★手の中の木の実の熱き山の暮れ 正子
秋の午後、日が翳り出してからの散歩ウォーキングでしょうか?道の途中で拾って手に持っていた木の実は、秋の日差しを浴びてほの温かかったのに、「あれよ」と言う間に日が暮れてしまった・・。釣瓶落としの秋の日暮れの様子を「の」の格助詞を多用され、たたみ掛けるように巧み詠われ素敵です。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
蘆の穂の大きく風を捉えけり/桑本栄太郎
蘆の穂を主体に、蘆の穂を大きく、大らかに捉え、風の中にクローズアップさせ見事である。
○午前中、花冠12月号の後記を書き、印刷所に原稿をHPにアップしたことをメールと電話で連絡。
○11時ごろから、早淵川沿いの吟行に。
○ランク入り
2010.10.13(水) 459 PV 165 IP 8588 位 / 1478793ブログ
「鶴見川支流早淵川を下る」
川は上るほうが好みか、下る方が好みかと聞かれ、下りだと答えると、鶴見川支流の早淵川をセンター南から東山田まで案内しようということで、午前十一時ごろ吟行に信之先生と出かける。
早淵川は支流といっても一級河川と表示がある。それにしては、それほどでもと言う大きさだ。センター南で電車を降り、川に架かる橋を渡って、土手沿いの遊歩道へ降りる。川沿いの、二つある歩道の内下のほうの歩道を歩く。増水時には注意とあって、歩くと周りの葦や数珠、薄は、川水に浸ったあとがある。歩きはじめは、薄と葦が多く、次第に背高泡立草が増えてくる。川の水は、比較的澄んで、よく太った黒い鯉、ハヤのような魚がいて、白鷺、青鷺、鶺鴒、鴨が見られる。向かいから心地よい風が吹いて、しばらく土手を歩くが、坐って休むようなところもない。川の水は、今来たほうへ波が起こって流れているように見える。川を下るのなら、反対方向だ。近くに工場があって、梯子を降りかけた人に川はどっちに流れているかと聞く。「海はあっちだ。」と返事。落ち着いて水に浸かった葦や薄の靡き方を見ると、やはり、間違いなく、川下へ歩いている。風のせいで、流れが逆に見えただけのようだ。鴨など八羽も気楽に泳いでいるところもある。
芒の穂中洲にひらきみな若し 正子
鴨泳ぐ速き流れに乗りつつも 正子
秋の野の黄蝶白蝶こまごまと 正子
里芋や小松菜、白菜、葱などが植えられた畑が結構残っている。この里芋はおいしいだろうなと思いつつ歩くと、おばあさんに出会った。ふと農作業小屋を見ると、中で里芋や小松菜を売っている。里芋ふた袋、小玉葱一袋、胡瓜二本を買って、四百円払う。それをリュックに入れて歩く。
里芋の畑にとなり芋を売る 正子
川沿いはクコの花、風船かずら、栗の毬が落ちている。小鳥小屋を作ってインコを飼っている家がある。垣根もなにもなくて、日当たりと風通しをよくしているので、インコが丸見えだ。きれいな黄色、白、黄緑、青の四羽のインコを面白く見た。
秋風の鳥小屋インコの羽四色 正子
行程の半ばほどを歩いて、「勝田橋」と言う第三京浜にほぼ近いところまできた。食堂を探すがない。橋のたもとのコンビニによって、巻きずしのセットを一つ(一つしかなかったが)、ねじり棒ドーナツを買って、またそこから歩き始めた。十分ほどあるくと、泡立草が明るく咲いているが、小鳥も、魚も川には見られない。土手をさらに歩く。雑木林の中にベンチが見える。工場の作業員らしい人たちが三人休憩しているが、個人の土地のようだ。あきらめてさらに歩く。ちらっと、稲穂が見えた。まだ刈り取られずにいる。見に行くと、反対側が雑木林になっている。入るなと鎖を張っている。そのそばで、ここでよかろうと腰を下ろして、熟れた稲を見ながら昼食にする。昼時か、車は通らなくて、たまに自転車が通る。不思議そうに見て通るが、そんなことは、お構いなしで休憩。このあたりの植生は面白く、雑木林が残っていて、必要なところは切り開いて、畑にしたり、住む家にしたり、工場にしたりしている。栗畑も残っている。
休憩を終えて、さらに歩く。「待橋」という橋に来る。信之先生は、喫茶店に入りたいらしく、丘の上に見えるあの黒い家に何と書いてるか、と聞く。何も書いていません。あれは、洗濯物です。破風のある三角屋根も、壁も黒い建物のベランダには、赤いタオル、オレンジ色のタオル、白い子どものTシャツなど、絵画的色彩に干してある。遠目にはデザイン文字とも見える。残念ながら、レストランも、喫茶店もありません。橋の名前を頼りに歩いて、第三京浜国道がすぐ上を通る「北新川橋」まで来た。この橋を左折すれば、市営地下鉄の東山田駅。この駅から二駅目が日吉本町。予定より一時間以上も早い帰宅となって、夜は、芋炊きと決まりで、今日の吟行の閉めとする。
剥かれたる芋の白さを煮て保つ 正子
残業の子にあたためて芋煮鍋 正子
秋の午後、日が翳り出してからの散歩ウォーキングでしょうか?道の途中で拾って手に持っていた木の実は、秋の日差しを浴びてほの温かかったのに、「あれよ」と言う間に日が暮れてしまった・・。釣瓶落としの秋の日暮れの様子を「の」の格助詞を多用され、たたみ掛けるように巧み詠われ素敵です。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
蘆の穂の大きく風を捉えけり/桑本栄太郎
蘆の穂を主体に、蘆の穂を大きく、大らかに捉え、風の中にクローズアップさせ見事である。
○午前中、花冠12月号の後記を書き、印刷所に原稿をHPにアップしたことをメールと電話で連絡。
○11時ごろから、早淵川沿いの吟行に。
○ランク入り
2010.10.13(水) 459 PV 165 IP 8588 位 / 1478793ブログ
「鶴見川支流早淵川を下る」
川は上るほうが好みか、下る方が好みかと聞かれ、下りだと答えると、鶴見川支流の早淵川をセンター南から東山田まで案内しようということで、午前十一時ごろ吟行に信之先生と出かける。
早淵川は支流といっても一級河川と表示がある。それにしては、それほどでもと言う大きさだ。センター南で電車を降り、川に架かる橋を渡って、土手沿いの遊歩道へ降りる。川沿いの、二つある歩道の内下のほうの歩道を歩く。増水時には注意とあって、歩くと周りの葦や数珠、薄は、川水に浸ったあとがある。歩きはじめは、薄と葦が多く、次第に背高泡立草が増えてくる。川の水は、比較的澄んで、よく太った黒い鯉、ハヤのような魚がいて、白鷺、青鷺、鶺鴒、鴨が見られる。向かいから心地よい風が吹いて、しばらく土手を歩くが、坐って休むようなところもない。川の水は、今来たほうへ波が起こって流れているように見える。川を下るのなら、反対方向だ。近くに工場があって、梯子を降りかけた人に川はどっちに流れているかと聞く。「海はあっちだ。」と返事。落ち着いて水に浸かった葦や薄の靡き方を見ると、やはり、間違いなく、川下へ歩いている。風のせいで、流れが逆に見えただけのようだ。鴨など八羽も気楽に泳いでいるところもある。
芒の穂中洲にひらきみな若し 正子
鴨泳ぐ速き流れに乗りつつも 正子
秋の野の黄蝶白蝶こまごまと 正子
里芋や小松菜、白菜、葱などが植えられた畑が結構残っている。この里芋はおいしいだろうなと思いつつ歩くと、おばあさんに出会った。ふと農作業小屋を見ると、中で里芋や小松菜を売っている。里芋ふた袋、小玉葱一袋、胡瓜二本を買って、四百円払う。それをリュックに入れて歩く。
里芋の畑にとなり芋を売る 正子
川沿いはクコの花、風船かずら、栗の毬が落ちている。小鳥小屋を作ってインコを飼っている家がある。垣根もなにもなくて、日当たりと風通しをよくしているので、インコが丸見えだ。きれいな黄色、白、黄緑、青の四羽のインコを面白く見た。
秋風の鳥小屋インコの羽四色 正子
行程の半ばほどを歩いて、「勝田橋」と言う第三京浜にほぼ近いところまできた。食堂を探すがない。橋のたもとのコンビニによって、巻きずしのセットを一つ(一つしかなかったが)、ねじり棒ドーナツを買って、またそこから歩き始めた。十分ほどあるくと、泡立草が明るく咲いているが、小鳥も、魚も川には見られない。土手をさらに歩く。雑木林の中にベンチが見える。工場の作業員らしい人たちが三人休憩しているが、個人の土地のようだ。あきらめてさらに歩く。ちらっと、稲穂が見えた。まだ刈り取られずにいる。見に行くと、反対側が雑木林になっている。入るなと鎖を張っている。そのそばで、ここでよかろうと腰を下ろして、熟れた稲を見ながら昼食にする。昼時か、車は通らなくて、たまに自転車が通る。不思議そうに見て通るが、そんなことは、お構いなしで休憩。このあたりの植生は面白く、雑木林が残っていて、必要なところは切り開いて、畑にしたり、住む家にしたり、工場にしたりしている。栗畑も残っている。
休憩を終えて、さらに歩く。「待橋」という橋に来る。信之先生は、喫茶店に入りたいらしく、丘の上に見えるあの黒い家に何と書いてるか、と聞く。何も書いていません。あれは、洗濯物です。破風のある三角屋根も、壁も黒い建物のベランダには、赤いタオル、オレンジ色のタオル、白い子どものTシャツなど、絵画的色彩に干してある。遠目にはデザイン文字とも見える。残念ながら、レストランも、喫茶店もありません。橋の名前を頼りに歩いて、第三京浜国道がすぐ上を通る「北新川橋」まで来た。この橋を左折すれば、市営地下鉄の東山田駅。この駅から二駅目が日吉本町。予定より一時間以上も早い帰宅となって、夜は、芋炊きと決まりで、今日の吟行の閉めとする。
剥かれたる芋の白さを煮て保つ 正子
残業の子にあたためて芋煮鍋 正子
「蘆の穂の大きく風を捉えけり」の句を10月14日(木)の今日の俳句にお取り上げ頂き、有難うございました。お礼が遅くなり失礼致しました。
(好きな句鑑賞)
★手の中の木の実の熱き山の暮れ 正子
秋の午後、日が翳り出してからの散歩ウォーキングでしょうか?道の途中で拾って手に持っていた木の実は、秋の日差しを浴びてほの温かかったのに、「あれよ」と言う間に日が暮れてしまった・・。釣瓶落としの秋の日暮れの様子を「の」の格助詞を多用され、たたみ掛けるように巧み詠われ素敵です。