ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

八十八夜ですって!

2019年05月02日 | 俳句

 今日は久し振りの快晴!降水確率も0%のウレシイ一日でした。それで、早速溜まっていた洗濯物を…でも多すぎて一回では無理みたい…。

 テレビではいろいろ報道されていましたが、こちらでは一体どこに〝祝賀ムード〟があるのだろうという感じです。新天皇・皇后両陛下にはさまざまな儀式がありとても大変なんでしょうが、何事もない静かな毎日で、アリガタイこと!

 ところで昨日の5月1日は「メーデー」、世界各国で行われる労働者の祭典で、春の季語、と書きかけて、『角川俳句大歳時記』を見ると、初夏と…エエッ??? だって立夏は5月6日なんだからまだ春でしょうに!

 同じ角川出版の『合本俳句歳時記』は春。三省堂の『ホトトギス俳句季題便覧』も春です。どうなっているんでしょうか。確かに今ではメーデーも大衆化され、親睦を深めるイベントの色彩が強くなって、夏めいた感はありますが…。でも、このように日にちがはっきりと決まっている季語はやはり暦に則って詠むべきでしょう。鑑賞もそうするべきだと、私は思いますが…。雰囲気や感じで季語が変わるというのはどうでしょうか?それとも何かのミス?

 〈雪のこるメーデーへ来て加はりぬ  安東次男〉や〈ねむき子を負ひメーデーの後尾ゆく  佐藤鬼房〉などの句を見ても、これはやはり晩春の…、そう、夏が来る前の物憂いような情感でしょう。皆さんはどう思われますか?

 それはさておき、今日は「八十八夜」なんですよ。立春から数えて八十八日目。これは『角川俳句大歳時記』でも間違いなく晩春になっています。どちらかというとこちらの方が初夏の感じがしますがね~。だって「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る…」の小学唱歌、「夏も近づく」だから確かにまだ春、でも「若葉が茂る」は「若葉」も「茂る」も夏の季語ですものね。

  八十八夜体叩いてとびまはる     飯島晴子

 句集『春の蔵』に所収。『飯島晴子の百句』(奥坂まや著・ふらんす堂)を見ると、

 〝「八十八夜」の季語は、活気と輝きに充ちている。野にも山にも若葉が茂り、空には、来るべき夏を感じさせる光線が眩い。「ハチジュウハチヤ」という響きも、衝撃をもって弾む。「八十八夜の別れ霜」といわれるように気温がようやく安定する頃なので、農家は、この日をめどに本格的な作業に取り掛かる。苗代の籾蒔を初め、様々な作物の種を蒔く。茶畑では新茶を摘み、養蚕では掃立てが行われる。季語の本質を結晶として取り出し、具体的な形を与えると、まさに掲句の様態となる。〟と。

 「季語の本質を結晶として取り出し、具体的な形を与える」と…、それが「体叩いてとびまはる」という具象になったということなんですが、なかなかこうは詠めませんよね。とても大胆な句だと感心します。

 写真は、今日の青空と「柿若葉」。心が洗われるようです。これからは毎日こうだといいですね。

 

 

 

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