昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―21

2017年03月15日 | 日記

下宿に戻った。ポストのチェックは忘れなかった。啓子からの手紙はその日も着いてはいなかった。

決心していた“とっちゃんと宵山に行くこと”がぐらつき始める。とっちゃんと宵山に行く、ただそれだけのことなのに。

夕闇が迫る頃、未練がましく、もう一度ポストを見に行った。案の定、空だった。暗い6畳に戻り、窓を開けた。窓辺に肘を掛け、生暖かい夕風に顔を曝した。

夏を迎えて、やけに田舎が恋しくなっている。心がゆとりを失っている証だ。

ひたすら人恋しかった。啓子に会いたかった。

自転車のブレーキ音が響いてきた。道路を見下ろすと、2台の自転車。桑原君ととっちゃんのように見える。急いで立ち上がった。「グリグリ~~~」と呼ぶ大きな声が届く。慌てて階下に駆け下り、表に飛び出した。

「わし、一人で来るつもりやったんやけど‥‥」

「一緒になってもうたんや。なあ、とっちゃん」

とっちゃんに用事があるとしたら、“宵山”のことを置いて他にない。桑原君は、“座り込み”への参加を誘いにでも来たのだろうか。

時間は午後7時前、二人とも夕食はまだだと言うので、一緒に100円定食を食べに行くことにする。とっちゃんの100円は、桑原君と僕で割り勘にすることにした。

定食が運ばれてくる前から、二人それぞれが僕に話したいそぶりを見せていたが、桑原君がとっちゃんに話す機会を譲った。

そのせいで、“とっちゃんと宵山に行く”ことは、桑原君という証人付きで約束させられることになった。

8時過ぎ。食事を終え、下宿までの数十メートルを3人で前後しながら歩いた。夏の京都の夜風が心地よかった。

「気持ちええなあ。お月さんきれいやわあ」

下宿前、電信柱の陰に止めた自転車が見えると、とっちゃんが腕を広げて空を見上げた。

「また今度来るわ」

桑原君は僕の肩をとんと叩いた。何も答えず、僕は空を見上げた。下弦の月がきれいだった。

別れを告げ部屋に戻ると、窓外から「グリグリ~~」と呼ぶ声がした。見下ろすと、夜目にもはっきり、とっちゃんの笑顔が見えた。自転車にまたがった桑原君は、漕ぎ出そうとする姿勢で止まっている。

「またね~~~」

小声で返事をする。とっちゃんが手を振る。手の平が月の光に白くゆらゆらと揺れる。しばらく待っていた桑原君の自転車が勢いよく動き始める。桑原君の黒い後姿を、とっちゃんのTシャツの白い背中が追っていく。

彼らが去っていくのを見送りながら、耳を澄ます。耳に届いていた自転車の軋む音が、次第に遠ざかっていく。

窓を閉め、ラジオを点ける。と、いつもの僕の部屋だ。月明かりに白い窓がいつもより侘しい。

部屋の明かりを灯す。窓に電球が丸く映りこむ。腰をかがめ、電気ポットを持ち上げる。その姿が窓に映し出される。僕自身には見えない。妙な違和感がある。

電気を消し、いつものように天井を見つめる。啓子を思い浮かべようとしたが、顔の輪郭さえ浮かんでこない。目を閉じる。初めて向かい合わせに座った“白鳥”を思い出す。

手元の白いコーヒーカップ。その先のシュガーポット。ガラステーブルの下の白いレース。その向こうに‥‥。思い出の中で目に映るものを追った目に、しかし、啓子の姿は映らない。京都駅に出迎えた時の啓子、河原町通りを歩いた時の啓子、一緒に高島屋を見上げた時の啓子、市電の窓から手を振った啓子‥‥。思い出そうとするすべての啓子が霞んでいる。

時間と距離のせいだろうか。時間と距離は、こんなにもたやすく人を遠ざけ、存在の記憶を薄めてしまうものだろうか。もはや僕にとって啓子は、“オルガンの少女”ほどの実体もない。

僕の中に浮かぶのは、日差しに黄色く染まったピンクのジャケットと白のスカート、啓子の歩みに合わせて揺れていたすみれ色のハンドバッグ、コーヒーカップに注がれていた伏し目がちな目と唇、市電の窓に見えた手と口元‥‥。いずれの場面からも、啓子本人はするりと抜け落ちている。

僕は啓子が好きなのではなく、啓子をめぐる記憶が好きなだけかもしれない。それも、僕を敬い愛おしむ目で見つめてくれる啓子の記憶が。それは取りも直さず、僕自身の過去への追憶だとは言えないか。啓子への愛とは言い難い。

人を好きになること。それも所詮は自己愛。自分を美しく映してくれる鏡を好きになることに過ぎない。

日記を開き、月明かりを頼りに、そう書いた。窓に映った僕自身の姿が、むしろ今の僕の現実なのだろうと思った。僕が感じた違和感は、手紙を通じて啓子も感じているに違いない。

そして、きっとそれは、今置かれている環境のせいではなく、僕が変わったのでもなく、この世に生を受けて以来ずっと僕を形作っている、僕の本当の僕自身であるに違いない。今の僕は、その本当の僕自身に、虚と実を一枚一枚貼り重ね出来上がっている、実体のないものかもしれない。本当の僕自身はもうすっかり隠されてしまい、露わにすることなどできなくなっているのだろう。

改めて僕は、天井を見つめた。すると、鮮明に浮かび上がってきたのは、とっちゃんだった。

「楽しみやなあ、宵山」

晴れやかに、穏やかに、笑っているとっちゃんだった。

                  Kakky(柿本洋一)

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