ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝ブロ縁〟と言っていいのでしょうか?

2023年03月31日 | 俳句

 今日は3月の最後だというのに朝から一日中忙しい日でした。7時半過ぎに家を出て、新山口駅から新幹線で広島へ。俳誌「早苗」の恒例の年度末運営委員会でしたが、なんせ今回は「早苗」の終刊へ向けての諸々の議題が山積みなんです。

 昨年何度か臨時委員会も開いて無い知恵をさんざん絞り考えた末の結論が、900号をもっての終刊ということ。今回はこれを具体化して実行するための話し合いでした。

 900号ということは創刊より75年ということですよね。ここまで継続できたのは多くの先生や先輩方の努力のお陰なんです。それを私たちの代で終刊にするということには非常に責任を感じますし、みんな断腸の思いなんですから…会議をしてもなかなか纏まらず紆余曲折がありましたが、やっと終着駅を見つけたのです。ところがまた途中で脱線したり、振り出しに戻ったりして…まさに〝会議は踊る〟でした。でもどうにかこうにか最終号へ向けて走り始めました。それについてはまたの機会に書くことにして、この会議が終ったのが16時過ぎ。急いでタクシーを捕まえて広島駅へ。見るとこの16時17時台の列車は殆どが新山口に停まらないんです。1時間に1本の各駅停車〝こだま〟ではもう間に合わない!ということで一緒に来た友人と別れて〝のぞみ〟で帰りました。それでも到着は17時30分過ぎ、それから家までは30分…焦りましたよ。なぜかって?

 実はこの日にはもう一つ大事な大事な用件があったのです。それは…話せば長くなりますが(笑)、ブロ友(と言っていいのかな?)のさやかさんにお目にかかれる日だったんですよ。夢のようなホントの話。まあ、聞いて下さい。

 さやかさんは私がフォローしている〝徒然さやか日記〟のユーザーさん。そのプロフィールには〝生きていることに 感謝 自然を愛で お茶(お酒も!)を頂き、大切な人達と笑い合えるひと時、全ての出逢い に感謝して 今を精一杯楽しむ 積み重ね、積み重ね、積み重ね、前進、前進。笑顔と元気で😊〟という、福知山市で〝健康コーラス+α〟を開催し、音楽と健康を目的に、〈全国健康管理能力検定〉の健康リズムカウンセラー2級 &生活リズムアドバイザー3級を取得され音楽活動をされている若い方です。

 そんなさやかさんとどうしてブロ友になったかというと、その切っ掛けは宇部市のズワイガニ専門店「味道楽」の紹介記事を読んでからのこと。その店は彼女の叔父様と叔母様が開いていて、その手伝いで何度も宇部に来たことがあるという。

 その3月10日のブログ、〝叔父叔母の営む50年近い蟹🦀料理専門店がこの3月31日で閉店に〟という記事。以前から義母が蟹を食べに行きたいと言っていたのですが、なかなか山陰まではねえ~などと言って諦めていたのです。そこでこのお店の話をすると、だったら閉店する前に是非食べに行きたいと…。それではと思ったものの今月末までというのならもう予約ができないのでは?と。しかし、ダメ元で電話したのが23日でした。やはり一旦は全部予約で塞がっていているからと断られましたが、さやかさんのことなどをいろいろお話していると、もしかしたらキャンセルが出るかもと言っていただき…。その結果、最後の31日に予約が取れたのでした。

 そして、聞いてみるとその日にはさやかさんも丹波から来ているのだと。だったら会えるかも…と、さやかさんにコメントを入れたのでした。ほら、夢のような話でしょう。お互いにブログは見ていますので、どこでどんなというようなある程度の情報は入っていますが、実際に会って話が出来ることなど夢にも考えたことはないかな…アッいや、いや考えたことはありましたが。でもそれは、近くに住んでいる人でなければ無理でしょう。やはり夢のような話ですよね。

 とにかく、そういう訳で家族で蟹を食べに行くと予約したのが18時30分。その時間にはさやかさんも店に来ていると。ヤッター!ということで、お婆ちゃんたちが私の帰りを今か今かと待っていたんです。

 どうにか無事に間に合って店に入った途端…息子さんと食事をされていたさやかさんが立ってこられて…〝始めまして…〟と、御挨拶できました。後で主人が言うのには、お互いに知らない者同士があんなに直ぐに相手が分かるものなのか?と疑問に思ったと。でもブログの写真とかで拝見していましたので、何だか懐かしい人に久方振りに出会ったような…ホントに不思議!でも、きさくで飾らないブログの印象通りのさやかさんでした。食事中だったしこちらもお婆ちゃんや娘夫婦を待たせていましたので、ゆっくりはお話出来ませんでしたが…ね。

 でも、帰り際にもう一度挨拶に来てくれて、お土産まで頂きました。私はそこまで気が回らずに…ゴメンナサイね。感謝、感激です。蟹の方は、これでもかこれでもかと出て、最後の鍋や雑炊はもう食べられないと言いながらも頂きました。お婆ちゃんも私たちと変らないぐらい食べて、その食欲に…乾杯!です。私は運転しますからノンアルコール。お婆ちゃんだってジョッキでカンパイ!したんですからね。ウワッーでしょ!

 お店を出るとき叔母様に御挨拶したら…〝102歳には見えませんよね。私もお婆様を見習ってもう20年はガンバラなくっちゃ〟と仰ってくださって、よかった!

 でも、この出会いが最初で最後なんて…もっと早くに知っていたらとも思うのですが、これが人生というものかなとも…。そう思うと、これもまた楽しい!俳句での縁は〝俳縁〟といいますから、差し詰めこれは〝ブロ縁〟でしょうか。神さまウレシイご縁を…ありがとうございました。

 写真は、…広島の桜も蟹の料理も…慌てていて何もかも撮り忘れました。ゴメンナサイ!次のはお土産に頂いた丹波黒豆の甘納豆です。美味しそう!お婆ちゃんたちと明日頂きますね。もう一度有り難うございました。

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〝みすゞ忌〟をご存じですか?

2023年03月27日 | 俳句

 今朝ラジオ体操へ行くときの畑はまるで霜が溶けた後のように水滴がキラキラ光っていました。夜中に雨でも降ったのでしょうか。それとも本当に霜?このところ夜はちょっと冷えますもの。きっと〝花冷え〟なのでしょう。今日は午前中曇りで午後からは晴れマークなんですよ。

 今やニュースでもブログでも桜がほぼ満開という写真ばかり。でも宇部はちょっと遅れて、2、3分という所でしょうか。だからラジオ体操でも恒例の花見を週末の金曜日にすると…ああ、残念ながら今回も私は欠席です。なぜかというと、その日は朝から俳誌「早苗」の運営委員会で広島へ行かねばなりませんから。しかし、きっと広島では満開…いやもしかしたら散り始めているかも。花吹雪の広島もステキでしょう。

 ところで、先日の兼題に「みすゞ忌」が出たんですよ。忌日を詠むのは難しいので、兼題に出すのは滅多にないのですが、当番が出したいということで決定しました。その結果季語の必然性が見られない報告的な句ばかりでしたので、〝今回はみんな不調でしたね。やっぱり忌日を詠むのは十年早いんですよ(笑)…〟と言うと、〝先生がこの兼題でもいいって…〟と不服そう。確かにそうですね。〝でも、作ってみないとその難しさは分からないでしょう。それが分かったということはとてもいい勉強になったんですよ〟と、励ましておきました。

 そうなんです。私も初心の頃、忌日の句を詠んで先生にそう言われたんです。更には〝忌日が詠めるようになったらもういっぱしの俳人だよ〟とも。若いときは…といってもいい歳なんですが(笑)、やはり〝怖い物知らず〟でしたね。でも、だからこそ何でも詠めたんだし、みんな同じような道を踏んで成長していくのですから、それはそれでいいんです。

 さて、この「みすゞ忌」というのは、山口県長門市仙崎生まれの童謡詩人・金子みすゞの忌日で、三月十日のこと。

 以前から長門市では金子みすゞを郷土の詩人として全国に売り出そうとしていましたし、この「みすゞ忌」も季語として認定して貰おうと、平成14年より毎年「金子みすゞ顕彰全国俳句大会」を開催していました。しかし、ここ3年間はコロナ禍のために中止になっています。

 私もコロナが流行する前、この大会に鷹の主宰・小川軽舟氏が講師として来られると聞き、仲間を誘って参加したことがあります。初めて参加して、こんなに大がかりで盛大な会だとは想像していませんでしたので、ビックリ!その時のことは、2017年3月13日のブログ「長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会」に書いていますので、よろしかったらどうぞ…。

 さて、この「みすゞ忌」は、今私が使っている歳時記には収録されていませんので、解説も例句もありません。でも出題した人に聞いてみると、最新の『角川大歳時記』には載っていたと。ということは、地元の人たちの努力が報われたということなんでしょうね。ヨカッタ!

 ところで、いろいろ調べていた時、ブログ「木割大雄の俳句の小径」の〝― 俳句は片想い ―〟(2019年04月22日)に、次のような記事を発見。とても参考になりましたので、ご紹介します。

    海はまだ冬の色なりみすゞの忌   内田のぶる

    みすゞ忌の海に北窓ひらきけり   藤田いく子

この2句の季語は 〈 みすゞ忌 〉 です。作者は二人とも、山口県の人です。(中略) 二人の作者は、長門の3月がどういう気候かをご存知なのです。早春の海からの風。まだまだ冷たい日もあるでしょう。3月10日が、その年その年によって、寒いときも暖かいときもあります。金子みすゞの詩が好きだからこんな句が生まれるのです。

 俳句が好きな人にはこんな解説は要らないでしょう。でも、俳句に馴染みの薄い人は 〈 みすゞ忌 〉 を何故、季語にしたいと思うのか、理解できないかもしれません。

 そもそも季語は、季節のことば。金子みすゞの詩が好きでも、3月10日が忌日とは知りません、という人も多いでしょう。そういう人にとっては、〈 みすゞの忌 〉と言われても、早春の気配に心を寄せることはできないかもしれません。

 だから俳句はナンギ。季語がナンギ。

 ちょいと視点を変えて考えてみます。どなたでもおそらく親の命日は忘れない。その命日と季節感は切り離せないもの。さくらが咲いたら親の命日が近い、とか。蝉が鳴き出したら親父を思い出す、とか。それぞれに、個人的な、私だけの想いがあるのです。

 季語には一人ひとり、各々の想いがあるのです。忌日の季語は、その極端な例であろうと、私は思っています。(後略)

 私が忌日の句を詠んだときも、先生から〝あなたはその人のこと(人生)をどれだけ知っていますか?〟〝その人のどんなところに惚れて敬愛しているのですか?〟などと聞かれてものが言えなくなりました。ただ、その〇月〇日ということだけでの忌日を詠んでいたのですから。今思えば恥ずかしい!それからは迂闊に忌日は詠まないことを肝に銘じています。皆さんも忌日を詠むときは心して使いましょう。

 写真は、先日の吟行会で見つけた木。幹のところが面白くって…パチリ。さて、これ何に見えますか?さあ、想像力を働かせてみましょう。こういうのも俳句の勉強になるんですよ。ほら、あのプレバトでの〝写真を見て一句〟のように……

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〝菜種梅雨〟?それとも〝WBCロス〟?

2023年03月25日 | 俳句

 このところ午前中は曇りで午後から晴れるという今一つシャンとしない天気が続いています。時には時雨のようにパラパラッと降ってきたり…。気温も17度前後で、寒くはないものの夜になると時々ヒヤッとしたり… 

 予報を見ると、月末から月初めはまたぐずついた天候になり、やっぱりこれが〝菜種梅雨〟なんでしょうね。

  くらしの灯いきいき点す菜種梅雨   鈴木真砂女

 句集『夕螢』に所収の一句。1976年の出版で、この句集で第16回俳人協会賞を受賞。ということは、この〈くらしの灯〉とは東京の銀座1丁目に開店した「卯波」という小料理屋の灯ということになりますか。〝まるで鬱陶しい梅雨のような日が続いている…こんな時だからこそ生き生きと暮しの灯を点さなくっちゃ…〟と、元気に店を開く真砂女さん、この時彼女は70歳前後だったんですね。まるでその〈くらしの灯〉は大都会の街中に咲いた菜の花のように、小さいながらも明るくて温かな灯だったことでしょう。

 しかし、この菜種梅雨はもともとは、陰暦3月4月頃に吹く、雨を含んだ風をさしていたのだとか。ヘエッ、それは知りませんでした。でも、「日本国語大辞典」には確かに南東の大風とありました。季語にはまだまだ分からないことがたくさんあります。ならば勉強するしかないっちゃ…ガンバロウ!写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

 ところで、神さまは時々粋なことをなさいますね…一昨日のWBCの決勝戦もその前日の準決勝戦もきっと神の仕業としか思えませんもの。まるでお膳立てが成されていたみたいに…視聴率が全ての試合を通じて42%以上ということは、日本中の半分近くがその神さまが垂らした美酒に夜毎酔いしれたということでしょうか。

 もっというなら、興味があっても仕事とかでLIVEでは見られなかった人たちはきっと録画か再放送、またはニュースなどで見たでしょうから、それを入れるとどれほどになるでしょうね。まさにオリンピックに匹敵するものかな。かくいう私もラジオ体操をサボって朝8時からテレビにかじりついていましたもの。内容を今更私が語る必要はないでしょうが、まさに〝筋書のないドラマ〟で、久し振りに興奮しました。

 その証拠に、未だにテレビやネットではWBC一色ですもの。他のものが色あせて見えます。その興奮がまださめやらないようで…私もちょっとしたWBCロスを味わっています。(笑)

 でも、大丈夫。今度はお婆ちゃんと22日から始まったフィギアスケートの世界選手権や大相撲などを観て応援していますから。アレッ、サッカー日本代表のウルグアイ戦も昨日あったんですよね。あれだけ湧いたワールドカップの森保ジャパンも完全に忘れられていますね。フアンというもののナント変わり身の早いこと。かという私もその一人ですが…スミマセン!

 写真は、〝馬酔木(あしび)〟。この辺りでは今やっと満開です。〝蕗の薹(ふきのとう)〟はもう出遅れて、今にも花が咲きそう。こういうのを〝蕗の姑(しゅうとめ)〟というんですよ。面白いでしょ!

 

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〝春分の日〟or〝彼岸の中日〟、エッ〝黒田杏子〟??

2023年03月21日 | 俳句

 今日は〝春分の日〟、二十四節気の一つで、太陽が真東に昇って真西に沈み昼夜の長さがほぼ等しい日です。この日を境にして北半球では昼が次第に長くなっていき、夜が短くなります。

  春分といふ公平な一日かな     鈴木榮子

 子供の頃、私は兄弟が多かったし、姉たち(先妻の子)もいましたから、母はこの〝公平〟ということに一番気を使ったようでした。皆に平等にしてやらなくっちゃ…といっても、まだ戦後の食糧難の頃で裕福でもありませんでしたからね。よく覚えているのは西瓜。この丸い西瓜を喧嘩しないように均等に切って食べさせる。みんな大好きですからその西瓜に大小があると、さあ大変。また年上からでしたから最後にもらう者が小さい…そうならないようにと、母の切る西瓜は見事でした。何事にもこういう調子で…そんな母を見習って育った私も切るのは上手いんですよ。ホント!

 とにかく何においても〝公平〟がいいですよね。そうしたらこの世には醜い争いなんかなくなるのではと思いますが…いかがでしょう?

 また今日は〝彼岸の中日〟でもあります。俳句で〝彼岸〟といえば春の彼岸のこと。秋の、即ち〝秋分の日〟は、〝秋彼岸〟や〝後の彼岸〟といいますから気をつけましょう。

  彼岸中日子が来る日とす約はせねど 安住敦

 〝彼岸中日〟は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」として国民の祝日になっていますし、墓参りへ行ってご先祖様を供養したり感謝するという日本特有の風習があります。だから、上掲句は〝うちの子は親や先祖を大切にするから、約束しなくても彼岸にはきっと訪ねてきてくれるだろう…〟という子への心からの信頼感でしょうか。

 実は我家でも然り…京都の義弟夫婦がお彼岸にお婆ちゃんに会いにこちら方面へ来たいという。それで、21日で光市のホテルを予約したのですが、天気予報を見るとこの日は一日中雨、次の日も悪いようでしたので変更することに。できれば桜の見頃をと思ったのですが、全員の都合のよい日がなかなかなくて、また、この日はいいと思うと今度は宿に空きがなかったりして、結局4月7日・8日ということになりました。その時はまたご報告しますね。お楽しみに…でも、もう桜は無理でしょうが…残念。

 ところで、この桜を見る旅というのはいくら計画してもなかなか上手くいきません。以前吉野の千本桜を見たいと、お婆ちゃんと2人で京都の義妹に見頃を調べた上での案内を頼んだのですが、行ってみたら一足遅かった!だって近くでさえ一番の見頃に行けるというのはなかなかないですもの。

 昔まだ現役の頃、退職したら毎年桜の名所を見てまわろうよと、主人と話していたんですが、未だに殆ど実行できないまま。いや、…まだ望みは捨てていませんよ。

 そういえば、先日お亡くなりになった黒田杏子さんは、30歳から「日本列島桜花巡礼」に出て全国を訪ね歩き、花の盛りが短い桜を見尽くすまでに28年を費やしたとか。その執念がスゴイですね。前にも書きましたが、杏子さんの心には、〝俳句の基本は観察〟という師の山口青邨の教えがあって、〝季語の現場に立つ〟ことを念頭に徹底して行動されたのです。亡くなられたのも山梨県での講演の二日後だったとか。要するに季語の現場で亡くなられたと言ってもいいのかも。

 確か、以前の馬酔木同人研修会でお目に掛かった時は車椅子でしたから、もう何年前になるのでしょうか。その時恐らく最初の脳梗塞で倒れられた後だったのではと思うのですが、それから見事に再起され、また季語の現場に立って詠み続けておられたのでしょう。更に、出版やイベントにもと最後まで精力的に活動を続けてられたようすです。

 『黒田杏子歳時記』の序には、「現地へ出かけてゆくことは即ちその場に存在する地霊に出合うこと」であり、「地霊は実際にその地を踏んだ足の裏から全身にのぼってくる」と、書いてあるそうですよ。 

  身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな  黒田杏子

 『花下草上』の中の一句ですが、桜が散りしきる下に立っていると、我が身の奥の鈴が鳴り出すというような意味。その鳴り出す〝鈴〟とはきっと杏子さんの心が桜の霊に出合って共鳴して発する音なのでしょう。恐らく二つの霊魂が一体となって響き合っているからに違いありません。そんな時間が持てるものなら私も持ちたい!…でも無理です。それだけの熱情はもうありませんもの。

 概ね桜の花の盛りは5日間ほどの短さです。杏子さんは、そんな花を巡り花の下に佇つことを〈花に問へ奥千本の花に問へ〉のように、花の地霊との出合いを生涯続けようと決め、それを実行された方なんですね。代表句に〈花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに〉という句もあります。

 写真は我家の〝白木蓮(はくもくれん)〟。あっという間に咲いて、あっという間に…散りました。花言葉は、その花の気品ある美しさから、「気高さ」「崇高」と。また春に咲き、樹木が全身で春を歓び慈しんでいるようなイメージから、「慈悲」「自然への愛」といった花言葉もあるとか。まるで、杏子さんに相応しい花ですね。こちらでは桜がまだなんですよ。ゴメンナサイ!  合掌

  白木蓮の散るべく風にさからへる  中村汀女

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令和4年度最後の〝きらら俳句教室〟でした!

2023年03月19日 | 俳句

 今朝は昨日よりの雨の気配も全くなく朝の日差しも明るい…でも、何だかちょっと肌寒い!見れば朝の気温が4度まで下がっていたようなので…納得。

 昨日は朝9時30分から令和4年度最後の〝きらら俳句教室〟でした。参加者は私を含めて12人。朝の内はまだ小雨が降っていましたが、吟行に出かける10時頃はすっかり止んで、青空さえ見えていました。

 本当に時の経つのが早いこと!確か去年も言ったような気が…と思いつつ、昨日がちょうど「彼岸の入」でしたし、天気も悪くてやや寒さを感じていましたので、〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉という子規の句をまたまた取り上げて紹介してしまいました。ナントも進歩がないですね!

 さてこの教室も今回で3年が過ぎます。どこの教室でも同じで、〝いくらやっても俳句が上手くならない!〟と嘆く人がたくさんいるのですが、そんな時は、〝そんなことないわよ。上手くなっていないということが分かったということは上手くなっているからね!〟と、訳の分からないことを言って慰めています。でも、ホントですよね。俳句が難しいということが分かったということはそれが理解できるところまでレベルアップしてきたということ…即ち上達したからなんですよ。でしょ!アハハッ…

 時間になったので外へ出るとそんなに風もなく寒くもないので気持ちがいい。いつものコースをブラブラと…。するともうあちらこちらから鶯の声のオンパレード。そういえば〈鶯の樹木の中をオペラ歌手〉などという面白い句も出ましたものね。蘆原を見ると一面黒くなっていて…聞けば先日(3月4日)の土曜日に野焼が行われたんだそうです。すると誰かがこれは〝末黒野(すぐろの)〟と詠んでもいいんですかなどと質問。更にSレンジャーさんが〝あれは燕(つばめ)ですよ〟と指さす。見れば一羽二羽三羽…と飛び交っていました。私は今年初めて見ましたからこれは〝初燕〟だわと言うと、私も私もと…。

 次は土手の方へ…〝土筆(つくし)〟が出ていますと聞いていたのに、どこを探しても…ない!レンジャーさんが、そんなはずないですよ、僕探して見つけておいたんですから…と。(笑) すると、ああ、ありました!の声。草に紛れて見分けがつかなかったんですね。一度見つけると、ここにもあそこにもと、たくさん見つけて大喜び。人間の眼ってホントに節穴の時がありますよね。でも、鳥の目はスゴイ!どんな小さな虫でも即座に見つけてキャッチするんですから…。

 そうこうしているうちにビオトープへ。そこでは先月の〝蝌蚪(かと)の紐〟(蛙の玉子のこと)から孵化したお玉杓子がうじゃうじゃいる…と想像していたんですが、いくら探してもいない!やっと2、3匹見つけて、あのたくさんあった玉子はどうしたんでしょう。動物界でも玉子不足でみんな食べられた???なんて、ホント笑い話ではありませんが、自然界にも何か異変が起こっているんじゃないのでしょうか。だとするとコワイ!

 もう一つ、今回の発見です。ちょうど今頃黒木の花が見られるのですが、それがこんなふうに散ってその花びらの一つ一つがこんなにカワイイというのに今まで気がつきませんでした。これも発見です!いつもの同じ道を相変わらずワイワイ言いながらの吟行なんですが、どんな時でも何かちょっとした新しいものとの出会いがあって…だから吟行は楽しい!

 この下の写真の椿も今まで気がつかずにいて…今回八重の椿だったと知ったんですよ。

 そういえば、今朝黒田杏子さんの訃報を聞きました。氏はテレビなどでよくお見かけしましたし、以前に馬酔木同人研修会の講師として来られた時にお話も伺いましたので、全くの他人事とは思えませんでした。知人にも「藍生」の方がいらっしゃいますし、急逝ということのようですので、きっと皆さまショックを受けられていることでしょう。心からのご冥福をお祈り致します。 合掌

 その杏子氏が生涯を通じて拘られたのが「季語の現場」に立って詠むという姿勢でした。私たちがここでこうやって吟行をしながら詠んでいるのも〝季語の現場〟に立っているということ。だから〈草の中紛るる土筆探したり〉とか〈あれあれと指差す先の初燕〉などの句が生まれたんですよ。

 また〈ぽんぽんのほどけて小さき春の花〉という句も出ました。これは最高点の次の句だったのですが、ただこの句は問題ありなんです。それは今回の吟行に参加した人でないと、この「春の花」が黒木の花だとは分からないということ。そうなんです、吟行の最大の注意すべき点はこの〝行った、見た人でないと通じない〟という句を詠まないことです。その場で短い時間で作句しますので、つい見たままをそのまま句にしてしまいがち。そこをどう推敲して参加しなかった人にも通用する句を詠むかということが成否の分かれ目でしょうか。その点、今回の最高点句は〈いきなりの初音に会話とびにけり〉と、さすがにどこにでも通じる句でした。特に〈とぎれけり〉といわずに〈とびにけり〉といったところが面白いですね。なぜだか分かりますか?皆さんも考えて見て下さい。

 というわけで、令和4年度の最後の俳句教室も無事終了しました。皆さんは是非来年度へも進級されますように…とお願いして閉会。さて、令和5年度はどんな教室になるのかしら…レンジャーさんも新しい方に、それも若い方になるんですってよ…楽しみ!(笑)

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フォーユーの合同吟行会をしました!

2023年03月15日 | 俳句

 3月11日は第2土曜日。例年この日にはフォーユーを会場としている午後の俳句教室と夜のフォーユー馬酔木句会とが、年度末ということで合同吟行会を開きます。

 今年の吟行地は、山口市阿知須方面。参加者合計16名。宇部の総合庁舎の駐車場に9時集合、それぞれ車に分乗して阿知須駅まで…いざ、出発です。いつもの如くこの日も快晴!まだまだジンクスは破られていないわと…アハハッ!(笑)

 この阿知須地区は、2005年の合併で山口市阿知須になりましたが、その時から毎年2月中旬、今年は9日(木)から13日(月)まで、阿知須商店街、いぐら造りの街並み、山口県央商工会阿知須支所周辺で「ひなもんまつり&ぷち街角ぎゃらりー」が開催されます。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2021年は中止に。2022年は「いぐらの館」での展示のみだったために、今回は3年ぶりの開催だったそうな。「ひなまつり」と「さげもん」(福岡県柳川市)をかけて「ひなもん」と名付けられ、阿知須町商工会の支援のもとで「ひなもんまつり」が始まったのです。私も以前何度か来たことがありますが、毎年40近い会場に「ひなもん」が展示されていて、とっても華やかで賑わいます。

 残念ながらこの吟行会ではもうその痕跡はなくて、雰囲気を味わうことはできませんでしたが、「いぐらの館」だけはまだひなもんなどが飾ってありましたので、みんな喜んで…早速良い句材になりました。 

 でも全く人影がなくひっそり閑とした町並を大の大人がゾロゾロと歩いているのは何事かとちょっと目立ちますね。メインの〝いぐらの館〟へ向う途中…嘗て酒蔵だったという所を先ず見学。今では駐車場ぐらいにしか使っていないので、何一つそれらしきものは残っていない…と思いきや、ヘエッ、こんなものが…と発見!私は今までに何度も来ていますのに…全く気が付きませんでした。階段箪笥です。どんな所であっても、吟行すると何らかの発見があります。やっぱり吟行しなくっちゃダメです…ネッ!

 さて、それでは本命の〝いぐらの館〟へ行きましょう。これは、水軍の末裔として音戸の瀬戸から渡ってきたと伝えられる旧中川家住宅のこと。江戸後期から明治にかけて阿知須浦廻船業の中心となった家で、当時阿知須最大級の居蔵造の建物でした。「諸国御客船帳」にも記録され、明治時代には、瀬戸内の塩と筑後米とを交易し、大阪に輸送、販売して大きな利益をあげました。汽船が登場する頃には、千石船による廻船業も役割を終え、その後は酒造業に転身したとか。

 この廻船業の港町として栄えた阿知須浦地区一帯はもともと草葺き屋根の家々が密集してできた町。そのため、火災発生時の被害は大きく、長く人々の悩みの種となっていました。そこで火災に強い瓦葺屋根に変わり、江戸後期には防火構造の居蔵造が建ちはじめ、大正初期には漆喰塗りの白壁が続く街並みが形成されたのです。

 そんな海鼠壁の目立つ街並みを抜けて行くと、目的地の「いぐらの館」があります。この明治17年に建てられた中川家の住宅は、その時代の居蔵造りを代表するものでしたので、平成16年に当時の阿知須町に寄贈され、現在は”旧中川家住宅”(愛称 阿知須いぐらの館)として一般公開されているのです。

 そこをたっぷりと見学して、次は帰る途中にある入り江の常夜灯。きっと江戸中期から明治初期にかけてはこの井関川へ出入りする多くの廻船が目印にしたのでは…と思って眺めるとまた一味違いますね。さらに傍には「西条 北向地蔵尊」が…そこには「馬」の字が刻まれた馬石、河童の伝説が残るエンコ石や嫁らく地蔵、いぼ地蔵などが祀られていました。

 やがて12時前になりましたので、今度は「きらら博記念公園」の中にあるレストランへ。海の見える広いテラスで気持の良い潮風に吹かれつつ、美味しいランチを頂きました。

 その後は13時からきららドームのセミナールームで句会。3句投句、しめて48句の7句選で行いました。初参加の方が2名おられたので…感想を聞くと〝とても楽しかった〟とか〝すごく勉強になりました〟とか。ああ、ヨカッタ!

 終了後また宇部に戻って、暗くなる前の5時半過ぎには解散できました。皆さまお疲れ様でした。

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とろろ・こんぶの…〝猫の恋〟は?

2023年03月10日 | 俳句

 今日は朝の内は曇りがちでしたが、昼からは晴天。車内の温度を見ると21度もあって、もうエアコンが欲しいぐらいでした。このところの気温は4月中旬から下旬並みだそうで、本当にこれでいいのでしょうかね。

 先日まではまだ固い蕾だった我家の白木蓮があっという間に膨らんで、もうかなり咲いてしまいました。この調子で行くと桜ももうじきかも…

 明日は恒例の、フォーユーの午後と夜間の部の合同吟行会なんですよ。それで句会場の「山口きらら博記念公園」へ下見に行ったのですが、公園のあっちこっちでごろごろと気持ちよさそうに猫たちが寝転がっていました。もう春の季語の〝猫の恋〟の時期は終ったのでしょうか。そういえば昔よく聞いていたあのうるさい鳴き声も最近は聞かなくなりましたものね。見ればどの猫も耳がカットされていて…そうです、手術済みの〝さくら猫〟なんですね。だからもう〝恋〟なんかしなくなったのかも。しかし、俳句ではみんな恋する猫の例句ばかりなんですよ。

 そんな中に次のような金子兜太の句を見つけました。「増殖する俳句歳時記」での清水哲男さんの鑑賞文がとても面白かったので参考までにご紹介しますね。

  去勢の猫と去勢せぬ僧春の日に   金子兜太

の境内で、猫と僧侶が暖かい春の日差しを浴びている。一見、微笑を誘われるような長閑(のど)かな光景だ。この長閑かさをそのまま詠んでも句になるが、作者はもう一歩踏み込んでいる。長閑かさのレベルで満足せず、生臭さを嗅ぎ出している。これが兜太の詩人の目だ。一つの光景をどのように見るかは、もちろん人さまざまである。自由である。ただし、一般に長閑かさを見る目は、ほとんど何も見ようとはしていない。見ることを拒否することで、心の安定を保とうとする。一種の精神健康法だ。それはそれで、作者も否定はしないだろう。けれども、人には見えてしまうということが起きる。この場合は、自然の摂理という一点において、両者は全く異形の関係にある。理不尽にも生殖を禁じられた猫と、信仰の理から色欲をみずからに禁じた僧侶と……。そして、この取り合わせがこのように表現されたとき、私を含めて多くの読者は思わずも笑ってしまうのだ。だが、この黒い笑いは、いったいどこから来るのであろうか。『詩經國風』(1985)所収。(清水哲男)

 ところで、我家の〝とろろ〟〝こんぶ〟(2匹とも雄猫)も一昨日手術に連れて行きました。5月生れですからもう立派な大人です。

 体重を測るととろろは4、8㎏と。貰って来たときは480gでしたのに。〈早々と鈴を貰ひし子猫かな 髙田風人子〉のように鈴を付けたら首輪がすぐにきつくなって…。そして、半年も過ぎた頃から〈恋猫となりたり昼は寝てばかり 大塚友治〉というように、夜がうるさくなりました。

 しかし、こんぶの方は最初からとろろより一回り小さくて、その代わりとてもやんちゃ。それで恋をするのも遅かったのかしら。でもそれが最近とうとううるさくなったので、可哀想なんですが手術をすることに…。

 以前のテンちゃん(雄猫)の時は随分昔でよく覚えていませんが、こんなに簡単でいいの?と驚くばかり。2匹同時でもいいといわれ、9時30分に病院へ。その日の15時30分以後だったら連れて帰ってもOKだと。思っていたより超簡単で拍子抜けしました。

 猫たちにとっては〝行きはヨイヨイ帰りはコワイ!〟で…恐がりのとろろは最初から怯えていましたが、こんぶの方はきょとんと…というより興味津々という感じだったかしら。でも4時過ぎに迎えに行くと二人ともウンともスンとも言わず、籠の中に小さく固まっていました。哀れ!

 声を掛けても…何時もの所へ戻って来ても…まるで尻が抜けたようにヨタヨタと歩き…炬燵の中に潜り込んで出てこようともしません。余程懲りたんでしょう。

 聞けば、?針縫ってますが、抜糸はナシと。薬も何もなくて、エリザベスカラーもしないって…エエッ、傷口を嘗めたりしないんですかと聞くと、ほうっておいてもいいんですって。何だかカワイソウ。確か昔はこんなに簡単じゃなかったような気がするんですが…。

 手術前日の18時以降は餌をやらないようにと言われましたから、家に帰るまでの丸一日飲まず食わずですよね。戻ったら少しは餌をあげてもいいですよと言われて、早速カリカリを半分ほどあげました。でも、こんぶの方しか食べず、それも殆ど吐いてしまいました。

 これはやっぱり手術のショックからでしょう。人生…いや、猫生での初めての大きな体験!ですもの。やっと平常にもどって普通に餌を食べるようになりましたが、これで二人とも性格が変るのかしら?あれだけ甘えていたこんぶがちょっとヘン…私を避けるようになって、きっと懲りたんでしょうね。人間に不信感を抱くようになったんじゃないのかな?イヤですよ。子猫の時本当にカワイカッタ!のに…

  段ボールの穴よりにゆつと仔猫の手 ちわき

 

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恒例の吟行会で常盤公園へ!

2023年03月04日 | 俳句

 昨日の朝は霜が降りて畑が真っ白!体操に行くのも指が冷たかったですね。昨夜も零下になったとか…やはりお彼岸まではそうそう楽には暖かくなってくれなさそう。〝暑さ寒さも彼岸まで〟ですから、もうしばらくのガマンかな。

 さて昨日は3月3日、五節句の一つ「上巳(じょうし)の節句」でした。即ち「桃の節句」とか「雛祭」とかの日なんですが、これは全て旧暦でのこと。だからまだ「桃の花」は殆ど咲いていないでしょう。今なら差し詰め「梅の節句」とでも言うべきかしら。まあ、現行の新暦でどこもかしこも…商業ベースに乗せられて、中でもケーキ屋さんなどはそれで売り出しているんですものね。だからそれが主流になっていくのも仕方のないことだとは思いますが…しかし、俳句を詠む人はしっかりと認識して使ってほしいものだと思います。

 要するに女の子の無病息災を祈って、お雛さまを飾りお祝をするということからすれば、それが新暦でも旧暦でもいいわけで、ただ桃の花の咲く季節ということになれば旧暦でないと合わないということ。しかし、これだってこの日を当て込んで栽培する農園もあるようですし…また地球温暖化がどんどん進めばこの先本当にいい時期に桃が咲き出すようになるかもしれない…など、色々考えると…複雑。

 ところで桃は2500年ほど前から中国で栽培されていて、中国でも日本でも、古来からさまざまな書物に桃の記録が見られるのだそうです。日本には弥生時代以前に伝わったことがわかっていて、魔除け・厄除けの果物といわれ、古事記や日本書紀などでも魔物を追い払う様が描かれているんですと。

 そういう意味から桃が珍重されてきたのだとすれば、これが今流行の〝アマビエ〟などを飾って祝ってもいいとうことにもなるんでしょうか。まあ、つまるところ親が子を思う気持には昔も今も変わりがないということですね。

 さて、先日の1日は第1水曜日でしたので、恒例の吟行会でした。1月2月と中止していましたので、いわば今年の〝初吟行〟。一番身近な常盤公園へ行きました。

 もう見飽きている公園なのに…やっぱり知らない事があるんですね。今回は公園の中ではなくその周辺へ。この公園の常磐池は、元禄11年(1698)に、則貞・亀浦の境界にあった谷間を築堤して造った人工池です。「常盤堤東荒手石橋」は、常磐池築堤に伴いできた旧道で、新道の完成後は通る人もなく崩壊寸前でしたが、常盤に残る唯一の石橋でもあるんだそうです。最後の写真は公園側から見た本土手です。

 次に行ったのが「飛び上がり地蔵」。これは〝いつの頃か、常盤池畔に安置されていた地蔵尊が行方知れずになっていたものが、昭和3年に松林から頭部が見つかり、新しく胴体を造り安置された。翌年、宇部地方に干ばつがあった時、突如本土手の堤防が崩れた。この時に地底の泥土が盛り上がり不思議にもその上に地蔵尊の胴体が現れた。この胴に先の頭部をつけかえて昔の姿にし、新旧2体を並べて祀った〟との説明が。以前からその存在は知っていましたが、いつも車で通るだけでしたので、今回初めてじっくりと見ました。向って左側が旧の飛び上がり地蔵尊です。

 その後は常盤公園の中に入りそれぞれ散策。湖にはヒドリガモやオオバンがまだ少し残っていて、ユリカモメもいましたが、みな冬の季語ですね。下の写真はみんなが何?というので、撮ってみましたら…カンムリカイツブリでした。

 日溜りにたくさんいたドバトが、急にそわそわしてゾロゾロとどこかへ行き始めたんです。見るとある男性を追っているのでした。やがてその人はポケットから餌を取り出し撒き始めました。鳩たちはみんなそれを知っていたんですね。

 そろそろ時間がなくなりそうでしたので、梅園を回って、今日の句会場のふれあいセンターへ行くことに。

 ふれあいセンターに着くと、そこも長門と周防の国境だったと説明板が立っていました。

 12時に集合し、そこからレストランに行き食事をしてから句会です。今回のランチはカレーハウスでしたが、庭に鳥が来るように餌場を設けてありましたので、待っている間それを見ているのも楽しい一時でした。

 4時30分、句会が終って帰ろうと外へ出ると久し振りに雨の大降りでした。今日の予報は午前中が曇りで午後から雨と、見事に的中。予報頼みの吟行でしたが、でも歩いている最中に降らずに良かったです。オシマイ!

    

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