ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

吉部八幡宮の「芋煮えまつり」

2019年11月04日 | 俳句

 昨日今日は天気予報では曇りと、…今朝はとてもいい天気で、これで〝曇り?〟と思ってしまいました。でも、確かに昨日の朝は晴れていたのに昼過ぎから曇り、やがてパラパラと…ほんの少しでしたが、時雨もあって、何となく冬への心構えをさせられてしまいました。

 実は昨日、宇部市の地域を盛り上げるべく開催されている「うべの里アートフェスタ」と兼ね合わせて、吉部八幡宮の「芋煮えまつり」がありましたので、出かけました。

 この祭は「芋煮えまつり」と言われるように、「芋煮えの神事」の後、参拝者に煮た里芋と御神酒を振る舞うという、長年守り継がれている吉部地区の〝秋祭〟なんです。

 〝秋祭〟も当然秋の季語で、〝村祭〟〝里祭〟〝在祭〟とも、また漁村とかでは〝浦祭〟と。春祭が農事の始まりに豊作を祈るのに対し、秋祭は稲の収穫後に、新穀を供えて神に感謝する祭です。

  老人と子供と多し秋祭      高浜虚子

 昔も今も変りませんね。どこにいっても若い人の姿が少ない!俳句やってる私たちもだけど…。でも、ここでは「うべの里アートフェスタ」も開催していたから、ちらほら若い人の姿も他所よりは見かけたかな…  

 吉部八幡宮に伝わる芋煮えの接待は、弘長元年(鎌倉時代)、当神社鎮座当時の神徳に起源されます。鎮座祭に領主を迎えた時、賄い役を申し付けられた主人が、もてなしの時間が早まり献立の中に芋の煮物があったが慌ててだし、あとになって残りの品を吟味すると芋の煮え加減は半煮えでした。このような品を領主様にお出ししては、一族は命にかかわる一大事。この日の鎮座された産土神(うぶすながみ)に一心に祈願したところ、領主より「今日の芋の煮物はことのほか美味であった」とお褒めの言葉をいただいた、という逸話より現在まで神事が引き継がれているのです。

 この吉部八幡宮は、弘長元年(1261)、領主厚東武朝の弟武村の命により、宇佐八幡宮より分霊を勧請して創建された神社。参道はキレイな石畳で、トイレもキレイです。確か一億円のふるさと創生事業でこの吉部八幡宮に一億円がつぎ込まれてキレイになったのだと、聞いたことがありますが…。その参道には樹齢500年以上と推定される杉の巨木が…それよりもビックリしたのが、参道の真ん中に何だか紐のような…〝ウワア!これ蛇の死骸…ぺっちゃんこになってる~〟と言いながら写真を。蛇嫌いの私にしては勇気ある行動なんですよ。要するに〝野次馬根性〟です。後で誰かが〝まむしだぞ!〟と言っていたけど…オオ、コワッ!

 遅く来たので芋煮え神事は全て終っていましたが、早速本殿へ参拝した後、芋煮と御神酒を頂きました。ほっこりと煮えた里芋、味付けは傍に置いてある塩をつけて。御神酒は枡に、それもなみなみと…運転しないといけないので、ちょっとだけと言っても…主人はたっぷり飲んで、これは空きっ腹に酔いそうだなあなんて。お接待の人に、〝今年の出来は?〟と聞くと、〝バッチリ!大豊作だよ〟と、ウレシイコト!

 もう残り物でしたが、地元野菜を少し買い、うどんとおでんで腹ごしらえをして、今年のメインの「村芝居」を見に行きました。これは3年に一度の行事で、今年がその年。それが目当ての方々も…当然私たち俳句の仲間もですよ。だってめったに見る機会がないんだし、この「村芝居」は、秋の季語にもなっていますもの。見逃す手はないでしょ!本当にひなびた素人芝居…でもここの村芝居は伝統があって、地元住人の役者顔負けの演技なんですよ。これはまた明日にでも報告して、今回は吉部八幡宮の「芋煮えまつり」の方をどうぞ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする