ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

暑い日の葬儀でした!

2019年07月30日 | 俳句

 今日は朝からカンカン照りの、暑い日でした。山口の最高気温は35度と、今年一番の暑さ。でも、宇部は30度でまだ我慢できます。

 実は私が30年以上も勤めていましたU学園の元理事長が、27日に亡くなられて、その葬儀が今日の12時からありましたので、参列しました。享年89才。学校葬と会社葬の合同でということでしたので、もちろん斎場は一杯。車も停めるところがないくらいでした。懐かしい方々の顔も見かけましたが、人が多すぎて話す余裕もなく出棺になりました。後はもうそれぞれで解散ですし、暑かったのですぐに帰宅しました。

 できれば懐かしい人たちと思い出話でもしたかったんですが…やはりこういう場では気が引けます。挨拶と簡単な近況ぐらいで…先輩の女先生たちには会いましたので、今度いつかゆっくり同窓会、いや同僚会でもしましょうよと言って分れました。だって私の新婚時代から子育て奮闘時代、後半の闘病生活とみな一緒に過ごして知っていますから、話し出したら尽きることがなさそうですもの。〝いつか〟に期待して待ちましょう。

 しかし、葬儀は、こういう盛大な儀礼的なものより、こじんまりとして故人を偲びつつ話が出来るようなものがいいですね。現役の役職であったりすると、そうも行かないのかも知れませんが…。だから今では家族葬が多くなったんでしょう。そろそろ自分の終活も考えておかないとと思ってしまいました。まだまだと思っていても、そんなに遠いことではありませんもの。エヘッ

 そういえば最近は殆ど「清めの塩」を渡されたことがないですね。以前は必ず会葬御礼に付いていましたから、家に戻るとその塩を振りかけてから家の中に入っていました。そのうちこの塩を入れず、会葬御礼にその理由を書いてあるものが増えましたが、最近ではそれも無くなったようです。この風習は意外と早くなくなりそうですね。今日久し振りに葬儀に参列して何とも思わずに帰ってきましたが、ブログを書いているうちに思い出して、〝アレッ、塩は今頃どうなったんだろう〟と、気がついたんです。要するに〝死〟は穢れとして忌み嫌うものではなくなったということでしょうか。これは宗教や宗派によって違うのかも知れませんが…。

 ところで、今日7月30日が忌日の文人は、歌人・小説家の伊藤左千夫、小説家の幸田露伴、小説家の谷崎潤一郎の三人でした。

  左千夫忌の近しと茂吉生家訪ふ        加藤三七子

  片減りの墨の歳月露伴の忌          成瀬櫻桃子

  老いてこそ姉妹美し谷崎忌          三木敬子

 今日の写真は、〝時計草〟、夏の季語です。最初のには蕾がたくさん…そして、花…最後のは実です。

 

  

 

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〝雷〟と〝夕立〟

2019年07月29日 | 俳句

 今日の午前中は晴れで、山口の最高気温はナンと34度。しかし、宇部は30度ぐらいでしたが、午後からは曇り。ところが、3時ごろ急に空が真っ暗になったかと思うと、突然〝バリバリッ、ドーン〟という地響きがしました。ビックリして主人に〝今のは…雷よね〟というと、〝どうも近くに落ちた感じじゃの~〟と。すると今度は、ドーッと一斉に大粒の雨が降りだしました。要するに雷雨なんですが、これも夕立になるんでしょうね。だってしばらくすると止みましたから。

 さて、「雷」も「夕立」も夏の季語です。

  はたゝ神七浦かけて響(とよ)みけり      日野草城

  さつきから夕立の端にゐるらしき       飯島晴子

 草城の句は、「はたゝ神」が季語で、激しい雷のこと。「響む」は鳴り響くこと。この句では雷の激しさが〈七浦かけて〉でよく表わされています。この〈七浦〉というのは地名ではなく、7つの入り江、または7と限定しなくても〝たくさんの〟という意味にとってもいいでしょう。入り組んだ湾の全てに行き渡ってゴロゴロと鳴り響く激しい雷なんですよ。とにかくこの句のように簡単に言えそうで言えないのが俳句の難しいところ。名句といわれるものほど単純明快な句が多いですね。結局余分なものを削ぎ落としていかにスリムに、しかも焦点はしっかりと合わせて詠む。その上で心に語りかけてくるものがいいと。そんな句が詠めればどんなに嬉しいことでしょうが。

 晴子の句も平明で、何げなくボソボソッと呟いたような句ですが、奥坂まやさんの書かれた『飯島晴子の百句』の中の、この句の頁を読むと、そうそう簡単に何の苦労もなくできた句ではないということが分かります。参考までにみなさんにも紹介しますね。

 晴子は「私の俳句技法」に、「つくらねばならないという状態に気持を強く集中することが第一」で、そのためには「他力、即ち締め切りが最も有効」「作句に入る前には必ず吟行する」「俳句をつくる必要のないときは、何に出会っても一句が成ったという覚えは唯(ただ)の一度もない」と断言している。

 掲句も、投句のために近所を吟行した際、雨が降ったり日が射したりしていた景を「何とか言葉にしようとして『夕立の端』という言葉を得た」と記すように、一心不乱の精神がもたらした写生句。

 ついでに言いますと、俳句では「夕立」を普通は「ゆうだち」と読みますが、音数の関係で「ゆだち」とも読みます。「夕焼」も同じく「ゆやけ」と。こういう特殊な読み方には慣れるしかありませんので、せっせと使って詠んでみることですね。さあガンバロウ!

 

 

  

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〝土用鰻〟食べました?

2019年07月28日 | 俳句

 昨日は〝土用の丑(うし)の日〟、久し振りに義母の処に集まってみんなで鰻(うなぎ)を食べました。

 この日については以前のブログにいろいろ調べて書きましたので、今回は簡単に…

 本来は春夏秋冬の最後の18日間を「土用」といいますが、通常は夏の「土用」を指します。だから立秋前の新暦7月19日ごろからがそうで1年の最も暑い時期に当たります。その土用期間中の「丑の日」(今年は7月27日)で、その日に食べる鰻を「土用鰻」といい、これも夏の季語なんです。栄養価の高い鰻を食べて英気を養うというのも一種の〝暑気払い〟になるのかも知れませんね。

  ひと切れの鰻啖(くら)へり土用丑       石塚友二

 石塚友二(いしづかともじ)は、明治39年(1906) 生まれ、昭和61年(1986)79才で没。新潟県出身の俳人・小説家・編集者。北蒲原郡の笹岡尋常高等小学校高等科卒業。農業学校を出て家業の農業に従事したのち、1924年に叔父を頼って上京。

 俳句は、当初秋桜子の「馬醉木」に投句。1937年、石田波郷を主宰として「鶴」を創刊、発行編集者となり、のちに波郷が応召された際には代選も務め、1969年に波郷が没してよりは同主宰を継承。代表作に「百方に借りあるごとし秋の暮」などがあり、日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた人。(Wikipedia参考)

 経歴をみても分かるように、友二は決して裕福な生れではありません。師であった石田波郷は、作者の根底にあるものとして「庶民道徳としての倫理観」を指摘していますが、この句も〈ひと切れの〉に、庶民感情がよく出ていると思いませんか。当時とすれば「鰻」は高価な食べ物、それが土用丑の日ともなればさらに値が張ったことでしょう。また、当時はまだ天然ものが主流で、今のようにスーパーなどで安価な外国の養殖ものが手に入るような時代ではなかったんですよね。彼には他に〈遣り過す土用鰻といふものも〉という句もあります。この〈…というものも〉という表現に込められているのは、土用鰻どころではなく、他のものでもという、庶民にはそうそう簡単に手に入らないものが多くあって、それを諾って暮らすしかないのだという…諦観とも自嘲的ともいう感情が底辺にあるのではないでしょうか。恵まれた生活ができるのは極限られた人ばかり…という諷刺的なアイロニーも込められているのかも。だから、せめて〝ひと切れ〟でも食べられるのはまだましな方…。それが単純に「食べたり」などとせずに〈啖へり〉という語を用いたところに込められているような。実はこの「啖」という字は〝むさぼりくらう〟という意味なんですからね。分かるでしょ!

 でも、今でも鰻は高いものにつきますよ。一家中で天然物を食べようとすれば、ほら…。アハッ! もちろんこの写真の鰻は天然もので、鹿児島産ですって。毎年買う鮮魚店に予約していたものですから。ああ、美味しかった!ゴチソウサマ。 (写真写りがちょっと悪かったかしら…🙇)

 

 

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〝触らぬ虫に祟りなし〟

2019年07月26日 | 俳句

 もうこれからしばらくは雨とは縁がなさそう…。う~ん、これも困りますよね。だって鉢物は水やりを忘れると枯れてしまうもん!というほど鉢は育てていないんですが…。

 〝イタッ!〟〝エエッ、何?〟〝ヤバイ!〟

 これ何だと思います?今朝のことです。主人が朝早くからゴルフに行きましたので、久し振りに私がゴミ出し…いつもは主人の担当ですもの。エヘッ…

 それからがいけませんでした。まだ朝ですから風が吹いて気持ちがいい!あら、揚羽蝶が…柿の木に近づくと今度は蟬が飛んで逃げました。アレ?と耳を澄ますと近くから確かに〝キョッキョキョカキョク…〟、わあ~ホトトギスの声!ヤッター、ルンルンルンと…見回すとわが家の庭はどこもかしこも草茫茫。と、ここからちょっとのつもりで草を抜き出したのはいいのですが、取っても、取っても…つい、2時間が過ぎていました。

 主人は必ず庭仕事をする時は軍手をしますが、私はめったにしないんです。要するに〝片手間〟にちょこっとするつもりだから、めんどくさがってしないんです。それがいけません。大抵片手間でなく本業になってしまう…そういう自分の性格は分かっているのにやってしまうんです。

 だからほら、まず蚊にまびりつかれ、つぎは蟻んこにチクッとさされ、そのうち何か分からない虫にも…。草取りをするときは、長袖シャツ、帽子に軍手、ついでに虫除けスプレーを、と完全武装しなくっちゃダメだと分かっているんですけどね。ゴミ捨ての帰りの気分の良さにつられて、散々な目に合いました。でも、少し草がなくなって気分的にはまあまあかな。

 その後昨夜の風呂に高温たし湯をして、ザブンと…ああ、いい気持ち!午後からはフラダンスに行きました。

 ところで、昨日またブルーベリーの収穫をしたんですが、先日の虫に懲りたので、長い手袋をして気を付けて採りました。ところが、指先だけが出ている手袋でしたので、その僅かな親指をまたまたやられました。〝イタッ!〟と言ったときはもう手遅れ。チカチカッと針で刺す痛み、すぐに虫刺されの〝キンカン〟を塗ったんですが…。朝見ると親指が腫れてしびれています。もう、嫌になります。この手のゲジゲジのような虫はたちが悪い!ホント〝触らぬ虫に祟りなし〟ですよ。でも、虫からすると〝触る方が悪い〟と言っているんでしょうけどね。

 写真は「かたつむり」、いつどこから???我が家の玄関にいました。かたつむりは大型で5年、小型で1年ぐらいの寿命ですって。これは4㎝ぐらいだから大きい方でしょう。ならまだ大丈夫かもね、と言って外に逃がしてやりました。前にもよく似たのが外に居ましたから仲間かしら?

 

 

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〝朝顔〟の季節は?

2019年07月25日 | 俳句

 今日も30度の暑さ…でも昨日までと太陽の日差しが違いました。洗濯物を干しに出たとき、皮膚がヒリヒリするほど照りつける日差しが強かったんですよ。こりゃイケン!とすぐに帽子とUVカットのシャツを…でも、日陰に入ると風が涼しくて心地よく、まさに夏の到来という感じになりました。

 今日の午後は俳画教室、当番でしたので30分ほど早く出掛けましたが、車の中はやはり34度と暑かったです。

 今回の画題は「朝顔」でした。花を描くのが意外と難しく、私もですがみんなも四苦八苦しているようで…下手に描くと何の花か分からなくなるんですものね。(笑)

 ところで、俳句での〝朝顔〟は秋の季語なんですよ。知っていました?

 先日7月5日付Y新聞のコラムに、朝顔の句について書いたのがありましたので、ちょっと紹介しますね。

 朝起きて井戸に水をくみにいくと、釣瓶に朝顔のつるがからみつき、花を咲かせていた。それを外して水をくむのは忍びない気がして、近所からもらい水をした。句意から先に書いてみた。江戸中期の俳人、加賀千代女の作である。〈朝顔につるべ取られてもらひ水〉すがすがしい朝の心地がするとともに、小さな命へのやさしさが何ともいえない。(中略) 先の句にはもう一つ、やや表現の異なるものがある。千代女は30代半ばを迎えた頃、こう詠み直している。〈朝顔やつるべ取られてもらひ水〉。や、と感嘆することで、ふいに出会った朝顔の美しさへの感動を伝えたかったのだろうといわれている。気象庁によると、大雨を伴う梅雨前線は7月中旬まで列島を横切る今の形を変えないという。不快なだけでなく、危険もはらむぐずついた天気との付き合いはしばらく続く。清冽な空気の中、朝顔に感嘆する夏が待ち遠しい。

 さてさて、このコラム通りに梅雨前線で天気はぐずつきましたが、今年はそれほど大きな災害もなくて無事梅雨が明け、夏がやって来ました。先日の兼題「夏休み」の句にも〈夏休み名札付けたる鉢並び〉というのがあり、みんなすぐに〝朝顔〟の鉢を連想していましたものね。

 このように今では誰もが〝朝顔〟は夏の花だと思っているでしょう。これも地球温暖化のなせるワザでしょうか。だんだん現実と合わなくなった季語が増えています。やはり時代とともに歳時記の見直しは必要になってくるのでしょうね。ちなみに、東京入谷の鬼子母神の境内で7月6日から8日まで開かれる〝朝顔市〟は、当然夏の季語ですが、写真などで見るともうしっかり花が咲いているのを売っていますからね~。

 写真はお借りしました。いつか機会があれば〝朝顔市〟を是非見に行きたいものです。

 

 

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〝じいじ〟と〝じじい〟

2019年07月24日 | 俳句

 今日気象庁が、山口県を含む九州北部地方の梅雨明けを発表しました。昨年より15日、平年より5日遅いそうです。しかし、梅雨入りが6月26日で、平年より21日遅かったため、梅雨の期間は1ヶ月もなかったんですと。

 というわけで、今日も最高気温は30度。午後からは健康体操、その後整形のリハビリへ行きました。昨日よりは少し湿度が低くなったのか、それほど不快感はありませんでした。洗濯物もこれで解消と…少々暑いぐらいはガマンです。

 昨日の兼題「夏休み」で出た句、ちょっと紹介はできないのですが、〝じいじ〟という語が用いられていました。夏休みに孫が帰ってきて、〝じいじ〟と遊ぶ場面でしたので、私が、〝爺ではいけないの?〟というと、〝先生、「じいじ」は広辞苑にも載っているんですよ〟と言われました。

 へエッ、ホント?と言って調べてみますと、〝(ジジの長音化)祖父を親しんで呼ぶ幼児語〟と。すると誰かが、〝いの入る場所が変ると、とんでもないことになりますよね~〟と言う。確かに〝じじい〟となると、広辞苑にも〝「じじ」をののしっていう語〟とありますもの。もちろん〝ばあば〟と〝ばばあ〟も同じです。

 Sさんが、〝小さいときはばあばと呼んで可愛かったのに、中学生になるとばばあといって逃げる…ホントに悔しいんですよ〟というので、みんなで大笑い。同じ言葉なのにちょっとした言い方で変りますね。

 発音の仕方でも…例えば〝ハイ〟という語でも、〝ハ~イ〟と高い声で言うときと低い声で〝ハイ〟と言うのは全くニュアンスが違いますものね。〝はし〟でも語尾を上げるか下げるかとか…まあ日本語には音は同じでもアクセントで意味が違うものがたくさんあります。だから日本語は気を付けて使わないととんでもない誤解を招くことがあるんですよ。だったら17音しかない俳句にどんな言葉を用いるかで句の雰囲気がガラッと変わるというのは頷けるでしょう。

 今回の中の初心者の句に〈夏休み郷の土産は孫の顔〉や〈夏休み黒白顔の登校日〉というのがありました。

 前句には〝郷から孫を連れてきたの?〟、後句には〝白と黒の斑な顔になっていたの?〟と、ちょっと意地悪な質問をしましたら、作者がビックリして…。そうなんです。前句は〈…郷の土産は…〉、後句は〈…黒顔…〉と言うべきところを、中七に合せるためにこうしたんでしょう。初心者には良くあることなんです。

 だって俳句は中七と下五の字余りは極力避けること(時には絶対ダメという場合も…)と、初心者には指導しますもの。だからこういうことが起こるんですけどね。ゴメンナサイ!

 写真は、〝風船葛〟(ふうせんかずら)で、ムクロジ科の多年草。これ秋の季語なんですよ。でも、もうしっかり風船ができて風に揺れていました。

 

 

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兼題は〝夏休み〟

2019年07月23日 | 俳句

 今日は暑かった!最高気温30度と、久し振りに大台に乗りました。なんせ湿度が高いので、不快指数も高い!午後からの俳句教室に出掛ける時、車に乗ると車内温度はナンと36度と…

 どうにか日曜日を挟んでの句会4連チャンをクリアーしました。これで今月は終り…でも、今からの1週間は原稿書きと添削指導で潰れますし、31日には恒例の〝夏休み子供俳句教室〟がありますので、そうはのんびりとできません。

 さて、今日の兼題は「夏休み」でした。今年は殆どの学校が19日の終業式で夏休みに入りましたので、例年より長い44日間という休みになったんです。ところが、来年からは宇部市も普通教室でエアコンの利用が出来るようになるということで、全小中学校の二学期を1週間早めて8月25日開始と発表しましたので、子供たちはガッカリしていましたね。

  黒板にわが文字のこす夏休み      福永耕二

 以前にも書きましたが、福永耕二は「馬醉木」の大先輩です。いろんな話を今でも耳にしますので、本当に一度お会いして見たかったなあと思います。昭和13年(1938)生れですから、ご存命なら81歳。十分可能な年齢ですものね。

 昭和55年(1980)敗血症に心内膜炎を併発し、42歳という若さで亡くなられていますので、私が俳句を始める7年ほど前です。かつて若手と言われて耕二の指導を受けていた人たちが、現在馬醉木を支えて頑張っておられますので、時々話を聞くことがあるのです。馬醉木にとって本当に惜しい人を亡くしたんだと私にも分かりますから、残念至極。

 せっかくですので、彼についての経歴を書いておきますね。

 鹿児島県川辺町出身。私立ラ・サール高等学校在学中より「馬醉木」に投句。昭和31年(1956)鹿児島大学入学、俳誌「ざぼん」に参加、編集を手がける。その間20歳で馬醉木の巻頭をとる。卒業後地元の高校教師として奉職するも、昭和40年(1965)、能村登四郞の推薦により上京、登四郞、林翔の勤める千葉県の私立市川高等学校に勤務する。昭和44年(1969)「馬醉木」同人。昭和45年(1970)、登四郞の「沖」創刊に参加するも、同年「馬醉木」編集長となる。昭和47年(1972)、馬酔木賞、沖賞受賞。句集に『鳥語』(1972年)、『踏歌』(1980年)、『散木』(1982年)がある。昭和55年(1980)、『踏歌』により第4回俳人協会新人賞を死後に受賞。

 上掲の句は上京してからの句でしょうか。耕二は、登四郞、翔とともに国語教師、且つ俳人として市川高校の三羽烏と言われていました。私もそうですが、昔の夏休みは結構のんびりとできて、教師にとってもいい息抜きができました。最近の先生たちの話を聞くと本当に大変そうです。黒板に残した文字が目に入るのは次の登校日…それまでは何もなければ自宅研修と…それも名ばかりでしたので、好きな俳句作りにあちらこちらと出掛けたんじゃないでしょうか。もちろん母の待つ故郷鹿児島へも帰ったでしょうからね。教師は大変だけど、この夏休みがあるからガマンできると思っていましたもの。いい時代でした。でも、更にその昔は〝教師〟という職業はもっと良かったんですってよ。みんなから尊敬の目で見られて…。

 写真は、我が家の収穫した〝ブルーベリー〟。今年は実がよく生っています。現在この籠の3杯を収穫しましたが、またかなり熟れていましたから、摘まないといけません。しかし、前摘んだとき、知らずにゲジゲジのような虫に刺されてしまって、それがいつまでも痛がゆくてたまりません。今度は気を付けないと…今までのは冷凍していますので、あと何回か収穫してからジャムを作ろうと思っています。できたらブログに載せますね。お楽しみに!

 

 

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ところてんとは〝こころぶと〟だよ!

2019年07月22日 | 俳句

 土曜日は句会、日曜日は先日のみんなの吟行句の選句・選評と自分の作句、その他諸々…で、ブログどころではありませんでした。雨は容赦なく降ったり止んだり…。でも、いいこともありました。あれほど負け続けていたカープが巨人に三連勝、それも見事な逆転勝ちと…主人共々大喜び!試合中は目が離せませんので、いろいろなことがストップですもの。ブログに手が回りませんでした。ゴメンナサイ!

 さて、今日も俳句教室。ここはだんだん人が減って…とうとう私を含めて6人になってしまいました。この先どうなるのでしょう。でも、参加されている人はみんな熱心ですから、私からどうのこうのとは言えません。まあ成り行きに任せるしかないでしょうね。

 兼題は〝心太〟でした。こう書いて「ところてん」で、夏の季語。

 私も最初はなぜ?と思いましたから、やはり同じ気持ちの人がいたんですよ。〈心太文字に惹かれて辞書を見る〉という句が出ましたから。この句はこのままでは季語の〈心太〉が気になります。現実に心太があるのか、それとも字だけを言うために用いられたのかがハッキリしませんから。そのため散文的になって印象も薄くなります。そこで〈心太食べつつ辞書を引きにけり〉とかすると韻文の力がでて、作者の心太を啜っている姿も辞書を引いている姿もしっかり見えてきます。また、言わなくても〝心太〟を辞書で引いていると言うことも想像するのに難くないでしょう。

 ではなぜ〝ところてん〟のことを「心太」と書くのでしょうか。

 そもそもところてんは、日本独特の海藻製品で、奈良時代から食用されていたことが正倉院の宝物中に記録されているそうです。そのところてんの原料の天草が、古く平安時代には「心太」の字を当てて「こころふと」と言われていて、これから作ったところてんも最初は〝こころふと〟であったんですが、それが室町時代に「こころてい」と読まれるようになり、更に「こころてん」→「ところてん」に転訛したものであろうと言われています。そのため文字は昔のままの「心太」が使われて、読むのはところてんと言っているのです。

 今回の最高得点は〈ところてん煙のごとく沈みをり〉で、殆どの人が採っていましたね。もちろん有名な句なんですが、みんな知らなかったんですって。そこで日野草城の句ですよと言うと、〝私たち見る目があるよね~〟ですって。マイッタ!

 この句については、山口誓子が次のように語っています。

 草城の句では寒天がまだ水の中に冷やしてあるときのところてんですね。ところてんは透明ですけれども少し曇ったところがありますね。水の中に寒天が冷やしてありますと、曇りだけが見えるんでしょうね。ところてんそのものが見えないで、曇りだけが見えるんでしょうが、その曇りをですね草城は「煙のごとく」と、曇りを煙と感じたんですね。「ところてん煙のごとく沈みをり」と。
 水の中に煙があるなんてことはあるはずはありませんけれども、水の中に寒天が煙のごとく沈んでると、こういわれますとね、読む人にも煙が見えてきます。水の中に煙が見えてくるわけですね。そして、それがところてんの曇りであるということも分かってくるわけですね。この「煙のごとく」というたとえが、ところてんに即して、如実な表現になっているわけですね。
 俳句ではこういうたとえ、比喩が、非常に大事なことです。比喩がすばらしいといい句になるわけですね。ところてんの句でも「煙のごとく」という比喩が、非常にすばらしいですから、この句が非常にいい句になったわけですね。私が三高時代にこの句を見て非常に喜びましたが、いま見ても非常にいい句だと思って鑑賞しました。
 
 写真は、買って来た〝ところてん〟。我が家には、何か一品欲しいときや小腹が空いたときに食べられるように夏はいつでも冷蔵庫に用意しています。でも今日〈蜜添へてベッドの母に心太〉という句がありましたので、作者に〝葛のように甘くして食べるの?〟と聞くと、〝そう、黒蜜がいいですよ〟と。へエッ!まだ甘いのは食べたことがありませんので、今度試してみようかしら。そうするとこれはデザートになりますね。
 
 
 
 
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〝ありがとう〟という言葉

2019年07月19日 | 俳句

 夕方俳句教室を終えて帰って来ると、雨に混じって少し強い風が…やはり台風5号の影響でしょうか。この2日間はしっかり降ってくれていますので、部屋中が湿っぽくていけません。だから洗濯物が…イヤダ~!

 それにしても昨日の京都アニメーションの放火事件、テレビに映し出される黒煙と炎…最初は死者1名と言っていたのに…もう刻々と変る報道に言いようがありませんでした。〝誰が?〟〝なぜ?〟こんなヒドいことを…でも、どんな理由があろうとも絶対許されることではありません。亡くなられた33名の方(後に34名に)、それに負傷の35名の方々、本人はもとよりご家族の方々へも、この今の気持ちを表現し得る言葉を私は持っていません。書くのさえおぞましい気がしますので、やめます…ただご冥福を祈るのみです。合掌。

 こんなことがあると、何を書いても不謹慎のようで…ゴメンナサイ!でも、書きます…

 今日行く教室は、いつもみなさんの気配りが嬉しくて心があたたか~くなるんですよ。前回はカラフルなおしぼりにカワイイ紙コップ(下の写真。カワイイでしょ。だから一つ貰ってきたの)、それも色や柄違いで〝先生のお好きなものをどうぞ…〟と。お茶はいつも用意して貰っているんですが、今回は温くならないように保冷剤で冷してあったりして、おまけに机にはお土産が置いてありました。先日の夏越大祓(なごしおおはらえ)の茅の輪(ちのわ)に行かれた方が貰って来て下さったお守りと人形(ひとがた)。これはきっと御利益があることでしょう。本当にありがとうございます。感謝、感謝です!

 ところで、この〝感謝〟という言葉、「感」は〝人の心が大きな刺激で動く〟という意味で、「謝」は〝言葉を放つ〟という意味です。それで、大きな刺激を受けて動いた心から放たれた言葉、それが〝ありがとう〟という感謝の言葉になったんです。それではこの〝ありがとう〟はどこからきたのかというと、形容詞「有り難し」の連用形「有り難く」のウ音便なんです。ではもともとの「有り難し」の意味はというと、①めったにない。珍しい②りっぱだ。すぐれている③暮らしにくい④困難だ⑤尊い。もったいない…と。この①と⑤の意味から、感謝の意に用いられるようになったのですが、それは江戸時代の元禄以後なんだそうです。〝この世にありえないような…自分にはもったいないほどの…〟何かを我が身に受けて発する言葉が〝ありがとう〟なんですよ。だから〝ありがとう〟と言える人はいつも謙虚な心を持っている人。ひいては相手を〝尊ぶ〟心を持っている人でもあるんです。だったら人間は感謝の心さえ持っていれば、このようなムゴイ事件は絶対に起こりえないと思うんですが、みなさん、どう思われますか。

 ほら、見て下さい。〝ありがとう〟という言葉は、「美しい日本語ベスト10」(NHKアンケート結果)の第1位ですし、「21世紀に残したい言葉ランキング」や「子供が大人から言われて嬉しい言葉ランキング」でも1位なんですよ。だったら、みんなでこれからはせっせと〝ありがとう〟と言いましょうよ。そうすれがきっと争いや残酷な事件なども少しは減るでしょう。〝ありがとう〟と言われて嫌な気になる人はそうそういないでしょうからね。

 またまた句会のことは後回しにして、他のことを書いてしまいました。ゴメンナサイ!でも明日も句会ですので、それではまた…ね。

 

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秋吉台へ吟行で~す!

2019年07月18日 | 俳句

 今日は昨夜から降っている雨が朝も…先程はゴロゴロッと雷も鳴っていました。週末まで曇りと雨のようで…最高気温も27度~28度。

 昨日は朝9時から仲間と秋吉台(あきよしだい)へ吟行。午前中は晴れていましたので、やはり暑かった!長者が森の周辺を散策して、秋芳洞(しゅうほうどう)の入口までの行程です。まあ、平日ですので人が少ないとは思いましたが、これほどまでとは…。特に、秋芳洞入口までの商店街(?)の至る所が閉店していて、その寂れ方がひととおりではない!ビックリでした。だって2年前に来たときはここまでヒドくはなかったと思うのですが…。

 先日も書きましたが、世界遺産の話、また出ましたよ。富岡製糸工場に行った人が余りにもガラ~ンとしていて、一時の賑わいがウソのようだったと。ここ秋吉台は世界遺産ではありませんが、特別天然記念物に指定された日本最大のカルスト台地であり、山口県の観光資源のドル箱ですのに。

 でも秋吉台はいつもと変わりなく、今は夏ですので緑がいっぱい、その高原の中にあちらこちらと石灰岩が点在して…。この雄大な大自然の景色は季節を問わず本当に素晴らしいです。これはやっぱり来てみなくっちゃ!…分からないでしょうがね。

 駐車場に着き、歩き始めようとすると早速珍しい野ウサギに出合いました。車の音でビックリして逃げていきましたが、あれがまさに〝脱兎の如し〟なんやねえ~と、みな感心。カルスト台の散策路をしばらく歩いて長者が森へ。この森は、 壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落ち武者がここに居館を構えたという伝説があり、その跡地に残る不思議な森なんです。

 

 最初、Nさんが鬱蒼と繁った森の中から〝ヘンな声が…〟というので、みんなおっかなびっくり…でも〝みんなで入ればコワクナイ!〟と森の中へ。 森の中に入るとヒンヤリとして辺りは薄暗く、石が積まれた丘に祠(ほこら)が祀られていて、ちょっと神秘的な雰囲気。すると今日はやたらと夏鶯が啼いて、まるで森の主のようにここから離れません。私たちを警戒しているんでしょうか?

 さて、ここでの季語の蒐集は、夏アザミ、サイヨウシャジン、ネムの花、犬枇杷…花が意外と少ない…揚羽蝶、おはぐろ蜻蛉、糸蜻蛉、空蟬、梅雨茸、鳥では夏鶯に時鳥、雪加、夏雲雀、頬白もいましたが、これは春の季語。ああ、森の木に下がって〝蛇の衣〟もありましたよ。他にもいろいろありましたが、今回は初心者がいましたので、お互いに名前を教え合ったりして、次は秋芳洞へ。

 写真は、秋吉台と長者が森、これは撮り忘れましたのでお借りしました。夏薊の下は赤つめ草で春の季語なんですが、可愛かったので…。最後のはホオジロ、これも小さくて分からないでしょ?春の季語です。飛蝗などもいて、もう春も夏も秋もみんな一緒のよう…。 

 最後の秋芳洞、もちろん洞には何度も入っていますし、入場料も高い(1200円)ので、パスしました。入口だけの雰囲気を満喫し、時間も来ましたので、昼食と句会場の秋吉台国際芸術村のレストラン〝ラルゴ〟へ。

 ここには何度か来ていますが、本当にもったいな~い!と叫びたいです。いつ来てもガラガラ…施設も料理も言うことはないんですが、立地的なものでしょうか。そもそもここは、国内外の芸術家の新たな表現・創作活動を支援する拠点として山口県と秋芳町により整備された施設で、建築家磯崎新の設計によって建築されたものです。環境はバッチリなんですけどね~。知りたい方はネットでどうぞ。

 昼食後、そのままここで当日吟行3句の句会をさせて貰いました。3時過ぎに終って宇部へ戻り、事後投句5句を指示して4時半に解散。

 他にも写真がありますが、今回はこれまで。オシマイ!

 

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〝国旗〟揚げました?

2019年07月16日 | 俳句

 昨日は7月の第三月曜日、〝海の日〟で祝日でした。こちらはいい天気で気温も30度近くまで上がったようですが、東京の方は去年と比べるとぐっと低くて22 ,3  度とか、テレビに海水浴場のガラ~ンとしている映像が流れていましたが…なんとも寒そう!

 毎日昨年のブログが送られてきますのでそれを見ると、西日本では7月9日に梅雨が明けたと、その後は毎日30度以上で、時には35度にもなるという猛暑が続いていたようです。今年はこれからどうなるんでしょう。この異常さは日本全国どこでもなんでしょうか?この調子だと農作物が、特に葉物野菜類が品薄になって高値になるかも。冷夏だとお米も不作になってしまいますよ。どうしましょ!

 ところで、〝海の日〟は以前は「海の記念日」といって、明治天皇が東北巡幸の帰途、当時の優秀船明治丸に乗って横浜に帰られた日を記念して、昭和16年(1941)に制定されたもので、その記念日の7月20日に国民行事が行われていました。それが平成8年(1996)から国民の祝日として「海の日」となり、平成15年(2003)からは7月の第三月曜日になったんです。

  海の日の国旗疎(まば)らに漁夫の町       千田一路

  日の丸を捨てず使はず海の日よ         於久喜代子

 我が家で国旗なんていつ立てたかしら?結婚して国旗を買い、確かに何度かは立てたと思うのですが…。引越しをするとき整理して納戸の奥から国旗が出て来ました。やはり捨てられずにまたこの家に持ってきましたが…まさにこの句の通り〈捨てず使わず〉ですね。それでも昔は(20年ぐらい前?)田舎の方へ行くと国旗の揚っている家がちらほらありましたが、最近ではもう全く見かけません。せいぜい市役所や学校などの公共施設ぐらいでしょうか。

 前句の千田一路氏は、句誌「風港」を主宰する石川県珠洲市在住の俳人。昭和4年(1929)生れですから今90歳ぐらいの方です。昭和29年(1954)に俳句結社「風」に入会し、沢木欣一氏に師事。第31回角川俳句賞、平成10年(1998)石川県文化功労賞を受賞されました。

 この句がいつ頃詠まれたのかは分かりませんが、何処か北陸の漁村でしょうか。こういう町には昔気質の漁師さんもおられたでしょうから律儀に国旗を立てている家があったんですね。でも、それも時代の流れでちらほらとしか揚っていない…なんとも淋しい限りだなあと…。

 昨日は着付教室のある呉服屋さんのファミリーセールということで、娘と行って、目の保養をしてきました。今日は昨日が休みでしたので整形のリハビリへ。結構暑かったのですが、それでも28度ぐらい…30度を超えることはありません。この二日間はしっかりと洗濯物も乾きましたし、まずまずですが、明日はどうでしょうか。実は明日は秋吉台へ吟行に行くんですよ。だから心配で…。予報では午前は晴れるが昼過ぎからは曇り、地域によっては雨や雷雨の所もと。まあ、気にせずに行きましょう。俳句は何でもOKなんですから。

 写真は、〝牡丹臭木〟(ぼたんくさぎ)です。いつもはあちらこちらに咲いて困るぐらいですのに、今年は不思議なことに全く花がありません。臭いのでないのは嬉しいのですが、でもどうなっているんでしょうか。甘茶も今年は花が一つも咲きませんでしたもの…。

 

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表記も俳句の〝身のうち〟

2019年07月15日 | 俳句

 今日は久し振りに朝から太陽の顔が拝めて嬉しい。これで洗濯物が解消します。ああ、アリガタヤ! 

 先日より雨が続いていましたが、それほど強くはありませんでした。一昨夜も大雨注意報がスマホのメールに入りましたので、そんなにヒドいのかしらと心配していたのですが、大したことはなし。あの注意報はナンだったの?という感じ!

 まあ、この程度なら…いや、いや、もう少し降った方がいいかも。ただ長びくと洗濯物が困りますけどね~。

 昨日は投句の締切が本日なので、朝から今月分の句をまとめて、あれこれ推敲していました。そうするとすぐに時間が経ってしまいます。ちょうど雨も降って他のことができませんでしたので、いい具合に俳句に集中することができました。

 ところで、土曜日の午後の俳句教室でのこと。5月に入会して始められたばかりのHさんんの句〈花みかんまごを背おいてまつ電車〉について考えてみましょう。先ずこの句平仮名が多いですね。他の4句にも半分以上が平仮名ばかり…

 これはとても大事なことなんですよ。俳句は意味が分ればいいというもんではありません。第一印象が大事!いうなら〝見てくれ〟がいい方がいいということ。だから表記というのはその印象の決め手になるんです。

 片仮名や平仮名ばかりだと何だか幼稚で軽そう…漢字ばかりだと固くて重そうですね。また、漢字で書けば目に入った瞬間に意味が分りますが、仮名だとさっぱりです。特に上五が漢字だと、意味がすぐに頭に入って中七下五への想像を安易に促します。しかし、仮名だとどこで切って読んだらいいのかとか、最後まで読まないと分からないとか、理解までに時間が掛かかってしまいます。さらに日本語には同音異義語が多数ありますので、どの意味なのかを判定するという手間も掛かります。

 そもそも俳句というものは平明で、〝一読明解〟な句がいいとされています。仮名で書いたばっかりに間違って解釈されるという句も過去にたくさんありましたもの。即ち、表記も大事な俳句表現の一つ、即ち俳句の〝身のうち〟なんですよ。ここを漢字にするか仮名にするかということは、よくよく考えましょう。一言助言するならば、間違われやすいものは漢字がいいし、また、その漢字の醸し出す雰囲気や手ざわり(見た目の触感です)が季語の連想に役立つものなら大いに使いたいものです。

 例えば、藤田湘子の『俳句作法入門』でも、表記について次のように書いてあります。

 「このごろ、薔薇をバラと書くひとがふえましたね」

 「ああ、あれは嫌だね」

 秋櫻子・風生の雑談の中に出て来た言葉である。たしか「馬醉木」四百号の対談がすんで、両巨匠が気楽に話し合っておられたときのことだから、もう三十年以上も前の話である。三十年前のことを今なおなまなましく記憶しているのは、編集者としてその場に居あわせた私が、俳句の表記のおろそかならぬことを教えてもらった、ということを痛切に感じたからであろう。(中略)

 したがって薔薇をバラと書くのを嫌悪した両巨匠のやりとりは、もはやはるかな過去のこと、「そんな感覚、古い古い」といってすませてしまう作者も少なくないと思うが、私は違う。むしろ、そんなことをいう作者のほうが軽佻浮薄、俳句を作ろうと思わぬほうがいい、と忠告してやりたい。

 薔薇と書く。今やむずかしい字の部類に入る。けれども、この漢字を見ていると、あの複雑な花びらのひとつひとつによって容づくられた薔薇という花が、見えてくる。私はまぎれもなくそう感じる。

 では、この句でいうとするならば、せめて〈花みかん孫を背負ひて待つ電車〉ぐらいにはしたいですね。〈花みかん〉は夏の季語で、香りの良い白い可憐な花ですから重い漢字にするよりこのままの方が似合うでしょう。ほら、上掲の句と見比べてみて下さい。ぐっと変るでしょ!

 初心者ですからこれはこのままでもいいと思ったのですが、せっかくのいい句材ですので、私は、〈子を背負ひ始発待ちをり花みかん〉と添削しました。この作者も今は分からなくてもその内この方がいいと思うでしょう。〈孫〉は〈子〉で、〈電車〉も〈始発〉で十分伝わりますし、すがすがしい朝の空気の中に漂ってくる蜜柑(みかん)の花の香り、間近に咲いていれば花の白さも…

 写真は、5月17日の我が家の〝花みかん〟です。今年は花が少なくて…八朔が食べられないかも!

 

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俳句は一字で違う?

2019年07月13日 | 俳句

 昨日はまるで梅雨が明けたかのような強い日差しの一日でしたが、最高気温は27度。でも、本日はまた梅雨前線が西日本付近に延びてきて、朝から雨になっています。だから梅雨明けはまだまだ先のようです。

 金曜日はいつも午後からフラダンス、終ってからはリハビリの病院へ。一昨夜はウインブルドン女子シングルスの準決勝がありました。12日の夜に男子シングルスの準決勝があったんですが…、でももう誰が勝ってもいいので、改めて見る気はしませんでした。ナンと現金なこと!これがフアン心情かと…ゴメンナサイ!

 今までの寝不足が祟って、このところいつも眠たいです。先日のリハビリの筋トレをマットに伏せてしていると、つい眠くなって…一瞬寝ていました。(笑)だって顔を伏せてゴロ~ンとなっていると…、冷房も効いて気持ちがいいんですもの…エヘッ!

 本日は第2土曜日ですので、午後と夜間のダブル句会で、忙しいです。兼題は、午後が「紫陽花」夜間が「蚊」で、どちらも夏の季語ですが、さて、どんな句がでてきますやら…特に「蚊」なんて1音ですので、どう使いこなすかが見ものですね。

 先月の「馬醉木」7月号で、〈蒲公英の絮や果さぬ約一つ〉という句の選評に〝詩情があっていいと思う。ただ、「果さぬ」が事実かもしれぬが、「果せぬ」では?〟と書いたら、作者から〝「果さぬ約束」と「果せぬ約束」、一字の違いで大分雰囲気が変ると、改めて実感しました〟と、今月の投句と一緒にコメントが付いていました。

 この一字の違い、俳句ではとても大きな働きをしますが、みなさんはどう思いますか?さあ、考えてみて下さい。こうやって1音の吟味が俳句の世界を大きくも小さくもしますので、推敲ということが大切なのです。俳句を詠むのは句材があれば誰にでもできます。この推敲ができて始めて俳句が独り立ちできるのです。これは短歌でも川柳でも詩でも…同じなのでは。だって言語によって表現される芸術なんですからね。

 今から出掛けて、帰るのは9時すぎになります。その様子はまた…頑張ります。

 写真は〝グラリオローズレッド〟。また咲き出しました。息の長い花で、夏の間鮮やかな色が目を楽しませてくれるアリガタイ花です。

 

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〝日照雨〟は〝お日様の戯れ〟

2019年07月11日 | 俳句

 昨夜…イヤ当然夜中ですが、ウインブルドンの準々決勝、もちろん錦織選手を応援しましたよ。だから、やっぱり寝不足…センターコートで、第1試合のゴファンがジョコビッチにストレート負けして、その後の第2試合として11時15分頃だったかしら、開始したのは…。

 最初の第1ゲームをブレークし、この第1セットを見た限りでは〝これは…〟と、期待を抱かせる展開でワクワクしました。錦織のリターンやネットプレーも見事に決まり、〝フェデラーも歳をとったのかしら…〟と思うほど。ほぼ互角の試合で第1セットを先取しましたが、第2セットに入ってからはちょっと流れが変り…そう、このあたりから本来のフェデラーが戻ってきたようにサーブも決まり、さすがフェデラーと思わせる展開が続きました。第3セット、第4セット…錦織選手は自分のサービスゲームをキープするのが精一杯!見てる方も辛かった…やっぱり世界の壁は厚いですね。1:3でベスト4ならずでした。

 でも、チャンスはあったんですよ。ちょっとしたタイミングの違いでアウトになったりと。でも以前の錦織選手とは確実に違っていましたね。試合後、〝悔いが残るのは、少し焦ってしまった部分〟と本人がコメントしていますが、確かにフェデラーに押しまくられて、なんとかして流れを変えようと焦っているのが私にも分かりましたもの。ザンネン!しかし、これはスッキリした〝ザンネン〟なんですよ。本当にご苦労様でした。また、英気を養って頑張って下さい。フレーフレー、錦織!

 ところで、昨日も午後から雨の予報、今日も…でも、それも本当に潤う程度なので、ビシャビシャに濡れるという感覚を忘れてしまいそうな…。ああ、今日の午後は俳画教室でしたので、出掛ける時もパラパラと…ところが途中で日が差してきて、〝日照雨〟になりました。

 この〝日照雨〟は、俳句でよく用いる言葉です。普通その読みは「ひでりあめ」ですが、俳句では「そばえ」といって使います。もちろん意味は同じ、〝日が照っているのに降る小雨〟のこと。他に〝狐の嫁入り〟とも言っていますが。

 本来は「戯」と書いて、「そばえ」と読み、意味は①甘えてふざけること②狂い騒ぐこととあります。これはもともと古語「戯ふ」(現代語では戯える)の連用形の名詞化で、字の通り〝たわむれる〟の意味なんです。なぜ日照雨をそう言ったのかを考えると、〝お日様が遊んでふざけている〟とか、または〝いたずらをしている〟からだと思いました。とうぜん自然なことではないですから、これは狐に化かされたのだと…そういう意味合いで〝狐の嫁入り〟も言われるようになったのではないかと思うのですが。この〝狐の嫁入り〟は日本全国、いろいろなところに残っている伝説のようで…(詳しくはWikipediaを御覧下さい)

 そういえば、わが宇部市にも、毎年5月5日に行われる〝新川市まつり〟の「狐の嫁入り行列」では、狐に扮装した花婿花嫁が中心市街地を人力車で巡行し、中津瀬神社(お稲荷さんを祀っています)で挙式、新天町特設ステージで披露宴を行っています。今年もあったようですが、私はまだ観に行ったことがないんです。来年は観に行ってみようかしら…でも、最近は人込みに出るのが苦手…やっぱり歳のせいでしょうか?アア、イヤダー!

 写真は、「猩々草」(しょうじょうそう)で、夏の季語です。歳時記には載っていますが、まだ角川俳句大歳時記には例句がありませんので、みなさん掲載されるような俳句に挑戦してみられてはいかがですか。

 そうそう、松尾芭蕉の弟子・向井去来が『去来抄』の「故実」の章の中で、「先師、『季節の一つも探り出(いだ)したらんは、後世によき賜(たまもの)』となり。」と引用しています。それは、季語の一つでも創出できたら、それは後世へのすばらしい贈り物である、という意の芭蕉の言葉ですが、芭蕉は新しい季語の発見に積極的であったんですね。やっぱりスバラシイ!

 

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〝勝って当り前〟?

2019年07月10日 | 俳句

 昨夜は寝不足…なぜかって?もちろんテニスのウインブルドンですよ。今回の錦織選手は今までとは違います。いつも見ている方が疲れるぐらいのフルセットの試合で、それもタイブレークでの逆転勝ちとか…ホントにハラハラドキドキでしたが、今年は3回戦までストレートで危なげなく立ち上がりました。昨年も4回戦まで勝ち抜いてベスト8になったものの、もうその時点で疲労困憊でしたものね。これで格上の選手との試合でしたから…勝つ方が不思議だと思いました。だから、当然アッという間に負けましたけど、でもまあ、よくやったという惜しみない拍手を送ったような気がします。

 昨日の試合は10時過ぎからと思ってテレビをつけたんですが、まだ女子シングルスの試合中…それがなんと1:1で、3セット目でしたが、決着が付かずに延々と続き、結局13:11ゲームまであったんです。こんな試合始めて見ました。名前もカロリナ同士のムホバ選手とプリスコバ選手、おまけにどちらもチェコの選手ですから…どっちを応援したんでしょうね、チェコの人たちは。ムホバ選手が勝ってベスト8へ。だからその後に始まった錦織選手とカザフスタンのククシュキンの試合は0時30分からの開始になってしまったんです。

 1セットは取りましたが、2セット目を奪われ、いよいよ3セット目、お互いに譲らず…でももう目が…ダメ…。 まあ、形勢は悪くなさそうでしたので、万が一のことがなければ…と思って寝てしまいました。だって、次の日(今日のこと)は俳句教室があるんですもの。

 朝起きて主人に聞くと、3:1で勝ったと…ああ、ヨカッタ!これでベスト8、次は明日センターコートで11時頃からフェデラーと対戦ですって。今回は以前と違って体力がまだ温存されているでしょうから、ホント楽しみです。フレーフレー錦織!(ここまで書いて昨夜はダウンしました。ウヘッ!)

 (ここからは今朝書いています) 大坂なおみ選手は…なんだか気の毒でした。みんなの期待が大きすぎて…。いろいろ取り沙汰されていますが、まだ21歳、頑張って下さい。応援していますよ。そういえば先日ゴルフの石川遼選手が3年振りの優勝で話題になっていましたね。余りにも若いときに有名になってしまうと本当に後が大変!それを維持していくのは…。将棋の藤井選手や囲碁の仲邑菫選手なども、菫ちゃんはまだ10歳ですものね。バスケの八村選手(彼は21歳?)や卓球の張本選手など、など、など…もう若い、特に10代の選手の活躍はあげたらきりがありません。見てるだけの方はとっても嬉しいことなんですが…なんだか…カワイソウ…

 私は、〝勝って当り前〟の世界に居続けることの大変さの方をつい思ってしまいます。人生長いんですもの。なら〝大器晩成〟の方がいいかしら?先程のテレビでは103歳のおばあちゃんがマラソンですって!これもまたビックリ。

 かつて島倉千代子さんの歌〝人生いろいろ〟が流行りましたが、まさにその通りですね。まあ、どっちにも縁のない者は〝平々凡々〟が一番かも。では〝それなりに〟頑張りましょうか…

 とにかくこのところの若い人たちの活躍には、惜しみない応援を送りたいですね。これだけ楽しませて貰っているんですから。来年は東京でのオリンピック…もうワクワク、ドキドキ…こりゃ心身共に健康でいなくっちゃ!

 それに引き替え、このところのカープ…もう我が家は腐りきっています。まるでこの梅雨空みたいに、ドヨ~ンと…昨日も負けてたみたい…ついに?連敗…11連勝したのがウソみたい!

 こんな調子でワタクシ俳句どころではないんですけど…でも、昨日の句会の兼題は「雷」でした。もちろん夏の季語。だからこれはまたにしますね。ゴメンナサイ!写真も…

 

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