今日は午後から、新作ケーナを2本完成させた。なかなかいい感じに仕上がったと思う。 少し指穴の間隔に変化をもたせてみた。基本パターンは失敗しなくなったし、管の割れもなくなった。これからは応用編かな。いろんなサイズの管にも挑戦してみたい。
公園で練習していたらまた声をかけられた。「いい音がしますね~、なんていう楽器ですか?」と。「一曲聞かせてください」なんて言われても、なにも弾けない。 とりあえず循環コードなどをリズム刻んで弾いてみたりする。 「ほしいなぁ~」なんてことも言っておられたので、とりあえず売っているお店(コチャバンバ)を紹介してあげた。 声をかけてくださるのはいつも おじさん と おばさん。 いつの日にか、若い女性から声をかけてもらえることを夢見ながら、これからも練習に励もっと。(動機が不純)
昨晩、普段より1時間ほど早く帰宅できたので、晩飯後お風呂前にせっせとケーナ作り。完全に取り憑かれた感がある(笑)。 ただ、さすがに夜ということもあり、音の出る作業は遠慮した。(当たり前だー) 竹の焼き入れと歌口の調整、それからペーパー仕上げなどを行った。 以前より気候もよくなり、楽にはなったのだけれど、新たな問題発生。それは「虫」だ。 何をかくそう、私は虫が嫌い。最近は特に嫌いになった。 ケーナ製作は、玄関を出てすぐの外灯の下で行っているため、夜はその外灯に虫が寄ってくる。 ちっちゃな ガ 位ならまだいいが、結構大きな虫も来る。 見たことも無いような虫も来る。 あんなのが ブ~~~~ン ピタ っと私の身体に止まったら、ケーナも工具も放り投げてしまいそうだ。 虫対策、何か妙案はないものか・・・。
やはり問題は練習場所でしょ。夜の公園で練習しているって方のブログを発見。すごい。 私も公園デビューはしたものの、やはり週末の日中だ。夜も考えはしたが、ケーナという楽器の音は意外にも大きく、静まりかえった公園(かなり大きな公園)で練習する勇気がない。刺されたらどうしようかなんて思いもある。(笑) 私の場合、仕事帰りに音楽の練習スタジオに週1~2回通っている。個人練習だと1時間500円。 夜の練習はもっぱらこれだけ。 カラオケボックスだと1時間180円なんてとこもあるらしいが、これは平日のしかも日中のようだ。 チャランゴもケーナも、もっともっと練習したいのに、消化不良だな。
手作りケーナの店「竹笛」をオープンしてまだ2週間程度。既に2本の注文をいただいた。まあこの先、こんなペースで受注できるわけはないのだけれど、かなりうれしい反面、照れくさくもある。 そもそも、楽器を作れるなんて思ってもみなかった。 打楽器や、単音しか出ない楽器(楽器と言えるのか)は過去にも何度か作ったことはある。土笛は途中で挫折した。 今回のケーナ作り、短期間で自分でも満足がいく物ができるようになったのは、ただただ、教えていただいた師匠が良かったと言うことができる。 ま、ちょっとは私の努力もあったのだけれど(笑)。 今はスタンダードのものばかりだけれど、いろんな調の管や、変わり種も作ってみたい。
せっかく作ったけーな、眠らせておくのはもったいないので、安価でお譲りさせていただくことにしました。金額は市場価格のおよそ半値~3分の1程度でしょうか。これだったら損をしたと思わせない金額かな?と。 まだまだ未熟者ですが、さらに腕に磨きをかけてまいりますので、よろしくお願いします。 手作りケーナの店「竹笛」
音楽の原点って、まずは自分が楽しいこと。他の人が楽しそうに演奏しているのを見て、自分も楽しいと感じることができること じゃないかな。他の人を楽しくさせるまでには、自分が楽しいばかりではなくて、厳しかったりつらかったりする道も歩まなければならないのだろうけど、その先にはきっと楽しいことがあるから耐えられもするのだろう。 ケーナもチャランゴも演奏なんて言えるようなものはまだ何もできないけれど、それだって気分が落ち込んでいるときはいい音でないし、特に管楽器は呼吸を使うから気分の善し悪しが顕著に音に現れる気がする。 だから、自分が楽しいと思えることを、他にも楽しいと感じている人と一緒に、あ~~じゃない、こ~~じゃないって言いながら、時には酒でも飲んでくだまきながら、要するに「関わっている」ってことが大切なんじゃないかな。
う~~ん、楽譜は僕もとっても苦手。 たぶん向いてないんだと思う。何度か覚えようと試みたけど、やっぱり頭に入ってこない。 だから楽譜はやめようかなって思う(笑)。 耳で聞いて後は耳で音をとっていく。これしかないかなって。 ケーナの演奏家には、楽譜読めない人も多く居るって聞いたことあるし、なんとかなるんじゃないか?。
生来物事に関して、あれこれと考え過ぎてしまう性格なのだけれど、一定のラインまで考え詰めると、「ま、なんとかなるんじゃない?」って思うようになって、それで結構なんとかなってきた。
「積小為大」という言葉がある。小さな物かが集まって大きな物になる。全ての物は元をただせばみんな小さな物から始まっている って意味。 ケーナもチャランゴも日々の積み重ねだね。塵も積もれば山となる。ローマは一日にしてならず。
ま、がんばりましょう~や。
う~~ん、楽譜は僕もとっても苦手。 たぶん向いてないんだと思う。何度か覚えようと試みたけど、やっぱり頭に入ってこない。 だから楽譜はやめようかなって思う(笑)。 耳で聞いて後は耳で音をとっていく。これしかないかなって。 ケーナの演奏家には、楽譜読めない人も多く居るって聞いたことあるし、なんとかなるんじゃないか?。
生来物事に関して、あれこれと考え過ぎてしまう性格なのだけれど、一定のラインまで考え詰めると、「ま、なんとかなるんじゃない?」って思うようになって、それで結構なんとかなってきた。
「積小為大」という言葉がある。小さな物かが集まって大きな物になる。全ての物は元をただせばみんな小さな物から始まっている って意味。 ケーナもチャランゴも日々の積み重ねだね。塵も積もれば山となる。ローマは一日にしてならず。
ま、がんばりましょう~や。
ギターの演奏家のことをギタリストと言うように、チャランゴの演奏家のことは「チャランギスタ」と言うらしい。なんかカッチョええなぁ~。チャランギスタ。
話は変わるけど、フォルクローレ・ミュージックを聴くようになって思うことだけれど、あの、「合いの手」のようなものは必要なのだろうか。まだそんなにたくさんのCDを聞いたわけではないから、他のものもそうなのかどうかわからないけれど、曲の途中で「なんとか!かんとか」ってスペイン語が入ったり、「ア~ハハハハ・・・」とか、「アッへーーーー」なんてのもある。アヘーは正直笑ってしまう。極めつけは、「ウワハハハハハハァ~~~~~~」なんて、俺はこんな笑い方もできるんだぞーーって言いたいとしか思えないような笑い声が入っていたりして、なんだか、お返しにギャグでも返さないと申し訳ないような・・・・。 「ガチョーーン」とか。
話は変わるけど、フォルクローレ・ミュージックを聴くようになって思うことだけれど、あの、「合いの手」のようなものは必要なのだろうか。まだそんなにたくさんのCDを聞いたわけではないから、他のものもそうなのかどうかわからないけれど、曲の途中で「なんとか!かんとか」ってスペイン語が入ったり、「ア~ハハハハ・・・」とか、「アッへーーーー」なんてのもある。アヘーは正直笑ってしまう。極めつけは、「ウワハハハハハハァ~~~~~~」なんて、俺はこんな笑い方もできるんだぞーーって言いたいとしか思えないような笑い声が入っていたりして、なんだか、お返しにギャグでも返さないと申し訳ないような・・・・。 「ガチョーーン」とか。