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世界遺産登録されて二日目の「石見銀山」に行ってきました~

標高が高いためか、車を降りたとたん高原のようなひんやりと心地良い空気を感じました。
駐車場には中四国・関西のみならず「大分」「横浜」のナンバープレートも見受けられ、遠くから駆けつけた多くの人々で賑わっていました。
銀山周辺の道は細いので(うっかり車を乗り入れてしまうと、すれ違いに大変です)、少し離れた駐車場に車を停めてバスに乗り換え、あちらこちらを見て回ります。(バスは一日券が便利ですよん)




資料館の入り口に割られたくす玉が下がっていたので、思わずパチリと一枚。
銀山エリアとその周辺に、そこはかとなく晴れやかな祝賀ムードが漂っていました。




かつて世界の銀の3分の1を生産した(これには驚きました)産業遺跡が、苔むした谷間一帯に広がります。鬱蒼とした松林の中の至る所に、間歩(坑道)が開いており、その数は600にものぼるそうです。
写真は、その中のひとつです。

銀山発見のきっかけは「日本海を船で航行していたら山が光った」という嘘のような話ですが、まんざら作り話でもなさそうです。 ここらあたりの事情をもう少し詳しく掘り下げたいところでしたが、タイムアップ。まぁ今回は下見ということで…。(次回の訪問時期は不明です)



銀山へは「米子道」→「山陰道」→「国道9号線」→「銀山」という基本ルートが分かり易いです。
市街地の渋滞に引っかかると時間がかかるけれどさ。

kamokamkoは『中国道」三次インターから北に入るというサブルートを使いましたが、途中で道に迷い、細い山道をさまよう羽目になりました。これに懲りて帰りは基本ルートでした。


帰路はいつものように、国道沿いの道の駅やSAで御当地の名産を試食したりお土産を買ったりです。実は帰りも9号線を外れちゃって…… しかし迷い込んだ道路は眺めの素晴らしい海沿いの道で、存分に夕暮れの日本海を堪能させていただきました。ホント怪我の功名です
帰路の高速道路は睡魔との戦いだったけど、道中もなかなか楽しかったですよん。


岡山-石見銀山はすんなり直行すると片道3時間チョットかな?
地図でしっかり下調べしておけば、中国自動車道:三次インターから国道54号経由が時間距離とも最短みたいです。

ただ、現在駐車場やレストハウスなど多くの施設がまだ工事中で、今後マイカーで押し寄せる家族連れや、旅行会社から怒濤のように送り込まれるであろう観光客をさばききれるかどうかは……不明です。 なにしろ(ホントは)10年後の世界遺産登録を目指して整備を進めていたのですから。

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再び大和の三輪山と大神神社を訪れるチャンスは、以外に早くやってきました

前日までの「雨」という予報が外れ、晴天の気持ち良い青空が広がる中、再びまきむくの地に立つことが出来ました。もう一度三輪山を尋ねたいという切なる願いが通じたのかもしれません。
しかも今回は何と何と、近世まで禁足地だった三輪山に入山出来るというおまけ付きでした。

木陰の涼しい山辺の道を大神神社からまきむく方面へ散策していると、数多くある摂社のひとつに登山口がありました。
道中何気なくふらりと訪れた摂社だけに、何と幸運な巡り合わせでしょう!
これもなにかのご縁かもしれません。


霊山で粗相をしてはなりません。
飲食もなりません。
カメラビデオ撮影は御法度です。
一草一木一石たりとも持ち出してはなりません。
登山道以外に立ち入ってはいけません。
3時間以上山に留まってはいけません。


様々な制約を承諾し、住所氏名連絡先を記入し、カメラ等の荷物を預け、鈴の下がった白い袈裟を首に掛け、杖を借りて出発します。行きがかり上、革靴に準フォーマルな出で立ちでしたが、そんなことは何の問題でもありません。
前回雷に打たれ門前払いされたことを考えると、三輪山の入り口に立っていることがまるで夢のようです。


ペットボトルのお茶をゴクゴクと飲み、襟を正して入山しました。


凛とした空気の中、苔むした木々の間に続く緩急の勾配をもつ1本道。
不思議と疲れや喉の乾きも無く、途中で引き返そうという考えも全く思い浮かびませんでした。

往復2時間あまりの道程で見たもの聞いたこと出会った人々に関して、ここで語ることは控えさせていただきます。
いずれまた何かの折に触れることもあるかもしれません。



禁足令で守られてきた自然は心が洗われるようでした。

どうか、今の姿のまま後世に残りますように!

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「このままでは終われない。」

先日のバタフライ講習で醜態を晒したkamokamoは、胸に期するものがありました。
リベンジしなければならないモノが多過ぎて忙しいわねぇマッタク

再びバタフライに挑戦です。
(ホントは曜日を間違えて、背泳ぎのつもりで出かけたらバタフライだったんだけどね


前回と同じく、片手バタフライまではソツなくこなしました。潜水ドルフィンキックでプールの底に胸(ホントはおなか)をこすって座礁した以外は…。


いよいよ問題の両手バタフライ。
練習は全くしていないけれど、前回のような醜態を晒す訳にはゆかないわ。

要するにリズムの問題よね。人間歩く時に歩き方を考えながら歩く人はいないじゃない。結局自然に見えるように泳げばいいのよ。(それが出来たら苦労しないんだけどさ…)

ってことで、見た目重視で泳ぐことにしました。
う~ん、やっぱり前回と同じハッタリか…。


今回もやはり25m先には到達できず、いたずらに体力を消耗するばかりです。
お友達によると、5回くらい手を掻いたあたりで泳ぎが破綻しているそうです。


う~~ん、バタフライの達人に到る道程は険しく長い





    
  ……達人???

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Aさんのお勧めでフェルマーの最終定理を読みました。

数学の本なんて…と最初は尻込みした kamokamoですが、これは面白かったです。
下手な、いや上手い推理小説より数段面白い!
kamokamoのような数学に縁のない素人も「次はどうなるのだろう?」とワクワクさせられ、読み切るまでこの本を持ち歩き1~2分でも暇があれば読んでしまいました。

数学の歴史から始まりますが(これが重要)、身近な問題を簡単な数式で表し様々な問題を解決したオイラーには「数学って美しいのね!」と感激し、アレキサンドリアの女性数学者ヒュパティアの悲劇には胸が潰れる思いでした

350年間も解かれることの無かった難問の「解決」に至る道筋は険しく、しかしとうとうやってきた「その時」には何だかkamokamoも思わず乾杯したいような、そんな読後の爽快感が残りました。


う~~ん素晴らしい!読んでよかったーー

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確かに……

kamokamoは「吉備の国を滅ぼした大和の本拠地を見ておかなければ」という意気込みで、箸墓と三輪山に出かけました。 まるでひとりで敵地に乗り込んだような緊張感がありました。

しかし結局、三輪山に近付くことも大神神社の鳥居をくぐることも許されず、「顔を洗って出直してこ~い!」と三輪山の大物主に叱責され門前払いを食らったようです。


う~ん、ひょっとするとkamokamoは吉備と大和の関係について、なにか根本的な勘違いをしているのかもしれないな…。

海を照らしながら大和にやってきた三輪山の主。
吉備の三輪山にある宮山古墳と、大和の三輪山の麓にある箸墓から出土した吉備特有の「宮山型」特殊器台。
その三輪山をご神体とする大和一宮の大神神社。
その三輪山の麓にある大和朝廷発祥の地。

ムムム……



時代はやや下りますが
吉備「造山古墳」と畿内「石津ヶ丘古墳」。
これらは、双子の古墳と言われるくらいソックリの形状と規模を持った5世紀前半の前方後円墳です。建設当時は互いに日本一の大きさを競いました。今でも3位4位です。(造山古墳の方がやや早くつくられたらしいから、当初は造山古墳が日本一の大きさだったみたい)
遠く離れた吉備と畿内に、「同じ設計図」による巨大建造物が「同時期」に造られたなんてチョット尋常じゃないわ。一体どういう経緯でこんなことになったのか、当時の人にインタビューしてみたいわ。




写真は堺市の「石津ヶ丘古墳(伝履中陵)」です。
宮内庁が管理しているため立ち入れず全体を写すことが出来ませんでしたが、噂どおり大きさも形も吉備の造山古墳のそっくりさんで、懐かしいやら嬉しいやら不思議な愛着を感じました。




日本最古の史書「古事記」「日本書紀」の成立は8世紀(712年と720年)ですが、それ以前の歴史書は無かったのかなぁ?聖徳太子級の優れた人物もいたはずなのに史書が編纂されなかったとは、チョット考え難いけれどね。

古事記・日本書紀は、もともと天武天皇の「由緒」として記述されたと学校で習ったけれど、そのとき何が付け加えられ、何が削除されたのか?
歴史が書き換えられたなら、それまでの歴史書は徹底的に破棄する必要があっただろうから、やっぱり残っていないだろうなぁ。


削除されたといえば、吉備には日本で最も堅牢で優れた古代山城にもかかわらず、正史に記述が無い「鬼ノ城」があります。朝廷に滅ぼされた「鬼」が立て籠り抵抗した城と伝えられています。(鬼ノ城から撮影したパノラマを、ブログのヘッダーに使っています)



朝廷から執拗に攻撃され滅ぼされた吉備の「鬼」とは何者だったのでしょうか、伝承のように一介の渡来人にすぎなかったのでしょうか、それとも……

吉備の国が早々と歴史の表舞台から姿を消した真の理由は一体……




あれれ……
鬼門を向く吉備の一宮「吉備津神社」の祭神「朝廷の皇子:吉備津彦命」と「鬼」(どちらも本殿に祀られている)が重なって見えてきたのは気のせいかしら。


kamokamoは頭を冷やして、もう一度大和の三輪山に出かけてみたいと思います。


(おしまい)

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スピードを落としながら近付いてきた軽トラックの窓が少し開き、暫くして運転手のお兄さんが「乗りますか?」と声をかけてくれました。
豪雨の中でカメラを構えたまま凍り付いていた姿は、声をかけるのも躊躇してしまうほど異様だったのでしょう。

ハッと我に返ったkamokamoは、一目散に軽トラックの助手席側に走りました。

「助かりました、……命が、助かりました」
「どこまで行くの?」
「三輪駅です」(何故か大神神社という言葉が出ませんでした)
「三輪駅まで送りましょか?」
「えっ、本当ですか? ありがとうございます!」

フロントグラスに叩き付ける雨でまともに前方も見えない中、転がっているポリバケツやら倒れたビニールハウスの一部やらを巧みに避けながら、あぜ道を走ります。

「この様子では三輪駅はまた水に浸かるかもしれないなあ」
「えっ、このあたりは丘陵地ではないのですか?」
「いやいや、一番低いよ。三輪駅はこの前も水に浸かったしね」
「電車があるうちに乗った方がいいですね…」

三輪駅で「是非お名前を」と懇願しましたが、お兄さんは「いやいや…」と言いながら去ってしまいました。
kamokamoは深々と礼をして見送りました。


間もなくやって来た電車で雷鳴轟く三輪を後にしました。
乗り継ぎもスムースで、お昼過ぎには何と梅田の街に立っていました。

濡れた服のままではあまりにも寒いので、梅田のデパートで羽織るものを求めました。
何気なく三輪での出来事を話すと、デパートの若い店員さんはそれまでとは別人のような表情と声色で言いました。

「早く家にお帰りなさいということですよ」

えっ……?




(つづく)

内容は全てkamokamoが体験したことで、フィクションではありません。

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ツバメちゃん……



次の瞬間フワリと髪の毛が吸い上げられるような感触があり、猛烈な雨と風が襲ってきました。まぁ正直、落雷ではなく暴風雨でホッとしました。

幸いなことに風は納屋の後ろから吹き付けており、kamokamoは豪雨の直撃を免れていました。しかし回り込んだ飛沫でズブ濡れです。

お散歩カメラに被せてあったシャワーキャップはいつのまにかどこかへ行ってしまって、カメラは雨ざらし。箸墓を巡ったときには、いつものカメラではなくコンパクトなお散歩カメラを持って来たことを後悔していたけれど、この時ばかりは被害額が少ないお散歩カメラで良かった~と思いました。



ずぶ濡れついでに記念撮影 へへ




もし風向きが変わったらどうなるのだろう。
落雷の危険も去った訳ではないし……。



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まきむくに向かう桜井線沿線の長閑な景色を眺めながら、緑豊かな丘陵の様子が吉備の風景に酷似していることに少なからず驚いていました。

緩やかな傾斜の丘陵を利用した古墳づくり、低地に広がる水田、後ろに控える山地。
ただ、吉備と違っているところは山に囲まれた盆地であること、直近に海が無いところです。

当時の吉備は北に吉備高原、南には防波堤のように横たわる児島と波静かな穴海、風光明美な瀬戸内海が開けており、それらに囲まれた緩やかな南傾斜の地に古代文化の花が開きました。中国山地を源とする大きな河川が何本もあり水運も便利で水に不自由することもありません。災害も少なく晴れの日の多い瀬戸内気候で「こんなところに暮らしたい」と思わせる所です。

どう考えても吉備の方が暮らしやすそうなんだけれど、どうして箸墓の主、いや建築主は、吉備を離れて隠れ里のような大和に移ったのだろう?

南海地震が近々やってくると言われているけれど、当時も100~150年に1度は必ず西日本に襲いかかっていた訳だから、吉備から大和への移動の理由はともあれ内陸の盆地に居を定めたというのは案外良い選択だったかもしれないわね。生駒山地を隔てた大阪は南海地震の津波で何度も酷い目に遭っているし。

浪速区の「安政大津波の碑」の「津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。」という最後の一節が心に染みます。

碑の建立は1855年、今年は2007年か………
ちなみに1946年の南海地震では蓄積されたエネルギーの1/10程度しか放出していないそうです。
(話がそれちゃった

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強風と豪雨は稲妻をもかき消すように激しさを増し、坂道を滝のように雨水が流れます。
kamokamoは納屋の壁にへばりつくようにして風雨をやり過ごしていました。

雷が落ちたら人生おしまいですが、どうにも身動きが取れません。
えーーい、こうなったら落雷の瞬間にシャッター押してやるけんね。
腹を決めてカメラを構え、「そのとき」に備えていました。





そこへ一台の軽トラックがやってきました。

(つづく)

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首をすくめながら栗の木の下でしばらく様子を見ていると、農作業をしていた人達が慌ただしく田んぼから引き上げて行くところが見えました。
「これは本格的にヤバいかも。でも今ならまだ移動できそうね!」
kamokamoはカッパを羽織り一目散に坂道を下りました。(傘など怖くて差せません。)

道の脇にある納屋の僅かに張り出した軒下に辿り着きました。
こんな浅い軒下で、雷は避けられるのかしら?
でも、次に雨宿り出来そうなところはずいぶん遠いし…。

しかも納屋のすぐ傍に電信柱が立っています。
電信柱って時々雷おちるわよね、大丈夫かな…。
などと考えながら見上げると、電線にツバメが三羽停まっているではありませんか。

良かったぁ!
ツバメがいるってことは、ここは大丈夫かもしれないわ。
落雷の時、稲妻は上から落ちるだけではなく地上からも上がると言うじゃない。
動物は人間には無い感覚を持っているから、地面に集まって来た電気を感じることが出来ると思うのよ。危険を察知したら逃げてゆくわ。
そうよ、ツバメちゃんがいるんだから大丈夫!
(何の根拠も確証もありません)



相変わらず、絨毯爆撃のような落雷は続きます。

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kamokamoは、たった今通ってきた、箸墓古墳の側面にぴったり沿った道を思い出していました。

前方部から後円部にかけてのあの腰のくびれ、何だか妙~~にグラマラスだったわ。
言い伝えによると箸墓は三輪山の大神神社に祭られている「大物主」の奥さんのお墓だそうだけど、ひょっとすると本当に女の人を葬ったお墓かもしれないわね。

インドのタージマハールも愛する王妃の死を嘆いて王様が建てたものだから、あり得ない話ではないわ。古代の大建造物って、そこに眠っている人ではなく、それを造った人に力があったってことよね。インドの王様は結局失脚しちゃったけど、亡骸は愛する奥さんの横で安らかに眠っているそうだから、今は幸せだと思うわ。

そういえば、吉備の国にある弥生時代日本最大の墳丘墓・楯築遺跡に葬られているのも熟年女性みたいなんだけど(豪華な首飾りが3つも出て来ました)主体の近くから見つかった第二埋葬はご主人なのかしら?


雷と大雨も忘れて、kamokamoの妄想は膨らみます。

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ふいに「ツツ、ツー」という鳴き声を残して、電線にいた3羽のツバメが飛び去って行きました。




(つづく)

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所用で関西方面に出かけました。
余った時間、何して暇をつぶそうか、デパート巡り?それとも食べ歩き??
なにしろ急なことで神戸や大阪のお友達には声をかけられないし…。

そうだ、少し足を延ばして大和の箸墓古墳に行ってみよう。

箸墓といえば「卑弥呼の墓」とも言われる大和朝廷黎明期の巨大前方後円墳だけれど、後円部の土砂崩れの跡から弥生期に吉備で使われた大型土器(祭祀に特化した特殊器台と特殊壷。その出土範囲が「吉備」と言われる)の破片が大量に出土し、何やら吉備と深~い関係がありそうな気配を漂わせる古墳です。吉備の民のkamokamoとしては、一度訪ねてみなければと思っていたところでした。

地図とにらめっこして、「まきむく駅」で下車→箸墓古墳をひと巡り→三輪山の大神神社にお参り→「三輪駅」でふたたび電車に乗り帰路につく、という計画を立てました。


三輪山かぁ…

吉備の国にも「三輪山」があります。
吉備の三輪山には「宮山古墳」というごく初期の前方後円墳(弥生墳丘墓という説も)があり、その宮山古墳から出土した「宮山型」と呼ばれる特殊器台が、まさに大和の三輪山の麓にある箸墓古墳から出土した特殊器台です。

何だか不思議な符合ですよね。




写真は箸墓古墳と三輪山です。

お天気も上々、箸墓古墳の周囲を一巡りしてしげしげと眺め写真を撮った後でホケノ山古墳に立ち寄り、山辺の道へ向かう坂道を登り始めました。
大神神社の大鳥居も遠くに見えており、山辺の道から眺める古墳群の風景はどんなに素晴らしいだろうと心が高鳴ります。



坂道を登り始めたとき、遠くでゴロゴロと雷が鳴り始めました。
雨もポツリと。

そういえば今日もお天気が不安定と言ってたわね。
でもまだまだ空も明るいし、大神神社までくらいは行けそうね。
少し急がなければ。


雷鳴が少しずつ大きくなります。

それでもkamokamoは坂を上り続けました。

黒い雲が現れ、風が強くなり始めました。

それでもkamokamoは上り続けました。


遠くで落雷がありました。
黒い雲はいつの間にかすぐ近くまでやって来ており、黒い舌のようなものを下方に伸ばして無気味な姿に変身していました。

kamokamoは足を止め、初めて引き返すべきかどうか迷いました。


近くで落雷がありました。
雨粒が大きくなり、本格的に雨が降り始めました。
kamokamoはようやく事態の深刻さに気が付きました。
どうやって落雷から身を守ればいいのだろう?

良い考えも浮かばぬまま、とりあえず雷様から見えないよう栗の木の下に隠れました。
(オイオイ、それが雷から身を守る方法なのかい…


雨は叩き付けるように一層激しくなり、立て続けに近くに雷が落ちました。



(つづく)

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マスターズに参加する皆様の熱の籠った練習を横目で見ながら、ひとりモチベーションの低いkamokamoです。
しかし、ひとりではなかなか1000m泳ぎ切れませんが、仲間と楽しくおしゃべりしながら泳ぐとあっという間に1000m以上泳いでいます。仲間とはホント良いものです。

近頃はスイミングサークル以外の講習は殆どパスしています。腰の事を考えて、泳ぎもクロール1本です。しか~~し

「講習に出てあれやこれやと指示されたことをやるってのは、脳の老化予防に良いみたいよ。」

「えっ、ホント? う~~ん、そういえばクロールだけやっていると何も考えることがなくて、全然頭を使っていないことはよく分かるわ。 最近特に物忘れが酷くなってしまったのも、そのせいかも…。 普段殆ど頭を使っていないのだから、水泳の時くらい使ってもいいわよね」
オイオイ

そこで丁度始まった「バタフライ講習」に急遽参加することにしました。

バタフライか……
バタフライといえば、去年の夏にドルフィンキックを練習し過ぎて腰を痛め断念して以来、およそ1年ぶり2回目の挑戦です。
2レーンを使用し、1レーンは初心者、1レーンは達人と経験者用です。
kamokamoは初心者だけど、初心者レーンに加わるのはプライドが許さないわ。
妙な見栄がムクムクと頭を持ち上げ、結局経験者レーンの最後尾に付くことにしました。


ケノビ、イルカ飛び、ドルフィンキックと涼しい顔をして、ソツなくこなしていました。
まぁ、ドルフィンキックはクロールでもスタートとターンのときに使うから、多少の慣れはあるわね。


次は手が付きます。
最初はビート版を使って片手ずつ。
kamokamoの前に泳ぐ人たちを、穴があくほど見つめて即席学習。
    ………ふむふむ、クロールの片手と同じような感じね、これなら得意よ。
あらあら前の人を追い越してしまったわ。フフ、まんざらでも無いわね。



いよいよ両手でバタフライです。

皆さんが泳ぎ終わった後にとうとうkamokamoの順番がやってきました。


達人経験者初心者皆さんが注視する中、最後に泳ぎ始めたkamokamoは


途中で思いきり水を飲み

目が白黒して頭が真っ白になり


手をグルグル回すことまるで溺れている者が助けを呼んでいるかの如く


それはそれは目を覆うばかりの凄惨な光景がプールの真ん中で繰広げられたのでした……

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