ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

桜紀行 その5 新潟県の〝弥彦公園〟と〝彌彦神社〟

2024年05月23日 | 日記

 桜紀行もいよいよ福島県から新潟県へ…。ガイドさんの情報では西蒲原郡弥彦村にある弥彦公園の桜も余り期待できないと。それでコースには入っていない〝彌彦神社〟の方へ回りますかという提案に全員一致で行くことに。12時半鶴ヶ城出発。これから約2時間半ほどは磐越自動車道を走って行くので、到着まで車中でお休みタイム。15時前に弥彦公園へ到着。見れば、ナント、ナント…見事に桜がほぼ満開!これはまたまた予想に反したウレシイ悲鳴でした。ヤッター!

 この〝弥彦公園〟にはソメイヨシノや八重桜など約50種の桜があり、大正五年(1916)、現在のJR弥彦線の前身である参宮線開通を機に越後鉄道株式会社(当時)の駅舎と一体の公園として整備され、昭和三十七年(1962)に彌彦神社外苑として献納されたのだとか。

 また弥彦山(東京スカイツリーと同じ634m)を借景に、自然美と人工美とを巧みに調和させた名園として、四季を通じて多彩な表情を楽しむことができ、苑内の通称「もみじ谷」は近年紅葉の名所として、秋には境内の菊まつりと並んで多くの観光客で賑わうんだそうです。

 〝彌彦神社〟の方は、越後一宮として古くから信仰を集め、「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れるんですって。御祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社で、日本最古の万葉集にも詠われています。祭神と妃神の仲が良いことから、縁結びにご利益があるといわれているんですよ。でももう私には必要ないんですけど…アッそうだ、息子のために拝んどこ!(笑)


 この彌彦神社には見事な鎮守の森があって、樹林に覆われた境内には神聖な空気が漂っていました。紅葉スポットとして特に有名だそうですが、年間を通して美しい自然と森林浴を楽しむことができます。桜は神社の裏手の方に〝桜苑〟があって、ソメイヨシノがほぼ満開だったと。残念ながら私は行かず仕舞。今から5月の八重桜まで、50種類以上の桜がかわるがわる咲き競うんだそうですよ。この旅行で、私の頭に棲みついていた〝新潟は雪が多くて寒いところ〟というイメージが完全に覆されてしまいました。やっぱり何でも体験してみないといけませんね。

 さて、境内を進むと津軽の〝火の玉石〟というのがありました。この石(重軽の石)は持った時の重さの感じ方により、願いが叶うかどうかを占うものなんだそうです。

 ぜひ試してみてはとガイドさんに勧められ、みんな代わる代わる抱えてみました。心の中で願い事を思いつつ持ち上げ、軽いと感じれば祈願が成就、重いと感じたら叶わないと。では私もと…持ち上げてみると、わあ、やっぱり重い!小さい方がやっと持ち上がったぐらいですから大きいのは…腰を痛めるからと止めました。これじゃあ願い事はダメだわ…。うえ~ん(; ;)ホロホロ

 弥彦山山頂には奥宮の彌彦神社御神廟があるとか。神社から10分ほど歩いたところに弥彦山ロープウェーの山麓駅があり、そこから山頂駅まで行くことができるそうですが、残念ながら下から眺めるだけ。ということで、16時過ぎには今日の宿泊地岩室温泉へ出発です。宿の「ゆもとや」へは彌彦神社からは10分でしたので、あっと言う間に到着。

 部屋に入って、食事までにはまだ時間がありましたので、暗くなる前に近くを散策。この宿の裏手に源泉があると聞いて行ってみると、確かにありました。この300年の歴史を誇る岩室温泉は、一羽の傷ついた雁が流泉につかってけがを治したという伝説からで、別名「霊雁の湯」とも呼ばれ、新潟の奥座敷として親しまれており、またここが新潟芸妓の発祥だとも。その傍に「夜泣き地蔵」もありました。

 この「ゆもとや」には、趣向を凝らした「雁の湯」「夢殿」二種類の大浴場があり、それぞれ1日ごとに男女交替制。それで私はもちろん夜も朝も入浴して、両方を堪能しましたよ。食事は珍しくバイキングではなくて、新潟・日本海の幸がふんだんに…生きのいい魚は当然のこと、私が一番期待したのはやっぱり魚沼産のコシヒカリ…はい、とっても美味しくてお代りをしてしまいました!これでまた、肥るわ~イヤダ!なんて…しかし、お料理もお風呂も大満足でした。

 それなのに明日の天気予報は雨100%だと…。さて、さて3日目はどうなることでしょう。では、またの続きを…お楽しみに!

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桜紀行 その4 会津の〝鶴ヶ城公園〟へ!

2024年05月19日 | 日記

 投稿が遅くなりましたが、5月12日の第2日曜日、はい、〝母の日〟でしたよね。昨年はお婆ちゃんが居ましたので、私たちが義母を祝ってお花などをあげましたが、今年はもう…だから仏壇にお花と大好きなお菓子を。

 私は今年は娘から〝魔法のお箸〟を、息子からはお花と食事で祝って貰いました。〝魔法のお箸〟というのは、お箸で未来を創造する企業、あるふぁちーむ合同会社の〝あるふぁスティック〟で、一度使ったら虜になるという摘まみやすさと一般市場には出回っていないという希少価値の高いものなんだそう。〝父の日〟のも合せてと、二人分を貰いました。写真がなくてゴメンナサイ!

 また、息子のくれた今年の花は〝ベゴニア〟で、花言葉は〝幸福な日々〟…ありがとね!更に私が海老を食べたいと言ったので、昨年お婆ちゃんと行った秋穂にまた行こうと…ところが、予約をしていなかったので海老料理専門店は全部ダメ。仕方なく国民宿舎の〝あいお荘〟へ行くことに。ここには以前行ったことがあるのですが、海眺の宿と言うぐらいでレストランからは周防灘が一望できます。この日はお天気が今イチでしたが。そこで食べたのが…私は刺身定食、主人は何とステーキ定食、息子は天刺定食とみんなバラバラ…でも、名物の海老はフライの単品で注文して食べましたよ。やはりこの辺りは魚が美味しい!お刺身はみなプリプリして…さすがです。ゴチソウサマでした。みんなみんなアリガとさん!

 玄関外にクサフジ(ナヨクサフジかも?)がたくさん咲いていました。    

 それでは「桜紀行」のその4にいきましょうか。喜多方の〝日中線〟のシダレザクラの次は会津〝鶴ヶ城公園〟の約1000本のソメイヨシノでした。しかし、ここも残念ながらやっと開花宣言がなされたばかりで、殆どがこれからでしたね。でも会津へ来たいという念願は一応叶いました。が、私の一番観たい白虎隊の飯盛山などは、残念ながらバスガイドさんから〝あちらのほうですよ〟という説明を聞いただけで又の機会にと…。クヤシイ!

 喜多方からは40分ほどでここに到着。お城の入口まで誘導して貰い、自由に城内を1時間ほど散策。その後城の出口にあるレストランに集合して、名物「会津わっぱ御膳」の昼食でした。でもこれは…ちょっと期待はずれでしたね。だから写真もありません。

 さて、この城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、武士の誇りを貫き通した難攻不落の名城として有名です。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建。平成に入り茶室や隅櫓も復元されて、平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられましたが、この赤瓦の天守閣が観られるのはこの鶴ヶ城だけだそうです。

 天守閣への入場は別料金でしたので、膝の悪い私は遠慮して主人だけが観に行きました。この日は下で待っているだけでも汗を掻くぐらい暑い日でしたが、私は待っている間にいろいろと写真を…ではご覧下さい。

〝タカトウコヒカンザクラ〟が一本だけよく咲いていました。ああ、今度は高遠へ行きたいな!

 さて、ここでこの調子なら次の新潟県の〝弥彦公園〟での桜もきっとまだ早いだろうと…ということで、予定コースには入っていない〝弥彦神社〟に寄って行くことになりましたが、そこはナント……。でも、これはまた次にね…乞うご期待! 

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桜紀行 その3 喜多方の〝日中線のしだれ桜並木〟

2024年05月09日 | 日記

 昨日(5月8日)の夜のナント寒かったこと!最低気温8度でしたよ。ところが、今日の日中の最高温度は21度まで上がると。この13度の気温差…体に堪えます。この頃の体調不良…いや、それだけでなく精神状態までおかしくなったのか、何となく鬱状態なんですよ。心が重たいです。でも、しなくてはいけないことは待ってはくれませんので…ガンバロウ!

 さてさて、では延び延びになっている「桜紀行」の続きでも書いて、少しは心を軽くしましょうか。今頃?…そうです。一月遅れなんて言わないで、読んで下さいね。

 それでは〝その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」〟からの続きです。4月8日の月曜日の朝、裏磐梯のホテルを8時半に出発。この日の最初の桜見物は、福島県喜多方の「日中線のしだれ桜並木」でした。

 主人も私も〝喜多方〟といえば、〝喜多方ラーメン〟のことしか知りませんでした。まさかこんな場所にあったとは思いもしませんでしたね。東京周辺やそれから以北の土地勘が全くなくて、県名は知っていてもその配置がさっぱりなんです。だから最初のサービスエリアで上信越・東北地方の道路マップを貰って、それを見ながらのバスの旅…でもこれもなかなかいいものです。地理の勉強にもなって…

 さて、その「日中線」なるものは一体何なの?〝ニッチュウセン〟と音で聞けば直ぐに思い浮かぶのは〝日中戦争〟のことかしら。ツアーの皆さん、みんな似たり寄ったりの年頃ですからね。実際は知らなくてもいろいろ聞いたりしていて…。ところが、字を見て〝戦〟じゃなくて〝線〟とは?ガイドさんの説明を聞いてやっと分かりました。

 日中線しだれ桜並木には、長さ3kmにわたって約1000本のシダレザクラが咲き乱れ、福島県でもほかにない壮大なスケールの桜並木が楽しめると。昭和59年に廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道として残したものなんです。中間点付近には当時走っていたSLが展示されて、さくらまつり期間中にはライトアップも行われるそうです。

 これが満開の時の写真だと…ネットよりお借りしました。スミマセン!

  私たちが行ったときは、本当に咲き始めで…これが満開になったらと想像しながら歩きました。

 「日中線」というのは、喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた旧国鉄のローカル線で、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止と。路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来するのだそうです。

 最初行って見ると下の写真のような石碑がありましたので、てっきり日本と中国の〝日中〟だと思ったんですけどね。違ってました!

 確かにこの並木道が満開になるとキレイでしょうね。中に気の早い木が1,2本咲き出していましたので、そこには人が集まって記念撮影を…ここだけで写真を撮ると結構咲いてるように見えるでしょう。

 この喜多方市は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置し、北西に世界遺産の国内候補に挙げられた飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる豊かな自然に恵まれた風光明媚な市なんです。ここが会津の北方に位置していたことから、古来より北方(きたかた)と称されていて、江戸時代には、会津藩の領地となっていました。明治以降、小さな集落を合わせて町や村が形成され、昭和20年代後半から30年代にかけて、町村合併促進法により複数の市町村が形成され、その後5つの市町村が平成18年1月4日に合併して、新しい喜多方市が誕生したんだそうです。

 また、ここはラーメンだけでなく、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の町」としても知られているようです。人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」で、市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻だそうですよ。時間があれば歩いてみたかったなあ。アッ、本場のラーメンも食べてみた~い!返す返すも残念です。

 

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桜紀行 その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」

2024年04月28日 | 日記

 一昨日はやっとのこと〝菜種梅雨〟の合間の快晴で、溜まっていた洗濯物を目一杯干しました。車に乗るとナント31度もあって、エアコンがガーガーと回りっぱなしだったんです。ところが、次の日はもう雨。するとまた今日は晴れなんですよ。でも明日がまた雨という…いやはやこのところお天気様に振り回されっぱなしで、この異常気象には体の方も悲鳴を上げています。

 さて、先日の〝桜紀行〟の続きを書かないといけませんね。それでは、〝三春の滝桜〟を観てからの以後の行程を…。

 この日の宿泊は、五色温泉の「メルキュール裏磐梯リゾート&スパ」。三春からここまで約1時間ほど。ホテルに近づくにつれ磐梯山がバスの窓からよく見えました。

 このホテルはあの有名な〝五色沼湖沼群〟の近くで、ホテルに着いてから時間がありましたので、その五色沼でも一番大きな「毘沙門沼」まで歩いて散策に出かけました。この沼は確か、コロナ流行の前年に友人と東北へのツアーに参加したときにも来たことがあります。あの時は11月でしたが、まだたくさんの観光客で賑わっていて、紅葉が美しかったのを覚えています。今回はまだこの辺りは雪がたくさん残っていて、大して見るべき物も無くとても寂れていてビックリしました。これもやっぱりコロナの影響なんでしょうか。

 以前にもすぐ気が付いて写真を撮りましたが、毘沙門堂と秋櫻子先生の句碑です。表に〈水漬(みづ)きつつ 新樹の楊(やなぎ)ましろなり〉、裏には「昭和十三季仲秋. 磐鏡園主人 秋山義次建」と。

 雪解け水で沼はとても冷たくて…見ると点々と若緑のものが…それは小さな蕗の薹でした。

 以前は気が付かなかったのですが、ここには磐梯山が噴火したときの日本赤十字社の記念碑もありました。平成元年に、噴火百周年記念の「日本赤十字社平時災害救護発祥の地」の碑として建立されたものです。

  

 このホテルは、以前は「アクティブリゾーツ裏磐梯」と言っていたのが外資系のホテルになったのだそうです。だからか夕食のバイキングにはその種類の多さと多彩さには驚かされましたし、お酒類は何でも飲み放題の無料でした。

 しかし、ホテルの何処へ行くにも広すぎて…お風呂から部屋へ戻るのにも歩いて歩いて…でしたから、歩数計が1万歩を超えていましたものね。

 では、続きはまた今度… 

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桜紀行 その1 三春の〝滝桜〟

2024年04月19日 | 日記

 今年はあっと言う間に桜前線が通過していきました。散々気を持たせていたかと思うと、突然暑くなって一気に開花でしたね。その挙げ句に今度は強風が吹き荒れてあっと言う間に散ってしまいました。まるでその時の私の〝こころ〟のように…

 皆様、ご無沙汰致しました。前回のブログからナント2週間以上も…、こんなに間が空いたのは始めてのことです!しかし、そんなブログにもかかわらず毎日閲覧して下さっている方々がいらっしゃったのをみると、本当に感謝、感謝です。

 この間が忙しかったという理由だけならいつものこと。どうってことないんですが、実を言うと強烈な精神的ダメージを受けて書けなかったんです。長い人生のうちには心が打ちのめされることって何度かはありますよね。が、今回は今までにないほどのダメージを受けてしまいました。ここにその詳しい内容は書けませんが、何十年も信じて付き合ってきた人に裏切られるという…まあ、考えてみればそれも昔からの〝仇も情けも我が身から〟ということかもと反省しています。しかし、それが見抜けなかったという自分にも腹が立って落ち込んでしまったのです。ちょっと大袈裟だったかしら。でもそれぐらいのパンチを、それもダブルで受けたんですから…やはり私には耐えられないことでした。だからこんな気持ちでは到底筆を執る気にもならず、全てが空しくって…哀しい!(; ;)…

 しかし、毎日こんな気持ちで鬱々と過ごしてもいいことは何ひとつありませんし、また、報告すると約束した記事を待っていて下さる方がいるのだと思えば…と気を取り直して重い腰を上げました。くどくどと泣き言など言って…ゴメンナサイ!

 それでは、先日行って来た〝上信越・南東北(福島・新潟・長野)ぐる~り3県7つの桜名所めぐり4日間〟の桜紀行を報告しますね。写真も沢山ありますし、長くなりますのでちょっとずつ分けて書きますから読んで下さい。

 先ず初日(4月7日)は、ANAの始発便で山口宇部空港から羽田へ。10時第1ターミナルに集合、一路バスで「三春の滝桜」へ。

 以前退職したら主人がキャンピングカーを買って、二人で全国の桜を観て回ろうという遠大な願いを持っていたんですが、いつの間にかその夢もどこかへ…。更に義母たちがこちらへ来てからは、旅行といっても一緒に近場のところへ行くだけでした。それが昨年102歳の義母を見送って、それなら念願の桜を今年は観に行こうという計画を立てたのでした。もちろん車で観て回る元気はもうありませんので、どこかのツアーを探してのことでした。最初は今年の桜は開花が早いという予想でしたので7日ではもう遅いかしらと思いつつ、7ヶ所も巡るんだから運が良ければどこかは満開かもと期待を膨らませながらの申込でした。ところが、ガイドさんの話では4月に入ってからの意外な寒さでこの滝桜はまだ咲いていないかもと…。

 東京では満開の桜とスカイツリーを横に観ながら高速を走って行きましたが、福島県の三春に近づくに従い、道々のシダレザクラは殆どが開花前…。ところが、この日が20度を超すというナントも暑い日でしたので、もしかしたらと思ったら…まさに今日開花宣言が出たという…ヤッター!です。もちろん2、3分咲きでしたがそれでも大感激でした。

 東京はやや曇り空、でも三春に近づくに従って快晴でしたよ。バンザイ!

 この「三春の滝桜」は、福島県の三春町に樹齢1000年を超える桜の巨樹で、三春ダム湖の東岸にあり、エドヒガン系のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)です。岐阜県の根尾谷薄墨桜、山梨県の山高神代桜とともに、日本三大桜の一つとされています。樹高13.5m、根回り11.3mの巨木には、四方に伸びた太い枝から薄紅色の小さな花が無数に咲き、その様子が滝が流れ落ちるかのように見えることから滝桜と呼ばれたといわれています。大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。皇居宮殿の正殿松の間を杉戸絵「櫻」(橋本明治画伯)や、赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」(千住博画伯)が、滝桜をモデルに描かれたことでも知られています。令和4年(2022)10月12日には国の天然記念物に指定されてから100年目を迎えました。

 それでは三春の「滝桜」をどうぞ…まだこの程度でもやはり迫力がありました。ぐるりと一周して色々な角度から写真を撮ってもどれもみな格好がいい!さすがは日本三大桜のひとつです。もしこれが満開だったらと思うと…でもこれぐらいで満開を想像して観るというのもまたいいかも。1時間ほどそこにいて最後に振り返って見ると、その間に最初より少しピンクが濃くなっているような…。するとこの2、3日後に行った人はきっと満開が観られたでしょうね。羨ましい!

 帰り道に満開の時の写真が売っていました。

 それでは、この続きをお楽しみに…

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〝年寄りの冷や水〟?それとも〝好期幸齢者〟?

2024年03月30日 | 日記

 昨日に続き今日もいいお天気で暑いくらい。車に乗ると23度を示して、エアコンからは涼しい風が吹き出てきます。この暖かさでは桜のつぼみが一気に開き始めるでしょうから、ときわ公園の桜が満開になるのも4月の初め頃でしょうか。4月5日に恒例の吟行会をときわ公園で行う予定ですので、きっと一番の見ごろになるかも。これは楽しみです。

 さて、昨日はラジオ体操の参加者で、毎年花見をしてきたんですが、その大きな桜の木が昨年伐り倒されてしまったので、今年は代わりに〝みんなの鼻でも見て体操の輪を広げよう〟ということで、〝鼻見〟親睦会を開きました。

 いつものラジオ体操を終えて、会館の二階で総勢18人が集合。注文していた花見ならぬ〝鼻見〟弁当を開いて、みんなで和気藹々と…

 その食事が一段落すると、今度は〝頭の体操〟をしましょうということで、連想ゲームが始まりました。回答者になった人がみんなから出されたヒントで答を当てるゲーム。これがなかなか高齢者には難しい。問題が「ゴジラ」や「ウサギ」などの時はよかったのですが、「恋」とか「青春」とかになると…ヒントもあやふやでなかなか正解になりません。中でも一番傑作だったのが、「青春」のヒントで、〝今の私〟とか〝幾つになっても〇〇!〟とかが出た後に、Oさんが〝胸がドキドキ〟と言うと、即座に〝心筋梗塞〟と答えたのにはみんな大笑いです。それぞれ誰もが身につまされる年齢ですからね。そんな笑いの中で更にもう一つ…と世話役のNさんが持ち出したのは小豆と容れ物と…それにお箸。そう言えばもうお分かりでしょうか?

 ほら、よくあるでしょう。脳梗塞などで不自由になって、そのリハビリにお箸で豆を抓む練習をするのがあると。それを2チームに分かれて、豆拾いリレーなんです。最初は小豆を5粒抓んで他の容器に移し次の人へ。行き着いたら今度は大豆に変えて、また同じようにリレーしていく。やってみると意外と難しいんですよ。特に小豆の方が…結局、前半後半で勝ちと負けが同じということで引き分け。それで全員が賞品を貰いました。

 というわけで、体も頭もしっかり働かせて、…最後の仕上げはボーリング。これは全員ではなく有志でしたが。私と主人は久し振りのボーリングに参加して楽しかったです。

 写真はお借りしました。ゴメンナサイ!なんせ投げるのが必死で…でも、米寿に近い人も投げるんですからね。負けてはおられませんよ。アハハッ…

6月22日はボウリングの日!ボウリングの歴史と健康メリット(季節 ...

 エエッ、結果は?ですって…ハイ、今日はその掃除のし過ぎで体がガタ、ガタなんですよッ!これでもうお分かりでしょう。これを〝年寄りの冷や水〟なんて笑わないでくださいね。

 ほら、今年米寿を迎えられた高田宏成氏の著書・『あなたになってほしい好期幸齢者、これからが本番のワクワク人生戦略』(Kindle版)ですよ。

 その本の中には〝これまでの人生は「助走」で、これからが本当の幸せを意識して行動する「本番」人生です〟と書かれているのだとか。氏はクラーク博士の名句「少年よ、大志を抱け」をもじって「好期幸齢者よ、大志を抱け」として米寿記念出版されたものなんです。著者の大志(夢)は「一燈照隅(いっとうしょうぐう)、万燈照国(まんとうしょうこく)」なんですって。もともとは半世紀以上も企業の問題解決を業としてきた経営コンサルタントなんだそうです。

 いい言葉ですね。私もこれからはこの「好期幸齢者」を使わせて貰おうっと。要するに何を始めるにしても〝思い立ったが吉日〟ですし、〝今が一番若い〟んですからね。じゃあ私もまた4月から心機一転してガンバリましょう。応援ヨロシクお願いしますね!

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宮島で10年ぶりの同窓会をしました!

2024年03月29日 | 日記

 新幹線を降りて新山口駅から外へ出ると、小さな雨粒がポツリポツリと…。こりゃあ大変と急いで駐車場へ。車に乗り一路山口宇部道路を走らせていると、次第に雨脚が強くなっていきました。

 家に着く頃にはナントものすごい土砂降り…おまけに家へ入ろうと傘を差した途端に〝グァシャ~ン、ガラガラ、ドーン!〟と雷が…。ビックリして差し掛けた傘を慌てて閉じて家へ一目散…それでずぶ濡れ。

 雨を拭いながら居間へ入ると、主人が〝雨女さん、お帰り…〟と、ニヤニヤ笑いながら言う。その嫌みな言い方に私もすかさず、〝二日間雨に降られて、いい気味と思ってるんでしょう。残念でした!傘はほんの少し差しただけ…男性群なんか殆ど差さずに歩いてたわよ。終わり頃はお日さままで出て…〟と言うと、〝うそじゃろ、ホントか?〟と信じられないという顔。

 そうなんです。この24日~25日前後にかけての天気予報は、どこをどうひっくり返しても全国的に雨、雨。雨。要するに〝菜種梅雨〟なんだと。

 だから、広島の先輩からも今回の同窓会が終わって〝晴女の神通力も効かなかったようですね〟という慰めのメールなど頂いたりして…。殆どの人が今回ばかりは雨に降られて…と思ったんでしょうね。でも、本当に不思議なくらい私たちが歩く時は雨が止んでくれて、何か乗物に乗るとその間に降るんです。こんな経験が私には何度もあるんですが、話しても信じて貰えないことが多い。しかし、行動を共にしたことのある人はみんな信じてくれますよ。今回もそれを実証しましたものね。

 ところで、大学の同窓会は女性は9年ぶり。男性は10年ぶりでした。私がお世話するのももうこれが最後かもと、懐かしい広島でやったんです。いつも男性群の幹事を引き受けていたYさんが昨年亡くなられ、それで彼やその他の亡くなった同級生たちを偲び、想い出を語ろうということで企画したもの。今年は桜も例年より早いという予報で、宮島に宿を取ったのでした。でも結局来られたのは8人、男性3人と女性5人だけでした。

 久し振りですので私もいろいろ計画したんですよ。それなのに…全て当てが外れました。何度天気予報と開花予報を調べたことでしょう。最後は桜は諦めて、せめて天気だけでも…私の〝晴女〟というお加護を信じてまさに神頼みの心境でした。だって、宇部を出るときは降ってなかったんですからね。

 広島駅に12時集合。さてと見ると、…やっぱり降ってましたのでタクシーで平和公園へ。小雨の中をとにかく休憩所へ行き、そこで広島の有名な〝お好み焼〟を食べました。本当は鉄板で焼いたのを直に食べたかったのですが、なんせ昼時の混雑は酷いもので、1時間待ちは当り前。席は予約出来ないがテイクアウトならいいというので、焼いてもっらていたんです。

 なぜそんなに時間が無いのかというと、宮島へ行くひろしま世界遺産航路の船が14時出発で、以後は潮の関係で出ないというから。さて宮島まではゆっくりと45分間の船の旅。これで桜が咲いてたら最高なのに…と言いつつ、元安橋から出発して、原爆ドームや平和公園を眺めながら雨に煙った海へ。でも景色はそっちのけでお喋りに花が咲いてたら、途中から横殴りの雨になり、宮島に着いたらこれはまた大変だわと思いながら…。

 写真を撮る余裕がなくて…下の写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

航路イメージ

map

れいら

 でも、もうこうなったらやけくそ!泣いても笑っても…と腹を括っての宮島上陸ですよ。しかし、タラップを降りる頃にはまたもや小雨。男性群は〝春雨じゃ、濡れていこうか…〟と傘も差さず。でも、本当に傘も差さなくていいぐらいの宮島だったんですよ。ほら、こんなに潮が引いて…。ところで、私たちが帰った次の日にここでフェリーが座礁してニュースになっていましたよね。ビックリです。

 完全に潮が引いて、たくさんの人が大鳥居の傍まで下りて行ってました。でも、やっぱり桜は残念ながらまだ。荷物は宿の車で運んで貰っていましたので、私たちは〝銀ブラ〟ならぬ〝宮島ブラ〟で、商店街を抜けて宿まで歩いて行きました。

 16時過ぎ宿に到着。それ以後のことは…ご想像に任せて、翌日のことを。ナント、晴れ…とまでは言えませんが、雨はすっかり上がっています。また、昨日よりは暖かい。見ると昨日大きくふくらんでいた宿の前の桜が、今朝は2,3輪開いているではありませんか。ヤッター!です。

 3枚目のは満開の頃の写真をお借りしました。ゴメンナサイ!

宮島の写真

 さて、朝食が済むとまたの再会を約し、それぞれの予定で一応宮島で解散。しかし、6人は一緒に広島駅へ行くので、そこでまたコーヒータイムでのお喋りを。

 男性群と分かれて私たち3人は、東京へ帰る友人が元大学のあった所へ行ってみたいというので、今度は懐かしい路面電車に乗って行きました。嘗ての面影を残した校門のフェニックス…これが大学のシンボルで校章にもなってました…でもこんなに伸びて高くなっています。これこそが卒業してからの年数なのよねと、感慨一入。また、四季折々に美しいメタセコイアの並木も残っていました。ここは〝森戸道路〟と言って、なぜかここを歩くと誇らしい気分に…これも変わってないわね!と、懐かしいこと。

 そう言えば、確か卒業式の日、新聞社の人にこの校門で記念写真を撮ってもらい、それが新聞に掲載されたことがあったのよ…と。でも、その時の3人娘とはメンバーが違うけど、気分は同じ。ほらやっぱり〝三人娘〟でしょう!(笑)なんちゃって、パチリ!

 今は公園になっている校内に洒落たレストランを見つけてお昼です。懐かしさの味も加わってナント美味しかったこと!外を見ればお日様までキラキラと…。

 ほら、言ったでしょう、私〝晴女〟だって。すると彼女らも〝私だって〟と。そう、なら男性群がみんな〝雨男〟だったのかもね。しかし、私たち〝晴女〟の方が多かったからこの程度で済んだのよね。…ということで、同窓会も無事終わり、メデタシ、メデタシ!でした。

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また、また巡ってきました、この日が!

2024年02月27日 | 日記

 一昨日の2月24日、とうとうまた巡って来ましたね。そう、ロシアのウクライナ侵攻開始から2年目の日。おまけにそれが私の誕生日でもあるんですよね。だから1日も早く終結してほしい!エッ、わたし何歳かって?それはヒミツです。( ´艸`)

 でも、例のごとく1年前のブログ記事が送られてきたのを見ますと、昨年は義母がまだ元気で、私の誕生日のお祝いにとお赤飯を蒸してくれていたんです。そう言えば、お婆ちゃんの誕生日も2月20日でしたから…昨年は娘、息子と合わせて4人分の誕生祝にと秋穂の海老料理を食べに行ったのでした。あの時のお婆ちゃんの食欲にはみんなビックリさせられましたが、でもそれだからあの時はまだまだ元気だったんですよね。

 やはり7月に体調を崩し、食べられなくなって入院して以来急速に弱っていきましたから。今考えるとそれも仕方がなかったかなとも…今では心穏やかに義母の死を受け入れられるようになりました。本当に時間が薬…心の良薬ですね。

 さて、今回は娘たちがお祝いとして、昨夜美味しいお料理屋さんに招待してくれました。今まで何度か行きたいと思っていたところなんですが、なかなか予約が取れず今回初めて行きます。普通の民家のようなところで、知る人ぞ知るという隠れ家のようなところ…楽しみ!

 まず部屋に入り出迎えてくれたのは、氷の彫刻…干支の〝龍〟、人参の〝鯉〟大根の〝牡丹(?)〟でした。

 それでは、その美しい手の込んだ会席料理をご紹介しましょうか…

 前菜…ふわふわ蒸し 青のりあんかけ キャベツのテリーヌ

 お造り…本日のお造り(マグロトロ、イカ、タイ、ホタテ)

 酢物…五色野菜のみぞれ酢

 油もの…大根・長芋・鰯のグリーンスープかけ

 お口直し…みかんシャーベット

 焼き物…県産牛の鉄板焼※県産の利き酒セット(雁木・カネナカ・東洋美人)

 御飯…焼おにぎりの茶漬

 甘味…生チョコブラマンジェ

 お飲み物…珈琲・紅茶・ルイボスティー

 以上でした。どれにも日本料理の繊細な技が冴えていて、見るだけでも楽しく、食べるのがもったいないくらい。また美味しいお料理で、ご馳走様でした。久しぶりに飲んだ日本酒も口あたりよくとってもいい気分に…

 帰るとき空にはちょっと欠けてはいましたが、美しい月が…実は24日が満月で〝一粒万倍日〟という縁起の良い日だったんです。でも天気が悪くて見えず、だからこの日は十六夜でした。

 またこの日には…他にもとっても嬉しいプレゼントをたくさん貰ったんですよ。その一つ目はちょっと言えないものなので置いといて、次に息子からウォーキングシューズ、主人からはケーキを、それに何か月も探して探してもう諦めていたものが、この日突然出てきて…これは猫ちゃんが探し出してくれたので猫たちからのプレゼント。とっても高価なものですので、これが一番嬉しくて感激しました。(笑)

 このようにこの度は今までにないくらい嬉しいウレシイ誕生日でした。これはきっと亡くなったお婆ちゃんからの贈り物かもね。だってお婆ちゃんが亡くなった日も美しい満月でしたもの…ねッ!お婆ちゃん。それにみんなみんなアリガトウ! 合掌!

 ※昨夜アップするのに写真がシステムエラーでどうしても出来ず、遅くなりました。

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〝冬の月〟を見ながら〝引き際〟ということを…!?

2023年11月29日 | 日記

 昨日はなんとも美しい月が皓々と出ていましたね。これはもう「冬の月」です。確か11月の満月はビーバームーンといって、一昨日の27日だったと。ところがこちらは雨で見られませんでしたので、つい気に留めていなかったのですが、昨日の美しい月でお婆ちゃんの亡くなった夜を思い出しました。そうです、今日の29日が月命日になります。あれから1ヶ月…早いというよりまだ1ヶ月というのが実感。

 この日のお月さまの写真です。雲がどんどんなくなって、とってもキレイでした。でも、どうしてこんな色が…スマホを新しいのに変えたからかしら?

 忙しい日々の暮らしに追われながらも…昨日おにぎりを作っていると〝炊きたての御飯でおにぎりが食べたい!〟とベッドから言ってたお婆ちゃんの声が聞こえてきました。この月の光を浴びる度にお婆ちゃんは蘇ってきて、私たちの中に生き続けています。

 このごろ〝引き際〟という言葉が気になっています。引き際というのは〝現在の地位や立場などから身を退く時に、その時宜や退き方をいう〟のだと。〝引き際が悪い〟とか〝引き際が肝心〟などとよく使われますが、人の引き際というのはその人を後々までズウッと印象づけるもののようですね。

 そう考えるとお婆ちゃんの人生の引き際は本当に見事でした。あれはお婆ちゃん自身がお膳立てしたのではと思うくらい。「後の月」と「月下美人」の咲く時になんて…こんな好条件はそうそうとは訪れないでしょう。お月さまが少しでも陰ったら…花の咲くのが1日でもずれていたら…そう考えたら、この偶然の一致は必然だったのではと思えてしまいます。

 これが義母の亡くなった夜に咲いた月下美人です。

 お婆ちゃんは、耳の悪い私が羨むほど良く聞こえてました。普通102歳といえば…体のあらゆるところが悪くて当り前。それなのにお婆ちゃんはどこといって困るようなところはなく、特に耳は特別いい。ある日お婆ちゃんのベッドの傍で看護師さんと内緒話をしていて、てっきり聞こえないものと思って話す看護師さんに、〝お婆ちゃんが聞いてるわよ〟と言うと〝嘘っ!〟と。だから、お婆ちゃんに今の話聞いてた?と確かめると〝うん〟ですって。だから何がほしい?と聞かれたら、私はいつも〝お婆ちゃんの耳〟と答えていましたものね。

 義弟たちが京都に帰る前の27日の夜、4人で来月の予定を話し合っていたのです。なぜかというと、11月は各地域の文化祭が毎週末に目白押しでその展示に、おまけに主人は陶芸展までが重なって、その準備やら後片付けやらで2人ともが出ずっぱりになるから。それでどうしても京都から毎週来て貰わないといけなくなるわねと…そういう話をしていたのを、お婆ちゃんはもしかしたら…いや耳のいいお婆ちゃんならきっと聞いていたのでは?…と私は思ったんです。だってその挙げ句の2日後なんですからね。亡くなったのは。

 これ以上みんなに迷惑を掛けたらいけん…介護疲れでみんながクタクタになったらいけん…ほどほどのところで…そう考えて自分が一番キレイに覚えておいて貰えるこの日を選んだのではと…。

 おまけに、この日の看護師さんはお婆ちゃんが大好きなお気に入りのNさんで、リハビリもして貰って、〝また明日もね〟と言って分かれたんですよ。もうお婆ちゃんには思い残す事が無かったのかも。私たちにも〝もう少し介護したかったのに…〟というぐらいの惜しまれ方で身を退くなんて…見事としか言い様がありませんよ。

 皓々とした月の光を浴びる度に〝お婆ちゃん、元気!そちらは寒くない?こっちはもう寒くって…あんなに暑かったのが嘘みたいよ!〟なんて、ついつい話しかけてしまいます。これからもきっと、いつまでも…

 私も、そろそろ自分の〝引き際〟を…人生とは言わないまでも、今の俳句生活の引き際を本気で考えないといけないかなあなんて…月を見ながらお婆ちゃんに話しかけてます。〝あんたももう年なんだからそろそろ辞めてのんびりしたら…〟といつも言われてましたからね。

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〝勤労感謝の日〟と〝餅拾い〟

2023年11月24日 | 日記

 今日はまた何と寒いこと。ゴミ出しに外へ出ると冷たい北風がビュービューと吹いて、震え上がってしまいました。見れば最高気温でも13度とか。昨日より10度前後の気温差は体に堪えますね。何だかお天道様に翻弄されているみたい!

 さて昨日は11月23日、国民の祝日の「勤労感謝の日」でした。まるで寒さを忘れたようなうららかな日和…そう、〝小春日和〟でした。何かちょっとでも力仕事をすると汗ばむぐらい。主人は久し振りに我家に戻って、植木の伸びきった枝などを剪っていました。私は私で溜まっている原稿などの整理。息子は休みなので朝寝を楽しみ…我家の猫たち・とろろ・こんぶも、今日はなぜかみんなが家にいるので、ごろごろと寝たり起きたり…長閑な時間がやっと戻ってきた感じです。お婆ちゃんがいたときはそれなりに気持が張り詰めていて、それはそれでやりがいのある時間でしたけどね。

 少しずつ以前の時の流れに戻りつつあるような…しかし、それは私にとっては問題かも。折角規則正しい生活が身に付いて良かったと思っていましたのに、また、またいい加減な暮らしに…だって楽な方に堕ちるのは早いんですもの。気をつけようっと!

 午後からは俳句教室のKさんから上棟式の餅撒きをするので来ませんかと誘われ、餅拾いに行ってきました。この〝餅撒き〟、昔はよくありましたが、最近は殆どありませんね。このKさん宅は昔造り酒屋だったとかで、百年前に建てられた家には立派な鏝絵があると。それを保存してあるというので見たいと思い、娘夫婦も誘って行ったのですが、その鏝絵は今はまだ見られないと。残念ですが、公開される時に見せてもらうことにして、今日は本気で餅拾いをするぞーッ!(*^ー゜)

 ところで、この宇部市では…いや、これは山口県のどこでもかも知れませんが、何かのイベントあれば必ずと言っていいほど最後には餅撒きがあるんです。だから先日のふれあいセンターでの文化祭でも餅拾いをしてきましたものね。

 香川県から引っ越してきた娘や広島からの義母も言っていましたが、宇部は何があっても直ぐに餅撒きをするんやねと。調べてみるとやはり餅撒きが多い県は和歌山と山口だそう。だって山口市阿東地区では、コロナ禍以来、4年ぶりこの23日に国内外から猛者がそろっての第10回餅ひろい世界選手権が開かれたんだそうです。記念大会ということでこれまでで最も多い1万個の餅が用意されたんですってよ。ヘエッ、知らなかった!

 さて、この日の餅撒きは宇部市でも中心部から外れた田園地帯。だからその地区の方々が結構集まっていて、昔ながらの餅撒き光景…やはり田舎はのどかでいいですね。こんなにふんだんに拾えたのは初めてかしら。街の方ではものすごい取り合いで恐ろしくって少ししか拾えないんですから。お菓子もたくさん撒いておられましたので、子どもたちも大喜び…楽しいひと時でした。早速ぜんざいにでもして食べようかなと、あんこを買って帰りました。

 このような昔ながらの行事やしきたりなど…まあ、お金は掛かりますが、それで人々の厄災が払われたり、また地域の人々の絆が固くなるのならイイコトだと思いませんか。それを特に実感するのは、お遍路巡りなどをする時なんですよ。こちらの秋穂にも八十八個所〝お大師参り〟がいつも春にあるんです。お婆ちゃんと何度も行ったっけ…お接待の蒸かし藷が美味しくて、お代りがほしいなんて言ってたわね、お婆ちゃん。今年もあったらしいですから、来年もきっとあるでしょう。だったら久し振りに行って見ようかな。

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お久しぶりです!先ずはお婆ちゃんのことを…

2023年11月19日 | 日記

 あっと言う間の11月、それももう後半で2週間もしないうちに師走に突入ですね。義母が亡くなってから三七日が過ぎました。早いようで遅いようで…

 いろいろとご心配して下さった方々にも失礼してしまいました。今までブログを書く気力がなかったわけではないのですが、余りの忙しさというか…まあ、事情が事情なので許して貰えるかななんて…でもこのまま何も書かずにいくとズルズルといきそうで…これはいけんとちょっと一段落したところでご報告がてら今の思いを綴ってみようと思います。その間フォローの皆さま方への訪問もままならず失礼してしまいました。お許し下さいね。これからまた頑張りますので、ヨロシク!

 さて、考えてみれば嘘のようなホントの出来事でした。誰の頭の中にもこれっぽっちもお婆ちゃんが死ぬとは予想していなかったんですから。もちろん年は年ですし、お医者様が仰るように〝何時死んでもおかしくない〟という状態だったのかもしれません。しかし、頭はしっかりしているし、食欲はあるし、一緒に歌ったり手遊びしながらリハビリも上向きだったし、介護のお手伝いをして下さるみんなに〝お世話になります〟〝ありがとうございました〟〝明日もよろしくお願いします〟といつものように言って別れ、その夜のことでしたから。

 〝お婆ちゃん、いいお月様よ。きっと今夜は月下美人が開くわ〟と話していたら…その月下美人の花が開くと同時にこれ以上無い美しい月光の中へ旅立っていった義母…哀しいというより茫然自失?…いや、そんな言葉では到底表せないですね。これは味わった人にしか分からないことかも。とにかく思考が…この事態をなんとかしなくっちゃという方向へだけ働きましたから。一瞬のことといえばそうかもしれません。全く予測の付かないことでした。そこが医学に疎い素人だったからでしょうか。せめて昏睡状態に陥ってとか何らかの兆候があってのことならいざ知らず、私たちには全くの予想外だったのです。いずれ死を受入れなければならないのは分かっていたのですが、余りにも元気で、まだ心の準備が整ってなかったのです。だって在宅介護で良い方向へ向かっていましたから、もう少しこのまま一緒にいられる時間が残っているものとばかり思ってしまったのです。

 もちろん遅かれ早かれその時が来ることは分かっていましたが、それは頭の中だけのこと。ベッドに寝てはいても目の前で普通に話が出来て、何か食べればおいしいと、手足を擦ってあげれば気持いいと喜び、そういう体温が直に感じられるという現実には死はまだ遠くにしかなかったんですね。だからショック!…これが一番妥当な言葉かもしれません。そのショックが大きかった分だけ立ち直りが遅いのでしょう。そう考えれば、全く予期せぬ事故や犯罪や戦争などで理不尽にも突然の死を迎えられた人々の遺族の方々の気持はいかばかりかと少しは実感をもって察せられます。

 今でも主人は義母宅にいて後の整理などを、私は相変わらずの通い妻で食事の用意をしに行ったり来たりの毎日です。玄関を入ると真っ先に仏壇へ行き、〝お婆ちゃん、どう? 今日のご機嫌いかが…〟と言うと、〝はい、今日も元気で、ご機嫌はいいですよ!〟と、いつも言ってた声が聞こえてきそうです。

 どんな時でも前向きで明るさを失わなかったお婆ちゃん、痛いとか苦しいとか、嫌なことは一言も言わなかったお婆ちゃん、いつも希望を持って次のことを楽しみに待って生きていたお婆ちゃん…みんな、みんな見習わなくっちゃね!頑張りますから天国から見ていてよ、お婆ちゃん…合掌

 写真は葬儀の時のもの。家族葬でこぢんまりでしたが、お婆ちゃんのこよなく愛した子・孫・曾孫までが誰一人欠けることなくの見送りでしたので、きっと最大の笑顔で旅立ったことでしょう。それにお婆ちゃんが日頃から手作りしていた大切なものや以前四国の八十八個所を一緒に巡ったときの朱印帳、それに朱印を全部押した袈裟も掛けてあげました。一番下の写真にある二つのボールはリハビリ用に買ってあげたもの。お婆ちゃんはそれを寝るときも離さず握っていましたので、手に握らせて納棺しました。きっと頑張り屋のお婆ちゃんですからあの世でもリハビリをして…今頃は天国を歩いているかも…ねッ、お婆ちゃん。

 

 

 

 

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介護日記―〝ビールが飲みたい…〟ですって!

2023年09月23日 | 日記

 今日は23日、国民の祝日〝秋分の日〟で〝彼岸の中日〟です。朝夕はめっきり涼しくなり昨夜は20度と。でも日中はやはり30度を超す暑さ!この10度以上の落差は体には却って酷というものですよね。

 先日も話していたのですが、この暑さではなんぼ何でもあの花は咲かないのでは?と。それでラジオ体操の帰りに辺りをキョロキョロしながら帰ると…ヤヤッ!こんなところにちゃんと咲いてるではないですか!私が気がつかなかっただけなんです。我家に戻ってもよくよく見ると、その時は白でしたがひっそりと咲いていました。なんと賢いこと!この〝彼岸花〟という花は…

 そう、この植物は、己に与えられた名前の通りその役目を果たそうと、どんなに過酷な環境であろうとも文句一つ言わずに全身で生きているんですね。ほら古典にもあるでしょう、〝名にし負はば…〟ですよ。これぞ見事な生き様と言うべきでしょう。〝名は体を表す〟とも言いますが、私もそうありたい!今はナントも見せかけだけのものが溢れてかえっている世の中ですから…

 理屈的には彼岸花が日照時間と気温によって開花するのだから、そんなに大幅に咲く時期は違えないのだということを私は知っていましたが、今年のこの前代未聞の猛暑と残暑ではもしかしたら狂うのでは?…だって〝狂ひ咲〟という季語もあるくらいなんですもの…なんて私も主人も疑っていました。

 こういう生き物だけでなく何もかもが変動・変化していく昨今の世の中…地球で、昔ながらの季節の営みを変らず続けてくれるものに出逢うと、心からホッとします。その変らぬ季節の営みを未来へと詠み継いで残していくというのも俳句の良さの一つかも知れません。そう思うととっても有り難いです!

 さて、お婆ちゃんの在宅介護も2週間が過ぎました。今のところ順調です。先日の血液検査の結果も診療に来られた先生が〝こんなに良い結果が出るとは思いませんでしたよ!〟と驚いておられました。また、初めての入浴サービスを受けてさっぱりした後、お婆ちゃんに何か飲みたいものは?と聞くと…ナント答えは…〝ビール〟ですって!もうみんな大笑いですよ。

 その時は、〝先生に相談してみるね〟と言って宥めましたが、今度は夜になって〝梅酒が飲みたい…〟と言う。それでとうとう一口飲ませたら〝ああ、美味しい!〟と感激です。だって入院前は大抵毎日飲んでいたのがこの2ヶ月以上口にしていないんですものね。往診の時先生に聞くと〝それはいいですね。ビールはまだ控えた方がいいけど、梅酒や日本酒などはいいですよ〟と。でも、その後お婆ちゃんにまた飲む?と聞くと、今度は〝体がポッポして暑くなるからいらん〟ですって。でも何だか徐々に以前のお婆ちゃんに戻ってきてるようで世話をするのにも励みになります。

 今のところ第一の目標は、ベッドから降りられるようになってポータブルトイレが使えるようになること。病院での2ヶ月は本当に辛かったでしょう。仕方が無いといえば仕方が無いのですが、あの時こういう在宅介護の準備が出来ていたら、入院せずにもっと残された機能を維持できたのではと思います。私たちにその知識が無くて、入院しても病気が治ったら退院して、再び以前のように暮らせるものと甘く考えていました。ということはそれほどお婆ちゃんが元気だったということでもあるんですけどね。

 こういう超高齢者の入院や施設への入所というのはよくよく考えてから選択した方がいいように思います。でも、在宅介護というのも大変なことで、最終的にはそれができる状況や環境にあるかどうかということになるのではないでしょうか。

 とにかく、私たちは確かにいろいろとシンドイ所はありますが、今は在宅介護に踏み切って良かったと思っています。ある時看護師さんが〝家はいいですか?〟と聞いたら…お婆ちゃんは何と言ったと思いますか。〝家はサービスがいいです〟って…だからそれを励みにガンバリマス。ではまた、よろしく!

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〝家がいいに決まっちょる〟って!

2023年09月18日 | 日記

 今日はもう18日、「敬老の日」です。前回のブログからまたも1週間以上空きましたね。しかし、よく「息つく暇も無い」と言いますけど、まさにそうでした。ということは今まで私は息をついてばかりいたということなのかしら?(笑)

 在宅介護が始まって10日が過ぎました。大体1日のスケジュールが分かってきて、それなりにこなしています。先ず9時にヘルパーさんの訪問、おむつ交換や顔・手足などの清拭で約20分。次は12時に看護師さんが来られ、点滴や血圧・体温・酸素濃度などの基本的医療とおむつ交換や体位変換など。時に下着や寝間着の着替えなども。先日はシャンプーもして貰いました。約30分、時間があれば手足を動かしたりするリハビリも。

 2時間後、点滴を外すために看護師さん再訪。その時にも上記のようなことをいろいろやって貰ってます。

 最後は16時30分に再びヘルパーさんが来られ、夜用におむつ交換。残った時間は口腔のケアなど。やはり20分間。これが介護保険での基本的な使用時間ですが、もしそれが延びれば、追加料金を払うとOK。でも今のところは追加せずにやれています。

 更にそれに加えて週1回病院から先生と看護師さんの訪問診療。今は木曜日の午後で、訪問看護師さんとダブったりすることもありますが、診察と薬や介護の指示だけですから問題はありません。

 でも、一体何人の人にお世話になるのでしょう。数えてみればケアマネさんは1人ですが、ヘルパーさんや看護師さんは3、4人が交替で来られますから先生も入れて12、3人ぐらいでしょうか。それが入れ替わり立ち替わりなので、顔は分かっても名前が覚えられない…。(笑)

 そういう訳で毎日家を空けることができないんです。今の所主人と二人で切り盛りしていますが、私の方が用が多くて…、また夜は私は自宅に帰りますから主人が一人…これが長くなれば、そのうち主人がバテるんじゃないかと心配なんです。私だって近いとは言っても、二つの家を行ったり来たりするので疲れますもの。これが仕事のように土日や祝日の休みがあるといいんですけど、ないからそれが一番堪えますね。

 しかし、義弟夫婦が京都から毎月何日か来てくれるというので、それが救い!今月もまた21日から来て4、5日居てくれると言うし…とても有難いです。

 では肝心のお婆ちゃんの様子は?というと……退院したときは皆に声を掛けられても弱々しい返事でしたが、段々元気が出て来て、先日の訪問診療で先生から〝家はいいですか?〟と聞かれると〝いいです!〟と丁寧に。でも私が聞いたら〝いいに決まっちょる!〟ですって。(笑) また、〝入浴サービスを受けてもいいですよ〟と先生から許可を貰ったときも〝それはいいですね〟なんて言うから皆で爆笑ですよ。食べる物も少しずつ増えてきているし、もっともっと元気になってくれるのではと期待しています。しかし、ちょこちょこ微熱が出るのが心配!でも冷したりするとすぐに平熱になったりするし…先生も解熱剤など使わずに様子をみましょうと言われて、今のところその様子見なんですよ。

 しかし、家に帰った夜、トイレに行きたいから主人にベッドから起してくれと何度も…。それができるようになったらどんなにウレシイかと思うんですけどね。今はそれを第1目標に手足の屈伸から始めています。

 お婆ちゃんをあのまま病院か施設に預けたとしたらこんなに毎日お喋りをしたり、世話をしたりは出来なかったんだから、こうやって目の前にいるだけでお互いが安心。もし何かあったとしても…きっと素直に受入れることが出来るだろうし、後悔も少ないと思うんですよね。

 たくさんの方々に助けられ、支えられて生きる…これが〝生きる〟ということなんだよねと、お婆ちゃんと一緒に感謝しながら学んでいるような毎日です。ありがとうございます。

 でも考えてみるとこの忙しさの一番の被害者は…そう、とろろ・こんぶかしら?もちろん餌やウンチの世話は私がきちんとしていますが、一緒に居て遊んでやる時間がグッと減ったのできっと淋しい思いをしているのでしょう。特にこんぶの方が私が帰るとコロコロと転がって喜びますし、夜は横に来てベッタリひっついてますもの。とろろは恐れですから必要な時だけ来ますけどね。

 だからカワイソウなのでキャットタワーを買ってあげました。そうすると気に入ったようで結構愉しんでいるみたい。よかった!

 これが買った商品カタログの写真です。その下の写真は、とろろ(上)こんぶ(下)。夜撮ったので目が光ってますね。コワッ!

 

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夏バテで…ハイ、ご無沙汰してました!

2023年08月26日 | 日記

 今日は26日、8月最後の土曜日です。……なんと、なんと、今月のブログ更新はこれが2回目。今までなにやってたの?と思われているかも…または、お婆ちゃんに何事かが?と、心配して下さった方もいらっしゃるかしら…。実はブログ書かないんじゃなくて、書けなかったんですよ。ホントに!

 前回のタイトルに〝心頭滅却すれば…〟なんて、大それたことを書いておきながら…自分ながらまっこと情けないと思っています。

 お婆ちゃんのことは…先はナントも言えませんが、今のところは無事です。実は私自身がバテていたということなんですよ。これが夏ばてということなの?と、自分ながら初めての体験。頭では何とかしなくっちゃという気はあったのですが、体が全く言うことを聞きませんでした。寝ても寝ても眠たいし、夜PCの文字を見ているとすぐにモウローとしてきて、体がえらくって起きていられなかったのです。毎日そんな日の繰り返し…もしかしたら熱中症になったのかもと思いましたが。

 だって、この猛暑の中寝室のエアコンが壊れてしまい…暑い、暑いと言いながらガマンをしていたんです。すぐには取替えて貰えず、また、取替えて貰うためには寝室の片付けをしなくてはいけないとうことで、時ならぬ部屋の大片付け、ついでに断捨離も!窓を開けてやっても熱い風が入ってくるだけで…主人とクタクタになりながらの10年分ぐらいの断捨離をしました。それも3日がかりでしょう。やっとこさエアコンが付いてホッとしている暇も無く、今度は…

 入院しているお婆ちゃんの容態が悪くなって、先生からは危篤状態なのでいつでも面会に来て下さいとの連絡が盆過ぎに入り……。ビックリして息子や娘にも連絡し、ちょうど京都の弟夫婦も宇部に来る予定にしていましたので、その意味ではグッドタイミングだったんですがね。

 それからが…話せばまたいろいろあるんですが、今のところ私にはそれを書く気力がまだないんですよ。どうしてもしなくてはいけない最低限のことだけはこなさないといけませんので、それをするのが精一杯。皆さまのブログへの訪問も気になっていましたので、それはやっと何とか遅れ遅れで…。というわけで、自分のブログには手が回らず…ということで、しばらくお休みしたいと思います。

 少しは涼しくなって、暇ができたら…なんていっても、これは全く望めませんので、また書きたいという気力が戻ってきたら再開します。その時はよろしくお願いいたします。自分のブログは書けなくても皆さまのブログは拝見しますから、ガンバッテ下さいね。

 今日の写真は、「西瓜」です。俳句をしない人はみんな夏の季語だと思っているでしょうが、これは秋の季語なんですよ。

 私も大好物ですが、実は母が西瓜が大好きで、実家では毎年畑に作っていました。お盆に帰省した時は、必ず自家製の西瓜を冷やして待って居てくれました。懐かしい!今では商業ベースで早くに出荷するというのが当り前になりましたが…。

 丸ごと買ってきた西瓜を割ると、このように…分かりますか?ハートのマークを見つけたんですよ。皆さん知ってました?何だか嬉しくなって、パチリ…と。いつもは私が半分に割るんですが、これは主人が割って…割方の方向が違ったからなんですよ。

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エエッ、嘘っ!肺炎ですって?

2023年07月15日 | 日記

 今日はどんよりとして一日中曇り。まるで私の心のようです。実は朝からきらら俳句教室へ出掛けて、午後は宇部馬酔木句会。その後、京都から義弟夫婦と甥の親子が宇部へ来ますので会食すると…。だからと言ってちっとも嬉しくはないんですよ。どうしてかって?まあ、その訳を今から聞いて下さい。

 一昨日は久しぶりに晴れて日差しも強そうでしたが、午後から雨の予報が出ていました。それで急いで洗濯をして、さあ、今日の予定を始めようと思っているところに電話が…主人からでした。先日来から体調を崩していた義母が今日はとっても悪いと…ベットから立ち上がることも歩くことも出来なくなったのでこれからどうしたらいいだろうかと…

 このところ流動食さえ吐いて食べ物を受け付けなくなっていましたから、毎日点滴を打って貰いに病院へは通っていたのですが、今日はそれも無理だと。クリニックの先生からは以前に入院していた病院へまた紹介をしてもらっていました。が、それが空きベットがなく明日からしか入院できないということで、待機中だったのです。しかし、明日までこのままだったら本当に衰弱してしまうしトイレにも連れて行けないし、どうしたものかと困ってしまったんです。私も主人も今まで介護らしい介護というものをしたことがなかったんですから。でも考えてみれば本当に幸せなことだったんですね。102歳過ぎても自分でなんでもできて…せいぜい出掛けたりするときに、手を添えたり車椅子を用意して乗せてあげたりするぐらい……風呂もトイレも着替えも全て自分でできましたもの。先ずは何をどうしたらいいか…今できうる最善の方法を考えました。

 そこで、入院予定の病院に何とか頼み込んで緊急ということで早めて貰いました。それでは午前中に来られますかと言われ、大慌てで準備しどうにか間に合ってホッとです。ところがそこで、担当の先生から病状の説明を聞いて驚いたんです。〝肺炎と腎不全を発症していますので、何時亡くなってもおかしくない状態なんですよ…〟ですって。

 嘘っ、そんなバカな!あれだけ毎日通院して、点滴もして貰っていたのに…。おまけに7日には第6回目のコロナワクチンまで接種したんですよ。最近は主人が殆ど病院へ連れて行きますので、私が体調が良くないから打たない方がいいのではと言っても、先生に聞くと大丈夫だと言われたから打ったと。お婆ちゃんはワクチンを打っても羨ましいほど副反応が無く、今回もまた何ともないと。ただ少し前から食欲が落ちていて食べてもすぐに吐くということが多かったので体力的にはとても弱ってはいました。が…3,4日前は好きな甘い物や果物は食べていましたし、本人はしっかりしていて私が心配すると自分は大丈夫だからと、かえって私の心配をしてくれたりしていたんです。以前にも何度か持病の食道アカラシアが悪化して食べられなくなったことがありましたが、どうにか乗り越えて元気になっていましたので、今回もそれが酷くなったのだろうと…そればかり心配していたのです。だからここで〝肺炎と腎不全〟などという病名を聞かされてもうビックリ!信じられない!そんなに悪かっただなんて…

 でも先生からレントゲンと血液検査の結果を見せられ詳しい説明を聞き…納得しました。だからお婆ちゃんがあんなにエラそうにしていたんですね。持病があるとみんながそればかりに捕われて他の病気を見逃してしまうということはよく聞きます。でも、私たちは素人ですから仕方がないとしても、掛かりつけの先生だったらもう少し気をつけて診てほしかった…そうすれば、もっと早くに手当ができたのではと思うと…クヤシイ!です。

 義母の年齢を言うと殆どの人が口を揃えて言います。その歳なら不足はないんだから仕方がないよと。でも、毎日傍にいてあんなに元気でなんでもできるし…歳のことを考えればいつどうなってもいいだなんて絶対に思えませんよ。頭では、理屈では理解できても、感情がどうしても受入れないんです。

 今日は何だかとっても疲れています。夜帰ってきてこれ書いていても…支離滅裂になりそう。もう目も…つぶれそう。だからこれで寝ますね。続きはまた明日にでも…書けるかな?ではオヤスミナサイ!

 写真は、〝沙羅の花〟。〝夏椿〟ともいうお婆ちゃんの好きな花で、私も大好き。もちろん夏の季語ですよ。花言葉は「愛らしさ」。でもこの花はたった一日で落ちてしまいますので、「はかない美しさ」という花言葉もあります。

  沙羅の花捨身の落花惜しみなし   石田波郷

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