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25日の中秋の月に引き続き、26日もホントいいお月様でした~
そこで、またまたパチリ。

本当は、25日の「玉兎」、もう一度こっそり200mmで撮影し直して画像を差し替える魂胆でしたが……





あれぇ~~~??
25日の中秋の名月より、この26日のお月さまの方が丸いんじゃないかしら???

25日は左肩に陰があってクレータの陰影があったけれど、26日はホント真ん丸で全く陰が無いです。
下にある25日の画像と比較してみてください。

う~~ん、本当は26日が中秋だったのではないかしら?




27日追記

えええぇ~~~
中秋、いえ、十五夜が満月になるとは限らないそうです。

詳細はこちら↓のサイトをご覧下さい。
こよみのページ「中秋の名月はいつ?」

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いや~~、良いお月様だったなぁ。

でも実は
知人にお月見団子をいただいて、中秋の名月を思い出したのでした。へへ

今年は「70-200mmの200mm」「70-300mmの300mm」「70-200mmと2倍テレコン」で写し比べてみました~

何となく手ぶれピンぼけ気味ですが……


まずは「玉兎」(9月20日のブログにある「金烏玉兎」から借用)

撮影は「70-200mm」の180mm(200mmのつもりだったんだけど、ズームリングにうっかり触ったことに気づかず180mmに)」









次は「鏡兎

撮影は「70-300mmの300mm」昔のレンズなのでVRは付いていません。






ボケますけれど、………こんなものかと思います。







次は特大サイズ「盆兎
撮影は「70-200mmの200mmプラス2倍テレコン」


でっかいけど、行きますよ。






ホントにいいですか?



それっ!













デン!!

「玉兎」の直径のちょうど2倍になっています。
2倍って、結構デッカいですね……

でもやっぱりケンコーのテレプラス×2ですからで……こんなものでしょうか?
いつか、ニコンのテレコンバーター×1.7と画質を比較してみたいと思います。


いずれも100%画像です。「玉兎」は開いたままでもこんな感じ、「鏡兎」「盆兎」はCapture NXで……苦労しています。
ただしピントはオートフォーカスが頼り。
肉眼ではピントが合ってるかどうか分かりません





ところで
左上の海の中にある小さく白く光る部分と、中心にシミのように点々とある暗い部分は、一体何だろう?
グーグル・ムーンで見ると水みたいな液体が流れたような痕跡もあるし……

そうそう、日本の月探査船「かぐや」が月に向かって航行中じゃないの!
「かぐや」に謎の解明を期待しよう!

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鬼瓦の作者を、一度「報告書」で確認することにしました。

報告書とは、正確には
「重要文化財 備中国分寺五重塔保存修理工事報告書 1994」
平成二年から六年にかけて行われた解体修理工事の報告書です。
この解体修理工事、途中で台風19号に襲われて大きな被害を受け、修理を始めからやり直したことを、kamokamoはよく覚えています。

報告書によると、鬼瓦の作者は以下のようになっています。

初重鬼瓦:文政10年 備中宿 高谷七三郎作
二重鬼瓦:文政12年 酒津村住人 梶谷定次郎
三重鬼瓦:文政13年 服部村 瓦師高谷七三郎作
四重鬼瓦:記載なし
五重鬼瓦:記載なし

これを見ると、二重鬼瓦の作者は「酒津村住人 梶谷定次郎」ひとりですから、紋章のある四つの鬼瓦はおそらくすべてがこの方の作品でしょう。 ということは、紋章や細部の違いは作者の遊び心でしょうか?


初重と三重は同じ作者の作品のようです(住所が違うけれど)。両者は作風もよく似ています。
しかし、初重より三重の方が、別人のように丁寧な仕事をしているような印象を受けます。(刻まれた銘も詳しくて丁寧??)
初重鬼瓦を作った作者が、二重鬼瓦の丁寧さに触発されて三重で良い仕事をしたということしょうか?

四重、五重ともに作者の記載はありませんが、四重は三重によく似ています。やや獅子頭のようにデフォルメされかかっていますが…
五重も三重と作風が似ていますが、かなり雑な仕上がりになっています。

以下、それぞれの特徴をまとめてみました。

初重鬼瓦:よくある鬼瓦かな~
二重鬼瓦:鼻筋が通ったエキゾティックな顔立ち。額に紋章。丁寧に作られている。
三重鬼瓦:雰囲気は初重に似ているが、二重鬼瓦のように鼻筋が通り、仕事が丁寧になっている。初重と同じ作者
四重鬼瓦:三重鬼瓦に似ているが表情が獅子頭のようにデフォルメ
五重鬼瓦:三重鬼瓦に似ているが、かなり雑

以上です。
写真を掲載したいけれど冊子のコピーを掲載する訳にはいかないし……
超望遠レンズがあったら、遠くからひとつひとつの鬼瓦の表情を写せるのだけど……テレコンでも使ってみようかな。
また撮影に出かけた時に挑戦したいと思っています。


文政から弘化にかけて行われた五重塔再建の経緯を見て行くと、鬼瓦の移り変わりの理由が分かります。

三重と四重の間で、数年観建設がストップしてしまいます。
天保の飢饉などもあって、建設が中断したようです。
塔の建設が途中で中断して放置されている姿を想像すると、何だかおぞましい光景ですね。

数年後、何としてでも塔の完成をという願いから、素材の質を落としてようやく完成に至りました。




ところで
二重鬼瓦に銘を刻んだ「酒津村住人 梶谷定次郎」とは、一体どのような人物なのだろう?


つづく

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これら鬼瓦の「阿吽」と、額の「月と太陽」の組み合わせについて、少し気になることがあります。
(「阿吽」に関してはこちらこちらでどうぞ。)

もし阿吽が「始まり」と「終わり」ならば

「阿」が「うさぎ」、つまり「始まり」が「月」
「吽」が「ヤタガラス」、すなわち「終わり」が「太陽」となります。

どうして月で始まり、太陽で終わるのだろう??
反対に、始まりが太陽で終わりが月なら、すんなり受け入れられるのだけれど……


この点を調べるため、まずパンフレットの鬼瓦の紋章を撮影したアマチュア写真家「Y氏」を訪ねました。
初対面のうえ電話一本でご都合を伺ったにもかかわらず、Y氏は快く応じてくださいました。

Y氏は生まれたときから近所にそびえる五重塔に魅せられ、大好きな塔を何十年も撮影しつづけて来られた方です。
岡山空港開港時には、燃えるような夕焼けに浮かぶ五重塔のシルエットが大パネルとなってロビーに掲げられ、岡山を訪れる多くの客を出迎えました。 ポスターやカレンダー、パンフレットに採用された四季折々の名作は、吉備路を多くの皆様に知ってもらうきっかけになったと思います。

現在は五重塔周辺にあまりにもカメラマンが多くなり過ぎたため、残念ながら全く撮影はされていないそうです。
まぁ、カメラの砲列の火付け役ともなったカリスマY氏がカメラを持って現地に行くと、皆がゾロゾロついて歩くため撮影どころではないとは思いますが………

お宅に伺ったとき、kamokamoは氏の更なる多才ぶりに仰天することになるのですが、それはいずれまたお話する機会もあるでしょう。


Y氏は五重塔の解体修理のときにも、報告書の写真を撮影されました。 鬼瓦の紋章は、屋根瓦を下ろしたときに写されたそうです。

しかし驚いた事に、kamokamoが訪ねるまで、「阿」がヤタガラス(太陽)だと思われていたようです。

「阿」が兎(月)、「吽」が八咫烏(太陽)であることを示し、その意味を伺うと
「えっ……
と絶句したまま、その解釈については一切ご自分では言明されませんでした。



どういうことだろう……

ますます謎は深まります。


つづく

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紋章の続きです

ウサギは「月」を、八咫烏(ヤタガラス:三本足の烏)は「太陽」をあらわすそうです。
う~~ん、たしかにウサギの方は月の模様だと言われても納得できるような……
八咫烏は天皇家ともゆかりのある鳥だけど、昔の人が磨りガラスのようなもので太陽をみたときに黒点を発見し、太陽には黒いカラスが住んでいると感じたのかしら?

ちなみに「金烏(太陽)玉兎(月)」は古代中国の思想で、吉備真備が日本に持ち帰ったとされる、いわば天文学の草分けのような学問です。 占い(陰陽道?)に使われていたようですが……この部分に関しては勉強不足で何ともいえません。
この五重塔には「薬師瑠璃光如来」が中央に安置され、左右に「日光菩薩」「月光菩薩」が控えているけれど、なにか関係あるのかしら……
どちらにしても、潮の干満に関係する月と四季に関係した太陽の運行は、古代の人にとって神仏がつかさどる宇宙であると同時に生活そのものだったのかもしれません。 いわば、日々の暮らしの中にいつも神仏が同居しているということでしょうか。(新暦になって、その実感が薄れてきたかも)




ところで
写真をよ~~く見ると、この四つの紋章は、左(つまり北西と南西)、右(北東と南東)の二つがそれぞれ阿吽の鬼瓦のペアになっていることが分かります。

また、左右を比較すると、右より左の方が細工が丁寧なことも分かります。
(特に先端の龍の口の周りから首下にかけて。↓の写真が分かりやすいかも)




国分寺のパンフレットにも画像が掲載されていた左の鬼瓦一対は、境内のお茶屋さんに置いてあった資料によると「文政12年 酒津村 梶谷定次郎作」となっています。

文政12年は西暦1829年。
五重塔再建は西暦1821年から始まり1844年に完成ですから、この鬼瓦は再建当時のものですね。

しかし右の一対は、左と同人の作かどうか今のところ不明です。
雰囲気はよく似ているのですけれど、紋章が少し……

どちらにしても、これらの鬼瓦はそれほどデフォルメもされておらず、鼻筋の通った高い鼻、彫りの深い顔、縮れ毛と、結構リアルです。くりぬかれた瞳を通して見える光が、生き生きとした表情を際立たせています。
…………これはひょっとすると吉備の鬼かも……




さらに、阿吽の鬼瓦と紋章の組み合わせに関しても、新たな疑問が湧いてきます。


つづく

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この異常な蒸し暑さは何だろう? 
昔はこんな「生暖かい風」は、妖怪変化の出現の前触れじゃなかったかしら。
ン……「妖怪変化」?  これから自民党総裁選があるけれど………

ま、いいや



さて
備中国分寺のボランティアガイドさんに聞いた、五重塔・二層目鬼瓦の額の紋章。
一体どんな模様なんだろう??
気になるなぁ……


そこで三脚と望遠レンズをかついで、国分寺に行ってみました。

備中国分寺周辺は、夕方ともなると夕焼けを背景に五重塔のシルエットを狙うカメラが砲列をつくるそうです。
しかしこんな暑い中、真上からの光で作品作りするカメラマンはまさかいないだろうと思っていたのですが………何と5人くらいが三脚を立て、ファインダーを覗いています。
kamokamoが通路を歩いてゆくと、憮然とした表情で「早く通れ」とは言わないけれど、顔に書いてあります。


境内では庭木の剪定が行われているようですが、ちょうどお昼休みの時間に行き合わせたようです。
木陰でお昼寝中の大勢の庭師さんたちを「チョット失礼しますよ」とまたぎながら、五重塔にたどり着きました。
(本気にする人もいるから、もう冗談はよしなさい

9月になっても異常な暑さが続いているから、炎天下で作業する庭師さんも大変だなあと思います。



さて、以下がこのとき撮影した四つの鬼瓦です。
五重塔は正確に東西南北を向いていますから、一応方角も入れておきました。



これらの額に見える日輪にズームしてゆきます。



ふ~~む、なにやらユーモアたっぷりの「ウサギ」と「八咫烏」ですね。
これについてはまた後日。


つづく

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吉備人のkamokamoですが、なんとなんと関西の友人と一緒に吉備路を旅しました。

タイムリーにも、この旅の直前に「学習の館」の先生に「古代への誘い:吉備のくに総社」という、航空写真に史跡を重ねたガイドブックをいただき、目を通していました。
「古代への誘い…」をみていると、何気なく通過している場所や、いつも眺めている山が「あらまぁ~~、そこが新聞報道で話題になった○○だったのね!」などと、改めて驚いてしまいます。
吉備に住みながら、なんと地元を知らないことか……


吉備路の史跡には、最小限の標識程度しか案内はありません。
大きな看板や広~い専用駐車場や土産物屋、はたまたそこへ至る広い道路など、望むべくもありません。


ツアー客の中には「何がどこにあるのかサッパリ分からん。吉備路など面白くも何ともないところだ」と感想を述べていた方もいたくらいです。

仕方ありません。
吉備人のkamokamoにも、実はどこに何があるのかサッパリ分からないのですから

しか~し、そこが吉備路の良いところだとkamokamoは思います。
『しにせが古すぎるほど古い(司馬遼太郎)』吉備には、弥生から古代に至る史跡が、さりげなく道ばたに転がっているのです。

もし、わかり易いように遺跡を柵で囲んだり駐車場等の整備などを始めると、吉備路中が看板や柵や駐車場だらけになってしまって、景観が台無しになってしまいます。
また、吉備の民は頻繁に柵をまたいで通行しなければならないため、生活に支障をきたしてしまいます。
(ホンマかいな


吉備路は、一見すると丘陵地と田園が広がっているだけにしか見えません。
巨大前方後円墳「造山古墳」「作山古墳」でさえ、数ある丘陵のひとつとして風景にとけ込んでいます。

そこで「宝探し」はいかがでしょうか。

「冒険の書(吉備路散策のリーフレット)」片手に、吉備路唯一のランドマーク「備中国分寺:五重塔(写真)」を目印に、吉備路を探索してみてください。
目の前にある丘が古墳であることに気付いたり、木々に埋もれた石棺を見つけることができるかもです。
所々にある資料館では、より詳しい情報を得ることができるでしょう。
農家のおじいさんに道を尋ねると、地元に伝わる遺跡にまつわる裏話を教えてくれるかもしれません。

まるで、あなたが「勇者」のロールプレイング・ゲームですね 


で、最後は歴史の謎と闇に包まれた「鬼」に辿り着くかも???です。

古代史の奥深くに幽閉され「鬼」に姿を変えられた「吉備の魂」は、千数百年もの間「勇者」の登場を待ち続けているのです。







ところで
にぎやかに楽しく回ったこの旅の正直な感想は……

「体重計に乗るのが怖い」…………デス

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ふぅ……九月になったのに、外を歩くと融けてしまいそうな暑さです。
今日の日差しは「お肌にダメージが生じるまで、20分前後」ですって。
これじゃ、どこにも出られないじゃないの……

さて、南海地震関連の連載(?)のため、こちらに待避させていたMac君メモリ増設のその後です。

メモリ増の快適な環境を手に入れたはずでしたが、調子に乗って次々と写真を開いて行くと、やはりメモリ不足に陥ってしまいます。 で、潤沢なメモリの快適さに味をしめたkamokamoは更なるメモリ増設に踏み切りました。


先日秋葉館で買ったものと同じメモリを、違うネットショップで購入しました。
(これでQuadのメモリスロット8つが満タンとなります)

今回もMac君をゴロンと倒して(この手順にもすっかり慣れてしまって、これで打ち止めとはチョット寂しい)増設後「システムプロファイラ」を見たところ、やはり「PC2-4200」ではなく「PC2-3200」と認識されています。
ふぅ……これは仕方が無いみたいね

別に不具合があるわけでもなく快調に動作しているから、まっ、いいか。
しかし、こんなに快適になるんだったら、もっと早くメモリ増設に踏み切るんだったわ。でもQuad用メモリは、最初はお値段がアレだったからね……。(kamokamoが今でも速攻で新機種に乗り換えられないのは、マシンをもう1台買えるくらい投資しなければならない最新機種のメモリの価格も原因のひとつです。)


しかし8Gに増設しても一層数多くの画像を開くとやっぱりメモリ不足に陥ります。 これはもう、いたちごっこで際限がありません。


ところで
「アクティビティモニタ」でメモリの使われ方を監視していると、アプリケーションの中には終了してもメモリが完全にはクリアされないものがあることに気が付きました。
アプリケーションで使用していたメモリの領域が、アプリを終了しても完全に「空き」にはならないのです。
で、ふたたび同じアプリケーションを立ち上げると、あらたな「空き」部分を使い始めます。
それを繰り返すと、あっという間にメモリの空き領域がなくなってゆきます。

ちょっとぉ、メモリのこの不健全なメタボリック状態はいったいどういうこと?
なんだか余計な老廃物をため込んで、行き着く先は心筋梗塞って感じで身につまされるじゃないの


でもMac君は良いわよ、再起動するとメモリがリセット出来るんだから。

kamokamkoもいっぺん再起動して、余計なものをリセットしたいなぁ……

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プールは相変わらずの混雑です。
フリーの練習など、とても満足に出来る状態ではありません。

ということで、ひと月ぶりにバタフライ講習に復帰しました。

ひと月練習して、ひと月休んで
こんなことで上達するものなのだろうか?
泳ぎ方なんか、すっかり忘れているわよね……
折角ここまで練習してきたのに……

相変わらず経験者クラスの最後尾に付いて講習を受けます。
kamokamoのいつもの指定席です。
う~~ん、今日は初心者コースの方が良いんじゃないかしら??

などと考えながら、ケノビやドルフィンキックをこなしていました。
左右の片手も終わり、いよいよ両手で……
あっちゃーー、出来るかしら????

二ヶ月前の、あのゾッとするような出来事が思い出されます。


いよいよkamokamoの番です


恐る恐る出発しましたが、何となんと、スムーズにリズムよく泳げるではありませんか!

「わぉ! かもちゃん、とってもうまく泳げてるよ」

バタフライ仲間の暖かい言葉が、嬉しいやら泣けるやら……




「皆さん、よく泳げるようになりましたね! 私もコーチとして大変嬉しいです。 さて、ここでお知らせです。 突然ですが、私は今日をもって退社することとなりました。 寿退社………というわけではありませんが、花嫁修業に専念する予定です。 う~~ん、やっぱり寿退社かな??」



「ええぇええーーー!」

「あたしを見捨てておよめに行かないで~~~

「おめでとーー!」

……………………………


プールは騒乱状態と化したのでした。

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