ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

佐々並吟行〝佐々並市(いち)〟です!

2019年11月29日 | 俳句

 昨日は午後から俳画教室でした。画題は来年の干支の〝ねずみ〟。大きな朱の盃に手を掛けて酒を呑もうとしているねずみの絵です。色は朱だけであとは墨のみ。特に大きな盃を一筆で書くのが難しくって、それだけを何度も書き換えてしまいました。

 一色だけの掠れと濃淡で…それがうまくいけば、今度はバランスが…、そこまでうまくいっても最後の一本の線でダメになったりと、やはり気を抜くと失敗します。これも精神的な集中力の訓練になりますね。

 私は前回欠席しましたからそのお手本の〝シクラメン〟も書きましたので、ちょっと疲れました。

 さて、前日の続き…佐々並吟行の、いよいよ〝佐々並市〟です。

 ここ佐々並は、赤瓦の町家が佇む萩往還のかつての宿場町です。萩市が出しているパンフのキャッチコピーに次のように…

 佐々並は、近世以前から長い年月をかけて地域の自然と共に育んできた暮らしの営みが息づく美しい山里です。そして萩往還の宿場町・佐々並市には、近世の町割りが良く残り、茅葺民家や明治以降の石州赤瓦の街並みが周囲の棚田などと一体となって宿場町の風景をよく伝えています。かつて、お殿様が休憩をとり、維新の志士達も駆け抜けた山里を、あなたもタイムスリップ気分で巡ってみませんか。

 ところで、〝佐々並市〟とは「ささなみいち」と読み、萩往還の宿駅を果したところ。慶長11年(1606)に藩主が休憩する「御茶屋」(おちゃや)が設けられたことにより、上ノ町から中ノ町を経て、西岸寺に至る久年(くどし)までの62軒からなる街並みが一挙に成立しました。農業を営みながら宿を提供した家も多く、上級武士が休息した「御客屋」(おきゃくや)や人馬や駕籠の調達を行った「目代所」(もくだいしょ)として使われた建物が現在も残されています。このように宿駅当時の景観を色濃く残していることが評価され、平成23年6月に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 

 また、幕末には吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、坂本龍馬など、維新の志士たちが萩往還を通り、佐々並市で休泊しました。高杉晋作率いる騎兵隊らと藩の保守派が戦った「大田・絵堂の戦い」では、脇戦として佐々並市も戦場となり、12軒の家が焼失しました。その当時に建て替えられた家が今も残っています。

 ここの名物は〝豆腐〟で、ささなみ豆腐といえばおいしいと昔から有名でした。かつて伊藤博文がここの豆腐を気に入って東京へ出て来るように再三誘ったが、「土地の名物がなくなる」といって断わったことで有名な豆腐屋が以前来たときはあったのですが、今回は廃業されていました。1800年頃からの8代続く老舗でしたのに…残念!

 久し振りに吟行に来ましたが、やはりその衰退は…家は残っているのですが空家が多くて淋しい限りでした。こういうものの保存というのも非常に難しいものがあるでしょうね。

 今回初めて「貴布禰(きふね)神社」にお参りしました。知ってはいましたが、階段を見上げて…〝ああ、止めとこう〟と。数えたら139段あったんですって!でも紅葉がとってもキレイでした。特に〝散紅葉〟や〝銀杏落葉〟が…。ちなみに、どちらも冬の季語ですが、〝銀杏散る〟は秋、でも〝紅葉散る〟は冬ですので気を付けましょう。要するに散る状態か散ってしまった状態かの違いです。余りの美しさにSさんなどは銀杏の絨毯に寝転がって句を考えていましたよ。

 神社を下りるとき棚田の景色が…

 最後は、もちろん〝ささなみ豆腐〟。維新の志士たちも宿泊したという創業約260年の「はやし屋」さんの豆腐コース料理です。これにまだ熱々の豆腐ステーキが出ますよ。

 ああ、美味しかった、もうお腹いっぱい!デザートのプリンは後のコーヒーと一緒に出して貰って、いよいよ句会です。5句投句のしめて60句。さあ、どんな句が出たでしょうか。それはまたのお楽しみ!


 

コメント (2)
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