ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

ちょっと文法の勉強でもしてみませんか?

2021年11月26日 | 俳句

 私にとって月末の1週間はいつも地獄!先延ばしにしているものが溜まりまくって、締切りというピンチに追い込まれるんです…。だからブログに割く時間も無くなるし、フォロー様の記事にも目を通すことが遅れ遅れになって…失礼をしています。ゴメンナサイ!

 でも、私もブログあまり空けすぎずにちょっとでもいいから書いておかないと、忘れられそう…。

 それでは、今日は何にしましょうか。そうだ、先日の句会に次のような句がありましたので、それについて書きましょう。〈黙々と枝豆食べり夜の更けて〉という句。俳句としての良し悪しは別にして、皆さんはこの句の間違いがすぐに分かりますか?

 この間違いは、初心者…いや中堅どころでも結構ありますよ。日本人なら日々日本語を使っているのですから、改めて文法など考えたりしませんよね。ところが、俳句を始めた途端に文法が立ちふさがるのです。それも口語文法ではなくて文語文法が。

 この文語文法、恐らくどなたでも高校時代に習った覚えがあるでしょう。が、余程のことがない限りそれ以後使うということがなくて、殆どの人は忘れています。それが俳句を始めるとすぐに必要になるので、慌てて勉強するも戸惑うばかり…。だから俳句を始めた頃に良く言われました。〝いいわねえ。国語の先生なら文法はお手の物でしょう〟と。確かにその方面に携わってない方からすると、多少は違うでしょうが、教えるのと自分で使って表現するのとでは大違い。やはり勉強し直さないと、そうそう〝お手の物〟という訳にはいかないのですよ。この表現はおかしいのでは…ということはいち早く気がつきますが、じゃあどこがどうおかしいのか、どう直せばいいのかなどということは、しっかり調べてからでないと断言できません。だから私も俳句を始めて、いい勉強をさせてもらいました。まさに日々勉強するのみ…でしたよ。(^0^)

 さて、この前出の句、どこがおかしいかというと〈食べり〉です。すぐに気がつかれたと思うのですが、じゃあどこがどうおかしいのか?

 「食べる」は口語で、文語でいうと「食ぶ」という下二段活用の動詞になります。その未然形・連用形が「食べ」。それに「り」という完了の助動詞が接続しているのです。ところが、この「り」という助動詞は四段活用の已然形・サ変活用の未然形(四段・サ変の命令形に付くとする説もある)だけに接続するのです。もうお分かりでしょうか。下二段活用の「食ぶ」には付かないということが。

 ちなみに、前出の句の季語は「枝豆」で秋。〝ものも言わずに黙ってただ枝豆を食べている。それも夜更けに…〟という意味でしょう。難しい言葉はありませんから一応意味は通じます。だからそれでいいというのではありませんからね。間違いは正さなくては…ね!

 じゃあどうするか?そういうときは同じ完了の助動詞「たり」を使う。すると「たり」は連用形に接続するので「食べたり」となる。そこでまた問題発生です…8音になるので字余りと。さあ、どうしましょうか。

 「食べる」という語は、そもそも敬語ですから上品ですが、もとは「食う」です。これだったら四段活用で「り」が使えますので、「食へり」でOK!

 このように「食う」はちょっと下品だからと、「食べる」を使って文法を間違うより、正しく表現した方がいい。ちなみに俳句ではできるだけ必要がなければ敬語は使いませんので、気をつけましょう。上品ぶって「お茶」とか「お味噌汁」などと言わずに「茶」「味噌汁」でいいんです。いやそれの方が却っていいんですよ。これも俳句の作句法としては大切なことですので覚えておきましょう。

 写真は、〝秋明菊〟シュウメイギク、〝貴船菊〟キブネギクとも。晩秋の季語です。桃色は先に咲きましたが、白がやっと咲きました。やっぱり何だかおかしいですね。この白の裏がほんのりと薄紅に…これが魅力的! 

 

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〝きらら俳句教室〟令和3年度第7回目で~す!?

2021年11月22日 | 俳句

 昨日は午後から雨が降り出し、今朝も雨でした。木枯しも昨日から吹いていましたので、これで殆どの紅葉が終りを告げたみたいです。今年の銀杏はなかなか黄葉しないなあと思ってたら、ちょっと見ぬ間に黄葉して、あっと言う間に散ってしまいました。あっけな~い!

 一昨日の11月20日(土)、「きらら俳句教室」の第7回目を、いつも通り9時30分から実施しました。この日は風もなくて暖かな〝小春日和〟そのもの。2名欠席の、参加者12名と一緒にレンジャーのIさんの案内でいつものコースを約1時間ほど巡りました。

 今年はもしかしたら暖冬なんでしょうか。それとも予報通りにこれから急激に寒くなるとか…。とにかく生物の生態系にも地球温暖化の影響がいろんなところに出ているような気がします。例年なら海桐の実がこの時期は殆ど弾けて、赤い種子をさらけ出しているか、もう枯れ落ちて終っているかなのに、なんと今から弾ける実がたくさんありました。更には茱萸(ぐみ)の花が満開かと思うと、片や赤く熟した実が生っていると…。それを一人が食べてみると我もわれもと…。それで私も一粒、ワッ、渋い!でも甘酸っぱさもありましたから、食べられないことはないけど…。

 この茱萸も俳句では、秋に実を付けるものを「秋茱萸」、夏に付ける実は「夏茱萸」、春になると「苗代(なわしろ)茱萸」と、いろいろあります。が、単に「茱萸」というときは秋の季語になりますので気をつけて。

  茱萸噛めば仄かに渋し開山忌  川端茅舎

 鳥では…カモ類が殆どで、今回はまだマガモ、ホシハジロ、カイツブリぐらだったかな。後はカワウにアオサギ、ダイサギ、コサギ、空にはトンビと、あまり珍しい鳥には出会いませんでした。でも、こういう枯れの景色の中でのんびりと気持ちよさそうに湖に浮かんでいる水鳥たちを見るのは心が癒やされますね。でもこれが小春日和だったからいいのであって、真冬の嵐の時だったら…震え上がってそんな暢気なことは言っておられないでしょうが。写真は逆光で暗くなって、鴨ははるか向う岸でしたし…これでは分りませんね。

 最後、ビジターセンターのそばまで戻って来て藪の中にウグイスの姿を発見。しきりに〝チャッ、チャッ〟という地鳴きが聞かれました。このウグイスの地鳴きを俳句では「笹鳴き」というんですよ。また、そのウグイスのことは「笹子」といって、次のように詠みます。

  二三日ちらつきゐしが笹鳴けり  水原秋櫻子

  笹子鳴くいま来し道に日の当り  神蔵 器

 さて、11時前に教室へ戻り、11時には投句して句会です。見れば皆さん随分と上手になられました。考えてみれば、このきらら俳句教室は昨年から始めたものですから、まだ長くても1年と7ヶ月、おまけにコロナのせいで2、3回は抜けたりしていますので…ネッ、スゴいでしょう。

 今回の最高点句は〈幾重にも羽音響かせ鴨の池〉でした。他にも〈鴨描く水尾どこまでも伸びにけり〉や〈背に日射し浴びつつ笹子鳴きにけり〉〈みな下を向きたる冬のぐみの花〉など、吟行で見た景をしっかりとものにしていました。この調子では今後の上達が楽しみです。これからもガンバッテ下さいね。

 写真は、まだこんなに美しく咲いていた萩の花、南京櫨(はぜ)の紅葉の名残、かくれみのの実です。

 

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季語の〝負喧〟は?ハイ、〝負暄〟が正解です!

2021年11月18日 | 俳句

 今日の天気は…朝の内は少し曇っていましたが、まっこと〝小春日和〟の暖かさでした。ちょっと縁側で本でも読もうものなら、すぐにウトウトと……気持ちのよいこと!最高気温は19度でしたものね。

 さて、先日からの季語〝ふけん〟は〝負喧〟か〝負暄〟かという問題…行く着くところ〝負暄〟を誤植したものということに間違いないようです。

 そもそも、この〝負暄〟なる季語を使い始めたのは、前にも書きましたが、どうも相生垣瓜人(あいおいがきかじん)さんのようです。

 そこで、念のため馬醉木の僚誌「海坂」(うなさか)の現主宰・久留米脩二氏に問い合わせてみましたら、瓜人さんは間違いなく「負暄」を使っていらっしゃたということ。〝負喧〟は誤植ですときっぱり言われました。

 おまけに俳誌「海坂」の60周年記念出版として、この瓜人さんの句集、『微茫集』『明治草』『負暄』を収めて『相生垣瓜人全句集』として刊行したのは角川書店なんだそうですよ。ヘエッ!

 それなのに、『角川俳句大歳時記』(角川学芸出版)には〝日向ぼこり〟の傍題に〝負喧〟として出し、例句を見ても次のように載っています。

 負喧をも負心をも亦重ねけり  相生垣瓜人

 ちなみに、相生垣 瓜人を説明すると、1898年(明治31年)- 1985年(昭和60年)の俳人。本名・貫二。兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)に生まれる。1920年、東京美術学校製版科を卒業。同年に浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に図案科教員として赴任。1928年より「ホトトギス」に、1930年より水原秋櫻子の「馬醉木」、阿波野青畝の「かつらぎ」に投句。1933年、秋櫻子の「ホトトギス」離反に従い「馬醉木」に所属、同年「馬醉木」同人。1937年「馬醉木」の「新葉抄」選者を任される。

 戦中、6年ほど句作を中断したのち、1947年「あやめ」に参加。1948年復刊した「馬醉木」への投句を再開。1949年、浜松放送局聴取者文芸俳句選者。1950年「あやめ」が「海坂」(うなさか)に改題、同誌で百合山羽公と共選。1976年、句集『明治草』他で第10回蛇笏賞を受賞。代表句に「家に居ても見ゆる冬田を見に出づる」「クリスマス佛は薄目し給へり」など。戦後から飄逸味のある独特の句風を発展させ、その句境は「瓜人仙境」と呼ばれた。1985年に永眠、享年86。(ウィキペディアより)

 また、ネットを調べていましたら、「ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko」(2020・12・18)のブログに、〝「俳句αあるふぁ」冬号、そして…〟と題して、〝ふらんす堂刊行書籍がとりあげられているので紹介をしたい。(長いものは抜粋で)〟と…大石悦子句集『百囀』(ひゃくてん)について書かれていました。

(略)自由自在な言葉の斡旋が句集の魅力です。〈負喧(ふけん)してうまうま老いぬわれながら〉の「負喧」は日向ぼこを意味する漢語で、杜甫の漢詩「西閣曝日詩」などに出る言葉ですが、あるいは相生垣瓜人に同名の句集があるので、そこから取ったのかもしれません。(略)〟と。
 しかし、同じ「ふらんす堂編集日記」の新刊紹介をしたいと、この大石悦子句集『百囀』の中から次の二句も採り上げられていました。
 負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら (負暄 日向ぼこのこと)
 負暄して爺かと問はる然もありなむ
 
 このように、同一人物が…それも俳句の出版社の責任者なんですが、そんな方でさえ気がつかずに、「負喧」と「負暄」を混同して使っておられたのです。(この青色の記事はコピペしたものですから。念のため…)
 他にもインターネットを調べてみるとあるわ、あるわで、この漢字の違いが全く認識されないままに出回っている?と、そんな状態でした。
 まあ、一番の被害者は瓜人さんでしょう。だって、この言葉を季語として収録し編集した歳時記が一番大手の角川書店さんなんですから…。
 
 そういうことならばということで、恐らくこの根源を作ったであろうと思われる歳時記の出版元・「角川学芸出版」へ電話をしてみました。そして、その間違いを説明し誤植を正して頂くようにお願いしたんです。が……
 まあ、俳句では押しも押されもせぬ天下の出版社ですもの…いろいろとあるのでしょうが、ちょっと期待外れ。それを書くのはまたのことにしましょう。とにかく正してもらうための布石は打っておきましたので、これで一応私の役目は終りかしら…ねッ!(*^ー゜)

  衰顔の匂はしからぬ負暄かな  相生垣瓜人

 こんな句も詠んでおられる瓜人さん、もしかしたらあの世で嚔(くしゃみ)をしていらっしゃるのではないかしら?(^▽^)

 写真は、今日の月。明日が満月ですから〝小望月〟ですね…スマホのズームで撮ったらこんな赤い色に…

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ウワッ、大変なことに気がつきました!

2021年11月16日 | 俳句

 今夜は冷えそう!最低気温5度ですってよ。昼間はずうっと曇りでしたし、風も殆どありませんでしたので、まあまあの日でしたが。

 今日はちょっと大変なことに気がついたんです。それを知ったときはウワッ!と一人で叫んでいましたもの。

 実は、今日昼過ぎに帰ってみると、私のブログに初めての方からのコメントが入っていたのです。

・コメントが届いた記事
〝負喧〟という季語知っていますか?
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/e/17a5b83a6040a426b5713c97d0839938

・コメントを書いた人…晴陽
・コメント
初めまして。大阪で俳句を作っている者です。
『喧』は『うるさい』という意味ですので、「負喧閉目坐」の訳は「賑やかな声を背に目を閉じて座る」になるかと。
『喧』に『日差しの暖かさ』の意味はないと思いますよ。

 これを拝見して、私は次のように返信を…

晴陽さん、はじめまして!
コメントありがとうございます。
あなたの仰るとおり、「喧」という漢字そのものの意味には、漢和辞典のどこを調べても〝日差しの暖かさ〟という意味はありませんでした。
だからそれがなぜ〝日向ぼこり〟の傍題として使われ、その例句が歳時記に採用されているのかという疑問を持ったんですよ。
私の調べた範囲でのことを書いておきましたが、すっきりとは解決しないままで…。
白楽天の漢詩…「負冬日」(五言律詩)に用いられています。
杲杲(こうこう)冬日出 照我屋南隅 負喧閉目坐 和氣生肌膚 初似飲醇醪(じゅんろう) 又如蟄者蘇 外融百骸暢 中適一念無
この中の〝負喧閉目坐〟が、「背中に日差しの暖かさを受けて、目を閉じて座っていると」と解釈されていました。恐らくそのものの意味ではなく、前文から燦々と差す盛大な冬日を背に…という意味にとったのかなとも思いました…「喧」には盛大な様という意味がありますから。
また現在この言葉が日向ぼこの傍題として認定されているのは確かで、句集名にもなっていますし…。

と書きましたら、また、コメントが来ました。

返信ありがとうございます。私も同様に歳時記で見慣れない季語『負喧』が気になりまして、ネットで検索したところ、こちらのブログに辿り着きました。
この漢詩は白楽天が失脚して地方に左遷された数年後に詠まれたもののようで、彼の心情を慮ると『負喧閉目坐』は「政治の世界のやかましさに背を向けて目を閉じて座る」ぐらいに解するのが妥当ではないかと考える次第です。この件について何か新しい事が分かりましたらまた寄らせてもらいます。お騒がせしました。

 ここからですよ!私が大変なことに気がついたのは…。本当に何気なくなんですが、漢和辞典で〝ケン〟という漢字を見ていましたら…ワアッ!と驚いたのです。それは、〝喧〟の他に〝暄〟という字があったんです…字義は「あたたかい、とくに気候があたたかいこと」だと。更に『精選版 日本国語大辞典』を見ますとそこには慣用句として、「暄を負う」とあり、「日なたに出て、日光にあたる。また、その楽しみをいい、特に、貧しい者が貧しさのうちに楽しみを持つことにたとえる」と。そうだとすると今までの疑問の全てが解けます。

 しかし、私の使っている『角川俳句大歳時記』にはどうみても「喧」なんですね。ネットで調べてもみましたが、相生垣瓜人の句集も『負喧』と書いてあるんです。口ヘンと日ヘンでは意味が違ってくるのは当然のことでしょうに。

 私が思うに、この語を初めて俳句に使ったのは瓜人さんらしいから、恐らく句集や句では「負暄」と書かれていたのではないかと。それがいつの間にか「負喧」と書き間違えられて、世間に広がったのではないかと…違うでしょうか?

 ならば、これは正さねばならないと思いますが、さて、どこにどう訴えたらいいのでしょう。このようなことに通じていらっしゃる方、どうぞ教えて下さいませ。お願いします。

 もしこれが正しいと認めて貰えれば、そのきっかけを作って下さった晴陽さんには、心から感謝致します。

 写真は、ブロ友のころころさんが私の俳句を紹介して下さるという…〈枯れてなほ蟷螂の眼に夢の色〉の〈枯蟷螂〉です。今にもはみ出しそうな大きなお腹をして網戸に捕まっていました。卵を産めずにもう死んじゃったのかな?と指を近づけると、触角がピクッと動きましたから…まだ大丈夫!私をジッと見て…というよりどこを見ていたのでしょう。産卵するときの(いや、ホントはきっと終ったときなのかも)恍惚とした眼…ほら〝夢の色〟でしょ!でも後は死ぬしかないんですから…カワイソウ…ねッ。

  

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第53回宇部市芸術祭〝宇部市文芸大会〟で~す!

2021年11月15日 | 俳句

 今朝はこのところの寒さが全く感じられず、とっても気持ちよく起きられました。ああ、よく寝た!というのが実感!ホント久しぶりです。

 そういえば、昨日の文芸大会の俳句部門の入選句に〈良く寝たと黄泉もどり来る大昼寝〉というのがありましたね。これは「昼寝」が夏の季語です。〝黄泉(よみ)〟はあの世のことですから、きっと天国だったんでしょう。このまま気持ちがよくて戻ってこられなければ…なんて…(笑) ここは昼寝ですから戻ってこられたんですね。ちょっと川柳的ですが、その大袈裟なところが面白い句です。

 さて、その「宇部市文芸大会」が昨日あって、午前中が「短歌部門」、「俳句部門」は午後からでした。

 12時(受付・席題発表)~12時45分(開会・席題投句締切)~13時(学生の部講評・一般の部講評)~13時30分(席題選句)~14時(詩の朗読)~14時15分(席題句講評)~15時(表彰式)

と、順調に進んで16時閉会。その後受賞者の記念撮影で無事に終了しました。

 今回初めての試みで、箏曲の演奏なども組み込まれていましたし、美術展はもう済んでいますので、その受賞作品をスライドで映したりと、いろいろと工夫されていました。また、会場もいつもと違って、宇部市文化会館の3階文化ホールという約500席もあるステージ付きの豪勢なところだったんです。

 確かに〝宇部市芸術祭〟と銘打ったイベントの一つだとすれば、こういう立派な会場で開催するのもいいかと思います。だって宇部市にはもう一つ大きな〝宇部市渡邊翁記念会館〟という誇れる会場もあるんですからね。こういう時こそ市の文化興隆に役立てなければ勿体ないというものでしょう。

 しかし、そんな立派な所ならそれに見合うだけの集客がなければ却って見苦しいのではとも思うのですが。更に私たち選者も今までと違ってステージの上というご大層な身分になっているのですから…何かの〝高上がり〟みたいな感じで、とても落ち着きません。おまけに上から見ますので出席者の少なさが却って目について…ウウン、これはイタダケマセン!

 こういうのは何でも大きくて立派ならばいいというものじゃないですよね。分相応なものの方が…きっと満足感も得られるのではないかと思います。そりゃあもしここが満席近くになるものだったら、どんなにウレシイことか!夢のまた夢ですものね。悔しいけど…

 実際、投句数は一般の部・156句、学生の部・335句でした。が、学生はこんなに多くても表彰される人が数人しか出席しないんですもの。一般の人も表彰される人が殆どで他の人は来ないんです。美術展や詩の部門で表彰される方が早めに来られていたりして、多少多目には見えたのですが、当日の席題句に応募されたのは30人足らずでしたから…ウエ~ン、カナシイ!ですよ。コロナマ前は多いときは50人近くいましたものね。

 こんな現実を知ると…名前は芸術祭なんてとてもいいんですが、本当に淋しい限りなんです。それで私たちも何とかしなくてはと、主催の宇部市・宇部文化連盟と実施団体の宇部市文化創造財団の方々といつも話し合ったりしているんですけれど、昨年はコロナ禍で中止しましたし、今年もまだその影響が大いにあったような気がします。みんな一生懸命にやっているんですけどね。悔しいですよ。

 しかし、あるだけマシなんでは…と言われたことがあります。でも、開催する以上は何とかしてもっといい成果が出るようにやりたい!と、毎年思うことなんです。しかし、県の俳句大会ももう2年も中止していますもの。仕方の無いことかもしれません。

 ちなみに、宇部市長賞の句は、〈月さして影絵の狐啼きにけり〉で、実は私の俳句教室の方でした。他にも教室の方がたくさん受賞されていて、嬉しかったですよ。表彰は、いつもは市長の代理でしたが今回は市長さん直々ですし、それにこんな立派な壇上で貰うのですから、きっと良い記念になったことと思います。

 来年はきっとコロナも収まっていることでしょうから(ホントかな?)、応募をもっと呼びかけて、大会にも必ず参加してもらえるように説得してみよう…はい、ガンバリマス!エエッ、来年のことを言ったら〝鬼が笑う〟ですって…でも言いたい!で~す。鬼さん、許して! 

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〝藤井聡太4冠〟は宇部で達成なんですよ!

2021年11月13日 | 俳句

 今夜は9度まで下がるみたい!今のところまだ炬燵をせずに頑張っていますが、何とも足が冷たい……いつまで持つかしら。でも、エアコンの方は朝夕が我慢できなくなってとうとう使い始めましたけどね。

 実は今日の午後と夜の部とでダブル句会だったんです。それで帰ってきたのが9時前…。それからテレビを付けてフィギュアスケート・NHK杯の男子フリーを見ながら食事。ちょうどSPトップの宇野昌磨(23)選手が3年ぶり2度目の優勝を決めた瞬間が見られて、最高!合計点では自己ベストを更新したそうな。今回は優勝候補の羽生結弦(26)選手が怪我のために欠場して、残念に思っていたところをしっかりと穴埋めしてくれて、よかった!よかった!です。

 片や将棋では、今日藤井聡太3冠(19)が第34期7番勝負第4局を行い、豊島将之竜王(31)に122手で勝って4連勝で竜王を奪取、19歳3カ月で史上最年少の4冠になったんです。4冠達成は史上6人目で、これまでの最年少だった羽生善治九段の22歳9カ月(1993年)を28年ぶりに更新したと。…もう、スゴい、スゴい!の言葉しかありませんね。

 実は今年が宇部市制施行100周年ということで、この「第34期竜王戦七番勝負第4局宇部対局」をANAクラウンプラザホテル宇部で、今日開催したんです。ちょうど夜の部の句会中…4冠達成の朗報が入りました。もしかしたらこの4冠がここで決まるかも知れないという第4局を、宇部市制施行100周年の記念事業として計画したのが見事大当り!みんな歓声を上げて拍手です。これもメデタシ、メデタシ!

 若い人たちの大活躍で、こちらまでパワーを貰えたようでウレシイですね…それならまた頑張らなくっちゃ!

 だって、今度は宇部市の俳句大会が明日あるんですよ。今年度より新しく「宇部市文芸大会」というネーミングで、「短歌部門」を午前中、「俳句部門」・「詩部門」を午後にと、合同で開催することになったんです。それで、いろいろと立て込んでいて…忙しい!だから今日のブログはこれでオシマイ!

 また、終ったらゆっくり報告しますので、それでお許し下さいね。

 写真は、我家の「小菊」…でももう冬ですから「冬菊」かしら?しかし、小菊は、〝純情〟〝真実〟〝元気〟と、とてもいい花言葉なんですよ。


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〝お客さんにその情景が見えるように…〟ですよ!

2021年11月11日 | 俳句

 今朝外を見るとしっかり地面が濡れて、夕べかなりの雨が降った感じ。そこでラジオ体操はどうしようかなと…。

 昨日も全く同じ様子でしたが、見ると外が明るくなってきましたので、いざ出発!と行きました。でもやっぱり参加者が少なかったんです。珍しく会長さんも来ていませんでしたので聞くと、出掛けに雨が降り出してそれで帰ったらしいと。だから今日も…?と悩みましたが、そのうちパラパラと本当に降り出しましたので、中止しました。

 このように降ったり止んだりと、このところ毎日変な天気です。おまけに日に日に風が冷たい!これは間違いなく〝木枯し〟でしょう。だから我家の柿の木もあっと言う間に葉を落してしまいました。しかし、こんな時出掛けると、あんなに嫌だったマスクが却ってアリガタイ!なんて…人間って勝手なものですね。 

 さて昨日の朝、何気なく付けていたテレビ…「スッキリLIFE」でしたか、そこでミュージカル界のプリンス・山崎育三郎さんが出演して、〝育三郎の実践!「舞台上のワザ伝授」〟という番組をやっていました。内容は、岩田絵里奈アナウンサーに歌唱王への道を指導するというもの。

 育三郎さんの伴奏で岩田アナウンサーが歌声を披露すると、「声が優しくてきれいだが、歌詞の中身が見えてこない。歌詞の世界を思い浮かべるとよい」とアドバイス。さらにミュージカルで実践しているというターゲット決め打ち歌唱法を伝授。それは「1人ターゲットを見つけてその人の目を見て歌うことで2000人に届くようになり、表現力がつく」と。また「歌詞の世界の主人公になったつもりで、感情を移入して歌うとよい」とか「お客さんにその情景が見えるように…」とも言っていたんです。

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兼題は〝松手入〟

2021年11月09日 | 俳句

 天気予報通りこちらでは、昨日の午後からはかなり強い雨が降りました。しかし、久し振りの雨でしたので植木などにとってはちょうどいい頃合で、ホッ…でした。

 今日も午前中は曇りでしたが、午後からやっぱり雨が…でも、とても変な天気。半分は晴れて日が差してるかと思うと、半分では時雨が…。実は午後からは句会だったんですが、その句会の途中で本当にキレイな虹が見えて…しばし中断です。特に雨雲のある暗い方では二重虹になっていて、こんなのは滅多に見られないからと、みんなで写真を撮ったり、来月の兼題が「隙間風」に決まっていたものを、急遽「冬の虹」に変更したりと、何とも賑やかな句会でした。(笑)

 その句会後の用事を済ませて7時頃家に帰ると、まだ雨がザーザーと降っていたはずなのに、反対側には月が見えたりして…エエッ、これどうなってるの?と、一日ヘンな気分でした。

 この月の写真、肉眼で見るともっとスリムな月だったような気がするのですが、スマホではこの通り…?まあ、私の肉眼は乱視が酷くなっていて、月も二重に見えますし…当てになりませんけどね。

 さて、今日の兼題は「松手入」。9月から10月頃に松の新葉が伸びきり、古葉が赤くなってくるとこれを取り除き、余分な枝も切り捨てて樹形を整えることをいい、晩秋の季語。庭木の中でも、松の手入れは難しいといわれています。

  松手入せし家あらん闇にほふ   中村草田男

 これは恐らく作者の家の近くでしょう。昼間に松の手入れがなされて庭が美しくなっていたのに、草田男は気付かなかったのかも。夜更けの書斎で何か書きものでもしていると、あの独特の松の葉の匂いがぷ~んと鼻を突く…ああ、近くで松手入れをした家があるのだなあ…と、そんな感慨を詠んだ句なんですね。そういう濃やかな感覚はやはり俳人なればこそですよね。

 エエッ、私ですか?まあ一応俳人の…端くれかな?イヤイヤ、まだまだです。草田男を見倣わなくっちゃ!

 今回の最高点句は〈目だけ出す女庭師の松手入〉でした。最近はどんな職業にでも女性の活躍する姿が見受けられます。だから庭師であっても女性がいて当然でしょう。が、美容、特にお肌に関してはやはり男と女の違いがあるんですよ。男に負けぬような仕事はしても日焼はしたくないという気持ち。でも今はコロナで殆どがマスクをしていますので余り変らないかも知れませんが…。

 ところでこの句、映像的にしっかり見えてきてとてもいいのですが、このままではちょっと気になるんです。何となく締りの無い感じがするところ。それはきっと句中に切れがないからでしょう。要するに一本調子でメリハリがないんです。そこで、〈目だけ出す女庭師や松手入〉と「や」を使って切ってみました。そうすると〝女庭師のしている松手入ですよ〟というような報告性が消えて、もっと大がかりな松手入の様子が想像されます。例えば松が見事などこか由緒ある庭園とか城跡のような大きな公園とか…。そうすると庭師もこの女性だけでなく、他に何人もいたりして。まあ読み比べてみて下さい。これが切字というものの働きでもあるのですから。

 もう一句…〈周到に足場つくりて松手入〉も高点句でした。私が〝これは一体どこの松手入でしょうね〟と聞くと、〝実は我家のです。主人が恐れなもんですから…〟とは作者。確かに迂闊に取組むと危ないですし、素人のご主人なら尚更でしょう。しかし、それは作者の種明かしを聞いたからであって、この句からそこまでは推測できませんので、どこかの規模の大きな松手入だと思うでしょう。だったらそれが見えてくるように詠んだ方がいいのでは?ということで、〈足場組み大手門より松手入〉としてみました。〈周到に〉はこのような作業では当然のことですから削る。その代り〈大手門〉を入れる。すると、城跡での松手入れであることが明白に見えてくるでしょうからね。

 俳句は、五七五という最も少ないことばで、如何にイメージを膨らませて広い世界を描くかが勝負なんです。だから少しでもムダを省き、何か手がかりになるようなことばを使って詠む方がいいのです。

 さあ、皆さんも挑戦してみましょう。ガンバッテ!

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今日は〝立冬〟…でも吟行のつづきなんで~す!

2021年11月07日 | 俳句

 今日の何と気持ちのいい天気でしょう。雲ひとつない青空は久し振り!さしづめ今日は「立冬」なんですから、もう〝小春日和〟と言っていいかも。

 「立冬」は、二十四節季の一つ、陰暦10月の節ですが、陽暦では今日。「小春」も陰暦10月の異称で、立冬過ぎの穏やかな日和の続く頃を〝小春日〟とか〝小春日和〟というんですよ。

 風ひびき立冬の不二痩(や)せて立つ  水原秋櫻子

 この句には「十国峠」の前書きがあります。〈風ひびき〉と〈不二痩せて立つ〉がこれからの冬へ向う厳しさを予感させるような立冬の句ですね。この日は、天気もよく空も澄んで、真向かいに不二がはっきり見えたんですって。それで却って不二の山肌が痩せて見えたのでしょう。

 ゆけむりの風と遊べる小春かな    倉田紘文

 この句はまさに今日のような日和でしょうか。上掲句と同じく風があるのですが、その風と〈遊べる〉という把握が優しさと温かさを感じさせ、太陽が惜しみなく降り注いでいる景が見えてきます。また〈ゆけむり〉とありますから、きっと故郷の別府温泉郷を見て詠まれたのだと…季語の「小春」がとっても似合ってますよね。

 さて、今日は佐々並への吟行会最終です。「夏木原」から車で20分も掛からない、最終目的地の「佐々並市重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建地区)へ。

 ここには何度も来ていますからおおよそのことは分りますが、何だか来る度に廃れていて…空き家が多くなっているような気がします。カナシイ!

 こういう歴史的に意味のあるところでも、何も発展性がないので、生活の糧が得られず人は増えませんものね。伝統というものは一旦失ってしまうと、二度と手に入らないものだから、これを保存するということはとても大事なことでしょう。ですが、現実の問題としては非常に難しいものがありますね。

 佐々並市(いち)は、萩市の南部を占める旧旭村の南縁に位置する農村集落で、かつての萩城下町と三田尻(防府市)を結ぶ萩往還の中間点に位置することから、江戸初期に農業を基盤としつつ、萩往還の整備に伴って参勤交替の際などに藩主が休息する御茶屋を中心とした、宿駅機能を有する集落として栄えたところです。近年に至るまで町並みの地割に大きな変化はなく、かつこの町並みの特徴を示す建築物や工作物、環境物件が現在まで数多く残っているのです。それで、平成23年に国選定重要伝統的建造物群保存地区に選定され、堀内地区・平安古地区(昭和51年選定)、浜崎(平成13年選定)と合わせて、萩市の重伝建地区数が4地区となり、ひとつの市町村に所在する数としては京都市とともに全国最多になっているんですよ。

 また、ここの名物「佐々並豆腐」は、昔ながらの手作りの味で、県内外に広く知られています。今はその豆腐は、土山隆幸さん(7代目)方で作られていて、創業は1800年頃とか。一時途絶えかかったらしいのですが、現在は7代目が跡を継がれて、旅館とお食事処「はやし屋」を開業されています。

 もちろん私たちの昼食もそこの豆腐料理を頂き、その後も場所をお借りして、句会を4時30分まで行いました。ちょっと固めの佐々並豆腐…、先祖代々受け継がれた伝統の味について7代目の土山隆幸さんは「豆腐作りは、一夜水につけた大豆をすりつぶして豆乳を絞り出して、釜で4、50分につめる。このあと、水とにがりを加えてタンパク質をかためる”よせ”(塩析(えんせき))という工程に入るが、にがりの量、温度加減で全く味がかわるほどで、ここに佐々並豆腐の極意がある。」といわれていました。

 写真は、佐々並の街並を抜けると佐々並川があり、その橋のたもとが昔は高札場跡で、今はこの看板が立っていました。更に行くと西岸寺。ここまで来ると先ほどから降り始めていた時雨がどんどんヒドくなって、傘を持ってきていませんでしたので山門で雨宿りです。この山門から見た紅葉と銀杏の木。山門は1850年頃建てられたものとか。ここのイロハカエデが樹高20mの古木で、とても綺麗に紅葉していました。ところが、ナンと銀杏は全く青々として…どうなってるの?ですよ。ここでも異常気象のせいかと、感が狂ってしまいました。

 おまけは、萩往還の〝市頭(いちがしら)一里塚〟と〝貴布禰(きふね)神社〟の写真です。

 最後に、佐々並のマンホールの蓋も往還道の石畳が描かれていました…ほら、時雨に濡れているでしょう。最初に書いた久保田万太郎の〈一トしぐれありし文化の日なりけり〉の句のように、私たちは歴史の里に来て〝ひとしぐれ〟に逢うという吟行でした。それもまたよしです。風情があって…やっぱり、俳句はいいもんですね!オシマイ!



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「佐々並」へ吟行で~す!-夏木原-

2021年11月05日 | 俳句

 今日は朝からいい天気で、日がしっかりと差して風もありませんでしたので、ラジオ体操はとっても気持の良いものでした。

 女性はいくつになっても女性ですね。日差しがちょっと強いと…ほら、おかしいでしょう。電信柱の影に入って一列になって…体操をしているんですよ。(私がスマホで撮ってる影も…映ってる!)

 今日は宇部市芸術祭の俳句応募作品の選句締切りでした。早く出せばいいものを…何やかやとで遅くなり、直接持って行くことにしました。

 この頃土日の郵便配達がなくなったので非常に困ります。これに祝日でも入ってくると締切りに間に合わないということが結構ありますので、その時は速達に…。何だか苦労が一つ増えたみたい!特に何でも遅くなってしまう私のような人間にとっては…ね。

 さて、「佐々並」の吟行会の続きです。〝六軒茶屋〟の次は、吉田松陰の碑がある〝夏木原(なつきばら)〟に寄りました。

 この夏木原は、「萩往還」のほぼ中央に位置していて、この歴史の道を歩く人たちのための休憩施設や緊急避難施設として活用できる「萩往還夏木原交流施設」があります。平成24年4月にオープンしたもので、施設には、無料休憩所、屋外トイレ(簡易水洗)など、誰でも無料で使える施設の他、有料の宿泊施設やシャワー室など、萩往還をより快適に歩くための施設が完備されているんですよ。しかし、今現在はコロナ禍のためにまだ休止されていました。

 ここには、史跡として「吉田松陰東送(とうそう)の碑」があるんです。その漢詩は…

 (われ)を縛(ばく)し、台命(だいめい)もて関東に致(おく)        
 簿(ぼ)に対し心に期す  昊穹(こうきゅう)に質(ただ)すを  

 夏木原頭(なつきげんとう) 天雨黒(くら)く                     
    満山
(まんざん)の杜宇(とう) 血痕(けっこん)(くれない)なり           

 この意味は、現地の案内板に次のように…

 江戸幕府により東送を命ぜられた先生は、安政6年(1859)5月25日、萩から江戸への途中一行と共に、萩往還に沿うこの地で、しばしの休息をとられた。そのときの感懐を、先生はこの漢詩(七言絶句)に託されたのであった。その意は、「私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしとと降り、ほととぎすがしきりに鳴いている。ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言うが、その血で、このあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。」と。わが国の現状を憂い、行く末を案ずる先生の心情がよくあらわされている。先生時に満28歳。(「吉田松陰先生と夏木原」より)

 また、ここには以前「氷室」があるというので見に来たことがありましたが、今回は奥の方へは進入禁止でした。でも、辺り一面が真っ赤に紅葉していてとても見事!写真に撮るとまるで花が咲いているみたいでした。でも、見れば傍には〝まむし注意〟の札が…コワい!

 「氷室」とは、冬にとった氷雪を夏まで貯蔵しておくための室、山陰に掘った穴をいうのですが、ここのは、地面を掘り下げ、茅荻などを敷いて氷をその上に置き、屋根を草で覆って保存し、 暑い夏に利用するという、『日本書紀』にあるような本格的なものでした。しかし、ネットで調べてみましたら今は骨組みだけになってしまっているとか…。確か随分前にこの氷室の実験をしていましたが…今のような地球温暖化では冬の氷が夏まで溶けずに残っているのもやっぱり無理だったような…そんな記憶がありますね。でも、これから行く佐々並の道の駅では、昔「氷室の桜」というのを夏に売っていたので買って帰ったことがあるんですよ。もう何十年も前の話…懐かしいことを思い出しました。

 では、今日もここまで、つづきはまた次回に…

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今日は〝文化の日〟です…が、吟行へ!ー六軒茶屋ー

2021年11月03日 | 俳句

 今日はもう11月3日、「文化の日」ですよね。なんでこんなに時間の経つのが早いの~と、焦ってしまいます。だって今年も残り2ヶ月を切ったということでしょう。毎年のことですが、自分ながらイヤになります。結局何もかもが中途半端で年を越してしまうことになりそうで…決していい加減にやってるわけじゃないんですが、やるペースが遅いからそのしわ寄せが次々と溜まっていく…うえ~ん!なんです。

 一トしぐれありし文化の日なりけり 久保田万太郎 

 毎月第一水曜日にある恒例の吟行会、今日は祝日でしたが実行しました。昨日見た天気予報では、今日は確か晴のち曇だったので、今回もバッチリと思っていました。すると出掛けに主人がスマホを見ながら午後からは雨が降るらしいぞと。エエッ、そうなの?まあ山の方だから天気が変るかもねと言いながら、朝8時には家を出ました。そうなんです。今回の行く先は萩市の「佐々並(ささなみ)」地区でしたから。

 8時30分宇部山口空港傍の駐車場に集合、2台の車に参加者8名が分乗して出発です。この時はもちろん…でも片隅に変な黒雲が少しありましたが、今から行く方は青空でしたから、主人の言った雨のことはもうすっかり忘れていました。まさかこの万太郎の句のように、佐々並で〝ひとしぐれ〟に会うなんて!

 さて、この佐々並地区というのは、江戸時代に萩と三田尻(防府市)を最短で結ぶ53㎞の古道「萩往還」の宿駅機能を果たした宿場町です。以前にも吟行に来ましたので紹介したかもしれませんが、「佐々並市(いち)重要伝統的建造物群保存地区」に、平成23年6月指定されたところです。

 その佐々並へ行く萩往還の途中に「六軒茶屋」というのがありますので、先ずそこへ寄って行くことに。

 萩往還は、江戸時代のはじめ萩城と三田尻の御船倉を結ぶ、参勤交代の道として整備された街道ですが、政治的に重要な道であったため、道幅2間(約4m)の大道として位置づけられました。そのため、利用する人も多かったので、山口県の歴史にとっては大変意義のある道でした。しかし、中国山脈を最短距離で越えるこのルートには、険しい坂や峠が多くて、通行く人たちにとっては苦労の多い旅であったようです。そのために旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられました。

 この六軒茶屋は、その茶屋の中でも萩往還最大の難所、一の坂にあったとされる茶屋で、ここには昔六軒の農家があり、佐々並から山口に家があったのはここだけだったとか。それで、往来の旅人の良い休み場で、軒先を茶店にして旅人をもてなしていたことから六軒茶屋と呼ばれるようになったのだそうです。ここへの途中には石畳が敷かれたり、藩主の御駕籠建場(おかごたてば)や御茶屋も設けられていて、それを復元した建物がこの六軒茶屋跡にはあります。

 この辺りは中国山地ですから宇部よりは寒いので、てっきり紅葉が見頃だと期待して来たのですが、ほんのわずかに見られただけ。残念!

 長くなりましたので、この続きはまた次回で…!

 ところで、先日のブログ「〝銀杏〟は〝銀杏の実〟?」で書いたことなんですが、〝銀杏は10個以上食べると身体に良くない……血液がどろどろになって心筋梗塞や脳梗塞を起こしやすいんだ〟ということについて、いつも私のブログを読んで下さっているK.M様から貴重なコメントを頂きました。

 それを読むと、これは全くのデマ?だったということが分りました。梗塞を起こすのではなく反対に血液をサラサラにしてくれる働きがあるのだと。また食べる数についても調べてみましたらまちまちで、大人は20~40ぐらいまでは大丈夫だとかいろいろありました。しかし、体調や個人の体質で違うから余り食べ過ぎない方がいいとも。でも、子どもには5粒以上は絶対よくないし、亡くなった例もあるそうですから気をつけた方がいいと思います。とても参考になりますのでここに貼付させて頂きました。皆さんも是非読んでみて下さいね。

 ギンナンについて

https://blog.goo.ne.jp/eiyou-km/e/b87ecfe629bf55f0fb52d2f522843879

参考になるかどうかわかりませんが調べて掲載しています。  K.M 

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