ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

灸花(やいとばな)

2017年07月31日 | 俳句

 今日は久し振りに一雨きました。でも、雀の涙に毛が生えたぐらいかな…まあ、降らないよりはましですけどね。先程のニュースでは、同じ山口県でも岩国の方は大雨注意報とか、どうなっているんでしょう?

 この程度ではやっぱり、蒸し暑さが却ってひどくなったような感じでした。こういう状態には、俳句では「溽暑」(じょくしょ)という季語を使います。「溽」には、蒸し暑いや湿気が多くて暑いの意味があり、じっとしていても汗が吹き出てくる、絡みつくような蒸し暑さをいうんです。要するに「暑さ」を、肌に感じる熱気と湿度を前面に出した、感覚に訴えた季語なんです。

   椰子の葉のざんばら髪の溽暑かな   鷹羽 狩行

 「ざんばら髪」というのは振り乱した髪のことですが、ここでは椰子の葉がそのように見えたということでしょう。もともと熱帯地方に分布する植物ですから少々の暑さには慣れているだろうのに。余りにも耐えがたいこの蒸し暑さの不快感に、さすがの椰子も髪を振り乱して…と詠んでいるのです。狩行の自家薬籠中のメタファーはさすがですね。椰子と人間の映像が重なって見えてくるでしょう。

 今日の花は〝灸花〟(やいとばな)で、アカネ科の蔓性多年草です。夏の季語。花がお灸のもぐさに似ているところからこの名があるのですが、全体に悪臭があり、正式名は〝屁糞葛〟(へくそかずら)と言います。ナントモ可哀想な名前でしょう。花そのものはこんなにカワイイのに…。同情しますよ。

   名をへくそかづらとぞいふ花盛り   高浜 虚子

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秋元不死男

2017年07月30日 | 俳句

 今日は何も書くことが…いや、朝から一日中物書きで過ぎてしまいましたので、もう書く気がしないのです。スミマセン。

 でも、何か…やっぱり俳句の話でもしましょうか。

 私の大好きな俳人の一人・秋元不死男、名前はよく知っているのですが、今までは詳しく知らないままで次のような有名な句を鑑賞していました。恥ずかしいことです。ちょっと調べる機会がありましたので、皆さんにも紹介しますね。

   鳥わたるこきこきこきと罐切れば

 1901年~1977年、享年75歳。本名不二雄で最初は、「東京三」(ひがしきょうぞう)や「秋元地平線」の名で投句し、昭和23年より「秋元不死男」の俳号を使う。彼が「新興俳句運動」に加わり、その後治安維持法違反による「俳句弾圧事件」の関連で、平畑静塔や西東三鬼らと検挙されたことは歴史的にも有名なので私も知っていましたが…。昭和16年から18年の2年間投獄された体験を、昭和25年に句集『瘤』を発刊して発表し、所収の366句中、172句が獄中句ということは知りませんでした。そして、この句もその『瘤』に所収されている句だということを知りました。

 俳句では擬音語などのオノマトペがよく使われますが、彼は「オノマトペの不死男」と言われるぐらいにこれが上手だったんです。この句では「こきこきこき」です。もちろん缶詰を切る音ですが、最近では缶切りを使うことがなくなったので、ピンとこない人も増えたでしょうが…。この句は昭和21年の作だと言えばすぐお分かりでしょう。戦後直ぐの時に缶詰が簡単に手に入ったかということです。私は幼いとき大分県の別府市に住んでいました。その頃(昭和20年代後半)は進駐軍がたくさん居て、初めてパイナップルの缶詰が手に入り、父に缶を切ってもらって食べましたが、〝この世にこんなに美味しいものがあるのかしら〟とびっくりしたことがいまだに忘れられませんもの。缶詰とは当時普通では滅多に口に入らない、それ程貴重なものだったのでしょう。まして終戦直後ならなおさらのこと。

 この句について不死男が自解しています。「その頃、横浜の根岸に棲んでいた。駐留軍が前の海を埋めて飛行場をこしらえた。風景が一変すると私の身の上も一変した。俳句事件で負うた戦前の罪名は無くなり、つき纏うていた黒い影も消えた。たまたま入手した缶詰を切っていると、渡り鳥が窓の向こうの海からやってきた。この句、初めて賞めてくれたのが神戸にいた三鬼だった。以来私を『こきこき亭京三』と呼んだりした。(私が東京三の筆名を捨てたのは、それから間もなくだった。)天下晴れて俳句が作れるようになった私たちは、東西に別れて懸命に俳句を作った。敗戦のまだ生なましい風景の中で、私は解放された明るさを噛みしめながら、渡り鳥を見上げ、こきこきこきと缶を切った。」と。飯田龍太は、彼を「昭和の俳諧師」と名づけたというが、そんな秋元不死男の代表句だったんですよ。知らないということはオソロシイ!

 今日は忙しかったので、写真はありません。ゴメンナサイ!では、また。

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バーベナ・リギダ

2017年07月29日 | 俳句

 毎日蒸し暑いですね。でも夕方外に出てみると少し風が吹いて、家の中よりはまあましな感じ…でも、雨が欲しい!時々降りそうな気配の雲が出てきて、空が暗くなりはするんですが、いつも期待外れです。

 今日は第5土曜日ですので、殆ど句会などの予定はありません。だから年1回の行事などは、この予定のない第5土曜日とか日曜日にすることが多いんです。実はわが結社の「早苗」も、この日に吟行会を予定したんですが、広島の「平和祈念俳句大会」が明日開催されるので、連続は大変だということで、来週の土曜日、8月5日になりました。今年は北広島町にある〝天狗四手〟の群落を見て、その近くの田原温泉で昼食、その後句会の予定です。

 「早苗」は、前にも紹介しましたが、「馬醉木」の僚誌で、殆どの人が両方に投句しています。発行所も広島にありますので、地元の人が多く、そちらの方面で吟行などをすることも良くあります。結社全体の行事として日帰り吟行会と一泊吟行会を1年交替で実施していますが、去年大分県の国東半島への一泊吟行会を実施しましたので、今年は日帰り吟行なんです。山口からは朝早く新幹線で出掛けます。その話はまた、済んでから報告しましょうね。

 我家には、何もしなくてもはびこって困るものがもう一つあります。最初は花の色が綺麗なので貰って植えたんですが、その後どんどん広がってあちらこちらに進入していくので、これも次々と抜くんですがやっぱりどこかから芽を出して、また広がっていきます。ホントにカワイイ花なんですよ。ホラ!これ見て下さい。「エノコログサ」(猫じゃらしとも言います)と一緒に活けてみました。

 この花は「宿根バーベナ」の一種で、「バーベナ・リギダ」と言って、全く雨が降らなくも、初夏から晩秋まで次から次に、この紫の花が咲き続けるという、なんとも逞しい植物なんです。

 同じバーベナの一種ですが、最近とみに繁殖してあちらこちらの土手や河原などに見かけるのは、「アレチハナガサ」という外来植物です。これもはびこりすぎて困った存在になっていますよ。ちょっと見には薄紫の花がカワイイのですが…。

 

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石榴の花

2017年07月28日 | 俳句

 今日は少し凌ぎやすいかと思っていましたら、とんでもありませんでした。山口県にも熱中症に気を付けましょうと、高温注意報が出ていました。わが旦那様はそれをものともせずに、ゴルフへ…元気のよいこと! ご苦労なことです。でも、しっかりと水分補給をして頑張って下さいねとは言いましたよ。私は久し振りに時間ができたので、整形外科へリハビリ体操へ。これも結構シンドイですが…。今日は「石榴の花」。この木も2年前丸裸になるぐらいに伐り詰めていましたので、去年は全く花が咲かずじまい。だから当然実もありませんでした。(笑) 毎年、少ないながらも〝ザクロ酒〟を作るのが楽しみだったのに…、とても残念でした。それが今年は少しですが、花を付けて、ウレシイ!そして、よく見ると上の方にたった一つですが、もう実が付いていました。

 

 石榴(ざくろ)は、ペルシャ・インド原産で、栽培の歴史はきわめて古く、ザクロ科ザクロ属の落葉小高木。幹には瘤(こぶ)が多くあって、分枝も多く刺(とげ)があります。葉はつやのある細い楕円形で対生。日本には平安時代ごろ渡来したらしい。6、7月頃筒状で多肉の萼(がく)をもつ、朱色または深紅の六弁花を枝先に咲かせ、秋には大きな球形の実が生る。実のならない八重咲きのものは花石榴といい、白・淡紅・朱・絞りなどの種類があります。盆栽などにする矮小種(わいしょうしゅ)の姫石榴というのもあるようです。スペイン語でザクロはグラナダといい、そのザクロが多く植えられていたことに由来するというグラナダ、そこにある有名なアルハンブラ宮殿も6月は石榴の花が咲き乱れるそうですよ。

   若者には若き死神花柘榴   中村草田男

 解説のいらない句だと思うのですが、石榴には、その花の色や熟して赤く裂けた実からくるのか、どことなく死とつながるようなところがあって、いろいろな人がそのような句を詠んでいます。以前にも書きましたが、草田男の代表作に〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉がありましたよね。この句の季語「万緑」は、初めて草田男が王安石の詩から引用したもので、それが多くの人の共感を呼び、その後季語として定着したものなんですが、その王安石の詩、「詠柘榴詩」(ざくろをよんだ詩という意味)の一節「万緑叢中紅一点」の「紅一点」というのが柘榴の花のことなんですよ。このようにどこかで何となく繋がっていたなどということに気が付いたりするのは、発見とまではいかなくてもとても面白いことだと思いませんか?エッ、一人で勝手に嬉しがったりして…バカみたい!

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金魚

2017年07月27日 | 俳句

 今日は俳画教室。ナント画材は〝鰻丼〟でした。

 今年は土用丑の日が2回あるんですよ。そもそも土用の18日間に、十二支の丑の日が1回か2回あるということ。7月25日がそうでしたので、その12日目の8月6日がまた丑の日なんです。立秋は8月7日ですからね。それで通称〝二の丑〟と言われています。

 土用の丑の日になぜ鰻を食べるかというのは、前にも書いたように平賀源内に由来した話が一番知られているようです。天然鰻の旬は秋から冬で、夏はあまり美味しくないので売れずに困っていた魚屋がこの平賀源内に相談すると、〝本日、土用の丑の日〟と書いて貼紙をしたところ大繁盛して、以来丑の日に鰻をたべるという風習ができたらしい。そもそも昔から丑の日には〝う〟から始まる食べ物を食べると夏負けしないという言い伝えがあって、それで鰻は栄養もあるのでそれにあやかって普及したのですよ。今では天然物は少ないし高いしということで、殆ど養殖鰻。だから旬というのはないのですが、土用の丑の日の鰻ということで、夏の季語になっています。

 ウーン、でも鰻は一回食べればもういいかな…。私の俳画の鰻は、最初は蒲焼がもう少し焦げた方がいいと言われて、書き直してもう一度持って行くと、今度は焦げすぎましたね~と。なかなかいい具合に書けませんでした。

 先日の句会の兼題は「金魚」、夏の季語です。もともと鮒の観賞用に改良された飼育品種で、日本には室町時代の末期、当時の明から輸入されたのが最初と言われています。その後日本で品種改良が重ねられて、出目金・琉金・蘭鋳その他さまざまな新品種が作りだされたのです。もっとも、金魚を入れた浅い桶を天秤棒で担ぎ、「金魚えー、金魚」と声を引いて売り歩いたのは江戸中期以降で、当時の夏の風物詩だったんです。ところで、今回とても面白い句が出ていましたよ。それはこれ。

   贈られし金魚や葵の紋の鉢 

 この句については、作者から先に、おかしな句だと思われるでしょうが、分りますか?と聞かれました。「葵の紋と言えば、徳川家よね…」「それで金魚とは何の関係があるの?」「皇女和宮と将軍徳川家茂のこと、知りませんか?」「ああ、何か聞いたことあるわねえ~」「家茂が和宮に金魚を贈ったという話…」う~ん、これは歴史的背景のある深い句でしたか? など、など…

 俳句としての審議より、話がどんどんと発展して、とうとう篤姫の話にまでなりました。この句会のある地域には、篤姫が輿入したときに通ったという〝どんだけ道〟(殿様道の方言)があるからなのです。すると、最近この句会に入会した人が、ビックリする話を披露したんです。自分の祖先は薩摩の武士で、参勤交代のお供でこの地域を通過したとき、この地の水事情が悪くて米ができない窮状を見かね、鹿児島の自分の資産全てを売り払ってこの地へ移住したというのです。そして、灌漑事業を興し広く水田が作れるようにしたのだと。私もそれは以前からここの会館に、その史跡が残されていて、顕彰板も立てられていましたので、知っていましたが…。こんなこともあるんですね~イヤ、ホントにびっくりでしたよ。

 烏瓜の花が夕方、と言っても4時頃ですが、もう咲いていました。レースのようできれいでしょ! 

 

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睡魔

2017年07月26日 | 日記

 先週の金曜日、今週の月曜日、火曜日と連続の俳句教室でした。この暑さで少々ボケ気味の頭をたたき起こして、頑張ってます。暑いからか、疲れが溜まっているからか、とにかく歳時記を見たり句稿を見たりしていると、いつの間にかボーツとしてきて、同じ所ばかり何度も見て進みません。そうなったらもう何をしても同じで…そんな時私はすぐ寝ることにしています。朝すっきりと目が覚めてから考えた方が効率がよく、昨日と同じ頭とは思えないくらいいろんな考えが浮んできます。不思議なものですね。でも時々それが裏目に出てしまって、間に合わなくなりそうになったり、PCにトラブルが起ったりして、大慌てしたこともありますけどね。

 昨日母の家で、「鰻重」を一緒に食べたとき、カープと巨人の試合を見ていたんですが、どちらも譲らないなかなかの投手戦で0-0。その均衡を破った8回の表、代打西川のヒットで1点を入れる一番いいところの場面…見ると…「おばあちゃん!眠らんで見なくちゃ、ホラ、一番いいとこよ!」と娘が叫ぶ。そうなんですよね。お腹が一杯になると眠くなるのは当り前、ましてや歳を取ると一層そうなるのも致し方がないのかも。

 その時、昔のことを思い出しました。試験勉強をしていたとき、眠気退治に〝メンソレータム〟を目の下に塗ったりしていたと…でもそれでもやっぱりいつの間にか寝てしまって…。娘は仕事中眠気に襲われるのが一番困るという。私が一番困ったのは東京の国立能楽堂に行って〝能〟の鑑賞会に参加したとき、もう眠くて眠くて…わが日本の伝統芸能を鑑賞しているのに、これじゃあまるで無教養なお上りさんで恥ずかしい…という気持ちになり、太ももを抓ってみたり、目を引っ張ってみたり…と色々努力したけど、結局終わって見れば何んにも覚えていなかったという話。その時寝てないふりをするために目を手でこじ開けていたけど、目玉は死んでいたわねえ~などと話すと、どんなふうにしてたのかやってみせてと、娘が言うのでやってみると、その目を見て大笑いになりました。久し振りの爆笑でした。やっぱり人間笑わないといけませんね。何んだかすっきりしました。カープも最後はハラハラさせられましたが、無事勝ちましたし…。野村投手に勝ちが付いてよかったあ~(笑)今日も今終わって、勝ちましたよ。何だか連敗の巨人がカワイソウ!高橋監督も小さく見えましたね。我が一族はカープ、カープです。ただ娘の婿さんだけが阪神フアン。時々喧嘩になるそうですが…。

 我家の猫テンの姿が見えないと探していたら…①本を入れていた箱に、尻尾が少し…②開けてみたら…③写真を撮ろうとしたら…この所いないときはこの箱に収まって寝ています。隙間が丁度ぴったりで安心できるんでしょうね。やっぱりカワイイ!

 

 

 

 

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土用丑の日

2017年07月25日 | 俳句

 今日は、土用丑の日でした。勿論鰻(うなぎ)を食べましたよ。毎年頼んでいる魚屋さんに今年も頼んでいましたので、それを取りに行って、母や娘たちも一緒に食べました。美味しかったですよ!

   土用鰻店ぢゆう水を流しをり     阿波野青畝

 土用とは暦法で、1年に4回あり、立夏の前18日を春の土用、立秋の前18日を夏の土用、立冬の前18日を秋の土用、立春の前18日を冬の土用といい、その初めの日を土用の入りといいます。しかし、普通には夏の土用を指していい、土用干しをしたり、土用餅を作ったり、また、土用の丑の日に鰻を食べると暑気にあてられないといわれています。この土用丑の日と鰻の関係は、平賀源内または大田南畝(蜀山人)の知恵を鰻屋が借りたことになっています。古くは、鰻は裂かずに口から竹串を刺して焼いたが、その形が蒲(がま)の穂に似ているので蒲焼き(かばやき)とよび、関東では背開きにしてから蒸して焼くが、関西では腹から裂き、蒸さずに焼くらしいですよ。

   土用太郎拗ねたる雨の日なりけり   山田みづえ

 今年の土用の入りは7月20日でした。「土用太郎」とは、その土用の入りを擬人化して言っているんですが、同様に2日目は「土用二郎」、3日目目は「土用三郎」といいます。だから、この句は、その土用の入りの日がたまたま雨だったのでしょうが、それがまるで土用太郎が拗ねてわがままを言ったから降っているのだとか、または、雨が降ったから土用太郎が拗ねているのかもと、諧謔的に詠んでいるのです。擬人法の季語をさらに擬人化してオモシロイですね。

 

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大暑

2017年07月23日 | 俳句

 今日は二十四節季の一つ、「大暑」です。「小暑」の後、暑中に入り、その15日目が大暑、暑さが最も厳しい盛夏の時節となります。ところで、今日の「全国最高気温ランキング」を見てみたら、もうビックリ!です。ナント山口県の萩市が1位で、35.6度。暑いはずですね。

 次の句は、私の歳時記の最初に載っている句です。

   兎も片耳垂るる大暑かな   芥川龍之介

 ウン?この句どう読めばいいのかしら…ちょっと迷って「兎」に他の読み方がないか調べてみました。以前まだ私が駆け出しの頃の話。選句で採らなかった理由を聞かれ、「この句は字余りだから採りませんでした」と言って、恥を掻いたことがありましたから、おかしいと思ったときはまず自分を疑うようになりました。この句も同じです。龍之介ともあろうお方が…と。でも、この句は〈うさぎもかたみみたるるたいしょかな〉でいいんです。要するに、上五が4音で字足らずの句なんです。

 この句、調べてみると、初案は〈小兎も片耳垂るる大暑かな〉だったのが、たとえ字足らずでも「小」なんて言葉は取るべきだと友人から強く主張され、龍之介もしぶしぶ折れて掲句のようになったらしい。でもやはり彼の言語感覚からすると、どうしても落ち着かなかったのでしょう、後に前書として「破調」と入れたそうです。

   芥川龍之介仏大暑かな   久保田万太郎 

 この句は〈あくたがわりゅうのすけぶつたいしょかな〉と読みます。龍之介は、昭和2年(1927)の35歳の時、7月24日の未明に服毒自殺をしました。大体毎年7月23日頃が大暑ですから、この暑さの中で親交のあった龍之介が仏になったことを悼んで詠んだ弔句なんです。

   水洟や鼻の先だけ暮れ残る

 自殺直前に書いた色紙のこの句が龍之介の辞世の句となっています。短編小説『鼻』を夏目漱石に激賞されて、作家への道が開けたことを思えば、何か因縁的なものを感じますね。龍之介は生涯漱石を尊崇していたそうですから。でも、この句の「水洟」は冬の季語なんですよ。どう考えても真夏に冬の句を詠むのはおかしいでしょう。もしかしたら龍之介は2年ほど前から自殺を考えていたそうですから、この句も前に作っていて死ぬときに書き残そうと思ったのではないかしら? ちなみに、忌日は俳号が我鬼なので「我鬼忌」とか、晩年の作品『河童』から、「河童忌」とも言います。

 我家のテンはもうかなりの年なので夏バテ、食べたものを吐いたりして…どこか涼しいところを見つけて隠れています。これは他所の猫チャン。〝我が輩はまだ若いんだから…〟と、この暑い中を出歩いていますよ。

  

  

 
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牡丹臭木(ぼたんくさぎ)

2017年07月22日 | 俳句

 我家の困った存在で、〝牡丹臭木〟という植物があります。ここに引越してきた時からはびこっていました。名前の通りあの「臭木」と同じ匂いでとても臭いです。でも花は、「牡丹」と名が付いているように、とてもきれいで匂いがいいんです。だから見るだけなら大丈夫!

 

 最初きれいな花が咲くので放っておいたら、どんどんはびこってきて、そこら中がこの木に占領されそうで、抜いたんですが、どうもあの十薬のように根が地中では縦横に伸びているのか、抜いても抜いてもまた出て来ます。困ったもんです。

 最初名前が分らず、この臭さも、葉も似てるから、もしかして「臭木」の一種? でも時期が違うしと思って調べてみたら、〝牡丹臭木〟と分ったんです。中国南部原産の落葉低木。暖かい地方では観賞用に植えられ、高さは1メートルあまり。臭いや葉の形や付き方など、みな臭木と同じですが、花だけが違うもの。日本には庭木や薬用として持ち込まれたらしい。でもこれは季語にはなっていません。

 しかし、「臭木の花」は初秋、「臭木の実」は晩秋の季語になっています。クマツヅラ科クサギ属の落葉高木で、山野の日当たりのよいところに自生する。枝や葉を傷つけると悪臭がするが、若葉は食べられるという。でも、あの臭いを知っていたら食べる気はしないと思うのですが…。しかし、枝先に群がり咲く白い花は香りがよく、赤い萼とのコントラストが印象的で、山などを歩いているとこの花や実に直ぐ気が付きますよ。庭木などに植えられることはないので、山などへ行かないと写真は撮れません。でもまだ早いから咲いてないかな?今度気が付いたら写真撮ってきますからね。待っていて下さい。

   行き過ぎて常山木(くさぎ)の花の匂ひけり   富安 風生

   逃ぐる子を臭木の花に挟みうち        波多野爽波

 

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今日の兼題〝蟬〟

2017年07月21日 | 俳句

 福岡・大分の集中豪雨から、一転して今度は真夏日…、毎日毎日暑いことですね。でも、蟬にとっては願っても無い暑さなのでしょう。毎日飽きずに朝早くから鳴いていますもの。

 俳句では〝セミ〟は「蟬」と書きます。俳句をされない方は殆ど「蝉」と書くでしょうね。私も俳句を始めて、この字を書くようになりましたし、人にも教えるようになりました。以前ワープロを使っていた時、「蝉」と言う字しか無かったので、そこだけ手書きで入れていたのも懐かしい。「鷗」という字も同じで、「鴎」ではいけないと…。

 そもそもの〝セミ〟の字は「蟬」で、「蝉」は俗字。だから間違いというのではないのですが、俳句は韻文であり、文語を使うのが原則(これは我が結社での話で、他結社ではいろいろあると思いますが…)だと考えれば、正字を使うというのが当り前ということなのでしょう。「單」は、はじき弓の象形で、羽をふるわせて鳴くと言う意味。それに虫偏がついて、〝セミ〟と言うことなんです。

 今日の兼題は「蟬」、もちろん夏の季語です。でも、「蜩(ヒグラシ)」や「法師蟬」は秋の季語になります。昨今の地球温暖化で何事につけ早まっていますので、結構早くから鳴いていますが、だとしても、やはりあの蜩や法師蟬の声には、夏から秋への移ろいを感じさせてくれる一種の清涼感があるものですから、初秋が似合うでしょう。

  蟬鳴いて夫婦いさかひ恥づるかな

 誰の句と思いますか?ナント井原西鶴なんです。私は西鶴とは、「好色一代女」や「日本永代蔵」、「世間胸算用」などの作者というイメージしか持っていなかったので、ちょっとびっくりしました。でも、知らなかったのは私だけかも…恥ずかしい!

 百科事典で調べてみると、まず〝俳人〟とありました。15~16歳ころから貞門俳諧に入り、のちに談林派に転向。矢数俳諧に活躍し、1684年住吉社頭で一昼夜2万3500句を独吟。二万翁、二万堂と自称したという。俳諧集なども刊行している。1682年『好色一代男』を刊行して浮世草子を創始したと。面白いことに、西鶴は1642~1693、芭蕉は1644~1694と、殆ど同時期に生きていたということ、そして貞門派から談林派へというのも同じなら、もしかしたらどこかで接点があったのでは…と調べてみるのもオモシロイかも。もし知っていらっしゃる方がおられれば教えてくださあ~い! 

 この写真は「空蟬」。(暗かったのでフラッシュで撮影) これも夏の季語です。要するに〝蟬の抜殻〟。 

  梢よりあだに落ちけり蟬のから   松尾芭蕉

  岩に爪たてて空蟬泥まみれ     西東三鬼 

 

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テンプレート替えました〝西瓜〟

2017年07月19日 | 俳句

 今日も暑そうですね。夏なんだから〝暑い〟のは当り前と、俳句では言うでしょうに。分っていてもやっぱり…電話なんかも「毎日暑いですね~」から会話が始まりますもの。

 テンプレート、また替えました。度々替えるのは移り気な人のようで余り好まないのですが…でも、俳句していれば季節に敏感でなくちゃね。「紫陽花」はもう盛りが過ぎましたから、今度は「西瓜」です。

 私の生徒さんでもかなりの人が、「西瓜」を夏の季語だと思っています。違うんですよ。初秋の季語です。説明はいらないでしょうが、私が子供の頃は8月に入って、畑に西瓜を採りに行ってました。特にお盆の頃が一番美味しくて…それが、今ではハウス栽培でどんどん早くなり、ついにはお金さえ出せば真冬でも食べられるという時代になってしまいましたが、それが果たして幸せなのか…。

 私の母がこの西瓜が何よりの好物で、だから毎年欠かさず作っていたのですが、いつ頃からか作るのを止めてしまいました。歳のせいもあったでしょうが、きっと気候のせいでよい西瓜が出来なくなって…買った方がましだと思うようになったからでしょう。確かに今時は糖度が〇度とまで表示されていて、…アッ、これはカット売りですが…甘くない西瓜は売れないですからね。でも母は叩いてみてその音から〝これはまだ早いよ〟とか〝これは過ぎていて棚落ちだよ〟とか言っていましたが、みな当っていました。その母も昨年11月に他界して…初盆には勿論西瓜を供えます。

 俳句では先取りが好まれます。8月7日はもう立秋ですから…西瓜のテンプレートもいいかと。母譲りで私も西瓜が大好物ですもの。

   三人に見つめられゐて西瓜切る   岩田由美

 今は少子化で西瓜も丸ごと買わない人が多いので、こんな場面も少ないでしょう。でも我が家では昔多い時は10人はいましたから、母の手にみんなの目が集中して切りにくかったと思うのですが、でも母は上手に切っていましたね。子供が多かった分どれを取っても差がないようにと、それが〝母心〟というものでしょう。それに比べると今時のニュースでは、ナント3ヶ月の赤ちゃんを…もう書くのも嫌になりますので止めますね。オゾマシイ!

 昨日旦那が〝重い、重い!手が千切れそう…〟と言って買ってきた西瓜です。今我家は3人ですから、当分食べられます。でも大好きだし、水気ばかりでお腹に溜まらないので、すぐに無くなりますよ。ご心配なく!

 

 

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今日のお題は「麦茶」

2017年07月18日 | 俳句

 今日は句会でした。朝から曇りで、段々空が真っ黒になってきて…雨がと思いきや、今度は日が差してきました。洗濯しようかどうしようかと悩んでいましたが、大丈夫そうなので思い直して、洗濯して、それを干してから出掛けました。家に戻って夜のテレビを見ていたら東京では雹(ひょう)が降ったというニュース、こんなに大きな…と手に持って見せていましたが、今時の天気はホントに何が起るか分りませんね。コワイ、コワイ!

 今日の兼題は「麦茶」。夏の季語で本題は「麦湯」です。江戸時代の末に麦湯売りの屋台が出現して、明治になって家庭でも作られるようになったもの。だから昔の例句は殆ど出ていませんでした。

   惜敗の手が次々と麦茶取る   奈良文夫

 「惜敗」というからには、何かのスポーツ、例えばラグビーやサッカーのような、いや野球などでもいいけど、とにかくここは多人数でする野外のスポーツがいい。接戦の末に負けた悔しさが「惜敗の手」に感じられる。男の逞しく日焼した手が次々と麦茶に伸びてきて、そこだけがクローズアップされるというような場面で、そこには日焼の色と麦茶の色が重なって余計に暑さが感じられる。私もこんな句が詠んでみた~い!

 我が教室も負けてはいませんでしたよ。ここに載せると投句出来なくなるので書きませんけど…。

 ちょっと問題になった句を見てみましょうか。〈麦茶飲むグラスの底の空青く〉ですが、

 「どうやってグラスの底が見えるの?」「グラスを傾けて…」「麦茶が顔にこぼれない?」「エエッ!飲んでしまってるからもう…」「でもこのように詠んだら、そうなりますよ」と、こんなやりとりをしました。(笑)

 「麦茶飲む」が今で、「グラスの底の空青く」も今、同時進行ということで、おかしくなるのです。だから「麦茶飲みし」などと言わなければいけないのですが、それでは報告臭くなるし…と、作者も考えたそうで、「飲んでまったことが分る言い方はないんでしょうか?」と。

 そうなんです。そこに気が付けばまず第一段階はクリアです。次は「グラスの底」が相応しいかどうかということ。要するに、底からしか空が見えないのかということなんですが、麦茶が空っぽになったので透けて見えたということなら、底に限らなくてもいいのではというのが私の意見です。それで、次のように。

   麦茶干すグラスに透ける空青き

 でももう一歩ですので、これを推敲すると、最終的には次のようになりました。

   麦茶干しグラスを透ける青き海 

 いかがでしょうか。こうすると、場面は海岸…海の家とか海水浴場とか、そこで麦茶を飲んで空っぽになったグラスを通して海を見ているということになりますね。リズムよく締りもでてきて前句よりよくなったでしょう。

 夕方また、黒雲が湧いてきて、今にも雨が降りそうになったので急いで帰りました。だって、洗濯物が…

 でも、大丈夫でした。まだ明るかったので、ブルーベリーを収穫したんですが、今年は結構成っていましたよ。ホラ!これ見て下さい。 おいしそうでしょう!

 

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スズメ

2017年07月17日 | 俳句

 先日、句友から一冊の本を頂きました。『にっぽんスズメ散歩』という本です。

 ページを開くと2羽のスズメの大きな写真に添えて、「はじめに」と題し、本書はスズメの写真をテーマごとに構成した写真集『にっぽんスズメ歳時記』『にっぽんスズメしぐさ』を出版されていた中野さとるさん(愛知県)に加え、宮本桂さん(三重県津市)、熊谷勝さん(北海道室蘭市)、井川祥宏さん(愛媛県四国中央市)、片柳弘史さん(山口県宇部市)の協力を得て、5人のそれぞれの身近な場所で独自の観点と手法でとらえた写真、〝スズメワールド〟を紹介しますとあります。

 雀は私たちの一番身近にいてどこででも見られる野鳥です。俳句でもよく句材に使われていますし、季語としても色々とあるんですよ。もちろん雀だけでは季語になりませんが、「雀の子」といえば春、「稲雀」なら秋、「ふくら雀」または「寒雀」は冬です。残念ながら夏はありませんが、変わった季語としては「雀化して蛤となる(すずめかしてはまぐりとなる)」という秋の時候の季語や草が伸びた様をいう「雀隠れ」(春)という季語なども。さらに雀そのものではないのですが、雀の字が付いた季語もたくさんありますよ。植物では「雀の鉄砲」(春)「雀の帷子(かたびら)」(春)「雀麦」(夏)「雀の稗(ひえ)」(秋)など、動物では「雀蜂」(春)「雀魚」(春)「雀の担桶(たご)」(夏)、生活では、「雀小弓(すずめこゆみ)」(春)「雀鮓(すずめずし)」(夏)などです。調べればもっとあると思うのですが、これらは昔から雀が人間と共存して生きてきたという証でしょうね。また、年が若くて未熟なことを〝嘴が黄色い〟といいますが、写真を見ると本当に子雀たちはみな黄色です。私も野鳥の会で鳥を観察したりした時、鳥の世界というのはすごいなあ~と思うことが度々あり、こんな小さな鳥たちから学ぶこともたくさんありました。

 「子雀」で詠まれた句では、あの有名な一茶の句がありますね。

 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る

 「親雀」だけでも春の季語です。

 飛びかはすやたけ心や親すずめ  蕪村 (やたけ心…猛り勇む心)

 先程の本に戻りますが、5人の写真家の中の片柳弘史さんという方は、山口県宇部市にあるカトリック教会の主任司祭を務めておられ、この本をくれた句友はその教会の信者なので、その関係で下さったんだと思います。だから、この写真の中にはもしかしたら馴染みのあるスズメもいるかも…などと思ってみるととてもカワイイですね。片柳さんのお気に入り写真の1枚がこれですって。(勝手に掲載してゴメンナサイ)

 わりなしや痩せて餌運ぶ親雀  御風 (わりなしや…けなげだなあ)

 この句がぴったりの写真でしょ!片柳さんは、子スズメに餌を与える親スズメの目には愛が宿っているようで…と仰っているのですが、こういう目線で撮影できるということは、あのマザー・テレサに神父になるように勧められてこの道を選ばれ、幼稚園の講師や刑務所の教誨師などもなさっておられるという敬虔な方だからでしょうね。他にもとっても素敵な写真がありましたので、このブログで紹介したいのですが…。私が付けたネーミングの「雀の砂風呂」や「雀の水鏡」などの写真、とっても可愛いいんですよ!(笑)ここに載せられないのが残念です。 

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梛(なぎ)

2017年07月16日 | 俳句

 先日、山口市で吟行があった時、みんなに「この木、わかる?」と聞いてみると、誰も知りませんでした。「これはね、梛といって、葉に特徴があるんですよ。よ~く見て…」「エッ!普通の葉のような葉脈がない…」

 そうなんです。「梛」は、マキ科ナギ属の常緑高木で、雌雄異株。葉は楕円状披針形で、針葉樹だが広葉樹のような葉型をしている。5月頃開花して丸い青い実を付け、10月頃それが黒く熟します。私たちが行ったのは5月中旬でしたが、木の下にはまだ黒い実が無数に落ちていました。

 私が初めてこの「梛」という木を知ったのは、昨日書いた「其中庵」なんです。この木が植えてあって、説明が書いてありましたので分ったんです。一度知ってしまうとあちらこちらで見かけるようになりました。

 何年か前に、大津市坂本の「日吉大社」に行ったとき、結婚式があったらしく、そこでこの「梛」の苗を配っていましたので聞いてみると、この地方では夫婦円満を祈ってこのように配るんですと。

 この梛の葉は普通の葉と違って、葉脈が縦方向のみにあるため、縦に引っ張っても容易に切れないところから夫婦円満や縁結びのお守りとして使われいる。または、名が「凪」に通じるところから船乗りに信仰されるとか、「薙ぎ払う」に通じるところから災難除けとも。その日吉大社では「梛守」といって、雌雄一対の葉が入っていて、二人で持ってお互いの円満を祈るお守りとして売られているんだそうです。

 先日100円均一の店に行ったら、この「梛」の鉢植えがありましたので、早速買いました。イヤ、これは100円じゃなかったですよ!300円。まだ実の殻が付いていたりして、カワイイでしょ。

 こんなことなら山口に行った時、誰かが実を拾ったりしていたけど、あれ植えてみたら芽が出たかも、残念!今度見つけた時はそうしてみようかな。

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山頭火

2017年07月14日 | 俳句

 

 新山口駅の新幹線側南口に出ると、自筆(復元)の句が刻まれた山頭火の像が迎えてくれます。その句はこれです。

   まつたく雲がない笠をぬぎ

 自由律俳句なので、リズムも5/5/5、季語もありません。以前にも書きましたが、ここ小郡には山頭火が一番創作に身の入った6年余りを過ごした「其中庵」(ごちゅうあん)がありますし、「山口市小郡文化資料館」では山頭火の常設展示を行っています。出生地は山口県防府市ですからそちらの方にもいろいろと山頭火にまつわる史跡が残されています。また、句碑は生家跡のある防府市内だけでも80基あまり、今や全国では500ヶ所を超えるほどの人気者なんですが、以前私が俳句を始めた頃に聞いた話があるんですよ。当時の指導をして下さっていた先生なんですが、「今思えばあれは山頭火だった違いない。誰彼無しにお金をせびって、僕の所にも来て、全くの乞食坊主だったね~」と仰っていました。その先生ももうとっくにいらっしゃいませんので、あの世では山頭火と俳句談義でもなさっていらっしゃるかも。でも、私は今こうやって伝統俳句を学んでいるんですが、山頭火にはどこか惹かれるところがあって、好きなんです。特に、「前書きなしの句というものはないともいえる。其の前書きとは作者の生活である。生活という前書きのない俳句はありえない」という彼の言葉には納得!山頭火の生き様が死後人々に知られるようになって、ますますその「生活を前書きにした」句というのに心を打たれるんです。
 山頭火が他界の半年前に出した代表作『草木塔』の冒頭には、「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」と刻んでいます。10歳の時の母の死からスタートした彼の〝心の旅〟がここで終わったのかも知れませんね。最後は、松山の「一草庵」で句会が催されていた時、山頭火は隣室でイビキをかいていたそうで、仲間たちはまた酔っ払って寝ているものとばかり思い込み、起こさずに帰ったと…。でもなぜか気になった者がいて、早朝に尋ねていってみるともう亡くなっていたんだって。享年57歳。本人が願った〝コロリ往生〟でしたとさ!次が辞世の句ですが、きっと山頭火は雲になっていったんでしょうね。だから、雲を見ると…、時雨もですが、山頭火を思います。

   もりもり盛りあがる雲へあゆむ

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