昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅  旅の始まり ①

2010年09月06日 | 日記
2000(平成12)年6月初旬、夕刻。事務所の電話が鳴った。僕の親父からのようだ、と告げられた。僕はキーボードの手を止めた。嫌な予感がした。
29歳の初夏、電話とラジカセだけの事務所を開いてから21年。親父からの電話は、たった3度。再々婚の相談の1回だけが、いい知らせだった。残りの2回は、いずれも親父の連れ合いの死に至る病発症の連絡だった。田舎で一人暮らしの親父。4度目の電話は、本人の死に至る病ではないか。咄嗟にそう思った。
緊張を和らげるために咳払いで一呼吸置いて、電話を取った。
「もしもし……」
それでも喉が詰まった。もう一度咳払いをした。咳払いに親父の声が重なった。
「おお洋一か。わし、肝臓癌らしいんじゃ」
嫌な予感は当たった。僕は電話を握り直した。質問をしようとしたが、また喉が詰まった。今度は小さく咳払いをした。
「とりあえず、検査入院することになってのお。一週間かかるらしいんじゃ。で、検査が終わったら手術じゃ。手術すれば大丈夫らしいから、お前は心配せんでええからの。まあ一応連絡しとこうと思うてのお」
一気に、淡々と話して、親父は黙った。僕の楽観は“らしい”という言葉にとりすがる。
「とりあえず検査なのね。本当に癌なのかどうか調べようってことね」
検査という言葉にもしがみつく。
「いや、癌は癌らしいんじゃ。癌は癌なんじゃが……」
一瞬の沈黙。うまく説明しようと整理をしているようだ。その風情、矜持の精神に、僕の楽観は消えた。親父の心細さが沁み入ってきた。
「それ、いつなの?帰るよ」
ひと通り説明を聞いて、告げた。
「いや、忙しいじゃろうけえ、帰って来んでええぞ。連絡しておこうと思っただけじゃけえ」
「いやいや、帰るって」
「ええて。ええて」
「じゃ、検査入院のスケジュールだけでも、教えてね」
「うん、まあ、それは教えよう。でも、帰って来んでええからの」
ささやかな押し問答をした挙句、検査入院の日程を連絡することだけは、なんとか約束させた。
これまで不義理を積み重ねてきた一人息子。なんと言われようと、すぐにでも飛んで帰るべきなのだろうが、確かに忙しい。都心のホテルのオープン・キャンペーン企画、2ヶ月後発売のゲームソフトのCM企画等々。どれ一つをとっても、遅れても大丈夫なものなどない。ひとまずは、親父の矜持の精神に甘え、検査入院の日程が決まるのを待つことにする。

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