鴨着く島

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NHK・BS特番で見た邪馬台国論争

2021-01-02 15:07:43 | 邪馬台国関連
昨夜のNHKのBSで邪馬台国の所在地を巡る論争があり、視聴した。

司会はお笑いの「爆笑問題」の二人だったのでおふざけ番組かと思ったが、参加者はそれなりの専門家たちであったので聴いてみた。

九州説論者2名と、畿内説論者3名、中立的な古代中国思想の学者、文献史学者が3名だったか、まず邪馬台国論争の始まりである新井白石の説から取り上げられ、その後多種多様な解釈による邪馬台国比定地が紹介された。

結局九州説と畿内説の対立になったのだが、九州説にしても畿内説にしても出席者は考古学者がほとんどだったので、魏志倭人伝という肝心の邪馬台国比定の根本史料の紹介なり解釈なりが極めておろそかだった。

まず「伊都国」は何の検証も経ずに、「糸島市で決まり」と紹介されていたが、ここはちゃんと根本史料の倭人伝における帯方郡からの行程を取り上げて欲しかったのだが、無視されていた。また唐津市の末盧国から「伊都国」へは「東南へ徒歩で500里」とあるのをこれも無視していた。糸島市ならば東北なので都合が悪かったのだろう。

九州説の佐古さんという考古学者が指摘したのだが、九州島の「不彌国」までは距離表記で地点間を「○○里」と書いているのに、不彌国の次の「投馬国」へは「水行20日」、また邪馬台国へは「水行10日、陸行1月」と日数で表記してあるのは不可解であると、いい点を衝いたのだが、この日数表記は「不彌国からではなく帯方郡からの所要日数」であることが分かっていないのだ。

これが分かれば邪馬台国問題の半分は解ける。ただし、「伊都国」を「糸島市」としている以上、どの道、邪馬台国には到りようがないが。

畿内説では「邪馬台国は纏向遺跡のある場所で決まり」としているのだが、九州説論者も、纏向遺跡は余りにも出来過ぎている(中央集権的過ぎる)ので、邪馬台国が九州にあった時代に纏向遺跡の場所に何らかの王権があったのは確かだろうと、やや折衷的な考え方をしているようだ。そしてその遺跡は実は糸島市の「伊都国」から移動して吉備王国などと連合して作られたのだろうと考える参加者もいた。

私見ではその纏向遺跡の場所こそが糸島市にあった「五十(イソ)王国」すなわち崇神王権が北部九州で倭人連合「大倭」の盟主となり、半島を通じた魏王朝の次の「晋王朝からの征伐」を恐れて畿内に「東征」した結果生まれた王権の所在地だったと見ているので、「伊都国の東遷」は間違いだが、「五十国の東遷」というのなら考え方は通じる。

いずれにしても「伊都国は糸島市で決まり」としている以上、この邪馬台国論争は永遠に終わらないということを確認した番組であった。

最後に90歳近い奈良文化財研究所出身で今は兵庫県立博物館の顧問をしている石野博信氏がビデオで登場したが、こう言っていたのには苦笑せざるを得なかった。
「私はどっちに邪馬台国があってもいいのですよ・・・(笑)」(※諦めるのは早いですぞ、石野先生!)

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