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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

闘う種類

2020-08-07 | S教団関係
コロナの記事を書きながら、私はわりに平気な方だけど「これが同調圧力というものか」というのは確かに感じる。
就中、こんな日本中で信じられていることに疑問を書くのは、それはメリメリと強い。
書き始めた4月の最初の頃なんて「コロナを恐れないなんて人に非ず」くらいの空気だったもんね。

それでちょっと思い出した。
以前書いた「バリ活VSユル活」の記事で、バリ活組からチョイス組に言われた
「あれもこれもやってから言え」「ラクしてたくせに」
みたいな言葉には甘んじることもあったけど、いやいやそれは種類が違うだけと思う。

ユル活というより、それなりの活動家でありながら活動をチョイスするには、少なからずの同調圧力やら空気やらは跳ねのけることはやらなければならなかった。
あれもこれもやらなかったわけでも、ラクをしていたわけでもなくて、苦労の種類が違ったんだと思う。

以前、「怖いの種類」という記事を書いたけど、S活動にも種類があった。
簡単にいえば
おかしなことをやる大変さと、
おかしいなことを「おかしいと言えない空気の中で、おかしいと言ってやらない大変さ」?

適材適所なだけだったと思う。

温度差9

2020-08-07 | 思うこと
S問題を読み書きしている時、楽観的とか悲観的というのか、感覚的な温度差というものによく悩まされた。
同じものを見ても、同じ数字を見ても、同じ体験をしても、人によって感じ方が違うんだよね。

私はコロナ騒動を、できるだけ煽りを捨てて「そのまま」に見ようとした。
が、いくら見たまま、ありのままを書いても、悲観的に見たい人からすると、それは楽観視にうつるんだと思う。
私も多くの「うっとうしい」記事を読んだ。

この感覚の差というのはどうしようもない。
まあ永遠に埋まらないと思う。