鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

旧盆と稲刈り

2020-08-14 08:55:28 | おおすみの風景
鹿屋市はじめ周辺の町村では、田んぼに作る稲としては「早期米」が多い。

早期米というのは品種ではなく、普通作が通常は6月に田植えをして10月頃に刈り入れをするのに対して2~3か月早く田植えをする米のことで、同じ品種でも早期に作れば「早期米」、通常の時期に作れば「普通米」(普通作)になる。

新潟で品種改良して作出されたコシヒカリも向こうでは普通作になるが、こちらでは3月下旬から4月上旬にかけて田植えをし、台風被害の少ない旧盆前には収穫するので早期米となる。

6月に植えて真夏の2か月間、じっくりと光合成させて米粒にでんぷんを充分に蓄えさせ、冷涼になった秋に熟させた方が米はうまい、という考え方が一般的だ。けれども南九州では東日本よりも1~2か月早く春になり、夏になるので早く刈ってもでんぷんの入りはさほど変わりはない。

ただ旧盆の8月半ばまでに刈り取ると、実が熟す頃の朝昼晩の寒暖に大きな差が無いので、米の「しまり」が悪く、その分味が大雑把になることは否めない。

ただし、気温的にはそうであっても、田んぼに掛かる水(用水)が冷たいと米のしまりを良くするので、客観的に測ることのできる「食味計」による味に優劣はないそうだ。こちらでは「冷や水の掛かる田の米はうまい」と言われている。

また米は炊き方によっても味に差は出るし、食べ時の違いでも差が出て来るので、「魚沼産のコシヒカリ」でもТPОを誤れば味が台無しになるのは経験済みだろう。要は炊いて食べるタイミングである。

4月19日のブログ「田植えの風景」に書いた鹿屋市吾平町の飴屋敷地区に行ってみると、ブログに載せた写真の田んぼではなかったが、すぐ近くの田でコンバインによる刈り取りが行われていた。


13日は盆の入り。周辺の田では収穫を済ませたのがほとんどで、切り株が並ぶ中で、この一枚の田んぼが最後の刈り取りらしかった。

今年の旧盆は、直近に台風もなく青天に恵まれ、近年にない最高の日和が得られ、帰省ラッシュのはずだったのだが、コロナ禍という奴が足を引っ張った。

それでも街中を車で行けば、渋滞するほどではないが、県内や近県からの帰省や初盆などでやって来る車など、かなりの入り込みがあるように見受けられた。

仮に感染者の多い福岡県あたりからやって来るにしても、自家用車でなら人との接触も最小限に抑えられるだろうから、当地大隅半島ではさほど心配する必要はないと思われる。

何しろ大隅半島に鉄道はなく、高速バスもないから、都会から直行するには自家用車の便しかないし、三密になりやすい代表施設「ショーパブ」もないから安心である。その代わり海水浴場は2か所あり、清流も森林もたっぷりあるからさらに安全だ。


長崎原爆忌2020

2020-08-10 14:45:03 | 専守防衛力を有する永世中立国
8月9日は長崎原爆忌(平和祈念式典)。

75年前の午前11時2分、長崎市のほぼ中心部にある「浦上天主堂」近くにプルトニウム型原子爆弾が投下され、長崎市の大半は廃墟と化した。

何日たってかは分からないが、米軍に従属しているカメラマンが撮った一枚の写真が現ローマ教皇フランシスの目に留まり、これが拡散して長崎が世界中で再び注目されることになった。

それは、まだ小学生の少年が、背中に横向きに深くうな垂れた弟らしい幼児を背負っている写真である。

すでに弟はこと切れていて、遺体を焼く場所での順番を待っている姿というのも見る者を悲しみに誘うに十分だが、少年のまるで「気を付け」と言われたかのように直立している姿勢と、少年の目の中の悲しみとあきらめとの交じった何ともつかぬ色合いが余計に切ない。

今年は新型コロナ感染対策で長崎も広島と同様、参列者を10分の一に減らしての開催となったが、子供たちの「平和の誓い」と市長の「平和宣言」、そして総理大臣の挨拶は例年と変わりなくあった。

安倍首相の挨拶は「新型コロナ対策」というのが枕に使われただけで、内容は広島でのあいさつとほぼ変わらず、例によって「我が国は唯一の被爆国であるから、核兵器のない世界実現に向けて国際社会をリードしていく」というものであった。

国連で「核兵器禁止条約」が策定されたが、日本が批准しないのはこの安倍首相の挨拶とは全く相いれない。矛盾も甚だしい。

批准しないのは、「日本がアメリカの核の傘によって守られているから、アメリカにおける核兵器は必要とされる。したがって無くすわけにはいかない。」という論法である。

しかも挨拶ではこうも言っている。

「核拡散防止条約(NPT)は発効して50年になる。結束した取り組みの継続を各国に働きかけ、積極的に貢献します。」

核拡散防止条約とは「既存の核保有国(米英中露仏)以外の国で核武装をするのを防止する」という内容で、これあるがゆえに北朝鮮やイランの核保有に目を光らせているというのだが、これに対して日本がどう貢献して来たのか、全くの虚言である。

日本が独自に北朝鮮やイランに対して「核を持つな」と言ったなど聞いたことがない。

結局のところ、アメリカがそれらの国々に「重大なる懸念」を表明し、かつ「経済制裁を加える」ことに賛成するだけの話である。

北朝鮮にしてもイランにしても「ふん、アメリカの尻馬じゃねえか」と蔑んでいるのがオチだ。(※もっともイランは石油貿易に関して、また戦後史の中で日本には常に友好的であり、ガチガチの日米同盟への懸念表明は控えている。大人の態度というしかない。)

「積極的に貢献する」のなら、もうアメリカの尻馬に乗っからずに独自の外交関係を築くしかない。ガチガチの日米同盟はトランプも「見直そう」と言っている。チャンス到来ではないか。

日米同盟がチャラになったら、「中国が尖閣諸島を乗っ取り、そのうちに沖縄も乗っ取られる」とか「ロシアが北方領土を完全に自国のものとし、北海道が危うくなる」などと心配する人が多いが、日本に独自の外交がないものとあきらめている人間のたわごとでしかない。

こういう人々は「アメリカ依存症」というべき人たちで、旧冷戦時代の思考にどっぷりつかってしまっており、まさによく言われる「旧人類」そのものだろう。

つい最近亡くなったが、台湾で初めて民主的な選挙で総統に選ばれた李登輝氏は、まだ元気なころのインタビューで「日台の連携」を言っておられたが、その根底には「日本よ、もっと日本らしさを出せ」と叱咤しているように感じた。

「旧人類」でも日本が台湾を統治していた時代(1895~1945年)、いかに日本が教育・農業・治山治水・医療などで多大の貢献をしていたかをよく知る人は少ない。しかし台湾人でその時代に育った人々はよく知っており非常に感謝している。

朝鮮半島でも同様の分野のインフラ投資は莫大であったと聞く。失脚したが前大統領のパク・クネの妹は「日本は併合期間(1910~1945年)に多くの貢献をした。そのこと抜きに現在の韓国は考えられない。」と率直に述べている。

今まさに「ウイズ・コロナ」だが、「アフター・コロナ」もそのうちに来るだろう。同じ意味で今までは「ウイズ日米同盟」だったが、これからは「アフター日米同盟」を視野に入れなければなるまい。

「アフター日米同盟」はそのうちに来るだろうなどと言ってはいられないが、日本が「永世中立」を国策にした段階で、それが始まる。

日米同盟を解消し、日本とアメリカは普通の国同士の関係に入る。国防は専守防衛にに徹し「自分の国は自分で守る」。そのうえで「永世中立」を宣言する。

現代の災害の大きさ・激しさを鑑みると、国同士がいがみ合っている場合ではない。戦力の30パーセントでも各種の災害(今の新型コロナ感染対応も含む)に振り向けるべきで、日本がそれをリードする。天災大国日本の出番だ。

世界はそれを待っている。

広島平和記念式典2020

2020-08-07 12:30:33 | 専守防衛力を有する永世中立国
上天気の8月6日、75年前の広島もそうだった。

午前8時15分、テニアン島から飛来したB29爆撃機は、広島市(人口35万)中心部の太田川にかかる「相生橋」をめがけて「リトルボーイ」(ウラン型原子爆弾)を投下した。

落下直前にさく裂した原爆は、瞬く間に広島の街を灰燼に帰せしめた。落下地点周辺では閃光とともに6000度という超高熱が発生し、瞬時に体が燃え尽きて蒸発した人もあった。

コンクリートの建物の壁で、そのような死に方をした人の「人の影」が刻印されたものがあり、弔うべき遺骨も残らなかった。

蒸発を免れた人でもバラバラになったり、真っ黒焦げになったり、悲惨極まりない状況が無数にあった。

アメリカでは長い間公式見解として、この人口密集地への狂気の原爆投下を「日本の降伏を早め、米軍人たちの無用の犠牲をなくするために使用したのであり、正当である」と言ってきた。

しかし、核兵器禁止条約が国連で受理され、参加国が増えるにつれたアメリカでも「原爆は使うべきではなかった」という論調が多くなってきた。

結構なことである。それにつけても日本政府はこの核兵器禁止条約を批准しようとしない。

「アメリカの核の傘が必要だから」という認識からだが、いったい日本人は自国に2発もの人類史上例を見ない残虐な原爆さく裂の被害者でありながら、なぜアメリカに追従するのだろう――と多くの批准国はそう思っているはずだ。

批准しようとしない核保有大国の人間でも、日本の「核の傘」論には首をかしげる人が多かろう。いつまでアメリカの言いなりになっているのか、と。


折しも、夜のNHKで「NHKスペシャル 証言と映像でつづる原爆投下全記録」という番組があったので視聴したが、一発目の「リトルボーイ」が爆撃機エノラゲイに積み込まれる様子と、二発目の「ファットマン」(プルトニウム型原爆)が爆撃機ボックスカーに積み込まれる様子が映されていた。

さらに機体から投下し、目標にたがわず爆発してキノコ雲が上がっていく様子もそれぞれ映し出されていた。

アメリカが戦時国際法に違反する「非軍事施設への攻撃」を無視して市中のど真ん中に投下したのは、トルーマンは「広島は軍事拠点だったから」との認識だったし、また投下の指揮に当たった軍人は「日本人は誰もが戦闘員だったから」ということらしい。

子供達や女たちでも学校や地域での「軍事教練」で竹やりを振りかざしたりしているので、非戦闘員ではない――というのが彼ら原爆投下責任者の言い分である。

あきれた話である。仮に米軍が上陸してきて、米軍に対して竹やりで攻撃してきたというのならその屁理屈もある意味通るが、この場合、単なる正当化のこじつけだ。

もっとも米軍の指導層では「死んだ日本人は良い日本人だ・・・」と日本人殺しを容認していたから、この見解もありなのだろう。それほど白人以外の有色人種を見下していたのだ(今日でもアメリカで黒人への差別勘定は極めて根強いのは、今度の警官による黒人殺しに見る通り)。

百歩譲って、原爆は純粋に軍事施設を狙って落とすべきだったのだ。広島ではなく海軍軍港のある呉へ、長崎ではなく同じく軍港のある佐世保へ。これだけでも十分に日本への降伏勧告になったし、あとあと原爆使用の正当化をこじつける必要もなかった。

いずれにしても危険な放射能を発生するような大量殺戮兵器を、軍事拠点でも何でもない町のど真ん中に落としたのは、アメリカの永遠に続く汚点(業)である。

こんなアメリカに忖度して「日米同盟のさらなる強化」などと言っている日本政府は当然「核兵器禁止条約」を批准しないだろう。

アメリカ政府が「惨状ばかり展示している原爆資料館は閉鎖してくれ」「平和祈念式典も止めてくれ」と言ってきたら今の日本政府はそれに従うのか?

いつまでたったら「不戦の誓い」を体現するべき日本独自の外交に移行しないのだろうか?

「永世中立宣言」が日本の今後の最大の政策だ。世界はそれを待っている。

昨日(8月6日)は朝の広島祈念式典を見、8時15分の黙とうをしてから姶良市に初盆の家族を訪ねた。その途中、7か月ぶりに霧島神宮を参拝。天孫初代のニニギノミコトを祭る。朱塗りの美しい拝殿・本殿などは江戸時代の正徳年間(1711~1716年)のもの。重要文化財。日本の安全と世界の平和を祈る。







異例づくめの半年

2020-08-01 10:46:19 | 日本の時事風景
8月になった。振り返ると、2月に日本で新型コロナウイルス感染が確認されてから7月末までの半年間で、3万人を超える感染者と1000人を上回る死者が出ている。

例年秋から冬にかけての半年間に発生するインフルエンザに比べたら感染者は100分の1、死者は5分の1以下とかなり少ないので、余りに大げさではないかと見る向きもある。

ところがインフルエンザが信管を抜いて投げてすぐに爆発する「手りゅう弾」なのに対して、新型コロナは「時限装置付きの爆弾」なので感染しても4~5日は平常に近い無症状だから、どうしてもその期間の濃厚接触による広がりが免れない。

それでみな戦々恐々とせざるを得ない。実にいやなウイルスだ。もし万が一中国武漢の感染症研究所とやらの遺伝子操作(の失敗)がそうさせたのであれば、中国は万死に値すると言ってもよかろう。

そうは言っても当面の敵はウイルスで、このウイルスに対するワクチンが出来上がらなければ撲滅は不可能だ。ワクチンがない以上徹底して「三密」を避ける暮らしをせざるを得まい。(※ワクチンはないにしても治療薬としてアメリカから政府の特別承認で仕入れた「レムデシベル」の治療効果はあったのかなかったのか、とんと音沙汰がない。)


日本人はもともと人的な「ソーシャルディスタンス」が日常的に行われているので、感染は少なく、それゆえ重症化して死ぬ人も少ない――と言われて来たが、ここへ来て連日感染者数の記録更新が報道されるようになった。

7月に入ってすぐのクラスタ―は例のショーパブ(おかまバー)などから発生したが、それは6月19日に始まった「県境をまたいで移動可能(自由往来)」の結果だ。

その後7月はあの非常事態宣言下の4月・5月よりも多くの感染者を生んでしまった。

濃厚接触を生む業態店舗は思い切って営業自粛どころか営業停止にして協力金を与えるようにし、また夏休みが書きいれ時だった観光関連業者には「GO TO キャンペーン」に付けた予算を給付金として配分し、営業自粛に対応するしかないだろう。


孫たちの小学校は今日から夏休みだが、別の県にいるのでこの状況では帰省は多分しない(できない)だろう。「沈黙の夏休み」になりそうだ。

7月23日から始まった「GO TO トラベル」による感染者数の結果はあと3~4日先に現れるだろう。鹿児島県の与論島ではすでにクラスター感染が現実のものとなっている。(※このクラスタ―は7月23日以降の観光客によるものではなく、上記の7月初旬発生のクラスタ―の二次・三次感染。)

一昨日は無感染者県の岩手県で初の感染者が出ているが、さて、8月初旬の「全国クラスタ―」がどの程度の規模になるのか、注視せざるを得ない。


この半年は新型コロナは言うまでもなく、7月の長雨と九州南部の豪雨災害があり、不思議なことというべきか梅雨前線が防いだというべきか7月の台風の発生がゼロで、これは昭和26年に記録が始まって以来初めてのことだそうである。

もう異例が異例でなくなった、換言すれば想定外だらけの半年だったことになる。