ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が主導した核兵器禁止条約が、最近、中米のホンジェラスが承認したことで、条約成立の基準である50か国承認となり、国際条約として締結された。発効は来年1月からだという。
アメリカの前大統領オバマ氏がプラハで11年前に宣言した「核廃絶」がようやく実を結んだともいえる。
日本は例の「アメリカの核の傘による抑止力で他国から攻撃されない」という論法で、批准どころか条約締結のための会議をボイコットして来た。
今度新たに就任した岸防衛大臣は「核の保有国がいきなり核を廃棄するのは無理な話で、この条約は有効性に乏しい」という見解を示した。
政府は「核廃絶への取り組みは年々独自に行っている。やり方が違うのだ」というようなスタンスだ。
確かに日本政府は国連演説などでは常々「核廃絶に向けた取り組み」を唱えて来ているが、核の戦争抑止力も同時に考えているので、すぐに廃絶はしなくても「唯一の被爆国としては訴えることにやぶさかではない」くらいなノリでしかない。
すべては強固な二国間軍事同盟関係を結んでいるアメリカへの忖度から発しているのだ。
国連憲章上、二国間軍事同盟は第2次大戦の苦い経験から禁止されるはずのもので、日本は1952年4月発効の旧日米安保が10年の期限が切れる際に廃棄せず、今度の防衛大臣の祖父・岸信介首相がさらなる10年間の新安保を結び、その後は毎年自動更新し、実に60年の長きにわたって結ばれ続けている。
余りに長いものだから米軍駐留は無くてはならぬ、というか、沖縄県民以外の国民にとっては空気のような当たり前の存在でしかなくなってしまった。
現国連の成立理念から考えると、日米軍事同盟(新安保)は異常なのである。集団的自衛権とは別物だからだ。
二国間軍事同盟を結んでおいて、集団的自衛権もへったくれもないのだ。事あるごとに「集団的自衛権」を持ち出して「安全保障法制」を成立させた安倍首相は、そのことを本当に理解していたのだろうか。
今度の核の問題では、北朝鮮の核保有について、父親の金正日の時は核査察を受け容れたが、息子は全く受け付けないでいるので、アメリカも強硬姿勢を見せていたのだが、トランプ大統領に代わってからは独自の劇場型外交により、いったんは融和に動いた。
北への攻撃をも辞さない強硬派のボルトン安全保障担当補佐官がトランプに解任させられ、金正恩は大いに安堵したはずで、その機をとらえて安倍首相が独自に拉致問題解決に向けて大きなシグナルを金正恩に送ればよかったのだが、そうしなかった。
これもアメリカへの忖度のなせる業だ。3日前だったか、拉致被害者の横田恵さんのお父さん・滋さんが亡くなって催された追悼式に安倍さんも参列していたが、例のごとく「進展を見なかったのは断腸の思い」と語ったが、内心は「トランプに忖度し過ぎて何もできなかった」と思っているのではないか。
「強固過ぎる日米同盟」はもうここらで終わりにして、日米は真に対等な世界の中の「通常な二国関係」に築き直すべき時だろう。
その時、日本の不甲斐ない「対米忖度外交」は無くなり、独自の平和外交を推し進めれば、世界中から賞賛されるだろう。
(※日米安保が無いとどうしても安らかに眠れない人は、アメリカへの移住をお勧めする。)
ところで世界の核保有国は米露を筆頭に英、仏、中、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエルの9か国ということだが、不思議なのは中国である。
中国が核保有国になったのは1972年に国連加盟して中華民国に変わって常任理事国になってからだが、何回かは核実験をしたという報道は見たものの、その時アメリカなどが強く非難したというような論調はついぞなかったことだ。
共産党の独裁国家が核兵器を手にしたら、困るのは自由圏のアメリカのはずではないか。常任理事国だから良しとしたのだろうか。或いは米中間で密約があって、北朝鮮と軍事同盟を結ばなければ核保有は大目に見る—―というようなことだったのか。
とにかく不可解な中国の核保有である。
日本はこうした軍事大国とは一線を画し、軍事によらない平和外交を展開すべきだ。世界はそれを待っている。
アメリカの前大統領オバマ氏がプラハで11年前に宣言した「核廃絶」がようやく実を結んだともいえる。
日本は例の「アメリカの核の傘による抑止力で他国から攻撃されない」という論法で、批准どころか条約締結のための会議をボイコットして来た。
今度新たに就任した岸防衛大臣は「核の保有国がいきなり核を廃棄するのは無理な話で、この条約は有効性に乏しい」という見解を示した。
政府は「核廃絶への取り組みは年々独自に行っている。やり方が違うのだ」というようなスタンスだ。
確かに日本政府は国連演説などでは常々「核廃絶に向けた取り組み」を唱えて来ているが、核の戦争抑止力も同時に考えているので、すぐに廃絶はしなくても「唯一の被爆国としては訴えることにやぶさかではない」くらいなノリでしかない。
すべては強固な二国間軍事同盟関係を結んでいるアメリカへの忖度から発しているのだ。
国連憲章上、二国間軍事同盟は第2次大戦の苦い経験から禁止されるはずのもので、日本は1952年4月発効の旧日米安保が10年の期限が切れる際に廃棄せず、今度の防衛大臣の祖父・岸信介首相がさらなる10年間の新安保を結び、その後は毎年自動更新し、実に60年の長きにわたって結ばれ続けている。
余りに長いものだから米軍駐留は無くてはならぬ、というか、沖縄県民以外の国民にとっては空気のような当たり前の存在でしかなくなってしまった。
現国連の成立理念から考えると、日米軍事同盟(新安保)は異常なのである。集団的自衛権とは別物だからだ。
二国間軍事同盟を結んでおいて、集団的自衛権もへったくれもないのだ。事あるごとに「集団的自衛権」を持ち出して「安全保障法制」を成立させた安倍首相は、そのことを本当に理解していたのだろうか。
今度の核の問題では、北朝鮮の核保有について、父親の金正日の時は核査察を受け容れたが、息子は全く受け付けないでいるので、アメリカも強硬姿勢を見せていたのだが、トランプ大統領に代わってからは独自の劇場型外交により、いったんは融和に動いた。
北への攻撃をも辞さない強硬派のボルトン安全保障担当補佐官がトランプに解任させられ、金正恩は大いに安堵したはずで、その機をとらえて安倍首相が独自に拉致問題解決に向けて大きなシグナルを金正恩に送ればよかったのだが、そうしなかった。
これもアメリカへの忖度のなせる業だ。3日前だったか、拉致被害者の横田恵さんのお父さん・滋さんが亡くなって催された追悼式に安倍さんも参列していたが、例のごとく「進展を見なかったのは断腸の思い」と語ったが、内心は「トランプに忖度し過ぎて何もできなかった」と思っているのではないか。
「強固過ぎる日米同盟」はもうここらで終わりにして、日米は真に対等な世界の中の「通常な二国関係」に築き直すべき時だろう。
その時、日本の不甲斐ない「対米忖度外交」は無くなり、独自の平和外交を推し進めれば、世界中から賞賛されるだろう。
(※日米安保が無いとどうしても安らかに眠れない人は、アメリカへの移住をお勧めする。)
ところで世界の核保有国は米露を筆頭に英、仏、中、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエルの9か国ということだが、不思議なのは中国である。
中国が核保有国になったのは1972年に国連加盟して中華民国に変わって常任理事国になってからだが、何回かは核実験をしたという報道は見たものの、その時アメリカなどが強く非難したというような論調はついぞなかったことだ。
共産党の独裁国家が核兵器を手にしたら、困るのは自由圏のアメリカのはずではないか。常任理事国だから良しとしたのだろうか。或いは米中間で密約があって、北朝鮮と軍事同盟を結ばなければ核保有は大目に見る—―というようなことだったのか。
とにかく不可解な中国の核保有である。
日本はこうした軍事大国とは一線を画し、軍事によらない平和外交を展開すべきだ。世界はそれを待っている。