今朝は日が照っていましたが、午後には曇ってどんよりと…。夜から雨という予報でしたが、宇部ではもう降り始めています。明日もよくなさそう…。
昨日の句会には私も5句投句するんですが、いつも他人の句ばかり添削していますので、いざ自分の句となるとさっぱり。他人の句には発想の転換をなどと言いながら…これが一番難しい!いつも四苦八苦しています。
俳句は10年もするとどうしてもマンネリ化してきますよね。基礎ができていれば一応の句にはなるのですが、句材は似たり寄ったり、把握も平凡でありきたりとなれば、当然面白くない!分かっていても、それでも作らないと益々退化してダメになってしまいます。
だからそういう意味で、この10年目というのが一つの踏ん張りどころかも知れません。昔先生に言われたことがあります。〝私には才能がないから…〟などと泣き言を言うと、〝2、3年で一体なにが分かるか。先ずは10年やってみてから言いなさい!〟と。それがもう30年はとうに過ぎてしまいましたが、まだ同じことの繰り返しをしています。
私が俳句の指導を初めて10年を越す教室があちらこちらに出て来ました。〝ちっとも上手くなりません〟とか〝初め頃より下手になったみたい〟などという声も聞かれます。こういう時なんと答えてあげたらいいのでしょう。私自身が悩みつつ歩んできた道ですので…よ~く分かります。
でも、ちょっと考えてみて下さい。〝俳句のある暮らし〟と〝俳句のない暮らし〟を。そうなんです。俳句を知らなかったときの自分と今の自分を比べてみると、ほら、とっても人生が豊かになっているでしょう!自然や生き物への関心も強くなったでしょうし、知らなかった花の名前や風の呼び方なども分かるようになったし、また、考えもしなかった日本語の奥深さや美しさにも気づくようになったはず。そう思えば、自分自身が豊かになったということは疑いようがないはずです。
更に、俳句のお陰でいろいろな人と出会えて喜びを共有することもできましたし、もちろん苦しみもみんな同じだから分り合えますものね。そう考えれば、俳句をしてよかったなあと思えるのではありませんか。
また先生から〝結果は後から付いてくるものだ〟ともよく言われました。だから結果は気にせず、俳句を詠むことだけを楽しいと思えるようになれるといいですね。〝苦しいけれど楽しい〟それが俳句なんですよ。
先日の教室で新会員の87歳のSさん、〝女学校に行っても戦争中で、何にも勉強ができませんでした。今俳句でこんなに丁寧に古文の勉強ができて、もう楽しくって…〟と。いいですね。また〝もう90に近いので、感性が鈍っていますが…〟とも。ほら、教室の皆さん、見習わなくっちゃ!負けていますよ。要は、気持ちの持ちようです。さあ、みんなでガンバリましょう!
写真は、先日(5月5日)中国自動車道を走ったときのもの。例年に比べて山々の色が余りにも黄色になっていてビックリ!これはシイ(スダジイやツブラジイ)の木の花ですが、これが鹿野を過ぎると途端になくなるんです。(3枚目の写真)どうして?と思ったのですが…。もしかしたら気温が低いからまだ咲いていないのかもとは主人。果たしてどうなんでしょうか?
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