ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

「文學の森」の各賞の贈賞式と懇親会へ行って来ました!

2024年05月27日 | 俳句

 5月24日の金曜日に、山口宇部空港7時40分発の始発便で羽田へ。この日は天気もよくて、飛行機からは富士山がよく見えました。霞が掛かったようすが却って幻想的で…まるで浮世絵のよう!とてもステキでした。

 実はこの金曜日の12時から15時まで、東京新宿・京王プラザホテル本館42階「富士」にて、(株)文學の森の「第25回山本健吉評論賞」・「第14回北斗賞」・「第16回文學の森賞」の、それぞれの各賞贈賞式および懇親会が開催されたんですよ。

 身に余る光栄なことで、その「文學の森賞」に拙著『目からウロコ』が入賞しました。大賞は黛まどか氏、準大賞に坂口昌弘氏。入賞には清水道子・江川貞代・三井量光・岡村千惠子・須田眞里子・影島智子・江見悦子・山田一男・櫻井波穂・安藤喜久女・奥山ゆい・江副史湖・祢宜田潤市の各氏と私。特別賞として黒川悦子氏。北斗賞は若林哲哉氏で、山本健吉評論賞(奨励賞)をやまだようこ氏が受賞されました。

 現在俳壇でご活躍中の錚錚たるメンバーに、各賞の審査委員の先生方や来賓などなど…約80人ほどの人が集まったんです。11時半受付の会場へ行くと、もう正装された方々で一杯でした。私は今までこんな晴れがましいところには全く縁がありませんでしたので、オタオタとして本当に恥ずかしいこと…誠に畏れ多いことでした。

 でも、付き添い1名の招待がありましたので娘に同行して貰いましたし、文學の森の知人や俳誌「いには」主宰の友人も出席してくれていましたので安心。それで何とか無事に終わって、ホッとホッとです。

 懇親会では現俳人協会理事長の能村研三氏を始め、星野高士氏や稲畑廣太郎氏など、また私の本を推薦して下さったかしまゆう氏などにご挨拶ができて本望。受賞は殆どが句集ばかりですので、そんな中にあって何となく場違いな感じでしたが、でもとても面白くて読みやすい本だったと言っていただけて有り難かったです。推薦理由も「俳句と季語の基本を平易な話し言葉で綴り、楽しみながら俳句の魅力を感じることのできるエッセイ集」ということでしたから。選考委員の先生方、本当にありがとうございました。

 畏れ多くも文學の森大賞を受賞されました黛まどかさんと…記念撮影を!ありがとうございました。

 とにかく私は東京へ来る度にどっと疲れます。もう歩くところが多くて多くて…すぐに一万歩は超えてしまいますものね。地下鉄に乗るにしても今度は階段ばかり…まさに足が棒のようになって、痛くてたまりませんでした。でも歩くしかないんですよね、東京は。閉会後友人達とちょっとお茶をして、解散。この日泊る新宿ワシントンホテルへ歩いて行くのに…すぐ側が都庁なんですね。始めてしげしげと眺めました。ホテルの部屋が21階でしたので窓からもよく見えましたよ。そこで一服して新宿の末廣亭へ…ちょうど中入り後から入ると割引もあるというのでそれを待って入場。

 東京には馬醉木の大会や新年会で何度も来ているのに、こういう寄席とか落語を直に聞いたり見たことがなくて、今回が初めてでした。とにかく雰囲気だけでもと…良い体験をしましたよ。それにしてもこの新宿駅周辺の人の多さにはまたまたビックリです。宇部ではお祭の時でもこんなに人出はありませんもの。歩くにも人とぶっつかりそうで…何だか都会はコワイ!いろんな事件などをニュースで見たりしているからでしょうか。

 それにしても若い人たちの多いこと!これが花の金曜日だからなの?でも、次の土曜日の朝でもこんな人出でしたからこの新宿辺りでは当り前なのかも。

 末廣亭を出て、文學の森の友人と娘の3人で食事をしようと…これもどこへ行ってももう満席と断られて、やっと3軒目で席が取れました。金曜日の夜の飛び込みはどこも入れてくれないんですね。末廣亭が8時半まででしたので結局食事にありつけたのは9時半頃かな…でも、とても美味しくてリーズナブルなお店が見つかったのでラッキー!でした。ホテルへ戻ったのが11時半…本当に疲れましたけど、ホテルの窓からの夜景は…とってもキレイ!お陰でグッスリ眠れました。

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桜紀行 その5 新潟県の〝弥彦公園〟と〝彌彦神社〟

2024年05月23日 | 日記

 桜紀行もいよいよ福島県から新潟県へ…。ガイドさんの情報では西蒲原郡弥彦村にある弥彦公園の桜も余り期待できないと。それでコースには入っていない〝彌彦神社〟の方へ回りますかという提案に全員一致で行くことに。12時半鶴ヶ城出発。これから約2時間半ほどは磐越自動車道を走って行くので、到着まで車中でお休みタイム。15時前に弥彦公園へ到着。見れば、ナント、ナント…見事に桜がほぼ満開!これはまたまた予想に反したウレシイ悲鳴でした。ヤッター!

 この〝弥彦公園〟にはソメイヨシノや八重桜など約50種の桜があり、大正五年(1916)、現在のJR弥彦線の前身である参宮線開通を機に越後鉄道株式会社(当時)の駅舎と一体の公園として整備され、昭和三十七年(1962)に彌彦神社外苑として献納されたのだとか。

 また弥彦山(東京スカイツリーと同じ634m)を借景に、自然美と人工美とを巧みに調和させた名園として、四季を通じて多彩な表情を楽しむことができ、苑内の通称「もみじ谷」は近年紅葉の名所として、秋には境内の菊まつりと並んで多くの観光客で賑わうんだそうです。

 〝彌彦神社〟の方は、越後一宮として古くから信仰を集め、「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れるんですって。御祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社で、日本最古の万葉集にも詠われています。祭神と妃神の仲が良いことから、縁結びにご利益があるといわれているんですよ。でももう私には必要ないんですけど…アッそうだ、息子のために拝んどこ!(笑)


 この彌彦神社には見事な鎮守の森があって、樹林に覆われた境内には神聖な空気が漂っていました。紅葉スポットとして特に有名だそうですが、年間を通して美しい自然と森林浴を楽しむことができます。桜は神社の裏手の方に〝桜苑〟があって、ソメイヨシノがほぼ満開だったと。残念ながら私は行かず仕舞。今から5月の八重桜まで、50種類以上の桜がかわるがわる咲き競うんだそうですよ。この旅行で、私の頭に棲みついていた〝新潟は雪が多くて寒いところ〟というイメージが完全に覆されてしまいました。やっぱり何でも体験してみないといけませんね。

 さて、境内を進むと津軽の〝火の玉石〟というのがありました。この石(重軽の石)は持った時の重さの感じ方により、願いが叶うかどうかを占うものなんだそうです。

 ぜひ試してみてはとガイドさんに勧められ、みんな代わる代わる抱えてみました。心の中で願い事を思いつつ持ち上げ、軽いと感じれば祈願が成就、重いと感じたら叶わないと。では私もと…持ち上げてみると、わあ、やっぱり重い!小さい方がやっと持ち上がったぐらいですから大きいのは…腰を痛めるからと止めました。これじゃあ願い事はダメだわ…。うえ~ん(; ;)ホロホロ

 弥彦山山頂には奥宮の彌彦神社御神廟があるとか。神社から10分ほど歩いたところに弥彦山ロープウェーの山麓駅があり、そこから山頂駅まで行くことができるそうですが、残念ながら下から眺めるだけ。ということで、16時過ぎには今日の宿泊地岩室温泉へ出発です。宿の「ゆもとや」へは彌彦神社からは10分でしたので、あっと言う間に到着。

 部屋に入って、食事までにはまだ時間がありましたので、暗くなる前に近くを散策。この宿の裏手に源泉があると聞いて行ってみると、確かにありました。この300年の歴史を誇る岩室温泉は、一羽の傷ついた雁が流泉につかってけがを治したという伝説からで、別名「霊雁の湯」とも呼ばれ、新潟の奥座敷として親しまれており、またここが新潟芸妓の発祥だとも。その傍に「夜泣き地蔵」もありました。

 この「ゆもとや」には、趣向を凝らした「雁の湯」「夢殿」二種類の大浴場があり、それぞれ1日ごとに男女交替制。それで私はもちろん夜も朝も入浴して、両方を堪能しましたよ。食事は珍しくバイキングではなくて、新潟・日本海の幸がふんだんに…生きのいい魚は当然のこと、私が一番期待したのはやっぱり魚沼産のコシヒカリ…はい、とっても美味しくてお代りをしてしまいました!これでまた、肥るわ~イヤダ!なんて…しかし、お料理もお風呂も大満足でした。

 それなのに明日の天気予報は雨100%だと…。さて、さて3日目はどうなることでしょう。では、またの続きを…お楽しみに!

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桜紀行 その4 会津の〝鶴ヶ城公園〟へ!

2024年05月19日 | 日記

 投稿が遅くなりましたが、5月12日の第2日曜日、はい、〝母の日〟でしたよね。昨年はお婆ちゃんが居ましたので、私たちが義母を祝ってお花などをあげましたが、今年はもう…だから仏壇にお花と大好きなお菓子を。

 私は今年は娘から〝魔法のお箸〟を、息子からはお花と食事で祝って貰いました。〝魔法のお箸〟というのは、お箸で未来を創造する企業、あるふぁちーむ合同会社の〝あるふぁスティック〟で、一度使ったら虜になるという摘まみやすさと一般市場には出回っていないという希少価値の高いものなんだそう。〝父の日〟のも合せてと、二人分を貰いました。写真がなくてゴメンナサイ!

 また、息子のくれた今年の花は〝ベゴニア〟で、花言葉は〝幸福な日々〟…ありがとね!更に私が海老を食べたいと言ったので、昨年お婆ちゃんと行った秋穂にまた行こうと…ところが、予約をしていなかったので海老料理専門店は全部ダメ。仕方なく国民宿舎の〝あいお荘〟へ行くことに。ここには以前行ったことがあるのですが、海眺の宿と言うぐらいでレストランからは周防灘が一望できます。この日はお天気が今イチでしたが。そこで食べたのが…私は刺身定食、主人は何とステーキ定食、息子は天刺定食とみんなバラバラ…でも、名物の海老はフライの単品で注文して食べましたよ。やはりこの辺りは魚が美味しい!お刺身はみなプリプリして…さすがです。ゴチソウサマでした。みんなみんなアリガとさん!

 玄関外にクサフジ(ナヨクサフジかも?)がたくさん咲いていました。    

 それでは「桜紀行」のその4にいきましょうか。喜多方の〝日中線〟のシダレザクラの次は会津〝鶴ヶ城公園〟の約1000本のソメイヨシノでした。しかし、ここも残念ながらやっと開花宣言がなされたばかりで、殆どがこれからでしたね。でも会津へ来たいという念願は一応叶いました。が、私の一番観たい白虎隊の飯盛山などは、残念ながらバスガイドさんから〝あちらのほうですよ〟という説明を聞いただけで又の機会にと…。クヤシイ!

 喜多方からは40分ほどでここに到着。お城の入口まで誘導して貰い、自由に城内を1時間ほど散策。その後城の出口にあるレストランに集合して、名物「会津わっぱ御膳」の昼食でした。でもこれは…ちょっと期待はずれでしたね。だから写真もありません。

 さて、この城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、武士の誇りを貫き通した難攻不落の名城として有名です。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建。平成に入り茶室や隅櫓も復元されて、平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられましたが、この赤瓦の天守閣が観られるのはこの鶴ヶ城だけだそうです。

 天守閣への入場は別料金でしたので、膝の悪い私は遠慮して主人だけが観に行きました。この日は下で待っているだけでも汗を掻くぐらい暑い日でしたが、私は待っている間にいろいろと写真を…ではご覧下さい。

〝タカトウコヒカンザクラ〟が一本だけよく咲いていました。ああ、今度は高遠へ行きたいな!

 さて、ここでこの調子なら次の新潟県の〝弥彦公園〟での桜もきっとまだ早いだろうと…ということで、予定コースには入っていない〝弥彦神社〟に寄って行くことになりましたが、そこはナント……。でも、これはまた次にね…乞うご期待! 

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桜紀行 その3 喜多方の〝日中線のしだれ桜並木〟

2024年05月09日 | 日記

 昨日(5月8日)の夜のナント寒かったこと!最低気温8度でしたよ。ところが、今日の日中の最高温度は21度まで上がると。この13度の気温差…体に堪えます。この頃の体調不良…いや、それだけでなく精神状態までおかしくなったのか、何となく鬱状態なんですよ。心が重たいです。でも、しなくてはいけないことは待ってはくれませんので…ガンバロウ!

 さてさて、では延び延びになっている「桜紀行」の続きでも書いて、少しは心を軽くしましょうか。今頃?…そうです。一月遅れなんて言わないで、読んで下さいね。

 それでは〝その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」〟からの続きです。4月8日の月曜日の朝、裏磐梯のホテルを8時半に出発。この日の最初の桜見物は、福島県喜多方の「日中線のしだれ桜並木」でした。

 主人も私も〝喜多方〟といえば、〝喜多方ラーメン〟のことしか知りませんでした。まさかこんな場所にあったとは思いもしませんでしたね。東京周辺やそれから以北の土地勘が全くなくて、県名は知っていてもその配置がさっぱりなんです。だから最初のサービスエリアで上信越・東北地方の道路マップを貰って、それを見ながらのバスの旅…でもこれもなかなかいいものです。地理の勉強にもなって…

 さて、その「日中線」なるものは一体何なの?〝ニッチュウセン〟と音で聞けば直ぐに思い浮かぶのは〝日中戦争〟のことかしら。ツアーの皆さん、みんな似たり寄ったりの年頃ですからね。実際は知らなくてもいろいろ聞いたりしていて…。ところが、字を見て〝戦〟じゃなくて〝線〟とは?ガイドさんの説明を聞いてやっと分かりました。

 日中線しだれ桜並木には、長さ3kmにわたって約1000本のシダレザクラが咲き乱れ、福島県でもほかにない壮大なスケールの桜並木が楽しめると。昭和59年に廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道として残したものなんです。中間点付近には当時走っていたSLが展示されて、さくらまつり期間中にはライトアップも行われるそうです。

 これが満開の時の写真だと…ネットよりお借りしました。スミマセン!

  私たちが行ったときは、本当に咲き始めで…これが満開になったらと想像しながら歩きました。

 「日中線」というのは、喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた旧国鉄のローカル線で、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止と。路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来するのだそうです。

 最初行って見ると下の写真のような石碑がありましたので、てっきり日本と中国の〝日中〟だと思ったんですけどね。違ってました!

 確かにこの並木道が満開になるとキレイでしょうね。中に気の早い木が1,2本咲き出していましたので、そこには人が集まって記念撮影を…ここだけで写真を撮ると結構咲いてるように見えるでしょう。

 この喜多方市は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置し、北西に世界遺産の国内候補に挙げられた飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる豊かな自然に恵まれた風光明媚な市なんです。ここが会津の北方に位置していたことから、古来より北方(きたかた)と称されていて、江戸時代には、会津藩の領地となっていました。明治以降、小さな集落を合わせて町や村が形成され、昭和20年代後半から30年代にかけて、町村合併促進法により複数の市町村が形成され、その後5つの市町村が平成18年1月4日に合併して、新しい喜多方市が誕生したんだそうです。

 また、ここはラーメンだけでなく、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の町」としても知られているようです。人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」で、市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻だそうですよ。時間があれば歩いてみたかったなあ。アッ、本場のラーメンも食べてみた~い!返す返すも残念です。

 

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防府市の〝こいながし〟へ吟行してきました!

2024年05月04日 | 俳句

 あれだけ愚図ついていたお天気が、今日も快晴です。昨日は5月3日、はい、そうです…国民の祝日の一つ、「憲法記念日」。今人気の朝ドラ〝虎に翼〟の舞台は昭和10年過ぎの…即ち「大日本帝国憲法」がまだ幅を効かせていた頃ですよね。敗戦後、現行の「日本国憲法」が昭和22年のこの日に施行されて、それを記念して設けられた祝日なんですよ。

  憲法記念日何はあれけふうららなり   林 翔

 昨日はまさにこんな一日でした。このゴールデンウィークはどこもお天気がいいようですから、行楽地などは人出の多いことでしょう。例に漏れず我が恒例の吟行会も昨日出かけました。行先は先ず防府市の佐波川上流の〝こいながし〟です。

 山口県下有数の河川「佐波川」の広い川幅を利用し、鯉のぼりを水中で泳がすアイデアから生まれた「こいながし」。防府市小野小学校地区では、毎年ゴールデンウィーク中に約120匹のこいのぼりが川の中を泳ぎます。水中を色鮮やかに悠々と泳ぐたくさんの鯉のぼりと周辺に連なる山々の緑が相まった美しい風景を見に、今年も市内外から多くの見物客が訪れていました。

 この日が初日でしたので、まだ全部が完成していなくて、その〝こいながし〟を作っているところを見ることが出来ました。ラッキー!

 実は、私や主人は昨年のゴールデンウイークにもお婆ちゃんを連れて、この〝こいながし〟を見に来ていたんですよ。去年は4日でしたので、同じく佐波川の下流では鯉のぼりを空に掛け渡して泳がせる〝こいわたし〟もやっていました。お婆ちゃんはまだまだ元気で、昼食の海老フライが美味しいと食べていましたからね…歳のことを考えれば欲張りな事かも知れませんが、でも何だかはかないです。

 この写真は去年のものです。〝こいわたし〟はお借りしました。スミマセン!

 さて、吟行ですが、この〝こいながし〟を見た後は〝岸見の石風呂〟へ。最後は近くにある〝久兼の棚田〟を見学して、防府駅の方へ戻り、その傍のルルサスで食事と句会です。

久兼上地区の棚田の画像

 久兼の棚田の中ほどには埴山神社があって、境内の石燈篭に安政5年と彫られています。神社周辺は一面の棚田で、神社では今も春・夏・秋と3回祭礼が行われているそうです。棚田の写真はお借りしました。スミマセン!

 久し振りの吟行日和、ちょっと暑いぐらいでしたが見るべきものもたくさん有り、句材にも事欠かない楽しい吟行でした。でも、家に戻ると…どっと疲れがでて、やっぱり歳ですかね!

 ところで、今年になって奥様の具合が悪くこの吟行会をずっと欠席されていたN先生が久し振りに出てこられて、さすがはといういい話も聞けたんです。句会に出た句に対して、私が〝この言葉がないとこの句もいいのに…〟という句評をすると、先生が突然…〝お昼に出たデザート、アイスクリームに小豆が乗っていたもの。あれに更に黄粉が掛かっていましたが、皆さんどう思われましたか?〟と。みんなが口々に〝あれは余分よね〟とか〝全く必要ないし、却って邪魔…ない方がすっきりして美味しいのに!〟と言う。その中で一人だけそう思わない人がいて、〝ぼくは美味しかった!〟と。

 アイスクリームだけでも美味しいのに、お店の人のサービス精神で小豆をトッピングするところまでは許すけど…と。そう、これは俳句に通じるという話だったんです。そして、その句を詠んだのが、黄粉が邪魔だと思わないと言ったSさんで、もう拍手喝采ですよ。それからは〝これも黄粉よ…〟という句評が頻りに使われ、笑いの絶えない句会になりました。更に〈鯉ながし観る人垣や股間にブル〉という句も出ていて、〝この鯉ながしはまだ季語にはならないからこの句は無季ですよ。どなたの句?〟と言うと、なんとN先生でした。〝じゃこの股間にブルとは何ですか?〟と聞くと、〝鯉ながしを橋の上から眺めている人が、股間にブルドッグをはさんでて…〟と。すると〝橋から見下ろしていて…高所恐怖症でブルブル震えたというのかと…〟と言う人もいたりして…ナントも愉快な句会でしたよ。

 N先生は結社は違うのですが私よりも句歴は大先輩、宇部市の俳句大会で共に選者をしています。ご一緒に吟行するようになっていろいろと教えていただき、有り難いことです。ちなみに、なぜこんな句を出したんですかと聞くと〝鯉ながしを季語として認めて貰おうと…〟ですって。だったらもっと感動する句を詠まなくちゃ、これでは到底ムリですよ!と言うと、真顔で〝ダメかな…〟ですって。何歳になってもそのチャレンジ精神は見習いたいものですね。ウラヤマシイ!

 今日も桜紀行の続きが書けませんでした。時期がズレてしまうと…やはり気が抜けますね。俳句と同じかな。要するに〝当季雑詠〟ということかも。では、それはまた…ねッ!

  

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〝第29回中原中也賞〟の贈呈式へ行って来ました!

2024年05月01日 | 俳句

 一昨日の29日は、嘗ては昭和天皇の〝天皇誕生日〟でしたが、天皇崩御後は〝みどりの日〟となり、それが平成19年から〝昭和の日〟と改められた国民の祝日でしたね。この日は天気予報通りの雨…それも予想以上の大雨でした。

  昭和遠く平成鬱とみどりの日    山崎聰(句集『荒星』より)

 この句は「みどりの日」が季語ですが、今だったら「昭和の日」。しかし、この「昭和の日」の方は季語として用いられるようになってからまだ15年余ですから、歳時記などには例句など殆どありませんでした。

 調べているときに、「響焔」の名誉主宰・山崎聰氏の上掲句がありました。これはやはり「みどりの日」でないと通用しない句ですよね。もしこれが「昭和の日」だったら様にならないでしょう。同じ日だからといっても大違いなんです。俳句にはこういう一面があるのですよ。

 歳時記を見ると傍題がいくつかある主季語があります。それを見て、初心者でどれを用いても同じだと勘違いされる方がおられます。例えばこの表現の方が面白そうだったからとか、音数がこれでしか入らなかったからなどという簡単な理由で選択して…。

 やはり俳句は韻文なんです。意味だけ分かればいいのではなく、口に出してみてその音の響きを味わうことも鑑賞の一つだと思います。また、それぞれの語でその言葉の持つイメージというのもありますからね。

 先日投句された句に、「いたち草」を使ったものがありました。この季語を知らない方はどんな草を想像されるでしょうか。恐らく「いたち」という動物のイメージから茶系だとか、動的なイメージとか…。または〝鼬の最後っ屁〟という慣用句もありますからあまりいいイメージではないかも。ところで余談ですが、同じイタチ科でも〝ミンク〟とか〝オコジョ〟と言えば全くイメージが違ってくるでしょう。

 そのように言葉にはそれぞれの持つ伝達力があります。同じ内容のものだからと言って均一には使えないのです。特に俳句のような短詩型文学では言葉数が少ない分、よくよく吟味して使わないといけません。ましてや俳句の命でもある季語に関しては言わずもがなですよ。

 実はこの「いたち草」というのは連翹(れんぎょう)のことなんです。なぜかは分かりませんが、この呼び名は昔からあって…。皆さんはあの花を見て〝イタチ〟を想像できますか。実際の句をここには掲げられませんが、こういうことも考えて、季語だけでなく言葉を選んで下さいね。

 さて、この日は、桜紀行の続きを書こうと思ったんですが、実は知人に誘われて、湯田温泉のユウベルホテル松政で行われた「第29回中原中也賞」の贈呈式へ出かけたんです。忘れないうちにそちらの方から先に書くことにしましたので、よろしく。

 ホテルの写真はお借りしました。スミマセン!他の写真は、遠くからのスマホで、ボケていますが、悪しからず。

■JR湯田温泉駅より徒歩13分。湯田温泉バス停より徒歩0分。

 中原中也がここ湯田温泉の出身で、有名な詩人であることは皆様ご存じですよね。優れた現代詩集を対象とした、新人の登竜門とも言われている「中原中也賞」。その今年の受賞者が、若手俳人としても有名な佐藤文香さんだったんです。彼女の初めての詩集『渡す手』(思潮社)がそれでした。

 佐藤文香さんの受賞のことばの中に、彼女が詩を作る過程が述べられていて、興味深く読みましたので紹介しますね。これは俳句を作る時も同じかも…

 〝暇なので歩きます。生き物の名前や街角のムードを書き取って、電車や家でつなげていきます。あるいは、おでこあたりに湧く音を写すように指を動かすと、愉快な文字が現れます。言葉たちを捕まえたら、元気なうちに整列させ、グループをつくっていきます。ヤツらは隊列を組んで走ってくることもあります。そういうときはもう、ずっと指の運動です。胸が息を忘れます。〟と。

 
 
 また、文香さんは会見で、俳句で使う季語を詩集に盛り込んだ点に触れ「言葉が持つきらめきを効果的に生かすことを考えてきた成果を現代詩集で表すことができた」とも語ったそうです。
 受賞作は24篇構成で、日常生活の目に見えるものや内面を写生したという。更に先程の受賞のことばの締めくくりとして、〝日本語の見せる景色、聞かせる音のさまざまなパターンを、これからも念じて製造していきたいと思います〟と書いておられます。もちろんこれは詩に限ったことではなく、〝日本語〟の係わるあらゆる文学的分野でのことでしょうから、頼もしい限りですね。本当におめでとうございました。  
 
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