珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

台本を読む

2018-04-12 | 日記
夫の仕事柄、ドラマや映画の「台本」を目にすることがある。
まだ公開されていない映画のストーリーをいち早く知りえたりして、いいなあと思うかもしれないけど、台本というのは作品全体のごく一部であって、それだけ読んでもわからないものである。

小説なら文章だけで一つの作品に完成されているけど、台本というのはここから作り込んでいくもの。
このせりふを、役者さんはどんなふうに言うんだろう?
この部屋はどんな感じにするんだろう?
このロケーションはどんなところでやるんだろうか?
このシーンは朝なのか昼なのか夜なのか、天気は晴れなのか雨なのか。
髪型や着るものはどんな感じなのか。
音は何を入れるのか…

作り手はそれらを具体化して映像にする。
夏井先生の、映像を見て言葉にするのと反対ですかね(笑)
私もたまに読んで、頭の中で描いてはみるけど、作品になったものを見るといつも驚く。
書いてあることをただ映像化しているだけじゃない。
そこに、独特の世界観を持たせるのが「作品」というものなんだろうか。

昨晩、また一つ台本を読んでみたけど、これがどんな作品に生まれ変わるのか楽しみに思った。
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PTA事情

2018-04-12 | 日記
子どもが修学してから驚いたことの一つがPTA活動だった。
これが結構な仕事量!!
なんだこれ~?!と思った。

私が子どもの頃は、親が学校に来るなんて入学式と卒業式。それから運動会と参観日くらいだった。
それがまあ、今はいろんな役員があって、役員の希望がない時はその選出をなんとかする委員までいて、会合はものによって頻繁にある。
それらは平等に負担するためにクジ引きされ、誰が何をやったかポイント制で管理される。
断る理由はただ働いていますではダメで、「介護人を抱えている」か「自身の病気」か「自分一人で生計を得るために働いている」しか認められない。
クジ運を天に任せる以外、逃れることができないのである。
この他に強制ではないが、ボランティアの募集もいろいろある。

なんでここまでやらなきゃいけなんだろう?と面倒くさいことこの上なかったけど、子どもが絡むと、こういうことも文句を言わずにスマートにこなして、評判を落とすわけにいかないのである。
仕事の内容に価値を見出すより、私はそっちの方に意味があるように思えてならなかった。

平日の活動は、仕事があれば職場に頭を下げて有休をとったり遅刻をしたりして、できるだけ参加する。
こういうところは男女平等にはおそらく永遠にならず、母親との負担になる。
どんな子煩悩の父親も「育児参加」「協力」と呼ばれるのは、こんなところにもあると思う。

しかし、昨今の学校事情もわかってくると、親たちがもっと協力しないと先生方だけでは回らないんだなあとつくづく思った。
例えば夏にプールの授業があった場合、私の頃は「水着を持ってきてください」の一言で終わったし、うすら寒い日でも青紫の唇をしながらプールにつっこまれたもんだ。
でも今は、そんなことしたら大問題になってしまう。
指定されたカードにその日の体温を記入して、親のハンコを貰い、水温が一定に達しないとそれは許されない。
写真一枚撮るにも、それはどこそこに掲載される場合があるが、それが承諾できるかどうかを事前に申告しなくてはならない。
そんな細かい書類が頻繁に渡されては回収されるし、先生の仕事は確実に増えていると思う。

家の近くに有名私立小学校があるが、そこの通学路は常時プロの警備員が立って登下校の見守りをしている。
道路の通学路用のカラー塗装の費用も、税金ではなく学校側がポンと出すらしい。
公立で同じ申請をすれば、何年も順番待ちをして予算が通るのを待たねばいけないが。
まあ金があれば、そんなこんなもやってくれる商売があるんだろうけどね。
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