こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

それでも笑顔で・・・・

2009年10月18日 | その他
「世界中の悩みごとを、ひとりで背負ってるような顔」
 という言い方がありますよね。
 どっちかというと、おばちゃんとかのセリフかなぁ。
 ぼくは、この表現が好きでしてね、
 深刻な顔した本人の悩みが、どれだけ重く深かろうが、
 他人には「とてもよくわかる」というふうに
 共感してもらえることもないでしょう。
 さらに言えば、悩み深き顔の人間が、
 世界中の悩ましい問題を、解決したという話は、
 一度として聞いたことがない。

 世界中が悩みでいっぱいだったときに、
 人は、どんな表情でいるのがよいのか?

 学校で習ったおぼえもないですし、
 親から教えてもらったような気もしません。
 ともだちと話しあったこともない。

・世界中が悩みでいっぱいだったときに、
 人は、どんな表情でいるのがよいのか?
 あなたは、そういうときに、
 元気であかるくしていてはいけないのだろうか。
 悩みにうちひしがれている人に対して、失礼なのか。
 失礼になってはいけないので、
 同じようにうつむいて悲しい顔をしているのが、
 はたしていいことなのか?
 
 幼稚園の庭から、子どもたちの
 晴れ晴れした笑い声が聞こえてくると、
 ぼくは、たいていのときにうれしくなります。
 今日いっぱいで地球が滅びるとしたって、
 子どもたちの元気な笑い声が聞いていたいと思います。
 
・「炭坑のカナリア」という役割があるように、
 「戦場のピアニスト」という役があったり、
 「被災地の漫才師」という役割やら、
 「火事場の仔犬」みたいな役割もあるんでしょうね。
 みんながみんな深刻な顔して、大人らしくしていても、
 できることはそんなには多くない。
 なんとか笑顔でいられないものかなぁ。
       (ほぼ日刊イトイ新聞コラムより)

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ここ最近、人の書いた文章を引用ばかりで恐縮です!
でも、テレビでいい番組を見たり、琴線に触れる文章だったり、もしかしたらそういうことは続くものなのかもしれません。(と、言い訳しておいて・・・笑)


・・・・・・・ひとが、どうしようもない悲しみにくれているとき、まわりは本当に、何もしてあげることが出来ない。

そういう思いは、ここ数年の間に、友だちの身の上に起こったこと、そして自分に降りかかったことで、あらためて本当にそうだと思った。

反対の立場に立てば、悲しみにくれている人の前で同じように悲しみにくれる顔をしてあげるしかないのだけれど。

まして、自分はその人にとってなんの力にもなれない、どころか、自分がいることで傷つけてしまうこともあるかもしれない・・・・なんてことになれば、もうその人の前から消えるしかない、そんな悲しいこともあったりするわけで。

本当はその人と仲良くしたいのに、ちょっとしたゆきちがいでふかい、ふかい溝を作ってしまうのです。人間って、やっかいだな。それだけ、繊細で奥の深い生き物なんだろうけれど。

そう、繊細だけれど、奥が深い人間は、時とともに成長もします。
悲しみも喜びのための糧だったのだと気付くときもあります。
いろいろあったけど、そしてこれからもいろいろあるだろうけど、「いま」のあなたのことを本当に好きだよって、メッセージを送ることのできる、そんな笑顔でいたいと思います。


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