鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

秋の深まりは「想定内」

2019-10-15 08:48:24 | おおすみの風景
台風に関して言えばこの20年間で関東が鹿児島並みになったのは、明らかに地球温暖化の影響だ。10月も半ばというのに関東の南を流れる黒潮の海水温が27~8度もあり、台風のエネルギー補給には事欠かない(※千葉県の房総半島とわが大隅半島の相似には驚かされる)。

こちらはもとよりその高水温の黒潮洗う薩摩半島や大隅半島、昔から平均して年に3~4回の台風の直撃を受けてきたので、今年はどういうわけか台風のコースが西に寄り、東へ寄りして暴風はおろか強風さえほとんど吹きつけて来なかったのはうれしい「想定外」だ。

「台風の当たり年」というのがあるが、あれで言えば「台風の外れ年」か。しかしまだ11月の初めまでは油断できない。晩稲(おくて)の台風というやつもある。

今度の大災害に関して、自民党の幹事長が「東京は大したことがなくてよかった」というような発言をしてブーイングが起きているらしいが、彼が言いたかったのは東京の被害は「想定外」に小さかったということだろう。

それに比べると長野県や福島県・宮城県などの水害は「想定外」だった。別の言葉で言えば「寝耳に水」だったろう。お気の毒だがこれからは各地で「想定外」の災害が起こることは覚悟しなければなるまい。

その一方で「首都圏直下型地震」「東海トラフ地震」「南海トラフ地震」は「想定内」のお墨付きを得ている。といってもそれはあくまでお上の見解であって、一般庶民にはピンとくるものではないのが実情だ。さればこそ天はそこそこに災害を起こして「目を覚ませ」と国民を叱咤しているのかもしれない。

グレタ・トーンベリさんが天の遣わした地球人覚醒の天使であるとすれば、日本では平成から令和にかけてまだまだ続く天災の数々にその役割があるのではないか。

15号にしろ19号にしろ二回も連続して関東圏をターゲットにした巨大な台風が襲来したということは「首都圏直下型地震」の前触れと言えるのかもしれない。政府は東京オリンピックの前夜祭で浮かれていないで速やかに首都分散への手立てを具体的に打っていくべきだろう。

~閑話休題~
ここのところの朝の「想定内」の気温低下で、我が家の庭の「ホトトギス」が満開になった

台風19号の爪痕

2019-10-13 22:08:50 | 災害
台風19号がほぼ予想通りのコースをとって伊豆半島から神奈川・東京を直撃し、埼玉・茨城を経て太平洋に抜けた。

想定外だったのは台風の進路からは大きく外れている長野県での被害だ。軽井沢などから流れ出す信濃川の上流・千曲川が長野市あたりで堤防が決壊して流域を水浸しにした。

他にも関東や東北の多くの河川で氾濫が見られた。台風の進路のはるか先の宮城県などでも氾濫する川があったのは、この19号台風がかってない巨大な「雨台風」だったことを示している。

ひと月余り前に主に千葉県を襲った台風15号が、多くの住宅の屋根を吹き飛ばしたのとは対照的だ。

今のところ大雨特別警報の出た1都11県での被害は死者・行方不明者をあわせて50名位らしい。この数字は特別警報の出た箇所がかなりの広範囲だったにしては少なくて済んだと思われる。

というのも、今からもう26年前になるが、平成5年(1993年)の7月から9月にかけて鹿児島地方を襲った「8・6水害」による死者が鹿児島一県だけで120名を超えているからである。

「8・6水害」は梅雨の長雨が8月に入って豪雨に変わって起きた8月1日の「8・1水害」と8月6日の
「8・6水害」、それに9月3日に襲来した台風13号による死者の合計で、当時初めて時間雨量100ミリを超えたことでも強烈に記憶に残る災害だった。

豪雨といえば去年7月初旬の「西日本豪雨」だが、この時でさえ死者数では「8・6水害」を超えていない。いかに鹿児島が豪雨と台風にあえいでいたかを如実に示す数字である。

事実、戦中・戦後の巨大台風で上陸時のヘクトパスカルのランキングを調べると、最少は室戸台風の911ヘクトパスカル、次が枕崎台風で916ヘクトパスカル、以下10の巨大台風がランキングに載るが、そのうち鹿児島に上陸したのは何と半数の6個(ウィキペディアによる)。

台風銀座とはよく言ったものだ。

鹿児島ではことわざで「人がけ死まんと、ナゲシ(長雨=梅雨)は上がらん」(人が死ぬような末期の豪雨があって初めて梅雨が明ける」というのがあるが、もう一つ加えれば「台風が来ないと秋が来ない」だろう。

9月(二百十日)以降に普通にやってくる台風は鹿児島の東側(黒潮の流れ)を通過することが多く、北寄りの風を運んでくるので、台風一過はひんやりとして気持ちがいい。

忌み嫌われる台風もそういう前向きの目で見れば想定内かもしれない。

ところが今度の台風にしろ15号台風にしろ、どちらも「想定外」だった。被害に遭った人がテレビなどでインタビュうーを受けると異口同音に「こんなことは〇〇年住んでいて初めてだった」と言っているが、まさにその通りの想定外の事態だった。

平成天皇(上皇様)の退位にあたってのお言葉の中で、「戦争には無縁であったこと」を喜んでおられたが、その一方で「種々の災害が多かった」ことを挙げられた。令和になっても災害とは縁が切れそうになく、ここは天災大国日本ーーと腹を括って対処しなければなるまい。


秋めきと台風19号

2019-10-10 14:52:13 | おおすみの風景
昨日の朝は16℃と20℃を大きく割り込み、秋近しを感じさせたのだが、今朝は何と12.2℃という最低気温だった(県内で一番寒い大口地方では9℃を割った)。

朝6時半のラジオ体操の時は長そでシャツの上にベストを羽織らないと寒かった。体操をしていると必ず近くまで来て甘えようとする飼い猫のモモも、今日はさすがに少し顔を見せてからそのうちにいなくなった。

家に入ってから抱っこしてみると肉球が冷たく、冬になると出してソファーのカバーの下に敷く電熱パットが恋しいらしかったが、まだ我慢をさせた。日中は28、9℃になるからどうせ今度は暑すぎることになる。この時期は猫のみならず人間様でもなかなか加減が難しい。

これは台風19号のもたらした北から北西の風によるのだろう。予報によると19号は明後日の12日未明の頃に北から北東方向に進路を変え、東海よりさらに東の関東圏に向かって行く公算が強い。

そうなると東京・神奈川・千葉は限りなく19号の中心進路に近く、予報のコース通りだと千葉県では15号の爪痕が癒えないまま再上陸を迎えることになりそうだ。

家々の屋根を覆うブルーシートは素材としてはそう頑丈なものではなく、また土嚢袋の重さだけで固定してあるだけなので、今度また風速50メートルというような強風にさらされたら、引きちぎられて飛んで行くか、ずたずたに破けてしまうだろう。

そのことは目に見えているので、屋根に棄損のある家や一部でも損壊のある家の主は必要なものを準備して避難所へ早めに避難しておくに越したことはない。

我が家だけはとか、我が身は何とかなるというような心情は重々理解できるが、ここはもう大津波から身を守るくらいの気持ちで「逃げるが勝ち」を実践したほうが良い。命さえあれば、あるいはケガさえしなければ明日は何とかなる。

母性とは!

2019-10-07 10:02:48 | 母性
カテゴリーに「母性」が入っているブログはそう多くないと思うが、自分の場合(他の3人のはらから=姉・兄・弟も)母性に恵まれない生い立ちだったので、いつも気になっていることであり、特に取り上げている。

昨日のどの番組だったか失念したが、家庭に恵まれず養護施設などで成人(18歳まで)したあと社会に出る、つまりほとんどの場合職に就くのだが、就職後の離職率が普通家庭で育った者に比べ5倍から6倍も高いそうである。

ひとりのそういう渦中の女性がインタビューに応えていたが、一番の問題は「困った時に相談する人がいない」というのと、「仲間と打ち解けて話せない」とが挙げられていた。

養護施設では親相当の指導員がちゃんと面倒を見てくれており、相談にも乗ってくれるのだが、社会に出るとそういつまでも相談員のもとに通うわけにはいかないのだろうし、やはり「本当の親」ではないので気兼ねするに違いない。

この気兼ね(遠慮)も、実は親から捨てられたという感情を持っている彼らにとっては不変的な心理なのである。

社会に出てから「仲間と打ち解けて話せない」というのも根本的には同じ感情に基づいていると思う(自分がそうだった)。

職場の普通の家庭に育ったであろう仲間の一人が、「今日はお母さんの誕生日だから、プレゼントを買って帰るんだよ」などと話しかけてきても、せいぜい遠慮がちに相槌を打つくらい。そもそも両親がいないのだからそれ以上の会話は弾まない。

下手に会話を深めたら、自分がみなしごだ(親に捨てられた)という点にまで触れざるを得なくなるかもしれないーーと思い、触れられたくない過去に起因するトラウマが頭をもたげるのだろう。居たたまれない、というと大袈裟だが、その場にいるのが気まずくなるはずだ。

こういうことが何度も続くと、トラウマを隠さざるを得ない自分に嫌気がさし、引きこもるようになるかもしれない。自己否定が強すぎる場合、命取りにもなりかねない。

今の時代、障がい者への理解が進み、社会への進出もかなり緩和されてきた。障害の中でも特に「身体障害」はほぼ市民権を得たようで、町の中でもそれなりの工夫がなされて生きやすくなっている(もちろん親の理解がまず始めだが)。

それに比べると「精神障害」のほうは著しく制限されている。しかしパラリンピックでは精神障がい者に陸上種目があり、また水泳種目もあったりして、かなり社会に受け入れられるようになった(これも親のサポートがあってこそだが)。

家庭の都合で養護施設に入れられた子供の場合、上記のように成人(18歳)とともに社会への自立を慫慂されるのだが、親のサポートのない状態なのが普通である。

傍目から見たら心身に何の障害もないこのようなケースを「家庭障害」として他の障害と同列にするべきではないかと思う。そうすれば彼らの社会に出てから出くわすであろう様々なレベルの「自己否定的行動・心理」はかなり緩和されるだろう。

要するに安心して「自分の生い立ちはこうこうなんだ」と「自己をさらけ出す」ことが可能になれば、彼らの人には言えないトラウマが和らぎ始め、そんな中で同じ「家庭障害」を持つ他者との交流につながればさらにトラウマの縮小が期待できるのではないか。

トラウマ学説では「家族障害」と名付けているが、これは「家庭障害」でなくてはおかしい。

「家庭」でこそ子供は育つ。猫も犬も遺伝子的な血のつながりで親子(家族)があるが、犬猫やほかのどの哺乳動物も「家庭」は営めない。人間だけが「家庭」を持つことができるし、これなくして子供の養育は不可能である。

家庭の中では特に母親のハタラキは大きい。出産後の育児(哺乳・糞尿の始末・衣類の調達・言葉の教え・病気の手当て・炊事・洗濯・・・)の仕事量はまさに「半端ない」。

これらのことごとくをタイムリーに機嫌を取りながら、倦まずたゆまずやっているのだからなおすごい。しかも一銭も取らない。究極の奉仕活動だ。

およそ人間のすることで神仏の働きにもっとも近いのは、母親の育児だろう。だから子供はいつまでも母親には頭が上がらない(足を向けては寝られない)。/strong>

グレタとセヴァン

2019-10-03 10:48:04 | 母性
グレタ・トーンベリというスエーデンの16歳の少女が国連で発表した内容が、若い世代を中心に支持を集めている。

地球温暖化への危機感を持ち、「自分の未来をなくさないで欲しい。科学に基き、大人たちはこれ以上の温暖化をすぐにでも止めるべきだ」という内容だが、話の初めにこう言ったのが印象的だった。

「私はここにいるべきではない。海の向こうの学校に帰るべきだ。」

最初この記事を見た時、ーーわざわざ来たかったであろう国連で、なぜそれを否定するようなことを言うのか、しかも真っ先にーーと首をかしげたが、ああ、これはトランプ大統領に対する怒りなのだと納得した。

発表の始まる少し前に、トランプ大統領が彼女のすぐそばを歩いて行ったのだが、それを見ていた彼女の表情はまさに「夜叉の如く」であった。

何しろアメリカの環境問題に対する取り組みの後退は目を見張るものなのだ。

1992年に日本の京都で開催された地球温暖化に対処するための国際会議で制定された「京都議定書」を5年後には反古にしたのがアメリカならば、さらに進んだ「パリ協定」は批准署名さえしなかったのもアメリカなのだ。

そういう事実を目の当たりに見ているグレタの怒りはもっともだろう。

トランプは「地球温暖化阻止などと言っている輩は金もうけのためだ」と一蹴しているのだから、「蛙の面に小便」のたぐいだ。
もっとも最先端技術応用の事業が集積したカリフォルニア、ロサンゼルスなどでは地球温暖化による高温・乾燥で山火事が多発しているから、「山火事にに小便」か。

この「グレタ宣言」より27年前のちょうど京都議定書が締結された同じ年に、ブラジルで開かれた環境サミットで、わざわざカナダから意見を述べに来た12歳の少女セヴァン・スズキ(父親が日系三世)も、同じような危機感あふれる表明を行っている。

あの頃は「フロンガスによるオゾンホール」の大問題が話題になっており、当時、新聞でもテレビでも「烏の鳴かぬ日はあってもオゾンホールが話題にならない日はなかった」状況であった。

あの問題では温暖化というよりもオゾンホールの拡大で「有害な紫外線」が地上に大量に降り注ぐことが、より危惧されていた。

しかしその後、フロンガス等の有害ガスの規制が法制化されたことで一件落着になったのか、フロン等のことはマスコミから消えている(事実オゾンホールの拡大は止まり減少に転じているらしい)。
その代わり紫外線が皮膚がんを誘発するという点だけが強調されて、化粧品やUV1製品の洪水現象は相変わらずである。

二人のどちらの意見も「極く若い少女が未来を憂える」点で共通で、やはり将来家庭を持ち子供を産み育てる重要な役割を持った女性の切実な心配が彼女らを通して表明されたとみてよい。

セヴァンは「会場にいる人々はみな、父であり母であり、子供も兄弟もいる。そして皆さんも子供だった時があったのだから、自分たち子どもを子ども扱いにしてはいけない」と明確に述べていた。

グレタの場合はもっと強烈で「子ども気ない言葉」を会場に浴びせかけていたが、27年前から一向に温暖化への対策が進んでいない各国指導者たちへの苛立ち(叱咤激励)と捉えるべきだろう。

トランプをはじめいかなる指導者と言えども、またどんな人間でも、母なくしてはこの世に生まれて来ず、幼少期の養育も母なしにしては成し得ない。

その母が安心して暮らせるのが現在・未来にかかわらず人類に課せられた最大の責務だろう。少女たちの怒りは「母なる大地(母胎)の怒り」そのものではないか。