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鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

大相撲の星取表(2025.03.15)

2025-03-15 09:16:33 | 日本の時事風景
大相撲の大阪場所が始まり、昨日から中盤戦に入った。

この6日目あたりから面白くなるのが、力士の勝敗を白と黒で表す星取表である。

今のところ「荒れる大阪場所」と言われる通りの展開になっているようだ。

今場所はあの「ホータイ横綱」こと照ノ富士が引退して東西の最高位がブランクになりそうだったのだが、同じモンゴル出身の豊昇龍が横綱に昇進したので事なきを得た。

横綱になった翌場所の取り組みがいつも注目されるが、豊昇龍は今のところ4勝2敗とまずまずで、初日に黒星を喫してしまった重圧を克服したかのようだ。動きが滑らかになっている。

小結以上の役力士は豊昇龍を含めて7人だが、今場所は早くもどの力士も黒星を交えている。

1敗は大関の大の里のみ、2敗が豊昇龍と小結の阿炎、3敗は新大関の琴桜と関脇大栄翔、そして小結の霧島。新関脇の王鵬は何と2勝4敗。

大鵬の孫にしてはやや不甲斐ない(父親は貴闘力だ)が、まだ25歳と若いのでこれからだろう。身体はそこそこに大きいが、ややスピード不足か。

相変わらず役力士にはモンゴル勢が目立つが、今場所に限れば7人のうち2人だからかつてほどではなくなった。

幕の内力士全体を見ても、42名のうち役力士2人を含めて6名で、一時期は10人を超えていたから少なくなった感は否めない。

もっとも日本人力士の都道府県出身者の数を見ると、かつては一大勢力だった青森や北海道、鹿児島の出身者はすっかり衰退し、代わって首都圏の力士が増えてきている。

千葉や埼玉出身力士が結構上位に昇っている。役力士では大栄翔・阿炎が埼玉、琴桜は千葉。大の里の石川勢も遠藤がおり、先場所まで幕の内だった輝がいる。

幕の内で3名の力士のいる都道府県は千葉、青森、大阪、そして福島。

最後の福島は今場所の星取表で、若元春と若隆景の兄弟力士が、東西の前頭筆頭に横並びになっているのが目をひく。

東の前頭筆頭は弟の若隆景で30歳。西の筆頭は兄の若元春で31歳。年子のようだ。荒汐部屋の同部屋でこれも珍しいかもしれない。

この若元春・若隆景という四股名だが、若を除いた「元春」「隆景」はともに中国地方の戦国大名・毛利元就の男子の名と同じである。

毛利元就に正室に3人の男子があり、長男を元隆、次男を元春、三男を隆景と言ったが、若元春・隆景の兄弟には兄がいてやはり力士になっているようで、もしその四股名が若元隆であれば、毛利元就の三男子から四股名を貰ったのかもしれない。

あるいは元隆・元春・隆景は本名なのだろうか。そうであれば三兄弟にこんなを付けた親(もしくは祖父)は歴史マニアであった可能性が高いだろう。

福島県出身では今場所は西の幕尻になっているが、「白熊」がいる。白熊と言えば鹿児島ではご当地アイスとして人気の「氷白熊」というのがある。その連想のせいか、何となくご愛敬のある力士に見える。

もう一つ特筆に値するのが、東京出身の力士である。役力士の新関脇・王鵬もだが、東3枚目の翔猿の2人。これは幕の内では多い方ではないのだが、十両の番付(東西28名)を見ると何と東に4枚目の紫雷以下4名、西に6枚目の英乃海以下2名。

十両以上は関取待遇だから、東京出身の関取は幕の内42名、十両28名合計70名のうち8名、割合にして11.4パーセントが東京出身のプロ力士ということになり、かつてのモンゴル勢ほどの出世力士ではないが一大勢力になりつつあるのだ(奇しくも今場所のモンゴル勢は幕の内6名、十両2名の総勢8名で、東京と同じ数である)。

またウクライナ出身力士が2名いるのも意外というか時勢というか、頑張れと言いたくなる。東15枚目の安青錦と西13枚目の獅司である。応援しよう。

「異常な高温」(気象庁の見解)

2024-12-26 15:48:29 | 日本の時事風景
気象庁は今年11月までの平均気温が平年を1.64℃上回ったと発表した。そして、これは「異常な高温だ」という見解を表明した。

何しろ直近の10年を見ても、平年との差が2016年が+0.58℃であり、その後のこの6年を見ると2019年以降は毎年+0.6℃を上回るようになり、2023年には+1℃を越え、とうとう今年は+1.64℃になった。

世界的にはヨーロッパの産業革命以降は平均気温が次第に高くなったと言われているが、その平均気温の上昇は200年で+2.5℃になったという。だが今回の気象庁のデータでは、わずか10年足らずでさらに+1.6℃になったというわけだ。

末恐ろしいというべきで、今年の10月末にスペインでとんでもない大雨が降り、東部のバレンシア地方では150人の死者がでたという報道があった。

スペインはヨーロッパの中では南部に位置し、温暖で比較的雨が多いのではという印象があるが、地中海気候のモデルのようなところで、夏は乾燥し冬に向けてやや雨が降る地域である。

そこに秋の終わりに降った雨の量がただならなかったようで、テレビの中継で町の中に川からあふれた出た水が洪水となって大量の自動車が押し流されていたのを見たときの驚きは大きかった。

地中海気候の特徴は「少雨」であり、それに合わせてオリーブやバレンシアオレンジなどの柑橘類が特産だったのだが、時代は徐々に変わっていくのかもしれない。

とにかくこれまでの温帯が暖温帯になり、暖温帯が亜熱帯になり、亜熱帯が熱帯に変わって行くのだろう。

植生が変わり、動物の生態系も変わっていくのが時代の趨勢になった。

これを一大事のように絶叫するのは分かるが、自分としては寒冷化するよりましだと思う。

そもそもヨーロッパの寒冷が今日につながっている高度工業文明を生み、その勢いが世界を席巻してアジア・アフリカへの侵略を生み、植民地の拡大が貧富の差と人種差別を生んで来た。

そういった差別されて来た国々が自治を獲得し、自主的に工業化を選択して国造りを推し進める気運になってきたわけで、1960年以降の世界は西欧による植民地分割闘争を克服してようやく人種による差別が最小限のものとなったのだ。

むしろこれからも問題になるのは(もう問題になりつつあるが)、巨大資本による新たな侵略だろう。これは名立たる欧米資本もだが、中国の巨大な国家資本も侵略性を備えているから厄介だ。

日本はそのような侵略性の資本(国家資本)主義ではないから、世界的に見ると中立性が高い。

米国(ドル)とも違い、中国(チャイナマネー)とも違う日本の協調的な資本主義はこれからの世界にとって、ますます重要視されるだろう。そうでなくては困る。

韓国大統領への弾劾訴追案可決

2024-12-15 08:47:24 | 日本の時事風景
定数300の韓国国会に出された現職のユン・ソンニョル大統領に対する2度目の弾劾訴追案が、定数の3分の2以上の204票で可決された。

ユン大統領は12月3日の夜に「非常戒厳」を発令して国会の機能を止めようとしたが6時間後には解除に踏み切った。野党からはすぐに弾劾訴追案が提出され、1度目は棄権する与党議員が大半で、3分の2以上の賛成が得られず流れていた。

しかし今度の結果「憲法裁判所」という日本にはない裁判所で審理されることになり、180日以内にその結果の承認の可否が決定されるという。

仮に承認されればユン大統領は罷免され、60日以内に大統領選挙になる。その間の大統領権限はほぼ制限されるから韓国は大統領不在に近い。その期間は最大で240日、8か月だ。

アメリカでは選挙に勝利はしてもまだ正式な就任式まで2か月近くあったにもかかわらずトランプ氏の事実上の権力行使に最大の注目が集まっていて、現職のバイデン大統領のメディア露出は極端に少なくなった。

もっとも韓国でもユン大統領の訴追が決まれば、弾劾案を提出した野党の「共に民主党」代表のリ・ジェミョン氏が大統領候補になり、こちらの方が国会の議席で与党の「国民の力」をはるかに上回っているので当選は固い。

このリ・ジェミョンという人は今朝のテレビ報道によると、日本を「敵性軍事国家」と呼び、「朝鮮を分断したのは侵略国家日本のせいだった」という歴史認識の人らしい。

だがこれはユン大統領の「親日政策」に対抗するための極端なロジックであって、実際に大統領に就任したらどう考えるのか。多少割引して付き合わなければならないだろう。

石破首相は韓国の非常戒厳騒動の直前だったか、国会の衆院予算委員会で与党議員の質問に対して「ユン大統領への支持はゆるぎない」と応じており、今後も続くであろうユン大統領との親しい外交関係を築いて行こうという気持ちだったようだ。

それがあっという間に向こうの政局が真反対にぶれてしまったのだ。首相(総理府)にしても外務省にしても青天の霹靂に近かったに違いない。

この霹靂に至る前にあの「佐渡金山での強制労働によって死に至った者への慰霊祭」における朝鮮(韓国)側の列席ボイコット事案があったが、あれがまさに野党による反日的な姿勢の発露であったのだろう。

件の慰霊祭は半島出身者であると日本人であるとを問わない被害者への共通の慰霊であったはずなのだが、とにかく日本へ連れて来られた、あるいは自由意思であっても日本へ渡航した者が、日本という侵略国家の手による慰霊など受けるべきではないということのようである。

ユン大統領はそういった恨みの上塗りされた「歴史認識」を溶融しようと働きかけたのだろうが、韓国国民は「共に民主党」の方を選んだわけだ。

石破首相は、対韓にせよ対米にせよ、難しい外交を強いられそうだ。

被団協ノーベル賞受賞後の演説

2024-12-12 10:31:18 | 日本の時事風景
ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞授賞式の後、被団協の代表田中氏(92歳)による演説は多くの聴衆を感動させたようだ。

自身の被爆の状況をさらけ出し、当時13歳(数え年?)という若い目で見た原爆投下時の長崎の惨状は、聴く者を戦慄させたに違いない。

焼けただれた皮膚がぶら下がり、水を求めて呻いていた人々。もちろん焼け焦げた死体が累々と市街地に散らばっていたのだ。

田中さん自身の伯母を始め5人の親族を失った悲しみは、強烈な閃光を浴びただけで無傷だった自分の身を思うと、余計に増幅したらしい。

その後、自分の身に起きた原爆症の数々は絶えることなく続き、それらを乗り越えて今日まで核廃絶を訴えて来た。まさに生き証人である。

(これはNHKの番組から撮影)
日本で原水爆禁止を求める団体が結成されたのは、意外と新しく、と言っても68年前の1956年のことである。

後しばらくの被占領時代は米国による規制が効いていて難しかったらしいが、1954年に太平洋上でマグロ漁船「第5福竜丸」がアメリカの水爆実験に遭遇して死の灰を浴び、船長はじめ数人が命を落とした事件のあとに開始された。

それ以降、核保有国が実験をするたびに反対運動の中心となって来たが、日本政府に対しては被爆者の国家賠償を求め続けて来ている。

1981年に国連で被団協から山口仙二という人が「ノーモア広島、ノーモア長崎」と叫んでから被団協の活動が国際的に認知され、その流れを受けたNGO団体「you-can」が核兵器禁止国際条約を主導したとして2018年にノーベル平和賞を授賞している。

その根本的な被団協による運動が長崎・広島を中心に継続的に行われてきており、ようやく今度の平和賞に辿り着いた。

遅きに失した感があるが、ウクライナとガザの戦争状態を目の当りにしている今日、より大きな意義がある。

被団協の日本政府への賠償(被爆者への保障)要求は、本来一般民間人への無差別殺傷を禁じている戦時国際法に違反した米国に対して行われる筋のものだと思うのだが、そのことを抜きにしても田中熙巳氏のー

『核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう』

という演説最後の訴えは、92歳翁の人類への信頼と愛情に下支えされた警鐘と受け取ることができる。

夏日が史上最多に

2024-11-14 20:59:30 | 日本の時事風景
今日の天気予報によると、鹿児島市では11月に入ってからの夏日(最高気温25℃)が8日となり、観測史上最多になったという。

今日は11月の14日だが、夏日の日の方が多かったことになる。

夏日とはむろん夏に多い最高気温25度を超える日だが、先月もおそらく1か月のうち夏日が半分以上だったに違いない。

何しろ先月の平均気温は平年より2.5℃ほども高かったのだから・・・。

鹿児島は全国でも最も気温が高い地域だが、それでも11月の14日、つまり中旬ともなれば山沿いでは「紅葉前線」が取り沙汰されるのだが、今年はまだ紅葉の先駆けは聞こえてこない。

いやはやこの先どうなるのだろう。

次期アメリカの大統領に当選したドナルド・トランプは地球温暖化に歯止めを掛けようとしている「パリ協定」などクソくらえとばかり、今度も協定離脱をするらしい。

アメリカでも温暖化による災害が多発しているにもかかわらず、中国の発展を目の敵にして自国の都合を最優先する姿勢には目を覆いたくなる。

パリ協定では、日本は日本で岸田内閣の時にCo2の削減に適しているとして原子力発電所の延命策を策定したが、巨大地震に因る危険性を無視した弥縫策としか思えない。

2011年の東日本大震災の際に「全電源喪失」によって炉心を冷やす機能を失い、核燃料が溶解して2号機の炉心に溜まったという「デブリ」の回収に成功したそうだが、その量は何と「0.7g」だという。

わずか0.7gを炉心から採取するのに8月から2か月半余り先の昨日(11月13日)までかかったわけだが、その量が当初は3グラムなどと言っていたのにその4分の1しか採取できなかったことになる。

何とも悠長な話だ。先が思いやられる。もう原発は「元気なうちに」廃炉にした方が良い。南海トラフ地震が起きてからでは遅いのだ。

再生エネルギーシステムをフルに活用し、原発は停止させなければ次代に大きなツケを残す。