ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝いちご狩〟へ行って来ました!

2021年03月31日 | 俳句

 今日でとうとう3月も終りです。この日は年度替わりということで、街なかは明日にかけて退職する人や新入社員などが…、また転勤や大学生たちの引っ越しなどのトラックとかも行き来して…、どこをみても落ち着かない雰囲気が漂っていましたね。

 私も今日は何が何でもと、〝いちご狩〟へ行って来ました。なぜ?と思うでしょう。実はこれには深~い訳があるんですよ。

 じゃらんのポイントが結構溜まっていて、その有効期限がこの3月31日までだということ。折角のものをパーにするのは勿体ないでしょう…ということで、以前にも行ったことのある遊び体験の〝いちご狩〟へ行って消化しようということにしたのです。

 一応もっと前に申し込んでいたのですが、おばあちゃんが体調を崩したので、それではぎりぎりまで延ばそうというわけで、最後のこの日に予約。ところが、おばあちゃんがなかなか元の調子に戻らず、とうとう行くのを諦めようか…となりかけましたが…。

 しかし、やっぱり勿体ないでしょう。というわけで、おばあちゃんたちの代わりに友人夫婦を誘い、娘、主人、私との5人で行きました。宇部から30分ほどの「はあと農園」でのいちご狩。30分間食べ放題で一人1600円。でも75歳以上の高齢者は半額だったので、ポイントと1000円のクーポン券で全員タダになりました。ヤッターでしょ!

 それに、お腹をすかせてお昼前に行きましたので、みんなもう食べるわ、食べるわですよ。食べたいちごの蔕を数えてみると…私はナント34個!

 でも、上には上がいます。娘は若いだけあって50個近く食べたんだと…驚くでしょう。それも大きくて良く熟れたものばかり。これ、買えば何パック分かしら?やっぱり1600円は取らなくちゃ引き合わないでしょうね。おまけに我がグループだけの貸し切りでしたから。どれも甘くてとても美味しいいちごでした。ゴチソウサマでした!

 もうみんないちごでお腹パンパン!最初はその後ランチでもと思っていたのですが、とんでもありませんでした。ハイ!

 そこで、天気は良いことだし、どこか近くの桜でも見て帰りましょうかということになり、山口市の矢原河川公園へ。

 ここはJR山口線の矢原駅の近くで、傍には川があり、適当な広場があって山口市民の憩いの場のようでした。桜はやや散り始め…平日でしたが、でもそこそこに人出が。赤ちゃんのいる家族連れが多くて花の下で茣蓙を敷いて花見をしていました。

 子どもたちも今春休みですので、釣をしに来たり、ボール遊びをしていたりと、まさに春の季語「うららけし」のよく似合う一日でした。

 これだけの広々したところでも、やっぱり三密の注意札がありましたよ。

 もう眠くなりそう!2時を過ぎてもお腹は減りそうもないので、このまま家に戻ることにしました。もちろん帰りにはおばあちゃんちへお土産のいちごを持ってお見舞いに…。

 明日からは4月ですよ。でも、私は俳誌「早苗」の運営委員会で広島へ行きます。去年のコロナ騒ぎで何もかもがストップして、広島へも一年以上行っていませんし、皆に会うのも本当に久し振りです。俳誌の今後のことを話し合うために行くのですが、昨今の状況ではコロナでなくても行き詰まっていますので、どういうことになるかは全く分かりません。俳句のような一誌の経営の困難さはどこも同じようなものではないでしょうか。高齢化の波は大きくなるばかりなんですもの。これだけテレビなどでは人気があっても…なんですよ。

 では明日の朝が早いので、今日はこれで…オヤスミナサイ!

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今コロナの感染者はどうなってるの?

2021年03月28日 | 俳句

 昨日は気温は21度はあったのですが、風が強くて、まるで〝春の嵐〟そのもの。体感温度的にはとても寒く感じました。

 さらに今日は日曜日だというのに朝からシトシトと雨。桜もそろそろ満開に近いと思うのですがね。残念!気温は最高気温が17度とちょっと低めでしたが、でも午後からは日も照りだしましたから、それから出掛けられた人もいるかも。でも明日は晴れのようなのできっと見頃になってるんじゃないのかな。

 ところで、こちらでは最近新型コロナウイルスが余り気にならなくなって、山口県は今果たして何人なのかしら?というぐらいみんな関心が薄くなっています。そういう私も知らないんですよね。(笑) もうじたばたしても仕方がないし…もちろん消毒・手洗い・うがいはしていますし、外に出れば三密と検温も今まで通り。もう馴れっこになって、なかったらどうして?と思うくらいですもの。

 調べてみると、今日現在の山口県の感染者数は1406人、死亡43人でした。2月末が1384人でしたので、この3月中の感染者数は22人だったということ。

 じゃあ宇部はどうなんでしょう?

 実は先月の2月21日のブログ〝おばあちゃん、100歳おめでとう!〟を見てみましたら、次のように書いていました。

 山口県の累計感染者数は1367人、死者35人。宇部市はやはり県内最多で273人、次いで周南市が238人、下関市211人、岩国市202人(米軍岩国基地178人除く)となっていました。(2月21日14時20分現在)

 だとすれば、今日現在の宇部市の感染者数は273人でしたから、これを書いた21日以後は1人も感染者が出なかったということになります。しかし、この数は相変わらず県内のトップでした。でもこれは以前の病院でのクラスターからなので仕方がないでしょう。かえってあのクラスターがあったからみんなが懲りて、宇部市中がとても慎重に感染予防に努めたからなんでしょうね。都会の方では第4波が拡大…などと騒いでいても、宇部ではもう誰も騒がなくなってのんびりとしたもんですよ。

 先日の県知事の会見では、高齢者向けのワクチン接種について、国から供給されるワクチンの配分量に応じてまず1万725人分を4月12日から先行して実施し、26日以降本格実施として段階的に始める方針が示されました。4月12日に開始するのは下関市、宇部市、山口市、防府市、岩国市、光市、周南市の7つの市で、一応宇部市も入っているのですが、7市でたったの975人分だとか。県内では高齢者向けワクチンの本格実施が始まる4月26日までにはすべての市町で接種が始まることになりますが、それも全部で1万725人分。これは県内の高齢者46万人の僅か2%ほどなんですよ。

 しかし、政府は6月末までにはすべての高齢者のワクチンを確保できる見通しを示していて、県では、国の供給に応じて着実に実施したいとしていますから、その頃には我が家の該当者もみんな済んでいることになりますけど…ねッ。ほんとかな

 また医療従事者については、既に3月5日から始められていて、政府の供給見通しから5月10日の週にはすべての医療従事者のワクチンが確保されるとの見通しが示されました。

 しかし、何にしてもいろいろと不手際の多い政府のこと、今後この予定がどう変わるか。そういう面ではまだまだ不安材料の方が先行して、落ちついた状況とは言えないのですが、とにかく100歳でペースメーカーを入れている義母には優先的にワクチンを接種して貰えるのではないかと思っています。

 ところが、これがまた心配なんですよ。だって今我が家では、20日のお彼岸にお墓参りへ行った義母がちょっと体調を崩してしまって…だから今のところ花見どころではないんですもの。

 その20日は、私は〝きらら俳句教室〟の第11回目がありましたから、お墓参りへは主人と義弟とおばあちゃんで出掛けました。それで、様子が分からなかったのですが、帰りが遅いと心配していると、おばあちゃんが具合が悪くなったので病院へ寄って帰るとのこと。それで、とても心配しました。

 やっぱりどんなに元気だといっても、100歳は100歳ですものね。何かあるとそのダメージがすぐに全身に影響して、まるでガタガタッと崩れるような感じで、一気に悪くなるんです。やっぱり油断は禁物。気はとっても若いのですが、やっぱり体の方がついていかないんですよ。でも毎日点滴して貰って徐々に回復していますので、昨日は牡蠣がもう最後だからと恒例のパーティーをおばあちゃんちでして、食べました。だからそのうち花吹雪でも浴びに行こうかと思っています。アハハ…

 また、長くなりましたので、〝きらら俳句教室〟の第11回目は次に書きますね。

 写真は、我が家の水仙のいろいろです。

 

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今日はなんの記念日でしょ?

2021年03月26日 | 俳句

 今日は暖かかったですね…というより、ちょっと暑いぐらいでした。午後からのフラダンスへ行くと窓からの風が何とも心地いいこと!

 これで他方に比べると開花が遅かった宇部の桜もぐ~んと綻びて、6、7分咲きぐらいにはなったかしら。フラダンスが終わってリハビリへ行くのに車に乗ると中は23度。オートになっているエアコンがゴオッとひっきりなしに回って涼しい風を送り出していましたものね。

 さて、さて、今日は何の記念日ですかって?

 そうですね、俳句では室生犀星の忌日、「犀星忌」ぐらいかしら。25日だったら「電気記念日」なんだそうですが…。じゃあ何なの? ウ~ン、ちょっとお恥ずかしいのですが、実は私のブログが開設してから1500日目ということなんです。このgooblogには、10年とか15年とか、とにかくスゴイ方がたくさんいらっしゃるようですから、それに比べると大したことではない!でも、私にとってはこんなに続くとは思っていませんでしたので、我ながら感心しているんです。

 オメデトウ!良くガンバリマシタネ… と。でもこのところのサボりようは決して褒めたものではありませんから…、それで自祝と自戒で~す!

 ちなみに調べて見ると、今日は「カチューシャの唄」の日なんだそうですが、余り関係なかったですね。

 では、先日の「二俣瀬の吟行」の続きを少し…

 〝里山ビオトープ二俣瀬〟を後にして、次に行ったのは、「永山本家酒造場事務所」。ここは、かつての二俣瀬村役場庁舎で、昭和3年(1928年)10月3日に昭和天皇の御大典の記念として建てられたものなんです。(下の写真はパンフより)

 この建物は、木造2階建ての切妻造り、桟瓦葺、モルタル塗りの総2階建洋風建築。1階は役場、2階を議事堂とする明治後期の形式で、この形式が残存している建物は山口県下でも数少なく、また、2階議場に残る階段の手すり、親柱、アールデコ調の天井飾り、上げ下げ窓などが建築当初に近い状態で保存されているのも珍しいそうです。

 昭和40年に永山本家酒造場が買い取り、事務所として使用されていますが、平成29年、国指定登録有形文化財に指定されて、二俣瀬地区の歴史を記録するとても貴重なものとして保存されています。

 この日は土曜日でしたので、1階の事務所だけ見学させて頂きましたが、残念ながら2階は見ることができませんでした。

 庭にはシダレザクラとソメイヨシノがありましたが、まだちょっと早かった…でも、探してみると一輪ほど上の方に…。写真撮れずに残念!その代り〈初花や酒蔵へ磴二三段〉という句が出ていましたね。

 次に向ったのは、地元の方々が大切に守ってこられた〝どんだけ道〟です。

 この道は、古代は山陽道、藩政時代は山陽街道、近代は山陽国道と改称されましたが、地元では昔から「どんだけ道」といって、要するに江戸時代の参勤交代などで往来した〝殿様道〟なんです。標識を見ると、〝どんだけ〟というのは〝どん嶽〟と書かれていて、この峠を越えて行く山道のことのようです。それにこの道筋にはたくさんの〝庚申塚〟があり、下の写真もその一つ。近くには古い大歳社があって、そこの狛犬の表情がユニークでとっても可愛かったんですよ。ここでも〈登り行くどんだけ道や竹の秋〉という句が…。他にもたくさん句は出ましたが、ここに載せられるのは問題のない句だけですので、悪しからず。

 この旧山陽道を歩いてみれば、またいろいろな発見があるのでしょうが、時間がなくて…車で通るだけで終わりました。まだまだこの二俣瀬には歴史を刻んだところがたくさんあるようで、また来てみたいと思います。

 これもコロナのお陰でしょうか。遠くへの吟行ができなくなり、最近は宇部市近郊ばかりを歩いていますが、結構まだ知らないところがたくさんあります。改めて宇部市を見直して、再発見をしているみたい!これもいいことですね。

 その後、二俣瀬ふれあいセンターに戻って、昼食と句会。無事に9人の45句の選句・選評を終えて、17時前に解散しました。皆さま今日もお疲れ様でした。オシマイ!

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今度は〝二俣瀬〟への吟行です!

2021年03月22日 | 俳句

 またまた、あっと言う間に日が過ぎてしまいました。前回のUpが17日で…もう22日になってしまいました!

 毎日殆どのんびりとはしていませんでしたよ。17日(水)は月例の吟行会で、19日の金曜日がK俳句教室。20日の土曜日は午前がきらら俳句教室で午後は宇部馬酔木句会…ほら、暇無しでしょ!吟行は事後投句が20日〆切りだし、今回はネット句会も20日〆切りと…俳句を作って句稿も作り、それに選評を書いて…。

 その合間にはリハビリとジムへ運動…ああ、この週には美容院にも行ったっけ…。という感じでフォロー様の記事を拝見するのも遅れ遅れで読ませて頂いている次第です。

 更に、今日明日ともに俳句教室なんで…先ほど帰ってきて、続きを書いています。

 では、まず17日の吟行の写真がいろいろありますので、それからUpしていきましょうか。

 今回の吟行地は、2月に大雪のため延期しました宇部市「二俣瀬地区」で行いました。

 ここは明治22年の市町村制の施行により、5つの村が合併して二俣瀬村(ふたまたせそん)として、かつて山口県厚狭郡に存在した村なんです。それが昭和29年に宇部市に編入合併され、現在は宇部市北部の一地域(二俣瀬)となっています。

 地名の由来は、厚東川(ことうがわ)に架かる木田橋(下の写真の橋)の下流に、かつて二股に分かれる所に中州の島があったところからだと。江戸時代の地図「慶長国絵図」にも描かれているそうですが、その中州の島はもうなくなりました。またこの地区は山陽道の宿場町としても栄えたところだったそうです。

 ちょっと不思議な話…この二俣瀬地区に「八畳岩」という大岩がありますが、この岩と霜降山(しもふりやま・標高約250m)に足を掛けて弁慶が小便をした。それが厚東川になったという伝説があるのよと言うと…エエッ、なんでこんな所に弁慶が出てくるの?とみんなビックリです。私も今回初めて知ったのですが、パンフに書いてあったので今度調べて見たいと思っています。

 朝9時30分、二俣瀬ふれあいセンターに集合。昨日は雨でしたが、天気はもちろん吟行日和となり、参加者9名。このふれあいセンターからスタートして、先ず行ったのが〝里山ビオトープ二俣瀬〟です。

 このビオトープは、山口県の「水環境21創造事業」として、2000年に公募された県民ボランティアによって、2001年4月にできたもの。その後2011年に宇部市へ移管され、今日まで「自然環境教育の場」として、また「市民の憩いの場」となるように活動が続けられているところです。

 「えんぽとたんぽの始発駅」と名づけられ、最初にシンボルの大水車が迎えてくれます。

 ビオトープは、草原ゾーン、ため池ゾーン、湿地ゾーン、たんぼゾーンに分かれていて、いろいろな水生植物や魚、昆虫などの動物が育まれています。そんな生き生きとした自然の中で一時でも過ごせば、人間も本来の心を取り戻せて優しくなれるのではないかなと思います。

 私たちも早速オタマジャクシを見つけて、ワイワイキャアキャアと…みんな童心に返っていましたよ。すると今度は小さな小さな目高を見つけて…〝これ夏の季語だけど、どう詠んだらいいのかしら?〟〝そうね、まだ夏には早すぎるから春の目高かなあ…〟などと言いながら…。他に水馬(あめんぼ)などもいましたが、これも夏の季語。やっと春らしい陽気になって目を覚まし、活動し始めたばかりのものが多いようです。睡蓮やコウホネ、ヒルムシロなどの水生植物もまだ幼い。ここはやっぱり夏が一番活発なところなんでしょう。また夏に吟行するといいかもね。

 ここでは、子どもたちに田植えや稲刈りの体験をさせたり、蛍の観察なども行われているようです。四季を通じて大人も子供もみんなが自然にふれ合える憩いの場となっています。

 だから、いつでもここへ来れば季語に困るということはありません。今回の吟行句にも、蝌蚪(かと・おたまじゃくしのこと)、蒲公英(たんぽぽ)、蟻穴を出づ、初桜、風光る、春の芝、石鹸玉(しゃぼんだま)、柳の芽、木の芽、水温む、春光、のどか、目高、蕗のしゅうとめ、耕し、春の山、うららか、辛夷(こぶし)、ぺんぺん草、椿、早春、鷹化して鳩となる、山桜、春田、竹の秋、春風、犬ふぐり、東風(こち)など、手を替え品を替えて詠まれていました。

 本当にここは宇部でも〝里山〟の似合うところ。山があり川があって、その川沿いには明治21年創業の「永山本家酒造場」の藏が建っています。川土手は桜づつみ公園となっていて、500本が満開の頃は、永山酒造さんが中心になって桜祭りなども行われていましたが、昨年からのコロナで何もかも中止になって、残念なこと!その他、田舎ながらの昔からの習わしを大事にして暮されている村民の方々の心に触れると、私たちまでほっかりとさせられます。是非お近くの方は来てみてください。俳句がたくさん出来ますよ。

 写真の昆虫は、何の虫でしょうか?啓蟄はとうに過ぎましたもの…何が出てきても可笑しくはない!ですが、ちょっとグーグルレンズで調べてみようかな…すると「ツチハンミョウ」ですって!あの美しい虫〝斑猫(はんみょう)〟の親戚かしら?だったらこれも夏の季語になるけれど…なんて思ったら、全く関係なくて毒虫なんだそうです。触ったりすると毒を出すので水膨れなどができるとか…ああ、触らなくて良かった!

 次の写真は、〝土筆(つくし)〟と〝花ニラ〟。最後は猪が掘り返した所です。続きはまた…

 

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万倉へ吟行です! (その3)

2021年03月17日 | 俳句

 さて、万倉の吟行もいよいよ最後になりました。

 芦河内の薬師堂から今富ダムへ…最後は天竜寺にある「国司(くにし)家歴代墓所」へ行きました。

 国司家は、代々毛利宗家の重臣を務め、この万倉地区を領有していました。なかでも、国司信濃(名は親相(ちかすけ))は、幼い頃から聡明で次第に頭角を現し、その手腕を認められて、幕末長州藩の家老の一人となりました。

 しかし、第一次長州征伐の際、京都における長州藩の影響力を取り戻そうと挙兵して禁門の変を起こすものの大敗し、その責任をとって、家老の福原越後、益田右衛門介ともに切腹しました。享年23歳でした。

 その国司家の菩提寺が曹洞宗の天竜寺で、そこに親相夫妻と国司家代々の墓があります。万倉護国神社には、切れ長の目で凜々しい親相の肖像画があるそうなんですが、まだ見たことがないので、機会があれば観に行きたいと思っています。(写真は、宇部市観光ガイドさんよりお借りしました。スミマセン!)

観光モデルコース | 宇部市観光ガイド

 若い頃から詩歌や画を嗜み、文武両道に優れていた国司親相は心ある歌をたくさん残しています。

 次の歌は、禁門の変の責任を取らされて切腹を命じられ、万倉の居館をあとにして幽囚の地、徳山への旅立ちの際に詠まれたもの…

  跡たれて君をまもらむみどりそふ万倉の山の松の下かげ

 歌意は…死んだ後も神となって未来永劫君を守ろう。この緑にあふれる万倉の松の下かげで…というようなものでしょうか。この〝君〟というのは多分奥方のことでは? だって親相は15歳で結婚し、亡くなったのが23歳だったんですもの。いうならばまだ新婚生活ですよね。ちなみに、奥方の名は和喜子(後の弥佐子、戸籍名サヤ)だとか。
 寺の裏山の竹藪に囲まれて、二人並んだ墓は殆ど同じくらいの大きさで、左が親相、右が弥佐子。普通は男性が大きくて女性の墓が小さいんですって。こんな所にも親相の思いが残っているのでしょうか。 

 最後の2枚は国司家一族の墓の写真です。

 ちなみに辞世の句は、「よしやよし 世を去るとても 我が心 御国のために なほ尽さばや」「君がため つくせやつくせ おのがこの 命一つを なきものにして」です。

 この和歌からすると、ここでの〝君〟というのは、主君という意味でしょうか。この国司親相についてはまだ面白い話がありますが、また長くなりましたので、続きは今度…お楽しみ!

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万倉へ吟行です! (その2)

2021年03月15日 | 俳句

 先日の万倉吟行の続きで~す!

 芦河内の薬師堂を後にして、次は〝今富(いまとみ)ダム〟へ。このダムは、以前紅葉ウォーキングのイベントに参加して歩いたので、その時書いたことがあります。

 ダムというものは規模の大きさに違いはあってもどこも似たり寄ったりですが、この今富ダムを簡単に説明しますと、山陽小野田市を流れる有帆(ありほ)川の支流、今富川にあるダムです。用水の確保と災害防止のために造られた県営治水ダム。公園には遊歩道や四阿(あずまや)などがあるほか、桜や菖蒲、秋の紅葉など四季を通じて楽しめる憩いの場となっています。

 写真は、下見の時のもの。ダムの下は公園になっていて、ちょうど白梅の良い香りがしていました。傍の田圃が赤くなっているので…?…と近づいてみると〝仏の座〟の花盛りでした。

 吟行の13日は桜にはまだ早かったし、下見の時の見事な白梅はもう殆ど散ってしまっていたし…さて、見るものは…椿と馬酔木ぐらいだったかしら…ああ、菫(すみれ)も咲いていましたね。

 ひとしきり下からダムを眺めた後、ダムの上に上がってみました。するとしばらく止んでいた雨がまたショボショボと降りだし、これではもう見るものも無くなったことだし…そろそろ引き上げようかとしていたときのことです。

 実は天から降って湧いたような…いいことがあったんですよ。目の前の上空を突然鳥の大群が…〝わあ、スゴイ、スゴイ!〟〝渡り鳥?いや、違う、違う、春なんだから帰る鳥よね~〟などと、ワイワイ言いながら見ていると、まるでダムの下から湧いてくるかのごとく次から次と、終りがないように鳥の群が過ぎて行きます。すると、今度はある一群が一斉に湖へバラバラッと急降下です。わあ、残念!望遠鏡を持って来れば良かった!肉眼ではハッキリとは分かりませんでしたが、結構大きめの鳥でしたから恐らく鴨類ではないかと思います。

 写真を撮ろうと必死でシャッター押したんですよ。が、咄嗟のことでピントも望遠操作もメチャメチャで…ゴメンナサイ!でも何となくイメージは湧きませんか?

 秋冬に渡ってきて日本で越冬した鳥たちが、春に北方の繁殖地に帰るのを、俳句では「鳥帰る」とか「鳥引く」などといいます。鳥には、鶴や白鳥、雁、鴨など大形のものから鶫(つぐみ)や花鶏(あとり)、鶸(ひわ)などの小鳥まで、種類は多いのですが、それらをまとめて「鳥帰る」という季語なんです。ただ大形になると、「鶴引く」や「白鳥帰る」「鴨帰る」などと鳥の種類でいう場合もあります。

 俳句を詠む人なら、秋の「渡り鳥」や春の「鳥帰る」という季語は一般的で誰でも知っていますので、大抵何度かは詠んだことがあるでしょう。しかし、このような大群が次から次へと飛んで行くスケールの大きな情景は見たことがなかったのでは?

 聞いてみると、やはり始めての人が多く、また見たことのある人でもこんなにスゴイのは始めてだと…。私もここまでの大規模な渡りを見たのは始めてでしたもの。こういう場面は一瞬のことですからそう易々とはお目にかかれないものなんですよ。場所や時間がちょっとでも違っていたら見られなかったんですから、本当にラッキーでした。

 こういうものというのは一度見ておくと目に焼きつきますので、今後この季語を使う時は必ずこの映像が浮かんできます。だから見たことのある人と見たことのない人では作句をするのに大きな差が出てくるんです。本当に良い経験をしましたね。これもきっと参加された方々の心掛けの良さのお陰でしょう。アリガタイコト!

 これで、もう句材はバッチリです。しかし、昼食までにはまだ少し時間がありましたので、もう一ヵ所寄ってから行くことにしました。というわけで、また今回も長くなりましたので、この続きは次にでも…ね。 

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万倉(まぐら)へ吟行です! (その1)

2021年03月13日 | 俳句

 今日は3月13日土曜日……天気予報は曇のち晴れ、最高気温は16度と…ウン、大丈夫です、やっぱり!

 というより、集合時間の朝9時、もう既に青空と太陽が顔を覗かせて…Kさんほらね!

 昨日Kさんより電話があり…〝明日の吟行、雨かも知れないので欠席したいんですが…〟と。確かに昨日はしっかりと降っていましたものね。でも〝明日は分からないし、私晴れ女だから…。明日の朝様子を見てから決めたらいいんじゃない?〟と言った次第。

 今日はフォーユーの午後と夜の部句会の合同吟行会だったんです。特に午後の部は今年度の最後になりますので8名参加。しかし、夜の部の欠席が多くて、結局参加者は私を含めて13名でした。

 今回の行き先は宇部市郊外の万倉(まぐら)方面。ここは近いので何度も来ているところなのですが、初めての人もいたりして…。吟行というのは同じ所に何度行っても全く同じ条件ではありませんし、人も変わったりしますので、飽きるということは余りないんです。多少見飽きたところだと句材を探すのが大変ということぐらいかな…でもそれはそれでまた愉し!なんですよ。

 しかし、今日行くのはちょっと離れたところにあり、まだ行ったことのない人がたくさんいるので、新鮮でいいかも。

 今回のメインは、万倉芦河内(あしがわち)の薬師堂。宇部市中心部から車で約45分ぐらいの、ホントに鄙びた山間の田畑の中に、ポツンと〝一軒家〟(笑)じゃありませんが、薬師如来を祀ったお堂があります。

 以前から一度行ってみたいと思いながら、何となく縁が無くて。今回は是非ここを計画しようと思い、先日下見に主人と行ってみたんです。

 するとちょうどこの薬師堂の茅葺(かやぶき)屋根のふき替え工事が行われていました。萩市から「屋根師」と呼ばれる職人さんたちが訪れ、長年の風雨で傷んだカヤを取り除き、新しく差し込む「差しガヤ」と呼ばれる方法で屋根をふいていました。修復作業は2002年以来で、聞いてみると、今月中旬の完了を目指しているから13日頃にはもしかしたら出来上がっているかもと。ラッキー!これもお薬師様のお陰かしら。アリガタイことです。

 薬師堂は寄せ棟造りで、正面3面は吹き放し。1394年に建立され、1418年には再建。堂内には阿弥陀如来・薬師如来などの像や、祭の道具が保存され、戦前まではお堂の前で念仏踊りが奉納されていたという。また1690年に再建され、県内にあるお堂の中でも秀麗な景観を持ち、保存状態も良いことから、1987年に県の指定有形民俗文化財に定められたということです。

 屋根師さんたちは、屋根に設けた道竹(みちたけ)を足場にして作業し、古くなったり、短くなったりしたカヤを取り除いては新しい束を差し込み、刈り込みばさみなどで形を整えて仕上げるという。「経年劣化もあるが酸性雨の影響もあり、傷みがひどい。古いカヤは肥料として役立てられる」とも話しておられました。

 写真は、葺替え作業中の屋根師さんたち。4人でされていました。この日は良い天気で青空によく映えていました。

 ところが、今回は出発の時は青空になって日も差していましたのに、万倉に近づくとだんだんと雲行きが怪しくなり、とうとう小雨が降り出してしまいました。しかし、薬師堂は、足場はまだそのままでしたが、葺替えたばかりの屋根が美しく、そぼ降るこぬか雨にしっとりと濡れている様子も風情があってなかなかのものでしたよ。いい句材になりました。

 この吟行記にはまだ先がありますので、今日はここまでにします。続きはまた…。
 写真は、葺替えの済んだ薬師堂とその周辺の景色です。こういう所に来るとホッカリしますね。みなさんも写真でどうぞホッカリと…一服して下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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〝十年一昔〟とは言うけれど?

2021年03月11日 | 日記

 今日は11日、あの〝東日本大震災〟のあった日から10年目です。

 昔から〝十年一昔(じゅうねんひとむかし)〟といい、10年を一区切りと見て、その間には大きな変化のあるものだと。しかし、また〝十年一日(じゅうねんいちじつ)〟ともいい、長い年月の間少しも変わらず同じ状態であることをいうんです。果たして被災された方々にとっては、どちらなのでしょうか。そう、〝もう10年目〟ですか?私はきっと〝まだ10年目〟なんだと思いますが。

 私に限らず日本中の…いや世界中の誰もが、あの日の震災にはショックを受けたでしょう。特にあの衝撃的な映像をLIVEで時々刻々と見つめていた人たちは…。

 私と主人は義母の家に行っていたのですが、京都の義弟から、〝大変なことになってる…すぐにテレビを付けて見て!〟と電話が掛かってきて…それからはもう息が出来ないくらいビックリして、みんな何も言えずにただテレビを食い入るように見ていました。

 と、これを書いて主人に話すと、〝あの時は、職場にいたぞ。するとお前からテレビ見て!と電話が掛かり、それで見たんだよ…〟と。まあ、人の記憶って直接に関わらなければこんなにいい加減なものなんですよね。ホントに申し訳ありません。トホホッ…

 でも、こんなことはもう二度とない…と思いたいです!が、こればっかりは分かりませんよね。今回コロナのようなことが起ったのですから、これからは何が起っても不思議じゃない。しかし、私はあの映像だけは死ぬまで忘れないでしょう。

 父や兄・姉は何も知りませんので、母があの世へ行ってきっと話して聞かせたはず。でも今回のコロナのことは誰も知りませんので、今度は私が行った時に話して聞かせなくっちゃ…ね。(笑)

 昨日のメールに、〝Yahoo!ネット募金〟の募金プロジェクト情報が入っていました。いつも気持ちだけなんですが、早速募金に参加させていただきました。

 今年は、「桜ライン311」と「鎮守の森プロジェクト」へ。

 「桜ライン311」のことは、今朝のニュースでも取り上げられていましたが、ボランティアを募り、今年で48回目になる植樹を昨日終えられたんですって。これは被災された陸前高田市内の有志の方々が集まって立ち上げられたプロジェクトなんです。その思いを次のように…

あの日、ここまで津波が来たということを、未来の人たちに伝え残すために。
また大きな津波が来た時は、桜並木よりも高いところに逃げてもらうために。
もう二度と、私たちと同じような悔しい気持ちを繰り返さないために。

 また、次のようにも…

東日本大震災の前にも何度も津波は発生しています。その教訓を伝える石碑が、陸前高田だけでなく東北沿岸に300カ所以上あります。しかしその存在は広く知られていませんでした。教訓が活かされていれば、助かった命があったかもしれません。

もっと多くの人が覚えていたいもので語り継ぐことはできないだろうか? そこから誰からも愛される桜並木(桜ライン)を作ることに決めました。陸前高田市内の津波到達地点は約170kmです。10mごとに1本、合計17,000本を植えることになります。

震災を知らない世代が、どうしてこんなに桜がたくさんあるの? と、不思議に思うでしょう。それが、防災を考えるきっかけになってくれるはずです。

その桜はあなたが支援してくれた桜です。

 私の寄付などほんとに微々たるものですが、でも皆様の善意が集まれば、〝塵と積れば山となる〟ですもの。是非協力してあげて下さい。昨年はコロナで中止になったとか。でも2020年12月には、1,789本の植樹が完了して、昨日ので1800本になったと。でも、まだ1割ちょっとですから先は遠い! しかし、もし機会があればその〝桜ライン〟を見に行きたいなと思います。完成には絶対無理なんですから。

 もう一つの「鎮守の森のプロジェクト」とは、災害からいのちを守る森づくりで、東日本大震災を契機に設立されました。

 大津波後の被害調査で、長い間その地域を支えてきた「鎮守の森」の常緑広葉樹が大津波にも倒れずに残り、津波の威力を和らげ、背後のものを守っていたことがわかったんです。そこで、次のようなメッセージを…

この教訓を活かした災害からいのちを守る森づくりは、未曽有の大震災を経験した私たちが、次世代を担う子どもたちを守るために、残し伝えなくてはならない大切な知恵だと考えています。…(中略)…

東日本大震災から10年が経過した現在は、東北の沿岸部だけでなく、南海トラフ地震や東南海地震などに備えた防災の森づくりが始まっています。
多くの皆さまに、あの日のことを思い返していただくことが、次世代を守る森づくりの発展的展開につながるものと思っております。

 どちらのプロジェクトも永い時間を掛けないと、今すぐにどうにかなるものではないでしょう。が、未来の子どもたちのために出来るだけ協力したいと思います。もし、この趣旨に賛同できる方がいらっしゃれば、是非一緒に協力しませんか?よろしくお願いします。

 しかし、昨年から引き続き今年もまだコロナ禍が収っていませんので、復興を願ったり鎮魂の祈りを捧げるなどのイベントも思うようにならないようす。被災地の復興事業も資金ぐりなどの関係でまだまだのところもあるとか。更に福島の原発被害を受けられた地方の方々への解決も…。10年経っても前途多難なことだらけです。が、頑張りましょう!

 私たちは、この東日本大震災の教訓を生かして、図らずも犠牲になられたたくさんの方々の代わりに、かけがえのない命を守り、これからの明るい未来へ繋いでいかなければなりません。そのためにはせめて自分で出来ることを…みなさん、やるしかないっちゃ!

 ところが、…ですね。〝東日本大震災から10年、被災地への関心は?〟というアンケートの答えを見てビックリ!です。

 投票数:51,215票の内、大いにか、ある程度関心があるは86.2%でしたが、ほとんどか、あまり関心がないが13.8%もいたんですよ。ヘエッ…です!

 今の日本の状況からみれば、地震に限らず何であっても、〝明日は我が身〟というふうに考えられませんかね。せめて自分のことしか眼に入らないような人間にだけはなりたくないものだと…!

 写真は、ムスカリ。ユリ科ムスカリ属の多年草。約60種が地中海沿岸から西アジアに分布する観賞用の濃青色の花。

 花言葉は、ヨーロッパでは青い花は悲しみの象徴とされることが多くて、ムスカリも「失望」「失意」というネガティブな花言葉を持っています。しかし、その失意から立ち直るという意味をこめて「夢にかける思い」「明るい未来」という花言葉もつけられたと言われています。他に「通じ合う心」や「寛大な愛」なども。

 この東日本大震災の日に、とてもふさわしい花だと思いませんか。我が家にもやっと咲きました。

 次の写真は、先日(3月9日)の、これもう6時ですよ…夕空の雲が何ともいえなくて…。明日への〝明るい未来〟を感じられません?エエッ、感じないって…! それは失礼しました。

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〝サボる〟なんてとんでもない…実は…!

2021年03月10日 | 俳句

 ブログの更新を4日もサボってしまいました…ウウン?「サボった!」って…ホント?

 この「サボる」というは、〝なまける。なまけて仕事を休む。ずる休みする〟という意味で、〝サボ〟を動詞化した語なんです。じゃ〝サボ〟ってなあに?それは「サボタージュ」というフランス語の略で、この意味は〝労働者の争議戦術の一つ。就業しながら意識的に仕事を停滞させ、…企業者側に損失を与え…〟と、皆さまある程度知っている言葉ですよね。

 でも、でも、私知りませんでした!皆さんは知っていましたか?「サボ」というのはフランス語で〝木靴〟というのは分かっていました。が、それからサボるもきていたということを。ヘエッ!でしたが、なんで木靴がサボることになったの?という疑問が却って湧きました。

 そこで日本国語大辞典を調べてみると、その原義が載っていました。〝中世ヨーロッパの農民が領主の横暴に対してサボ(木靴)で収穫物をふみにじったことを意味し、元来は破壊行為を指した〟ということだと。

 ちょっとしたことからまた一つ物知りになりましたが、ここは本題に戻らなくちゃ…。結論からいいますと、私は決してブログをサボったんではないということなんです。

 だって、ブログを書かないのを意識的にやったことではないし、もちろん破壊行為なんてとんでもない!まして相手側に損失なんて与えてはいませんものね。

 アレ?もしかして私のブログを待っていて下さっているフォロー様を裏切っているかもと…。本当なら嬉しいけど、それが損失を与えたことになるの?…なんて、考えたりして…これは失礼!

 実を言うと、先日から奥歯が痛み出し、歯医者へ行かなくてはと思いながら時間が取れず…。昨日の句会が歯医者の近くでしたので、勇気を出して行って来たんです。やっぱり虫歯になっていて、先生が〝これはかなりヒドいわよ!痛かったでしょ。よく我慢してましたね〟ですって。ウエ~ン!

 というわけで、早速あのキィーン、ガリガリ、ウィーン、ゴリッ…と、私の一番嫌いな音の連続です。もう死に物狂い(?)で耐えましたよ。(笑)

 歯の神経を取るための麻酔が効いている時はまだましでしたが、だんだんと鈍痛が…。仕方なく痛み止めの薬を飲みました。すると今度は気分が悪くなって…、ダウン!

 という訳ですから、決してサボったんではありません。ご了解を…

 しかし、この頃頓に一つのことに集中して持続するという気力が無くなりました。記憶力もどんどん退化して、すぐに大事なことも忘れてしまいます。要するに頭の中の細胞が萎縮して許容量が少なくなったから、一つのことで精一杯みたい。それとも外見は一緒でも、中の脳みそが古く固くなって吸収力がなくなったのかも。どっちにしろそれは老化現象ということなのです。

 膝も徐々にヒドくなるし、このように体調がすぐれなければ精神もダメージを受けやすい…だからかちょっとしたことに落ち込むようになりました。昨日の句会が終わった後に、Mさんがじわりと近づいてきて耳元で…〝先生、今月で教室を退会させていただきたいので…、長い間有り難うございました〟と。

 こういう瞬間が私は大嫌いなんです、理由が何であれ…。一応〝どうして?〟と聞くと、心臓に悪いところが見つかって、手術をしなくてはいけなくなりそうなんだと。〝じゃあ、お休みにして良くなったらまた来たら良いんじゃない…〟と言うと、〝良くなるならいいけど、もしかしたらもう会えないかも…〟なんて言い出すものですから…後の言葉が出ません。

 最近は他の教室でも、退会者が。癌が見つかって…それもかなり進行していて…続けたいけど先が分からないので…と。本当に辛いです。

 他人事ではなく自分のことも先はどうなるか分からないというのに。でも身近な人にそういう状態を告げられるともう慰める言葉も見つかりません。コロナの恐怖よりも皆が歳を取ったり病気とかで去って行くという現実の方が私の心を暗くするのです。そんな気持ちで歯医者へ行きましたから…気分がいいはずはないでしょう。

 ブログはその都度書きかけているんですよ。しかし、次の日になって、〝今日は…〟のところを、〝昨日は…〟と。更にまた次の日には〝一昨日は…〟とやり替えるんですから…。笑えるでしょう。去年の記事のメールは毎日届くというのに、今年は1週間に3回がいいとこかな。一体どうなったんでしょう。コロナで自粛が続いているというのは今年も同じですよね。とどのつまり根気が無くなったということかしら。

 まあ、こんな話ばかりでは読む方もイヤになるでしょし、書く方もそれが分かっていますから、なかなか筆が進まないのかも…。

 だから今日はここまでにします。句会でおもしろい話があったんですが…それはまた次にでも。

 写真は、花桃と雪柳と水仙。7日の日曜日に、俳人協会県支部の役員会が防府であり、その帰りに道の駅に寄って買いました。花桃が200円、雪柳は100円、安いでしょ!雪柳は我が家にもありますが、主人が小さく切ってしまってサッパリ。水仙は我が家のものですが丈が低くて…。花桃や雪柳は枝ぶりがかなり大きくて、どうしようかと思ったのですが、勿体なくてそのままバサリと…これぞ、投げ入れ!(^0^)

 しかし、花桃にはかすかに良い香りがして…ちょっと幸せな気持ちになったんですけどね~その気分も歯痛のためにすぐ打ち消されて…。ああ、辛い日日だったんですよ!

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〝雛祭〟のあれこれ

2021年03月05日 | 俳句

 今日はもう5日…ああ、日が経つのが早すぎます!このところ一日おきの雨で、今朝もラジオ体操は休み。もうそろそろいい陽気になってもおかしくないのに気温は上がったり下がったり…服選びに困る~!

 昨日は何してたのかしら?毎日同じような繰り返しでボーッと過ごしていると、記憶が??? だから、いつも二人で〝今朝は薬を飲んだかな?〟と聞きあいこして…でも自分のことさえ定かではないんですからね。おお、コワッ!です。

 ところで、一昨日は3月3日…ちょっと出遅れましたが、〝雛祭〟について書いてみましょうか。

 昔から女児の息災を祈って行われる行事で〝桃の節句〟などともいい、五節句の一つ、上巳(じょうし)の節句のことです。詳しいことはみな様ご存じの方が多いでしょうから省きますが、その実施の日で迷われる方もおられるかと。

 最近は殆ど新暦の3月3日ですよね。ところが、この頃は桃の花どころかまだも咲いていないのに、なぜ?と思われる方もいらっしゃるかも。これはもともと旧暦の行事でしたから、雛祭も桃の花も晩春の季語だったのです。ところが、雛祭が新暦3月3日の行事になってからは、仲春の季語になりました。でも、地方によっては旧暦だったり、月遅れの4月3日に行うところもありますから、迷われてもおかしくはないですね。

 また、変わったところでは、香川県三豊市仁尾町や兵庫県たつの市御津町での〝八朔ひな祭り〟。現在でも旧暦の八朔(8月1日のことで、秋の季語)を中心にイベントなどが行われているようですよ。これは、戦国時代に仁尾城が落城した日が3月3日だったとか、御津町の室山城が祝言の夜に急襲されて非業の死を遂げた花嫁を慰めるために3月3日を避けて半年遅れの八朔に雛祭をしたという謂れによるもののようです。

 また、〝雛流し〟で有名なのは鳥取市用瀬(もちがせ)町で、旧暦の3月3日に毎年行われていますが、これも新型コロナウイルスのため、残念ながら去年も今年もイベントは中止になっています。以前馬酔木の?周年記念吟行会で始めて用瀬に行き、その後もまた行ったんですが、どちらも雛流しの時ではなくてとても残念でした。一度は観に行きたいと思っていますが、いつのことになるやら…。

 そもそも雛祭の起源は、中国渡来の「上巳(じょうし)」の節句で、 中国では3月3日に水辺にて身を清め、穢れを払う習慣がありました。 これが日本に渡ってきて、3月3日には穢れ払いの儀式が行われるようになったんです。 奈良時代には紙でできた人形(ひとかた)が登場し、平安時代にはその人形(形代かたしろともいう)に厄を移して川に流す「流し雛も誕生しました。

 そこで少し「上巳」について…。これは初めの巳(み)の日という意味で、三月は辰(たつ)の月、その辰に縁の深い巳の日に災厄を払う祓(はらえ)を行ったのが上巳の由来です。更にその日には中国に端を発した〝曲水の宴〟が、平安時代から3月3日に宮中で開かれるようになったんですね。

 この曲水の宴は、先日吟行に行った〝東行庵〟でも昔行っていたようなんですが、私が俳句を始めた頃にはもうなくなっていました。その名残が梅林の中に残っています。他には、下関市の赤間神宮に曲水の宴を観に行きましたが、これはちょっと神宮の建物の中で行われていましたので今一つ風情がありませんでした。でも、終わった後に壇ノ浦へ雛を流しに行ったのは、とてもいい句材になりましたけれどね。

 本格的な曲水の宴を観たのは太宰府天満宮で、これは平安朝の貴族さながらの装束、盃が流れて来るまでに1句を短冊に認めてゆく…と。まさに平安絵巻の如く見応えがありました。また、その日は梅も真っ盛りで、花びらが風に舞っては曲水の流れに浮かぶという…。おまけに淡雪まで降ってきたりと、それはそれは風情づくしの吟行会でしたから、今でも目に焼きついていて忘れられません。つくづく俳句をしていてよかったなと思ったものでした。

 上記の赤字は全て季語ですよ。次にそれらを詠まれた秋櫻子先生と馬酔木の大先輩の方々の句をご紹介しますので、どうぞ鑑賞して下さい。ちなみに「雛」は〝ひいな〟とも読みますからね。

  天平のをとめぞ立てる雛かな   水原秋櫻子 

  目覚めけり上巳の餅を搗く音に  相生垣瓜人

  夜半の雛肋剖きても吾死なじ   石田波郷

  七十の形代や袖長過ぎむ        殿村菟絲子

  老いてこそなほなつかしや雛飾る 及川貞

 最後二句の作者は、写真でしか知りませんが、馬酔木大先輩の女流俳人で、特に及川貞さんは、『馬酔木』婦人句会を起こしたことで知られ、最後まで馬酔木におられて多くの優れた女流俳人を輩出させたという方なんですよ。昭和61年に94歳で亡くなられました。まだ私が俳句を始めていない時なんですが、できればお会いしたかったなあ!

  写真は、用瀬の〝流し雛〟です。下のは、鳥取県観光連盟の写真をお借りしました。スミマセン!

流しびな

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〝朧月〟と〝朧月夜〟

2021年03月03日 | 俳句

 今朝はまだ厚い雲が空を蔽っていましたが、昨日は雨で行かなかったのでラジオ体操へ。すると行く途中でだんだんと青空が覗いてきて、その空から眩しいほどの日差しが…どうも今日は一日中晴れるようです。ウレシイコト!じゃあ帰ったら、洗濯するぞ!

 それにしても、いつも体操の帰り道で思うこと。歩道の隅のところどころにワンちゃんの大きな…が。でもこの辺りでは野良犬は殆ど見かけませんので、これはきっと飼い主さんがいるのでしょう。それもかなり大きいから…きっと大型犬でしょうか。でも、そうなら是非公衆のマナーを守ってほしいし、当のワンちゃんが悪者にされてカワイソウ!こればっかりは自分では出来ないものね…スルナ!というのは尚更酷だもの。

 行く時と帰り道は違うんですが、行きには殆ど気づかず帰り道にだけ…これって、気分的なものかな?行きは急いでるので、あったとしても見えないと…。なるほど、人の目ってそんなものなのかも。

 こちらではこのところ突風が吹いたと思うと夕方からは雨が降ったりと、天気は荒れ模様で冬に戻ったよう。その雨が昨日の朝までは残っていましたが、午後からのO教室の句会へ出掛ける頃はすっかり雨が上がっていました。すると今度は日が余すなく入る部屋なので暑いほど。ところが、また突然窓が暗くなったかと思うとパラパラッと雨が降り出す…、マッコト変な天気でした。

 ところで、今朝の天気予報を見ていると、山口県はどこも最高気温が11度から14度になっていましたが、宇部だけは9度なんですよ!いつも不思議でなりません。みなさんから良く言われるんです。宇部は瀬戸内海に面しているから温かいでしょうと。本当になぜ?と自分でも思うんです。でもこれが現実…。だから、萩などの日本海側で桜が咲いたよと言われても宇部はまだなんです…というしかないのです。

 さて、昨日の教室の兼題は〝朧月〟でした。もちろん春の季語で、秋の澄み渡った空に皎々と照る月とは対照的、湿り気を帯びた温かい夜気に包まれて潤んだような春の月、それが朧月なんです。

 先日のブログ〝Zoomの夜と朧月〟の写真で見て頂くと、いいかも。その日はちょうど満月でしたので、感じがよく分ると思います。

  朧三日月吾子の夜髪ぞ潤へる   中村草田男

 この句は三日月でおぼろなんですが、普通何もなく〝朧月〟といえば、満月に近い丸い月を想像しますね。この何ともいえない風情はやはり日本的な情緒でしょう。そのぼんやりとした月を見上げる気持も何となく春の愁いを感じさせて…。

  くもりたる古鏡の如し朧月    高浜虚子

 教室の皆さんがこの季語を兼題に選んだのは、きっと詠みやすいと思ったのでしょう。でも、いざ作句してみると、これがなかなかの手強い季語だと分かったようす…

 私も偉そうなことは言えません。〝アッ、これはいい!〟と言えるような句はまだ詠めていませんから。この朧月が動かない句…さて、どんな句が出たでしょう。やっぱり句会に出たのは、〝おぼろ〟という意味に寄りかかったような句が多かったですね。

 例えば、救急車のサイレンを遠くに聞くとか決着のつかないことがあってとか出で湯で仰ぐなどと、何となくぼんやりしてモヤモヤとした感じと結びつけて詠んでいるんです。確かにそれでも一句はできますが…

 〝じゃあ、ここがもし夏の月だったらどう?〟と聞くと、ウウ~ンとみな唸りますもの。ああ、やっぱりこの季語は難しいんですよ。

 文部省唱歌(六年)に有名な〝朧月夜〟(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)という歌がありますね。

 1,菜の花畠に 入り日薄れ

   見わたす山の端 霞ふかし

   春風そよふく 空を見れば

   夕月かかりて におい淡し

 2,里わの火影も 森の色も

   田中の小路を たどる人も

   蛙のなくねも かねの音も

   さながら霞める 朧月夜

 この詩には、春の季語の〝菜の花〟〝霞〟〝春風〟〝蛙〟が出てきて、最後に〝朧月夜〟と。特に2番は、火影も森の色も小路をたどる人も蛙の声に鐘の音もと、何もかもみんな霞んで、朧なんです。

 しかし、この〝朧〟だけでも春の季語なんですよ。歳時記の説明には、〝春になって気温が上がると、上昇気流が活発になり、微細な水滴や埃が上昇して大気の見通しが悪くなる、というと身も蓋もないが、それを昼は霞といい、夜は朧とよべば、とたんに情緒を生む〟とあります。とすると、この歌は霞から朧に変わっていく夕方の情景…それを徐々に昇ってゆく月とともに描いたものなんですね。子供の頃はそんなこと全く考えもせずに唄っていましたが…(^0^)

 昔の唱歌には、難しい言葉を使ったものが結構ありましたが、分からないながらもその情感をどこかで感じ取っていたのかも。子供の感性にはビックリさせられるような素晴らしいものが往々にしてありますもの。

 俳誌「馬酔木」の〝あしかび抄〟の選を、今していますが、その欄に「ジュニアの部」というのがあります。小学校2年生から中学生までの、数は多くはありませんが、ハッとさせられるような句にしばしばお目に掛かりますからね。

 今度そんな句があったらここにも紹介しましょう。

 ちなみに角川大歳時記では、「朧月」や「朧」は天文に、「朧月夜」は時候にと、別々に扱ってあります。それぞれ微妙に違っていますが、その違い分かりますか?よかったら考えて見て下さい。

 今日もまた、長くなりました。読んで下さった方お疲れ様。(*^-^*)ございました。では、また次に…

 写真は、先日撮った〝朧月〟。その下は〝朧月夜〟のイラスト、お借りしました。スミマセン!

75+菜の花 畑 イラスト - イラスト画像

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