が降ると病院の患者が減って、原稿がはかどるので助かるという意味の喜雨とは、だいぶ違うのである。それを承知で、少しでも蘇軾にあやかりたくもあり、シャレで使っていたのだ。

 八王子の庭には、百目柿が一本、渋柿が二本あった。柿が熟れる頃合を見計らって、鵯が啄みにくる。近くで見ていても、悠々として逃げない。ピッピッピィーと高い声で鳴くのが、まるで人を人とも思わない調子で、侮られているようで、小憎らしいが、また愛嬌者にも思えてくる。無聊な生活を慰めてくれる歓迎すべき友でもあった。(昭和28年作・句集『帰心』所収)

 ちなみに、この句の季語は「鵯」で秋、「柿」も秋の季語ですが、ここでは副の役割で使われているのです。

 下の写真は今日の蘇鉄。旦那が葉をガリガリの丸坊主に剪ってしまって、カワイソウと思っていたのですが、このように優しい色の(手ざわりも優しい)若葉が出ました。もう一つは9日前の写真。

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夏水仙???

2017年06月28日 | 俳句

 先日のブログで〝名もなき小さな花〟の写真(写りがよくない!)を載せましたら、コメントをいただき、「紅花夕化粧(アカバナユウゲショウ)」と教えていただきました。調べてみましたら確かにそうでした。アリガトウ!

 本来は「ユウゲショウ」といい、アカバナ科マツヨイ属の多年草。白粉花の通称も「ユウゲショウ」といって紛らわしいので、「アカバナユウゲショウ」と呼ぶ。名の由来は、午後遅くに開花して艶っぽい花色を持つことからとされているが、実際は昼間でも開花している。下の写真は改めて我家の庭で撮ったもの、昼頃でした。

 原産地は南米から北米南部で、現在は帰化植物として世界各地の温暖な地域に分布、日本では明治時代(前のブログのコメントで江戸時代と書いたのは間違いでした。ゴメンナサイ!)に観賞用として移入されたものが野生化して、道端や空き地など、どこででも見られる花なんです。

 もう一つ、先日の「あしかび会」から帰って来た時、旦那が開口一番に言った言葉。「おい、何もないところに突然〝夏水仙〟が咲いたぞ!」と。「ヘーッ、夏水仙が?どこに?」と、見れば綺麗なピンクの花が一群れ咲いていました。「そうかなあ~」と思いましたが、こちとらは疲れ果てていましたので、花の名なんかどうでもよかったんです。

 ところが、月曜日の句会で、〈東へ向き夏水仙の咲き揃ひ〉と出ているではありませんか。こりゃ旦那の句だわ…と、勿論採りませんでしたが、誰かが採っていましたね。選評の時、「突然花だけが現れて、それもみんな東を向いているんですよ。面白いなあ~と思って…」とは本人。角川俳句大歳時記に「夏水仙」の季語はありませんでしたが、角川書店の『季寄せ』にはありました。次の例句も。

   花かざし夏水仙の独り立ち     沢木 欣一

 でも、旦那の詠んだ〝夏水仙〟と、私が認識している「夏水仙」とは違うように思うのですが…自信がありません。そこで役に立つのが電子辞書。今時のは、花の写真から鳥の鳴き声まで入っていますからね。

 「やっぱり違ってるよ!」というと、「じゃ、あの花は?」確か以前にも調べたことがありましたので、「玉すだれ…の仲間かな?」と…。そもそも、「夏水仙」はもう少し時期が遅かったような気がするし…写真で見ても花が八方に広がっているのだから、東にだけ向くことはないし、だから季語を変えないとダメねと言っておきました。

 あの時調べておいたら良かったかな…と思いながら、戻ってから調べてみました。やっぱり私の思ったとおり。

 正式な名称は「ゼフィランサス」、ヒガンバナ科タマスダレ属で、通称「サフランモドキ」。原産地は中央アメリカ~南アメリカ、「ゼフィランサス」とはギリシャ語で〝西風の花〟、ヨーロッパから見て西に自生していることから名付けられたそうです。特に乾いた後に雨が降って球根が潤うとピンクの花を咲かせるところから、英名では〝レインリリー〟と呼ばれている。だから何日も雨が降らなかった時、先日急に雨が降って、球根が潤ったので花を咲かせたんですね。葉がないので気付かず、突然花だけが目立って驚いたのでしょう。この花は何度でも咲くんですって。ウレシイ!

 ついでに「夏水仙」の写真も。(これは今咲いていないからちょっと写真集から拝借、ゴメンナサイ!)

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「あしかび会」

2017年06月26日 | 俳句

 昨日「あしかび会」を終え、新山口駅で皆さんを見送り夕方家に戻ると、溜まっていた全身の疲れがドッと出て、更には頭痛がしたりと…それでしばらく横になっていると、いつの間にか寝ていました。私にとっては珍しく雨に降られましたが、でも何事もなく無事に終わってホッとしています。

 天気予報ではあまり良くないとは知っていましたが、「馬醉木」の主宰・德田千鶴子先生は〝晴れ女〟、私も〝晴れ女〟、これならそれ程心配しなくてもと…高を括っていたらトンデモございませんでした。先生曰く「晴れ女が二人集まると、あとは相性ですって…」「エエッ!ということは、相性が悪いということなの」と、降り止まぬ空が恨めしく思われました。それでも小降りになったりして、「これくらいならまあまあかしらね。他の人の時は、雷や雹が降ったことも…」と言われ、ちょっぴり安心しました。

 12時過ぎ、17名全員集合。12時30分に出発して、まず瑠璃光寺へ。雨に煙る国宝の五重塔はまた格別の風情があっていいですよ。でも、記念撮影ができなかったのは残念。それで瑠璃光寺門前の屋根のあるところで全員の記念撮影をしました。

 次はサビエル記念聖堂。バスが上まで行くことができないので、歩いてです。でも、ここも小降りでしたので大丈夫と…、ところが上にあるサビエル布教の像(以前のブログではパンフからでしたので、これが本物です)の側にある〝平和の鐘〟を誰かが撞いたんです。するとその音が余りにも大き過ぎて、途端に土砂降りになってしまいました。(笑) みんなびっくりして、聖堂の中へ駆け込みましたよ。

 私は何度も来ていますが、やはり中に入ると敬虔な気持ちになります。椅子に座ってそれぞれみな静かです。俳句の構想でも練っているのでしょうか。すると思いがけずパイプオルガンが鳴り出しました。以前にも聞いたことがあるのですが、それは時々ここに練習に来る人がいるからで、もし聞けたとしたら幸運だよと…今回も幸運でした。アーメン!

 ここでも記念撮影をしようと思って、受付の方にシャッターをお願いしたら、「本当はいけないんですが、今日は特別に」と言って、聖堂の中で撮ってくれました。やっぱり幸運!

 出る時にお神籤ならぬ〝神のお言葉〟を一つ引いたら、「愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める」と書かれていました。みんなそれぞれ思い当たるわねえ~と言いながら、また小降りになってくれた聖堂の坂を下ってバスへ戻りました。最後は秋芳洞へ、3時過ぎ到着。洞内を見学してエレベーターで上がり、展望台の方へ…でも全くの梅雨霧で何も見えませんので、「秋吉台科学博物館」へ行き、ビデオを見せて貰いました。終わって博物館を出ると、あれほど探していなかったあの「カタツムリ」が雨の中を元気に這っていました。やっと会えたね!

 そして、5時には今日の宿泊研修場所の「秋吉台国際芸術村」へ到着。予定通りの進行で、雨を除けばまずまずの出足でした。後は研修会ですが、それはまた。

 

 

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名もなき小さな花

2017年06月24日 | 日記

 明日から1泊2日で行われる「あしかび会」の準備で、今日は一日潰れてしまいました。他にもやらなきゃいけないことが山ほどあるのに…、ウーン、困った!でもこれには理由があって、仕方がないことなんです。

 この「あしかび会」というのは、わが結社の若手を育てるために作られたもので、嘗ては名称も「馬醉木若手勉強会」と言っていたのです。実を言うと、私もそこで鍛えてもらったんですけどね。「馬醉木」の投句コーナーに50歳未満の人を対象にした「あしかび抄」という欄があるのですが、それを基にしてこれからの馬醉木を担っていく若い人たちを育てるのがこの会なんです。

 それを今年から私が担当することになり、その最初の会を山口で開催するということなんです。関東の人もいますので、明日、新山口駅に12時30分までに集合して、サビエル記念聖堂や瑠璃光寺、秋芳洞や秋吉台を巡り、その日は秋吉台国際芸術村に宿泊という計画です。

 もちろん勉強会ですので、その夜と次の午前中はみっちり俳句についての研修時間を取っていますよ。しかし、私も初めてですので、どんな会になることやら…とにかく意義あるものにしたいと思っています。

 その報告はまた後日にしますね。

 このピンクのカワイイ花は何というんでしょう?ドクダミほどではないのですが、これも毎年抜いても抜いても生えてきます。でも、可愛いのでこうやって一輪挿しに活けるんですよ。ドクダミも最後の花が残っていましたので一緒に活けてあげました。綺麗でしょ! でも相変わらずボケてますね。ゴメンナサイ!

 

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テンプレート変えました〝紫陽花〟でぇ~す

2017年06月22日 | 俳句

 ブログのテンプレートを変えました。ちょっと遅きの感ありですが…

 〝アジサイ〟です。もう皆さんご存じの花ですから何の説明もいらないでしょうが、少し解説をしてみますと、まず「アジサイ」の名は、アヅ(集まる)と(マ)サイ(真藍)からきたもの。漢字で書くと「紫陽花」ですが、これは唐の詩人白居易が別の紫の花に「紫陽花」と命名したのを、平安時代の歌人・源順(みなもとのしたごう)が今のアジサイにこの字を当てて、その誤用が広まったからだそうです。だから、花そのものは万葉集の時代からあり、日本に自生する「ガクアジサイ」が原種で、外国に渡って品種改良され、「セイヨウアジサイ」として日本に逆輸入されたというもの。

 俳句では他に「七変化」「四葩(よひら)」「刺繍花(ししゅうばな)」「瓊花(たまばな)」など、色々と言います。

   濯ぎ場に紫陽花うつり十二橋 

 水原秋櫻子の句です。この句について『秋櫻子俳句365日』(水原春郎編著・梅里書房)に次のような解説がありましたので、紹介しますね。

 「加藤洲」の前書あり。穏やかな写生句で、秋櫻子自句自解本の中には殆ど収められていない。

 昭和七、八年頃、東大俳句会潮来吟行の時の作で、秋櫻子の随筆「十二橋の紫陽花」には、「吟行した帰り道に、どうも十二橋には紫陽花がなかったではないかといふ話がもちあがり、たうとうあれは秋櫻子が空想で咲かせた花であらうといふことになってしまった」とあり、「秋櫻子は常に現在無きものを詠む傾向があるといふやうな説をなすものも出て来た」と、当時の俳壇の風潮を述べている。この後、秋櫻子自身、再び東大俳句会の仲間と現地に赴いて紫陽花を確認するのだが、昭和六年発表の「馬醉木」独立宣言の書「自然の真と文芸上の真」の伏線をなすものと見ることができよう。

 なお、秋櫻子最後の作が紫陽花の句であることを思うとき、私は運命の糸を感ずる。

 この鑑賞文は、馬醉木同人・有働亨氏が書かれたものですが、この話には、更に尾ひれが付いて「確認しに行ったらなかったので、誰かが先生のために植えたらしい。だから今は紫陽花がある」とか、何とか…聞いたことがあるのですが、もう昔のことなので確かなことは分りません。ちなみに、秋櫻子の最後の句は、〈紫陽花や水辺の夕餉早きかな〉です。が、これも何かと話題になった句なんです。秋櫻子が亡くなったのは昭和五十六年七月十七日。この紫陽花の句は六月中の作で、この句以後、句帳は空白のままで残されていたから、最後といっても臨終の作ではないということ。ただ、切字の併用をあれほど弟子たちに戒められていたのに、この句には「や」と「かな」が用いられているのです。しかし、これがもし朦朧とした意識の下でこのように書き留められ、それを推敲する余力がもうなかったと考えれば、ありきたりの鑑賞で、この句をとやかく詮議すべきものではないと、私は思うんですけどね。それでこの句も『秋櫻子俳句365日』には、そのままで収められています。前のは第一句集『葛飾』、後のは最後の第二十一句集『うたげ』に、それぞれ収録されている句。それで、秋櫻子忌を「紫陽花忌」とも言うんですよ。 

   紫陽花や師の音声のラヂオより

 石田波郷の句で、勿論この「師の音声」は秋櫻子のこと。馬醉木には二人の深い絆が語り継がれています。

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梅漬ける

2017年06月20日 | 俳句

 今日は梅雨らしく朝から雨が降り続き、草木がホッとして生き生きしているのを見るのは嬉しい!

 私も、ずっと気になっていたことがやっと一つ片付き、気分がいい…やっぱり人も草木と同じなんですね。心が渇いてしまうと、イライラして怒りっぽくなったり、他人ともいらぬことで摩擦を起こしてしまったり…でも反対に心が潤っていると何にでも優しくなれますもの。

 先日の日曜日に我家の梅を漬けました。梅の木は昨年殆ど枝を短く伐ってしまったので、実が成っていなかったのですが、豊後梅が少し…でもそれは母と娘が漬けるというので全部あげました。そしたら、いつもはあまり成らないので、枝を伐らなかった梅に、今年は結構実が付いていましたので、それを漬けることにしたんです。梅干しは失敗ばかりで、今まで美味しく漬けたことがありませんので、とうの昔に諦めました。だから、私が作るのは梅酒か梅ジュースなんです。あ、もう一つ梅ジャムがありました。これは結構評判が良くてたくさん作っては他人にあげられるぐらいの腕になりましたよ。

 梅酒はまだ去年のがありましたので、梅ジュース2㎏と梅ジャムに2㎏ほど。梅ジャムは完熟して黄色になったのがいいので、そのまま2,3日置いて熟させて作ります。梅ジュースは青梅の方がエキスがよく出るし、香りも良くて美味しくできます。まず綺麗に洗って蔕を取り、後は梅と氷砂糖を交互に瓶に詰めれば終りです。夏にはもう爽やかでフルーティーな梅ジュースが飲めますが、私は1年ぐらい寝かせた方が好きです。梅酒とはまた違って、酒を入れない分、いつでも誰でも飲めますし、非常にまろやかでコクのある優しい飲み物になって、ホントに絶品ですよ。

 

 

   とろとろと梅酒の琥珀(こはく)澄み来る(すみきたる)

 石塚友二の句です。梅酒も作り方は簡単、青梅に氷砂糖を加え焼酎に漬ければ、盛夏の頃には琥珀色になり、よい風味を帯びてきます。氷で割って飲むと、夏の清涼飲料として喜ばれますが、まだかなり酒の成分が残っていますので、気を付けないと酔ってしまいます。だから昼間呑んだりすると飲酒運転ということにもなりかねませんので気を付けましょうね。これも何年か置いた方がコクがでて、深い味になり美味しいんですよ。

 

 

   

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「げんこつ」といふ菓子

2017年06月19日 | 俳句

 昨日は「父の日」、「母の日」には寿司を食べに行ったので、今度は〝しゃぶしゃぶの食べ放題〟へ行きました。前回大いに待たされて懲りましたので、今回はしっかりと予約を入れて行きました。だから待たされることはありませんでしたが、隣の席がナントモうるさいこと。ワーワーキャーキャーと、それはそれは賑やか!ちょっと覗いてみると中学生の部活の集団のようでした。

 「あんな元気もうどこにもないよねえ~」と言うと、まだ若い娘も「ウン、ウン」と納得していました。だってこちら、500円引きのシニアが半数以上だもの。でも、食べ放題なので久し振りに思いっきり肉を食べましたよ。

   げんこつといふ菓子父の日なりけり

 10年以上も前の私の句ですが、「げんこつ」という駄菓子、皆さんご存じですか?旦那に聞くと余り食べた記憶がないと…エエッ!それで調べてみると、飛驒高山や犬山名物の〝げんこつ飴〟という菓子がありました。が、これは要するに芋飴ならぬきな粉飴のようなもの。でも私が詠んだのはそれではありません。他にはないのかと調べてみると、今度は長崎の方にありましたが、それは堅いおかきでした。私が子供の頃に食べていたあのお菓子、父も大好きで良く買ってきてくれていたあの〝げんこつ〟というお菓子は、一体どうなったんでしょうか。

 やっとのことで見つけました。〝下関ふるさとうまいもんづくり名人〟で紹介されていた手作りの菓子〝げんこつ〟、写真もありました。これです!あのポン菓子を飴か砂糖かでげんこつのように丸く固めたものなんです。ひなびた甘さとカリカリと噛む音…父から叱られて泣いた日を思い出します。懐かしくてどこかに売っていないかと探したんですが…。他に〝黒棒〟というお菓子も好きでしたね。父は10歳ぐらいで父親を亡くしていますので、それで好きだったのかも。私も好きですよ。

 土曜日の句会でも「父の日」の句が出ていました。〈父の日と孫連れてきて疲れさす〉や〈父の日や父に将棋の勝てぬまま〉など。前句は今の父の実感だろうし、後句は回想の父。どちらにしても血のつながりというものは…良くも悪くも廻り廻ってくるものですよね。俳句的にはどちらの句も、もう一歩で、前句は「孫」後句は後の方の「父」を削りたい。

   父の日に父に弟子てふ子沢山

 能村研三氏の句ですが、この父とはもちろん「能村登四郞(のむらとしろう)」氏のこと。

 能村登四郞は馬醉木の大先輩です。1911~2001、90歳で死去。中学の頃より俳句を始め、水原秋櫻子に師事、1949年に馬醉木同人、1970年には「沖」を創刊、主宰する。1981年に馬醉木同人を辞退して、本格的に「沖」の発展・育成に努められました。長男も次男も早くに亡くされていたので、三男の研三氏をしっかりと育てられ、彼が後を継いだのを見届けてから亡くなられました。

   火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ

 登四郞の「沖」という結社名の由来となった代表句です。

 下の写真はアジサイ。珍しくもないのですが、一応我家の記念として。珍しいのは3番目の「黒軸アジサイ」と言って中国産だそうです。私が好きなのは最後の花びら(?)が巻き込んでいるもの。殆ど挿し木で増やしたのですが、「墨田の花火」(1番目)が一番繁殖力が強かったですね。でも我家ではどれも青い色で赤い色のアジサイは育ちません。きっと土壌が酸性なんでしょう。あの墨田の花火も最初は真っ白だったんですよ。

 

      

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「梅雨」の句会

2017年06月17日 | 俳句

 昨日、今日と連続の句会でした。

 昨日は、また新しい仲間が一人増えて気持ちの良い句会でした。その初参加の方がとても緊張して、目をくるくるさせて話を聞いていらっしゃる姿は、こちらまでも力が入って(笑)…なかなか新鮮でいいもんですよ。何歳になっても、新しいことにチャレンジする、その心が若々しい!

 今回の兼題は「梅雨」、もう何の説明もいらない季語ですよね。

 ただこの季語を使うとき、気を付けないといけないことがあります。「梅雨」というのは、陽暦の六月過ぎから約一ヶ月間、雨の降り続く期間をいうので、雨そのものをいう場合は「五月雨(さみだれ)」を使うことが多いんです。だから、「五月晴(さつきばれ)」というのも、「梅雨晴間」と同じ梅雨のただ中の晴れ間をいうのが本来の意味ですが、現今梅雨の前の陽暦五月の晴れをいうのにも使ったりして、一般化しています。でも、それは誤用ですので、皆さん気を付けて下さい。

   梅雨晴れに天にも届く巨大杉

 新人さんの句で、今回の最高点。まあ、この句会は始まってまだ三回目ですし、殆どが初心者ですので、みんなそれほどの差はないのですが…。しかし、その新人さんが先輩を差し置いて高点を取ってしまったというので、恐縮するのもほほえましい!だってもうみんないい年なんですものね。

 「全く初めてなんです」という作者にみんなが「ホント?」と。まあ、確かに初心者の句ですね。まず、この句には切れが欲しい。「梅雨晴れに」は説明臭くなりますので、ここは「梅雨晴や」としたい。ちなみに、俳句では名詞として使うときは送り仮名を省くというのが、我が結社では常識になっていますので。次は「天にも届く」杉であれば、「巨大」まで言わなくても…と言いかけたのですが、これは止めました。だって、せっかく初めて参加して高点を取ったんだから、今日はいい気分のまま帰って貰った方がいいでしょう。だからこの句は、〈梅雨晴や天にも届く巨大杉〉と。

 普通兼題が「梅雨」の場合、それに似ていても別季語として立てられているものは、兼題として認めないのですが、これもあまり厳しくしないで、一応説明はしましたが目をつぶりました。だから、「梅雨晴間」や「梅雨入」「梅雨の雷」「空梅雨」なども出ましたが、みんなOKです。やっぱり俳句は楽しくなくっちゃ…、長続きしませんからね。

 

 この紅い実は、オトギリソウ科の「ヒペリカム」という花の実です。別名「小坊主弟切」。同じ仲間の花には、金糸梅(きんしばい)や未央柳(びようやなぎ)があります。これらは夏の季語になっていますが、ヒペリカムは季語ではありません。何年か前、花屋で花束を作って貰った時、この実が可愛いので、その切り捨てた枝を貰って挿し木し、鉢植えにしたんです。ところが、なかなか花が咲かないし、もちろん実も付かない。それで地植えしたところ、やっと根付いて去年ぐらいからポツポツ花を咲かせ、その後にこのようなカワイイ実が付きました。調べてみたら実をたくさん付ける育て方などもネットに載っていましたので、来年はもっと増やしたいなあ~と思っています。

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骨密度と睡蓮

2017年06月15日 | 日記

 先日定期的に通院しているクリニックでいろいろな検査をして貰いました。と言うより、押しつけられて勝手にされたという方が正しいかも。血液検査は前回にしているので、今日は、心電図やエコーなど、それは時々していたので、どうってことないのですが、今回初めての血圧脈波検査、腕や足首を締め付けて血管の詰まりや脳・心血管病のリスクを調べるんだそうな。

 「新しい機械が入ったからするの?」と看護師さんに聞くと、「違いますよ。前からあったんだけど、あなたにはしなかっただけよ…」と。ということは、今までは調べなくても良かったのが、今回は血液検査の結果が悪くなっていたとか…そんなこと考えてドキドキしながら受けました。最後はレントゲン、でも心臓を撮ったあと今度は掌を撮るので、これもどうしてかなと思いながら、とにかく〝俎板の鯉〟よろしく、言われるままに検査を受けました。

 しばらく待って、診察室へ。先生曰く「心血管病のリスクはやや高値だが、薬をきちんと飲んでいれば今のところ心配ないよ。血液検査もまあまあだし…」と。ああ、よかったとホッとしているところへ、「それはいいけど、骨密度が低いね、10歳以上も上の人と同じくらいで、70%以下だ。転んだら危ないよ。」と。それでまた薬が一つ増えました。

 エエッ!あの手を撮ったのは骨密度を測るためだったのか!このところ私良く転ぶんです。吟行に行ってみんなが、先生今回は転びませんでしたねえ~というやいなや最後にやっぱり転ぶんですよ。それも並みの転び方でなくバタッと、みんなが唖然とするぐらい。だから旦那も私がどこかへ出掛けるときは必ず〝転ぶなよ!〟と声を掛けるほどなんです。

 これは困ったことになったわと、友だちに話すと、「大丈夫よ!手で撮ったんなら余り信用できんから、他でもう一度調べてもらった方がいいよ。」と。そこで、昨日これも行きつけの整形外科へ早速行って来ました。膝はもう早くから「変形性膝関節症」、治療やリハビリに通っているんだけど、腰も軽い脊椎側湾症とかで、どちらも今まで通りのリハビリでOKと。

 問題は骨密度です。恐る恐る先生のお言葉を待っていると、「あなたの骨密度は、腰椎89%、大腿骨近位部83%。骨粗鬆症は70%以下なので、80%以上あれば正常、心配ないよ。」と。「有り難うございます。」ああ、よかった!これで一件落着です。 気分良く帰る途中、見ると睡蓮が咲いていました。

 睡蓮は夏の季語です。温~熱帯に広く分布するスイレン科の多年生水草。未(ひつじ)の刻(午後二時頃)に開花するということで未草(ひつじぐさ)とよばれているが、昼咲きと夜咲きのものとがある。

   風すぎて睡蓮の葉は又水に    水田千代子 

 この句の作者、水田千代子さんはホトトギスの同人。実は私が懇意にしている俳句の大先輩の叔母さんにあたり、俳句を始めたのもその叔母さんとご主人の水田のぶほさんの影響だとか。ホトトギスの中では、また、山口県では、二人は有名な〝おしどり俳人〟なんです。

 水田のぶほさんは、本名信夫、(1898~1963)山口県田布施町出身。宇部市にある山口大学付属病院の病院長を長くされて、地域医療の発展に尽力され、それを顕彰する像も病院に建てられています。また、俳句でもホトトギス同人として活躍され、山口県俳壇の輪を広げて、後進の育成に大いに力を注がれた人なんです。

 お二人の仲の良さは、合同句集『二人静』や、山口県の鶴の渡来地八代にある連袂句碑(れんべいくひ)などにも見られますよ。そう言えば、大学病院の前庭が整備されたとき、そこにお二人の句碑が移されていました。今度病院に行ったときに写真を撮ってきましょうね。

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かたつむり

2017年06月14日 | 俳句

 先日の句会の兼題は「かたつむり」でした。

 そこで、私も1句詠まなくちゃと、かたつむりを探してみました。みんなが居ない居ないと言うとおり、どこを探しても見つかりません。梅雨だというのに雨が降らないからでしょうか。紫陽花の葉もよくよく見たんですけどね。

 結局天道虫と、蛾(?)、蛙(何カエル?分りますか)、蜘蛛…(金糸梅にくっついている…見えますか?)などを見つけました。

 当日の句に〈まいまいの抜け殻一つ塀の上〉というのがありました。

 「でんでん虫は脱皮するの?」「ウン、するらしいよ」「エエッ!ほんと!」「嘘でしょ?」など、など…蝸牛論議が始まりました。

 確かに大きいのや小さいのを見たことがありますが、どうやって生まれるのか、どれくらい生きるのかなど、誰も確かなことは知りませんでした。

 「でんでんむしむしかたつむり、おまえの目玉はどこにある、角出せやり出せ目玉出せ」という童謡、皆知っていますよね。じゃ角は触覚のこと?やりとは?…だったら目玉は?という風に話が発展していって、とうとう句会が進まなくなってしまいました。

 本当に知ってるようで何も知らないんですね。家に帰って旦那がインターネットで調べていましたので、一緒に見せて貰いました。

 有肺類に属する一群の陸生巻貝の総称。殻は右巻のものが多く、体はいつも粘液で湿っている。乾燥すると体を殻の中に縮め、殻口に薄い膜を張る。雌雄同体。多くは土中に数個から数十個の卵を産む。………頭が痛くなりそう…おまけに解剖図を見ると、あの小さな体に、脳があり、肺があり、心臓があり…生殖器まであります。もう本当に〝びっくりポン〟ですよ。ちなみに目玉は大触覚の先端に、小触覚の先端は味覚を司るんだそうな。口には顎板と歯舌とがあり、やすり状の歯舌を餌にすりつけ、削り取って食べると。餌はキノコや柔らかい野菜、苗など。やはり脱皮はせず、だんだん大きくなっていくらしい。

 〈エスカルゴと言へば旨しやかたつむり〉という句も出てましたね。私は食べる気がしないんだけど、フランス料理では定番だそうな。

 そう言えばこの家に引っ越して来て、気が付いたのがこの巻貝。壁や塀にくっついているんですよ。最初は小さいからゴミかと…そしたら次の日見たら位置を変えてるじゃありませんか。これは?と思って、調べたことがありましたが、昔のことなので忘れました。その時は巻貝などはみんな海に棲んでいるものと思っていましたから、こんな水のない陸で…それも石やコンクリートみたいな所で生活するなんてと、非常な驚きでしたよ。(実際はこの写真の半分ぐらいかな…)

 まあとにかく何歳になっても知らんことばかりです。勉強しなくっちゃ…ガンバロウ!

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落ちこぼれ

2017年06月12日 | 俳句

 昨日の「俳句甲子園」県大会のつづきの話で~す。

 今回初めてでしたので、どのように審査するのかが一番不安だったのですが、「俳句甲子園」における審査基準なるものがあるんですよ。参考までに簡単に書いておきますね。

  • 1点…兼題が全く詠み込まれていない。
  • 2点…兼題は詠み込まれているが、季重なりなどの基礎的知識が著しく欠けている。
  • 3点…兼題は詠み込まれているが、基礎的知識に不足がある。
  • 4点…兼題を説明しただけで終わっている。
  • 5点…強い類想感がある。または句意が判然としない。
  • 6点…類想が懸念されたり、句意が読み取り難いが、ひとまず句として成立している。
  • 7点…作品として強い魅力はないが、技術的には可も不可もない。また、荒削りで難はあるが、発想にみるべき点がある。
  • 8点…芸術的にも技術的にも、積極的評価ができる。
  • 9点…8点の要素に加えて、強い芸術的魅力がある。
  • 10点…歴代の最優秀句に匹敵する秀句。

 以上、いかがですか?もし自分の作品だったら何点貰えるか、考えてみるのも面白いかも…

 5人の審査員がそれぞれに点を付けるのですが、ほとんど6点か7点、時には8点を付ける句も出ましたが、なかなか9点、10点は付けられませんね。でも、5点以下を付けた句もありませんでした。

 1試合終わると、審査員がそれぞれの句についてのコメントをします。時間の関係で順番に1人が発表すれば、次の対戦にいくんですが、一度だけ成り行きで全員がコメントした句があるんですよ。それは兼題「立夏」の次の句。

   夏立つや自由ノートの世界地図

 「これはノートに世界地図が書いてあったのですか?それとも作者が書いたんですか?」という相手校の質問に、「これは作者が書くんですよ。」と作者側。「どうして立夏に書かないといけないんですか?他の季語でもいいのでは…」「立夏というのは、今から夏に向かって行くという開放感というか自由さがある季語だと思うんですよ。だからこの季語でないとダメなんです。」と、激しい論戦がこんな風に続くのですが…、制限時間がありますので殆ど時間切れになるか、言い負かされて反論できなくなることなどもありました。

 では、掲句について審査員が問題にしたのは何かというと、助詞の「の」なんです。「ここはやはり『に』にすべきでは…」「そうすると説明臭くなるでしょう。」「今頃のノートには世界地図が表紙に印刷してあるの?」「これは今から作者が書こうとしている景でしょう。」など、など…私は、ここはやはり今から書こうとしている景でないと面白くないと思いますねと、コメントしました。更に言うなら、「に」より「へ」の方が、今から書くということがよく分ると思うよと言うと、生徒たちはウンウンと頷いていました。要するに、この句を単純な世界地図と決めつけないで、作者の頭の中にある世界地図…いわばそれはこれからの大きな夢に繋がるものなんだと考えると、とても面白い句だと思いましたね。だって、まだ高校生ですもの!

 でも、高校生がこの「の」を指摘して、問題にしたのはさすが。みなさん、負けずに頑張りましょうね。

 この写真は、我家の柿の実。もうこんなに大きくなったのに…ぽろぽろ落ちています。蜂などが来てくれなかったので、受粉しなかったんでしょうね。こうやって今から梅雨の間にダメな実はどんどん落ちていきます。だから〝落ちこぼれ〟?(笑)

 どこの世界でも厳しいですね。〝柿は大きくなっても人や鳥に食べられる…〟なんて、金子みすゞの詩に似たようなのがあったような? でもカワイソウ!

 

   

 

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「俳句甲子園」 防府大会

2017年06月11日 | 俳句

 今日は朝から、第20回「俳句甲子園」防府大会へ行って来ました。

 山口県では今回が3回目ということですが、年々出場校が増えて会場も2つになり、そのための審査員を依頼されたんです。昨年末模擬試合を参観に行ったので、大体の様子は分っていましたが、でも初めてのことで緊張しました。時間も10時~16時過ぎまでの、一日仕事で疲れました。

 出場校は、西京高校、柳井商工高校A・B、熊毛南高校A・B・C、徳山高校A・B・Cの9チームです。5チームと4チームが2会場に分かれ、総当たり戦で行います。

 私は第2会場の4チームですから、6試合ありました。2校それぞれ兼題の句で、先鋒・中堅・大将と3回勝負でぶつかり合うのですが、作品点が10点満点、鑑賞点の1点か2点をどちらかに付けて、加算形式で採点し勝敗を決めます。同点の場合は作品点の良い方が勝ちです。だから、しめて36句を判定したということなんです。特に鑑賞点は対戦相手への鋭い質問、それに応じる味方の的確な反論等についての評価ですので、神経を使いましたね。句が5分5分とすれば鑑賞点で勝敗が決まるんですから…まして高校生の俳句ですから句にはそれほど大きな差はありませんしね。今回は「陽炎」「石鹸玉(しゃぼんだま)」「立夏」が兼題でした。

 最後に、表彰式です。優勝校は徳山高校Aチームでした。やはり毎年松山の本大会に出場しているだけあって、特に論戦には長けていましたね。相手チームが可哀想なぐらい…。

 さらに、全句の中からこの会場での最優秀作品賞と今回は「子規・漱石生誕150年記念」の大会ですので、その記念賞が授与されました。それぞれの俳句は以下です。

  最優秀作品賞 パレードの先頭しゃぼん玉弾く   徳山高校A   鎌田 彩海

  記念賞    陽炎や走る車を浮かしたる       柳井商工高校A 桑江 優依

 今日一日高校生たちの若い感性と熱気に触れて、私も若返らなくっちゃ…とは思ったんですが、もう手遅れでダメですね。疲れる方が先に来て、やっぱり歳なんです。かなし~い!

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蛍袋

2017年06月10日 | 日記

 昨日は美容院に行って、夏バージョンに髪を切ってもらいさっぱりしました。その上心まで幸せに…

 実は行きつけの美容院で、もう10年以上にはなるのですが、とても気持ちの良いお店なんです。オーナーも店長も他のスタッフも、みんないい人ばかりで、オススメ!特に昨日は思いがけぬプレゼントを頂き…なぜって?それは前回行った時、いつも良く話をしていたスタッフが結婚したと聞いて、お祝いに色紙を上げたんですよ。そのお礼にと言ってお土産をくれたんです。こういうサプライズ大歓迎!ますますみんなが好きになりました。アリガトウ!おいしかったなあ~。

  このところ連日カープが勝って、みんな機嫌のいいこと!去年はいつこの強さが崩れるのかと…ハラハラしながら応援していました。今年は、4連敗と阪神に9点差を逆転されたとき以外は、勝ってるという印象が強いので安心して見ています。旦那や息子ほどの熱狂的フアンではないので、私はそこそこ応援していますが、旦那はもうカープの放送がある日はテレビから離れませんね。食事も忘れるぐらいに…

 昨日も帰ったら早速テレビです。楽天との試合…12-3。私の知っているカープはいつもビリッケツのカープでしたから、この強さはどこからと思ってしまいますが。でもカープフアンにとっては有り難いことです。でも今日は句会でしたので、先程戻ったら…1-2で負けたらしいと、悔しがっていました。

 我家の「ホタルブクロ」です。以前に書いたように、うちの旦那様は草を刈りだすと…

 白いホタルブクロは少し早めに咲き出しますので分りますが、赤い方は遅れるので、分らずに他の草と一緒に刈ったのかしらと聞いてみると、邪魔だから抜いたけど少し残しておいたぞと。見れば、蕾のついたのが少しありました。が、白と同じような蕾でしたので、ああ、もしかしたら赤じゃないかも…と心配していましたらだんだん赤くなったのでホッとしました。

 

 この赤のホタルブクロには、蛍ならぬ変な虫が来ていました。何の虫でしょう?

    見ゆるごと蛍袋に来てかがむ

 村越化石の句集『蛍袋』の中の1句ですが、彼はスゴイ人なんですよ。

 俳人では知らない人はいないでしょうが、簡単に紹介しますね。

 本名は、英彦。1922~2014、91歳で死去。静岡県出身で、角川俳句賞・俳人協会賞・蛇笏賞・詩歌文学館賞など、主な賞はのきなみ受賞されています。また、紫綬褒章も受章。16歳の時、ハンセン病に罹患、旧制中学を退学して、上京して治療に専念、この時期俳句を知る。1941年に結婚し、妻とともに群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園」に入園。そこで本格的に俳句を学び、1949年、大野林火の句集『冬雁』に感銘を受け、林火主宰の「濱」に入会、同人となる。1年後に境遇を林火に打ち明け、年1回の園への指導を依頼し、それを引き受けた林火。私の友人が「濱」の同人でしたので、話を聞いたことがあるのですが…師も師なら弟子も弟子…スゴイ2人ですよね。

 1950年頃、新薬プロミンでハンセン病の治癒が可能になり、「最後のハンセン病患者」としての覚悟で句作に励む。ところが、1955年その薬の副作用で片目失明、1960年には全盲となりますが、旺盛な句作と句会の指導など、それから亡くなるまで園で暮し、50年以上もその命を俳句に捧げてきた人。それで「魂の俳人」と言われています。その化石の代表句で好きなのは、以下。特に2句目はウラヤマシイ!

    除夜の湯に肌触れあへり生くるべし      句集『獨眼』1962年刊 

    向ふから俳句が来るよ冬日向         句集『石と杖』1992年刊

    生ひ立ちは誰も健やか龍の玉         句集『蛍袋』2003年刊

    

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百年杉庭園と高千穂河原

2017年06月07日 | 日記

 いよいよ最終日です。

 もちろん朝風呂からのスタート。昨夜入らなかった人も一緒に4人で混浴へ、〝みんなで入れば怖くない〟と。朝は5時からでしたので、あまり人はいませんが、アベックが2組入っていました。だから、私たちおばさんには全く関心がないので安心です。まあ、3回も入って霧島温泉を堪能しましたよ。

 朝食はバイキング。品数も豊富でなかなかのものでした。第一陣の車は長崎を巡って帰るというので、9時30分出発。後の2台は時間があるので、霧島神宮に寄って帰ることにして、10時出発ということになりました。

 〝百年杉庭園〟は、江戸時代末期このホテルの(昔は霧島館)初代当主が治山のため植林を始め、代々大切に育成されてきた庭園で、季節によっては野生のシカ・ムササビ・テン・イノシシ・タヌキ等の動物が現れたりするそうです。

 また、このホテルにゆかりの歌人や文豪が霧島を詠んだ歌碑が建っています。時間があればゆっくり散策したかったのですが…ちょっと残念!名前だけ挙げると、椋鳩十・若山牧水・斎藤茂吉・妙好人・八田知紀・海音寺潮五郎・野口雨情・与謝野晶子・与謝野鉄幹で、俳句関係はわが水原秋櫻子先生の句だけでした。

   高千穂の霧来てひびく鵯の声

 ところが、この庭の碑には「高千穂の霧来てひびくひよどりの声」となっていました。「鵯」は「ひよどり」と読みますが、普通俳句で詠むときは「ひよ」と使います。秋櫻子先生も漢字で書いて「ひよ」と読ませたのだと思います。韻律にはとても気を遣って作られていましたので、下五を字余りにするはずがありません。もしかしたら、俳句を知らない人がわざわざ「ひよどり」と仮名にして書いたんでしょうか。当然こういう句碑などにする時は、原句のままにするべきだと思いますが。

 ちなみに、明治書院の『季題別 水原秋櫻子全句集』で調べてみましたら、この句は「鵯」の季題に収録されていました。「霧」も秋の季語ですのでそれがメインかとも思いましたが、この句の場合はやはり「鵯の声」の方が印象が強かったのでしょうね。句集は『幻魚』所収。

 ホテルを予定通り出発して霧島神宮へ参拝。以前来た時と少し違っているように思いましたが…駐車場とかが広く整備されていたからでしょうか。樹齢800年の杉のご神木は変らずにありました。

 もう少し時間があるというので、ミヤマキリシマが見頃かも、ということで高千穂河原に行ってみました。

 ここは標高970mで、高千穂峰、中岳、新燃岳の登山基地となっており、この日もお天気が良くて駐車場は満車、多くの人であふれていました。誰かが「ちょっと登ってこようか」などと、冗談を言えるぐらい山が近くに見えました。

 「いやに山肌が赤いねえ~」というので、「あれが全部ミヤマキリシマなのよ」というと、知らなかった人はびっくりしていました。本当に登れたらどんなに美しいことでしょう。(望遠でないので色がよく分らないでしょうが…)

 そろそろ飛行機の時間もあることだし、みんな心を残しながら帰途に着きました。

 この三日間、いろんなハプニングもありましたが、とにかくお天気に恵まれ、楽しい、楽しい旅でした。感謝!感謝!

 

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