ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

俳人協会山口県支部俳句大会

2017年09月30日 | 俳句

 今日は俳人協会の山口県支部俳句大会でした。

 受付係の2名と一緒に9時前に防府市の会場に行きました。9時30分発表の席題は「鰯雲」。11時から山口県支部総会、俳句大会は13持からです。今回の講師は、俳誌「山茶花」主宰の三村純也先生でした。演題は「高浜虚子と能楽について」でしたが、ちょっと難しくて…。謡や仕舞などをしている仲間は面白かったと、ウ~ン、やっぱりワカラナイ!

 14時30分から応募句・席題句の表彰と選評。応募句の三賞は以下。

  山口県知事賞 立葵背丈伸びてもまだ少女   木村郁代

  朝日新聞社賞 測量の二人手話めく日の盛り 吉次 薫

  俳人協会山口県支部長賞 白靴の硬さも旅のはじめなる  千住紀子

 講師の三村純也先生の特選句は次の三句です。

  番犬の何処へ吠ゆる五月闇       磯部清昭

  落しても割れぬキャンプの食器かな   藤田信義

  あつてなき禁酒日やいざ生ビール    宮本幸江

 この特選句の宮本さんが私の俳句教室の人なので、今回は11人で出席し拍手してきましたよ。

 15時過ぎに閉会しましたので、せっかくだから周防国分寺に寄って帰ろうということになって、車3台に分乗して行きました。先日テレビで酔芙蓉が今満開だと放映していたらしんです。着いたら本当にたくさん咲いていました。 ここ周防国分寺も、741年の聖武天皇の詔により各国に建立されたものの一つで、現在のものは1779年に再建されたもの。創建当時の境内にそのままの規模や配置で残っているのは珍しいものだそうで、金堂や木造仏などが重要文化財となっています。平成9年から8年間かけて金堂の修理(平成の大修理)が行われました。

 誰かが〝芙蓉寺〟と言ってもいいですかと聞くので、それはちょっと問題があるのでは…と答えておきました。調べてみると固有名詞で、岡山県と鹿児島県に〝ふようじ〟としてありました。とにかく何かが咲いていたからとか何かがあったからということで、安易にくっつけて詠まない方がいいと私は思っています。ついでに言うなら、この国分寺に以前来た時はこんなに酔芙蓉はなかったような気がします。もしかしたら平成の大修理が終ってから、これを売り物にしようと考え、植えて増やしたのではないかと思いますし…。やはりある程度歴史があって、それを万人が認めるようにならなければいけないのでは…。

 珍しい〝筋塀〟がありました。説明は写真で。

 

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〝酔っ払った〟芙蓉

2017年09月29日 | 俳句

 昨日、句会のメーンバーから不在着信の履歴があったので、かけ直しました。繋がらないのでそのままにしていると、向こうから再び電話が掛かりました。その第一声、「私、句会辞めさせてもらいます。一年間お世話になりました。」「エエッ!どうして?何かあったの?」「私、俳句には向いていないので…それでは…」取り付く島もなくガチャッと電話を切られてしまいました。

 4,5日前、句会があったばかりですが、その時はそんな雰囲気は全くありませんでした。何が一体どうなってるの?と、とにかく面食らって仕舞いました。私、彼女に何か気に障ることでも言ったのかしら?一緒に句会に出ていた旦那に聞いてみましたが、思い当たることがないと。

 確か去年の夏の頃です。これも突然電話が掛かってきました。「ネットで調べたんですが、俳句入門してもいいですか…」と。「どうぞ、どうぞ。大歓迎ですよ」と答えて、内容や場所を詳しく教えました。幹事さんにもその人の名前と連絡先を告げて、面倒をみてあげて下さいねと頼んだんですよ。すると、その月の句会に来られませんでした。それで次の日、「先日、みんな待っていたんですよ」と連絡すると、こうですよ。「あそこじゃなく、〇〇の句会の方がいいので、そこではいけませんか?」「じゃ、日にちが違いますけどいいですか?」というわけで、今度はその句会で待ちました。すると、時間を間違えていたとかで、遅れて参加されました。それからは順調にいっていたし、皆さんとも打ち解けてだんだんやる気を出されていたのに…今回の出来事、〝サッパリポン〟ですよ。

 非常に面白い感覚の持ち主で、このところ意外な発想の句を見せてくれていましたので、先が楽しみな人だな~と思っていました。もちろん俳句は初めてということですので、表現法や季語の知識などは全くの素人ですが、それはみんな同じでしょう。だって1,2年でどうにかなるものではないですよね。しかし、感性というものは、単に長くやればいいというものではなく、持って生まれたものが大なり小なりあります。彼女にはそれが大きくあるような気がして…だから〝向いてませんから…〟の一言で片付けられたのが、私にはとてもショックでした。時々〝才能がないので…〟とか言って辞める人もいましたが、そういう言葉を聞く度に、いつも心が萎えます。1年や2年そこらで、才能がないじゃ~の向いてないじゃ~の…と言って欲しくな~い!…ということですよ。でなかったら私なんかバカみたいじゃないですか!何十年もやってきて…。

 ちなみに、いくつか彼女の句を挙げてみましょうか。

   俳句せまる背水の陣や秋の暮      背水の陣と句を練る秋の暮

   太陽の熱の頂点西瓜割る        太陽を頂点にして西瓜割る

   我庭に蜥蜴二匹の独裁者        独裁者顔して二匹蜥蜴かな

   しゃぼん玉すり切れさうな世界平和   爆ぜさうな世界平和やしゃぼん玉   

   待春や引出し多き人と会い       待春や季語の引出し多き人

 いかがですか?後のは彼女の説明を聞いて、私が添削した句です。特に4句目は北朝鮮のミサイルが飛んでくるというニュースで沸き立っている頃でしたから、びっくりしたんですけどね。こういう視点で詠めるなんて〝スバラシイ!〟と、確か特選に採ってほめたんですが、これで…わたし向いてないとか、サイノウないとか…言われると悲しくなりますよ。ホントに!

 昨日はナントも面白くない日でした。だから、今日はいつもの美容院に行って、さっぱりと髪を切ってもらい、気分転換してきました。さあ、明日は俳人協会の山口県俳句大会で、防府に出掛けます。

 今日の写真は〝酔芙蓉〟やっと我家のも満開になりました。本当に今年は遅いです。もう10月ですものね。1枚目は朝9時頃、2枚目昼13時頃、3枚目は夕方5時頃です。中に赤と白の混じったものがありましたが、これ〝ほろ酔い〟かも?(笑) 最後が萎んだ花、翌朝のものです。

 

 

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またまた〝鶏頭〟

2017年09月28日 | 日記

 今日は晴れ、昨日の雨で草が抜きやすくなっているので、午前中少し草取りをしました。普通は草刈機で夏から秋にかけては、旦那がちょくちょくやるんですが、最近草刈機の調子が悪くて動かなくなったとか…それで草がのさばっているんです。こればかりはちょっとやそっとで無くなるようなものではないので、気長にボチボチと…塵も積もればナントヤラですよ。

 午後からは俳画教室でした。今日の画題は〝鶏頭の花〟でした。

 鶏頭は以前写真をブログに載せましたし、正岡子規の俳句も書きましたので、ちょっと気が進みませんね。でも何か書かないと…。鶏頭は、ヒユ科の一年生植物。花穗の形状から鶏の鶏冠に似ているのでこの名が付きました。原産地はアジア・アフリカの熱帯地方。日本には奈良時代に中国を経由して渡来したそうです。「韓藍(かんあい)」という古名で『万葉集』にも詠まれています。色は深紅、赤、橙、黄など、種類はいろいろあって、形状から羽毛鶏頭、久留米鶏頭、鶏冠鶏頭、槍鶏頭、紐鶏頭など。

 ところで、今日は大失敗。俳画に限らずここのセンターの教室には当番というものがあって、少し早めに行って準備をし、後始末と日誌を付けるという仕事があるんです。着く直前になって思い出しました。「アッ!今日ワタシ当番ヤッタかも…」 急いでももう遅いですよね。ゴメンナサ~イ!当番は二人制ですので、日誌や後片付けは私がしっかりやりましたよ、モチロン!

 今回の作品は、出来がイマイチですので、あまり見せたくないのですが…他に写真がないので…見て下さった方ゴメンナサイ!先日載せた本物の鶏頭もどうぞご一緒に。

 

 

 

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昨日の兼題は〝星月夜〟

2017年09月27日 | 俳句

 今日は朝から一日中雨でした。

 本当は午後から健康体操の日なんですが、原稿書きの仕上げが残っていて、今日が締切ですので、体操は休んで一日中机でした。今、メールで原稿を送りましたので、ホッとしているんです。それでブログでも…という気になって書いてます。

 昨日の句会の兼題は〝星月夜〟で、秋の季語です。初心者で時々この季語を間違って使うことがあります。要するに、星と月が出ているきれいな夜という意味に。星月夜とは、月のない夜空が、星明りで月夜のように明るいことをいうのですが、今時の、特に都会ではめったに経験できることではないんですよ。余程高い山か人家の灯のないところで、それも晴天でなければ見られないでしょう。私が本当に、これが〝星月夜〟だと実感したのは、ネパールのエベレスト街道トレッキングツアーでのこと。タンボチェ(3860m)の山小屋に泊った夜でした。でも、秋じゃあないんですよ。行ったのは2月の終りから3月の初めでしたから。しかし、星とか月とかは寒いときの方がかえってよく見えますよね。光が冴えわたっているからでしょうか。もう10年以上も昔のことになりましたが、本当に忘れられない旅でした。

   ちちははの国に寝惜しみ星月夜   鷹羽狩行

 作者鷹羽狩行氏は、山形県新庄市生れ。ということは、この「ちちははの国」は、その新庄市でしょう。最上川中流域の周りを山に囲まれた雪深い盆地だそうです。だとすれば、都会で見る星月夜とは違って、そりゃきっと美しいに違いない。私も初めて蔵王に行ったとき、本当に空気が違うと思いましたもの。まして故郷なら何をか況んやですね。「寝惜しみ」に実感があります。

 句会では、〈天を突く槍の穂先や星月夜〉という句がありました。ご夫婦で山登りの会に入り、いろんな山へ行かれていますので、お二人揃って山の句が多いんです。この時もそうでした。この句、槍ヶ岳を詠んだもの。だとすれば、確かに星月夜はきれいに見えることでしょう。そこはよしとして、もったいない!上五中七すべてをその山の説明で終ってしまってる。「天を突く」も「穂先」も不要です。ここは槍ヶ岳の近くの山小屋に泊って、明日はあの山頂に立つのだという昂揚感、それを見守るごとくに静かに輝く星空…と、こんな具合に詠んでみましょうか。〈槍岳へ明日は立たんと星月夜〉と、いかがでしょうか。

 今日は、先日参加した〝夕焼けウォーク〟の海岸に咲いていた「浜栲(はまごう)」です。花はもう終わりかけで、沢山実がなっていました。この実は生薬になるんですよ。

 

 

   

 

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昨日の兼題は〝稲刈〟

2017年09月26日 | 俳句

 昨日の句会の兼題は〝稲刈〟、もちろん秋の季語です。

 去年までは棚田のオーナーをしていましたので、いつも9月の第2日曜日が稲刈りでした。15年間続いたオーナー制度が地権者の方々の高齢化で昨年末に解散しましたので、淋しい限りです。が、これも時の流れで仕方のないことですがね。

 今回の会場は、市のはずれにある田舎ですので、行くまでの道筋には、稲がたわわに実っている田やもう稲刈りが済んだ刈田、今真っ最中の田などもあったりして、秋たけなわの気持のよい景色を楽しみながら行きました。

   一夫一婦まもり通して稲を刈る   右城暮石

 最初、作者は「うしろぼせき」さんですと言ったんですが、家に帰りウィキペディアで調べてみると、なんと「うしろくれいし」とあるではないですか。エエッ!今まで私は皆に嘘を教えていたのかしら…とびっくりして、略歴などを調べてみました。

 明治32年(1899)~平成7年(1995)享年96才。高知県生れ。本名斎(いつき)。出身地は高知県長岡郡本山町字古田小字暮石(くれいし)で、そこから俳号をつけたとか。大正9年(1920)大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、大正10年(1921)その主宰誌「倦鳥(けんちょう)」に入会して、松瀬青々に師事。昭和21年「青垣」「風」同人。24年「天狼」同人。昭和27年(1952)「筺(かたみ)」を創刊、昭和31年(1956)「運河」と改題して主宰となる。句集『上下』で蛇笏賞受賞。平成3年(1991)主宰を茨木和生に譲り、翌年90才を過ぎて生地へ帰郷。穏やかな目線で小動物を扱った句が多いという。

 まあ、こんな感じでしたが、句碑やその他の資料を見ても、全て「ぼせき」の名になっていました。両方とも使っていたんでしょうか?地名は間違いなく「くれいし」と読むようですが…。

 ところで、上掲の句で面白い話が出ました。「一夫一婦を守り通したということは、当時としては珍しいのでしょうか?」「う~ん、明治生れの人だし…金持ちなら一夫一婦じゃないかもね~」などと。「稲を刈る」のはやはり農耕民族としての日本人の原点でしょう。その農業を守り通したという自負もあるのではと、私は思いましたが。

 暮石に〈妻の遺品ならざるはなし春星も〉という句がありました。何を見ても妻の遺品…ということは長い年月の夫婦の深い絆があったからでしょう。だからあの空の春の星さえも妻の遺品だと言うんですから…ね。よく分りませんが夫婦仲が良かったんでしょうね。誰かが言っていましたよ。「若いときは男の人には何かあってもおかしくはないものね~」と、奥さんが旦那さんの顔をチラリと見て…後はみんなで笑って…ウフフとオシマイ。(笑)

 さて、句会では〈子ら散りて学習田は案山子のみ〉が最高点でした。最近は学校で田植から稲刈りまでを経験させるため、学習田を用意しているところが結構あります。ここでもそれがあって、稲刈がすんで子供たちが帰った後の、ぽつんと残された案山子を詠んだもの。案山子さんも今日からはもう用がなくなるし…そんな淋しさも加わって、味わい深い句ですね。結構でした!

 実は昨日このブログ書きかけて夜中になり、途中で寝てしまいました。今日も句会でしたので、途中のままその準備に追われ、今書き上げています。なので、今日の句会の様子はまた明日にでも…。

 今日の写真は〝栗〟です。以前も毬栗を載せましたが、ちょっと遅く生る栗の木が今ちょうど食べ頃で、実が弾けていましたので、それを収穫しました。2,3年前はできすぎてみんなに配って回るほどでしたが、ここしばらくは無理でしょうから、惜しんで食べないと…。じゃ、いただきま~す。 ゴメンナサイね!

 

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夕焼けウオーク〝本山岬〟

2017年09月24日 | 日記

 昨日のことです。山陽小野田市本山岬で〝夕焼けウオーク〟が、5時から開催されましたので、仲間7人で参加しました。公民館から約30分歩いて、岬まで行き、その海岸から夕焼けを鑑賞する会でしたが、あいにくの曇でお目当ての夕焼けが見られませんでした。晴れていたら向こうの九州に沈む夕日がきれいに見えたでしょうに…残念です。

 この本山岬海岸は干潮のときは浜辺をウオークして、〝くぐり岩〟まで行くことが出来ます。以前にも吟行に来たことがありますが、夕日を見るのは初めてなので期待したんですけどね。

 50人以上の参加者がいて、くぐり岩でみんなと記念撮影をして、また公民館まで引き返しました。途中旧本山炭坑の斜坑口が市の文化財として保存されていて、行くときにここは昔海底炭坑があったことなどを、案内ボランティアの方が詳しく説明して下さいました。

 6時30分ごろ、公民館に帰り着くと、美味しいカレーが待っていました。冬瓜や南瓜の煮物、デザートに葡萄も…そりゃ美味しかったですよ。何たってボランティアグループの方々が朝から準備して下さったんですよ。もちろん無料です。いいでしょう!

 聞くと、毎年開催されるそうなので、今年夕焼けが見られなかった分、来年も是非参加しようと、すぐに話がまとまりました。

 ちなみに、このすぐ傍にある〝きららビーチ焼野〟は、夕日百選に選ばれたところで、山口県では萩の笠山と菊ヶ浜の合せて3ヶ所だけなんです。だから晴れたときは本当に美しいと思います。また、この本山岬駅は、JR西日本の小野田線本山支線の終着駅で、今は無人駅で朝夕日に3往復だけになっていますが、かつてクモハ42形が平成14年12月で現役引退するという報道のときは、この駅が撮り鉄の人で埋まったことがあるんですよ。

 本当にここはとっても田舎で静かなところです。見るとあちらこちらに葭簀や縁台が備えてあって、夏は皆さん外に出て潮風に吹かれながら夕日を見て涼むんでしょうか。ナンカ一昔前の懐かしい景が想像されて、案内の人から〝ここはサイコウですよ!〟と言われなくても、そんな感じがしました。夕日は見られなかったけれど、人の温かさをたっぷりと味わったひとときでした。皆さん、本当にアリガトウございました。感謝!感謝!

 私には更におまけがあるんですよ!浜に下りたときしっかり潮が引いていましたので、イシダタミ貝を採ってきました。仲間からいつの間に~と言われましたがね。先程茹でて食べました。これもまた美味!言うことありませんよ。ごちそうさま!

 写真は、本山岬の海岸とくぐり岩、イシダタミ貝です。

 

 

 

 

 

 

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秋彼岸

2017年09月22日 | 俳句

 9月20日が秋彼岸の入りで、23日が中日、即ち「秋分の日」、26日は秋彼岸明けです。以前にも書きましたが、「彼岸」は春の季語ですので、秋は「秋彼岸」とか「後の彼岸」といって区別します。この7日間に寺院や墓所に参り、法会を行ったりするのは春と同じですが、今から陽に向かって行く春の彼岸に比べて、やはりこれから陰に向かって行く秋彼岸は淋しさが漂いますね。

   人の世に男女のありて秋彼岸     草間時彦

 この句なども、例えば下五を「彼岸かな」としたら、いかがでしょう。この世には男女しかいないのですが、その男女が今から恋をして、結婚して子供も生まれ…と人生の高みに登っていくのに対して、「秋彼岸」だとすると、途端にこの男女は凋落期に入っていく感じがしませんか?やはり人生の黄昏を暗示してしまうんですね。このように同じような季語であってもそれぞれみな持ち味が違いますので、俳句を詠まれる方は、その季語の本意を理解して詠むことが大事ですね。

   地の罅によべの雨滲む秋彼岸     岡本 眸

 詳しくは分りませんが、この句は句集『朝』に所収とありますので、恐らく昭和40年前後に詠まれたものでしょう。しかし、何となく昨今の地震や水害などを連想しませんか?大地のあちらこちらの罅(ひび)割れに蕭々と雨が滲み込んでいく…ああ、今日は秋の彼岸なんだなあ~と、まるでこの世の無常を感じているような句だと思いましたが。でも、そのころ関東に大きな地震などがあった様子でもないし…とすれば、単なる罅割れかも知れませんね。その地面の割れ目に雨が滲みて、ああもう秋彼岸…これからは雨が降る度どんどん秋が深まっていくんだろうなあ…とこんな季節の移り変りへの感傷だったのかも知れません。

 まあ、俳句は作者の手を離れたら、その時点でどう読み取られようと全く自由なんですから、これでよしとしましょう。

 秋の彼岸は、ナンテッタッテこれでしょう、〝彼岸花〟!でも、この花は面白いですね。「死人花」「幽霊花」といわれる一方で、天上に咲くという花の名の「曼珠沙華」とも言われていますもの。この花を見るとすぐに次の句を思い出します。

   つきぬけて天上の紺曼珠沙華     山口誓子

 ところで、我家には3色の彼岸花があります。一般的には赤ですが、最近は白が増えていますね。それに加えて黄色です。白は〝シロバナマンジュシャゲ〟黄色は〝ショウキズイセン〟といって、全部ヒガンバナ科ヒガンバナ属のリコリス(ラテン語)の一種です。以前掲載しました〝ナツズイセン〟も同じ仲間ですが、咲く時期が少し早いですね。山野草の〝キツネノカミソリ〟も同じ仲間ですよ。 

 

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何でもなかったよ!

2017年09月21日 | 日記

 今日は9月21日、宮沢賢治の忌日です…と、そんなこと書こうと思ったんじゃないんですよ。そうです!待ちに待った(笑)検診の結果を医大に聞きに行く日なんです。もし、本当に悪いのならこんな状態ではないのでは?なんて安心していましたが、万が一ということもあるし…。でも、それならなんらかの自覚症状があっても…と考えていたら、頭のどこかで「自覚症状が出たらもう手遅れなんよ!」という囁き声が聞こえてきました。「ウウン、絶対そんなことないわ。」と、病院に着くまであれこれ思いながら予約時間前に着きました。相変わらず三十分以上は待たされましたけれど。

 先生の一言、「待たせたね~。何でもなかったよ!」……「じゃあアレは何だったんでしょうか?」…「きっと脂肪の塊だよ」と。人騒がせな〝脂肪ちゃん〟です。最後に先生、「もし何かだったら、ぼくもここまでほってはおかないよ…」と。まあ、私もそれほどは心配していませんでしたが、でも〝万に一つ〟は誰にでもありますものね。何事も油断大敵です。

 診察が終わってやっと気分がすっきりしたので、院内にある〝ドトール〟でお茶でも…と行きました。やっぱり気分がいいもんです。みると、新メニュー〝豆乳きなこラテ〟と宣伝していましたので、体に良さそうと…注文しました。ついでに〝ベルギーワッフル〟も。ちょっと甘過ぎました。やっぱり〝カフェラテ〟にしとくんだったなと後悔!(写真撮るの忘れてました)

 帰りに正面玄関の庭にある、ホトトギス同人・水田のぶほご夫妻の句碑の写真を撮ってきました。これについては以前ブログ(6月15日・「骨密度と睡蓮」)で説明しましたので省きます。昔教えて貰って私が見たのは、水田のぶほの句碑だけが裏庭にあって、それはそれは見事な白萩が咲いていたんですけどね。ここに移して、萩は植えてありましたがまだ小さくて花もあまり咲いていませんでした。きれいにはなりましたが、今一つ風情がないのが残念です。

 

 

 

 

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紫蘇の実

2017年09月20日 | 俳句

 今日の天気もあまりすっきりしないなあと思っていたら、夕方からポツリポツリと落ちてきました。午後からは体操の日なので出掛けました。今年始めての仲間から「もう何年?」と聞かれて、「ウ~ン、10年以上かな…」と答えながら、よ~く考えてみると15年以上は経っているような気がします。自分でもよく続いているなあと、おどろきです。そう言えば、同じここの俳画教室もとうに10年は過ぎていますものね。何かを始めると意外と長続きする方なんです。

 今までですぐ辞めたのは何かな?茶道かな…イヤ、これだって教室の建物が壊されてなくなるから仕方なくなんで、自分からではなかったですね。でも、4,5年は通いましたよ。お免状も1,2枚は貰いましたしね。そうそう〝読み聞かせ〟のボランティアサークルも5年ぐらいだったかしら。

 アッ!思い出しました。この健康体操を始める前に膝や腰を鍛えようと思って〝ヨガ〟に入ったんです。ところが、却って悪くしてしまい、医者から止められてしまいました。これが1年足らずでしたので、一番短いですね。

   杉の香の高尾の護符や星月夜

 『秋櫻子俳句365日』の9月20日の一句です。次のは德田千鶴子主宰の解説。

 この護符の届けられたのは、東京女子医大のICUの病室。二十四時間看視のその部屋は、窓も閉じたまま、電気も手元の小さなランプだけという暗闇の中だった。

 意識はあるが、話しかける事を禁じられているし、胸や手、足に、幾つものチューブがくっついていて、自由に身動きが出来ない。小声で、最小限の会話を交す。

 高尾山は、八王子に住まっていた頃、特に親しんだ俳句修業の場である。中西悟堂さんと、野鳥の勉強をしにも行った。

 秋櫻子入院を聞いて、八王子の秋櫻子旧宅の近くに在住の方が、病気平癒を祈願して、高尾山に登り、登山姿のまま、この護符を届けて下さったのだ。

 医療機器に囲まれた緊張の部屋の中で、この護符の真新しい杉の香が、わずかに心を慰め、励ましてくれたのだった。

 (昭和48年作・句集『餘生』所収)

 下の写真は〝紫蘇の実〟、秋の季語ですが、紫蘇の花はないですね。淡紅色や白色の小さな花で、気が付いた時はもう実になっていて、花も実も一緒に食べられますが、どちらも香りがいいですよ。

 

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鶏頭

2017年09月19日 | 俳句

 今日はちょっと曇…少し蒸し暑かったかな。昨日のニュースでは、台風の影響で34度を過ぎたところがあちらこちらにあったとか。テレビで感想を聞かれた人が「体がついていきません!」と言っていたけど、本当にそのとおりですね。

 娘と午後から出かけましたが、何となく疲れました。やはりこの気象のせいでしょうか?

 それはそうと、先日から訳の分らない請求がインターネットのカード明細に出ていましたので、問い合わせると、入会した記憶のないものが引かれていました。びっくりしてすぐ退会手続きをしたんですが、今まで知らずに払っていたのかと思うと、悔しい!とにかく通販などが手軽なので、ホイホイ使っていたのを、これからは気を付けないと大変なことになると思いました。旦那からも注意を受けていましたのに。それが更に、今日はスマートフォンでも知らない有料サービスに入っていたらしく…びっくりしました。何ヶ月か前から料金が高くなっていたので、どうしてかなと思いつつもそのまま過ごしていました。ちょうどドコモの店を通りかかったので、聞いてみました。要領を得ない私に変って娘が説明してくれたんですが…4ツも知らない有料サービスと契約していたらしく、何がどうなっているのかさっぱりわかりませんでした。店の人が解約してくれて、来月からは引かれなくなるでしょうからと説明されて、ホッとしたのですがね。

 「今まで知らずにズーッと引かれていたんじゃないの?バカみたい。」と、しっかり娘に叱られてしまいました。ホントにこういうIT機器には全くの音痴なんですよ、私は。

 ところで、今日9月19日は「糸瓜忌」、正岡子規の忌日ですね。獺祭忌(だっさいき)とも言います。娘と俳句の話をしていて、知らずに正岡子規のことをあれこれと話をして家に帰り、今日はブログに何を…と考えていたら、アッと思い当たったんです。あれだけ今俳句があるのは子規のお陰よ~なんて娘に言っておきながら…申し訳ないことです。では、東京に行ったときに、根岸の子規庵を訪ねましたので、その時の私の句を紹介しましょう。

   憬れの根岸の庵に咳こぼす

 行ったのは1月でしたし、ちょっと風邪気味でした。それでこの句は、「咳」が季語で冬なんです。あまり時間がなくてゆっくりは見られなかったのですが、今思えば、あの切り込みのある子規の机と食べたものを克明に書いてあるノート、それを見て、子規はもの凄い大食漢だったんだなあという思いが残っています。ああ~これだから寝たっきりになっても、あの辛くて長い闘病生活が続けられたんだなあと思ったことでした。

   鶏頭の十四五本もありぬべし

 これは有名な子規の句ですから、皆さんご存じでしょう。この句は明治33年9月9日子規庵の句会での即吟。「鶏頭」の句題で作った九句のうちの一句ですが、これについてはいろいろと論議をされて、いわゆる「鶏頭論争」なるものが持ち上がりました。それを山本健吉が「鶏頭論争終結」において、子規の句を高く評価して締めくくったのですが、再び第二の鶏頭論争が持ち上がって続いているようです。私は…ウ~ン…まだまだ勉強しないとね。下の写真で許して下さいませ。

 

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カープリーグ優勝!

2017年09月18日 | 俳句

 今日は何たって〝カープ〟のリーグ優勝でしょう。先日からのマジック1でもたもたし、挙げ句の果てには台風18号で引き延ばされ…。先月から入院していた母も、カープの優勝が家で見たいと、先生に頼んで先週の金曜日に退院させて貰ったというのにですよ。だから、今日の空はそもそも台風一過の青空なんですが、それ以上に晴れやかです。よかった、よかった!

 ところで、秋櫻子先生は野球が大好きでしたね。ちなみに、今の德田千鶴子主宰は〝カープ〟の大フアンなんですよ。

   ナイターやツキのはじめのはたた神   (昭和37年作)

 秋櫻子先生の句です。「ナイターは和製英語であって、ナイトゲームが正しい」「ナイターは野球に限ったものではない」など、戦後、職業野球の隆盛と共にナイターが俳句の季語として登場したとき様々の批判が聞かれたそうです。今では夏の季語として定着していますが、その功績は秋櫻子に帰すと言われています。確かに東大野球部の名捕手として鳴らしたという秋櫻子先生には、俳諧味豊かな作品がたくさんあります。

   ナイターの負癖月も出渋るか      (昭和34年作)

   ナイターのやぶれかぶれや稲びかり   (昭和39年作)

   ナイターのここが勝負や蚊喰鳥     (昭和50年作)

 今日は、実は「敬老の日」、もちろん秋の季語です。昭和41年から9月15日が敬老の日として国民の祝日になりましたが、平成15年に改定されて、9月の第3月曜日になりました。今年は台風やらカープ騒ぎやらで、我家では敬老の日の影が薄くなってしまいました。母に食事でもと誘ったのですが、退院した日に早速風呂場で転んでおでこを打ったので、しばらくおとなしくしてると…。で来週ぐらいに気分がよくなって行こうということになり、今日は一日家でテレビ観戦でした。

   熟睡翁(うまいおう)敬ふ朝湯沸きにけり

 敬老の日が祝日になった翌年の昭和42年、秋櫻子先生の作です。「敬老の日」と使わずに「翁敬ふ」で詠まれていてさすがと思いました。「朝寝をしていると、敬老の日だからと、朝湯を沸かしてくれたよ。」という意味で、今では朝湯など大した贅沢ではなくなってしまいましたがね。

 テレビからなのでブレていますが、優勝した瞬間を記念に残しておきたいと思いまして…。ゴメンナサイ!

 

 

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馬酔木句会

2017年09月17日 | 俳句

 ただ今台風18号は、四国愛媛県宇和島付近へ近づいています。でもこちら山口県は朝から雨でしたが、風は大したことなく…まるで台風が近づいているなんて嘘のように静かです。このまま四国を抜けて紀伊半島の方へ行くような感じですが、どこにも大した被害が無く過ぎてくれることを願っています。

 昨日は馬醉木定例句会でした。今月から会場を替えましたので、どんなところか…ちょっと心配。

 今年の4月からオープンしている〝多世代交流スペース〟のチラシが夏頃我家に郵送されてきました。知名度が無く利用者が少ないので、いろいろな団体への呼びかけを市が企画したのでしょう。みると、その中に〝コンテナハウス〟というのがあって、広さ15㎡、机・椅子(16脚)、オワイトボード、プロジェクタ-、無線LAN,電気コンロ、冷蔵庫が設備と。10人前後の句会にはもってこいです。何といっても最大の魅力は無料ということ!今までは市の公的な場所を使っても、半日(3時間)で1,000円弱、おまけに冷暖房費は別ですもの。それが毎月タダですよ。使わないテはありません。駐車場も十分ありますし、時間は日曜日・祝日を除き、毎日11時から18時までOK。今までは句会が長引いたりすると超過料金を取られるというのでイライラしていましたが、それも解消です。

 この〝多世代交流スペース〟は、様々な活動や気軽に集う交流の場として、多世代・異業種の意見交換や交流連携、起業・創業の支援、移住定住の相談、イベントの開催などを実施し、若者や子育て世代等の多世代が交流する空間を創出するためのもの。市とまちづくり団体が協同で運営しているそうですが、市民にとっては有り難い施設です。

 それに更にウレシイおまけが…その部屋の管理を任されているのが大学生(アルバイトかな?)らしいんですが、この日の当番(?)のK君がこの句会に参加したいという。「どうぞ、どうぞ。大歓迎!」と、嬉しいことです。

 投句数90句、当日句会出席は9名。選句はK君を加えて10名での発表です。馬醉木に投句するでしょうから、最高点句などはここでは発表できませんので、悪しからず。問題ない句を少し挙げて、添削してみましょうか。

   雨降りて土の安らふ処暑の畑

 季語は「処暑」で、初秋。二十四節気の一つで、今の8月23日頃にあたります。「処」は収まるの意で、このころ暑さが一段落するとされている。この句は「今まで暑かったのが、処暑でやっと畑仕事も一息つけるなあ。雨も降って土もホッとしていることだ」という意味でしょう。意味はよくわかりますが、まずこの句の気になるところは、「雨降りて」と「土の安らふ」が因果的であること。更に「畑」といえば「土」はもう見えますから削りたいですね。おまけにせっかくの季語「処暑」が上五中七の把握で効かなくなっています。要するに焦点が定まっていないところから、説得力のない句になってしまったのです。そこで、次のように添削しました。〈朝よりの雨よく沁みて処暑の畑〉いかがですか?「土」と「安らふ」を削ると、しっとりとした処暑の畑が見えてきて、野良仕事も一段とやりやすくなるようでしょう。もう一句。

   渓谷のしぶき浴ぶるや竹の春

 この句の季語は「竹の春」で、仲秋の季語です。竹は三月から四月にかけて筍を育てるために、一時葉が枯れたように黄ばんでくる時期があり、これを「竹の秋」といって、晩春の季語です。それが秋になると、その竹が元気を取り戻し、緑鮮やかな色合いになります。この状況を竹の春というのです。木々が紅葉して来るときなので、より一層竹の緑が新鮮に感じられ、魅力的な季語です。ただこの句は、上五中七までが山の渓谷の景を詠んでいますね。「竹の春」という季語からすると、皆さんはどういうところを想像しますか?私なら山里、それも絞ると禅寺とか庭園とか、そういう静かなところが似合うと思います。美術館や博物館などを想像してもいいでしょうね。要するに「渓谷」と「竹の春」はミスマッチなんです。だから季語を変えてみました。〈渓谷のしぶき浴ぶるや爽やかに〉としてみましたが、どうでしょうか?

 閉会して挨拶して帰るとき、面白かったと言ってくれたK君にしっかりと俳句を勧めておきました。選句もバッチリ出来ていましたもの。〝金の卵〟です。

 我家の栗です。古い木でしたので昨年バッサリ切ってしまいましたので、今年はダメかなと思いましたが、少し生っていました。でも熟さないうちからポロポロ落ちて、食べられないものばかり…やっと弾けたのが少しだけあって、茹でて食べました。 

 台風は今ニュースで、四国を北上して猛烈な雨を降らせていると… 心配です。こちらは雨も止んで、星も少し見えてますよ。

 

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韮(にら)の花

2017年09月15日 | 俳句

 台風18号が接近しています。予想進路を見ると日本列島を総なめして行きそうな進路です。

 この前の8月はじめの台風5号も同じような進路でした。子供俳句教室がそのために延期になったのでよ~く覚えています。久し振りに(笑)ちょっと身構えましたが、何のことはなく四国の高知県近くを進んで、気が抜けました。(笑)

 今回はどうでしょうか?昔は九州に上陸すると、やがて山口県の上空を通過するというコースが定番でした。もうかれこれ18年前になるでしょうか、私の記憶する台風で大きな被害が出たのは、やはり〝台風18号〟でした。忘れもしません。隣家の瓦が飛んできて二階の窓が割れ、部屋中が風雨でメチャメチャになりましたもの。その時はちょうど満潮で、山口県の至る所が高潮で冠水して、大被害が出ました。停電もひどかったですね。それ以後は〝またこっちに来そう!〟というと緊張しますが、このところいつもすっぽかされ(?)続けています。ホントは有り難い話なんですが…ね。あの時も9月の秋分の日の頃でしたから…名前だけでなくよく似てるでしょう。だからちょっとコワイです。

 そうそう、先日〝野分〟が兼題の句会の時、〈台風の上陸聞くやにぎりめし〉という句が出たので聞いてみると、やはりあの〝18号〟の停電で懲りたんだそうです。だから、上陸しそうだという台風情報を聞くと、すぐにおにぎりを作って、いつでも食べられるようにする習慣がついたんですって。私もそうでしたが、とにかく食料の確保が最優先ですものね。我家はオール電化ですので、ほんとに何もできません。だから、いつも卓上コンロとガスボンベ、それにローソクと懐中電灯が必需品かな。あとはラーメンとか缶詰などの非常食。またそんなことにならないようにと、もちろん心から願っていますが…。

 今日も句会、明日もまた句会です。今日の兼題は「蜻蛉」でした。この季語は説明しなくてもいいですね。でもみんなの話では、今年は蜻蛉が少ないとか、本当でしょうか?ミサイルばかりが飛んで来るからかしら?ウン、関係ない!ならいいんですけどねえ~。

 イヤイヤ、書き出すと嫌になることばかりですので…、このブログには政治的・時事的なことは一切書かないようにしているのです。だってここは〝俳句の部屋〟ですものね。ゴメンナサイ!

 さて、話を戻して、先日加賀千代女のことを少し書きましたが、彼女の句(伝説ともいわれていますが…)〈蜻蛉釣り今日はどこまで行ったやら〉が有名ですね。この句会でも話が出ました。昔は竹の先にトンボを糸でくくりつけて、それをおとりにして他のトンボを採っていたと。だから、「トンボ釣り」なんですね。今は捕虫網で採るから「トンボ捕り」。そこでこの句会では次のような句が出ていました。〈蜻蛉捕り昔話となりにけり〉。でも、「釣り」ならわかりますが「捕り」はおかしいのでは?と言うと、「今時の子は網を持って昆虫を採りにいきませんよ」と。ホントに、時代は日々に変っていきますね。

 この写真は〝韮の花〟。「韮」は春ですが、「韮の花」は夏の季語です。なのに今が盛りと咲いていました。満開の花には蜂も…。

 

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烏瓜

2017年09月14日 | 俳句

 今やっとカープがDeNAに勝ちました。ちょっときわどいゲームでハラハラしましたが…。これで阪神が負ければリーグ優勝が決まるんですがねえ~。旦那は二つのチャンネルを行ったり来たりで、ナントも忙しいことです。見ると巨人・阪神戦もなかなかお互いに譲らず…2-2の同点で、今11回表です。まあ、今日決まらなくても明日があるんだからと、私だったら思うんですけどね…旦那に叱られそう!

 アッ!今阪神の試合が終わりました。引き分けです。と言うことは、マジック1で次の試合に持ち越し。楽しみが伸びたと思えばね~。

 今日は俳画の日でした。画題は〝烏瓜〟、花では無く実ですよ。花は夏の季語ですが、実は秋の季語です。

 ウリ科カラスウリ属の蔓性多年草で雌雄異株。林や藪に見られ、細い茎は巻鬚で傍のものに巻き付いて高くまで上っていき、葉や茎には粗い毛があってざらざらしている。以前ブログに写真を載せましたが、8~9月の夜、レースのような白い花を咲かせ、瓜に似た実をつけます。はじめは縞のある緑色が熟れると朱赤色なってよく目立ちます。

 この実の中には黒い種があり、カマキリの頭のような面白い形をしていますが、結び文のようにも見えるところから、玉章と呼ばれたりします。でも、私が子供の頃は、この実の種を採ってきて綿に包み、〝大黒さま〟と言って大事に持っていたような気がします。なぜそんなことをしたのか、また、誰に教わったことなのかは知りませんがね。

   提げ来るは柿にはあらず烏瓜    富安風生

   あっそれはわたしのいのち烏瓜   正木ゆう子

 最近烏瓜の実が黄色のをよく見かけるのですが、あれは烏瓜と同じ種ではあっても実がやや大きくて、〝キカラスウリ〟と言います。

 今日の絵は、枯れがれになった葉の中の烏瓜の実の赤さがポイントです。いかがでしょうか?

 

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乃木忌

2017年09月13日 | 俳句

 今日は9月13日、「乃木忌」で、元陸軍大将乃木希典の忌日です。

 山口県の下関市長府には乃木神社があり、その境内には乃木夫妻の銅像やロシアの司令官ステッセル将軍から送られた名馬「寿号」の像、乃木旧居(復元されたもの)などもあるので、私たちがよく吟行に出掛けるところなんです。さらにそこには小さな宝物館もあって、乃木夫妻の遺品や遺墨などが展示されていました。下の2句は、昔俳句を始めた頃、それらを見て私が詠んだ句です。旧居は本当に粗末な家で、部屋が6畳と3畳の二間、それに煮炊きをする二坪の土間だけ。だから昼間は布団を風呂敷に包み天井から吊したりと…いろいろ工夫して、親子3人が質素な暮しをしていたのです。

   乃木旧居土間二坪に冬日射す

   耳袋てふ将軍の遺品かな

 乃木希典は、1849年に長州藩の江戸詰の長府藩士乃木希次の3男として江戸で生れましたが、長男、次男とも夭折したので、跡継ぎとして育てられます。10歳までは江戸で育ち、その後家族で長府に転居し、16才まで長府で文武を鍛えられて暮らします。その時学んだ集童場の場長室が移築されて、同じ長府にある忌宮神社の境内に残されています。集童場というのは、長府藩士の熊野則之らが長府に設けた青少年の鍛錬道場で、「長府の松下村塾」とも呼ばれていて、希典もここで学んだんです。

 成人してからの話はもういろいろありすぎて、調べ尽くせませんので省きますが、日露戦争に第3軍司令官として旅順を攻略した話はあまりにも有名ですよね。この乃木旧居の傍にその時の「水師営の会見」の歌碑と棗の木があって、それを見た仲間の一人が懐かしそうに歌を歌ってくれました。でもその人は今はもう帰らぬ人になってしまいましたが…。「203高地の松」もありますよ。

 晩年は学習院の院長になり、後の昭和天皇の教育係をも務めています。一番ショックなのは明治天皇の後を慕って、大正元年(1912)明治天皇大葬が行われた日の夜、妻と一緒に自刃して殉死したということでしょう。享年希典64才妻静子54才。この殉死を思うとき、必ずといっていいほど、あの夏目漱石の小説『こゝろ』を思い出してしまいます。

 やっと我家の〝芙蓉〟が咲き始めました。こんなに遅いのは初めて…〝芙蓉〟の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」とか。

 

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