ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

日本で初めての改元は?

2019年05月22日 | 俳句

 今日の午後、健康体操へ出かけようとして車に乗ると、ハンドルが熱くて握れないほど…車内は30度以上もありました。ビックリです。

 はや改元から二十日余りが過ぎましたが、やっと「令和」という文字にも馴れてきました。書類や資料プリントなどについ「平成」と書いてしまうことも少なくなりました。こうやって一日一日と平成が遠ざかっていくのでしょうね。

 その改元が日本で初めて行われたのが、この山口県の長門市…その史跡があるという新聞記事を見ました。今まで全く知りませんでした。

 最初の元号「大化」の次の「白雉(はくち)」が、長門市内で白いキジが見つかったことに由来すると刻んだ石碑が現在残っているんですって。それは、長門市南部の真木地区、その集落の外れに鎮座する大歳神社の境内の生い茂る草の中にひっそりと立っていて、菊の紋章とキジを描いたレリーフがはめ込まれ、「霊鳥白雉之碑」の文字が大きく刻まれているんだそうです。これは1965年、安倍首相の父、晋太郎氏や田中龍夫氏など地元の有力政治家らが協力し合って建てたものとか。

 伝説では、孝徳天皇の時代の650年(大化6年)穴戸国(長門国)の麻山(おのやま)に白いキジが現れ、国司が朝廷に献上。朝廷はめでたい兆しとして初の改元を行い、元号を「白雉」と改めた。またその功績に国司の税を3年間免除したとも。そして、この麻山が真木の山だという。これは「日本書紀」にも載っていることなので、地元ではこの改元を機に歴史ファンから注目を浴びているのが喜ばしいことだということです。この白雉伝説は長く言い伝えられてきて、さらに江戸時代の1788年には、萩市椿の山でも白いキジが捕えられて、その絵馬が今でも飾られているのだそうですよ。いつか機会があれば見に行ってみようと思います。

 へ~エッ、身近にこんな話があったなんて…。新元号「令和」の引用典拠となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる“発祥の地”福岡県太宰府市にも、またその「梅花の宴」が開かれた大伴旅人邸跡とも言われる坂本八幡神社にも、この連休にフィーバーした人々が押し寄せ、行列ができたというニュースが何度も流されましたものね。この長門も少しはフィーバーするかしら…するといいけど。でも、なんてったって〝熱しやすく冷めやすい〟のが日本人!ですもの…ね。

 写真は、我家の「二人静」。晩春の季語ですが、やっと咲きました。どうなっているんでしょ?

コメント
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