ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

茶摘み女

2017年04月29日 | 日記

今日は快晴。雲一つなく今までにないお天気です。

すると外でおらぶ(叫ぶの方言?)声がします。「笊持って来~い!お茶を摘むぞ~」と。

我家にはお茶の木が2本あり、それを毎年摘んでは、少しですが、自家製の手揉み茶を作ります。

勿論私じゃなく旦那が…だから私は〝早乙女〟ならぬ〝茶摘み女〟になるんですよ。

今年は急に暖かくなって、もうこんなに伸びていました。お茶は新芽を3葉摘むんですけどね。 

 勿論お茶はこれだけでなくもう一笊あります。ついでに甘夏も収穫しました。

そうそう、今年は田植えがなくなりました。15年間続けていた棚田オーナー制度が、高齢化のため

解散になったのです。淋しい~。我家は最初の1年だけ抽選に漏れて出来なかったので、14年間。

棚田のオーナーになって、田植え、草取り、稲刈り、脱穀、籾すりと、一応米作りのポイントだけは

経験したのです。勿論田植えは手、稲刈りは鎌で、乾すのも稲架を作って天日乾しです。

そうやって自分の手で育てた(?)米を食べようというのが、最初のきっかけでしたが、

そう思ったのもやはり俳句からだったのです。何でも自分で経験してみなくってはワカランと…

ホントに俳句の力はすごいですよ。色紙書くのに書道、そして俳画も、更にお茶にお花にetc….

そのオーナー制度を、残念なことに地権者の方々が高齢になって辞めることに。

だって始められたときが70歳だったんですよ、と言うことはもう85歳。

病気になられた方もいるし…自分の田圃だけで精一杯で、面倒を見ることが出来なくなったから、

と言うのが大きな理由でした。そうなんです。私たちオーナーはいいとこだけ体験させてもらって、

あとは全部お任せだったんですからね。無理は言えません。

その15年間には、春は田植え後の〝泥落し〟、季語で言うと「早苗饗(さなぶり)」のこと、

それから、筍掘り、山葵漬やコンニャク作りなど、夏は蛍祭に 素麺流し、秋は収穫祭、

冬になれば蕎麦打ち体験、餅搗きなど、それはそれは色々と楽しませて貰いました。

それが昨年末最後のしめ縄作りで、解散式をしたのです。

多少の年数の違いはあっても、みんな大きな家族のようなものでしたから、ホントに寂しかったですよ。

最初から参加されていたご一家が、「この子がこんなに大きくなりました」と高校生の娘さんと挨拶され、

まだ幼かった頃の写真などの、15年間の記録ビデオをみんなで観ると、ホントに涙!涙!です。

猪鍋も蟹汁も初めてだったし、ピーナツやサツマイモも収穫して食べたし…案山子コンテストも、

栗、柏餅、ぜんざいも食べたし…ああ~もう数え切れない!

三谷のみなさん、たくさんの想い出を有り難うございました。

さてさて、話を戻さなきゃ…そうなんです。つい茶摘みに興じて時間を忘れていると、娘から電話。

そうだ、今日は娘夫婦がランチをご馳走してくれるというんだったわあ…こりゃイケン!

案の定娘から「信じられ~ん!」と言われてしまいました。ゴメン、ゴメン。

実を言うと婿殿の誕生祝い も兼ねての食事会。

アリガタイことです。どうも今年は良いことと良くないことが、ごっちゃにあるような…

結婚して始めて旦那から貰った誕生日プレゼント、それもサプライズで…ナンテ!

それは、さておき今日の会場は…田圃の中にある小さなイタリヤレストラン。

初めての所でしたが、家庭的で料理もバッチリ、私たちだけの静かな空間が何とも心地よかったです。

窓が開け放たれ、自然の風をたっぷり入れて…

ちょっと早いですが、今日はまさに〝風薫る〟そんな日でした。

お腹もこころも、満腹、満腹!すると新緑のメタセコイアの枝に鳥が二羽…まるで祝福に来たかのよう。

あらあら、モズの求愛でした。(窓の傍だったのに写真撮り損ねました、悔しい!)

             

              

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水難の句会

2017年04月28日 | 俳句

 4月25日(火) 恩田俳句教室の巻

今年度は新しく2名が参加され、1名休会の、11名でスタート。

私の俳句教室はそもそも初心者を対象にしたものなので、〝入門〟という言葉が付いています。

だから、入会される方は殆どが始めてなのですが、ある程度テレビや本などで予備知識を持って

来られますので、呑み込みも早いです。一応添削教室という形でやっていますし、

句会にしろ吟行にしろ10名前後がベストメンバーですね。

さて挨拶が済んで、「では、今日の…」と言う間もなく、私はお茶を零してしまいました。

それも熱~いお茶!まだたっぷり入っていたのを、胸から膝へ…もちろん机のプリントにも。

もう、後の祭りです。ちょっとした油断が…ウ~ン大事な(?)胸がやけどしたかも…でも熱かったぁ~

「先生、災難続きで…水難の相があるんでは?」と。

そう、みんなブログ読んでくれているんですよ、アリガタイ。

そうこうするうちに今度は、みなさんの添削句稿を忘れて来ていることに気付き…

もう〝踏んだり蹴ったり〟です。先日の〝三隣亡〟ならぬ〝泣きっ面に蜂〟〝弱り目に祟り目〟…

今考えたらいろいろありましたね。後から思い付くなんて…まあ何でもそんなもんですね、俳句も。

今日の兼題は「雲雀

日本各地の麦畑や草原など、どこででも見かけて春を代表する小鳥。特に空高く舞い上がって囀るので、

それを「揚雲雀」、上り詰めると今度は一直線に落下するので、「落雲雀」。

では今日の傑作を!  〈紺碧に羽いそがしく揚雲雀

新人さんの句ですが、季語は一つ、575の定型という基本ももうバッチリ!言うことなしです。

そこで「この雲雀どうして忙しいのですか?」と聞くと、「そう見えたから…」そりゃそうでしょうね。

見たものを見たまま詠みなさいよ、なんて教えてるんだから。じゃこれでよしと…

でもせっかくここまで勉強に来て、手ぶらでは帰れませんよね。どうしましょうか?

この句は「いそがしく」に作者の独自の目があるのですから、やはりそこを生かしてあげなくては…

そこで助け船が出ましたよ。「先生、雲雀には何か聞きなしがありましたよ」と。何々?

聞きなしとは、鳥のさえずりなどの節回しを、それに似た言葉で置き換えること。

例えば、フクロウの「ぼろ着て奉公」とかホトトギスの「特許許可局」などのたぐい。

では雲雀はというと、私は囀りの「ピーチュル」しか知らなかったのですが、教えてくれました。

「リートル・リートル・ヒーチブ・ヒーチブ」、即ち「利取る、日一分」で、

太陽から借金を取り立てようとしているのだとか。すると、また誰かが

「一升貸して二斗取る…」もあるよと。もうオドロキです。ナンと雲雀というのは欲張りな、

それも、一升で二斗とは…すごい高利貸しじゃあねぇ~。可愛い雲雀の印象がガラリと変わりました。

フゥ~ン、これはいいこと聞いた!これを使わぬテはないゾ、と以下の句になりました。

「揚雲雀」で空はもう見えるので「紺碧」は削りましょう。また、ここではあまり色は意味ないし、と。

   借金を取りに忙しく揚雲雀

ちょっと川柳的にはなりましたが、あの高い空でうるさく鳴き立てる雲雀の声が聞こえるでしょうし、

作者の好意的でない気持ちも、また聞きなしを知らない人も〝へぇ~なるほど〟と思ってくれるのでは。

もう一つ、〈雲居より声姦しく恋雲雀〉というのがありまいた。

「雲の中での恋」ホント?「でも雲の中から雲雀の声がするもの、あれラブラブなんでしょう?」と。

すると、「雌は啼かないよ」とか「巣は草の中や麦畑にあるじゃん…」とか、みなさん博識なこと!

結局あの空での囀りは、縄張りを宣言しているのだということに。そこで、次のようになりました。

   雲居より威を張る声の雲雀かな

以上、この日の句会もハプニングはありましたが、新しいことに出会えてよかったぁ~。感謝!

お口直しに、我家の「豊後梅」、去年は剪定しまくったので成らず、今年はこんなに…

                

 

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句会あれこれ

2017年04月27日 | 俳句

このところの忙しさでつい〝本業〟を疎かにしていました。

先日、「このブログ〝俳句の部屋〟やろ?俳句が一つもないやんかー」と言われてしまいました。

マコトその通りですよね。俳句のこと書くために始めたのに…

それでは溜まったものを少し思い出しながら纏めてみましょう。

 4月21日(金) 今年度始めた俳句教室の初日

11名の登録に、仕事の都合で1名キャンセル、計10名のスタートです。

兼題「」、当日1名欠席で、私を含めて10名の句会になりました。

当日の句に、〈遅咲きの孫も青春入学す〉というのがありました。

桜の兼題に、何で遅咲きの…なの? この句の季語は「入学」で、春ですよね。

なんぼ自分の孫でもやっぱり「遅咲き」はないでしょう。カワイソウ!

作者曰く、「この孫は耳が悪く、歩くのも話すのも他の子より遅かったから…」と。

その孫がやっと一人前の若者に成長して、嬉しかったから詠んだと。

そう、それはいいよ、その気持ちは!でも遅咲きまで言わなくてもね…。

みんなそれぞれ何かを背負って生きてるんだから、その子にとってはちっとも遅くはないのよ。

頑張ったから、今の成長があるんでしょう? 祝福してあげましょう。

そこで、〈丈伸びて一病の子も入学す〉と、陰ながらおばあちゃんは応援してるよと…

やはり俳句というものは、〝こころ〟を詠むものです。また読む人も温かくなってね。

 4月22日(土) 男女共同参画センターフォーユーの文化講座の開講式

この日は夕方からの結婚式で大分に行かねばならず、大忙しの一日でした。

前も発表会というタイトルで書きましたが、今年は63講座の受講生1500人以上だということ。

このところ毎年受講生が増えて有り難いとは施設側…、でも我が俳句教室は15名。

またまた抽選に漏れた人には申し訳ないのですが、これが精一杯のところです。

実施は5月からですので、まだどんな方が受講されるのかは不明です。名簿を見れば昨年からの人が

半数以上で安心しました。開講して5年目になるのですが、一人だけ当選を続けている人が…

余程くじ運が強いんでしょうね。でもこればかりは私の力ではどうにもなりませんから。

式がちょっと長引きそうでしたので、講師紹介が終わった途端に抜けました。これでセーフ。

 4月24日(月) ふれあいセンターで俳句教室。1人欠席の8人での句会。

兼題「チューリップ

ここでこんな句が出ました。〈チューリップの並んで咲いたドレミファソ

チューリップを見るとすぐに〝咲いた咲いた…〟という童謡(?)が浮ぶんですと。

もちろんみんなそうでしょうよ、ねぇ~。

上五の「の」は悩みました…入れなかったら三段切れになるかと思って。

ああ!みんな学んでますね。いいことです。もう一つこの句には片仮名が多すぎて…と。

そうなんです。いつも片仮名は一つにしましょうと言っているもんですから。これもなかなか。

すると、横から「ドレミファソ」を平仮名で書いたらいいよと。

ナント、戦時中は子どもたちに横文字(カタカナ)は使ってはいけないというお達しがあって、

音階なども平仮名で教えたんですって!エエッ…知らなかったなあ~

ちなみにこれを教えてくれたのは小学校の教師だった人。今日もまた新しいことをアリガトウ!

そこで、この句は最終的に〈どれみふあそ並んで咲いたチューリップ〉になりました。

そうすると、子どもたちの歌に合せて、チューリップも風に揺れて頭を振っているような…

 4月25日(火) ふれあいセンターで俳句教室…

ちょっともう疲れました。この句会の話はまた次にしますね。ではまた。

気分転換に我家の「大手毬」。昨年は虫にやられて1花も咲かず、思いっきり切って今年は…

見事このように美しい花を付けました。やっぱり〝手術〟も必要かなぁ~

             

 

       

             

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無花果の俳句

2017年04月26日 | 俳句

このところ追いまくられてブログがおいつかない。

書くことは山ほどあるのに…

今日はちょっと書き残しておきたいことがあるので…

昨年9月の句会でのこと、自宅で出来た無花果ですどうぞと、それはそれは見事なものを皆で戴きました。

〝おいしかたぁ~〟それで、すぐに来月の兼題は「無花果」に決まりました。

その10月の句会での話。

   無花果の皿に阿吽の二つかな

これは、俳誌「草」主宰・今井誠人(まこと)さんの句ですが、「阿吽の二つ」がいいですねぇ~。

阿吽(あうん)は知っていても、なかなかこうは思い付かないですよね。

一つはすでに弾けて大きな口を、もう一つは熟していてもまだ割れる前…すなわち口を閉じて、

どうですか?皿の上の二つがしっかり見えるでしょう!俳句はこう詠まなっくっちゃと…

目の前のこの無花果も絵に描いて、俳句とコラボレーションするといいね、などと話していました。

その時私が詠んだ句は、〈産むことをせぬ無花果の母性かな〉でしたが、それにちなみオモシロイ話が…

「無花果は、花が咲かないのに何時どうやって出来るの?」「成っているのしか見たことないねぇ~。」

「花は実の中にあって、それを丸ごと食べてるんだよ。」などと喧々諤々。そこで調べてみました。

「西アジア原産のクワ科の落葉小高木。葉は3裂掌状、茎・葉を切ると乳状の汁を出す。

初夏、花軸の肥大成長した花嚢を葉腋に出し、内面に無数の花をつける。雌雄異花、同一花嚢中に生ずる。

食べる部分は実際は花床である。」と。みなさん、分りました?

私は頭がこんがらがって、〝さっぱりポン〟です。要するに、花=果実を食べてるって言うことネ。

そこで、無花果にどのように実が付くのか、無花果の木がある人は今度よく観察して

発表しましょうね、ということに相成ったのであります。

でも、もうそんなこと、すっかり忘れていました。ところが先日のことですよ。

なんと、なんと、我が家の無花果が成っていたのです。この木は、苗を貰って植えたもので、まだ2年目。

いつ頃から実が成るのかしらと思っていたので、イヤもうびっくりです。

枇杷の苗木も植えましたが、6、7年経ってからようやく花を付けました。でもまだ実は一度も見ていません。

だから、こんなに早く無花果の実が成るなんて…それも何もない幹にポツポツと…

ワァッ! 感動もんですよ。この小さい幹に8ッも。〝見て!見て!〟すぐに旦那を呼びました。 

もう一つ、先般の無花果提供者は絵のクラブに入っていて、絵画展などにも出品している人。

11月にはいつも、校区の文化祭があり、私たちも短冊・色紙を展示するのですが、彼女は絵画も展示。

ナンと、今年は無花果の水彩画でした。そこで、俳句も一緒に展示したら良かったのにぃ~、

と言うが早いか、「実は、そう思って持ってきているんです。」と。

  ちなみにその句は、〈描き終へて無花果すぐに頬張れり〉だったかな?

  イヤ、イヤ、でもさすがですね。(脱帽!) 

            

教室のみなさん、それぞれみなやる気満々でしょう? 本当にいつも元気を貰っています。アリガトウ!

ところで、先日の母の牡丹が散ってしまいました。香だけ残して…ホント〝花の命は短くて〟ですね。

代わりにあちらこちら「一八」(イチハツ)が咲いていました。

 

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〝びっくりポン〟の結婚式

2017年04月23日 | 日記

 昨日から末弟の長男(甥)の結婚式で、大分の方へ出掛けていました。 兄妹が多いので、結婚式には何度も出席していますが、久し振りの結婚式でした。

 

 大分市の田ノ浦〝エシェル ドゥ アンジェ〟で、4時30分から挙式、5時30分からの披露宴。

 この場所は、私が子供の頃は海水浴場で、時々遊びに来ていたところ、今は綺麗に公園化されていて、あの別大国道(別府~大分)を通るときは、いつも懐かしく眺めていました。

 ちょっとハワイ(?)の感じでしょう。下の写真は野生の猿で有名な高崎山。もう夕方です。

 その海岸に結婚式場があるなんて…でも、この辺りのレストランウエディングでは有名らしい!

 末の弟は遅く生まれたので、それはそれは〝おばあちゃん子〟でした。と言っても、母のことですよ。

 その母は昨年11月19日に亡くなり、とても残念がっていましたが、遺影をこっそり持って来て

 出席させていましたよ、やっぱり!お母さん、見てましたか?よかったね。

 さて、前方に海の見える式場で人前結婚式です。真っ白な空間の広い窓を鷗が過ぎり…ステキ。

 何度見てもいいものですね。ウエディングドレス…私たちの時代は殆ど和装でしたもの。羨ましい!

 新郎の入場の時、渡して下さいと、一本のバラを…見て下さい!これ〝レインボーローズ〟ですって。 

 造花でなく生花ですよ。実はこの花束でプロポーズをしたんですって…今時の若い人はやるねぇ~

 フラワーシャワーも綺麗でした。 

 今度は披露宴。これも〝びっくりポン〟の連続でした。

 まあ、最初のセレモニーはみな同じ、祝辞の後の乾杯、フランス料理にシャンペン、前菜にワイン、…と、お決まりのコースです。食べながら、「ねえ~ここ地下室よね。何となく暗い感じ…レストランの時はここでは食べないのかしら?」

 「そりゃ、ここは結婚式の時だけ使うんじゃろ。」「へぇ~、ナンか変!」

 よく見ると、周りの白壁全面にロールカーテンのようなものが天井まで付いているのです。???

 宴も進み、新郎新婦はお色直へ。やがて準備が出来たようで…どの入口から入場するのかと、キョロキョロしていると…スルスルッと白壁が明るくなって…一面のガラス窓になりました。

 そして、広がる海と山、その美しい芝生の庭を、羽織袴と打掛けの二人が…

 もうびっくりです!更に会場に入ると、相合い傘に、天井の大きな風船が割れて、

 色とりどりのかわいらしいハートの風船が降ってくるという趣向、凝ってますねぇ~

 本当に楽しませて貰いましたよ。でも、これで驚くのはまだまだ早い!

 最後のコーヒーとデザートも頂いて、そろそろお開きかなぁ…と思いきや、今度は最後に野外シアターがありますから庭へと。エエッ、なんでわざわざ外で…

 確かに向こうには別府の夜景が広がっていて綺麗だけど…でも夜の海風はまだ冷たいよ!

 花嫁さんは肩出して…ケープや膝掛け貸して貰ったけど、でも寒そう!

 今日の結婚式の様子のムービーでした。でもわざわざ野外でしなくてもと最初は思いましたが…。

 最後の新郎挨拶…なかなかしっかりしていますね。日頃はあまりしゃべらないので、彼にこんな一面が…いやいや、子供の頃しか知らないもんね、よくぞ立派に育ちました。

 これぞ親冥利に尽きるでしょう。オメデトウ!なあ~て思いながら聞いていると、

 突然パパンパァ~ンと夜空に花火が…三度目の〝びっくりポン〟です。それも1発ではなく数十発。

 トドメは5,6発の連発ですよ。写真撮りましたがうまく撮れませんでした。悔しい!

 ああ、それでこの野外の謎が解けました。ご立派!ご立派!

 もし雨でも降ったら…どうしたんだろう?なぁ~て、要らぬ心配!最高のお天気でした。

 これもきっと天国の〝おじいちゃん〟や〝おばあちゃん〟のお陰よ。感謝!感謝!

 実家に戻り、今夜は母の居ない部屋で久し振りに寝ました。昨年のお祝いの時は一緒に寝たのに…しんみり

 朝お墓参りをして、筍を掘って戻ると、母の大好きだった「牡丹」が咲いたと、義姉が仏壇へ。 

 そして、私にも一花剪ってくれました。ありがとう。やはり〝ふるさとはよきかな〟です。合掌。 

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七重八重…のつづきでぇ~す

2017年04月21日 | 日記

昨日のつづきでぇ~す。

 

太田道灌がにわか雨に遭って、農家の娘から山吹の一枝を差し出された話…

その舞台となった場所として、豊島区神田川の面影橋の近くに石碑があるそうな。またその近くには「山吹の里」もあると。

ところで、太田道灌(出家する前は資長)は、扇谷上杉家の家宰・太田資清の子で、幼少時より神童と言われ、鎌倉五山や足利学校などで学問を修めているなど、その英才ぶりを発揮した逸話などが伝えられてをり、更に25歳という若さで江戸城を築き、百戦百勝の戦上手の武将であったという。

歌人としても当代屈指で、たくさんの和歌を詠み、『慕景集』という歌集も遺しています。

ではなぜそんな立派な人が、あの古歌を知らなかったのか…やっぱり不思議でしょう!

更に、もっと面白いことがあるのです。

あの農家の娘さん、彼女にはちゃんと「紅皿」という名前があるんですよ。そして、新宿区内にお墓も存在するんですって。更に、紅皿の略伝を記した「紅皿縁起」などという文書も現存しているらしい。もうびっくりでしょう!

みなさん知ってました? まあ、東京の方なら知っていらっしゃるのかも…

その縁起によると、京家(公家)に仕えていた武士(?)が細川と山名の合戦のみぎり、この辺り(豊島の郡高田村)に落ち延びて来て住んだが、その時、娘(10代?)を一人連れていたと。その娘が紅皿で、気立ても良く、殊に和歌を好んで造詣も深かったらしい。(やっぱり普通の農家の娘ではなかったネ!)

そして、この道灌との出逢いが縁で、城に招かれ道灌の歌の友として過ごしたそうです。

道灌が主君の暗殺により、55歳で非業の死を遂げた後は、尼となって大久保に庵を結び、死後その地に葬られ、墓が建てられているというのです。それらの写真もありましたが、ホントでしょうか??? 

もし私が東京在住ならば、すぐに確かめに行くでしょうが…なんせ、遠すぎますよね。どなたか興味が湧いた方、尋ねてみられませんか?

まあ、伝説とか逸話とかいうものは大体こんなもの…山口県にも小野小町の墓があったり…

それでも結構楽しませて貰いました。感謝です!

私も、このところ年一回は東京の新年句会に参加していますので、上京する度にどこかを吟行して帰るのですが、東京にはあまりにも史跡が多すぎて、いつも選ぶのに困ります。

ちなみに今年は世田谷のぼろ市と代官屋敷へ。あッ、あの名物の代官餅を食べ損ないました。

あまりにも人が多くて、2,3時間も並んで待つなんてとても、とても…。            

ところで、山吹の学名は「Kerria japonica」で、スコットランドの植物学者ウイリアム・カーが自分の名前から付けたそうですが、「ジャポニカ」とあるからには、(中国という説もあるので)原産地はやはり日本なのかも知れませんね。

先日の八重桜を思い出して、我が家の八重山吹も花びらを数えてみました。

もうビックリです!みなさん何枚だったと思いますか?なんと大小併せて108枚…スゴイですね。

コレで山吹の話はオシマイ!                                                  

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七重八重花は咲けども…

2017年04月20日 | 日記

 昨日山吹の写真を撮っていて、ふと思いました。

   七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

『後拾遺和歌集』に収められている兼明親王(かねあきらしんのう)の歌です。この歌にちなむ太田道灌(どうかん)の伝説は有名ですので、ご存じとは思いますが、念のため書いておきますね。

太田道灌がまだ若かりし頃、鷹狩りに出掛けてにわか雨に遭遇し、ある一軒の農家で雨具の蓑(みの)を借りようとすると、そこの娘が盆の上に山吹の一枝を乗せて差し出したという話。

その場では意味が分らず、道灌は怒って帰り、後で家臣に、山吹の古歌の「実の一つだになきぞ」になぞらえて、「お貸しする蓑一つないのが悲しいことです」と、伝えたかったのだと聞かされ、道灌は大いに恥じて、その後一生懸命学んで当代一の歌人になったとの伝えです。(『常山紀談』)

私はこの話、昔から知っていましたが、今思えばおかしな話ですよね。

そんな立派な武将が家臣さえ知ってる古歌を知らず、さらに一介の農家の娘は知っていたと言うこと…

また、貴人には直接の手渡しや受け答えをしないというような礼儀作法も身につけていたとは…いくら考えても不思議です。もしかしたらこの娘、どこかの落人のお姫様だったりして…

それよりも私が気になったのは、その頃から八重の山吹があったのかしらということでした。

歳時記を見ると、普通の一重の山吹は日本各地の山地に生えているが、八重は園芸品種との説明があったからです。「エエッ!太田道灌の時代から園芸品種があったの?」と。

ちなみに太田道灌は室町時代後期の武将で、後に江戸城を築城した有名な人。

ところが、あったのですよ。それもずうーと昔の『万葉集』の時代から…。

山吹の歌は『万葉集』に十数首あり、その中には有名な高市皇子(たけちのみこ)が十市皇女(とおちのひめみこ)の死を悼んで詠んだ挽歌(巻2・158)もあります。

   山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

これは恐らく一重の山吹でしょう。ところが、次の歌もあったのです。巻10・1860の、作者未詳の歌です。

   花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花

ここでは確かに「実はならねども」とありますから、これは間違いなく八重ですよね。 

調べてみると、八重以外にも、斑入り山吹、黄すじ山吹、菊咲き山吹、白花山吹など、いろいろあるようです。モチロン園芸店などではもっと変わった品種もあるようですが…

ところで、「白花山吹」は、山吹の突然変異種で、白とは言っても、少しクリーム色がかっているとか、花弁は5枚。(まだ見たことない)

昨日載せた「白山吹」は違う品種なので花びらが4枚、秋にはぬばたまのような真っ黒い実が着きます。

面白いことに、江戸時代の富山藩主前田利保が著した『棣裳図説』には、山吹の品種十種が彩色付きで図説されているとか。(「棣裳」(ていとう)とは、山吹の漢名。)機会があれば是非見てみたいものです。

このように何の気なしに見ているものでも、みな奥が深いですね。

まだまだ知らないことばかりです。もっともっと勉強しなくちゃ…ね。

ついでに、いろいろ調べていましたら、とても面白いことが分りましたよ。

あながち私の推測は間違っていなかったらしい(?)…ということを次に書きましょう。お楽しみに!

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弱り目に祟り目

2017年04月19日 | 日記

「ねぇ~何か『三隣亡』に似た言葉知らない?悪いことが続く時に使うやつ…」

「三隣亡でいいんじゃないか?」

「でもねぇ~、辞書で調べたら『この日建築すれば火災を起し、近隣3軒をも亡ぼすという忌日』だって。

人に害を及ぼすんじゃなくて、立て続けに害を及ぼされるの、なんか違う言い方があるんじゃ?」

朝食時の会話です。すると、息子が起きてきて洗面所へ…「何?これ!」と飛び上がりました。

一瞬何が起こったか分らず、ポカ~ンとしていると、目の前のドア-のところから水が押し寄せて来てるじゃありませんか。何が起こったのか…トイレの水?風呂の水?誰か栓閉め忘れた?

旦那は急いで風呂場へ、私は雑巾を…見れば風呂場から玄関へ行く廊下なども水浸しです。

もう、とにかくこの浸水を食い止めなくてはと、必死でした。奮闘すること2時間ですよ。結局洗濯機の排水ホースが外れていての出来事でした。

この洗濯機、もうかれこれ15年、いや20年にはなるかも、いつも感謝して使っていましたが、とうとう謀反を起こしてしまったのかしら…などと思ったりしました。しかし、どうやら私がホースの上に重い洗剤の箱を乗せていたかららしいと旦那が言う。

洗濯機さんゴメンね…こんなに頑張ってくれてるのに、疑って。

今日は風が強いけど、でもいい天気…マットから絨毯まで洗濯物が山ほど出ても何とか乾きそう!

有り難いことです。時ならぬ大掃除もできたと、ものは考えよう、感謝せねば!

地震や土砂災害などに遭われた方々はこんなもんじゃないわよねぇ~、とつくづくそのご苦労が思いやられ、二人でしんみりと話したことでした。

このところ4,5日前から心を傷つけられることが度々あって…、これぞまさに「弱り目に祟り目」です。

することが山積みしてるけど、まあ、ちょっと気分転換に庭の花などを…

採ったつもりの蕗の薹がこんなに…「蕗のしゅうとめ」という春の季語ですよ。(まだ呆けていませんが)

 

八重の山吹と白山吹、普通の山吹は黄色で5弁、白山吹は別品種で4弁です。

 

著莪の花、雑草だけどトウダイ草も可愛らしい、

この花は、母から貰って名前も聞きましたが…忘れました。球根で何もしなくても毎年咲いてくれます。

      

これで、少しは気が晴れました。さあ、またガンバロウ! 

            

 

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宮島の火渡り式

2017年04月17日 | 日記

 一昨日の広島造幣局の〝花のまわりみち〟で、投句箱のことを書きましたが、その時、昨年の入選句の短冊が会場に掲げられ、その入選句集の冊子も置いてありましたので、戴いてきました。参考までにご披露しますね。

   特選三句         木村里風子選

    一席  桜狩り地震(ない)かけめぐる星に住み      宮本 恭子

    二席  朝ざくら鳥語溢れてをりにけり         山岡 祥子

    三席  腰おろす長椅子に花散りきたる         福島 正則

 さて、宮島へ向かうバスの中で、ガイドさんが「今日は、宮島の大聖院(真言宗御室派大本山)で火渡り式があります。ちょうど午後からなので、滅多にない機会ですよ、体験なさるのもいいかも…。」と言う。

 エエッ!一度は〝火渡り式〟なるものを見たいとずうっと思っていましたが、今までチャンスがなくて、人の話を聞いては羨ましがっていたんです。ヤッター

 この大聖院では、毎年11月15日と4月15日に行われるンですって。よかったぁ~仏様に感謝です!

 宮島に着くと、鹿たちは、いる、いる…でも以前よりはぐっと少ない感じだけど、どうしたんでしょう?

 桟橋から商店街へ。途中あなごめしの〝いな忠〟さんにお弁当を頼んでいたので貰って行く。

 食べるときは鹿が寄って来るので気を付けるようにと聞いているので、いい場所を選んだつもりでしたが…でもやっぱり来ましたよ。一頭でしたが。鹿さんは仕方なく(?)…花びらを食べていました。

 あなご飯弁当おいしかったなぁ~始めて食べたんじゃないのに、一味違っていました。

 モチロンお天気もいいし、桜も咲いてるし…でもそれだけではなさそう、この〝いな忠〟のだからでしょうと、みなが言う。

 腹ごしらえが済んだので、早速大聖院へ。やっぱり階段ですねえ~数えて上ったら98段。

          

 11時から「大般若転読法要」、13時からの「柴灯大護摩経」が済んで、ちょうど14時からの火渡り式(火伏法)が始まるところでした。

 この行事は真言密教の秘法儀式です。弘法大師が弥山で修行して以来、1200年間燃え続けている「消えずの霊火」から移された霊火を炉壇に点火しますと、檜の青葉が白煙を上げて燃えあがり、やがて火柱となります。それが燃え尽きたあと、まだ熱い熾きを広げて道を作り、そこを裸足で渡るのです。

 まず大導師が渡り、それから僧侶や修験者(山伏)、信者、参拝者の順で、それぞれ願望成就を唱えながら渡ります。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」とは言っても、やっぱり熱いでしょうね。

                       

 山伏のホラ貝が鳴り出しました。まず大導師が塩を撒いて浄め、四方を祈祷、いよいよ…やっぱり熱そう…風が吹くと黒い炭が赤くなります。さあいよいよですよ。???大導師もなかなか〝心頭を滅却すれば火もまた涼し〟とはいかないのでしょうね。さあやっと始まりました。大導師(1枚目)に続いて次々と山伏が…一回りしたところで信者の方(2枚目)今度は一般の参拝者です。あっ!子どもが渡りました、小学校2,3年生ぐらいかな?次は大人たち…あっ、外人さんも渡りましたよ。(3枚目) 見れば、長蛇の列です。(4枚目)

 しばらくは煙に噎せながら眺めていましたが、さあ帰ろうとしかかったとき、仲間のうち3人が滅多にないことなので参加してくるという… もうびっくりです。

 でも、私は持ち物を加持して浄めていただきましたから、きっと御利益があるかもね。

 本当によいご縁でした。俳句は出来なくてもいいから、何でも体験ですよと、皆と話しながら行く。

 全員が集まったところで、喫茶店にてミニ句会です。

 初めの頃は、吟行は好きだけど、句が出来ないから…と渋っていた人たちも、もう何も言わなくても「はい、ここで3句よ!」というと、もう誰も文句は言いません。すぐに句帳を出してさらさらと…

 なんか、とても嬉しいです。みなさんがここまで成長したのかと思うと…。

 「結果を恐れるな!なるもならぬも、出たとこ勝負よ」と、言い続けた甲斐があったわぁ~

 ちなみに、わたしの句は、〈肩に膝に五百羅漢の花まみれ〉でした。(大聖院には五百羅漢もありました)

 宮島の大鳥居は、もうすっかり潮が引いて、人がたくさん下りていました。

 

 4時のフェリーで宮島口へ、するとポツリポツリと雨が…。 バスに乗っている間は土砂降り、トイレ休憩のSAでは止み、またまた土砂降り。でも、最後の終点ではすっかり止んでいました。傘持って行ったけど結局差さずじまい。

 日頃の行いがいいからですねとはガイドさんの弁。車中でのジャンケンポンゲームでもわがチームが勝って賞品をゲット…言うことなしの旅でした。

 

           

                       

          

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花のまわりみち

2017年04月16日 | 日記

 以前ブログにも書いたと思うのですが、「馬醉木句会」の総会を兼ねたバスツアーに昨日行って来ました。

 今回は、既に行ったことのある人や体調の悪い人などが欠席で、総勢10人の参加でした。でもバスは3台で。

 有名な大阪造幣局の「桜の通り抜け」にちなみ、広島造幣局の「花のまわりみち」。

 私はてっきり「通り抜け」と思っていたら、広島は通り抜け出来ないので、ぐるりと見て回るんですって。

 ガイドさんの話では、昭和42年に大阪から貰って移植した2本、それを順次増やしていって、今では合計61品種219本になっているそうです。

 樹勢もいよいよ盛んになってきた平成3年4月、造幣局創業120年記念事業の実施にあたり、これらの桜を広島市民にも楽しんで貰おうとの趣旨から、「花のまわりみちー八重桜イン広島ー」として、構内の桜を一般公開し、それが今年で27回目を迎えたのだそうです。

 そう言えば、うちの旦那も「広島で育ったのに、全く知らなかった!」と。そりゃ昔はなかったんですよ。

 今では近郷のみならず、遠方からもバスツアーが組まれ、広島の春の風物詩として大好評らしい。

 毎年数多くの品種の中から一種が、〝今年の花〟として選定されるのですが、今回は「妹背(いもせ)」でした。

 説明には、「花は濃淡になった紅色で、時に一つの花に実が二つ、対になって付くことから、この名がつき、花弁数は30枚ほどあり、二段咲きが見られる。」と。構内には3本だけあります。

          

 珍しいのは「鬱金(うこん)」で、「江戸時代に京都知恩院に植えられていたといわれ、花は淡黄緑色のショウガ科のうこんの根の色に似ている。花弁数は10~15枚。」

 次に「御衣黄(ぎょいこう)」という大変珍しい品種。「花は黄緑色で、開花が進むにつれて花弁の中心に紅色の縦線が現れる。花弁数は15枚程度。」(遠くで花もわずかでしたのでボケました)

 「雨情枝垂」は、「詩人野口雨情の邸内にあったので、この名が付き、花は淡紅色、花弁数20~26枚。」

 「思川」(おもいがわ)は、「栃木県小山市の修道院にあった十月桜の種から育成された桜で、修道院の下を流れる川の名にちなんでつけられた。花は淡紅紫色で、花弁数は6~10枚。」

 「紅笠」、「北海道松前町で、『糸括(いとくくり)』実生の中から選出育成された桜、花は淡紅色で、直径5~6㎝もある大輪で、花弁数は50~60枚。」

 もうどれがどれやら分りません。もしかしたら覚え間違いもあるかも…その時はゴメンナサイ!

 最後に一つ、新種の桜「舞姫」があるというので、警備員さんに教えて貰うと、1本だけ、それもまあ、何と小さい木、花もやっと2,3個で…ホントに儚げな花でした。(写真撮れないのでパンフです。) 

 それにしても本当に見事でした! あるものはもう満開を過ぎていて、まさに〝飛花落花〟の世界、あるものは今を盛りの桃源郷ならぬ〝桜源郷〟、かと思えばまだまだ可憐な〝おちょぼぐち〟と、いろいろと楽しめますよ。でもこの開放は見頃の一週間だけ。その中の一回だけの土・日ですから一番混雑する時、ましてそれがお天気ともなれば言わずもがなでしょう。

 この広島の造幣局は、1円、5円、10円…と、硬貨のみの製造で、そのコイン記念セットも販売。

 まあとにかく、噎せ返るような花の香りと人騒で、結構疲れました。(下は造幣局のミラーガラスに映った景)

 

 中にある休憩所にはやっぱり投句箱が設置されていましたので、記念の一句をみな投句しましたよ、モチロン!。

 12時バスに戻り、そこから20分余りの宮島口へ。それからフェリーで10分、次の宮島へ。

 また、長くなりますので、次回へ。          

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オゴオリザクラとの再会

2017年04月13日 | 日記

 4月11日の吟行会で、「其中庵」のことを書きましたが、そこでとても嬉しいことがあったのです。

 それが「オゴオリザクラ」との再会なのです。

 この桜は、「八重咲きで、花弁は15枚前後、おしべは50本前後、普通は八重咲きのものには、めしべが不完全で結実しないものが多いが、このサクラのめしべは健全で少ないながら結実する。

 植物分類学的には種の段階ではヤマザクラ、品種の段階ではヤエノヤマザクラ、栽培段階では今日まで記載されたものには該当するものがなく、小郡以外にない貴重な品種なので、昭和57年、小郡町(現在山口市)の天然記念物に指定された。」との説明板があります。

 そう言えば、確か昔花びらを数えてみたっけ。

 

 その原木は、山口市小郡下郷柳井田の泉福寺墓地内に現在もありますが、2年前の台風で折れてしまったらしい。

 これはもう、30年以上前になるかもしれませんが、県下の桜を見て回ったことがあるんです。

 と言っても、桜との出会いは難しいですよね。見頃に行かなければ、その見事さは分らないのですから。

 働いている身には、1年に1本がいいところ、毎年見に行っても早かったり遅かったりでダメだし…。

 昔は、仕事を辞めたらキャンピングカーを買って、日本全国の桜を見て回ろう!と…それが旦那の夢でしたが。

 今はもうそんな夢どこに吹き飛んでいったのやら…いやもうきっと忘れてしまっているのかも。

 さてそういうわけで、まずは近いところから行こうと、この「オゴオリザクラ」を見に来たのでした。

 ちょっと道が分りにくい、でも地域の方に教えて貰って見つけました。

 それはそれは見事な樹形、立派な桜でした。樹齢は、今で150年、だから当時も100年以上…。

 ところが、残念なことに満開ではなかったのです。まあ3分咲きといったところだったかしら。

 「これが満開になったらすごいよね。必ずまた見に来ましょうよ。」と言いながら帰りました。

 次に見に来たのはそれから、何年か後でした。以前は離れた場所からでも見えていたのに、何とあの巨大な木が見えないのです。やっと探して行くと、老朽のため手足をもぎ取られ、あちらこちらには養生の跡、でも根幹だけは以前のままの大きさで残っていました。

 しかし、哀れで見る影もありませんでした。傍には小さなひこばえが植えてありましたが。

 それからは、忙しいのと体調を崩したのとで、桜を見る余裕などなくなり、「オゴオリザクラ」とはすっかり縁が切れてしまいました。

 それが今回のこの其中庵の庭や休憩所で、「オゴオリザクラ」が満開ではありませんか。

 エエ~ッ、こんなに大きくなって…あれから何年ぶり?。とても懐かしく愛おしくなりました。

 結局満開を知らないままでしたので、こんなにも可憐で優しい色だったのかとしげしげと眺めてしまいました。

 其中庵の裏庭には3本並んでいますので、それはそれは見事でしたよ。(下・休憩所の駐車場より其中庵)

  聞けば、これは平成元年、小郡町が地域の住民とともに独自に保護・育成に励み、山桜に接木して増やしていったものですって。

 今ではその遺伝子を引き継ぐ「オゴオリザクラ」が約80本近くになったらしい。それが結構どれも大きいんですよ。

 そう言えば、昔来たときも其中庵に桜の木はあったような…ああ、それに接木したんだなあと…。

          

 

 

 

 

 

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花の雨の吟行会ー「其中庵」

2017年04月12日 | 俳句

 今日は久し振りのお日様、これもまた有り難いですが、でもこれで桜は終りかも?

    昨日の吟行会のつづきです。

 第二目的地、山口市小郡下郷矢足にある「其中庵(ごちゅうあん)」へ。

 私たちは車で行きましたが、新山口駅(北口)から歩けば20分ぐらいの所です。

 もう知らぬ人はいないでしょうから、行乞流転の自由律俳人・山頭火(種田正一・1882~1940)の説明は省きますが、彼が昭和7年の50歳の時から昭和13年まで、約6年間を過ごした所です。

 法華経の「普門品」(ふもんぽん)にある「其中一人作是唱言」(ごちゅういちにんさくぜしょうげん)という語から、「其中一人」を自分に置き換えて、名付けた庵だそうです。

 意味は、災難や苦痛に遭ったとき、その中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観音菩薩はすぐに救いの手を差し伸べられて皆を救われ、悩みから解き放たれるということ。

 山頭火は、この庵が余りにも傷んで住めなくなったので、ここを出た後、松山市の「一草庵」に移り、2年足らずで亡くなります。享年58歳でした。

 この其中庵が、彼が一番長く落ち着いて充実した文学生活を送れたところで、その後57歳のとき、今までの集大成として出版した句集『草木塔』はここで原型が出来たのです。

 この庵は当時の間取図を基に、平成4年に復元されたもので、無料開放されているのも有り難いです。

 横には四阿(あずまや)や句碑、奥には山頭火が使っていた井戸などがありました。

 この庵の句碑〈春風の鉢の子一つ〉〈いつしか明けてゐる茶の花〉休憩所に〈へうへうとして水を味ふ

           

           

 入口の戸を開けると土間になっていて竈などがあり、部屋に上がると文机、壁には行乞時の笠と墨衣、それに仏壇がありました。位牌が二つ、一つは山頭火のようです。もう一つは旅に出た時いつも持ち歩いていたという、お母さん(10歳の時自殺)の位牌でしょうか?

 床には〈空へ若竹のなやみなし〉の山頭火染筆の軸です。

 勿論コピーでしょうが、他にもある山頭火の筆跡はみな繊細で女性のような字でしたね。

 やはり、あまりにも優しすぎて、世の中に、いや人間に、ひいては自分に堪えられず、このような生き方をしてしまったのかなあ~などと、字を眺めながら思ったことでした。

 庵の傍には、これも嬉しい無料休憩所があって、昼間は解放されていますので、誰でも使えます。

 庭には水琴窟、和室は21畳もあって、机から座布団まで用意されています。アリガタァ~イ!

 ここで、昼食を取り、 いよいよ句会の開始です。

 今回の最高点は、次の句、

    踊子草濡れて出番のなかりけり

 まだ始めて1年足らず、吟行も2回目で、この句をものにしたとはなんと素晴らしい!

 窯元に行く途中、余りにも綺麗に咲いている踊子草を見て、みんな感動していたのにね。

 同じ句材の句がありましたが、この句の「出番なし」がよかった!

 原句は〈踊子草スカート濡れて出番なし〉でしたが、ここで「スカート」まで言うと、折角の踊子草の品が下がります。言わなくても十分わかりますし、省いた方が却って雨に濡れてこんなに色が美しいのに…と、踊子草を愛おしく見つめる     作者の眼を感じますよね。ましてや実際に見ているから余計に。

 やっぱり雨の吟行会が良かったでしょうと言うと、みなウン!ウン!

 ここでまた、一つ面白いこと。

 〈旧家跡の雨の沼尻蛙かな〉の句、季語は蛙で春です。

 確かにあの木梨堤で蛙が鳴いていましたので、誰もが目を付けていたでしょう。

 それをこう詠まれてはみな採りますよね。

 この句、「沼尻」が良かった、咄嗟によく思い付きましたねぇ~と褒めると、「だって、この前プレバトの最高点の句にそれが使ってあったんですよ」と。ウゥン~見てない‼ 

 見た人はと聞くと、半分以上が挙手。「東国原さんのでしたよ。名人昇格だったかな?」などと賑やか。

 ちょっと乗り遅れた感じ…「でもこれは盗作にはならないですよね」と作者。

 どんな句かと聞くと、〈のら犬の吠える沼尻花筏〉だったんですって。やられましたね~

 でも、今日も有意義な吟行会でした。初めての2人も「これからは吟行ばかりしましょうよ」と。

 「雨が降ろうと、槍が降ろうと、ほらやみつきになるでしょ!」と私。

 帰るときはすっかり雨も上がって、「花曇」に「花冷え」、またまたそれもよし…。

 もう一つこれだけは伝えたいことがあるんですが、…ではまた次回にしますね。           

             

 

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花の雨の吟行会

2017年04月11日 | 俳句

 今日は久し振りの雨の吟行会でした。

 俳句はいいですよね。どんな天候でも句材になるのですから…

 誰かが言っていましたよ。「かえっていい句が出来たりしてェ…」

   欠席者がいたので総勢8人。それ程の大降りではないのでまあまあです。

 第一目的地は山口市宮野。このあたりは地名が〝桜畠〟と言うだけあって桜があちらこちらに、それも雨をいっぱいためて、まるで今にも涙を零しそうな乙女の感じで、見事に咲いていました。

 雨の桜もなかなかいいもんですね。

 狭い道を小川に沿ってしばらく行くと、立派なお屋敷と白壁の石垣や堀が見えてきます。 

 

 ここは、かつて幕末の志士で、明治維新の功績により男爵の称号を授けられた長州藩士木梨精一郎氏の邸宅です。今でも子孫の方が住んでいて、かなりご高齢のようなので、門の中は見せていただけません。

 一見小さな城の堀のように見えるのが「木梨堤」と言って、農業用のため池兼用で木梨家が整備したもの。

 初夏には黄色の睡蓮が一面に咲いて、ちょっとした観光地になるところですが、今はまだ葉がちょっぴり。

 私はここに何度か来ていますが、初めての人もいますので、季語を探しながら歩きました。

 菫(スミレ)、金鳳花(キンポウゲ)、垣通(カキドオシ)、薊(アザミ)、踊子草、紫雲英(ゲンゲ)等々…

 やがて、明善窯という萩焼の窯元に着きます。そばにはトンボ玉などのガラス工房もあります。

 山裾の奥まったところが急にパッと明るくなり…辛夷、椿、水仙、チューリップ、クリスマスローズ、貝母…

 まだまだあります。山茱萸、桃の花、利休梅…もう数えきれません。花盛りです。

 あ、見たことのないとても可愛い、黄色のラッパのような花もありました。

 聞くと、ホントかどうか分らないけど、水仙の原種だそうですよと、奥さん。

 家に帰って調べてみると、ありました。正式名称「ナルキッスス・バルボコディウム」、原種系のミニスイセン。原産地はスペイン・ポルトガルで、別名「メドゥーサのトランペット」「ゴールデン・ベル」とも。なるほど!

 ここで面白い話をしましょう。

 「今日は季語が溢れているから、しっかりここで句材を拾って行きなさいよ。」と言うと、すかさず、「その材料(句材)で料理(作句)するんですよね。」と。

 すると、「ああ、あの昔あった〝料理名人対決番組〟みたいに…、誰のが一番いいのか競うんですよね」と。

 ウ~ン、なかなかいいことを言うもんです。まさにその通り、うまくなきゃ食べられない!

 去りぎわに気がつきました。山羊がいることに…。これも材料…さあ、一体何を選ぶかが問題ですね。

 特に初心のときは、まずこの材料選びに躓いてしまいます。

 兼題のときは、もう季語が決まっていますので、あとはどう組み立てるかを考えるだけですが、吟行は何でもありで、出たとこ勝負ですよ。

 要するに、まずは何の料理をするかを決めないと、材料が揃えられないのと同じです。

 では今回はどうでしょう。たくさんの材料を持てあまし、一品つくるのはなかなか大変なことです。

 先月終了したNHK連続ドラマ〝べっぴんさん〟の、いわゆる〝別品〟ができると最高ですが…。

 さて、第二の目的地は山口市小郡にある山頭火が過ごしたという「其中庵」。

 ここを見てお弁当、そして、そばにある休憩所で句会です。

 それではまた長くなりますので、次回へ。

           

           

           

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戦場ヶ原のお花見

2017年04月09日 | 日記

  このところ一日遅れのブログになっています。

 昔から〝早い者勝ち〟と言われますが、どうも私にはそれが性に合わなくて、大抵〝残り物には福がある〟という方を選んでしまいます。

 要するにトロいと言うことになるんでしょうかね。ウ~ン、だからゴメンナサイ!

 買物でも賞味期限の切れそうな半額セールや、時期遅れのバーゲンの服などにはすぐに飛びつきます。

 でもそれが並みの主婦だと思うのですが…。みなさんはいかがですか?

 そんな私を見て、昔はなんと浅ましいことやと冷ややかな目をしていた旦那も退職なさると、今や自分から率先して、「今日は半額だったから買ってきてやったぞォ~」と。

 まあ、偉そうなこと言ったってみんな似たり寄ったりでは?

 ところで、昨日の濃霧は西日本一帯だったのでしょうか。

 お天気はイマイチだけど、日曜日は予定があり、今日(土曜日)花見に行こうと、義母たちを誘いました。

 山口県にも桜の名所はたくさんありますよ。その筆頭は岩国の錦帯橋でしょうね。何度か行きましたが、シーズン中は車が渋滞してニッチモサッチモいかなくなります。行かれるのならば平日がオススメ。

 萩や長門も結構いいところがありますし、周南市の桜のトンネルも見事です。宇部市の常盤公園も…

 でもやっぱり何といっても山口市の一ノ坂川の桜並木。

 ここは6月になると蛍も乱舞しますし、一番の見所ですよ。

 では今回はどこにしよう…今まで行ってないところがいいねということで、下関に行くことにしました。

 山口の開花宣言は、ここ下関気象台の桜なのです。聞けば、「日和山公園」がいいらしいと…早速出掛けました。久し振りにお昼は、みちしおの〝貝汁定食〟と決めて。

 ここに来ると、いつも父を思い出してしまいます。この貝汁が大好きで私の所に来るときは母といつも寄って食べていましたから。まだ高速道が開通してない頃の話ですよ。

 下関に近づくにつれガスがひどく、関門橋も全く霧に閉ざされていました。

 しかし雨も止んだようだし、どうにか目的の「日和山公園」に到着。

 確かに桜はたんさんあって、満開、満開。関門海峡も一望できてとても素晴らしいところです。

                   (上はかすかに見える関門海峡・下は高杉晋作)        

         

 が、最大の欠点がありました。ここには車を止めるスペースがないということ…。

 高杉晋作の陶像や高燈籠もあり、夜には雪洞もついて、夜桜で賑わうところでしょうが、95歳の母には階段が多くて、とてもゆっくりできるところではありません。

 そこで、警備の人に「下関でもっと楽にお花見の出来るところはないのですか?」

 と聞くと、近くに「戦場ヶ原公園」というのがあるからと、親切に教えてくれました。

 ネットで調べた時、ここは出なかったねぇ~と言いながら、すぐそちらに移動しました。

 土地勘の全くないところでは、ナビがあるというのは本当に有り難いものですね。

 着いてびっくりです。こんないいところが町の中にあるなんて…

 ちょっと高台になっていて見晴らしも良く、駐車場もたくさんありました。

 この時期、屋台も沢山出ていましたよ。人もたくさん…でも広いので大丈夫です。

 桜はトンネルになっていて、もうハラハラと散り始めていました。今日明日が最高の花見季でしょう。         

 すると焼芋屋さんがピーッと笛を鳴らしてやって来ました。

 「おばあちゃん食べる?」と言って、二つだけ買いました。

 まだお腹いっぱいというので、膝に抱いているといつまでも温かいんですよ、焼芋って!

 これで今年の桜も終りました。「また来年もどこかに行こうね」と言うと、母も「そうやね」と…。

 家に帰って食べた焼芋のなんと美味しかったこと!大満足でした。

          

          

          

          

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〈さまざまの事思ひ出す桜かな〉

2017年04月08日 | 俳句

   昨日は、地域の会館で今年度より新しく始まる俳句教室の開講式でした。

 この地域はあまり馴染みがないのですが、2年前より〝夏休み子ども大作戦〟の一環として、小学生の俳句指導を引き受けたのがきっかけで、今年からは大人の講師もと頼まれたのでした。

 ちょっとドキドキ! やっぱり初めてのところは緊張しますね。

 講師紹介では、自己紹介をと言われ…、ウーン、何かないかしらと考えて、咄嗟に出てきた句、

    さまざまの事思ひ出す桜かな

 芭蕉の句です。今日は歳時記も電子辞書も持って来てないし…間違いはないと思うけど、

 「さまざまの」のところが「さまざまに」だったかしら? もし違っていたら、恥ずかしい! …どうしようと思う間もなく順番が来てしまいました。

 ああ~言ってしまいました!

 でも、やっぱりここは「さまざまの」でなくては収まらないと、確信をもって言いましたがね。

 「さまざまに」だとすると、「思い出す」に掛かります。「さまざまの」にすれば、「事」です。「事」とは出来事の意味ですが、どちらの意味にとっても絶対におかしいとは言えませんから。

 よく「の」と「に」のどちらの助詞を使ったらいいでしょうかと聞かれることがあります。

 一般的には、「に」という助詞を使うと説明臭くなるので避けましょうと指導するのですが、そうすると初心者の方は何でもかんでも「の」にしてしまうという傾向があります。場合によっては、「に」でなくてはいけない場合でも、「の」にしてしまうのはちょっと困りものですが…。

 俳句は17文字という制限がありますので、この助詞1字がとても大きな働きをするのです。

 いや、少し上達すると、この助詞の使い方が句の出来不出来を決めるといっても過言ではありませんね。

 ではこの芭蕉の句はというと、「いろいろな事」を思い出して桜を眺めているという場面が相応しいでしょうから、「の」が正解なのです。

 実はこの句、芭蕉43歳の頃の作で、次のような前書があります。

 「探丸子(たんがんし)の君別墅(べっしょ)の花見催させ給ひけるに、昔の跡もさながらに」

 「探丸さまが下屋敷で花見の宴を催しになられました時、昔過ごした場所はそのまま変わらずにあるのに…」

 そんな意味です。「探丸」とは、芭蕉が金作と名乗って奉公していた、伊勢国伊賀付侍大将藤堂良忠の遺児藤堂良長のことで、俳諧の号です。

 主君の良忠は芭蕉より2歳上で、台所用人として仕えていた芭蕉の文才を認め、ともに北村季吟門として俳諧を嗜みます。その時の句が、良忠は蟬吟(せんぎん)、芭蕉は宗房(むねふさ)という号で残っています。

 そういう繋がりもあって、探丸は殊に芭蕉を敬愛し、伊賀に帰郷するたびに屋敷へ招待していたそうです。

 この句も、1688年の春、その下屋敷の花見に招かれた時の吟なのです。

 芭蕉が俳諧を「生涯のはかりごと」とするに至ったのも、この人なしには考えられないという人物。ともに励みきっと主従を超えた間柄だったのでしょう、そのよすがとした良忠は25歳という若さで亡くなります。そんな大恩人の面影を目の前の探丸に重ね、良忠と過ごした日々を思い出しながら桜を眺めているのです。

 その下屋敷の遺跡は、非公開ですが今も伊賀上野に「様々園」として存在するということですが…。

 ちなみに、この句は俳諧紀行文集『笈の小文』(おいのこぶみ)に所収されています。    

 これだけ単純明快に桜を詠み上げるのは本当に至難の業です。

 古来より「桜」というものには、日本人の〝こころ〟が宿っているのですから…

 どんな人にも桜を見れば、思い出すことの一つや二つは…いや人によってはごまんとあるかも。それをこのような一句に仕立てて、万人と思いを共有できるという俳句はやっぱりスバラシイ!

 どうですか?貴方も〝ミニ芭蕉さん〟になって、ちょっと詠んでみませんか?

 そうそう、今回の俳句教室の初顔合わせ、申込みをされた方は11人でしたが、3人欠席の8人でした。

 第3金曜日の4月21日が初日、早速兼題を決めて、〝桜(花)〟になりました。楽しみ~。

          

 

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