鴨着く島

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日ロ平和条約交渉

2019-02-01 11:49:39 | 日本の時事風景

昨年の11月15日のブログに書いたが、ロシアのプーチンは本気で「条件なしの平和条約」を結ぼうとは考えていた。日本と純粋に対等な関係になる条約の必要性は待ったなしとの判断からだろう。

しかし、日本が結んでいる「日米安全保障条約」および「日米地位協定」が大きなネックになっている。

ロシア側の言い分は、――平和条約を結び、その結果として1956年の日ソ共同宣言に基づいて北方領土を逐次返還していく際に、軍事的には米軍のほぼ言いなりになっている日米安保があるため、返還した島々に米軍基地が進出するのであれば返したことがかえってロシアにとってのあだになる。だから返すことにつながる平和条約の締結はむつかしい――というものだ。

これは当然のことだ。米国はソ連時代の冷戦構造から新生ロシアとは融和を保っていたが、プーチンがウクライナを併合したためまた仮想敵国視しはじめた。

ところがトランプ大統領は「アメリカファースト」を掲げ、国内問題を最大の関心事としていて、ウクライナやシリア問題に軍事的な圧力をかけることはしていない。

日米安保に関しても「日本が攻撃されたらアメリカが助けに行くが、アメリカが攻撃されても日本が助けに来ない。こんな偏った軍事同盟があるものか!」と息巻いたが、これがアメリカの本音だろう。

じゃあ、日本も自衛隊を強化して米軍を援助しましょうとなったら最後、とことんまで付き合わされることになる。上記のように日本は米軍の言いなりになるしかないのだから。

そもそも、日米安全保障条約という「二国間の軍事同盟」というのは国連憲章上も「暫定的でなくてはならず、地域紛争は国連安保理において集団的に解決する」のであるから、国連憲章違反なのだ。

1960年の改定安保承認の立役者は安倍首相の大叔父・岸信介だったが、あの時代はまだ米国はソ連との冷戦時代であり、また新生中国共産党政府は俗にいう「竹のカーテン」で仕切られて国際自由社会は非常に不安視していた時代だった。

だが、1989年にベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦構造は終焉した。世界は新たな枠組みに入り、共産中国も解放路線を突っ走り、自由社会の一角に入り込んだ。

あれから30年たって今や中国人が日本への最大の旅行者になって訪れるようになった。こんなことが想像できただろうか? 

このような激動の開放時代に何を今もっていまだに冷戦時代の遺物・日米安保など結んで、「アメリカの核の傘と軍事力におんぶにだっこ」をしている(いや、されている)のか、そして、まだ、安保がなくなったら中国や北朝鮮(などの一党独裁国家)が攻めてくると思っているのか。 この外交音痴は世界の七不思議だ。

七不思議ならまだ救われるが、世界の物笑いになっているのが実情だろう。日米安保がなくなれば、世界の国々が喜んでさらに友好の手を差し伸べてくるだろう。世界はそれを待っている。

「アメリカファースト」を標榜するトランプ大統領のうちに、安保を廃止しよう。トランプは反対しないだろう、そしてツイッターでこうつぶやくかもしれない、

――日本が安保を廃棄すると言ってきた。あ、そう。米軍がいなくなってどうなるか知らないが、まあ、日本はうまくやるだろう。アメリカの軍事的負担がぐっと減って、その分国内に金を回せるから助かるよ。サンキュー、そしてグッドラック日本。