珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

嫁・姑話

2018-04-03 | 日記
結婚した時、義母は自分の夫を亡くしてそれほど経っていなくて、まだ強い悲しみと孤独から立ち直れていなかった。

冗談でも、死んでサバサバみたいな様子は、微塵も言わないし想像もできない人である。
今も毎朝、毎夜欠かさず、仏壇にお供え物をして手を合わせている。

そして当然、そうなったら生きる支えは残された息子になる。
特に可愛くてたまらない次男は宝物のような存在で、そこに長男をさしおいて嫁がくるとなると、人波乱あるのは目に見えていた。

夫が結婚の意思を伝えると、義母はみるみる顔を曇らせてワッと泣き出した。
「お母さん!なんで泣くの?結婚したら僕が遠くに行ってしまうとか思ってしまうの?」
黙って頷く義母。
私も黙って聞くしかなかった。

義母はおしとやかで女らしい性格だった。
キツイことを言われるより逆にこうなると何も言い返せなかった。
そしてそれから数年間くらいだろうか。
新婚住まいに、日に多い時は30回ほど電話が入った。
まだ携帯がない時代だったので、留守にしていると留守番電話が常に点滅していた。
 

「母親というのは、こんなにも息子が愛おしいと思う生き物である」
私はただひたすら、一生分くらいのそれを叩き込まれた。
(はい、確か野村沙知代さんも仰っていたように、貴女が息子を思う愛情は文字通りより深いでしょう)

やがて長男も結婚した。
長男の嫁もこんな体験するのかなあと思ったら、事態は意外な展開に進んだ。
いわゆる授かり婚だった義姉は可愛らしい初孫を産んで、それからも次々と子どもが増えた。
4人の孫に囲まれて大忙しになった義母は、それどころではなくなった。
(後に私が送らばせながらようやく一人産んで、計5人になった時は、義母はもう疲れ切っていた(笑))

女って常に何か激しく愛する対象が必要なんだろうか…?
義母からは料理とか作法より、私はこれを学んだ気がする。





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自我をもったら

2018-04-03 | 娘と夫の話
娘が反抗期にさしかかったようだと夫に言った時、あっさりこう返ってきた。
「うれしいじゃないか。俺たちの子がついに自我を持ったんだぜ」

反抗期の育て方など、私も知らん。
相変わらず、娘のボヤキは定期便のようにくるけど、私の回答も雑なもんである。

いつだったか算数の宿題をやりながら
「ねえ、どうして面積って求めなきゃいけないの?だってママが面積求めてるの見たことない」
と訊かれたので
「ママは求めていないけど、求めている人もいる。アンタが今使っている机もきっとそれで成り立っている」
と答えておいた。

人間関係はもっと面倒くさい。
ああだこうだ、友達関係のことを言われたら

「生きていれば理不尽と思うものに出会う」
「我慢するか忘れるか、喧嘩するか悪態つくか、自分の思うようにやって見つけて」

としか言えない。
自我の芽生えた人間にこれ以上何がいえるのか、私にはわからない。

大人になってからもいっぱいいた。
どう生きるべきか自分で考えられない人も見たけど、それ以上にそれを教えたくてたまらない、説法好きが。
「思考停止」「教えたがり」も私の知る限り、どっちもどっち。ロクなもんじゃなかった。人にものを教えろと言われたら、私はこの経験かなあと思う。
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