ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝冴返る〟

2019年02月27日 | 俳句

 昨日は2月最後の句会。兼題は「冴返る」でした。「冴ゆ」が冬の季語ですので、その寒気が立春後に再びぶり返したことをいう春の季語です。この季語と同じようなものに「余寒」「春寒」がありますが、やはりただの気温的な寒さというより、「冴ゆ」という言葉からくる色や光が鮮やかに立ち上がってくる感覚的な季語になります。

   影よりも風の日向の冴返る      稲畑汀子

 先日行った常盤公園でこの句の通りのことを実感!当日は雲一つないいい天気で、燦々と日が差していました。〝梅まつり〟の人出もあってか、確かに気温は低かったのですが、日陰でも風がないので余り寒さを感じずに歩いていました。ところが、湖に架かっている橋に出た途端湖から吹いてくる風が冷たくて。橋の上から鯉や鴨などに餌をやっている様子をしばらく見ていると、指先からじんじんと冷えてきて…。こんなに日が差していても風があるのとないのとでは全く違うんですね。〈風の日向〉の〝冴返る〟を身を以て味わいました。

 さて、句会に出た全くの初心者の句、〈冴返る再会の師に初心思ふ〉…さっぱり分かりませんでした。〝この師に初心の頃教わったの?〟〝いいえ〟と。〝再会だから何年かぶりに会ったんでしょ〟と聞くと、〝そうなんです。昔もきちっとしていた先生でしたが、久し振りに会って歳を取られていたけど、やっぱり…。それでそれを見習い自分も初心を忘れずに頑張ろう…〟と思ったんですって。〝それはなかなかいい心がけね。ところでその先生、厳しくてとても嫌~な先生だったの?〟〝???〟〝だって再会して冴返ったんでしょ…〟みんな大笑いです。〝でも、兼題でしたから…〟と。本当はとてもステキな先生だったということでしたので、〈師に出会ひ初心戻りぬ……〉として、下五に季語を考えてみましょうと。さあ、みなさんもどうぞ。

 こういうことは初心者にはつきもの。与えられた季語にどういうものが合うのか分からず、ただ思いついたことにその兼題を付ける。だから全くのミスマッチの句がよく出て来ます。ところが自分で季語を選んで付けなければいけないときは、今度は即きすぎになり易い。だからどんな季語がいいのかということが少しでも分かってくれば、もう大丈夫!また、自分ではいい季語が選べなくても、せめて人の句を見たら〝これはオカシイ〟とか〝これは即きすぎ〟とかが分かるようになることも大事かな。

 写真は、ときわ動物園のつづき。

 

 

              二枚ともカピバラ…ナントものんびりと

 

 

               二枚ともミーアキャット…もう可愛くって何度見ても見飽きませんね~

               フクロウ

               フラミンゴ…いつまでも片足立ち、疲れないのかしら?

 

               コンゴーインコの赤と青…青の方は一羽どこかに隠れて…

               アルパカ…毛を刈られて大きなプードルみたい!

               ときわ遊園地…観覧車とかいろいろ乗り物が…

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兼題は〝春寒〟

2019年02月26日 | 俳句

 一昨日から急に暖かくなり、天気もよくなりました。昨日は帰りの車の温度を見ると24度と、暖かいはずです。

 昨日は久し振りという…そんな感じの句会でした。行った途端に〝先生、先日の梅まつりで先生を見掛けたんですよ…〟と。やっぱりいろんな人と出会っているんですね。〝チキンチキンゴボウ〟の話をすると〝私買いました。美味しかったですよ。でもゴボウが意外と少なくて…〟と。みんな同じことを考えているんです。ああ~だから俳句もみんな似たり寄ったりを詠むんですね。気を付けなくっちゃ!

 昨日の兼題は「春寒」、立春後の寒さのこと。「余寒」などと同じですが、既に春になった気分の強い季語です。

   春寒や船からあがる女づれ     永井荷風

 この句を句稿の中に混ぜていましたら、採った二人の解釈が全く違っていて面白かったです。一人は〝海女さんが海へ潜って船にあがってきたところだろう〟と。もう一人は〝どこか渡船に乗って、着いたので桟橋にあがるところ…それも女同士の旅〟と。

 作品は何にしろそうなのでしょうが、特に俳句は発表されれば一人歩きしますので、読者によってどう解釈されようと構いません。だからいろんな解釈が出て来るのでしょうが、やはり作者の意図するところをしっかり読み解くというのは大事なこと。だって作者は自分の思いを伝えるために、あらゆることを考え、あらゆる方法を駆使して〝五七五〟にしているんですものね。

 そうすると、この句の手がかりは、「船からあがる」と「女づれ」です。まず〝舟でなく船という字が使ってあるから小さな手漕ぎじゃない…ということは海女はオカシイのでは?〟と。〝女づれも?海女なら普通一人で潜り一人であがって来るのでは…〟と、どうも海女説は不利です。そうすると、ここは何人か旅の女づれが渡船を下りてくる場面…と落ち着きそうな所でしたが、〝この女づれというのは、男が女を連れているのではないのか?〟という意見が出ました。なるほど、そうですね~。おそらくこれは作者が見た景を詠んだものでしょうから、男でも女でもあり得る景でしょう。それではと、ここで作者を明かしますと…エエッとみんな驚きです。永井荷風と聞くと、すぐに女性などが浮かびどうしても遊郭などとの連想が働いて、俄然この句に色香が漂いはじめます。とすると、この句の〝女づれ〟は昼間から船遊びをしているお大尽と女性のカップル、その二人が船から下りてくる場面…春とは言えまだ川風も肌寒いころ。それを作者荷風はどんな気持で見て詠んだのでしょうか。などと考えると、この「船からあがる」という一点をいい止めて、その前後のことを想像させる…という何かドラマが書けそうだと思いませんか?そんなことを考えていたら、俳句はやっぱりオモシロイ!

 写真は、〝梅まつり〟で行った動物園での様子、猿の写真を集めてみました。まだイロイロいますが写真がうまく撮れませんでした。ゴメンナサイ!

 

          シロテナガザル…手が長く何かを水に投げて見物客が喜ぶのを面白がっていました。

 

              ハヌマンラングール…顔が黒くオナガザル科ですので尾が長いのが特徴

               トクモンキー…オナガザル科で頭部に暗色の毛が帽子を載せたような…

                 リスザル…小形のサルでとてもカワイイ!

                 リスザル

             ジェフロイクモザル…長い手足と尾を使って枝にぶら下がりながら移動する。

                 サルの綱渡り

              ワオキツネザル…尾が長く白と黒の輪のようになっているのが特徴。

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〝梅まつり〟

2019年02月24日 | 日記

 今日は久し振り朝からの快晴で、いろいろと忙しい一日でした。

 常盤公園で〝梅まつり〟のイベントが企画されていて、今日は梅酒の試飲会や即売、梅まつりウォーキング、屋台やオリーブの稚苗の無料配布など。更には、〝ときわ公園市民感謝デー〟として、2月13日~28日まで動物園・植物館への無料優待券が発行されていましたので、主人と出かけました。10時からオリーブの苗の配布があるというし、近くですので9時半頃から出かけると、もうびっくり!日頃混むことのない道路が渋滞…エエッ、道路工事で片側通行かしら?などと話ながら…〝まさか駐車場に入るのに待ってるの?〟と。でもその通りでした。嫌な予感…イベント会場に着いたのがちょうど10時で、案の定苗の無料配布はここで終了と、プラカードを持った人が立っていました。そう、もう200人の人が並んでいるということなんです。

 都会では並ぶのが当り前のような感じですが、田舎では滅多に…。また、その並ぶのが主人は大っ嫌いときていますから、早くに行ってなんてとんでもありません。そんなことするぐらいなら、いらない!買わない!食べない!……ですよ。

 日頃はどこもかしこもガラーンとして、これが田舎のいいところと思っていますが、こういう〝おまつり〟になると、どこから人が湧いてくるんでしょう。もうあれよあれよなんです。だから日頃滅多に会わない人にも出会ったりして、今回も〝あら…〟〝よお…〟と主人と代わる代わるに声を掛けていました。そこでいつも俳句でご一緒のS夫妻に出遭って、一緒に動物園へ。私は何度も行ったことがありますが、主人はリニューアルされてから一度も行ったことがないと言うので。やっぱり動物たちは面白いし、見ていると心が和みます。(ここの写真はたくさんありますので、また次に…)そこを出てから植物園へいくというS夫妻と別れ、先日TVで給食の一番人気で美味しいと評判の〝チキンチキンごぼう〟を買いに私たちは戻りました。だって、10時過ぎに売り出しの札を見て買おうと思い聞くとすでに売り切れと。12時前にはまた来ますからと言われ…それで、今度こそはと並んで待っていると…ナント私の前で売切れ。悔しい!今日はついていません。お弁当も売切れ…。それでもう外に出て、〝お好み焼き〟でも食べて帰ろうと…ここもダメかしらと思ったのですが、大丈夫でした。すると、ナントまたS夫婦がこの店へ…。似たり寄ったりの行動をしているんですね~。

 夕方からは誕生日パーティーをしてくれるというので、義母たちも一緒に娘夫婦の家へ。遅れて息子がケーキを持って参加。これで全員集合です。私とおばあちゃん〝ハッピーバースディー!〟

 

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来年は〝天皇誕生日〟ですよ!

2019年02月23日 | 俳句

 今日は皇太子さまの誕生日。来年からは〝天皇誕生日〟になって国民の祝日になるんですね。明日は私の誕生日…関係ないだけど。エヘッ…  この「天皇誕生日」も季語なんですが、現在は、12月23日ですから冬の季語。それ以前の昭和天皇の誕生日は4月29日で、晩春の季語。崩御にともない改称して「みどりの日」になり季語として残っています。平成天皇の誕生日はどういう名称になるのでしょうね。

   天皇誕生日その恋もまたかたらるる    林翔

 これはもう国民周知の事実、皇后美智子様とのロマンスの〝テニスの恋〟ですよね。ところで、作者の林翔先生…あえて先生と呼ばせてもらいます。だって私が本気で俳句の勉強をしようと思って、直接ご指導を仰いだ一人だからなんです。
 そこで『ウィキペディア(Wikipedia)』より、その解説を見てみましょう。
 
 林 翔(はやし しょう、1914年1月24日ー2009年11月9日)は、俳人。長野県長野市生生。
 生後10ヶ月で母と死別し、5歳まで祖母に養われる。國學院大學を卒業。大学在学中に能村登四郞と知り合い、登四郎とともに短歌雑誌「装填」の同人となるが、同誌の廃刊後ともに俳句に転じた。1940年、水原秋櫻子の「馬醉木」に入門、1950年、登四郎とともに「馬酔木」同人となる。1970年、登四郎が「沖」を創刊し、その編集長を務め、1983年より副主宰。2001年に登四郎が息子の能村研三に主宰を譲って後は同誌の最高顧問となった。句集に『和紙』『寸前』『石笛』『幻化』『春菩薩』『あるがまま』『光年』など。1971年『和紙』で第10回俳人協会賞、2005年『光年』で第20回詩歌文学館賞受賞。俳人協会顧問も務めた。2009年11月9日、膵臓癌により死去。95歳。
 
 林先生にお会いしたことは何度もありますが、とても寡黙な先生で、ご挨拶をしても〝ああ、そう…〟ぐらいしか言って貰えませんでした。先生の『初学俳句教室』が、初心者の私にとっては非常に勉強になり、何度も読み返しました。とてもこまめな先生で手紙へのお返事は、いつも達筆の毛筆でしたね。私の第一句集『風聲』の出版に対しても目を通してくださり、〝いい句集ですね〟と言って帯の十句選をいただきました。そのお礼にお会いしたとき、食事をご一緒しましたが、〝ここのこれが美味しいんだよ〟と言って連れて行って下さいました。また、その時に石田波郷や福永耕二についても話して下さいました。もう15年以上も前の懐かしい話です。
 その林先生からよく聞いた…〝1句10年〟という話。「馬醉木」に投句して1句級を10年間続けて辛抱した結果、やがて巻頭へ上がり同人になったと。信じられないかもしれないが、秋櫻子先生の時代には没も多く、1句載るのさえも大変だったのだ。今の人は辛抱が足りませんよとも。そう言えば、前出の『初学俳句教室』のあとがきに次のようなことが書いてありましたね。
 
 〝戦後の「馬醉木」の興隆を担ったのは、馬醉木新人会の活躍でしたが、私は能村登四郞氏と同時に上位に進出したので、新人会への入会を許されたのも同時でした。新人会は秋櫻子先生が人選され、指導は篠田悌二郎氏に委嘱されていました。或る時悌二郎先生がしみじみ言われた言葉がまだ耳についています。「あなたと能村さんが上位に進出してから一度も下がったことがないのは、下積み時代が長かったから、その間に基礎的な力をすっかり身につけてしまったからでしょうね」と言われたのですが、確かにそういうことは言えると思います。〟
 
 今改めて読み返してみても、ああその通りだと思うことばかりです。先生あの世でくしゃみしていらっしゃるかしら…いろいろと本当にアリガトウございました。これからも先生の教えを守って進んでいきますから、どうぞ見守っていて下さいね。合掌。
 写真は我家の〝椿〟、春の季語です。私はこの藪椿と白玉椿が大好き!
 
 
 
  一つ咲く酒中花はわが恋椿     石田波郷
 この波郷の句で〝酒中花〟が江戸時代からの古典椿で、名花なのだと知りました。実物はまだ見たことがありませんので写真はお借りしました。ゴメンナサイ!
 
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免許更新

2019年02月21日 | 俳句

 今日は久し振りに一日中何も予定がなく余裕ができました。それで、今まで気にはなっていながらも、先伸ばしにしていた運転免許証の更新に、小郡の山口県総合交通センターへ午後から出かけました。

 以前は小郡まで行く暇がなく宇部市の警察署で手続きをしていましたが、退職してからはたっぷりと時間がありますので、小郡へ出かけています。往復に1時間以上はかかりますが、ここでは次の免許証をすぐに発行して貰えますし、写真も持って行かなくていいので助かるんです。私は誕生日が2月ですので、いつも冬服での写真…たまには違う写真をとも思うのですが、見れば3年前の写真と少しも変わっていません。エエッ歳を取ったって…そりゃあまあそうですが、でも髪型も服も似たり寄ったりなんですよ。

 そうですね~。この髪型にして何年になるでしょうか?昔から髪型を変えるのは好きではありませんでした。それで、若い頃していた編込みの長い髪を覚えている人に出会ったりして…〝変わりましたね~〟なんて言われて、困ってしまいます。だって3,40年前と同じだったら気持が悪いでしょ!お化けみたいで~。まあでも、私は気に入ったら当分は変えない主義でして…しかし、この髪型いつまで続くんでしょうか。自分でも分かりません。勤めていたときは朝の時間がとても貴重でしょ。だからもともと天然で髪が多かったし、困って一番楽な編込みをしていたんです。これはなかなか重宝で…だってパーマ代がいらないし、美容院に行く時間も取らないし。ただ長いので洗髪するのが面倒臭いということだけが我慢…。

 ところで、13時からの受付に少し早めに行ったので、初めて5階の屋上に上がってみました。遙か向こうに海も見えたんですが…。ここは昔なあ~んにもなかったところで、今でも一面麦畑が広がっていて、麦秋の頃にはキレイなんですよ。

 1時前にはあれだけたくさんの人がいて、ずらっと並んで待っていたのに、3時前に終ってアッという間にガラ~ンとなってしまいました。

 これは終って帰るとき駐車場から撮った写真ですが、向こうに見える山ちょっとどこかに似ていませんか?そうなんです。〝八が岳〟…ということで、山登りをする人たちは、ちょっと低いですが、〝山口の八が岳〟と言って、縦走したりする山なんですよ。

 

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長府毛利邸〝なりきりお雛様〟

2019年02月20日 | 俳句

 昨日は二十四節気の一つ、「雨水」でしたね。初春の季語で、陰暦正月の中、太陽暦では2月19日頃。空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころです。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されていますが、実際は積雪のピークで、それゆえこの時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできます。

  落ちてゐし種ふくらめる雨水かな     滝沢伊代次 

 今日も雲の多いどんよりとした空で昨日よりは少し冷えますが、大したことはなさそうです。

 さて、昨日の〝長府のひなまつり〟の続きです。

 「長府庭園」を出て、しばらく歩いて昼食場所へ。なかなか洒落たお店で、ランチの名称も「一期一会」(和洋食)とか「温故知新」(洋食)とか…私と娘は「一期一会」にしました。とても美味しかったで~す!ゴチソウサマ。

 食後は「長府毛利邸」へ。ここは、長府毛利家14代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工、明治36年6月2日に完成した後、大正8年(1919)まで長府毛利家の本邸として使用されました。

 その間、明治35年11月には、明治天皇が、熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際、この邸宅を行在所として使用され、一部の部屋は当時のまま残されていて、往時を偲ぶことが出来ます。

 また津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下のご生母となられた久子様(元敏公のお孫さん)も、このお屋敷で幼少時代を過ごされていたそうです。邸内にある庭園は、池泉回遊式で苔・石・楓・灯籠など配置の妙は、新緑や紅葉の季節に一段と映え、しっとりとした日本庭園のたたずまいを感じさせてくれるところです。入場料200円。

 ところで、なぜ「長府毛利邸」というのかというと、防府市に毛利宗家の本邸(現在の毛利氏庭園と毛利博物館)があり、私たちが普通〝毛利邸〟と呼んでいるのはこの防府の方ですから、それと区別するためなんです。

 以前ここへは何度か吟行に来て、そのときに詠んだ私の句〈一服の茶に百畳の冷えほぐす〉を句集『甘雨』に収めています。実際ここには百畳以上の部屋がありますし、お茶をサービスしてくれます。今回もありましたよ。寒い時にはアリガタイです。

 この長府毛利邸では、観光シーズンの休日などに甲冑・官女衣装着付け体験などのイベントが催されます。今回の〝ひなまつり〟でも、〝なりきりお雛様〟といって、無料で十二単や衣冠束帯を貸してくれました。それで、それを着てみんなでお雛様になろうよ…、〝みんなで着ればコワクナ~イ!〟と、写真を。可愛い女の子もいましたので撮らせてもらいました。どうですか?ホントにお雛様みたいでしょ!

 

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長府の〝ひなまつり〟

2019年02月19日 | 俳句

 今日は小雨が降ったり曇ったりと、最高気温14度、最低気温も7度と暖かな一日でした。午後から出かけて車に乗ると、時々日が差してきたり…車の温度も18度になっていました。コートを着て運転しているともう暑いぐらい…こんなに違うんですね。

 それはそうと、今日は月と地球が最接近し、今年最大の大きさで見える〝スーパームーン〟らしいんですが、ザンネンながらこちらでは見えませんでした。窓からのぞくとかすかに明るいので、もしかしたらと外に出てみましたがダメ。満月は明日になっていますから明日にでも期待しましょうか。

 では先日の〝着物でお出かけ〟のことをたくさん写真がありますので、少し書いておきましょうか。

 日曜日、宇部駅より11時過ぎの電車に乗って長府駅まで…天気予報は晴マークだったのに、駅に着く頃からポツリポツリと。これはいけないとタクシーに分乗して「長府庭園」へ。16人の和服美女連(笑)がぞろぞろと歩いていくのですから、ちょっと見応えがあって目立ちますよね。一体何事?と擦れ違う人から見られます。声を掛ける人は大抵〝お茶会ですか〟と…。ウフッ…

 実は、下関市の長府は長府毛利氏五万石の城下町で、町をあげての〝ひなまつり〟が2月3日~3月17日まで催されています。特に「長府庭園」と「長府毛利邸」がメイン会場でしたので、そこを見学しました。天気もしばらくすると予報通りに回復して、青空が見えてきましたのでみんなホッと…。

   照り返す光の中に雛ほころび     橋本多佳子

 先ず行った「長府庭園」は、長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)の屋敷跡で、小高い山を背にした約31,000㎡の敷地に、池を中心に書院・茶室・東屋が残され、かつての静かなたたずまいが今日まで保たれています。園内には、孫文蓮・桜・松・つつじ・金木犀・紅葉・菖蒲のほか、滝と池に通じる小川があり、四季折々にゆったりと庭園美が楽しめる回遊式庭園です。茶室並びに書院は、お茶会やその他の催しものに、一の蔵・三の蔵は市民ギャラリーとして利用できるようです。入館料は200円。庭園に入るとすぐに美しい紅梅が目に入りました。

 

 書院では「ひな展~祖母・母達の思い出の作品と共に二人展~」が開催されていて、さまざまなお雛様やさげもんが華やか。まるで別世界のようでした。さすが女性二人の展覧会なので、細やかなところまで気配りされていました。その様子をいくつか撮りましたので、目の保養にどうぞ。ただ普通の段飾りは珍しくありませんので、ちょっと変わったお雛様ばかりを…。

 

 

 

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涅槃図に猫は?

2019年02月18日 | 俳句
 このところ忘れ物が多くて困ります。必ずといっていいほど何か取りに戻ることが…車に乗ってさあスタートしょうとすると思い出すので、玄関と車の間を行ったり来たりするのです。でも、その度にドアのチャイムが鳴るので主人にすぐに分かります。それが今日はナント3回も…。それなのにまだ忘れていたものがありました。本当に自分ながら情けな~い!
 とにかく今日はいろいろと用事が多く、結局は時間がなく慌てていて郵便局にまで忘れ物をしてしまいました。これは全てが終って家に戻ろうとしたとき、アッ、あれがない!と気がついたのです。夜8時過ぎ家に戻ると、主人から郵便局から電話があったことを伝えるため何度も電話して出ないからと、叱られてしまいました。エエッなんで気がつかなかったのかしら~とみると、マナーモードにしたまま鞄の中に入れていたのでした。それじゃあ携帯が何の役にも立たないぞと言われてしまいました。ゴメンナサイ!とにかく気を付けないといけませんね。自分が困るだけだけならまだいいのですが、そのうち人様にも迷惑をかけてしまいそうで…。
 ところで、昨日のブログに〝涅槃図〟のことを書きましたが、涅槃図には〝猫〟がいないという話聞いたことありませんか?しかし、宗隣寺の涅槃図には猫がいたんですよ。隅の方にみんなとは少し離れて描いてありました。
 それで、なぜなんだろうといろいろ書かれているものを探して読んだんですが、どうも結論は出ないようです。だって大昔のことですもの。その中で〝アジアのお坊さん〟が書いておられたものが面白かったし、信用できそうなので紹介しますね。
 
 「アジアのお坊さん」の「涅槃図に猫がいない本当の理由についての覚え書き」(2018/4 /23)
 猫が書かれている涅槃図もあるが、それはあくまで猫のいない涅槃図が基本であることを作者が踏まえた上での例外である。
 猫がいない理由について、摩耶夫人が天上から投げた薬壺を届けようとした鼠を阻止した猫がいて、そのために云々、という伝説があるが、これはあくまで涅槃図に猫がいないことを説明するために、後から付会されたものだ。
 涅槃図に猫がいないのは、昔、インドには猫がいなかったからだ、と解説している方がよくおられるが、当時、インドに猫はいた。エジプト発祥の家猫がインドや中国に早い時期に広まったという事実は、猫の歴史を述べた書物に必ず出て来るし、現にブッダの入滅を描いたパーリ版「大般涅槃経」にも、猫という言葉が出て来る(岩波文庫「ブッダ 最後の旅」30頁)。そして、その箇所の注釈部分(205頁)で訳者の中村元博士が、サンスクリットにおける「猫」という語についての解説と共に、「日本には釈迦涅槃の時に猫が来なかった云々の伝説があるが、こうして原典には猫が出て来るのが面白い」みたいなことを書いておられる。
 ブッダの伝記に関する壁画やレリーフはインドにもあったが、ただ、現在、我々が見るような「涅槃図」は、唐代以降に中国で作成されたものだ。中国にも昔から猫はいるが、十二支にも猫がおらず、そして、そのことに関して、やはり同様に、「十二支に猫がいない理由」的な伝説があることから、どうやらこの問題は、「当時、インドに猫がいなかったから」ではなく、「当時、中国で猫が重要視されない何らかの理由があったから」ではないかと思うのだが、如何だろうか?
 
 写真は、宗隣寺の「涅槃図」に描かれた「猫」です。可愛く描いてありますね。
 歳時記には次のような句がありましたが、猫の出て来る句はありませんでした。猫大好き人間にはザンネン!でも、私の句集には〈涅槃図の奥より猫の甘え声〉を収めています。(笑)
 
   涅槃図を掛けんとすなる僧五人     高浜虚子
   涙痕のごと蝶を描き涅槃の図      皆吉爽雨
   座る余地まだ涅槃図の中にあり     平畑静塔
   涅槃図の人ことごとく大頭        藤田湘子
 
 
 
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〝涅槃寺〟への吟行会

2019年02月17日 | 俳句

 今日は着付教室の〝着物でお出かけ〟の日でしたので、朝から準備で大変…おまけに電車に乗って長府まで行くという。それで、とても疲れてしまいました。なのでそれはまた明日にでも…今日は昨日の吟行会のことを書いておきましょう。

 今回の吟行は、2月15日から「涅槃図」(ねはんず)が掛けられているというので、近くの宗鱗寺(そうりんじ)へ出かけました。

 「涅槃会」というのが釈迦の入滅の日とされる2月15日(陰暦)にその遺徳追善のために行う法会のことで、初春の季語となっています。日本では平安時代以降、諸寺において広く行われ、中世には盛大な年中行事の一つであったそうな。釈迦はクシナガラにおいて沙羅双樹の間に北枕に横臥して入滅し、そのさまを描いたのが涅槃図で、涅槃会の本尊として礼拝されるんだそうです。

 歳時記の説明にある通り〝入滅の釈迦は右脇を下に両足を上下に重ねた姿で表され、その周囲に弟子や在俗の人々、諸菩薩、国王・大臣、鳥獣や、天から馳せ参じた生母摩耶夫人など種々の者が嘆き悲しむ姿が表現される〟という画でした。私は以前何度か見ていましたが、今回初めての人も多く、隅から隅までしっかりとみんな眺めていました。

 ここ「宗鱗寺」というのは、777年唐より来朝した為光和尚によって松江山普済寺が創建されたと伝えられています。その後1670年、長州藩永代家老で宇部領主だった福原広俊(15代)が菩提寺として再興した禅宗(臨済)の名刹です。庭園は、本堂の北側にあり、築山泉水庭で「龍心庭」(りゅうしんてい)と呼ばれ、県下一の古庭園です。池の浅瀬は干潟様、池中の8個の立石は夜泊石(よどまりいし)と称され、「東の毛越寺(平泉)と西の宗鱗寺」のみに現存する鎌倉(南北朝)時代の遺構をのこす貴重な書院庭園です。拝観料300円。

 山門の横に阿波野青畝の「鶺鴒は夜泊石を教へけり」の句碑がありました。聞くところによると、青畝はこの宗鱗寺によく来ていたとか。きっとそれは、宇部市に青畝の「かつらぎ」や「ひいらぎ」の結社に所属していた人が多かったからなのでしょう。句碑は昭和63年(1988年)4月3日、建立。

 その後、昼食までにはまだ時間がありましたので、近くにある護国神社へ足を延ばしました。ここは桜の名所として有名ですが、今はあちらこちらに梅が咲いていました。筆塚や人形塚などもあり、毎月第四土曜日には人形供養を行うということです。そのための人形がもうたくさん小屋に積みあげられていました。もう一つここは御手洗が〝水琴窟〟になっていて、みんな手を洗ってはその澄んだ音に耳を傾けていました。

 この「宇部護国神社」の創建は、慶応二年(1866年)11月で、第一次長州征伐回避の為、禁門の変の責任をとらされ自刃された藩三家老の一人宇部領主福原越後翁を主祭神とし、禁門の変で越後翁に従って出兵され戦死された22柱の御霊が合祀されて「維新招魂社」と命名されました。そのため神社の紋には、宗鱗寺と同じく福原翁の「かたばみ」が用いられました。初めは、崩山の地名から「崩し招魂社」通称「御霊社」とも云われていました。このあたりは、「維新山」といわれ、山続きの西端には福原翁の墓所宗隣寺があり、中尾には維新館もあって明治維新とは縁の深い土地柄であります。銃弾に縁深く『願掛け弾』や『願い玉』が有名で、多くの人が願掛けや願玉を求めに来るところなんです。

 11時過ぎ、ANAホテルへ移動して、お昼のバイキングを堪能。その後いつもの会場に戻り、吟行句3句と宿題5句の句会をして17時に終りました。大して歩き回ってはいないんですが、やっぱり疲れました。歳ですかね~。オオーコワッ!

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オメデトウ!ブログ開設から730日

2019年02月15日 | 俳句

  パン、パカ、パーン!オメデトウございま~す ブログ開設から730日目です。そう、丸2年で、明日からは3年目に入ります。当初はどうなることやらと、ヒヤヒヤしながら始めたのですが…どうにかここまでやってこれたのは、読んで下さっているみなさま方のお陰です。アリガトウございました。これからも頑張るつもりですので、またよろしくお願いします。

 昨日「エビングハウスの忘却曲線」について書きましたが、NHKの今日の「チコちゃんに叱られる!」でも、〝顔はおぼえているのになぜ名前がでてこないの~〟というのがありましたね。答えは、〝顔おぼえるのと名前をおぼえるのは脳の違う場所…右脳と左脳(反対かも?)〟だということでした。そして、顔は無限におぼえられるけど、名前には限界があると…確かそういうことだったような…気がするのですが。

 ほら、20分以内に復習して書いておかなかったからもう曖昧でしょ!だからもし間違っていたらゴメンナサイ!これは忘却曲線のせいですから。

 ところで、この忘却について書こうと思ったのは、『秋櫻子俳句365日』の2月13日の頁を見たからなんです。その日に書きそびれましたので、ついでに載せておきますね。これを書かれたのは馬醉木顧問同人の渡邊千枝子氏です。

  梅一輪もの忘れ癖やや緊る

 秋櫻子の記憶の良さは定評があるが、さすがに八十近くなると、衰えを自覚するようになった。こんなはずはない、と記憶力回復に挑戦する。戦中八王子に疎開していた頃、高等学校時代愛読した『唐詩選』を暗誦したのを思い出して、これだ、これを一日一編ずつ暗記してしまおう、と決心する。覚えている詩も多いことだし、始めのうちは楽に進んだが、日が経つにつれて覚えた詩の数が殖えると、全部を正確に唱えるのは難しくなってくる。「それでもね、それを続けていたら少しずつ戻って来ましたよ」と言われるのを聞いて感動した。それではと私も挑戦してみたのだが五日と続かなかった。

 この句はその当時の作で、春の近づいた嬉しさに記憶力の蘇った喜びを重ねている。「緊る」(しまる)の語に注目していただきたい。「戻る」や、まして「治る」では「梅」に対して全くしまらないのである。    (昭和45年作・句集『緑雲』所収)

 今日も寒い一日で、夜も冷えますが、明日からは少し暖かくなるのでしょうか。明日の最低気温宇部は6度とありましたから。今日も句会でした。兼題は「余寒」。明日はまた、朝から吟行と句会がありますので、それらはまた今度に…。

 写真は、「クロガネモチ」の並木。そのうちの1本だけが赤い実だけになって、まるで花が咲いたようにキレイでしたので、撮りました。これだけがなぜ?条件は殆ど変らないと思うのですが…、この木に聞いてみた~い!

 

 

 

  

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〝人間は忘れる動物である〟

2019年02月14日 | 俳句

 今日は(実際は昨日のこと)天気がよさそうなので、早速洗濯してさあ干そうと外に出ると、なんだか急に雲行きがあやしくなり…でも仕方がないので干して部屋に戻ると、しばらくしてまた日が差してきたり…。こんな照ったり陰ったりの一日でした。

 午後は健康体操へ。このところ仲間たちが全員揃う日がなかったのですが、今日は全員集合!やっぱり威勢がいいです。その代わり隣のグループは珍しくお休みが多くて、その一列がガラーンと…淋しい限りでした。と書いたところで、寝てしまいました。それで続きを今書いているんですよ。ゴメンナサイ!

 ところで、私のパソコンにはECナビの「おしえて!どっち?」というメールが毎日入ってきます。その【今日の質問】には〝家の鍵、締めたか気になって戻って確認したことある?〟というものでした。「A.ある B.ない」の2つのどちらかを選んで回答し、あなたの意見は多数派?それとも少数派?という…。私はもちろん「A.ある」の方です。結果を見てみると「A.ある」が85%、「B.ない」が15%でした。やっぱりね。

 そもそもこういうアンケートに答えるのは若い人が多いでしょう…なのにこの数字です。これが高齢者を含めるとしたらもっと多くなるのは当然でしょう。だって歳を取るほど忘れっぽくなるのですから。じゃあ子供はどう?忘れない???そんなことありませんよね。子供の頃から忘れ物の多い子って結構いましたもの。そういうのが歳を取ったらどうなるのかしら。ちょっと知りたいわ!だれか記憶のことを研究している人がきっといるでしょうから、調べてみようかしら…。アッ、ありましたよ。

 ドイツの心理学者、ヘルマン・エビングハウスによって提唱された「エビングハウスの忘却曲線」というもの。これによれば、人間は1時間後には56%と、半分以上を忘れているんだそうな。ところが、1日後で74%、1週間後は77%、1ヶ月後でも79%と、その後は時間が経過しても忘れるのにそれほどの差はないようです。要するに「人間は忘れる動物である」ということ。だから鍵を閉めて出たとしても、その後20分もすれば42%は忘れてるそうですので、出かけてしばらくして、主人などから〝おまえ家の鍵閉めたか?〟と聞かれたりすると、途端に自信がなくなってしまうんです。ましてやそれが遠出だったり、泊まりがけの旅行だったりすると、絶対家に戻って確かめますよね。これがもし炬燵やストーブなどだったら…さあ大変でしょ。だから何でも20分以内に復習しないといけないんですって!出かけたらすぐに〝よし、鍵は閉めた!〟と、自分で復唱することが大切。しかし、たとえば不安になって戻ってみたりすると大抵鍵を閉めていることが殆どと…私の体験ですが。皆さんはいかがですか?

 写真は、フォーユーの入口に活けてあるお花です。きっと文化講座の華道の先生の作品なのではないでしょうか。〝猫柳・黄水仙・スイトピー〟と、まことに春らしい材料です。

 

 

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今日の兼題は〝下萌〟

2019年02月12日 | 俳句

 今夜のナント冷えること…最低気温が1度と。でもマイナスが出ないだけいいと思わなくっちゃね。まあ午前中は日が差していて、部屋にいる限りは暖かそうに見えたんですが、外に出るとやっぱり気温は低いので寒かったです。

 午後から俳句教室。今日の兼題は「下萌」(したもえ)で、初春の季語。この季語は「草萌」「草青む」「畦青む」「土手青む」などとも言い、早春、地中から草の芽が萌え出ることです。

  石疊つぎ目つぎ目や草青む    

 これは小林一茶の句ですが、当時の石畳というのは今日のように加工された石を整然と敷き詰めて作られたものではなく、当然自然石をそのままに敷いたものだったでしょう。だとするとつぎ目のところには土がかなりあるので、そこから次々と草の芽がのぞいて、まるで石を草が縁取り青い模様のように見え、心待ちにした春の到来の嬉しさを詠んだのではないのかしら。

 実は今日の句会に、〈アスファルト割れ目狭しと草萌し〉という句が出たんです。結構点が入った句なんですが、〝アスファルトの割れ目は狭いに決まっているから、〈狭し〉と言わなくても…〟や〝〈草萌し〉の表現がおかしいのでは?〟という採らなかった人の評がありました。確かに地震や水害などの災害に見舞われない限り、アスファルトに大きな割れ目はできないでしょうから、不必要ですね。作者も、古くなった舗装道路の割れ目だと…。それから「草萌」は名詞ですから、動詞で使うときは「草萌ゆ」という使い方のほうがいい。そこで〈アスファルト割れ目そこここ草萌ゆる〉と直しました。

 さて、ブログ書こうと思って歳時記を見ていると、この一茶の句があったんですよ。へエ~ッ、昔も今も目の付け所は一緒なんだ。というより芭蕉や蕪村、一茶らの句が現在に通用する…いや、もっと言うなら今の句会に出しても何ら違和感もなく受け容れられるということ、改めて再確認です。何百年も前なのにスゴイですね~。

 写真は、窓の外の柿の木に来て、一生懸命つついている〝コゲラ〟です。漢字で〝小啄木鳥〟と書くように、啄木鳥(キツツキ)の仲間です。この〝キツツキ〟は秋の季語ですが、留鳥なのでいつでも見掛けます。特にコゲラは我家の木をよくつつきに来ますが、今日はドラミングではなく必死に木の幹を回って虫を食べていました。網戸のある窓越しですから、写りが悪いのですが…分かりますか?でも私にはこれがやっとなんです。ゴメンナサイ!

 

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〝今にして知る〟

2019年02月11日 | 俳句

 主人が突然〝今日は何の日か?〟と聞くので、どうしたの?…〝建国記念日〟でお休みなんでしょと言うと、〝違う、違う〟と言う。エエッ、じゃあ〝紀元節〟?すると得意げに〝今日は建国記念の日〟だぞと言う。そして、この「の」が入るのと入らないのとでは大違いだと。ウ~ン、そうなのかしらと、調べて見ると確かにその通りでした。私としたことが…気にもしていませんでした。

 この「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966(昭和41)年に定められました。現在世界に存在する独立国のうち,百十数ヵ国が建国記念日に相当する日をもっていますが、その3分の2以上は旧植民地国の独立記念日となっており,共和国創立記念日や革命記念日がこれに次いでいて、いずれも自国民の民族的解放や,近代国家または社会主義国家としての建国を記念した日。古代の建国説話に基づく建国記念日は,大韓民国の開天節(10月3日)と日本の建国記念の日のみだそうです。歳時記にも、〝もとは神武天皇即位と『日本書紀』が伝える日を陽暦に換算した2月11日を、明治5年(1872)に紀元節と名づけて建国祝日と定めた。第二次大戦後の昭和23年(1948)に廃止され、41年に現行の記念日として制定された。〟と載っていました。

 今まで何も疑問に思わず当り前と思って使っていました。俳句をしているというのに…。いや、難しいのでこの季語で詠んだことはなかったんですよ。例句をみると、古いのには「紀元節」「梅佳節」、新しい句には、そのまま使えば9音になりますから、「建国の日」「建国日」で載っています。アッ、一句だけ〈伊勢うどん汁濃し建国記念の日  太秦女良夫〉がありました。見ると、わが秋櫻子先生の〈万葉に東歌あり紀元節〉の句も。

 何事にしても、〝知ってるつもり〟になっていることって結構ありませんか?先日の神社の拝礼作法もそうでしたが、このところ〝今にして知る〟ということが続いている感じ…もしかしたら私だけ?だとすると恥ずかしいんですが、要するに〝思い込み〟ということですね。気を付けよおっと!

 今日の午後は、娘たちがボランティア活動でフラメンコを踊るというので、宇部市の在宅福祉サービスセンターのららら会館へ義母と見に行きました。私は中に入るのは初めてですが、おばあちゃんはよく来ているので慣れたもの。結構広くて、まるで学校の体育館のようでした。2時から1時間余り。以前高松にいる頃は発表会などで見に行ってましたが、こちらに来てからはそういう場がないので…久し振りです。宇部はフラメンコが盛んではないのでイヤダと渋々来たところがあるのですが、でも楽しそうに踊っていましたから安心しました。やはり何にしても、芸事は発表の場がなくては上手になりませんね。そう、俳句も然り…文芸、即ち〝文の芸〟の一つなんですから。

 写真は、その時の様子。フラメンコだけかと思ったら、「安来節」と「南京玉すだれ」も登場。最後は会場の人も混じって〝マツケンサンバ〟で盛り上がりました。アンコールの声がかかってそれを二度も。ご苦労様でした。

 

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〝あなた様どなた?〟なんて…

2019年02月10日 | 俳句

 今日は日曜日、明日は11日の建国記念日で祝日と、土曜日からいれると3連休だったんですが…全く関係なく過ぎて行きます。昔はこの〝連休〟というのをどんなに待ち焦がれていたことか。この度の新天皇の即位式で5月が10連休になるとか。これは今年だけのことらしいんですが、まるで夢のような話です。

 今日の午後は着付教室に行ったんですが、その先生の話…〝子供の頃日の丸の旗を振ってお祝いをし、学校から紅白饅頭をもらって帰ったのよ〟と。〝ええっ、いつの話ですか?〟〝そうなの。それ戦前の話?と人からよく言われるんだけど、違うのよ。それほど田舎だったの。天皇陛下が皇太子さまだった時のご結婚式の…〟そう言われて考えてみると…私は学校が午後休みになり、家に帰ってその様子をTVで見ていたような記憶が…、でも何かもらったという記憶はないですね。今上天皇と美智子様とのご成婚は昭和34年の4月10日のことですから、確かにあのパレードはまるで外国映画のワンシーンのように憧れて見ていたのを覚えています。つい先生はおいくつ?と聞いてしまいました。ゴメンナサイ!じゃあ平成天皇の即位式のときは???もう~記憶にありません。

 昭和天皇の崩御が1月7日というのはよく覚えています。だから平成の時代は8日から…、でも学校も三学期の始まりで忙しかったんでしょうから…何も覚えていません。30年前のことですのにね~。考えてみれば喪中ですからすぐに即位式はしなかったでしょう。きっと一年の喪が明けてから…と思って調べてみると、なんといろいろと行事が…一体どれが即位式なんでしょうか。さっぱり分かりません。平成2年11月12日のオープンカーでのパレードは見ていた記憶がありますから、この日はきっと休日になったんでしょうね。

 本当に人間の記憶というのは曖昧で…自分に関係のあることしか…いやいやこれさえこの頃は危ないですよ!2,3日前のことなのにもう思い出せなくなってきているんですもの。オーコワ!

 でも、10連休になればこれはもう二度とないことですからしっかりと記憶に止まるでしょうね。ボケない限り。ましてや子供たちや働いている人々は休日になるんですからそりゃあ忘れられませんよ。

 私は日記は苦手なんですが、家計簿はもう何十年もつけています。だからちょっとした出来事はメモ程度に書いていますので、昔のことは少しは分かります。でも余程のことがない限り引っ張り出して見ることはないです。これは退職してからも習慣で…というより最近はボケ防止のための記憶トレーニングでやっています。家計簿は毎日几帳面につけるのではなく、1週間ぐらい、忙しいときはもっと…溜めて書くんです。それで財布の中身と家計簿がドンピシャと合ったたときは最高!私の記憶はまだまだダイジョウブ!とね。でも最近は合わないことが多くなりました。もちろんレシートなどは必ずもらい、それを頼りにどこに行って何をして、何を買ったのかを思い出すんです。しかし、そのうち1週間も思い出すのは無理になるかも…。でも努力はしているんですよ。主人にあの日はどこに行って何買ったかしらなどと聞いてもこれは全くダメ。〝覚えとらん〟の一言。どんどん記憶がなくなっているようでコワイですよ~。みなさん、気を付けましょうね。いつの日かお互いに向かって、〝あなた様どなた?〟と言わないように…。ガンバリまっしょ!

 ところで、なんで今日はこんな話になったの???(もうおかしくなってきてる?ウ~ン、これは困った!)

 写真は、今日の夕方の雲…この頃毎日お天気がコロコロと変るから雲の様子もイロイロですね。

 

 

 

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〝身を以て知ること〟

2019年02月09日 | 俳句

 今日は日本列島を大寒波が襲って、関東の方では雪になると…。こちら山口県は小雨程度で、午後から晴マークも。宇部は一日中小雨が降ったり止んだりで、気温は最高で8度と、真冬の気候です。

 昨日リハビリに行ったのですが、先日気にしていた血圧が138-84、脈拍64とまあまあ普通の数字に戻っていました。下が普通は70代でしたからまだ少し高いし、理想的には上が120代なんですけどね。もちろん運動後は125と下がっていましたが、下は85でよくないんです。他の方の血圧を聞くと、上が100にならないという低い方などもおられて、血圧のことは今一つよくわかりません。

 だからでしょうか。昨夜は胸が苦しくなって目が覚め…これ心臓発作?不整脈はときどき経験していますが、この胸の痛みは初めてでしたから心配。最近は動悸を打つのも多くなったし、脈の乱れも…これ、私の心臓が少しずつ悲鳴をあげているのかも。オーコワ!

 さてさて、今日は恒例のダブル句会。一番忙しいときなのに、先日夜の部でお世話をしていただいているKさんが、娘さんがインフルエンザに罹りそのお孫さんの面倒をみるため急遽東京に行かれたんです。そのため句会の準備がさあ大変でした。日頃は何もかもお任せでしたので、投句集めから句稿作成と、その準備がいかに大変かということを身を以て味わいました。口ではいつも感謝していますが、やっぱりこれは体験しないと…本物になりません。〝Kさん、いつも有り難うございます〟 要するに何事も〝身を以て知る〟ことが一番ですね。

 こういう調子でしたので、今日は本当に疲れて、早くに…といっても句会が終って帰ったのが9時過ぎでしたから夕食を食べてすぐに寝てしまいました。夜中に目が覚めてこれ書いています。だから、今日は写真がありません。句会のことはまた後日にでも。

 

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