ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

馬醉木鍛錬会で思ったこと!

2019年11月15日 | 俳句

 昨日の夕方、羽田から宇部へ⒙時40分頃到着、19時過ぎに家へ帰りました。着いた途端の第一声、〝宇部は寒~い!なんでこんなに寒いの~。東北より寒いわ!〟と。そうなんです。福島県から宮城県の〝東北の名湯 3日間〟の旅へ友人と出かけていたんです。

 初日と2日目は、東北には珍しいほどのよい天気で、コートも着ることなくて寒さを忘れるほどでした。3日目だけは雨でしたが、これも大したことはなく朝方わずかに傘をさしたものの、だんだん雨が上がって、東京へ着くときはもう快晴でしたもの。ちなみに、この夜の宇部の最低気温は4度だったんですと。ビックリぽんですよ。

 さて、さて、旅のことはまた長くなりそうですので、ちょっと置いといて…

 先日の馬醉木鍛錬会のことで書いておきたいことがありましたので、それを書きますね。

 句会の第1回目は5句投句で初日の17時30分締め切り、第2回目は次の朝7時までに3句の投句でした。吟行したのは幸兵衛窯、虎渓谷山永保寺、多治見修道院の3箇所でしたから、このどこかの句ということになるのですが、さてどこが一番多かったと思いますか?

 私はてっきり窯元が多いと思ったのですが…。寺の句だけはやはり古くさくなるしどこにでもあるものですからやや少なく、窯元と修道院とが同じくらいでそれぞれ100句以上も出ていました。それ以外では、〝恵那山〟や〝恵那峡〟などがちょっと。ということは、もうお分かりでしょう。吟行句会というのは吟行地での嘱目詠だということです。だから関係のない句はないはずなのですが、でもどこにでも通用するような一般的な句では誰も採ったりしません。今見てきてまだ目に焼き付いている印象的なもの、また確かに見たはずなのに自分が見過ごしてしまったもの、また、これを詠もうとあれこれ考えたものの句にできなかったものなど…、ああ、これ!と、そんな句にはやはり点が集まりましたね。

 だから吟行句会では、しっかり見ること、そして欲張りすぎないことが肝要です。3箇所で5句投句ならそれぞれの場所で視点を(ターゲット)を2,3に絞ってしまうこと。そうしないとあれこれ目移りしてどれも曖昧になってしまうし、時間切れにもなります。更に吟行している間に7割ほどはまとめておくことですね。宿について投句するまでの時間はせいぜい30分足らず、1から全部をまとめるには余裕がありません。7割方できていれば、それに合う季語を吟味して完成させますと、そこそこの句はできると思います。また、どこかひとつに偏ったりせず、まんべんなく詠む方がいいでしょう。

 次の日の投句は悩みますよ。前日に詠まれた句材や詠み方はもう二番煎じになりますので、余程視点を変えるか、独創的な表現を用いるか、でなければまだ詠まれていない句材を探すかしかないんです。だから、ちょうどこの日、ホテルの傍の湖で花火大会(これは台風などで延期されて、たまたまこの日になったんですって!)が開催されましたので、みんな〝ヤッター!〟と、大喜びなんですよ。おまけに朝起きてみるとあたり一面が霧に閉ざされて何にも見えない状態なんです。(この恵那峡のホテルはその霧で有名なんですって…)これも俳人にとっては〝シメター!〟です。霧は秋の季語ですからね。しかし、花火は夏の季語ですからそのままでは使えませんが、そこが作者の腕の見せ所なんですけどねえ…

 実際に第2回目の投句数195句数の、3割近くが〝花火〟と〝霧〟でしたよ。残りはさまざまな句材がでましたが、季語では「竜淵に潜む」や「火の恋し」などの珍しい季語も。前日はなかった「茸飯」(ホテルの食事に出ました!)や「夜長」「星月夜」などにもかなり点が入っていましたもの。〝花火〟の句では殆どが「秋の花火」となっていましたが、中に一つだけ感心したものがありました。花火は事実ですからそのままにして「秋収め」をメインの季語として使ってあり、なるほどと思いました。ちなみに、2日目私は誰も取上げていなかった〝鬼瓦〟を詠んで、主宰に採って頂き褒めて貰いました。エッヘン!なんちゃって…

 要するに俳人は新しい物好き、ひいては好奇心旺盛ということでしょうか。だからどこかへ出かけて行って句を詠むのも、日常を抜けだして見逃しているものを見直す眼を養うためだったり、即吟を積み重ねることによって集中力(瞬発力)を高めるためだったりと、俳人や歌人…いや、創作を旨とする分野においてはどこであっても必要なことではないかと思っています。

 今日も句会でしたし、明日も句会です。いろいろと溜まって滞っているものが山ほど…。さあ、また、ガンバリマッショ!

 写真は、宇部空港から我が家へ帰る途中、19時頃の月です。確か12日が満月で、福島の露天風呂から友人と眺めたっけ…

 


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2 コメント

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言葉 (風の盆)
2019-11-16 16:11:23
>要するに俳人は新しい物好き、ひいては好奇心旺盛ということでしょうか

そだな
外国語の教授などは、毎年その国に行くと
言葉、言語とは毎年変わるし変化していくな

この国でも流行語大賞などあるからな

今日は、暖かな日、良きお日柄なんだな
小春日和という言葉がある
誰が作ったか、いつ頃作ったか知らないが、列記とした日本語なんだな

広辞苑の編集も何年かに変わる、新語も入れるんだな

明治の初頭、海の彼方から文化や文明がやってきた
西周らは、西洋語を日本語に変えていった
哲学、概念、思索、思惟、恋愛とかは日本語には無かったな
だから日本語を作っていった
面白いだろうな。何瀬日本語を作っちゃうだから

小春日和とは言い得て妙だし、ぴったりだな

英語にも、秋の、寒さが訪れる時に暖かい日があると
インデアンサマ-だと
新教徒が移住しし、西部を開拓したアメリカでの言葉なんだな
それが本国、イギリスに逆移入されたと

気候は同じでも、言葉の表し方が全然違うんだな

面白い現象である

俳句とは考えようによっては、言葉の遊びなんだな
遊びの域だから発想などは様々になるんだろうな

極端に言えば、季語を除くのもあるかな
山頭火とか小豆島の尾崎放哉かな

修道院
ご指摘の通り男専用もあるんだな
多治見修道院は男の園のようだな

ネットで見たが、修道院とはやはりカソリックだな
プロテスタントは少ないと

修行の場なら、男専用もあり得るな
小生は修道院は女専用で、男社会とは一線を画しているのかなと思ったが、神父への修行する男たちもいるようだな

宗教とは曖昧さ胡散臭ささが付き纏う
それが邪宗であって初めて宗教と言えるかな

西洋では、宗教、キリスト教があらゆる分野に影響を与えている
日本でも神道が幅をきかしている

まあ、中に入らなければ分からない事は多いが、外からの方が分かることもあり得るかな

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Unknown (ちわき)
2019-11-17 18:44:41
昨日の句会に久し振りにキリスト教の信者だという友人が出席していましたので、ちょっと聞いてみました。
彼女はプロテスタントなんですって。だから神父とは言わず牧師と言うんだと。お祈りで十字を切るのはカトリック…ああ、風の盆さんはカソリックというんですね。英語はカソリック、オランダ語やギリシャ語ではカトリックなんですね…
墓に洗礼名を書くのはカトリックで、自分たちは日本名ならそのままで…弥撒とは言わず礼拝…アーメンは?と聞いたらそれは同じだと。牧師と神父の着る服も違うから見ただけですぐ分かりますよと言われました。
まあ、いろいろあるんですって。
でも、歴史的にも宗教で大きな戦争が起こりましたよね。今でもまだありますが…とどのつまりは人類の平和を望んでいるはずでしょうに、…とにかく過激になればなるほど理性は失われるでしょうから。
インディアンサマー…ヘエッ、日本の小春日和なんですか?知りませんでした。日本では〝春〟それも〝小さい春〟なんですよね。カワイイ!というか奥ゆかしい。それがイギリスでは〝夏〟なんですか。それも〝インディアンの夏〟だと。
辞書に落ち着いた人生の晩年にたとえていうと書いてありましたが、何だか嫌ですね。そんな晩年は…晩年なら私は絶対〝小春日和〟がいい‼ 風の盆さんは?
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