昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

天使との二泊三日  ⑭

2017年09月18日 | 日記

3日目。快晴の朝、希子はもうベッドにはいない。開け放ったカーテンの向こう、ベランダには洗濯物。希子のワンピースのようだ。首を廻らせてみるが、姿は見えない。リビングへ入ると、Tシャツの後姿がメグを抱き、開けた窓に向いて立っている。壁の時計は、午前10時。柔らかい風が通っている。

ダイニングテーブルの上には、クロワッサンが数個。レンジではお湯が沸いている。

「クロワッサン、どうしたの?」

「冷凍庫の奥にあったよ」

希子は振り向き、メグを床に下ろす。メグはささっとソファに走っていく。

「新婚の食卓だね」

鍋のお湯にコーンスープの粉末を落としながら、希子が言う。

「本当だね」

隆志の声が弾む。

「こういう典型って、意識していなくてもそうなってしまうから典型なんだろうね」

「確かに、新婚のテーブルかくあるべし、なんて言われたことないような気がする。でも、こうなんだろうなあって思う」

「怖いね。いつの間にか意識は汚染されてるんだね。そして、典型に安心や幸せを求めるようになる」

「考え過ぎない、考え過ぎない。まずはブランチだ」

「そうだね。エネルギー注入をしなくちゃね。今日のために」

希子は隆志の横を通り抜けざま、鼻先にキスをした。ベッドではいつもすぐ近くにあったはずの鼻息の匂いが香り立つ。時には煽情的で、時には心地よい安心を誘う香りだ。

ブランチを早々に終え、二人はベッドルームに戻って行った。

……………

「希子は自分の居場所は必要ないの?」

「あるよ」

「どこ?」

「私とメグがいる所」

「定まってはいないんだ」

「私とメグは変わらないから」

「でもメグは……」

「先に死んじゃうって言うのね。なぜ?私かもしれないのに」

「でも、もしメグが先に死んじゃったら?」

「そんなこと、考えても考えなくても同じ。だから、考えない。誰かに言われたよ。メグが死んだらすぐに子猫を飼うといいって。それもなし。だって、私が共生してるのはメグとであって猫とじゃないから」

「人との共生は?」

「例えば俺と、って?うん。ない。私の共生センサーが反応していない。ごめんね。欠けてるところも嫌いなところもないんだよ。でも、マイナスがないからといってプラスとは限らないでしょ」

「言葉にならない相性ってものかな?」

「どうなんだろう。体の相性はいいと思うけどね」

「じゃ、半分は合格なのになあ。どうすればいいんだろう」

「どうもしないこと!偶然の結果を過大評価しちゃだめ。どこでどう知り合ったかって、本当は関係ないことだからね、知り合った者同士にとっては」

「それはそうだけど……」

「仮説を真説だと錯覚しないでね。同じ失敗しちゃうよ~~」

…………

3日目の夜。冷凍チャーハンを虚しく食べる二人の食卓に会話はなかった。精気の抜けた体には食欲さえ残り少なく、ほとんどを残したまま食卓を去る。

午後7時。ベッドに並んで倒れ込む。

「祭りの後って感じだね」

希子がポツリと言う。

隆志は黙ったまま、ただ天井を見つめる。頭の芯が茫洋としている。幸せのようであり、不安のようでもある。

ベッドに小さな振動を感じる。メグが飛び乗ってきたらしい。3日目にして初めてのことだ。希子の足元、ベッドの端に丸くなっている。

「コインロッカーだよね」

隆志が呟く。

「なにが?」

「希子の秘密の場所」

「さあ、どうでしょう」

「コインロッカーの中に、通帳や保険証の入った巾着と着替えと数冊の本が入ったバッグがきちんと押し込まれているのが見える」

「サイキックか」

「コインロッカーの試用期限の間、自分の全財産からも自由になるっていう寸法」

「それはいい考えかも」

「住民票は実家。現住所も実家。今は長い長い家出状態。時々バイトして通帳を補填して、そしてまたどこかのコインロッカーを拠点にして……」

「透視か。特殊能力に目覚めた?」

「マタギのような暮らし……」

「狩猟はしてないぞ。定住したいと思う場所に出くわさないだけ」

「だから、厳しく自分を律してるんだね」

「依存が嫌なだけかもよ。場所にも、人にも」

「俺はこれからどうすればいい?って聞きたいところだけど、興味ないよね」

「そんなことない。興味はあるよ。興味はあるけど、関与するものじゃないから、聞かれたとしても言うべきことはない」

「俺のお話も、これで終わりだなあ。俺にも、もう言うべきことはないような気がする」

黙ってそっと希子を抱き寄せる。

2日間いつも触れることができた肌がしっとりと濡れている。鼻息はかぐわしい。希子の指が耳朶に触れ、ゆっくりと動き始める。

……………

ふらつく足でリビングに向かう。希子の姿を求めている自分に気付く。陽射しのないリビングには、ただただ寂寞とした空気満ちているだけ。ソファもキッチンも、見事に片付けられている分だけ、なおさら空虚だ。

ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。卓上の紙片が目に入る。書き置きに違いない。胸が高鳴る。

“隆志、おはよう。そして、バイバイ。

言うべきこと、一つ見つかったから残しておく。

ナオミさんの“今”に出会ってみたらどう?

思い出だと思っているものが、いつまでも執拗に居座っている執着だったんだと気付かされることだってあるからね。執着は魔物だよ。

もし、ナオミさんの思い出が執着だとわかって、めでたく除去できたとしたら、その頃会えるといいかもね。私も、除染に精を出すからね。

隆志、自律だぞ!”

読み終えると、胸が痺れた。微笑みの上を涙が流れた。

“希子は天使だったんだ”と、隆志は思った。

        完

*これをもって終了ですが、40日程度で書き上げたものなので、筆が走った部分や表現が練られていない部分も多々あります。現在、書き直し、書き換え等々、推敲中です。10月初旬には、改めて全文を一気掲載したいと思っています。お待ちください。

                           柿本洋一(Kakky)


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