カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ジンセイロン ノート 2

2017-12-07 | ミキ キヨシ
 シュウカン に ついて

 ジンセイ に おいて ある イミ では シュウカン が スベテ で ある。 と いう の は つまり、 あらゆる セイメイ ある もの は カタチ を もって いる、 セイメイ とは カタチ で ある と いう こと が できる、 しかるに シュウカン は それ に よって コウイ に カタチ が できて くる もの で ある。 もちろん シュウカン は たんに クウカンテキ な カタチ では ない。 たんに クウカンテキ な カタチ は しんだ もの で ある。 シュウカン は これ に はんして いきた カタチ で あり、 かよう な もの と して たんに クウカンテキ な もの で なく、 クウカンテキ で ある と ドウジ に ジカンテキ、 ジカンテキ で ある と ドウジ に クウカンテキ な もの、 すなわち ベンショウホウテキ な カタチ で ある。 ジカンテキ に うごいて ゆく もの が ドウジ に クウカンテキ に とまって いる と いう ところ に セイメイテキ な カタチ が できて くる。 シュウカン は キカイテキ な もの で なくて どこまでも セイメイテキ な もの で ある。 それ は カタチ を つくる と いう セイメイ に ナイテキ な ホンシツテキ な サヨウ に ぞくして いる。
 フツウ に シュウカン は おなじ コウイ を ハンプク する こと に よって しょうずる と かんがえられて いる。 けれども ゲンミツ に いう と、 ニンゲン の コウイ に おいて まったく ドウイツ の もの は ない で あろう。 ココ の コウイ には つねに グウゼンテキ な ところ が ある。 ワレワレ の コウイ は グウゼンテキ な、 ジユウ な もの で ある ゆえ に シュウカン も つくられる の で ある。 シュウカン は おなじ こと の ハンプク の ブツリテキ な ケッカ では ない。 カクテイテキ な もの は フカクテイ な もの から でて くる。 ココ の コウイ が グウゼンテキ で ある から シュウカン も できる の で あって、 シュウカン は タスウ の グウゼンテキ な コウイ の いわば トウケイテキ な キソクセイ で ある。 シゼン の ホウソク も トウケイテキ な セイシツ の もの で ある かぎり、 シュウカン は シゼン で ある と いう こと が できる。 シュウカン が シゼン と かんがえられる よう に、 シゼン も シュウカン で ある。 ただ、 シュウカン と いう バアイ、 シゼン は グタイテキ に カタチ と して みられなければ ならぬ。

 モホウ と シュウカン とは ある イミ に おいて あいはんする もの で あり、 ある イミ に おいて ヒトツ の もの で ある。 モホウ は とくに ガイブ の もの、 あたらしい もの の モホウ と して リュウコウ の ゲンイン で ある と いわれる。 リュウコウ に たいして シュウカン は デントウテキ な もの で あり、 シュウカン を やぶる もの は リュウコウ で ある。 リュウコウ より も ヨウイ に シュウカン を やぶりうる もの は ない で あろう。 しかし シュウカン も それ ジシン ヒトツ の モホウ で ある。 それ は ナイブ の もの、 ふるい もの の モホウ で ある。 シュウカン に おいて ジコ は ジコ を モホウ する。 ジコ が ジコ を モホウ する ところ から シュウカン が つくられて くる。 リュウコウ が ヨコ の モホウ で ある と すれば、 シュウカン は タテ の モホウ で ある。 ともかく シュウカン も すでに モホウ で ある イジョウ、 シュウカン に おいて も ワレワレ の ヒトツ の コウイ は タ の コウイ に たいして ガイブ に ある もの の ごとく ドクリツ で なければ ならぬ。 シュウカン を たんに レンゾクテキ な もの と かんがえる こと は アヤマリ で ある。 ヒ-レンゾクテキ な もの が ドウジ に レンゾクテキ で あり、 レンゾクテキ な もの が ドウジ に ヒ-レンゾクテキ で ある ところ に シュウカン は しょうずる。 つまり シュウカン は セイメイ の ホウソク を あらわして いる。
 シュウカン と おなじく リュウコウ も セイメイ の ヒトツ の ケイシキ で ある。 セイメイ は ケイセイ サヨウ で あり、 モホウ は ケイセイ サヨウ に とって ヒトツ の コンポンテキ な ホウホウ で ある。 セイメイ が ケイセイ サヨウ (ビルドゥング) で ある と いう こと は、 それ が キョウイク (ビルドゥング) で ある こと を イミ して いる。 キョウイク に たいする モホウ の イギ に ついて は コライ しばしば かたられて いる。 その サイ、 シュウカン が ヒトツ の モホウ で ある こと を かんがえる と ともに、 リュウコウ が また モホウ と して いかに おおきな キョウイクテキ カチ を もって いる か に ついて かんがえる こと が タイセツ で ある。
 リュウコウ が カンキョウ から キテイ される よう に、 シュウカン も カンキョウ から キテイ されて いる。 シュウカン は シュタイ の カンキョウ に たいする サギョウテキ テキオウ と して しょうずる。 ただ、 リュウコウ に おいて は シュタイ は カンキョウ に たいして より おおく ジュドウテキ で ある の に はんして、 シュウカン に おいて は より おおく ノウドウテキ で ある。 シュウカン の この チカラ は カタチ の チカラ で ある。 しかし リュウコウ が シュウカン を やぶりうる と いう こと は、 その シュウカン の カタチ が シュタイ と カンキョウ との カンケイ から しょうじた ベンショウホウテキ な もの で ある ため で ある。 リュウコウ の この チカラ は、 それ が シュウカン と あいはんする ホウコウ の もの で ある と いう こと に もとづいて いる。 リュウコウ は サイダイ の テキオウリョク を ゆうする と いわれる ニンゲン に トクチョウテキ で ある。 シュウカン が シゼンテキ な もの で ある の に たいして、 リュウコウ は チセイテキ な もの で ある と さえ かんがえる こと が できる で あろう。
 シュウカン は ジコ に よる ジコ の モホウ と して ジコ の ジコ に たいする テキオウ で ある と ドウジ に、 ジコ の カンキョウ に たいする テキオウ で ある。 リュウコウ は カンキョウ の モホウ と して ジコ の カンキョウ に たいする テキオウ から しょうずる もの で ある が、 リュウコウ にも ジコ が ジコ を モホウ する と いう ところ が ある で あろう。 ワレワレ が リュウコウ に したがう の は、 ナニ か ジコ に こびる もの が ある から で ある。 ただ、 リュウコウ が カタチ と して は フアンテイ で あり、 リュウコウ には カタチ が ない とも いわれる の に たいして、 シュウカン は カタチ と して アンテイ して いる。 しかるに シュウカン が カタチ と して アンテイ して いる と いう こと は、 シュウカン が ギジュツ で ある こと を イミ して いる。 その カタチ は ギジュツテキ に できて くる もの で ある。 ところが リュウコウ には かよう な ギジュツテキ な ノウドウセイ が かけて いる。

 ヒトツ の ジョウネン を シハイ しうる の は リセイ で なくて タ の ジョウネン で ある と いわれる。 しかし ジツ を いう と、 シュウカン こそ ジョウネン を シハイ しうる もの で ある。 ヒトツ の ジョウネン を シハイ しうる の は リセイ で なくて タ の ジョウネン で ある と いわれる よう な、 その ジョウネン の チカラ は どこ に ある の で ある か。 それ は たんに ジョウネン の ウチ に ある の で なく、 むしろ ジョウネン が シュウカン に なって いる ところ に ある。 ワタシ が おそれる の は カレ の ニクシミ では なくて、 ワタシ に たいする カレ の ニクシミ が シュウカン に なって いる と いう こと で ある。 シュウカン に かたちづくられる の で なければ ジョウネン も チカラ が ない。 ヒトツ の シュウカン は タ の シュウカン を つくる こと に よって やぶられる。 シュウカン を シハイ しうる の は リセイ で なくて タ の シュウカン で ある。 いいかえる と、 ヒトツ の カタチ を しんに コクフク しうる もの は タ の カタチ で ある。 リュウコウ も シュウカン に なる まで は フアンテイ な チカラ に すぎない。 ジョウネン は それ ジシン と して は カタチ の そなわらぬ もの で あり、 シュウカン に たいする ジョウネン の ムリョク も そこ に ある。 ヒトツ の ジョウネン が タ の ジョウネン を シハイ しうる の も、 チセイ が くわわる こと に よって つくられる チツジョ の チカラ に もとづいて いる。 ジョウネン は カタチ の そなわらぬ もの と して シゼンテキ な もの と かんがえられる。 ジョウネン に たいする カタチ の シハイ は シゼン に たいする セイシン の シハイ で ある。 シュウカン も カタチ と して たんなる シゼン で なく、 すでに セイシン で ある。

 カタチ を たんに クウカンテキ な カタチ と して しか、 したがって ブッシツテキ な カタチ と して しか ヒョウショウ しえない と いう の は キンダイ の キカイテキ な ゴセイ の こと で ある。 むしろ セイシン こそ カタチ で ある。 ギリシア の コテンテキ テツガク は ブッシツ は ムゲンテイ な シツリョウ で あって セイシン は ケイソウ で ある と かんがえた。 ゲンダイ の セイ の テツガク は ギャク に セイシンテキ セイメイ ソノモノ を ムゲンテイ な リュウドウ の ごとく かんがえて いる。 この テン に おいて セイ の テツガク も カタチ に かんする キンダイ の キカイテキ な カンガエカタ に エイキョウ されて いる。 しかし セイシン を ケイソウ と かんがえた ギリシア テツガク は ケイソウ を なお クウカンテキ に ヒョウショウ した。 トウヨウ の デントウテキ ブンカ は シュウカン の ブンカ で ある と いう こと が できる。 シュウカン が シゼン で ある よう に、 トウヨウ ブンカ の コンテイ に ある の は ある シゼン で ある。 また シュウカン が たんなる シゼン で なく ブンカ で ある よう に、 トウヨウテキ シゼン は ドウジ に ブンカ の イミ を もって いる。 ブンカ シュギテキ な セイヨウ に おいて カタチ が クウカンテキ に ヒョウショウ された の に たいして、 シゼン シュギテキ な トウヨウ の ブンカ は かえって セイシン の しんに セイシンテキ な カタチ を ツイキュウ した。 しかし すでに カタチ と いう イジョウ、 それ は ジュンスイ な セイシン で ある こと が できる か。 シュウカン が シゼン と みられる よう に、 セイシン の カタチ と いって も ドウジ に シゼン の イミ が なければ ならぬ。 シュウカン は たんなる セイシン でも たんなる シンタイ でも ない グタイテキ な セイメイ の ナイテキ な ホウソク で ある。 シュウカン は ジュンスイ に セイシンテキ と いわれる カツドウ の ウチ にも みいだされる シゼンテキ な もの で ある。

 シイ の ハンチュウ と いう もの を ヒューム が シュウカン から セツメイ した の は、 ゲンダイ の ニンシキロン の ヒヒョウ する よう に、 それほど わらう べき こと で ある か どう か、 ワタシ は しらない。 ハンチュウ の たんに ロンリテキ な イミ で なくて その ソンザイロンテキ な イミ を かんがえよう と する バアイ、 それ を シュウカン から セツメイ する より も いっそう テキセツ に セツメイ する シカタ が ある か どう か、 ワタシ は しらない。 ただ その サイ、 シュウカン を たんなる ケイケン から しょうずる もの の よう に かんがえる キカイテキ な ミカタ を はいする こと が ヒツヨウ で ある。 ケイケンロン は キカイロン で ある こと に よって まちがって いる。 ケイケン の ハンプク と いう こと は シュウカン の ホンシツ の セツメイ に とって つねに フジュウブン で ある。 イシ は たとい ヒャクマンベン おなじ ホウコウ に おなじ ソクド で なげられた に して も その ため に シュウカン を うる こと が ない、 シュウカン は セイメイ の ナイテキ な ケイコウ に ぞくして いる。 ケイケンロン に ハンタイ する センケンロン は フツウ に、 ケイケン を シュウカン の エイキョウ の まったく ない カンカク と ドウイツシ して いる。 カンカク を よびおこす サヨウ の ウチ に あらわれる シュウカン から エイキョウ されない よう な チシキ の 「ナイヨウ」 と いう もの が ソンザイ する で あろう か。 シュウカン は シイ の ウチ にも サヨウ する。

 シャカイテキ シュウカン と して の カンシュウ が ドウトク で あり、 ケンイ を もって いる の は、 たんに それ が シャカイテキ な もの で ある と いう こと に よる の では なく、 かえって それ が ヒョウゲンテキ な もの と して カタチ で ある こと に もとづく の で ある。 いかなる カタチ も つねに チョウエツテキ な イミ を もって いる。 カタチ を つくる と いう セイメイ に ホンシツテキ な サヨウ は セイメイ に ナイザイ する チョウエツテキ ケイコウ を しめして いる。 しかし カタチ を つくる こと は ドウジ に セイメイ が ジコ を ヒテイ する こと で ある。 セイメイ は カタチ に よって いき、 カタチ に おいて しぬる。 セイメイ は シュウカン に よって いき、 シュウカン に おいて しぬる。 シ は シュウカン の キョクゲン で ある。

 シュウカン を ジユウ に なしうる モノ は ジンセイ に おいて オオク の こと を なしうる。 シュウカン は ギジュツテキ な もの で ある ゆえ に ジユウ に する こと が できる。 もとより タイテイ の シュウカン は ムイシキテキ な ギジュツ で ある が、 これ を イシキテキ に ギジュツテキ に ジユウ に する ところ に ドウトク が ある。 シュウヨウ と いう もの は かよう な ギジュツ で ある。 もし シュウカン が ただ シゼン で ある ならば、 シュウカン が ドウトク で ある とは いいえない で あろう。 スベテ の ドウトク には ギジュツテキ な もの が ある と いう こと を リカイ する こと が タイセツ で ある。 シュウカン は ワレワレ に もっとも テヂカ な もの、 ワレワレ の チカラ の ウチ に ある シュダン で ある。
 シュウカン が ギジュツ で ある よう に、 スベテ の ギジュツ は シュウカンテキ に なる こと に よって しんに ギジュツ で ある こと が できる。 どのよう な テンサイ も シュウカン に よる の で なければ ナニゴト も ジョウジュ しえない。

 じゅうらい シュウヨウ と いわれる もの は ドウグ ジダイ の シャカイ に おける ドウトクテキ ケイセイ の ホウホウ で ある。 この ジダイ の シャカイ は ユウキテキ で、 ゲンテイ された もの で あった。 しかるに コンニチ では ドウグ ジダイ から キカイ ジダイ に かわり、 ワレワレ の セイカツ の カンキョウ も まったく ちがった もの に なって いる。 その ため に ドウトク に おいて も シュウヨウ と いう もの だけ では フジュウブン に なった。 ドウグ の ギジュツ に ひして キカイ の ギジュツ は シュウカン に イゾン する こと が すくなく、 チシキ に イゾン する こと が おおい よう に、 コンニチ では ドウトク に おいて も チシキ が とくに ジュウヨウ に なって いる の で ある。 しかし また ドウトク は ユウキテキ な シンタイ を はなれうる もの で なく、 そして チセイ の ウチ にも シュウカン が はたらく と いう こと に チュウイ しなければ ならぬ。

 デカダンス は ジョウネン の フテイ な カジョウ で ある の では ない。 デカダンス は ジョウネン の トクシュ な シュウカン で ある。 ニンゲン の コウイ が ギジュツテキ で ある ところ に デカダンス の コンゲン が ある。 ジョウネン が シュウカンテキ に なり、 ギジュツテキ に なる ところ から デカダンス が しょうずる。 シゼンテキ な ジョウネン の バクハツ は むしろ シュウカン を やぶる もの で あり、 デカダンス とは ハンタイ の もの で ある。 スベテ の シュウカン には なんらか デカダンス の ニオイ が かんじられない で あろう か。 シュウカン に よって ワレワレ が しぬる と いう の は、 シュウカン が デカダンス に なる ため で あって、 シュウカン が セイシ で ある ため では ない。

 シュウカン に よって ワレワレ は ジユウ に なる と ともに シュウカン に よって ワレワレ は ソクバク される。 しかし シュウカン に おいて おそる べき もの は、 それ が ワレワレ を ソクバク する こと で ある より も、 シュウカン の ウチ に デカダンス が ふくまれる こと で ある。
 あの モラリスト たち は ヨノナカ に いかに オオク の キカイ な シュウカン が ソンザイ する か に ついて つねに かたって いる。 その こと は いかに シュウカン が デカダンス に おちいりやすい か を しめす もの で ある。 オオク の キカイ な ゲイジュツ が ソンザイ する よう に オオク の キカイ な シュウカン が ソンザイ する。 しかるに その こと は また シュウカン が ゲイジュツ と ドウヨウ、 コウソウリョク に ぞくする こと を しめす で あろう。
 シュウカン に たいして リュウコウ は より チセイテキ で ある と いう こと が できる。 リュウコウ には おなじ よう な デカダンス が ない で あろう。 そこ に リュウコウ の セイメイテキ カチ が ある。 しかしながら リュウコウ ソノモノ が デカダンス に なる バアイ、 それ は もっとも おそる べき もの で ある。 リュウコウ は フアンテイ で、 それ を ささえる カタチ と いう もの が ない から。 リュウコウ は チョクセツ に キョム に つらなる ゆえ に、 その デカダンス には ソコ が ない。

 キョエイ に ついて

 Vanitati creatura subjecta est etiam nolens. ―― 「つくられたる もの の むなしき に ふくせし は、 オノ が ネガイ に よる に あらず、 ふくせしめたまいし モノ に よる なり」 ロマ ショ ダイ 8 ショウ 20 セツ。

 キョエイ は ニンゲンテキ シゼン に おける もっとも フヘンテキ な かつ もっとも コユウ な セイシツ で ある。 キョエイ は ニンゲン の ソンザイ ソノモノ で ある。 ニンゲン は キョエイ に よって いきて いる。 キョエイ は あらゆる ニンゲンテキ な もの の ウチ もっとも ニンゲンテキ な もの で ある。
 キョエイ に よって いきる ニンゲン の セイカツ は ジッタイ の ない もの で ある。 いいかえる と、 ニンゲン の セイカツ は フィクショナル な もの で ある。 それ は ゲイジュツテキ イミ に おいて も そう で ある。 と いう の は、 つまり ジンセイ は フィクション (ショウセツ) で ある。 だから どのよう な ヒト でも ヒトツ だけ は ショウセツ を かく こと が できる。 フツウ の ニンゲン と ゲイジュツカ との サイ は、 ただ ヒトツ しか ショウセツ を かく こと が できない か、 それとも シュジュ の ショウセツ を かく こと が できる か と いう テン に ある と いいうる で あろう。
 ジンセイ が フィクション で ある と いう こと は、 それ が なんら の ジツザイセイ を ゆうしない と いう こと では ない。 ただ その ジツザイセイ は ブッテキ ジツザイセイ と おなじ で なく、 むしろ ショウセツ の ジツザイセイ と ほぼ おなじ もの で ある。 すなわち ジッタイ の ない もの が いかに して ジツザイテキ で ありうる か と いう こと が ジンセイ に おいて、 ショウセツ に おいて と ドウヨウ、 コンポン モンダイ で ある。

 ジンセイ は フィクショナル な もの と して がんらい ただ カノウテキ な もの で ある。 その ゲンジツセイ は ワレワレ の セイカツ ソノモノ に よって はじめて ショウメイ されねば ならぬ。

 いかなる サッカ が カミ や ドウブツ に ついて フィクション を かこう と した で あろう か。 カミ や ドウブツ は、 ニンゲン の パッション が カレラ の ウチ に イニュウ された カギリ に おいて のみ、 フィクション の タイショウ と なる こと が できた の で ある。 ひとり ニンゲン の セイカツ のみ が フィクショナル な もの で ある。 ニンゲン は ショウセツテキ ドウブツ で ある と テイギ する こと が できる で あろう。

 シゼン は ゲイジュツ を モホウ する と いう の は よく しられた コトバ で ある。 けれども ゲイジュツ を モホウ する の は コユウ な イミ に おいて は シゼン の ウチ ニンゲン のみ で ある。 ニンゲン が ショウセツ を モホウ し また モホウ しうる の は、 ニンゲン が ホンセイジョウ ショウセツテキ な もの で ある から で なければ ならぬ。 ニンゲン は ニンゲンテキ に なりはじめる や いなや、 ジコ と ジコ の セイカツ を ショウセツカ しはじめる。

 スベテ の ニンゲンテキ と いわれる パッション は ヴァニティ から うまれる。 ニンゲン の あらゆる パッション は ニンゲンテキ で ある が、 かりに ニンゲン に ドウブツテキ な パッション が ある と して も、 それ が ただちに ヴァニティ に とらえられうる ところ に ニンゲンテキ な もの が みとめられる。

 ヴァニティ は いわば その ジッタイ に したがって かんがえる と キョム で ある。 ヒトビト が キョエイ と いって いる もの は いわば その ゲンショウ に すぎない。 ニンゲンテキ な スベテ の パッション は キョム から うまれ、 その ゲンショウ に おいて キョエイテキ で ある。 ジンセイ の ジツザイセイ を ショウメイ しよう と する モノ は キョム の ジツザイセイ を ショウメイ しなければ ならぬ。 あらゆる ニンゲンテキ ソウゾウ は かよう に して キョム の ジツザイセイ を ショウメイ する ため の もの で ある。

「キョエイ を あまり ゼンブ ジブン の ウチ に たくわえ、 そして それ に コクシ される こと に ならない よう に、 それ に たいして ワレメ を ひらいて おく の が よい。 いわば マイニチ の ハイスイ が ヒツヨウ なの で ある」 かよう に いった ジューベール は ジョウシキカ で あった。 しかし この ジョウシキ には ケンメイ な ショセイホウ が しめされて いる。 キョエイ に よって メツボウ しない ため に、 ニンゲン は その ヒビ の セイカツ に おいて、 あらゆる ショウジ に ついて、 キョエイテキ で ある こと が ヒツヨウ で ある。
 この テン に おいて エイユウ は レイガイ で ある。 エイユウ は その サイゴ に よって、 つまり メツボウ に よって ジコ を ショウメイ する。 キゲキ の シュジンコウ には エイユウ が ない、 エイユウ は ただ ヒゲキ の シュジンコウ で ある こと が できる。

 ニンゲン は キョエイ に よって いきる と いう こと こそ、 カレ の セイカツ に とって チエ が ヒツヨウ で ある こと を しめす もの で ある。 ジンセイ の チエ は すべて キョム に いたらなければ ならぬ。

 シヘイ は フィクショナル な もの で ある。 しかし また キンカ も フィクショナル な もの で ある。 けれども シヘイ と キンカ との アイダ には サベツ が かんがえられる。 ヨノナカ には フカン シヘイ と いう もの も ある の で ある。 スベテ が キョエイ で ある ジンセイ に おいて チエ と よばれる もの は キンカ と シヘイ と を、 とくに フカン シヘイ と を クベツ する ハンダンリョク で ある。 もっとも キンカ も それ ジシン フィクショナル な もの では ない。

 しかし ニンゲン が キョエイテキ で ある と いう こと は すでに ニンゲン の より たかい セイシツ を しめして いる。 キョエイシン と いう の は ジブン が ある より も イジョウ の もの で ある こと を しめそう と する ニンゲンテキ な パッション で ある。 それ は カソウ に すぎない かも しれない。 けれども イッショウ カソウ しとおした モノ に おいて、 その ヒト の ホンセイ と カセイ と を クベツ する こと は フカノウ に ちかい で あろう。 ドウトク も また フィクション では ない か。 それ は フカン シヘイ に たいする キンカ ほど の イミ を もって いる。

 ニンゲン が キョエイテキ で ある と いう こと は ニンゲン が シャカイテキ で ある こと を しめして いる。 つまり シャカイ も フィクション の ウエ に セイリツ して いる。 したがって シャカイ に おいて は シンヨウ が スベテ で ある。 あらゆる フィクション が キョエイ で ある と いう の では ない。 フィクション に よって セイカツ する ニンゲン が キョエイテキ で ありうる の で ある。

 ブンメイ の シンポ と いう の は ニンゲン の セイカツ が より おおく フィクション の ウエ に きずかれる こと で ある と すれば、 ブンメイ の シンポ と ともに キョエイ は ニチジョウ サハンジ と なる。 そして エイユウテキ な ヒゲキ も また すくなく なる。

 フィクション で ある もの を シゼンテキ と おもわれる もの に する の は シュウカン の チカラ で ある。 むしろ シュウカンテキ に なる こと に よって フィクション は はじめて フィクション の イミ を ゆうする に いたる の で ある。 かくして ただ たんに キョエイ で ある もの は いまだ フィクション とは いわれない。 それゆえに フィクション は キョエイ で ある に して も、 すでに フィクション と して ダトウ する イジョウ、 たんなる キョエイ で ある こと から より たかい ニンゲンテキ な もの と なって いる。 シュウカン は すでに かよう な より たかい ニンゲンセイ を あらわして いる。 シュウカン は たんに シゼンテキ な もの で なく、 すでに チセイテキ な もの の ヒトツ の カタチ で ある。

 スベテ の ニンゲン の アク は コドク で ある こと が できない ところ から しょうずる。

 いかに して キョエイ を なくする こと が できる か。 キョム に きする こと に よって。 それとも キョム の ジツザイセイ を ショウメイ する こと に よって。 いいかえる と、 ソウゾウ に よって。 ソウゾウテキ な セイカツ のみ が キョエイ を しらない。 ソウゾウ と いう の は フィクション を つくる こと で ある、 フィクション の ジツザイセイ を ショウメイ する こと で ある。

 キョエイ は もっとも オオク の バアイ ショウヒ と むすびついて いる。

 ヒト に キ に いらん が ため に、 あるいは タ の モノ に たいして ジブン を こころよき もの に せん が ため に キョエイテキ で ある こと は、 ジューベール の いった ごとく、 すでに 「ハンブン の トク」 で ある。 スベテ の キョエイ は この ハンブン の トク の ため に ゆるされて いる。 キョエイ を はいする こと は それ ジシン ヒトツ の キョエイ で ありうる のみ で なく、 ココロ の ヤサシサ の テキ で ある ゴウマン に だして いる こと が しばしば で ある。

 その リソウコク から ゲイジュツカ を ツイホウ しよう と した プラトン には ヒトツ の チエ が ある。 しかし ジコ の セイカツ に ついて シン の ゲイジュツカ で ある と いう こと は、 ニンゲン の タチバ に おいて キョエイ を クチク する ため の サイコウ の もの で ある。

 キョエイ は セイカツ に おいて ソウゾウ から クベツ される ディレッタンティズム で ある。 キョエイ を ゲイジュツ に おける ディレッタンティズム に ひして かんがえる モノ は、 キョエイ の テキセツ な ショリホウ を ハッケン しうる で あろう。

 メイヨシン に ついて

 メイヨシン と キョエイシン と ほど コンドウ されやすい もの は ない。 しかも リョウシャ ほど クベツ の ヒツヨウ な もの は ない。 この フタツ の もの を クベツ する こと が ジンセイ に ついて の チエ の すくなくとも ハンブン で ある と さえ いう こと が できる で あろう。 メイヨシン が キョエイシン と ゴカイ される こと は はなはだ おおい、 しかし また メイヨシン は きわめて ヨウイ に キョエイシン に へんずる もの で ある。 ココ の バアイ に ついて リョウシャ を クベツ する には よい メ を もたねば ならぬ。

 ジンセイ に たいして どんな に ゲンカク な ニンゲン も メイヨシン を ホウキ しない で あろう。 ストイック と いう の は むしろ メイヨシン と キョエイシン と を クベツ して、 コウシャ に ユウワク されない モノ の こと で ある。 その クベツ が できない バアイ、 ストイック と いって も ヒトツ の キョエイ に すぎぬ。

 キョエイシン は まず シャカイ を タイショウ と して いる。 しかるに メイヨシン は まず ジコ を タイショウ と する。 キョエイシン が タイ-セケンテキ で ある の に はんして、 メイヨシン は ジコ の ヒンイ に ついて の ジカク で ある。
 スベテ の ストイック は ホンシツテキ に コジン シュギシャ で ある。 カレ の ストイシズム が ジコ の ヒンイ に ついて の ジカク に もとづく バアイ、 カレ は よき イミ に おける コジン シュギシャ で あり、 そして それ が キョエイ の イッシュ で ある バアイ、 カレ は あしき イミ に おける コジン シュギシャ に すぎぬ。 ストイシズム の カチ も ゲンカイ も、 それ が ホンシツテキ に コジン シュギ で ある ところ に ある。 ストイシズム は ジコ の もの で ある ショ-ジョウネン を ジコ とは カカワリ の ない シゼンブツ の ごとく みる こと に よって セイギョ する の で ある が、 それ に よって ドウジ に ジコ あるいは ジンカク と いう チュウショウテキ な もの を カクリツ した。 この チュウショウテキ な もの に たいする ジョウネツ が その ドウトク の ホンシツ を なして いる。

 メイヨシン と コジン イシキ とは フカブン で ある。 ただ ニンゲン だけ が メイヨシン を もって いる と いわれる の も、 ニンゲン に おいて は ドウブツ に おいて より も はるか に おおく コセイ が ブンカ して いる こと に カンケイ する で あろう。 メイヨシン は コジン イシキ に とって いわば コウセイテキ で ある。 コジン で あろう と する こと、 それ が ニンゲン の サイシン の、 また サイコウ の メイヨシン で ある。
 メイヨシン も、 キョエイシン と ドウヨウ、 シャカイ に むかって いる と いわれる で あろう。 しかし それ に して も、 キョエイシン に おいて は アイテ は 「セケン」 と いう もの、 くわしく いう と、 コウ でも なく オツ でも ない と ドウジ に コウ でも あり オツ でも ある ところ の 「ヒト」、 アノニム な 「ヒト」 で ある の に はんして、 メイヨシン に おいて は アイテ は コウ で あり あるいは オツ で あり、 ソレゾレ の ニンゲン が コジン と して の ドクジセイ を うしなわない で いる ところ の シャカイ で ある。 キョエイシン は ホンシツテキ に アノニム で ある。
 キョエイシン の トリコ に なる とき、 ニンゲン は ジコ を うしない、 コジン の ドクジセイ の イシキ を うしなう の が ツネ で ある。 その とき カレ は アノニム な 「ヒト」 を タイショウ と する こと に よって カレ ジシン アノニム な 「ヒト」 と なり、 キョム に きする。 しかるに メイヨシン に おいて は、 それ が キョエイシン に へんずる こと なく しんに メイヨシン に とどまって いる かぎり、 ニンゲン は ジコ と ジコ の ドクジセイ の ジカク に たつ の で なければ ならぬ。
 ヒト は ナニ より も おおく キョエイシン から モホウ し、 リュウコウ に ミ を まかせる。 リュウコウ は アノニム な もの で ある。 それだから メイヨシン を もって いる ニンゲン が もっとも きらう の は リュウコウ の モホウ で ある。 メイヨシン と いう の は すべて アノニム な もの に たいする タタカイ で ある。

 ハッセイテキ に いう と、 ヨツアシ で チ に はう こと を やめた とき ニンゲン には メイヨシン が しょうじた。 カレ が チョクリツ して ホコウ する よう に なった と いう こと は、 カレ の メイヨシン の サイショ の、 サイダイ の コウイ で あった。
 チョクリツ する こと に よって ニンゲン は チュウショウテキ な ソンザイ に なった。 その とき カレ には テ と いう もの、 この あらゆる キカン の ウチ もっとも チュウショウテキ な キカン が できた、 それ は ドウジ に カレ に とって チュウショウテキ な シコウ が カノウ に なった こと で ある、 -トウトウ、 ――そして メイヨシン と いう の は すべて チュウショウテキ な もの に たいする ジョウネツ で ある。
 チュウショウテキ な もの に たいする ジョウネツ を もって いる か どう か が メイヨシン に とって キジュン で ある。 かくして ヨノナカ に おいて メイヨシン から でた もの の よう に いわれて いる こと も じつは キョエイシン に もとづく もの が いかに おおい で あろう。

 チュウショウテキ な ソンザイ に なった ニンゲン は もはや カンキョウ と チョクセツ に ユウゴウ して いきる こと が できず、 むしろ カンキョウ に タイリツ し、 これ と たたかう こと に よって いきねば ならぬ。 ――メイヨシン と いう の は あらゆる イミ に おける センシ の ココロ で ある。 キシドウ とか ブシドウ とか に おいて メイヨシン が コンポンテキ な トク と かんがえられた の も これ に カンレン して いる。

 たとえば、 ナ を おしむ と いう。 ナ と いう の は チュウショウテキ な もの で ある。 もし それ が チュウショウテキ な もの で ない なら、 そこ に メイヨシン は なく、 キョエイシン が ある だけ で ある。 イマ セケン の ヒョウバン と いう もの は アノニム な もの で ある。 したがって ヒョウバン を キ に する こと は メイヨシン で なくて キョエイシン に ぞくして いる。 アノニム な もの と チュウショウテキ な もの とは おなじ では ない。 リョウシャ を クベツ する こと が タイセツ で ある。
 スベテ の メイヨシン は なんらか の シカタ で エイエン を かんがえて いる。 この エイエン と いう もの は チュウショウテキ な もの で ある。 たとえば ナ を おしむ と いう バアイ、 ナ は コジン の ヒンイ の イシキ で あり、 しかも それ は チュウショウテキ な もの と して の エイエン に カンケイ-づけられて いる。 キョエイシン は しかるに ジカンテキ な もの の もっとも ジカンテキ な もの で ある。
 チュウショウテキ な もの に たいする ジョウネツ に よって コジン と いう もっとも ゲンジツテキ な もの の イシキ が セイリツ する、 ――これ が ニンゲン の ソンザイ の ヒミツ で ある。 たとえば ジンルイ と いう の は チュウショウテキ な もの で ある。 ところで この ジンルイ と いう チュウショウテキ な もの に たいする ジョウネツ なし には ニンゲン は シン の コジン と なる こと が できぬ。

 メイヨシン の チュウショウセイ の ウチ に その シンリ と ドウジ に その キョギ が ある。

 メイヨシン に おいて ほろぶ モノ は チュウショウテキ な もの に おいて ほろぶ モノ で あり、 そして この チュウショウテキ な もの に おいて ほろびうる と いう こと は ニンゲン に コユウ な こと で あり、 その こと が カレ の メイヨシン に ぞくして いる。
 メイヨシン は ジコ イシキ と フカブン の もの で ある が、 ジコ と いって も この バアイ チュウショウテキ な もの で ある。 したがって メイヨシン は ジコ に とどまる こと なく、 たえず ソト に むかって、 シャカイ に たいして でて ゆく。 そこ に メイヨシン の ムジュン が ある。

 メイヨシン は ハクジツ の ウチ に なければ ならない。 だが ハクジツ とは ナニ か。 チュウショウテキ な クウキ で ある。
 メイヨシン は アノニム な シャカイ を アイテ に して いる の では ない。 しかしながら それ は なお チュウショウテキ な コウ、 チュウショウテキ な オツ、 つまり チュウショウテキ な シャカイ を アイテ に して いる の で ある。

 アイ は グタイテキ な もの に たいして の ホカ うごかない。 この テン に おいて アイ は メイヨシン と タイセキテキ で ある。 アイ は ケンキョ で ある こと を もとめ、 そして メイヨシン は もっとも しばしば ゴウマン で ある。

 シュウキョウ の ヒミツ は エイエン とか ジンルイ とか いう チュウショウテキ な もの が そこ では もっとも グタイテキ な もの で ある と いう こと に ある。 シュウキョウ こそ メイヨシン の ゲンカイ を メイリョウ に する もの で ある。

 メイヨシン は チュウショウテキ な もの で ある に して も、 ムカシ の シャカイ は イマ の シャカイ ほど チュウショウテキ な もの で なかった ゆえ に、 メイヨシン は なお コンテイ の ある もの で あった。 しかるに コンニチ シャカイ が チュウショウテキ な もの に なる に したがって メイヨシン も また ますます チュウショウテキ な もの に なって いる。 ゲマインシャフト-テキ な グタイテキ な シャカイ に おいて は チュウショウテキ な ジョウネツ で ある ところ の メイヨシン は ヒトツ の おおきな トク で ある こと が できた。 ゲゼルシャフト-テキ な チュウショウテキ な シャカイ に おいて は このよう な メイヨシン は コンテイ の ない もの に され、 キョエイシン と メイヨシン との クベツ も みわけがたい もの に なって いる。

 イカリ に ついて

 Ira Dei (カミ の イカリ)、 ――キリスト-キョウ の ブンケン を みる たび に つねに かんがえさせられる の は これ で ある。 なんと いう おそろしい シソウ で あろう。 また なんと いう ふかい シソウ で あろう。
 カミ の イカリ は いつ あらわれる の で ある か、 ――セイギ の ジュウリン された とき で ある。 イカリ の カミ は セイギ の カミ で ある。
 カミ の イカリ は いかに あらわれる の で ある か、 ――テンペン チイ に おいて で ある か、 ヨゲンシャ の イカリ に おいて で ある か、 それとも タイシュウ の イカリ に おいて で ある か。 カミ の イカリ を おもえ!

 しかし セイギ とは ナニ か。 いかる カミ は かくれたる カミ で ある。 セイギ の ホウソク と かんがえられる よう に なった とき、 ニンゲン に とって カミ の イカリ は わすれられて しまった。 イカリ は ケイジ の ヒトツ の ケイシキ で ある。 いかる カミ は ホウソク の カミ では ない。
 いかる カミ には デモーニッシュ な ところ が なければ ならぬ。 カミ は もと デモーニッシュ で あった の で ある。 しかるに イマ では カミ は ニンゲンテキ に されて いる、 デーモン も また ニンゲンテキ な もの に されて いる。 ヒューマニズム と いう の は イカリ を しらない こと で あろう か。 そう だ と した なら、 コンニチ ヒューマニズム に どれほど の イミ が ある で あろう か。
 アイ の カミ は ニンゲン を ニンゲンテキ に した。 それ が アイ の イミ で ある。 しかるに セカイ が ニンゲンテキ に、 あまり に ニンゲンテキ に なった とき ヒツヨウ なの は イカリ で あり、 カミ の イカリ を しる こと で ある。
 コンニチ、 アイ に ついて は ダレ も かたって いる。 ダレ が イカリ に ついて シンケン に かたろう と する の で ある か。 イカリ の イミ を わすれて ただ アイ に ついて のみ かたる と いう こと は コンニチ の ニンゲン が ムセイカク で ある と いう こと の シルシ で ある。
 せつに ギジン を おもう。 ギジン とは ナニ か、 ――いかる こと を しれる モノ で ある。

 コンニチ、 イカリ の リンリテキ イミ ほど おおく わすれられて いる もの は ない。 イカリ は ただ さく べき もの で ある か の よう に かんがえられて いる。 しかしながら、 もし ナニモノ か が あらゆる バアイ に さく べき で ある と すれば、 それ は ニクシミ で あって イカリ では ない。 ニクシミ も イカリ から チョクセツ に はっした バアイ には イミ を もつ こと が できる、 つまり イカリ は ニクシミ の リンリセイ を キソ-づけうる よう な もの で ある。 イカリ と ニクシミ とは ホンシツテキ に ことなる にも かかわらず きわめて しばしば コンドウ されて いる、 ――イカリ の イミ が わすれられて いる ショウコ で ある と いえよう。
 イカリ は より ふかい もの で ある。 イカリ は ニクシミ の チョクセツ の ゲンイン と なる こと が できる の に はんし、 ニクシミ は ただ フタイテキ に しか イカリ の ゲンイン と なる こと が できぬ。

 スベテ の イカリ は トッパツテキ で ある。 その こと は イカリ の ジュンスイセイ あるいは タンジュンセイ を しめして いる。 しかるに ニクシミ は ほとんど すべて シュウカンテキ な もの で あり、 シュウカンテキ に エイゾク する ニクシミ のみ が ニクシミ と かんがえられる ほど で ある。 ニクシミ の シュウカンセイ が その シゼンセイ を あらわす と すれば、 イカリ の トッパツセイ は その セイシンセイ を あらわして いる。 イカリ が トッパツテキ な もの で ある と いう こと は その ケイジテキ な フカサ を かたる もの で なければ ならぬ。 しかるに ニクシミ が ナニ か ふかい もの の よう に みえる と すれば、 それ は ニクシミ が シュウカンテキ な エイゾクセイ を もって いる ため で ある。

 イカリ ほど セイカク な ハンダン を みだす もの は ない と いわれる の は ただしい で あろう。 しかし いかる ニンゲン は イカリ を あらわさない で にくんで いる ニンゲン より も つねに じょせらる べき で ある。

 ヒト は アイ に シュルイ が ある と いう。 アイ は カミ の アイ (アガペ)、 リソウ に たいする アイ (プラトン-テキ エロス)、 そして ニクタイテキ な アイ と いう ミッツ の ダンカイ に クベツ されて いる。 そう で ある なら、 それ に ソウオウ して イカリ にも、 カミ の イカリ、 メイヨシン から の イカリ、 キブンテキ な イカリ と いう ミッツ の シュルイ を クベツ する こと が できる で あろう。 イカリ に ダンカイ が かんがえられる と いう こと は イカリ の フカサ を しめす もの で ある。 ところが ニクシミ に ついて は ドウヨウ の ダンカイ を クベツ しうる で あろう か。 イカリ の ナイメンセイ が リカイ されねば ならぬ。
 アイ と ニクシミ と を つねに タイリツテキ に かんがえる こと は キカイテキ に すぎる と いいうる で あろう。 すくなくとも カミ の ベンショウホウ は アイ と ニクシミ の ベンショウホウ で なくて アイ と イカリ の ベンショウホウ で ある。 カミ は にくむ こと を しらず、 いかる こと を しって いる。 カミ の イカリ を わすれた オオク の アイ の セツ は カミ の アイ をも ニンゲンテキ な もの に して しまった。

 ワレワレ の イカリ の オオク は キブンテキ で ある。 キブンテキ な もの は セイリテキ な もの に むすびついて いる。 したがって イカリ を しずめる には セイリテキ な シュダン に うったえる の が よい。 イッパン に セイリ は ドウトク に ふかい カンケイ が ある。 ムカシ の ヒト は その こと を よく しって おり、 しって よく ジッコウ した が、 イマ では その チエ は しだいに とぼしく なって いる。 セイリガク の ない リンリガク は、 ニクタイ を もたぬ ニンゲン と ドウヨウ、 チュウショウテキ で ある。 その セイリガク は ヒトツ の ギジュツ と して タイソウ で なければ ならない。 タイソウ は シンタイ の ウンドウ に たいする ただしい ハンダン の シハイ で あり、 それ に よって セイシン の ムチツジョ も ととのえられる こと が できる。 ジョウネン の うごく まま に まかされよう と して いる シンタイ に たいして テキトウ な タイソウ を こころえて いる こと は ジョウネン を シハイ する に カンヨウ な こと で ある。

 イカリ を しずめる サイジョウ の シュダン は トキ で ある と いわれる で あろう。 イカリ は とりわけ トッパツテキ な もの で ある から。
 カミ は トキ に みじめ な ニンゲン を なぐさめる よう に メイレイ した。 しかし トキ は ニンゲン を すくう で あろう か。 トキ に よって なぐさめられる と いう こと は ニンゲン の ハカナサ イッパン に ぞくして いる。 トキ とは ショウメツセイ で ある。

 ワレワレ の イカリ の オオク は シンケイ の ウチ に ある。 それだから シンケイ を いらだたせる ゲンイン に なる よう な こと、 たとえば、 クウフク とか スイミン-ブソク とか いう こと が さけられねば ならぬ。 すべて ちいさい こと に よって しょうずる もの は ちいさい こと に よって しょうじない よう に する こと が できる。 しかし きわめて ちいさい こと に よって に せよ いったん しょうじた もの は きわめて おおきな ワザワイ を ひきおこす こと が カノウ で ある。
 シャカイ と ブンカ の ゲンジョウ は ニンゲン を はなはだ シンケイシツ に して いる。 そこで イカリ も ジョウシュウテキ に なり、 ジョウシュウテキ に なる こと に よって イカリ は ホンライ の セイシツ を うしなおう と して いる。 イカリ と ショウソウ と が たえず コンコウ して いる。 おなじ リユウ から、 コンニチ では イカリ と ニクシミ との クベツ も アイマイ に なって いる。 いかる ヒト を みる とき、 ワタシ は なんだか コフウ な ニンゲン に あった よう に かんじる。

 イカリ は フクシュウシン と して エイゾク する こと が できる。 フクシュウシン は ニクシミ の カタチ を とった イカリ で ある。 しかし イカリ は エイゾク する バアイ その ジュンスイセイ を たもつ こと が コンナン で ある。 イカリ から はっした フクシュウシン も たんなる ニクシミ に てんじて しまう の が ほとんど ツネ で ある。

 ニクヨクテキ な アイ も エイゾク する バアイ しだいに ジョウカ されて いっそう コウジ の アイ に たかまって ゆく こと が できる。 そこ に アイ と いう もの の シンピ が ある。 アイ の ミチ は ジョウショウ の ミチ で あり、 その こと が ヒューマニズム の カンネン と イッチ しやすい。 スベテ の ヒューマニズム の コンテイ には エロティシズム が ある と いえる で あろう。
 しかるに イカリ に おいて は エイゾク する こと に よって いっそう コウジ の イカリ に たかまる と いう こと が ない。 しかし それだけ ふかく カミ の イカリ と いう もの の シンピ が かんじられる の で ある。 イカリ には ただ カコウ の ミチ が ある だけ で ある。 そして それだけ イカリ の コンゲン の フカサ を おもわねば ならない の で ある。
 アイ は トウイツ で あり、 ユウゴウ で あり、 レンゾク で ある。 イカリ は ブンリ で あり、 ドクリツ で あり、 ヒレンゾク で ある。 カミ の イカリ を かんがえる こと なし に カミ の アイ と ニンゲンテキ な アイ との クベツ を かんがえうる で あろう か。 ユダヤ の ヨゲンシャ なし に キリスト は かんがえうる で あろう か。 キュウヤク なし に シンヤク は かんがえうる で あろう か。

 カミ で さえ ジコ が ドクリツ の ジンカク で ある こと を イカリ に よって しめさねば ならなかった。

 とくに ニンゲンテキ と いわれうる イカリ は メイヨシン から の イカリ で ある。 メイヨシン は コジン イシキ と フカブン で ある。 イカリ に おいて ニンゲン は ムイシキテキ に せよ ジコ が コジン で ある こと、 ドクリツ の ジンカク で ある こと を しめそう と する の で ある。 そこ に イカリ の リンリテキ イミ が かくされて いる。
 コンニチ、 イカリ と いう もの が アイマイ に なった の は、 この シャカイ に おいて メイヨシン と キョエイシン との クベツ が アイマイ に なった と いう ジジョウ に ソウオウ して いる。 それ は また この シャカイ に おいて ムセイカク な ニンゲン が おおく なった と いう ジジツ を ハンエイ して いる。 いかる ニンゲン は すくなくとも セイカクテキ で ある。

 ヒト は ケイベツ された と かんじた とき もっとも よく いかる。 だから ジシン の ある モノ は あまり いからない。 カレ の メイヨシン は カレ の イカリ が タンキ で ある こと を ふせぐ で あろう。 ホント に ジシン の ある モノ は しずか で、 しかも イゲン を そなえて いる。 それ は カンセイ した セイカク の こと で ある。

 アイテ の イカリ を ジブン の ココロ に おいて さけよう と して ジブン の ユウエツ を しめそう と する の は おろか で ある。 その バアイ ジブン が ユウエツ を しめそう と すれば する ほど アイテ は さらに ケイベツ された の を かんじ、 その イカリ は つのる。 ホント に ジシン の ある モノ は ジブン の ユウエツ を しめそう など とは しない で あろう。

 イカリ を さける サイジョウ の シュダン は キチ で ある。

 イカリ には どこ か キゾク シュギテキ な ところ が ある。 よい イミ に おいて も、 わるい イミ に おいて も。

 コドク の ナン で ある か を しって いる モノ のみ が しんに いかる こと を しって いる。

 アイロニー と いう ヒトツ の チテキ セイシツ は ギリシアジン の いわゆる ヒュブリス (オゴリ) に タイオウ する。 ギリシアジン の ヒュブリス は カレラ の いかりやすい セイシツ を はなれて そんしなかった で あろう。 メイヨシン と キョエイシン との クベツ が アイマイ に なり、 イカリ の イミ が アイマイ に なった コンニチ に おいて は、 たとい アイロニー は まれ に なって いない と して も、 すくなくとも その コウヨウ の ダイブブン を うしなった。
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